羽生結弦の名言106選!努力は嘘をつく・報われない努力と北京の後に語った言葉
フィギュアスケートで五輪を連覇した羽生結弦は、北京五輪の後に「報われない努力ってあるなと」と語りました。「努力は嘘をつく」はいつの言葉なのか、震災や怪我の時に何を話したのか。16歳の「王者になる」から今の言葉まで、羽生結弦の名言は努力に迷う時に力をくれます。
Writer
公式ライター Activel編集部
羽生結弦は、フィギュアスケートの男子シングルでオリンピックを2連覇した、仙台市出身のスケーターです。16歳で東日本大震災に遭い、怪我に苦しみ、4回転半ジャンプに命がけで挑んだ羽生結弦の名言は、努力が報われるのか迷う時に力をくれます。「報われない努力」はどんな場面で出た言葉なのか、「努力は嘘をつく」はいつの言葉なのかも、一緒にたどっていきましょう。
羽生結弦のプロフィール
羽生結弦は仙台で4歳からスケートを始め、被災と怪我を経て2つの金メダルを取り、今はプロとして滑っています。羽生結弦の名言は、こうした出来事のたびに出てきた言葉です。
基本プロフィール
五輪の金メダルのほか、世界選手権でも2度優勝しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 羽生結弦(はにゅう ゆづる) |
| 生年月日 | 1994年12月7日 |
| 出身 | 宮城県仙台市 |
| 競技 | フィギュアスケート男子シングル |
| 五輪 | 2014年ソチ・2018年平昌で金、2022年北京で4位 |
| 世界選手権 | 2014年・2017年に優勝 |
| 賞 | 2018年に国民栄誉賞 |
| 現在 | 2022年7月からプロのアスリート |
生い立ち:仙台で4歳からスケートを始めた少年時代
1994年に仙台市で生まれ、4歳でスケートを始めました。小学生の頃は野球がやりたかったことや、スケートの先生が厳しくて毎日正座をしていたことを、本人が2018年の会見で笑いながら話しています。それでもやめなかったのは、スケートをやれていること自体が特別だという気持ちがあったからでした。2010年3月には、15歳の時に世界ジュニア選手権で優勝しました。
世界ジュニア王者から五輪2連覇、プロ転向までの歩み

2011年3月11日、シニア1年目の16歳だった羽生結弦は、仙台市内のリンクで練習中に被災し、避難所での生活も経験しました。翌シーズンの2012年には初めての世界選手権で3位に入り、2014年のソチ五輪で金メダルを獲得しました。
その後は2014年の中国杯での衝突事故や手術、2017年11月のNHK杯の怪我に苦しみながら、2018年の平昌五輪で連覇しました。次に目指した4回転半に2022年の北京五輪で挑みましたが転倒し、結果は4位です。2022年7月19日の会見でプロ転向を表明し、2023年2月には東京ドームで単独公演を開きました。2026年3月には、震災15年のアイスショーで滑っています。
座右の銘
座右の銘として、確かな記録に残る本人の言葉は見つかっていません。近いものに「初心忘るべからず」があります。番組『KENJIの部屋』で好きな言葉を聞かれて答えたと、2015年10月の個人のブログに書かれています。初めてトリプルアクセルを跳んだ記念に、阿部奈々美コーチから贈られた言葉だそうです。ただ、放送局の記録や報道には見つかりません。
日付がはっきりしている近い言葉は、2022年7月19日の会見で人生の最優先事項を聞かれた時の答えです。「成功させられる努力をすること」「人間として美しくありたい」「常に勉強をし続けること」の3つを挙げました。
羽生結弦の名言106選
16歳で口にした「王者になる」から、ソチの金メダルの後の「悔しい」、壁と怪我の話、北京五輪の後の努力の言葉を経て、プロ転向後と震災15年の言葉まで、羽生結弦の名言106本を時期ごとにたどっていきましょう。インタビューや会見で、いつ、どんな場面で話したかは、それぞれの名言の下に書いています。
少年期から世界ジュニア王者までの名言
五輪の金メダルは、10代の前半にはもう目標でした。23歳の時には、小さい頃の自分や、スケートをやめなかった理由を振り返っています。
01「もっと体力を付けて、五輪で優勝したい」
— 2008年、ジュニアの大会に参戦していた頃
02「一生懸命頑張って今回のような最高の演技をして、4年後のソチ五輪に出たい」
— 2010年3月15日、世界ジュニア優勝後の成田空港で
03「その自分の心の中で『絶対やってやるんだ!』と言っている昔の自分が、たぶん僕の夢というか、夢の原動力になっているんだと思います」
— 2018年2月27日、日本記者クラブの会見で
04「先生も厳しくて毎日正座ばっかりしてたし、たぶんスケートをやっている時間のほうが短かったぐらい立ってました」
— 2018年2月27日、小学生の頃を振り返って
05「それでもスケートやめなかったのは、やっぱりやれていることに特別だという気持ちがあったからかなと思います」
— 2018年2月27日、小さい頃を振り返って
東日本大震災と「王者になる」16歳の名言
被災の後、リンクを失った16歳はアイスショーで各地を回りながら練習を続けました。この時期の雑誌のインタビューで口にしたのが、「王者になる」です。15年後の取材では、氷が波打つ感じや割れる音を全部覚えていること、「被災者代表」のように見られるのが嫌だったことも話しています。
06「疲れて体が動かなくなった。だけど、人間やれば何とかなる」
— 2011年、各地のアイスショーで準備していた時期に
07「(他人と)かぶってしまうかもしれないが、『結弦とジュリエット』になるくらい、自分の作品にしたい」
— 2011年9月頃、新しいフリー曲「ロミオとジュリエット」について
08「王者になる。まずそう口に出して、自分の言葉にガーッと追いつけばいい」
— 2011年、16歳の時の雑誌のインタビューで
09「『いい演技をするのが目標』なんて謙遜する選手が多いけど、完璧な演技で負けたら屈辱的でしょ! 僕は勝ちたい」
— 2011年、16歳の時の雑誌のインタビューで
10「16年しか生きていない。自分の人生は短いと思った」
— 震災の時を振り返って
11「メダルを取る気で来たわけではないので、びっくりして声が出ないとはこのことかな」
— 2012年3月、初めての世界選手権で3位に入って
ソチ五輪の金メダルと「自分に負けた」の名言
19歳で金メダルを取った直後に出てきたのは、喜びより悔しさの言葉でした。被災地への思いも、この時期からはっきり語っています。
12「夢がかなってうれしい。日本人として金メダルを持ち帰れることはすごく誇りに思っています」
— 2014年2月、ソチ五輪で金メダルを取って
13「金メダルを取ったけど、悔しい。自分の演技に満足していないので。何か自分に負けたみたい」
— 2014年2月、ソチ五輪のフリーの演技について
14「五輪の怖さ、五輪の魔物も少し感じた。自分に負けた感じ」
— 2014年2月15日、金メダルの翌日の会見で
15「それが緊張や体の硬直、呼吸の速さ、脈拍数、そういうものにすべてつながっていって、最終的にはベストパフォーマンスができない。それが“オリンピックの魔物”なのかなと思います」
— 2014年2月15日、JOC(日本オリンピック委員会)のインタビューで、オリンピックの魔物について
16「僕はどちらかというと緊張している時の方が結構いいパフォーマンスができるタイプなので、緊張は嫌いではないですし」
— 2014年2月15日、JOC のインタビューで
17「あ、俺のオリンピックはこれで終わった」
— 2014年2月15日、フリーの最後のポーズの瞬間を振り返って
18「そのシーズンの初めごろは『僕が何かしなきゃ』とずっと思っていました。シーズン最後の世界選手権で銅メダルが取れたのですが、そのとき、被災地の方々、東北の方々がすごく僕を支えて下さって、逆に勇気をもらっていたなと思ったんです」
— 2014年2月15日、震災の後のシーズンを振り返って
19「もしかしたら、この金メダルは羽生結弦じゃなくてもよかったかもしれません。でも、僕というその存在の中にたくさんの思いが宿っていると思うので、決して一人じゃないということを忘れないようにしたいですね」
— 2014年2月15日、東北の人たちへの思いを聞かれて
20「震災について語るのは難しい。僕に何ができたのか考えてしまうから」
— 2014年2月、ソチ五輪のフリーの後の会見で
21「金メダリストになれたからこそ、復興のためにできることがある」
— 2014年2月、ソチ五輪の金メダルの後に
「壁の先には壁」怪我と平昌五輪連覇の名言
ソチの後は衝突事故、手術、NHK杯の怪我が続きました。それでも平昌五輪で連覇し、会見では夢のことや自分自身を貫くことについて、子どもたちに向けて長く話しています。
22「壁の先には壁しかありませんでした。人間は欲深いもので、課題が克服できたら越えようとする。たぶん、僕は人一倍欲張りなんだと思います。だから何度でもその壁を越えようとするんです」
— 2014年12月、全日本選手権で3連覇して
23「情けなく、ふがいない。マイナスの気持ちばかり。でも、僕を成長させてくれた」
— 2015年3月頃、怪我の続いたシーズンを振り返って
24「自分自身に『絶対王者だぞ』と言い聞かせながら滑りました」
— 2015年11月、NHK杯で世界歴代最高点を出して
25「緊張はあったが、この舞台で金メダルを取れないようじゃまだまだ」
— 2016年4月、世界選手権で2位に終わって
26「僕の原点っていうか、心の奥底にあるのって、絶対勝ち負けなんですよ。何のためにスケートをやってるかって言われたら、勝ちたいから」
— 2017年、松岡修造さんのインタビューで
27「いや、特にないです。(金メダルを)誰が取ろうが、僕も取ります」
— 2018年2月15日、前回王者の重圧を聞かれて
28「(右足を触ったのは)感謝です。右足に感謝しかない」
— 2018年2月17日、平昌五輪で連覇した直後に
29「漫画の主人公だとしても、ちょっとできすぎなくらい、いろいろあった」
— 2018年2月17日、連覇の後の会見で
30「最高の演技じゃないかもしれないけど、自分に勝てた。色んなものを犠牲にして頑張ったご褒美」
— 2018年2月、平昌五輪で連覇して
31「順風満帆で何もなくて、(仮にその後も)うまくいっていたとしたら多分オリンピックでは金メダルをとれていない」
— 2018年2月18日、平昌のメダリスト会見で
32「本当に今まで人生をスケートに懸けてきて本当に良かったって、心から言えますし、これからもうちょっとだけ自分の人生をスケートに懸けたいなと思っています」
— 2018年2月18日、平昌のメダリスト会見で
33「僕の恩師の都築(章一郎)先生が『アクセルは王様のジャンプだ』と言っていたので」
— 2018年2月18日、4回転半を目指す理由を聞かれて
34「できるときにできることを精一杯やる。できないときはそれなりのできることをやる。それがすごく大事だな」
— 2018年2月27日、怪我からの3か月を聞かれて
35「夢って叶う人って本当に限られてて。はっきり言っちゃえば、自分の夢だって、叶ったのはこの金メダル……だけって言ったらおかしいけど、この金メダルが叶った夢だけであって、ほかの夢はたくさん捨ててきたので」
— 2018年2月27日、日本記者クラブの会見で
36「だから、いっぱいあっていいと思うんですよ、夢って。絶対適性があるし、高い目標じゃなくても、低い目標だって夢って言えると思うので」
— 2018年2月27日、上の言葉の続きで
37「今というのは揺るぎないものなので、それを貫いてほしいと思いました」
— 2018年2月27日、会見で書いた「自分自身を貫く」の説明で
38「そうやって自分自身を貫くことによって、後悔は絶対しないと思います」
— 2018年2月27日、日本記者クラブの会見で
39「みんなが、周りがあまりにも幸せになりすぎてて、僕は『僕の幸せはなんなんだろう?』って」
— 2018年2月27日、ソチの後を振り返って
「努力は嘘をつく」と「報われない努力」、4回転半と北京五輪の名言
「努力は嘘をつく」は、2016年10月2日に放送されたフジテレビの番組で話した言葉として伝わっています。ただ、確かめられるのは番組が放送されたことまでで、羽生結弦のこの言葉が入っていたことは、放送局のページや当時の報道では確かめられません。一方、「報われない努力」は、2022年2月10日の北京五輪のフリーの後に出た言葉です。松岡修造さんの前では壁を向いて涙をぬぐいました。4日後には、できなかったことは無駄だったと正直に話したうえで、信じなければ努力はできないと続けています。4回転半を探して、最後に9歳の時と同じフォームに行き着いたことも明かしました。
40「努力はウソをつく。でも無駄にはならない」
41「僕自身このスケートっていうスポーツをやっていくにあたって、本当に生活の一つひとつ全てを切り刻んで突き詰めて、スケートのためだけに全部結晶化させる。そこで負けるっていうのは、ものすごくつらいこと」
— 2019年、松岡修造さんのインタビューで
42「勝ちたいという欲求が煮えたぎっている」
— 2019年3月19日、世界選手権の前の会見で
43「自分にとっては『負け』は『死』も同然」
— 2019年3月23日、世界選手権でネイサン・チェンに敗れて
44「完全に実力不足」
— 2019年3月23日、世界選手権のフリーの後に
45「スポーツはやっぱり楽しい。強い相手を見たときに、ぞわっとするような感覚をもっと味わいつつ勝ちたい」
— 2019年3月、世界選手権の後に
46「久しぶりに心から自分に勝てたと思える演技だった」
— 2019年10月26日、スケートカナダで初優勝して
47「音と、跳べるフォームが一緒に記憶されているんだろう。ワインやチーズみたいなもの。滑れば滑るほど深みが出る」
— 2020年2月、四大陸選手権のショートの後に
48「震災を経験した僕にとっては、申し訳ないというか、罪悪感もある」
— 2020年12月、コロナ禍の全日本選手権で優勝して
49「僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。頑張ってください」
— 2021年3月、震災10年に寄せたコメントで
50「痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日があった証明なのだなと思います」
— 2021年3月、震災10年に寄せたコメントで
51「あの日から、皆さんからたくさんの『頑張れ』をいただきました。本当に、ありがとうございます。僕も、頑張ります」
— 2021年3月、震災10年に寄せたコメントで
52「今のところは、平昌五輪より間違いなく負ける確率の方が高い。前回、前々回とは違った強さで五輪に臨みたい。強い決意を持って、絶対に勝ちたい。五輪は(挑戦を続けるクワッドアクセル=4回転半ジャンプ=の)発表会じゃない」
— 2021年12月、北京五輪の代表に決まって
53「氷に嫌われちゃったな。僕、何か悪いことしたかな」
— 2022年2月8日、北京五輪のショートの後に
54「もう、一生懸命頑張りました。正直、これ以上ないぐらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないですけど、でも…。確かにショートからうまくいかないこともいっぱいありましたけど、むしろうまくいかないことしかありませんでしたけど、一生懸命頑張りました」
— 2022年2月10日、北京五輪のフリーの後に
55「全部、出し切ったっていうのが正直な気持ち。あれが僕のすべてかな」
— 2022年2月10日、北京五輪のフリーの後に
56「あの前半2つのミスがあってこそのこの『天と地と』という物語ができあがっていたのかなと思います」
— 2022年2月10日、フリーの演目『天と地と』について
57「『報われねえな』と思いながら今日までやってきましたけど、最終的にはやっぱり、ありがとうと思いながら、ここまで跳ばしてくれてありがとうと思いながら、感じていました」
— 2022年2月10日、氷に触れたことを聞かれて
58「全然楽しくなかったです(苦笑)。もう、いっぱいいっぱいでした」
— 2022年2月10日、五輪は楽しかったかと聞かれて
59「もうなんか努力って報われないなって思いました」
— 2022年2月10日、松岡修造さんのインタビューで
60「正直言っちゃえば報われない努力ってあるなと。僕は命がけでこのオリンピックの舞台まで本気で練習してきて、命がけで演技をしたときに、こうやってできなかったことに関しては、無駄だったなって正直思ってます。悔しいですけどね」
— 2022年2月14日に放送、松岡修造さんのインタビューで
61「でも絶対信じなかったら命がけでなんて練習できない、努力できない。でも僕はそれをやってきたと思える」
— 2022年2月14日に放送、松岡修造さんのインタビューで
62「それくらい僕のすべてだったんですよね。そうじゃないとあそこまでできなかったんですよ」
— 2022年2月14日に放送、4回転半について聞かれて
63「僕の心の中に9歳の自分がいて、あいつが『跳べ』ってずっと言っていたんですよ」
— 2022年2月14日、北京五輪の記者会見で
64「最後に壁の上で手を伸ばしていたのは9歳の俺自身だったなと思って。最後にそいつの手を取って一緒に登ったなという感触があって」
— 2022年2月14日、北京五輪の記者会見で
65「守ることだって挑戦だと思います。大変なんですよ、守るって。家族を守ることだって大変だと思います。何かしらの犠牲や時間が必要だったりしますし。だから何一つ挑戦じゃないことなんて存在してないんじゃないかな」
— 2022年2月14日、挑戦とは何かを聞かれて
66「スケートのことを嫌いになることはたくさんありますし、フィギュアスケートって何だろうとよく思います」
— 2022年2月14日、北京五輪の記者会見で
67「そのジャンプとしての最高点には僕は辿り着けたと思っていますし、回転の判定も色々ありますが、僕の中では納得しています。満足した4回転半だったと思っています」
— 2022年2月14日、4回転半のジャンプについて
68「そんなスケーターは簡単にはいないよなと思いますし、羽生結弦で良かったなと思いました」
— 2022年2月14日、応援の中で滑れたことを振り返って
69「僕はやっぱりオリンピック王者だし2連覇した人間だし、それは誇りを持って胸を張ってこれからも過ごしていきたいなと思っています」
— 2022年2月14日、北京五輪の記者会見で
70「見ていただけるからこそ僕の演技に何かしらの意味が生まれると思うので、本当に皆さんに感謝したいなと今は思っています」
— 2022年2月20日、北京五輪のエキシビションの後に
プロ転向の会見と「次の舞台」の名言
2022年7月19日の会見では、引退という見方をはっきり否定し、ここからがスタートだと語りました。同じ年の12月には、菊池寛賞の贈呈式に寄せたビデオメッセージで、努力についてもう一度話しています。
71「プロのアスリートとして、スケートを続けていくことを決意いたしました」
— 2022年7月19日、プロ転向の会見で
72「競技者として他のスケーターと比べ続けられることはなくなりました。ただこれからは自分のことを認めつつ、また自分の弱さと、そして過去の自分とも戦い続けながら、これからも滑っていきたいと思っています」
— 2022年7月19日、プロ転向の会見で
73「寂しさは全然ないです」
— 2022年7月19日、プロ転向の会見の質疑で
74「むしろここからがスタートで、これからどうやって自分を見せていくのか、どれだけ頑張っていけるのかが大事だと思っているので」
— 2022年7月19日、プロ転向の会見の質疑で
75「自分の中では『スケート=生きている』というイメージがあって」
— 2022年7月19日、プロ転向の会見の質疑で
76「僕にとって羽生結弦という存在は常に重荷です。すごく重たいです」
— 2022年7月19日、重荷になったことを聞かれて
77「本当に努力し続けて、これ以上ないくらい努力したと言えるくらい頑張ってきて本当に良かったなと思いますし」
— 2022年7月19日、プロ転向の会見の質疑で
78「全然終わらないし、引退でも何でもないので」
— 2022年7月19日、ファンへの思いを聞かれて
79「でも北京五輪のときは『もう伸びしろないのかな』と思ったんですけど、今は伸びしろをいっぱい感じています」
— 2022年7月19日、プロ転向の会見の質疑で
80「『成功させられる努力をすること』それが自分にとって一番の優先事項ですかね」
— 2022年7月19日、人生の最優先事項を聞かれて
81「『人間として美しくありたい』と思っています」
— 2022年7月19日、人生の最優先事項の2つ目に
82「3つ目は『常に勉強をし続けること』を挙げたいと思います」
— 2022年7月19日、人生の最優先事項の3つ目に
83「むしろ勝負の舞台から、次の舞台に上がったって僕は思っているので」
— 2022年7月19日、松岡修造さんのインタビューで
84「『お疲れさまでした』って言われるのちょっと悔しいですよね」
— 2022年7月19日、松岡修造さんのインタビューで
85「私の人生のそのほとんどは、夢への道でした。希望と絶望の連続でした」
— 2022年12月、文化の功績に贈られる菊池寛賞の贈呈式へのビデオメッセージで
86「その時私は、報われない努力もあるということを感じました。今までの努力の日々は、無駄な日々だったとも思いました」
— 2022年12月、菊池寛賞の贈呈式へのビデオメッセージで
87「夢は叶うわけではありません。努力が実るわけではありません。頑張ったところで夢が叶う人は、本当に限られた人だけです」
— 2022年12月、菊池寛賞の贈呈式へのビデオメッセージで
88「ただ、私はすべての選択に意味を持たせたいと思っています」
— 2022年12月、菊池寛賞の贈呈式へのビデオメッセージで
89「フィギュアスケートは芸術性も大事かもしれないですけど、間違いなくスポーツではあるんです」
— 2023年2月、東京ドーム公演の頃に
震災15年と今の名言
2026年3月、31歳になった羽生結弦は震災15年のアイスショーで滑り、取材で当時のことを詳しく話しました。7月のプロ4周年のインタビューでは、努力についての今の考えも語っています。
90「15年たって、自分自身のその悲しみや傷への向き合い方だったり、付き合い方であったり、そういったことをちょっとずつ理解しながら前に進んできたつもりです」
— 2026年3月7日、震災15年のアイスショーの後に
91「最終的にはその傷も全部自分なんだって受け入れながら、演技が終わった後に次があるよって思えるようなプログラムにはしたつもりです」
— 2026年3月7日、演目「Happy End」について
92「またいつ起こるかもしれない災害に対して、備え続けていくことが必要。減災につなげられるように『3・11』を経験した身として、5年先も10年先も発信し続けたい」
— 2026年3月10日、仙台市でのインタビューで
93「震災に興味を持ち、考えてもらうきっかけになることが一番の使命」
— 2026年3月、震災15年のインタビューで
94「今日まで生きてきたな、という感じです」
— 2026年3月10日、震災15年のインタビューで
95「地震の時の氷が波打つ感じとか、氷が割れる音とか、建物がひび割れる音とか。貸し靴や、ガラスの扉とか、照明が落ちる音とか、すごく全部覚えています」
— 2026年3月10日、震災15年のインタビューで
96「僕は『メダルを取れなくても、いい演技だからよかったよ』とは言わない人間なので」
— 2026年3月10日、五輪の後の千葉百音選手について
97「当時は被災者代表のように見られて世界選手権に出たり、日本代表に選ばれたりするのがすごく嫌だった。重圧を感じて怖かった」
— 2026年3月、震災15年の新聞のインタビューで
98「仙台出身であること、3・11で被災したこと、金メダリストであること。すべて背負って生きることに誇りを持っている」
— 2026年3月、震災15年の新聞のインタビューで
99「もちろんです、もちろんです。『うわ、ここ下手だな』『あれも下手だな』と思うことばかりです。伸びしろしかないです」
— 2026年7月、今も自分の演技を下手だと思うのかと聞かれて
100「それを決めないで『限界じゃないぞ』ってやっていられるのも、努力の一つの形だと僕は思っています」
— 2026年7月、限界を決めることについて
101「中途半端な人間になりたくないから頑張っているというだけだと思います」
— 2026年7月、プロ4周年のインタビューで
英語で読める羽生結弦の言葉
羽生結弦の英語の言葉として読めるのは、主に2020年の国際スケート連盟(ISU)の授賞式のスピーチと、プロ転向の会見の英語の記事です。スピーチの英語が本人の話した言葉か訳かは分かりません。会見は日本語で話し、英語は記者の訳です。
102「日常のほとんどの瞬間、私はフィギュアスケートのことを考え、もっとうまく、もっと強くなりたいと願っています。昨日できなかったことができるようになろうと、毎日を過ごしています」
“In almost every moment of daily life I’m constantly thinking of Figure Skating and I’m always hoping to become better and stronger. I spend every day trying to become better at something that I couldn’t do the day before.”
— 2020年7月11日、ISU の授賞式のスピーチで
103「フィギュアスケートはスポーツです。ショーもありますが、私たちはアスリートであり、競技者です」
“Figure Skating is a sport. Yes, there are shows – but we’re athletes and competitors.”
— 2020年7月11日、ISU の授賞式のスピーチで
104「アマチュアのスケーターとして、努力を重ね、自分の望む結果を出したいと思っています。家族やコーチ、ファンが私に期待してくれているように」
“As an amateur skater, I hope to work hard and deliver the outcomes I desire; as my family, coaches and fans expect from me”
— 2020年7月11日、ISU の授賞式のスピーチで
105「より高いステージに立ちたいな」
“it made me think that I want to perform on even bigger stages”
— 2022年7月19日、プロ転向の会見で(英語は記者の訳)
106「そして4回転半ジャンプにもより一層取り組んで、皆さんの前で成功させられることを強く考えながら、これからも頑張っていきます」
“I want to increase my efforts on the quad axel and work hard to complete it in front of everyone.”
— 2022年7月19日、プロ転向の会見で(英語は記者の訳)
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