アントニオ猪木の名言50選!「道」「元気ですか」「馬鹿になれ」の語録と言葉
迷わず行けよ、行けばわかるさ。引退試合で読んだ詩「道」や「元気ですか!」で知られるアントニオ猪木の名言50選を、いつ・どんな場面の言葉かと一緒に。猪木の名言として広まった詩「道」の元ネタや、「馬鹿になれ」などの語録も。
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公式ライター Activel編集部
アントニオ猪木が1998年の引退セレモニーで読み上げた詩「道」には、元になったとされる別の作者の詩があります。アントニオ猪木の名言50選には、アリ戦の前の取材から亡くなる直前の動画まで、いつ・どこで語ったかが分かる言葉が18件あります。「迷わず行けよ。行けばわかるさ」で終わる詩「道」の元ネタと、「1、2、3、ダー!」を観客と初めて唱和した日も確かめられます。
アントニオ猪木のプロフィール
アントニオ猪木の名言には、モハメド・アリとの試合の前の取材、引退セレモニーのスピーチ、闘病中の公式YouTubeなど、語った場面が記録に残っているものがあります。「燃える闘魂」と呼ばれたレスラーの歩みを、名言を読む前に確かめておきましょう。
基本プロフィール
アントニオ猪木は横浜市鶴見区で生まれ、ブラジルで力道山にスカウトされてプロレスラーになりました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 猪木寛至(いのき かんじ) |
| 生年月日 | 1943年2月20日 |
| 出身地 | 神奈川県横浜市鶴見区 |
| 身長・体重 | 190cm・102kg(現役時代) |
| デビュー | 1960年9月30日(日本プロレス) |
| 創設した団体 | 新日本プロレス(1972年) |
| 呼び名 | 燃える闘魂 |
| 参議院議員 | 1989〜1995年・2013〜2019年 |
| 引退試合 | 1998年4月4日(東京ドーム) |
| 死去 | 2022年10月1日(79歳) |

プロレスラーから政治家、引退までの歩み
家業は石炭問屋でしたが、エネルギーの中心が石炭から石油に移ったのを受けて、猪木は13歳のときに一家でブラジルへ移住しました。1960年4月、ブラジル遠征に来た力道山にスカウトされて帰国し、同じ年の9月30日に日本プロレスでデビューしています。「燃える闘魂」の呼び名は、NET(現テレビ朝日)でプロレス中継の実況を担当した舟橋慶一アナウンサーが付けたものです。
- 1972年3月6日: 新日本プロレスの旗揚げ戦(大田区体育館)
- 1976年6月26日: モハメド・アリと対戦し、3分15ラウンドで引き分け(日本武道館)
- 1983年: 第1回IWGPを開催
- 1989年: スポーツ平和党を結成し、参議院議員に初当選
- 1998年4月4日: ドン・フライとの引退試合(東京ドーム)
- 2013年: 日本維新の会から立候補して当選し、18年ぶりに国政へ
- 2022年10月1日: 心不全のため79歳で死去
1989年の当選で、猪木はレスラー出身で初めての国会議員になりました。晩年は難病の全身性アミロイドーシスと闘いながら、公式YouTubeチャンネル「最後の闘魂」で言葉を届け続け(2020年には語録の本『アントニオ猪木 闘魂語録大全』も宝島社から出版されています)、亡くなる10日前の9月21日にもベッドの上で話す姿を撮影しています。アリをはじめボクサーたちの言葉は、ボクシング選手の名言100選で読めます。
アントニオ猪木の名言50選
前半の18件は古い順に並び、多くは「この名言の背景を詳しく読む」を開くと、その日に何があったかが分かります。一方、後半の32件は語録として広く紹介されているアントニオ猪木の名言で、詩「馬鹿になれ」の書き出しもここに入っています。後半の言葉は、いつ・どこで語ったかまでは分かっていません。
01「まともにストレートをくったら殺されるかもしれないよね。しかし、くわなきゃいいだろう。パンチには射程距離というものがある。そこに入らなきゃいいんだ」
— 1975年6月9日、アリが挑戦を受けると宣言した日の取材で
02「どんなルールであろうとプロレスはボクシングより強いと信じているし、勝つ自信がある」
— 1976年3月25日、ニューヨークでのアリ戦の正式調印で
03「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」
— 1990年2月10日、東京ドーム大会の試合直前のインタビューで
04「私の勝った時にしかやらないポーズ。最近は力が弱くなりましたが、みなさんの心を一つに一発気持ちいいやつをやらせてください。ご唱和願います」
— 1990年2月10日、東京ドーム大会の試合後のマイクで
05「人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに年老いていくものだ」
— 1998年4月4日、東京ドームの引退セレモニーで
06「踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。」
— 1998年4月4日、引退セレモニーで読んだ詩「道」の結び
07「花が咲こうと咲くまいと生きていることが花なんだ」
— 2008年10月に出した著書の書名
08「ちょっと人からはみ出してみる、それが大事じゃないでしょうか。(中略)非常識を1ミリすることで、まったく別の世界が見えてくることがある」
— 政治家として活動していた時期のインタビューで、子どもたちへのメッセージとして
09「5分くらいで楽に勝てると思っていた」
— 同じインタビューで、アリ戦を振り返って
10「元気ですかー! 立ち上がれ! 元気があればコロナもノックアウト!」
— 2020年3月23日、公式YouTubeチャンネル「最後の闘魂」で
11「夢は自分で作っていくもの」
— 2020年3月、卒業生に向けて収録した動画で
12「人が出来ない、やれないことをやれ。それが俺なりの師匠(力道山)に対する違う道のりと言うかな」
— 2020年7月21日、『アントニオ猪木 闘魂語録大全』の発売を記念したインタビュー動画で
13「人間っていうのはもっと自然体でいいし、その中で生きながら、自分が心の奥に秘めてるものを見せびらかす事もなく、地道に」
— 同じ動画で
14「死ぬエネルギーがあるのなら、まだ生きられる。どうせ死ぬなら、私らしく闘って死にたいと思い至ったんです」
— 2020年10月24日、本人の公式Xで
15「夢を持て。でかければでかいほどいい。とにかく、夢を持て。大ぶろしきをひろげておさまりがつかなくなってみろ、やらざるを得なくなる」
— 2020年11月28日、本人の公式Xで
16「なんとかね元には戻らないにしても、やっぱり最後の最後まで闘って生きていく、そういう意欲を見てもらいたいと思います」
— 2021年4月、公式YouTubeの動画「4月4日4時」で
17「この声が一番、俺の敵。でも敵がいる限りいいじゃないですか」
— 2022年9月21日、亡くなる10日前に撮影された動画で
18「人がやらないこと、できないことを全てやらせてもらった」
— 同じ動画で
19「元気が一番、元気があれば何でもできる!」
20「馬鹿になれ とことん馬鹿になれ 恥をかけ とことん恥をかけ かいてかいて恥かいて 裸になったら見えてくる 本当の自分が見えてくる」
21「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ!」
22「子供に夢を持たせたければ、大人こそ夢を持て」
23「一生懸命やっている人を小馬鹿にするのは、自分がかなわないから笑うことで逃げているのだ」
24「ちっちゃなケンカをするたびにスケールが小さくなる」
25「『迷わずいけよ』と言っても、俺にも迷う時もある」
26「派手に見えれば見えるほど、裏で地味な努力をしているのがあらゆる世界のプロだ」
27「落ちたら、またはいあがってくればいいだけのこと」
28「どうってことはない。負けたと思ってないんだから」
29「さあ、やるんだ。やり抜くのだ」
30「ルールを決めた以上はルール違反を犯さずに堂々と闘う」
31「姑息なことはするな!」
32「人間には、必ず人生の転機を直感し、的確に判断できるかどうかを試される時が何度かある」
33「自らに満足している人間は、それで終わりだ」
34「ただ単に相手を倒すだけであったのなら、社会において何の価値があろうか」
35「コンプレックスをバネに飛躍することができるのではないか」
36「もともとありもしない『限界』にこだわると、己れの力に疑問をもつようになり、しくじったり、できなかったとき、『ああ、これが俺の限界だ、もうダメだ』とギブアップしてしまう」
37「誰もが心底恐ろしい存在を持つべきだ」
38「優しさのない正義はなく、強さもない」
39「力を抜くことによって、相手のエネルギーを奪うことができる」
40「『闘いのロマン』という引き出しこそ、もっとも開けて欲しいものなんだ」
41「アドバルーンを上げれば何かが動き出す」
42「俺は人が喜んでくれるのが、生きがいというか喜び」
43「悩みながらたどり着いた結論は、やはりトレーニングしかない」
44「わたしはプロレス修行時代、誰よりも大きな欲を持とうと思い練習した」
45「ひとりだからこそできることもある」
46「自分の我を引っ込めたときには、必ずといっていいほど挫折感を味わう」
47「自分が受けた仕打ちを今度は自分がするというのは好きじゃない」
48「リングに上がっているのに、なぜスキを見せるのか」
49「反省はしているけど後悔はしていない」
50「誰の挑戦でも受けます。一般の人でも構わない」
引退試合で読んだ詩「道」と元ネタ
猪木の「道」は、1998年4月4日、東京ドームの引退セレモニーでスピーチの締めくくりに読み上げた詩です。「この道を行けばどうなるものか」で始まり、「迷わず行けよ。行けばわかるさ」で終わります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読んだ場 | 1998年4月4日 引退セレモニー |
| 猪木の紹介 | 一休宗純の言葉(自伝) |
| 元ネタの作者 | 清沢哲夫 |
| 元の詩の初出 | 『同帰』1951年10月 |
| 本人の投稿 | 2020年2月20日 公式X |
猪木は1998年5月に出した『猪木寛至自伝』で、この詩を一休宗純の言葉として載せています。一方、福井県立図書館が2006年に答えた国立国会図書館のレファレンス協同データベースの事例では、元になった詩は清沢哲夫(のちの暁烏哲夫)の「道」で、1951年10月発行の『同帰』第335号に初めて載り、1966年の『無常断章』(法蔵館)に収められたとしています。同じ事例は、一休宗純の言葉だと示す資料は見つからず、猪木の「道」は清沢哲夫の詩を改変したものである可能性が高いと結論づけました。
「元気ですか!」「1、2、3、ダー!」の掛け声
「元気ですかーっ!」は、猪木が引退した後に使い始めた得意のフレーズです。もう一つの決まり文句「元気があれば何でもできる」については、政治家として活動していた時期の笹川スポーツ財団のインタビューで、本人が「これはもともと高橋是清の言葉らしい」と話しています。
| 掛け声 | 分かっていること |
|---|---|
| 1、2、3、ダーッ! | 1990年2月10日に観客と初めて唱和 |
| 元気ですかーっ! | 引退後に使い始めた |
| 元気があれば何でもできる | 本人いわく高橋是清の言葉らしい |
「1、2、3、ダーッ!」を観客と初めて唱和したのは、1990年2月10日の東京ドーム大会です。坂口征二と組んで橋本真也・蝶野正洋組と戦った試合の後、猪木はマイクで「ご唱和願います」と呼びかけました。なお、「元気があれば何でもできる」は知らずに使っていたところ、高橋是清の子孫から感謝の手紙が届いたそうです。また、2020年3月の公式YouTubeでも、猪木は「元気ですかー!」と呼びかけ、動画の説明の最後に「1.2.3.ダァー!」と書きました。ほかの格闘家の言葉は格闘技の名言100選で、競技をまたいだアスリートの言葉はスポーツ選手の名言108選で読めます。
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