ガッツ石松の名言100選!面白い迷言とOK牧場の由来、本人が語ったガッツ伝説
元ボクシング世界王者で、テレビの迷言で日本中を笑わせたガッツ石松の名言を集めました。「右に左折」は本人が考えた言葉なのか、「OK牧場」はどこで生まれ、ガッツ伝説はどこまで本当なのか。ガッツ石松本人の話と、世界王者の頃から晩年までの名言を場面と一緒にたどります。
Writer
公式ライター Activel編集部
ガッツ石松は、ボクシングのライト級で日本人初の世界王者になり、引退後はテレビの迷言で日本中を笑わせた人です。ガッツ石松の名言といえば、「OK牧場」や「右に左折」です。その「右に左折」を、本人は「おれが考えたんだよ」と明かしています。世界王者になるまでに11度負けた人の言葉なので、ガッツ石松の名言は、笑って読むうちに元気も出てきます。
ガッツ石松のプロフィール
ガッツ石松は、栃木県出身の元プロボクサーです。1974年にWBC世界ライト級王座を取って5度守り、引退後は俳優・タレントとして「おしん」や「ブラック・レイン」に出ました。2026年6月2日、肺炎のため76歳で亡くなっています。
基本プロフィール
「ガッツ石松」はリングネームで、本名は鈴木有二です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 鈴木有二 |
| 生年月日 | 1949年6月5日 |
| 出身地 | 栃木県上都賀郡粟野町(現・鹿沼市) |
| 所属ジム | ヨネクラジム |
| デビュー | 1966年12月 |
| 世界王座 | WBC世界ライト級(1974年4月11日に獲得・5度防衛) |
| プロの成績 | 51戦31勝(17KO)14敗6分 |
| 主な出演作 | 「おしん」「北の国から」「太陽の帝国」「ブラック・レイン」 |
| 亡くなった日 | 2026年6月2日(76歳) |
本人は公式ホームページのプロフィールで、趣味に「バナナを食すること」「動物との戯れ」「日向ぼっこ」を挙げています。
栃木の少年から世界王者、俳優になるまでの歩み
雨漏りのする家に育った少年が、11度負けた末に世界王者になり、引退後は俳優として映画に出て、テレビの迷言で日本中を笑わせました。衆院選の落選で背負った3億円の借金は、10年かけて返しています。ガッツポーズという言葉が広まったのも、1974年の世界戦の後、両手を突き上げた姿を新聞の記者がそう書いたのがきっかけです。
- 1965年: 中学を卒業して上京
- 1966年12月: ヨネクラジムからプロデビュー
- 1972年1月: 東洋ライト級王座を獲得
- 1973年9月: パナマでロベルト・デュランに挑み、10回KO負け
- 1974年4月11日: 東京・日大講堂でロドルフォ・ゴンザレスに8回KO勝ち、3度目の挑戦で世界王者に
- 1976年5月: 6度目の防衛戦に敗れ、王座を失う
- 1978年: この年の試合を最後に、リングを離れる
- 1983年: NHKの朝の連続テレビ小説「おしん」に出演
- 1987年・1989年: ハリウッド映画「太陽の帝国」「ブラック・レイン」に出演
- 1990年: 監督・主演の映画「カンバック」を発表(OK牧場が生まれた作品)
- 1996年: 衆院選に出馬して落選、3億円の借金を背負う
- 2004年: 本『最驚!ガッツ伝説』がベストセラーに
- 2026年6月2日: 肺炎のため死去
リングネームの「ガッツ」は、本人によると、ジムの後援者が「おまえにはガッツがない、ガッツを持て」と言って付けたものです。ジムの会長が「もっと根性を見せろ」という意味で付けたと伝える新聞もあり、話は分かれています。どちらにしても、闘志をほめた名前ではありません。
座右の銘
ガッツ石松の座右の銘は「粗にして野だが卑ではない」です。本人は2025年の雑誌の連載で、外見は粗暴で粗削りでも決して卑しい考え方や行動をしないという意味だと説明しています。出会ったのは、29歳で引退した後に本を読みふけっていた時です。上京する日に母親からかけられた「偉い人間になんかならなくていい。立派な人間になれ」という言葉にも通じるそうです。その時に泥だらけの手で渡された1,000円札を、「いまでも大事に持っている」と話していました。「座右の銘は右が1.5で左が2.0だな」という迷言もネットのまとめで見かけますが、本人が話した記録は見つかりませんでした。
ガッツ石松の名言100選
テレビでは天然に見えたガッツ石松ですが、本のネタ出しの日には、A3の紙いっぱいに書いてきたと元担当編集者が語っています。負けを重ねて世界王者になり、3億円の借金を10年で返した人でもあります。ガッツ石松の名言集には、人を笑わせる顔と、負けや借金から立ち直った顔の両方が出てきます。
面白い名言・迷言25選
「右に左折」は言い間違いではなく、本人が考えたと明かした言葉です。一方で、家族が伝える「リンゴを食べながら、旨いなこの梨は」は、ギャグなのか本気なのか分かりません。ガッツ石松の迷言と語録は、まず本人が話したものからどうぞ。
01「最高傑作は『運転手さん、あそこを右に左折して』。おれが考えたんだよ」
— 2009年のインタビューで、自分の伝説を振り返って
02「バラエティーで好きな数字を聞かれ、『6月生まれだから6』じゃ普通でしょ。だから『ラッキーセブンの3』とか答える。あくまで考えた末の計算です」
— 2009年のインタビューで
03「『コイのえさ百円』てあるから、池に100円玉投げ込む。500円投げて、『つりはいらねえよ』ってのもある」
— 2009年のインタビューで
04「ところでよ、いくつ挙げればいいんだ?」
— 2008年12月、その年の十大ニュースを挙げてもらう新聞の取材で
05「ガッツポーズという言葉があるだろう。これは誰の言葉か知ってるか? 俺のためにできた言葉なんだよ。あなたの先輩記者が自分のためにつくってくれたんだ」
— 1991年、担当になったボクシング記者へのあいさつで
06「私はね、寝転んでテレビを見ていても、『ガッツポーズ』と聞くと、つい正座してしまうんです」
— 2013年7月に掲載された新聞の記事で
07「特許、取っておけば良かったね。」
— 2022年8月、映画「AKAI」の舞台あいさつで、ガッツポーズの話をして
08「どんな魚より、金魚の方がイメージ、湧きやすいでしょ? それに金魚の方が元気っていう感じじゃない?」
— 新聞の世界戦の評論に「水を得た金魚」と書いた理由を、担当記者に
09「ここに一つのゴミがあるとする(真剣)。大きなゴミは避けても、その周りには小さなゴミがある(真剣)。だから大きなゴミは結局はゴミだ(?)。うん、ゴミだ……(考える)。だから……大きなゴミが一番良く?(こっちに聞く)……ああ、なんかもう意味が分からない……」
— 2005年2月、新聞のインタビューで、ボクサー時代に一番印象に残ったことを聞かれて(かっこの中は記者の書き込み)
10「俺たちは苦労してチャンピオンになったんだ。だからよく『安物買いの銭失い』とか言うでしょ? ん? それとか……」
— 2005年2月、新聞のインタビューで
11「だってこれ、スモウと読むでしょ。えっ、この字じゃない!? そう見えるだけなの?」
— 2004年の雑誌の取材で、相模女子大学を女相撲の養成所だと信じていた話を確かめられて
12「サルが食っているものを食べたらいいんだよ」
— 2004年の雑誌の取材で、ゴルフ場に着くと新芽を食べるという話について
13「いちばん前に乗ろう。そしたら早く着くから」
— 2004年の雑誌の取材で伝えられた話。待ち合わせに遅れそうな時、電車に乗り込むなり
14「危険が危ない!」
— 2017年3月23日、映画「キングコング:髑髏島の巨神」の試写会で、大きく揺れる座席に驚いて
15「ずばり(俺のことを)コング顔と言うんだろ?」
— 2017年3月23日、同じ試写会で、なぜ呼ばれたか分かるかと司会に聞かれて
16「迫力があり過ぎて意味が分からなかった。もう一度見たい」
— 2017年3月23日、同じ試写会で映画の感想を聞かれて
17「キングコングとゴジラは違うんだってね。それを考えたら寝られなくなったよ」
— 2017年3月23日、同じ試写会で、ゴジラとの違いについて
18「昔だな」
— 2020年8月、竹原慎二さんと畑山隆則さんの動画で、畑山さんに「鎌倉幕府ができたのは何年?」と聞かれて
19「今は無理してガツガツやる必要はない。そう、ガッツ、ガッツしない…。俺はガッツだけど」
— 2024年の暮れの取材で
20「リンゴを食べながら、旨いなこの梨は」
— 娘の鈴木佑季さんが、家での様子として取材で伝えた言葉
21「きょうはハワイだから良く焼けたよ」
— 娘の鈴木佑季さんが伝えた言葉。屋上に「ハワイ」と書いた紙を貼って日向ぼっこをした後に
22「肉の塊だから」
— ステーキは大好きなのにハンバーグを食べない理由。娘の鈴木佑季さんが2004年の取材で伝えた言葉
23「えらいでこぼこ道だな」
— はなわさんが2026年9月のお別れの会で伝えた言葉。マレーシアへ向かう飛行機が揺れた時に
24「うさぎがおいしそうに食べているから、味見した」
— 岡田圭右さんが2026年6月の追悼で伝えた言葉。ふれあい広場でうさぎのエサを食べていて
25「謙ちゃん、世界チャンピオンの俺が言うんだから絶対大丈夫!」
— 渡辺謙さんが追悼で伝えた言葉。1986年の朝ドラ「はね駒」で、2月の琵琶湖に飛び込む場面の前に
「OK牧場」が生まれた場面と、口ぐせの名言
ガッツ石松のOK牧場は、1990年の監督・主演映画「カンバック」の撮影で生まれました。子どもの頃のヒーローだったアメリカの西部劇「ララミー牧場」のロバート・フラーを出演させ、カットの声をかける時に「OK」に「牧場」が付いてしまったそうです。OK牧場の元ネタについて、本人は連載で「みんな『OK牧場の決闘』が由来と思われがちだけど、違うんだな」と話しています。OK牧場の意味は、本人によると、いいことがあった時に口にする言葉です。
26「OK !! とララミー牧場の牧場で 俺は思わず『OK牧場 !! 』と叫んでしまったのだ」
— 本人の公式ホームページ「ガッツ石松のひとり言」で
27「俺ね、北は北海道から南は沖縄の端まで、電話する時は『ガッツ石松です』とは名乗らないんだよ。『OK牧場です』ってね」
— 新聞の連載「我が道」の第1回で
28「OK牧場」
— はなわさんが伝えた話。マレーシアのロケで、現地の人に日本語の「こんにちは」を聞かれて
29「いっぱしの人というのは、あまり、余計なことはしゃべらない。だから、『OK牧場』とか、今の俺はあんまり言わなくなったね」
— 2024年12月のインタビューで、憧れの高倉健さんの話をして
30「OK牧場です」
— 2026年3月8日、ボクシングジムのセレモニーで、両脇を支えられて歩き、来賓あいさつのマイクを握った時に
「ガッツ伝説」は本当?本人の話と、本や新聞に載った語録
ガッツ伝説は、2004年にはなわさんの曲と本『最驚!ガッツ伝説』で大きく広まりました。では、どこまで本当なのか。本人は本の内容を「7、8割は本当」と話す一方で、「ガッツ伝説」については「おれだって全然知らねえ」とも言っています。本人の話の後に続く、本や新聞が伝えた語録には、いつの番組か分からないものも多くあります。そこは気にせず、ガッツ石松のエピソードとして楽しんでください。
31「当初は1万部でも売れ残ると思っていた。(お笑いタレントの)はなわがテレビでネタにしているので、恥の上塗りはやりたくなかった。ゲラも見なかったね。内容の7、8割は本当じゃないですか」
— 2004年10月、地元の新聞のインタビューで、本『最驚!ガッツ伝説』について(ゲラは印刷前の試し刷り)
32「(タレントの)はなわが勝手に、言ってもしてもいないことを、面白おかしくやってくれるのは、それはそれでありがたいこと。『ガッツ伝説』なんて、おれだって全然知らねえけど。いや、どっかで言ってるのかな」
— 2009年のインタビューで
33「小さいころハトを飼って、友達に売って。ハトだから帰ってくるの。また売って。この伝説は本当」
— 2009年のインタビューで
34「オレが引退した後、芸能界で生きてるじゃない? 芸能界で生きる1つの素質だな」
— 2020年8月、元世界王者の動画で、凍らせたペットボトルの氷の話は本当かと聞かれて
35「バナナ? そんな、しょっちゅう食べているわけじゃないよ。あれはパフォーマンスだから」
— 2024年12月のインタビューで
36「私はねー、ボクシングに出会ってから、人生観が〝380度〟変わったんです」
— 本『最驚!ガッツ伝説』に載る言葉
37「ん〜、俺が教えんの?」
— 本『最驚!ガッツ伝説』に載る話。ステーキ店で、どのように焼きますかと聞かれて
38「全部全部、エブリバディ」
— 本『最驚!ガッツ伝説』に載る話。好きな食べ物を聞かれて
39「うるさい! 今催眠術にかかってるんだから、静かにしろ!!」
— 本『最驚!ガッツ伝説』に載る話。催眠術の最中、かかっていますかと司会者に聞かれて
40「なんだよ、俺、真面目に答えちゃったよ……」
— 本『最驚!ガッツ伝説』に載る話。とんち問題「1+9+3は?」に「12!!」と答え、正解は「一休さん」と言われて
41「濡れる」
— 本『最驚!ガッツ伝説』に載る話。青いリトマス紙を酸性の水につけるとどうなるかと聞かれて
42「これって、何探せばいいの?」
— 本『最驚!ガッツ伝説』に載る話。「ウォーリーをさがせ!」に挑戦して30分後に
43「太陽が昇るのは右からだろ」
— 本の紹介や新聞に載る話。クイズ番組で、太陽はどこから昇るのかと悩む娘に
44「スッポン!」
— 本の紹介や新聞に載る話。クイズ番組で「亀を英語で言うと?」と聞かれて
45「怖いのが半分、恐ろしいのが半分」
— タイトル戦の解説で、選手の心境を推し量って(2026年の新聞の追悼記事が伝える話)
46「カツラをかぶってると暑いね。江戸時代の人は大変だったんだなあ。だって毎日かぶってたんだから」
— 時代劇の撮影の後に(新聞が2004年12月に紹介した語録)
47「土曜日と木曜日しか働かない人」
— 「土木作業員とは?」の質問に(新聞が2004年12月に紹介した語録)
48「うーん、オフの日はあまり仕事してないね」
— トーク番組でオフの日の過ごし方を聞かれて(新聞が2004年12月に紹介した語録)
49「うちの娘がアメリカで立派にホームレスしててね」
— 米国にホームステイ中の娘を知人に自慢する時に(新聞が2004年12月に紹介した語録)
50「ええ、少したしなみますよ。昔、オイチョカブやってましたから」
— 対談で「株に詳しいんですね」と言われて(新聞が2004年12月に紹介した語録)
51「ここがハンバーガーの故郷ですね?」
— テレビのロケでカナダのバンクーバーに着いた時、倉本聰さんに(新聞が2004年12月に紹介した語録)
52「君、歌うまいね、歌手になれるよ」
— 松山千春さんに(新聞が2004年12月に紹介した語録)
53「チャンピオン認定書に『いかなる者の挑戦も受けなければならない』と書いてある」
— 1972年、東洋王者の時にけんかで逮捕され、警察で(新聞が2004年12月に紹介した語録)
54「僕はO型だ!」
— トーク番組でSかMか聞かれて(2026年の新聞の追悼記事が伝える話)
55「さすが今をときめく野球界の大スター。オーロラ(オーラ)が漂ってるよ」
— 2005年のCM撮影で、松井秀喜さんに(2026年の新聞の追悼記事が伝える話)
56「老けたな、お前何歳になったんだ」
— 同窓会で同級生に(2026年の新聞の追悼記事が伝える話)
57「僕さぁ、ボクサーなの」
— 2026年の新聞の訃報が「名言」として挙げた言葉
58「サムタイムときどき」
— 2026年の新聞の訃報が「名言」として挙げた言葉
ネットの名言のまとめで見かける次の言葉は、本人の発信にも取材の記事にも見つかりませんでした。
- 俺は天然じゃない。作っている
- 誰だ!?俺の毒キノコに毒を入れた奴は!!
- 私の将棋は王将取られてからが強いんですよ
- (ディズニーシーで)デズニーAとBはどこにあんの?
- (喫茶店で)じゃあ 俺 ホワイト!?(嘉門タツオさんの2002年の曲の歌詞に同じ話がある)
ボクシングで世界王者になった頃の名言
ガッツ石松の言葉の芯にあるのは、負けの数です。世界王者になるまでに11敗5引き分けでした。そのたびに「WHY?」と自分に聞き続けた話を、73歳のインタビューでも語っていました。テレビの笑いとはまるで違う、理詰めのボクサーの言葉です。
59「ケンカは誰もほめてくれないけど、ボクシングはみんなで応援してくれる」
— 2023年のインタビューで、少年の頃に白黒テレビでボクシングを見た時について
60「その点、ボクシングはパンツ一丁で、体一つでやれて、おカネがかからない。だからボクシングを選んだんですよ」
— 2022年のインタビューで、本当は野球選手になりたかったと話して
61「ファイトマネーは3300円。それでバナナを買いました。小さいころ、近所のガキから取り上げて食べた味が忘れられなかったから」
— 2007年の新聞の連載「わたしの失敗」で
62「俺は世界を獲るまでに11敗もした。引き分けも5つ」
— 新聞の連載「我が道」で
63「負けてあきらめるような性格なら、とっくに終わっていましたよ」
— 2022年のインタビューで
64「同じ相手に2度負けたことはなかった」
— 新聞の連載「我が道」で、子どもの頃のケンカとボクシングの話をして
65「デュランは頑丈だったし、馬力が違ったね。ボンボンボンボン、次から次へとパンチが出てくる。試合中に『ちょっと待てよ』って言いたかったくらいだよ(笑)」
— 2022年のインタビューで、1973年のロベルト・デュラン戦を振り返って
66「10回KO負けだったけど、本当は『イヤ倒れ』ですから」
— 2009年のインタビューで、同じデュラン戦の倒れ方について
67「この負けがなければ世界チャンプになれなかったかもしれない」
— 2022年のインタビューで、デュラン戦について
68「要するにボクシングはテクニックじゃない、体力だと気付いたんです」
— 2022年のインタビューで、デュラン戦について
69「よく《心技体》というでしょう。でもボクシングの場合は《体技心》の順番なんです」
— 2007年の新聞の連載「わたしの失敗」で
70「いつも『WHY?』『WHY?』って、社会や目の前の状況について自分に問い掛けた」
— 2022年のインタビューで、世界戦の8回、奪ったダウンをスリップとされた場面を振り返って
71「済んだことは済んだこと。もう一度しっかり倒してやる!」
— 2022年のインタビューで、同じ試合中の切り替えについて
72「レフェリーはチャンピオンを勝たせるつもりなんだと感じたね」
— 新聞の連載「我が道」で、同じ世界戦について
73「8年間ボクシングやって、敗戦も含めいろんな経験をし、やっと『応用問題』が解けたんだよ」
— 2009年のインタビューで、ゴンザレス戦について
74「『幻の右』は勝てば官軍、おれが試合後に勝手に命名した」
— 2009年のインタビューで、代名詞になった右ストレートの名前について
75「種明かしをすれば、あれはワンツー。よく『左は世界を制す』というけど、あれは本当。オレの場合、左を出してから、右までが速い。だから相手は右が見えない。左ジャブあっての『幻の右』なんだよ」
— 引退後、スポーツジャーナリストの取材で
76「『幻の右』は左ジャブを出した瞬間に打ち込む右ストレート。あのムハマド・アリのパンチも参考にした。必死に考えて、何かを見つけ出していたよね」
— 2023年のインタビューで
77「世界チャンピオンは富士山のてっぺんを眺めるようなもので、登る前はすごく遠く、気高い所に見えました」
— 2016年の新聞の連載「話の肖像画」で
78「24歳で世界チャンピオンになって、俺の人生は180度、いや380度変わった」
— 新聞の連載「我が道」で
79「右手は自分のため、左手はお客さんのためにあるもの。そして両者が一体となって喜ぶんだよ」
— 2009年2月、自分の本の出版イベントで、ガッツポーズの両こぶしの意味について
80「エディさんがそこにいることで赤ん坊のように安心する。ホットコーヒーを飲んでほっとする。そんな感じだった」
— 名トレーナーのエディ・タウンゼントさんを振り返って
81「『潰せるもんなら、潰してみろ』という感じで気が張っていましたよ」
— 2022年のインタビューで、世界戦のグローブが、ジャブをもらっただけで効くほど軽い6オンスだった頃について
ほかのボクサーの言葉は、ボクシング選手の名言で読めます。
人生と晩年の名言
世界王者になった後の人生も、順調ではありませんでした。監督をした映画で億単位の借金を抱え、1996年の衆院選に落ちて3億円が残りました。そこから10年かけて全部返しました。死去を伝えた公式 X の投稿は、「ガッツポーズをするたびに、ガッツ石松を想い出していただければ幸いです。OK牧場!」と結ばれています。
82「世界チャンピオンのプライドを腹にしまって、引き受けた仕事はとにかく一生懸命やったよ」
— 2023年のインタビューで、引退後に俳優を目指した頃を振り返って
83「ボクシングは自分ひとりの努力で道を開くことができますが、芸能界は自分を相手に合わせてゆく世界」
— 2007年の新聞の連載「わたしの失敗」で
84「俳優になってからは、台詞をしっかり頭に入れることを自分に課しました。基礎の基礎ですが、やっぱり基礎が大事。ボクシングと一緒です」
— 2022年のインタビューで
85「もうひとつ、芸能界に入ってからいままで以上に大切にしたのは、礼節です」
— 2022年のインタビューで
86「巨匠たちの作品に出られたのは、誇りです」
— 2009年のインタビューで、スピルバーグ監督とリドリー・スコット監督の映画に出たことについて
87「泣きっ面に蜂ってのはこういうことを言うんだよ」
— 新聞の連載「我が道」で、1996年の衆院選の落選で3億円の借金が残った時を振り返って
88「それがガッツ石松の信念、哲学なんですよ」
— 2016年の新聞の連載「話の肖像画」で、苦しい時に仕事をくれた人のために立候補を断った話をして
89「世の中を渡るにはグレーゾーンでいるのが一番良いというのが私の哲学です」
— 2016年の新聞の連載「話の肖像画」で
90「自分は想定外を糧にして乗り越えてきた。一生懸命だったよね。節目節目でいい人にも出会えた。人間万事塞翁(さいおう)が馬。その意味では自分は運が強かった」
— 2023年のインタビューで
91「『あしたはあしたの風が吹く』と、目の前のことを必死でやってきた」
— 2024年の新聞の取材で
92「選んだ道を、本当に好きになれるかどうかが肝心ですよね。好きになるから勉強出来る。強くなろうと思える」
— 2022年のインタビューで
93「伸びる人は必ず『WHY?』って感じるものです」
— 2022年のインタビューで
94「私にもう一つ特別な力があったとするなら、愛される力だったのかもしれません」
— 2022年のインタビューで、負けが多くても周りが試合を組んでくれたことについて
95「コロナ禍、元気がなくなるようなことも多いんだよ。でもね、いま苦しいのはなぜか。それもまたWHYで乗り越えるんだ」
— 2022年のインタビューで
96「人は出会いから始まり、知人となり、友人となる。そして親友(心友)となる」
— 本人の公式ホームページ「ガッツ石松のひとり言」の最後に、「by GUTS.」と署名して
97「人生に無駄な経験など何一つない。だから、いいことでも悪いことでも現実として素直に受け止めること。そして頑張って頑張って頑張っていると、自然と運が寄ってくる。頑張り続ける底力のあるやつだけが、最後に最強な運を掴むことができる」
— 2025年の雑誌の連載で
98「たった一度きりの人生、どうせなら一つのことに一所懸命打ち込み、担がれる人になってほしいと願っている」
— 2025年の雑誌の連載で、若い世代に
99「若い時はイケイケドンドンで何でもやったけど、今はガッツ、ガッツしないで、ゴーイング・マイウェイだよな」
— 2024年12月、75歳の時のインタビューで
100「いつも一生懸命生きてきた。それだけは胸を張って言える」
— 通信社の追悼記事が伝える、本人が生前に話していた言葉
よくある質問(Q&A)
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