2018年9月19日 更新

クロアチアの主将!ルカ・モドリッチが世界最高MFになった軌跡とは?

ワールドカップロシア大会で目覚ましい活躍を見せ、世界最高のMFの呼び声高いクロアチアの主将、ルカ・モドリッチ。そのルカ・モドリッチはどのようにして世界最高のMFの座に上り詰めたのか?ここではルカ・モドリッチが世界最高MFになった軌跡を追います。

  
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ルカ・モドリッチのプロフィール

S.H Hiroto on Instagram: “モドリッチ様。尊敬しています。好きなサッカー選手の1人。#モドリッチ #神 #尊敬 #サッカー” (55910)

国籍:クロアチア
生年月日:1985年9月9日生まれ
出身地:ユーゴスラビア サダル
身長:172cm
体重:65kg
ポジション:MF(CMF)
利き足:右足
2003-2008 ディナモ・ザグレブ
2003-2004 ズリニスキ(レンタル)
2004-2005 ザプレシッチ(レンタル)
2008-2012 トッテナム・ホットスパー
2012- レアル・マドリード

ルカ・モドリッチの獲得タイトル

プレミェル・リーガ最優秀選手:2003
クロアチア年間最優秀若手選手:2004
クロアチア年間最優秀選手:2007,2008、2011、2014、2016、2017
UEFA欧州選手権大会優秀選手:2008
リーガ最優秀MF:2013-14、2015-16
FIFA/FIFProワールドイレブン:2015,2016,2017
UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:2016,2017
FIFAクラブWCゴールデンボール:2017
FIFAクラブWCシルバーボール:2016
UEFAチャンピオンズリーグ最優秀MF:2016-17,2017-18
FIFAWCゴールデンボール:2018
UEFA欧州最優秀選手賞:2017-18

クロアチア主将!ルカ・モドリッチの軌跡①少年時代

toshi on Instagram: “Tank and ruins from The Croatian War of Independence…” (55939)

モドリッチは1985年9月9日にユーゴスラビアのサダル郊外のモドリッチ村で生まれました。
モドリッチの幼少期はまさにクロアチア紛争の戦時下で、セルビア軍に祖父を殺害されるなど、過酷なものでした。
紛争を避けるように引っ越しを繰り返すという難民状態で、そんな中モドリッチは常に避難先にボールを持っていき、駐車場など空いている場所を見つけてはボールを蹴っていたというモドリッチは、クロアチア最後のストリートボーラーとして成長を遂げたサッカープレーヤーです。

ストリートボーラーとしてザグレブへ

ye_ta_llow(m@koto) on Instagram: “⚽ Practice of liner shot  I practiced a shot of a straight trajectory that kick with outside of foot. It was quite difficult to kick to the…” (55948)

戦争を避けながらボロボロのボールを蹴り続けてきたモドリッチは、10歳のときにクロアチアのスプリトを本拠地にするハイデュク・スプリトの入団テストを受けることになりますが、華奢で力がなさすぎるという理由から不合格となってしまいます。
その後、地元のクロアチア西部ザダルを本拠地とするNKザダルの下部組織に入団し、16歳でクロアチアのサッカー強豪クラブであるディナモ・ザグレブのユースチームに移籍します。
そして18歳でトップチームに昇格し、ストリートボーラーで培ったテクニックが認められ、10年契約を結ぶことになります。モドリッチ家はこのときの契約金で故郷にアパートを買い、難民生活から抜け出すことになります。

クロアチア主将!ルカ・モドリッチの軌跡②ボスニアへ

日本人でも三浦知良や佐藤寿人などが所属したことがあるクロアチアの強豪クラブ、ディナモ・ザグレブのトップチームに昇格したモドリッチでしたが、そのまま順風満帆というわけにはいきませんでした。
モドリッチはトップチーム昇格と同時にボスニアのズリニスキ・モスタルにレンタルされてしまいます。ボスニアのピッチをはじめ、様々な面で非常に劣悪で過酷な環境でした。
後にモドリッチは「ボスニアでプレーできれば、世界のどこでもやれる」と語っています。
18歳のモドリッチはキャプテンとして22試合出場8得点の活躍でMVPに輝きます。
モドリッチはこれでザグレブに戻れると信じますがその願いも叶わず、クロアチアのNKザプレシッチへレンタルされることになります。

クロアチア主将!ルカ・モドリッチの軌跡③高い壁

【サッカー】 ニコ・クラニチャール (クロアチア) イケメン親子サッカー選手

モドリッチのストリートボーラーとして培ってきた技術や精神は素晴らしいものでした。にも関わらずボスニアへレンタルされMVP級の活躍を見せてもザグレブに戻れない理由は、実はニコ・クラニチャールの存在でした。
ニコ・クラニチャールはモドリッチと同世代の天才と呼ばれるほどのサッカープレーヤーで、クロアチアの英雄的な存在でした。若干17歳でザグレブのキャプテンとして活躍し、ポジションもモドリッチと同じポジションだったため、モドリッチはザグレブに戻ることができなかったとされています。
ニコ・クラニチャールという存在は、モドリッチが越えなければいけない壁として立ち塞がっていたわけです。

年間最優秀若手選手賞を獲得

ニコ・クラニチャールの存在を越えなければ先がないモドリッチは、レンタル先のNKザプレシッチでの活躍を誓います。
モドリッチはザプレシッチの中盤をほぼ支配し、攻守でチームの勝利に貢献、18試合で4得点と活躍し、チームは優勝争いに敗れはしたものの、ニコ・クラニチャールのザグレブの3位を超える準優勝という好成績を収めました。さらにモドリッチ個人としての活躍も認められ、才能を開花させはじめたモドリッチはこのシーズンの年間最優秀若手選手賞を獲得しています。

ニコ・クラニチャールの移籍とモドリッチのザグレブ復帰

pon on Instagram: “俺のモドリッチが来日(・∀・) #画像お借りしました #モドリッチ #cwc” (55949)

2005年1月、モドリッチに転機が訪れます。それがニコ・クラニチャールのハイデュク・スプリトへの移籍です。
ハイデュク・スプリトはモドリッチがザプレシッチで準優勝したシーズンの優勝チームで、ザグレブのライバルチームです。
優勝を逃し、さらにザプレシッチにも敗れた責任をフロントに押し付けたことからフロントとの確執が生まれ、スプリトへの移籍に繋がったとされています。それに伴ってザグレブはモドリッチを呼び戻し、ニコ・クラニチャールの穴を埋めようと考えたわけです。

ザグレブを優勝へ導くモドリッチ

念願のザグレブへの復帰を果たしたモドリッチは、定位置であるセントラルミッドフィルダーとして中盤を完全に支配し、大車輪の活躍を見せる凄さで、ザグレブに所属した2005-06、2006-07、2007-08シーズンの全てでザグレブをリーグ優勝に導きます。
そして2007年にはリーグ年間最優秀選手に選出され、ザグレブの中心選手まで上り詰めます。
典型的な超攻撃的なミッドフィルダーとして活躍してきたモドリッチですが、ボスニアへのレンタルや、ザプレシッチへのレンタルを機に、守備的なポジションやサイドハーフなどもこなし、いつしか万能型のミッドフィルダーに成長したことで才能が開花したといえます。

クロアチア主将!ルカ・モドリッチの軌跡④プレミアへ

Luka Modric - The Tottenham Years

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