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ラミン・ヤマルの名言30選!メッシへの言葉や強気な発言を場面つきで解説

ラミン・ヤマルの名言30選!メッシへの言葉や強気な発言を場面つきで解説

生まれて数か月でメッシにお風呂に入れてもらったラミン・ヤマルの名言です。「若すぎる」と疑われながら17歳でユーロ、19歳でワールドカップを勝ち取ったヤマルが、メッシへの思いや強気な発言、家族への感謝を語った名言を、言った場面と一緒に読めます。

2026.10.25 | サッカー

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公式ライター
Activel編集部

ラミン・ヤマルは15歳でバルセロナのトップチームにデビューし、17歳でユーロ、19歳でワールドカップを勝ち取りました。「若すぎる」「一発屋だ」と疑われても、ヤマルは「一試合一試合で自分の価値を証明していきたい」と話し、その言葉どおり結果で答えてきました。そこに、ヤマルの名言の強さがあります。赤ちゃんの頃にメッシと写った写真を父が一度 Facebook に載せた時には、消してほしいと頼み、「僕がラミンになったら、好きにしていいよ」と父に言いました。メッシについての名言には、比べられ続けてきた本人の本音が出ています。

ラミン・ヤマルのプロフィール

ラミン・ヤマルは、FCバルセロナとスペイン代表で、右サイドからゴールに迫るフォワードです。スペインのカタルーニャ州で、モロッコ出身の父と赤道ギニア出身の母のもとに生まれ、7歳でバルセロナの下部組織ラ・マシアに入りました。背番号10を背負う今も、まだ19歳です。

基本プロフィール

生まれたのはバルセロナの近くのエスプルゲス・デ・リョブレガートで、育ったのは同じカタルーニャ州の町マタロです。

項目 内容
名前 ラミン・ヤマル
表記 Lamine Yamal
生年月日 2007年7月13日
出身 スペイン・エスプルゲス・デ・リョブレガート
身長 178cm
ポジション フォワード
所属 FCバルセロナ(背番号10)
代表 スペイン代表
主なタイトル ユーロ2024・2026年W杯

個人の賞では、21歳以下の最優秀選手に贈られるコパ・トロフィーを、2024年と2025年に史上初めて2年続けて受賞しました。その年の世界最高の選手に贈られるバロンドールでは、2025年に2位に入っています。2025-26シーズンはバルセロナで24点を決め、ラ・リーガの最優秀選手にも選ばれています。

生い立ち・ロカフォンダとラ・マシアの少年時代

ヤマルの家族は、祖父母の代にスペインへ渡ってきました。父方の祖母はモロッコからこっそりバスに乗り込んでマタロにたどり着き、朝から夜まで働いてお金を貯め、モロッコに妹と残っていた父を呼び寄せました。母方では、母が祖母と一緒に赤道ギニアから移ってきて、両親はスペインで出会います。幼いヤマルは、若い親のための施設で食事を出してもらいながら暮らし、両親が別れた後は母と過ごしました。

  • 祖母や親友がいるマタロのロカフォンダ地区の公園で、ボールを蹴って育った
  • 地元のクラブ CF ラ・トレタから、7歳でバルセロナのラ・マシアに入った
  • ゴールの後に手で示す304という数字は、ロカフォンダの郵便番号 08304 から来ている

生まれて数か月の2007年には、スポルト紙がユニセフのために作ったチャリティーカレンダーの撮影で、20歳だったメッシにベビーバスに入れてもらいました。家族が抽選で、バルセロナの選手と一緒に写る機会を当てたためです。写真が広く知られたのは、父が SNS に載せた2024年7月のことでした。

バルセロナでのデビューから2026年ワールドカップまでのキャリアの歩み

15歳でデビューしてから手にしたタイトルは、ラ・リーガ3回、スペインのカップ戦の国王杯1回、スペイン・スーパーカップ2回に、ユーロとワールドカップを合わせて8つです。

年月 主な出来事
2023年4月 15歳でトップチームデビュー
2023年5月 ラ・リーガ優勝
2024年7月 ユーロ2024 優勝
2024年10月 コパ・トロフィー
2025年4月 国王杯優勝
2025年5月 ラ・リーガ優勝
2025年7月 背番号10・2031年まで契約
2025年9月 バロンドール2位
2026年5月 ラ・リーガ連覇
2026年7月 ワールドカップ優勝

2026年のワールドカップで、ヤマルは途中出場だった初戦から全8試合に出て、2戦目のサウジアラビア戦で大会初ゴールを決めました。得点はこの1点だけでしたが、ドリブルの成功35回は大会で一番多く、試合の最優秀選手にも2回選ばれています。決勝ではアルゼンチンを延長の末1-0で破り、19歳6日でワールドカップの優勝メンバーになりました。ユーロとワールドカップの両方を勝ち取った選手として、ヤマルは史上最年少です。

座右の銘

ヤマルの座右の銘に近いのは、母の口ぐせ「いつも今この瞬間を楽しみなさい。何もかもあっという間に過ぎてしまうから」です。2025年1月に公開されたアメリカの CNN のインタビューで、ヤマルは、何もかもがとても早く起きたと振り返り、未来のことと、起きたいいことだけを考えていると話したうえで、この言葉を紹介しました。「これが座右の銘だ」と本人が語った言葉は、会見やインタビュー、本人の SNS では見つかっていません。

ラミン・ヤマルの名言30選

ラミン・ヤマルの経歴と、各時期に語った主な名言の年表

ラミン・ヤマルの名言は、15歳でデビューした翌日から、19歳でワールドカップを勝ち取った後の2026年9月まで、会見やインタビューで語られてきました。メッシと比べられれば、自分はラミン・ヤマルとして覚えられたいと答え、母のことは「僕の女王」、弟のことは自分の子どものようだと話します。2026年のワールドカップの最中には、日本のチームにも触れました。強気に聞こえる「黙って動け」の一言も、相手の選手に言われた言葉への返事で、翌日の試合でヤマルは同点ゴールを決めました。

バルセロナで語った名言

7歳からバルセロナで育ったヤマルは、2031年までクラブと契約を延ばしています。デビューの翌日にもっと記録を破りたいと話した15歳は、17歳でバルサの伝説になりたいと語り、18歳で背番号10を受け取りました。子どもの頃に憧れたネイマールについても、バルセロナでの会見で語っています。

01「記録を作れてとても嬉しい。でも、もっとたくさん破りたい」

“I am very happy to have broken the record, but I want to break a lot more.”

— 2023年4月、15歳でトップチームにデビューした翌日に

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発言時期: 2023年4月30日(トップチームデビューの翌日・15歳)

発言状況: 前日のラ・リーガのベティス戦(4-0)で、ヤマルは15歳9か月16日でトップチームの公式戦に出て、ラ・リーガでプレーしたバルセロナの選手として史上最年少になりました。翌日の練習の前にクラブのメディアに話した言葉で、ピッチに入った時はカンプ・ノウの光景に圧倒されたけれど、少しずつ緊張がほどけた、と振り返っています。この試合は、家族と友だち、最初からそばにいてくれたみんなに捧げる、とも話しました。

出典: FCバルセロナの公式サイト(2023年4月30日)

02「バルサを離れることがなければいい。バルサで伝説になりたい」

“I hope I never leave (Barcelona), I want to be a legend at Barca”

— 2024年9月、スペインのテレビ番組『El Hormiguero』で

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発言時期: 2024年9月12日(ユーロ2024 優勝の約2か月後・17歳)

発言状況: スペインの人気テレビ番組に、メインのゲストとして出た時の言葉です。同じ番組でメッシと比べられることを聞かれると、史上最高の選手と比べられるのはすごいことだけれど、あの域に届くのはとても難しいから、ラミン・ヤマルとして記憶されたい、と答えています。トップチームの初めての練習の日には、誰より早く着いてしまい、自転車の陰に隠れてから、みんなの後ろについてピッチに出たという思い出も話しました。

03「これがラミン・ヤマルの時代になってほしいとは思わない。バルサの時代になってほしい」

“I don’t hope that it is Lamine Yamal’s era, but Barça’s era”

— 2025年4月、チャンピオンズリーグ準決勝の前日の会見で

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発言時期: 2025年4月29日(17歳)

発言状況: インテルとのチャンピオンズリーグ準決勝の第1戦を前にした会見で、記者からラミン・ヤマルの時代の始まりかと聞かれました。ヤマルはまず、自分たちはここで育ってユニフォームの意味を知っているから全部を出せるのだと話し、最後をこの言葉で締めています。17歳のヤマルにとって、これが初めての記者会見でした。

出典: FCバルセロナの公式サイト(2025年4月29日)

04「これは、とても長くて、勝利でいっぱいになってほしい道の始まり」

“This is the beginning of a journey that I hope will be very long and full of victories.”

— 2025年7月、2031年までの契約にサインし、背番号10を受け取った日に

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発言時期: 2025年7月16日(18歳の誕生日の3日後)

発言状況: 2031年6月30日までの契約延長にサインし、バルセロナのラポルタ会長から背番号10のユニフォームを受け取った日の言葉です。トップチームでの背番号は41、27、19と変わり、この日から、マラドーナやロナウジーニョ、メッシが背負った10になりました。まだとても若いから成長し続けたいけれど、何より勝ち続けたい、ここは自分の生涯のクラブで、世界一のクラブだ、と続けました。

05「あの6-1は何度も見た。ネイは僕の子ども時代そのもので、僕のアイドル。サッカーのためにしてくれたことに、ずっと感謝している」

“I’ve watched that 6–1 many times. Ney defined my childhood, he’s my idol and I’ll always be grateful for what he’s done for football.”

— 2026年4月、2017年の6-1の大逆転について聞かれた会見で

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発言時期: 2026年4月13日(18歳)

発言状況: アトレティコ・マドリードとのチャンピオンズリーグの第2戦を前にした会見での、最後の質問への答えです。第1戦を0-2で落としていたこともあり、2017年にパリ・サンジェルマンを6-1で破った大逆転の試合について聞かれました。ネイマールはこの試合で2点を決めています。ヤマルは、ネイのプレーを見るためにみんなチケットを買うんだ、ネイがワールドカップに出られるといいな、と続けました。

ヤマルが子どもの頃から見てきたネイマール本人の言葉は、ネイマールの名言にあります。

スペイン代表とワールドカップの名言

スペイン代表では、17歳の誕生日の翌日にユーロ2024 の決勝でイングランドを破り、2年後の2026年には19歳でワールドカップを勝ち取りました。前回のワールドカップを学校の教室で見ていた少年は、4年後の大会の前に優勝の光景を語り、試合のたびに言葉を残して、その大会で優勝メンバーになりました。

06「最高の誕生日プレゼントだよ。夢が叶った」

“This is the best (birthday) gift I could have asked for. It’s a dream come true”

— 2024年7月、17歳の誕生日の翌日にユーロ2024 で優勝して

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発言時期: 2024年7月14日(ユーロ2024 決勝の後・17歳)

発言状況: ベルリンでの決勝でイングランドを2-1で破った後の言葉です。ヤマルは前日の7月13日に17歳になったばかりでした。同点にされた時は苦しくなったけれど、このチームは何でできているのか分からないくらい、いつも盛り返すんだ、と振り返っています。この大会でヤマルは、最優秀若手選手に選ばれました。

07「主審が試合終了の笛を吹いて、自分たちが勝っているんだ。何点差かは分からない。でも、自分たちが世界王者になっている」

“The referee blows the final whistle and we’ve won. I don’t know by how many, but we’re champions.”

— 2026年5月、ワールドカップの前の FIFA のインタビューで

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発言時期: 2026年5月(ワールドカップの開幕の前・18歳)

発言状況: スペインは優勝できると思うかと聞かれて「もちろん、そう願っている」と答え、続けて、その夢はどんな光景かと聞かれた時の言葉です。この後には、スペインへ戻ってファンのみんなと一緒に祝うんだ、と話しています。2か月後の7月19日、スペインは決勝でアルゼンチンを延長の末1-0で破り、ヤマルが話した光景は本当になりました。

08「前回のワールドカップは教室から見ていた。だから今ここで、母や家族がスタンドにいる前でゴールを決められたのは、夢が叶った瞬間だ」

“I watched the last World Cup from a classroom, so being able to score here with my mum and my family in the stands is a dream.”

— 2026年6月、ワールドカップ初ゴールを決めたサウジアラビア戦の後に

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発言時期: 2026年6月21日(18歳)

発言状況: 初戦のカーボベルデ戦は0-0の引き分けで、ヤマルは71分からの出場でした。初めて先発した2戦目のサウジアラビア戦で、10分に大会初ゴールを決め、スペインは4-0で勝ちました。18歳343日でのゴールは、ワールドカップでのスペインの選手として2番目に若い記録です。この言葉は、試合の後に DAZN の取材で話したものです。前回2022年の大会の時、ヤマルは15歳でした。学校の教室で iPad を使ってスペイン対コスタリカを見ている写真が残っています。

出典: FIFA の公式サイト(2026年6月21日)

09「ワールドカップはサッカーで一番大きなもので、これ以上のものはない。子どもがサッカー選手を夢見る時に思い浮かべるのはこれなんだ」

“El Mundial es lo más grande que hay en el fútbol, no hay nada mejor. Cuando un niño sueña con jugar al fútbol, piensa en esto.”

— 2026年7月、ワールドカップのラウンド32、オーストリア戦の後に

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発言時期: 2026年7月2日(18歳)

発言状況: スペインがオーストリアに3-0で勝ち、ヤマルが試合の最優秀選手に選ばれた後の取材での言葉です。自分は今ここにいて、スペイン代表でワールドカップに勝つという夢をかなえることを考えている、と続けました。次のラウンド16 でクリスティアーノ・ロナウドのポルトガルと当たるかもしれないと聞かれると、光栄だけれど、ポルトガルとその相手のどちらが勝ち上がってきても構わない、勝つことだけを考えている、と答えています。

10「ワールドカップで優勝すれば、自分が何点決めたか、何本外したかを覚えている人はいないと思う。自分たちが勝てば、みんなが幸せになれる」

“If I win the World Cup, I don’t think anyone’s going to remember how many goals I’ve scored or missed. If we win, we’ll all be happy.”

— 2026年7月、ワールドカップ準々決勝のベルギー戦の後に

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発言時期: 2026年7月10日(18歳)

発言状況: ベルギーに2-1で勝ち、ヤマルがこの大会で2度目となる試合の最優秀選手に選ばれた後の言葉です。ここまでの得点はサウジアラビア戦の1点だけで、ゴールの数ばかりが話題になる中、ユーロを勝ち取った時も自分は1ゴールだけだった、安心してもらっていい、とも話しました。9日後にスペインは優勝し、ヤマルの得点は大会を通して1点のままでした。

メッシについて語った言葉

ヤマルは、デビューした頃からメッシと比べられてきました。比べられることについて聞かれると、16歳の時から、自分はメッシにはなれない、ラミン・ヤマルとして覚えられたいと答えています。2026年のワールドカップ決勝では、2人はスペインとアルゼンチンに分かれて戦い、試合の後に抱き合いました。

11「史上最高の選手と比べられて嫌な人はいない。でも、それは自分にとってマイナスになる。彼のようには絶対になれないんだから」

“No one would be annoyed to be compared with the best to ever play the game, but it’s something that could work against you because you’re never going to be like him.”

— 2024年7月、配信番組『Jijantes』のインタビューで

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発言時期: 2024年7月12日(ユーロ2024 決勝の2日前・16歳)

発言状況: メッシにベビーバスに入れてもらう赤ちゃんの頃の写真が、父の SNS への投稿で広まった直後の言葉です。メッシと話したことはあるかと聞かれると、一度もない、話せたらいいんだけど、と答えました。写真を撮った時は、自分がメッシといるなんて分かっていなかった、とも話しています。翌日に17歳になり、その次の日に、ユーロの決勝を迎えました。

12「自分の目標は、彼らと『比較される』ことじゃない。『並べて語られる』ことなんだ」

“My goal isn’t to be compared to them; it’s to be mentioned alongside them.”

— 2026年5月、ワールドカップの前の FIFA のインタビューで

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発言時期: 2026年5月(ワールドカップの開幕の前・18歳)

発言状況: メッシ、クリスティアーノ・ロナウド、エムバペ、ネイマールと比べられることをどう思うか、と聞かれた時の答えです。次に誰かが同じ質問をした時、自分の名前もそのグループに入っていてほしいね、と続けています。同じインタビューで、幼い頃の自分に助言するならと聞かれると、「子どもでいられる時間を楽しめ」と答えました。

13「僕はラミンになりたかった。メッシになりたかったわけじゃない。自分が行けるところまで行きたかっただけ」

“I wanted to be Lamine; I didn’t want to be Messi. I just wanted to get where I could get.”

— 2026年9月、イギリスの新聞ガーディアンのインタビューで

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発言時期: 2026年9月(ワールドカップ優勝の後・19歳)

発言状況: インタビューでは、あの赤ちゃんの写真を、父はなぜ17年も出さなかったのかを聞かれています。ヤマルは、父が一度 Facebook に載せた時に、自分が消してと頼んだと明かしました。比べるのが簡単すぎて、みんなそればかり話すことになるからです。その時に父へ伝えたのは「僕がラミンになったら、好きにしていいよ」という言葉でした。2025年11月のアメリカ CBS の番組でも、僕がメッシになりたくないことは、メッシも僕も分かっている、と答えていました。

14「メッシは、自分の道を進み続けろ、未来は僕たちの世代のものだと言ってくれた。その言葉は、首にかけている金メダルと同じくらい大切なもの」

“He told me to keep going my way and that the future belongs to our generation. Those words mean as much to me as the gold medal around my neck.”

ヤマルが比べられ続けてきたメッシ本人の言葉は、メッシの名言にあります。

ライバルや批判への強気な発言

ヤマルの発言は、たびたび「傲慢」と批判されてきました。強気な言葉が出るのは、相手に何か言われた後や大一番の前です。ユーロ2024 のラビオとのやり取り、レアル・マドリードとの伝統の一戦クラシコ、2026年ワールドカップのフランス戦と、言葉の後には注目の試合が待っていました。

15「黙って動け。しゃべるのは『チェックメイト』と言える時だけ」

“Move in silence. Only speak when it’s time to say checkmate.”

— 2024年7月、ユーロ2024 準決勝のフランス戦の前に Instagram で

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発言時期: 2024年7月(ユーロ2024 準決勝の前日・16歳)

発言状況: 準決勝の前の会見で、フランスのアドリアン・ラビオがヤマルについて、プレッシャーへの対し方がとても上手い選手だと認めたうえで、決勝に行きたいなら今までよりずっと多くのことをやらないといけない、と話しました。ヤマルは名前を出さずに、この言葉を Instagram のストーリーに上げています。翌日の準決勝で、ヤマルはラビオの前から切り込んで同点のゴールを決め、スペインは2-1で勝ちました。試合の後、ラビオの言葉について聞かれると、気にする必要はないと答え、さらに翌日、自分のゴールの写真に Checkmate とだけ書いて投稿しました。

16「勝っている間は、誰も僕に何も言えない。負かされたら、その時は言えばいい」

“While I’m winning, they can’t say anything. When they beat me, they can.”

— 2025年4月、チャンピオンズリーグ準決勝の前日の会見で

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発言時期: 2025年4月29日(17歳)

発言状況: 3日前の国王杯の決勝で、バルセロナはレアル・マドリードに延長の末3-2で勝ちました。試合の後、ヤマルは、ホテルでチームメイトのアラウホに「1点取られても、2点取られても大丈夫。今年、彼らは僕らに勝てないから」と話していたことを明かします。この言葉が、一部のメディアに傲慢だと書かれました。3日後の会見で、そのことをどう思うかと聞かれて返したのが、この言葉です。直後のインテルとの準決勝で、バルセロナは敗れました。

17「口だけなら何とでも言える」

“talk is cheap”

— 2026年5月、リーグ優勝を決めたクラシコの後に Instagram で

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発言時期: 2026年5月(リーグ優勝を決めたクラシコの夜・18歳)

発言状況: このやり取りの始まりは2025年10月です。クラシコの3日前に、ヤマルがネットの番組で、マドリードは盗むし文句を言う、と笑いながら話し、その試合はマドリードが2-1で勝ちました。マドリードのベリンガムは試合の後、Talk is cheap で始まる言葉を Instagram に投稿しています。7か月後、カンプ・ノウでのクラシコにバルセロナが2-0で勝ってリーグ優勝を決めると、太ももの裏のけがで試合に出られなかったヤマルは、スタンドで2点目に喜ぶ自分の動画に同じ英語の言葉を添えて、Instagram のストーリーに上げました。

18「フランスが誰かを恐れなきゃいけないとしたら、それは僕らだと思う。前に彼らを敗退させたのは僕らだから」

“I think that if France has to fear anyone, it’s us because we’ve knocked them out before.”

— 2026年7月、ワールドカップ準決勝でフランスと当たると決まって

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発言時期: 2026年7月10日(準々決勝のベルギー戦の後・18歳)

発言状況: スペインはユーロ2024 の準決勝でフランスに勝っていて、ヨーロッパの代表チームの大会ネーションズリーグでも勝っていました。4日後の準決勝も、スペインが2-0で勝ちます。チームメイトのオヤルサバルが決めた PK は、ヤマルが倒されて得たものでした。

19「傲慢というより、思ったことをいつも、自然に言っているだけ。だから、そういうレッテルを貼るのは間違いだと思う」

“It’s not so much arrogance; it’s saying what I think, always, and saying it naturally.”

— 2026年9月、フランスの新聞レキップのインタビューで

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発言時期: 2026年9月(ワールドカップ優勝の後・19歳)

発言状況: 早くから傲慢だと言われ続けてきたことをどう思うか、と聞かれた時の答えです。17歳で「勝っている間は、誰も僕に何も言えない」と話した会見から、1年半ほどがたっていました。同じインタビューでは、自分のプレーの仕方こそが一番の強みで、ほかの選手との違いだと話し、ラミン・ヤマルとして覚えられたい、偉大な選手たちと並んで覚えられたい、それができる力は自分にある、とも語っています。

プレッシャーと「若すぎる」という声への答え

15歳でデビューしてから、ヤマルはずっと「若すぎる」という声と一緒に歩いてきました。プレッシャーについて聞かれると、ヤマルは何度も、サッカーをすることは重荷ではないと答えてきました。本当のプレッシャーとは何かを語った言葉には、家族の歩みも重なっています。

20「若くして注目されると、必ず疑われるから。『若すぎる』『一発屋だ』『過大評価だ』ってね。でも自分は、一試合一試合で自分の価値を証明していきたい」

“When you break through early, there are always doubts – that you’re too young, you’ll be a one-season wonder, you’re over-rated. For me, it’s about showing what I can do game after game.”

— 2026年5月、ワールドカップの前の FIFA のインタビューで

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発言時期: 2026年5月(ワールドカップの開幕の前・18歳)

発言状況: 人を見返したい気持ちと、期待に応えたい気持ちの、どちらがやる気になるか。そう聞かれたヤマルは、どちらかと言えば見返したいかな、と前置きしてから、この言葉を続けました。最後は、ワールドカップは自分にとってまた新しい挑戦になるし、本当に楽しみにしている、と大会への思いで締めています。

出典: FIFA の公式サイト(2026年5月19日)

21「すごくやる気があるし、試合前はそわそわもする。でもプレッシャーは感じない。ただプレーして全部出すのが好きなんだ。恐れはマタロに置いてきた」

“I am really motivated and I have butterflies in my stomach before the games, but I don’t feel pressure. I just like to play and give everything. I left fear behind in Mataró.”

— 2025年4月、チャンピオンズリーグ準決勝の前日の会見で

22「サッカーに年齢なんてない。準備ができていれば、できている。年齢はただの数字だ」

“In football, there is no such thing as age. If you’re ready, you’re ready. … Age is just a number.”

— 2025年4月、同じチャンピオンズリーグ準決勝の前日の会見で

23「たとえば仕事をしていて『ボスにならないか』と聞かれたら、どう答える? イエス、それともノー? 僕が急ぎすぎているかって? それが僕の答えだよ」

“Well, I would say that if, for example, you have a job and you get asked if you want to be the boss, what would you say? Yes or No? Am I going too fast? So that’s my answer.”

— 2025年11月、アメリカ CBS の番組『60 Minutes』で

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発言時期: 2025年11月30日放送(18歳)

発言状況: 記者のジョン・ワーサイムは、人生のスピードが速すぎる、少しペースを落とすべきだという声もある、と問いかけました。ヤマルはスペイン語で答え、CBS が英語に訳しています。同じ番組では、みんなが自分を普通だと見ていないから、自分は普通の18歳にはなれないと思う、とも話しています。

24「もっと苦しんできた人がいる。母は16歳で僕を産んで、父は家に食べ物を持ち帰るために、外に出て生きる道を探さなきゃいけなかった。あれこそプレッシャーだ。僕はただプレーして、スペインのみんなに喜んでもらおうとしているだけ」

“Hay gente que ha sufrido más. Mi madre me tuvo con 16 años y mi padre se tuvo que buscar la vida e ir a la calle para traer comida a casa. Eso sí que es presión. Yo solo trato de jugar y que todos los españoles estén contentos.”

— 2026年6月、ワールドカップの大会中にラジオ番組『El Larguero』で

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発言時期: 2026年6月30日放送(ワールドカップの大会中・18歳)

発言状況: スペインのラジオ番組のインタビューで、18歳でスターでいるのは簡単かと聞かれ、ヤマルは自分のことより先に両親の話を始めました。2025年11月のアメリカ CBS の番組でも、プレッシャーは気持ちの問題で、自分は一度も感じたことがない、若くして自分を育てた両親こそ本当のプレッシャーを抱えていた、と話していました。同じラジオ番組では、たくさんお金を払ってでも、誰にも気づかれずに近くの店へ家族と出かけてみたい、とも語っています。

家族と故郷への思いを語った言葉

ヤマルが家族の話をする時によく出てくるのは、母と弟、そして育ったロカフォンダの町です。母は仕事でなかなか一緒にいられなかったけれど、夜に帰ってくると、いつも夕食を作ってくれた、とヤマルは話しています。母に家を贈り、弟ケインの笑顔を何よりの喜びと語るヤマルの言葉には、家族への感謝がそのまま出ています。

25「すべてだよ。祖母も、いとこも、親友たちもいる。公園でサッカーをした場所で、僕の価値観と育ちはあそこから生まれた」

“Todo. Ahí están mi abuela, mis primos, mis mejores amigos… Ahí he jugado al fútbol, en el parque. Mis valores y mi educación han salido de ahí, para mí es todo.”

— 2024年9月、テレビ番組『El Hormiguero』で、育った地区について聞かれて

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発言時期: 2024年9月12日(17歳)

発言状況: ロカフォンダは、ヤマルが育ったマタロの地区です。2025年7月には、この地区の壁にヤマルの壁画が描かれ、クラブの公式サイトでも紹介されました。2025年11月のアメリカ CBS の番組では、ロカフォンダの空き地のピッチに立って、ここは誰も自分の人生がどうなるか知らない地区だった、サッカー選手になるのか、仕事が見つかるのかさえ分からなかった、と振り返っています。

26「母には、好きな場所に家を買った。母は僕の女王で、何もかも手にしていい人。それが、僕がこの世で一番望んでいることなんだ」

“I bought her a house wherever she chose; she’s my queen, she deserves everything, and that’s what I want most in this world.”

— 2025年9月、インタビュー番組『Resonancia de Corazón』で

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発言時期: 2025年9月(18歳)

発言状況: ジャーナリストのホセ・ラモン・デ・ラ・モレーナのインタビューで、ヤマルは家族について長く語っています。前は台所と寝室が同じ部屋の家に住んでいたけれど、今は母が幸せそうで、自分が欲しかった子ども時代を弟が過ごせていることが何より嬉しい、と話しました。父は自分の家で穏やかに暮らしていて、母は欲しいものを何でも持てる、とも続けています。

27「弟が幸せそうにしているのを見ると、母が夢見てきた人生を送っているのを見ると、胸がいっぱいになる。それはサッカーのほかに、子どもが願う一番大きな夢なんだ。母は僕のすべてで、弟は自分の子どもみたいなもの。弟が大好きなんだ」

“Me emociona ver a mi hermano ser feliz, y a mi madre vivir la vida que siempre ha soñado. Es el sueño más grande de un niño además del fútbol. Mi madre es todo para mí, mi hermano es como si fuera mi hijo y estoy enamorado de él”

— 2026年7月、ワールドカップのオーストリア戦の後の取材で

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発言時期: 2026年7月2日(18歳)

発言状況: オーストリアに3-0で勝った試合で、ヤマルは試合の最優秀選手に選ばれましたが、ゴールもアシストも無く、浮かない顔で取材に応じていました。ところが、スタンドで弟のケインが拳を握って大喜びする姿がテレビに映り、話題になっていると聞かれると、表情がゆるみます。この日の取材でヤマルが笑ったのは、この時だけでした。

28「子どもの頃の僕にあったのは、家族とボール、公園、そして夢だけだった」

“Growing up, all I had was a family, a ball, a park, and a dream.”

— 2026年6月、ユニセフの親善大使に任命された時に

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発言時期: 2026年6月11日(国際遊びの日・ワールドカップの開幕日・18歳)

発言状況: ユニセフの親善大使に任命された時に、本人が寄せた言葉です。サッカーは自分に、生活のリズムと、居場所と、未来への希望をくれた、子どもが安心して遊べる場所があることがどれほど大切か知っている、と続けています。2024年11月の世界子どもの日にも、弟のケインに手紙を読んで聞かせる動画をユニセフと一緒に作り、遊ぶことは子どもの権利だと伝えていました。赤ちゃんのヤマルがメッシと写ったカレンダーの売り上げも、ユニセフに贈られました。

出典: ユニセフの公式サイト(2026年6月11日)

日本について語った言葉

ヤマルが日本についてコメントしたのは、2026年のワールドカップの最中です。スペインと日本はこの大会で対戦していませんが、日本がラウンド32 でブラジルに1-2で敗れた翌日、スペインのラジオ番組のインタビューで、ほかの国の試合を振り返る中で日本の名前を出しました。

29「日本はいいチームに見えたけど、ブラジルが上だった」

“Japón me parecía buen equipo, pero Brasil era superior”

— 2026年6月、ワールドカップの大会中にラジオ番組『El Larguero』で

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発言時期: 2026年6月30日放送(スペインのラウンド32 の2日前・18歳)

発言状況: 前日の月曜、6月29日の試合で一番驚いたのはパラグアイかモロッコか、と聞かれた時の答えの一部です。ヤマルは、オランダ対モロッコは友だちとモロッコが勝つ方に賭けていて、ほぼ当たったと話し、続けて同じ日のブラジル対日本に触れました。日本はこの試合で先制しましたが、逆転されて敗れています。答えは、パラグアイにはすごく驚いた、という言葉で終わっています。

30「日本もすごく気に入っていた」

“Japón me estaba gustando mucho”

— 2026年6月、同じ番組で、大会で気になるチームを聞かれて

よくある質問(Q&A)

Q1. ヤマルとメッシはどんな関係?メッシについて何と言っている?

メッシのことは、2025年11月のアメリカ CBS の番組で史上最高だと言い、比べられることには、自分はメッシになりたいわけではないと答えてきました。2026年7月19日のワールドカップ決勝では、2人はスペインとアルゼンチンに分かれて戦い、試合の後に抱き合いました。この時のことをヤマルは、9月のイギリスの新聞のインタビューで、メッシがサッカーに与えてくれたすべてにありがとうと伝えた、写真のためにやったことではなく内側から出てきたものだ、と話しています。2人の関わりは2007年、生まれて数か月のヤマルが、スポルト紙がユニセフのために作ったチャリティーカレンダーの撮影で、20歳のメッシにベビーバスに入れてもらった写真から始まります。撮ったのは写真家のジョアン・モンフォールです。

Q2. ヤマルは日本について何と言った?

2026年6月30日、スペインのラジオ番組『El Larguero』で、前日のブラジル戦を振り返って、日本はいいチームに見えたけどブラジルが上だった、と話しました。大会で気になるチームを聞かれた時にも、モロッコやコートジボワールと並べて、日本もすごく気に入っていた、と答えています。日本が敗退した後なので「気に入っていた」と過去の言い方になっていて、好きな国として挙げたというより、この大会で見ていて楽しかったチームとして名前を出した言葉です。

Q3. ヤマルの問題の発言とは?

問題の発言として話題になったのは、2025年10月、クラシコの3日前に出た言葉です。元バルセロナのピケが立ち上げたキングスリーグのネット番組で、対戦相手のチームとレアル・マドリードは似ているかと聞かれ、笑いながら「盗むし、文句を言うし、いろいろやるよね」と答えました。その少し前には、バルセロナのラポルタ会長が、審判の判定はマドリード寄りだと訴える騒ぎがあり、ヤマルの言葉はこの騒ぎを受けたものでした。3日後のクラシコはマドリードが2-1で勝ちました。この発言について、ヤマルが謝ったり説明したりした言葉は見つかっていません。ほかにも強気な発言には、2024年のユーロでラビオの言葉の後に Instagram に上げた言葉や、2025年4月の国王杯の後の「今年、彼らは僕らに勝てない」があり、後の方は一部のメディアに傲慢だと書かれました。

Q4. ヤマルは何語で話す?英語は話せる?

スペインで生まれ育ち、会見やインタビューではスペイン語で話しています。2025年11月のアメリカ CBS の番組でもスペイン語で答えていましたが、最後に、スペインはワールドカップで優勝するかと聞かれると、英語で「In English? Yes.」と答えました。英語で伝わっている名言にも、もとはスペイン語で話した言葉を、クラブや FIFA、報道が英語に訳したものがあります。

Q5. ヤマルはバロンドールについて何と言っている?

2025年のバロンドールでデンベレに次ぐ2位だった翌日、ヤマルは自分の Instagram に、神の計画は完璧、頂上にたどり着くには登らなければならない、と書き、デンベレを祝福しました。2026年6月に公開した本人の YouTube の動画では、あの日は自分が取ると思っていたけれど、取る時ではなかった、自分は子どもで、バロンドールを取ることの意味を大事にできなかったと思う、と振り返っています。2026年9月のフランスの新聞のインタビューでは、バロンドールを取るのは夢だと話し、みんなできるだけ高いところを目指すべきで、もし自分がウェイターだったら、レストランのオーナーになりたいと思う、と語りました。バロンドールはゴールの数で決まるものではなく、メッシやロナウジーニョのように夢を見させてくれる選手のものだ、という考えも明かしました。

Q6. ユーロの間に学校の宿題をしていたのは本当?

本当です。ユーロ2024 の開幕前、16歳のヤマルはスペインの新聞のインタビューで、宿題は持ってきた、義務教育の最後の学年にあたる ESO の4年生で、授業はネットで受けていてうまくいっている、先生に落第させられないといいけど、と話しました。大会中のラウンド16 の前には、試験に合格して義務教育を終えたことを、スペインのラジオで明かしています。練習から上がったら全部うまくいったと知らされ、スマホで見たら合格と出ていたので、アプリを閉じて母さんに電話した、と話しました。


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