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バドミントンの歴史とは?発祥の国や始まり・起源はいつから?

バドミントンの歴史とは?発祥の国や始まり・起源はいつから?

バドミントンの歴史は、インドやイギリスの遊びが始まりとされています。発祥の国はイギリスで、最初の国際大会は1899年にロンドンで開かれました。バドミントンの歴史はルールの改正や用具の改良が特徴的で、現在も日々改良が行われています。

2022.12.30 バドミントン

バドミントンの歴史

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バドミントンは歴史が浅く、バドミントンの起源は1820年代とされています。バドミントンはインドで行われていた遊びが始まりとする説が有力であり、1899年に現在の形式のプレーで初めて国際大会が開かれました。オリンピック競技の正式種目となったのは1992年のバルセロナオリンピックからとされています。

現在では、オリンピックでは毎回正式種目に登録され、世界中の人々に愛される人気スポーツとなりました。

バドミントンの起源

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バドミントンの起源には2つの説があります。まず最も有力なのが、イギリスの植民地だったころのインドで行われていた、皮でできた球をネット越しにラケットで打ちあうプーナという遊びがイギリスに伝わったのが始まりだとする説です。

次に有力なのが、イギリスで行われていたバトルドア・アンド・シャトルコックという遊びが始まりだとする説です。これは、現在使用されているシャトルコックに似た球を打ちあうもので、プーナ伝来より前から存在していたとされています。

バドミントンの語源

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バドミントンの語源も、起源の説に応じて2つの説があります。まず、プーナを起源とする説では、プーナを初めに紹介されたのがイギリスのサマセット家の邸宅バドミントン・ハウスであったことがバドミントンの語源だとします。

そして、バトルドア・アンド・シャトルコックを起源とする説では、初期のバドミントンが当時バドミントン・バトルドアと称されていたことがバドミントンの語源だとします。

バドミントンの発祥地

バドミントン発祥の地は、インドとする説とイギリスとする説があります。インドとする説では、インド帰りのイギリス人兵士がプーナを本国に伝えたときに、シャンパンの栓に鳥の羽根を刺したものを使い、それが現在のシャトルのもとになったと主張しています。

イギリスとする説は、バトルドア・アンド・シャトルコックの競技的な性質や名前に現在のバドミントンと共通するものが多いことを根拠にしています。

バドミントンの発祥国

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バドミントンの発祥国は、イギリスとする説が有力です。

1860年代から1870年代ごろに本格的に成立したバドミントンはイギリス中に普及し、ルール統一の必要性から1893年にバドミントン協会が誕生しました。それによって、コートの広さや形、プレー人数や得点制度など、地域によってさまざまだったルールを統一する動きが広がっていきました。

バドミントンの日本の歴史

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日本のバトミントンの歴史は、1920年代初頭から始まったとされています。1946年に日本バドミントン協会が設立され、1952年には国際バドミントン連盟に加入するなど、日本でのバドミントンの普及は急速に進みました。

現在では日本人選手にも強豪と呼ばれるほど強い選手が増えてきており、2018年、2019年と二年連続で世界選手権で女子ダブルスおよび男子シングルスの金メダルを獲得するなど、歴史的な快挙を遂げています。

日本へのバドミントンの伝来

バドミントンは、1921年に広田兼敏がアメリカ人のスネードから用具一式を寄贈されたことによって伝来しました。

広田兼敏はキリスト教青年会、いわゆるYMCAの横浜支部の体育主事を務めており、同じYMCAの名誉主事だったスネードから用具を渡され、日本にバトミントンが広まり、普及していくきっかけとなったのです。

日本のバドミントンの起源

日本のバドミントンの起源は、スネードから用具を渡された広田兼敏が、スポーツクラブを運営していた在日欧米人からバドミントンの手ほどきを受けたのち、1933年に横浜YMCAの体育活動に取り入れたことがきっかけとなっています。

広田兼敏が始めたころのバドミントンは、競技ではなくむしろレクリエーションの形で行われていました。しかし1931年ごろになると、横浜と神戸の間でバドミントンの港町対抗戦が行われ、次第に競技的な色彩を帯びるようになりました。

バドミントンのルールの歴史

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バドミントンのルールの歴史は、改正の連続によって特徴付けられており、改正の歴史といえます。

19世紀末期、ルールが統一されていないころ、イギリスにはいくつかのバドミントンクラブがあり、それぞれが独自のローカルルールを持っていました。
そして、クラブの数が増えると各クラブは対抗戦を意識し始め、ルール統一の必要性から1893年にバドミントン協会が設立されました。
それから用具の改良などに伴い何度も改正され、現在のルールに至っています。

バドミントンについて

まず、現在のバドミントンの大まかなルールはこうなっています。

・コートは縦13.4m×横6.1mの長方形型
・サーブは、シャトル全体が床から115cm以下の距離にあり、かつ下向きのときに打たなければならず、サーブを受けたレシーブ側が得点することもできる
・プレー人数は1対1のシングルスと2対2のダブルスのみ


現在ではこのようにルールが確立されていますが、バドミントンの歴史の中でルールにはさまざまな変更が加えられてきました。

コートの歴史

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バドミントンコートの歴史は、1870年代まで遡ります。当時のバドミントンは屋外でプレーするのが一般的で、コートではなくグラウンドと呼ばれていました。コートのサイズや形状はルールによってさまざまで、使える土地の広さやプレイヤーの人数によって変えていたとされています。

1893年、バドミントン協会の設立に伴って定められた統一ルールによって、アワーグラス型という砂時計のような形をしたコートが採用されました。しかし、失点となるフォルトかどうかを見分けるのが難しいために多くの混乱を招き、1901年に現在と同サイズのコートが採用され現在に至っています。

サーブの歴史

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バドミントンのサーブの歴史は、ルール改正の歴史でした。たとえば1899年の第一回全英選手権では、サーブ権がなければ得点できないなど現在とは異なったルールで試合が行われており、後にレシーブ側も得点できるように改正されています。

1958年にはサービスのレットが廃止されてサーブがネットにあたっても成立するようになり、1982年にはリバース・スピン・サーブ、いわゆる変化球サーブが廃止されるなど、昔のルールから大きく変化しています。

人数の歴史

バドミントンのプレー人数の歴史は、1870年代から現在まで、大きな変化を遂げています。1870年代には大半の試合がローカルルールで行われており、プレイヤーの数も1対1から多い場合には8対8で試合を行なったこともあったとされています。

1899年の第1回全英選手権の際には4人対4人または5人対5人と統一されておらず、また現在の人数とは大きく異なっていました。

バドミントンのラケットの歴史

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バドミントンラケットの歴史は、材質変化の歴史でした。フレーム部分およびストリングの部分には長らく自然由来の材料が使われており、今のラケットとは全く違ったものだったとされています。

現在のラケットは、フレームにはカーボン繊維を中心に複合素材にチタン等の金属が使われており、ストリングにはナイロンなどの化学繊維を細かく編んだものが主に用いられていて、頑丈で打ちやすいラケットへと進歩しています。

バドミントンのラケットの始まり

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バドミントンラケットの始まりは、フレーム部分が木製でストリングには動物の内臓を使用するなどとても原始的なものでした。フレームが木製のため大変重く、木材が歪んでしまうのを防止するために使用後は専用の器具で固定する必要があるなど、不便な面が目立っていました。

現在はチタン等の金属が複合素材に使われることによって、重量バランスが調整されラケットヘッドのねじれが低減されるなど、使用感は大きく改善されています。

プレースタイルに伴う変化

バドミントンラケットは、プレースタイルと共に大きく変化してきました。木製のラケットが主流だったころは、スイングが大きく、頭よりも高い位置でなおかつバックハンドでシャトルをとらえるハイバックを打つときも、腕を大きく振って飛ばしていました。

それからスチール製を経てカーボン製のラケットが登場し、材質が軽量化したことなどによって選手のフォームが手首や指を使うものへと変化し、打球やゲーム展開が高速化したとされています。

バドミントンのシャトルの歴史

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バドミントンシャトルの歴史も、同様に材質変化の歴史でした。17世紀から18世紀にかけて、羽根の部分や底部のコルクにかぶせる外皮はさまざまな素材で作られており、大きさや重さも統一されていなかったこともあり、打ち具合はまちまちだったとされています。

バドミントンが整備されていくにつれて、シャトルコックにも徐々に規格が設けられるようになり、現在の打ちやすいシャトルへと近づいていきました。

バドミントンのシャトルの始まり

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バドミントンシャトルの始まりは、野生動物の羽や皮を使った原始的なものでした。羽根の素材にはガチョウやニワトリなど、さらに一部の地域ではカササギの羽が用いられ、底辺のコルクにかぶせる外皮には馬や羊、マウスの皮が用いられていたとされています。
大きさや重さもまちまちで、中には現在のシャトルの5倍以上の重さのものもあったようです。

1980年代の日本では費用の問題からナイロンシャトルが公式採用されていましたが、世界の基準が羽毛球なので、現在はほとんど使われていません。

時代に伴う変化

シャトルコックの規格が統一されたのち、糸がかりが加えられ丈夫になった強化シャトルコックが誕生し、40年近く全英選手権のオフィシャル・サプライヤーでした。

それから、羽軸が強く更に丈夫なガチョウ羽のシャトルが生まれ、競技用シャトルに採用されています。しかし、2005年から2006年に鳥インフルエンザが流行し、現地で食用ガチョウが大量に処分された影響で、数十年後には羽の安定した供給が望めなくなることが危惧されており、将来的に人工素材シャトルを公式球に採用する可能性があるとされています。

バドミントンの歴史はルールや道具の改良による変遷

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バドミントンの歴史は、用具およびルールの改正の連続、改良の歴史といえます。
誰もが平等に試合を行い、自分の持つ力を最大限に発揮できるように、日々用具の改良、ルールの改正が行われています。

バドミントンの歴史は浅く、改善できる点は多く存在します。
選手の実力に見合った公平な試合を実現し、観戦者がより楽しんで見られるような試合を作るため、これからもルールは改正され、用具は進歩していくでしょう。

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