八村塁の名言80選!自分を信じる言葉と座右の銘を英語の原文付きで解説
バスケットボールの八村塁は、中学のコーチの「お前はNBAに行くんだ」を信じて、NBAまで届いた選手です。「どれだけ自分を信じるか」という名言をはじめ、言葉の壁や差別、心の不調を越えてきた八村塁の名言は、周りの声に迷う人の背中を押してくれます。
Writer
公式ライター Activel編集部
八村塁は、日本の選手として初めてアメリカのプロリーグNBAのドラフト1巡目で指名され、今はロサンゼルス・クリッパーズでプレーするバスケットボール選手です。富山の中学1年の時にコーチから「お前はNBAに行くんだ」と言われ、本気で信じたところから、八村塁の名言は始まります。夢をかなえるとは何かを聞かれて「どれだけ自分を信じるか」と答えた八村には、英語が通じなかった大学1年目があり、その後も、ベナン人の父を持つことで差別の言葉が届く毎日や、心の不調で休んだ時期がありました。八村がどんな時に何を口にしてきたのかをたどると、周りの声に迷った時に背中を押してくれる言葉が見つかります。
八村塁のプロフィール
富山市で育ち、宮城の明成高校で日本一を3度経験し、アメリカの大学を経てNBAの1巡目で指名された選手です。日本代表として東京五輪とパリ五輪を戦い、2026年からはクリッパーズでプレーしています。
基本プロフィール
2026年11月1日の時点で、NBAで3チーム目のロサンゼルス・クリッパーズに所属しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 八村塁(はちむら るい) |
| 生年月日 | 1998年2月8日 |
| 出身 | 富山県富山市 |
| 身長 | 203cm |
| ポジション | フォワード |
| 所属 | ロサンゼルス・クリッパーズ |
| 背番号 | 28 |
| 出身校 | 明成高校・ゴンザガ大学 |
| 日本代表 | 東京五輪・パリ五輪 |
生い立ち:野球と陸上に夢中だった富山の少年がバスケに出会うまで
父がベナン人、母が日本人で、富山市で生まれ育ちました。小学校で夢中になったのは野球と陸上です。野球は小学1年から6年まで続けました。投げた球が速すぎて捕れる子がいなかったので、キャッチャーをやっていたそうです。
バスケットボールと出会ったのは、2010年春に入った奥田中学校です。同じクラスの友だちに2週間毎日誘われてバスケ部の見学に行くと、坂本穣治コーチが、八村が何をしても褒めてくれました。最初の練習の後にかけられた「お前はNBAに行くんだ」の一言を、八村は本気で信じます。3年の時には全国準優勝まで勝ち上がり、卒業すると宮城の明成高校へ進みました。
明成高校からゴンザガ大学、NBAクリッパーズまでの歩み

明成高校では佐藤久夫コーチのもとで、高校バスケの全国大会であるウインターカップを3連覇しました。2年の夏に出た17歳以下の世界大会、U-17世界選手権では平均22.6点で大会1位の得点を挙げ、世界に目が向きます。2016年に渡米してゴンザガ大学に入ると、1年目は英語が通じず苦しみました。3年目には全米大学選手権のNCAAトーナメントで8強まで勝ち上がり、全米最優秀スモールフォワードに贈られるジュリアス・アービング賞を受けました。
2019年6月のNBAドラフトで、日本の選手として初めて1巡目で指名され、全体9位でウィザーズに入ります。2021年には東京五輪の開会式で旗手を務めましたが、同じ年に心の不調で3カ月の休養も経験しました。2023年1月のトレードで移ったレイカーズでは、チームの弱点だった3ポイントシュートを自分の武器に変えました。
2024年のパリ五輪の後には日本バスケットボール協会のやり方を公の場で批判し、代表から離れます。2026年7月にクリッパーズへ移籍しました。協会の会長と監督が代わった後の8月には代表への復帰を自ら明かし、W杯アジア予選のカタール戦で30得点を挙げています。10月23日には古巣のレイカーズと戦い、16得点を記録しました。
座右の銘
八村塁の座右の銘は、高校卒業の頃に本人が色紙に書いた「一意専心」です。ほかのことに気を取られず、1つのことに集中するという意味の四字熟語です。背番号8と2016年3月28日の日付が入った色紙は、八村が奨学生だった江副記念リクルート財団のページで見られます。本人がこの言葉の意味を語った記録は見つかっていません。
近い言葉に「一生懸命を楽しむ」があります。もとは中学の坂本穣治コーチのモットーで、今は八村が開くBLACK SAMURAI のキャンプに、大切にしている考え方として掲げられています。
八村塁の名言80選
八村塁の名言には、「信じる」と「覚悟」がくり返し出てきます。インタビューや会見で話してきた中身は、中学で言われたコーチの一言を信じた話から、言葉が通じなかった大学の日々、NBAドラフトの夜、差別や協会についての率直な発言、そして今の子どもたちへの言葉まで、時期ごとに変わっていきます。八村塁の言葉を順に追うと、ひとりの少年が周りの声に左右されない選手になっていく道のりが見えてきます。
富山の少年時代と奥田中学校の名言
バスケットボールを始めた頃のことを、八村は笑いながら話します。きっかけは、友だちのしつこい誘いと、乗せ上手なコーチでした。八村塁の言葉の出発点には、その友だちとコーチ、そしてのちに何度も語る「覚悟」があります。
01「自分に合ったスポーツが何なのか、そしてどんな仕事が向いているのか 見つけていきたい」
— 小学校の卒業文集に
02「期間があるじゃないですか、部活を決めるまでの。それが2週間ぐらいだったと思うけど、その間は毎日来ていた。本当にしつこいから、『分かった、行くから』って」
— 2019年のインタビューで、中学1年の春を振り返って
03「見学に行ったら、まんまと、その気にさせられて」
— 2019年のインタビューで、初めてバスケ部を見に行った日を振り返って
04「コーチは僕を指さして『お前はNBAに行くんだ』と言いました。あの時の僕はバカだったから、信じたんです。コーチも本気でした。そして僕は本当に信じて、今、本当にここにいる。すごいことですよね」
“He pointed at me and said: ‘You’re going to the NBA.’ At that time, I was stupid, I believed him. And he was for real, too. He was serious about it. And I really believed him. And I’m really here now. It’s crazy.”
— 2019年6月、NBAドラフトを前にニューヨークで
05「いつも言っている『覚悟』というのは本当に大事じゃないかなと思います。日本の言葉で、すごく良いこと。覚悟があれば嫌いな勉強でも頑張ろう、嫌いな英語でも頑張ろう、嫌いな食べ物でも食べようと思います。自分でも『バスケのためなら』といつも言い聞かせていました。バスケがそれほど好きだから、バスケのためなら自分でこういう嫌なこともやる。それがやっぱり自分の実になってくる。」
— 2025年8月、東京・渋谷のトークショーで、中学時代を聞かれて
06「僕は中学校のときに勉強はできなかったんですが、目標を立てるときには、好きだからではなく何をやったら本当に良くなるかを考えていました。そこは自分でもちゃんとできていたのかなと思います。」
— 2025年8月、東京・渋谷のトークショーで、中学時代の目標の立て方を聞かれて
明成高校とU-17世界選手権の名言
八村塁の言葉に「楽しい」が増えるのが、宮城の明成高校の3年間です。佐藤久夫コーチには心の面から鍛えられました。2年の夏の世界大会ではアメリカに38-122で大敗し、アメリカでプレーすることが夢から目標に変わっていきます。
07「皆さん、バスケはすっごい、すっごい楽しいです!」
— 2015年12月29日、ウインターカップ3連覇を決めた優勝インタビューで
08「毎日本気で練習をやってきたから、それが出せる試合がすっごく楽しかったです」
— 2016年1月の取材で、明成高校の3年間を振り返って
09「高校時代に久夫先生から学んだのは、バスケの技術はもちろんですが、一番は『男になれ』と言われて心の面で大人になったことです。中学までの僕はサボリ癖があったんですけど、久夫先生に『エースの風格を持て』『苦しいときこそチームメートを助けろ』と毎日のように言われて練習していました。それで、心の面から変われたんです」
— 明成高校を卒業する時に
10「ここまで動ける体に生んでくれた両親、バスケと出会った中学時代、バスケの基本を叩き込まれた高校時代があるからこそ今の自分がある」
— 2016年1月の取材で
11「ずっと全力でやっていると、ここだという時に力が出ない。大事な時にもうひとつ先の力を出すことが大事」
— 2016年1月の取材で、試合での力の出し方について
12「僕が感じたのは米国人のハングリー精神です。相手に向かっていく気持ちがすごかった。他のどこのチームよりも、すごく向かってくる気持ちがあったと思います。」
— 2016年春のインタビューで、2014年のU-17世界選手権のアメリカ戦を振り返って
13「米国でやることはバスケを始めたころから夢ではありましたが、世界で戦って、いろいろな経験をして米国の強い大学に行こうと決心できました。あの大会に出たことで、夢が目標になったんじゃないかなと思います。」
— 2016年春のインタビューで、U-17世界選手権の後の変化を聞かれて
14「米国が世界で一番強いと思うので、強いところでバスケをやって、その経験を生かして日本のバスケを強くしたいというのがありました。」
— 2016年春のインタビューで、米国の大学を選んだ理由を聞かれて
ゴンザガ大学の名言
八村塁の発言がいちばん苦しそうなのが、言葉の通じないアメリカに渡った大学1年目です。英語で話した言葉も多く、原文を読むと当時のつらさがそのまま伝わってきます。3年目のNCAAトーナメントで負けた時には、人生で初めてというほど泣きました。
15「やっぱり、一番大事なのはコミュニケーションと思い切ってプレーすることだと思います。」
— 2016年11月、ゴンザガ大学でデビューした後のインタビューで
16「本当に、言葉が通じないんです。あれは本当につらかった。すごくストレスでした。どうやって乗り切ったのか、自分でも分かりません。あんなことになると知っていたら、もう一度同じことはしないと思います」
“You really can’t communicate. That was really hard. That was really stressful. I don’t know how I did that. But I don’t think I’d do the same thing again, if I knew it was going to happen like that. No.”
— 2018年の取材で、ゴンザガ大学の1年目を振り返って
17「分かったふりを、ずいぶんしていたと思います」
“I think I faked it a lot.”
— 2018年の取材で、1年目の練習や会話を振り返って
18「あんなに大変だとは思っていませんでした。でも、NBAに行くという目標をかなえるには、これしか道がないと分かっていたんです。英語が話せなければ、NBAではプレーできないから」
“I didn’t expect it was going to be that hard, but it was hard. But I knew that’s the only way to achieve my goal, going to the NBA, because if I can’t speak English, I can’t play in the NBA.”
— 2018年の取材で、英語の勉強について
19「コミュニケーション、言葉。あれは本当に大変でした。アメリカと日本は、まるで正反対なんです。少しだけ帰ることを考えたかもしれません。でも、やめられなかった。もっと大きな目標があったし、日本代表としてもプレーしていましたから」
“Communication. Language. That was very hard. It’s different. Here and Japan are, like, the opposite things. Maybe I was thinking about going home a little bit, but I couldn’t quit. I had a bigger goal. I am playing for my national team too. I couldn’t do it.”
— 2019年3月のインタビューで、ゴンザガ大学の1年目を振り返って
20「日本では、なんとなくプレーしている感じなんです。ここでは、人を倒せとまでは言わないけれど、本当に激しくいかないといけない」
“In Japan, we kind of play, [like], whatever. Here, you really have to, not kill people, but be aggressive.”
— 2018年11月の取材で、日本とアメリカのバスケの違いについて
21「僕は本当に周りの声は気にしていません。コーチたちからも気にするなと言われるし、それより今は自分のやるべきことをやらなきゃいけないです。」
— 2018年3月、ゴンザガ大学2年の時のインタビューで、ドラフトの評判を聞かれて
22「自分の国がバスケットボールで負けているのを見るのはやはり嬉しいわけありません。そういうなかで自分がもっと力になれれば良いなと思います。」
— 2018年6月、W杯予選の日本代表に初めて選ばれた時の取材で
23「今回は日本代表の試合に出られなかったけど、アメリカで目の前のことに集中して頑張ることが、僕のこれからにつながっていくと思っています。」
— 2019年2月のインタビューで、大学のシーズン中のため代表戦に出られなかった時に
24「背負うものの重さは感じるんですけれど、それを感じてもしかたないし、考えてもしかたない。あまり考えすぎると自分のやるべきことが絡まったりするので、そういう重さみたいなものは横に置いといて、あまり考えないようにしています。僕が心がけているのは、自分とチームの目標に向けて、毎日毎日やるべきことをやるだけ。」
— 2019年春の取材で、日本代表とゴンザガ大学のエースとして背負うものについて
25「英語が話せるようになったことは、絶対に自分のプレーの上達につながっています。1年生のときは『まったく』だったけど、2年生では『だいたい』でやっていて、3年生になって『ほぼほぼ』何を言っているかわかりますし、コミュニケーションも取れるようになり、自分のやりたいことを意見として出せるようになりました。」
— 2019年春の取材で、ゴンザガ大学の3年間の英語について
26「ずっと『タイガーになれ、タイガーになれ』と言われて、試合では勝ちだけを求めることを学びました。僕がどれだけいい選手かということもすごく言ってくれて、そういうのが僕のこれからのキャリアの自信になると思います。」
— 2019年春の取材で、マーク・フュー監督の教えについて
27「こんなに泣いたのは人生で初めてでした。それほど、このチームで勝ちたい思いが大きかった。トーナメントが終わってみて、僕は本当にこのチームが好きだったんだなと実感しました。」
— 2019年、大学最後のNCAAトーナメントを振り返って
2019年、NBAドラフトの名言
NBAドラフトの夜の八村は、喜びながらも足元を見ていました。「夢みたい」と話した同じインタビューで、ドラフトはイベントにすぎないと言い切り、入団会見では夢をかなえるのは「どれだけ自分を信じるか」だと答えています。
28「バスケットボールはどんどん日本で拡大しています。そして、自分は主役になりたい。バスケットボールの顔になりたい」
— 2019年春、ドラフトを前にしたアメリカのテレビ局の特集で
29「みなさん、やりました。日本人初、NBA(ドラフト1巡目指名)です」
— 2019年6月20日(現地)、NBAドラフトの壇上で、英語のあいさつの後に日本語で
30「まず、中学時代のコーチに感謝したい。最初に会ったときから『君はNBAに行くんだ』と言われ、ずっと信じてきた。高校、大学の監督、コーチ、トレーナーにも感謝したい」
— 2019年6月20日(現地)、NBAドラフトの壇上で、英語のあいさつで
31「いや、もう夢みたいですね。今まで夢だったものがだんだん目標になってきて、今こうやって呼ばれてステージに立って、メディアにも答えて、ほんと夢を見てる感じです」
— 2019年6月20日(現地)、指名された後のインタビューで
32「本当にそうです。これは、ただドラフト会議。イベントにしかすぎない。本当にNBAに入ってからが重要。これからです」
— 2019年6月20日(現地)、指名された後のインタビューで、まだ始まりだと言われて
33「見ている人は見ていると思いますが、自分にはまだ伸びしろがあり、今からでも成長できる部分があります。練習もハードにしますし、そういうところを見て選んでくれたのではないかと思います。」
— 2019年6月20日(現地)、NBAドラフトの後の記者会見で
34「僕は日本人としてこのような大きな舞台に立てました。NBAのドラフトは世界でも見られているので、僕の国をしっかり見せなければと思いました。」
— 2019年6月20日(現地)、NBAドラフトの後の記者会見で、胸の日の丸のピンバッジについて
35「どれだけ自分を信じるか。いろいろな意見があると思いますが、それでもどれだけ夢に向かって信じてやっていくかが大事だと思います。」
— 2019年6月、ウィザーズの入団会見で、夢をかなえるとは何かを聞かれて
ウィザーズの頃の名言
NBAに入った八村は、通訳を使わず英語で取材に答え、1年目から日本の顔になろうとしていました。ファンの質問に「努力とか自分でいうのは好きじゃない」と切り出したのも、この頃です。ところが、NBAに入る夢をかなえた後に目標を見失い、2021年には心の不調で3カ月休みました。大嫌いだった犬を飼い、子どもの頃に好きだったものに戻っていったその時期のことを、本人は5年後の2026年に話しています。
36「僕は日本のアスリートの顔になりたい。だから、やらなきゃいけないんです」
“I want to be the face of Japanese athletes. That is why I have to do it.”
— 2019年7月、新人が出るサマーリーグの頃に、毎日の取材について
37「ほかの選手との違いは、僕は通訳を使わないことです。でも、それでよかった。言葉を覚えて、英語も日本語も話せる。脳に負担がかかるから、頭がよくなるんです」
“The difference is I don’t use a translator. But it’s good for me because I learned the language and speak English and Japanese too. It makes me smart because it strains on my brain.”
— 2019年7月、サマーリーグの頃に、英語で取材に答えていることについて
38「眠れないことはなく、朝起きて、すごい楽しみだった。緊張もしなかった」
— 2019年10月、NBAデビュー戦について
39「努力とか自分でいうのは好きじゃないけど、僕がやってきたのは一日の中でバスケとどれだけ関われるか。バスケの動画を見たり、バスケのゲームをしたり、バスケの本を買ったり、バスケバスケでやってきた。それに対して愛せるか。例えば歌手になりたいなら、どれだけ歌手に関われるか。好きなことだったらできると思う。どれだけそれを好きになるかだと思います。」
— 2020年3月、馬場雄大とのインスタグラムのライブ配信で、ファンの質問に
40「どれだけハッピーでいられるか、ストレスが一番よくないと思うので、自分で楽しいことを見つけてポジティブにいられるかだと思います。」
— 2020年4月、NBAの中断中のライブインタビューで、日本のファンへ
41「バスケをやっていない時に、家に帰ってきても何をすればいいか分からなかった。〝何のために生きてるんだろう〟と思い始めた」
— 2026年4月に放送された報道番組のインタビューで、2021年の休養を振り返って
42「やっぱり人間関係が大事。人との接触がないと、どんどん『ロボット化』していく」
— 2026年4月に放送された報道番組のインタビューで、2021年の休養を振り返って
43「面白いなと思ったのが、自分の幼少期にやっていたことが、今やると本当に僕に響く。例えば、グミが好きだったり、山に行くとか。そういうこともやっていくうちに、『こういうのが本当に好きだったんだな』『こういうのが心に響くんだな』とか、小さいところから直っていきました」
— 2026年4月に放送された報道番組のインタビューで、2021年の休養を振り返って
レイカーズの頃の名言
2023年1月のトレードで、八村はレブロン・ジェームズのいるレイカーズに移りました。入った時にチームの弱点だった3ポイントシュートを練習し、2026年のプレーオフでは成功率56.9%まで伸ばしています。チームに必要なものを自分から身につけていった話は、八村塁の言葉の中でも具体的です。
44「ゴンザガの時に良くLAの試合で来ていたんですけど、その時にチームメートにLAがホームになるんじゃないかって、そういう風にいつも言っていたので、こうやって今。レイカーズにトレードされてLAがホームになるということがスゴいうれしいですし、スゴい楽しみです」
— 2023年1月、レイカーズの入団会見で
45「自分が所属しているチームのためになるような個人技を上げることを心がけています。僕で言うと、レイカーズに入った時に3ポイントがチームの弱点だったので練習し始めました。チームのためになる個人技ですが、最終的には自分のキャリアのためにも、オプションを広げることにもつながると思います」
— 2026年8月13日、東京のトークイベントで、レイカーズ時代を振り返って
46「レイカーズのファンの皆さん、この3年間をありがとう。すばらしい時間があり、一緒に作った思い出をいつまでも忘れません」
“Thank you Lakers Nation for the past three years. We had some great moments and I will always remember the memories we made together.”
— 2026年7月、レイカーズを離れる時のSNSの投稿で
日本代表と協会についての名言
東京五輪で旗手を務めた八村の発言が大きく変わったのは、パリ五輪の後の2024年11月です。日本バスケットボール協会を公の場で批判し、代表から離れました。2026年8月に自ら復帰を明かすまでの言葉を順に読むと、怒りよりも日本のバスケを強くしたいという思いが見えてきます。
47「日本中が誇り高く思えるようなプレーをしたい」
— 2021年、東京五輪を前に
48「すごく特別な大会だった。小さな頃から、オリンピックをめざしてやってきた。観客はいなかったけれど、(出場できて)誇りに思う」
— 2021年8月、東京五輪で3連敗した後に
49「プレーヤーファースト(選手第一)の精神が見られない。そういう方針の日本代表ではプレーしたくないし、そういう団体とはやりたくない」
— 2024年11月、レイカーズの試合の後に、日本バスケットボール協会について
50「ここ最近、代表や協会のやり方が違うんじゃないかと指摘しているだけ」
— 2025年8月、協会についての発言の真意を説明して
51「話なんていくらでもできる。僕はいつも行動派なんで、(大事なのは)行動でどうするかですよね。(以前の)JBAは言うことは言っても、やることはやってなかった。どう変わるかは、(これからの)行動次第ですね」
— 2026年夏、JBA(日本バスケットボール協会)の変化について
52「(協会が)やっと変わった。僕としても一歩進んだんじゃないかなと思う。日本のバスケがよくなるってことを考えてやってくれたので、そこは自分でもちゃんと見ていきたいなと思います」
— 2026年夏、日本バスケットボール協会の変化について
53「また日本でプレーしたい、日本の代表としてプレーしたいって思います。あと僕、よく考えてみると、日本でプレーしたことはあまりないんですよね。」
— 2026年8月1日、東京のトークショーで、日本代表に戻ると話した時に
54「日本代表に戻れたので僕としてもすごいうれしいですし、日本人としてまた日本の国旗を背負うことを誇りに思っています」
— 2026年8月14日、代表に戻って最初の試合の前日に
55「僕らにも責任感が増えたと思うので、僕らが日本のバスケを引っ張っていくように頑張っていかなきゃいけない」
— 2026年8月14日の取材で、渡邊雄太・富樫勇樹・馬場雄大の名前を挙げて
八村が名前を挙げた先輩、渡邊雄太がNBAで戦いながら残した言葉は、渡邊雄太の名言にあります。
差別とルーツについての名言
ベナン人の父と日本人の母を持つ八村は、ルーツについて2019年から今まで話し続けています。八村塁の差別についての言葉は、受けた痛みの話で終わらず、同じ立場の子どもたちへの思いにつながっていきます。
56「アフリカと日本のハーフであることを、本当に誇りに思っています。めずらしいことだし、こうであってよかった」
“I am really proud about being half-African and half-Japanese. It’s rare. I’m glad to be like this.”
— 2019年3月のインタビューで
57「ハーフであることで2つの国のものを持てるのは、いいこと以外、何もないと思います。」
— 2019年3月の取材で、2つのルーツを持つことについて
58「僕は日本人とベナン人のハーフとして、日本でずっと育ってきて、それが一番のアイデンティティです。」
— 2019年6月、NBAドラフトの後の記者会見で
59「差別はたくさんあります。ひどすぎるというほどではないけれど、あの子たちには自分のことを悪く思ってほしくない。日本でスポーツを楽しんでほしいんです」
“There is a lot of discrimination. It’s not crazy, but I don’t want them to feel bad for themselves. I want them to enjoy playing sports in Japan.”
— 2019年3月のインタビューで、日本のハーフの子どもたちについて
60「こんなの、毎日のようにくるよ」
— 2021年5月4日、弟の八村阿蓮が受け取った差別的なメッセージを公開した投稿に返信して
61「世界でプレーしたり、スポーツをし始めて、ハーフであることがどれだけユニークで、すごい能力があるんだということが外に出て分かりました」
— 2025年8月18日の記者会見で、ハーフとして生きる子どもたちについて聞かれて
62「自分が日本人であることをすごくプライドに思っている。誰が何と言おうと僕は日本人」
— 2026年8月8日、名古屋のイベントで、来場者の質問に
次の世代に伝えた名言
八村は2025年から、BLACK SAMURAI という中高生向けのキャンプを自分で開いています。そこで子どもたちに伝えるのは、技術より先に覚悟です。
63「僕は、そもそもスキルとかの前に、どれほど覚悟があるかなんですよね。どれほどバスケに対する思いがあるか、そのバスケにどれぐらい人生をかけてるか。その問題だと思います」
— 2026年8月、故郷の富山で開いたクリニックで
64「その競技に対する覚悟であったりとか、自分の目標とか、それぞれに誰が何を言おうが、自分のことを信じてやっていくことが大事だと思うので」
— 2026年8月、故郷の富山で開いたクリニックで
65「僕も小さい頃にNBAに行きたいと思ったとき、日本にいるとレベルが違う。自分がどれだけ足りないかわかることでゴールにたどり着ける。自分もショーケースなどに参加する中で、自信を持てたり、レベルを高くしようと考えられた」
— 2025年8月、名古屋で開いたキャンプで
66「例えば練習する時でも1対1をする時でも、試合の時でも、何をやっていようがやっぱり意図がないとダメじゃないかなということです。何のためにレッグスルーをしているのか、何のためにスピンムーブをしているのか。その意図が分かっていないと、実際の試合で使い所が分からなくなってしまいます」
— 2026年8月13日、東京のトークイベントで
67「英語力は本当にバスケのスキルの一つだと思っています。それこそドリブルやシュートと同じくらいのスキルです。」
— 2026年8月13日、東京のトークイベントで、アメリカに挑戦する若い選手に
68「バスケ中の英語もだけど、バスケしてないオフコートでチームメイトとコミュニケーションを取るところから信頼関係が生まれるので、やっぱり英語力をまず先に伸ばさないと。自分が表現できないとパスも回ってこない。」
— 2025年8月、東京・渋谷のトークショーで、パスがもらえないという来場者の質問に
69「僕は一生懸命やることが楽しい。皆さんも一生懸命を楽しめるように頑張ってください」
— 2025年8月20日、自分で開いたキャンプの最終日のイベントで
70「子どもたちと直接触れ合って、間近でバスケを教えることができます。そういう活動が子どもたちの自信につながりますし、彼らにとって素晴らしい経験になると信じています。」
— 2026年8月15日、韓国戦の後の記者会見で
クリッパーズに移ってからの名言
2026年7月、八村はレイカーズを離れてクリッパーズに移りました。若いチームで頼られる立場になり、八村塁の言葉には責任を引き受ける響きが増えています。一番新しい言葉は、2026年10月の古巣レイカーズ戦の後のものです。
71「今までにない若いチーム。これまではプレーを作ってもらっていましたが、これからは自分自身でクリエイトする能力をもっと上げなければいけないと感じています。もっと頼られるような選手になりたいです」
— 2026年8月13日、東京のトークイベントで
72「レイカーズでの3〜4年は素晴らしい時間で、チーム全体に感謝しています。ただ、前に進む時が来ました。クリッパーズという最高の環境に来られて幸せです。」
— 2026年9月28日(現地)、クリッパーズの開幕前の会見で
73「日本代表でプレイしている時のように、自分自身のプレイスタイルでプレイしなさい。自分がチームにもたらすもの、それが彼にできる全てだ」
— 2026年9月28日(現地)、クリッパーズの開幕前の会見で、河村勇輝へのアドバイスを聞かれて
74「僕がオールスターやスーパースターではないことはわかっている。だからこそ、大事なのは、お互いにどう助け合えるか。そうすれば、僕にとっても彼ら(チームメイト)にとってもプレーが楽になる。」
— 2026年10月23日(現地)、レイカーズ戦に敗れた後に
75「相手は一番守備のいい選手を僕にぶつけてくる。今までとは違う」
— 2026年10月23日(現地)、レイカーズ戦に敗れた後に
76「彼はトラッシュトークをしようとしていたけれど、僕はそういうのはどうでもいいんで。レイカーズに一緒にいた2年間、彼とはいい時間を過ごしましたし、会えてうれしかったです」
— 2026年10月23日(現地)、レイカーズ戦の後に、かつて一緒にプレーしたルカ・ドンチッチの挑発について
名言サイトで見かける言葉
名言を集めたサイトに載っている八村塁の言葉には、NBAへの思いや、帰りたくなった時の気持ちを話したものがあります。
77「バスケを楽しむっていう事が僕の原点」
78「どれだけNBAに行きたいか、どれだけNBAでプレーしたいかというのは、自分でも本当にすごい強い気持ちであった」
79「帰りたいなとは何回か思いましたけど帰れませんでしたね。全てを置いてというか、捨ててきたというか」
80「どれだけ自分を見せるというか、悪い言い方をしたら自己中ですね。そういうのもバスケには必要」
よくある質問(Q&A)
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