河村勇輝の名言90選!悔しさを力に変える言葉と座右の銘を高校時代からNBA挑戦まで
バスケットボールの河村勇輝は、身長172cmでNBAに挑み続ける選手です。高校1年の負けに泣いた日の名言から、NBAの契約を失った2026年の今の決意まで、河村勇輝の名言には悔しさを次の一歩に変える強さがあり、挑戦する人の背中を押してくれます。
Writer
公式ライター Activel編集部
河村勇輝は、身長172cmでNBAに挑み続ける、バスケットボール日本代表のポイントガードです。高校1年の負けに泣き、パリ五輪ではフランスにあと一歩届かず、2026年10月にはNBAの契約も失いました。河村勇輝の名言には、そのたびに悔しさから次の一歩を探してきた姿が出ています。父に教わった言葉も、NBAの下部リーグであるGリーグで再出発する今の決意も、それが生まれた場面と一緒にたどっていきましょう。
河村勇輝のプロフィール
山口県柳井市で育ち、福岡第一高校で日本一になり、18歳でBリーグのコートに立った選手です。日本代表のポイントガードとしてW杯とパリ五輪を戦い、2024年からはアメリカで NBA の契約を追いかけています。
基本プロフィール
2026年10月31日の時点では NBA の契約がなく、Gリーグのチームで開幕に向けて練習しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 河村勇輝(かわむら ゆうき) |
| 生年月日 | 2001年5月2日 |
| 出身 | 山口県柳井市 |
| 身長 | 172cm |
| ポジション | ポイントガード |
| 所属 | サンディエゴ・クリッパーズ(Gリーグ) |
| 主な受賞 | 2022-23 BリーグMVP |
| 日本代表 | W杯2023・パリ五輪 |
生い立ち:父の影響でバスケを始めた柳井の少年時代
バスケットボール選手だった父の影響で、6歳の時にバスケを始めました。自宅の庭にはリングがあり、一番身近な遊びだったそうです。両親が教員で家を空けることが多く、朝から夜まで祖母の家で過ごしました。かけっこで1位になると祖母が喜んでくれるので、一番になりたかったのは祖母のためだったと話しています。
小学5年の時には父と広島まで高校生の全国大会を見に行き、背の高い選手たちのプレーを前に、自分が選手として活躍する姿を思い描けなかったそうです。柳井中学では主将として全国中学校大会(全中)に出場し、ベスト16で大差の負けを喫します。その悔しさが、福岡第一高校へ進むきっかけになりました。
福岡第一からBリーグ、NBA挑戦までの歩み

福岡第一では2年でウインターカップを制し、3年でインターハイとウインターカップの2冠を達成しました。高校3年の2020年1月には、学生のままプロの試合に出られる特別指定選手として三遠ネオフェニックスに加わり、18歳8カ月23日で、最年少出場と最年少得点の当時の記録を更新しています。東海大学に進んだ後、2年生で中退してプロの道を選び、2022年から横浜ビー・コルセアーズの一員になりました。
2022-23シーズンにはBリーグのMVPなど6部門を受賞します。2023年のW杯ではフィンランド戦で25得点を挙げ、パリ五輪の出場権獲得にも貢献しました。パリ五輪では3試合で平均20.3得点を記録しました。フランス戦ではチーム最多の29得点を挙げましたが、日本は延長の末に90-94で敗れ、3連敗で大会を終えています。
2024年の夏、開幕前のキャンプに呼ばれる短期の契約でグリズリーズへ渡り、10月にはNBAとGリーグを行き来できる2ウェイ契約を勝ち取りました。2025年夏に移ったブルズでは、右脚にできた血栓のために一度契約を解除され、2026年1月に再び契約を結んで戻っています。2026年7月には、若手や契約を目指す選手が集まるNBAのサマーリーグにペイサーズの一員として出ましたが、3ポイントシュートは13本打って1本しか入りませんでした。8月にはクリッパーズと短期の契約を結び、開幕前のプレシーズンを2試合戦った後、10月に解除されます。ヨーロッパの強豪が集まるユーロリーグのチームからの誘いもあったなかで選んだのが、クリッパーズ傘下のGリーグのチーム、サンディエゴ・クリッパーズです。
座右の銘
河村勇輝が座右の銘を語った記録は見つかりませんでした。広まっている「継続は力なり」は、スポンサー企業のコラムの書き手が記した文です。
ただ、本人が大切にしている言葉ははっきりしています。父からずっと言われてきたという「苦労は買ってでもしろ」、一番大事にしていると話す「自分で決めたことをやり続けること」、子どもたちに伝えた「一流の人間であれ」です。河村勇輝の座右の銘を探しているなら、この3つが答えに近い言葉です。
河村勇輝の名言90選
河村勇輝の名言には、負けた試合の後に話したものがたくさんあります。インタビューでは身長を言い訳にしないと話し、パリ五輪の後には「それは負けと一緒」と自分を責め、NBAの契約を失った今も本契約を目指して練習を続けています。高校時代から今まで、所属が変わるたびに悔しさの中身も変わってきました。
中学と福岡第一高校の名言
全中で大差の負けを喫した悔しさから福岡第一に進んだ河村勇輝は、高校1年のウインターカップ準決勝で3ポイントシュートを10本打って1本も入らず、試合の後に泣きました。高校時代の河村勇輝の言葉には、のちに何度も振り返るこの負けの話が出てきます。
01「本当は全中でベスト8まで行ったら、あとは地元でバスケをやっていればいいかなと思っていたんですけど、ベスト16で西福岡に大差で負けて、それが悔しくて高校でもレベルの高いところでバスケを続けて、全国大会にも出たいと思いました。」
— 2018年9月、高校2年の時のインタビューで、中学3年の全中を振り返って
02「レベルの高いところに挑戦したいという気持ちはいつもあるので、インターハイも大事ですけどアジア選手権に参加したことに悔いはないです。」
— 2018年9月、U-18アジア選手権の後のインタビューで
03「身長のない自分を選んでくれたコーチに感謝したいです。」
— 2018年9月、U-18アジア選手権の後のインタビューで
04「昨年の準決勝で福岡大附大濠戦は1年生でしたがガードとしてコートに立ちました。そのとき、3Pシュートは0/10。この数字から見れば、自分がチームを負けさせてしまったという悔いはずっとありました。その課題が残り、1年間、3Pシュートの練習をしてきました。決勝で決めることができたのは、その反省があったからこそだと思います」
— 2018年12月、ウインターカップ優勝の後のインタビューで
05「もちろん、うれしいです。自分は2年生で、まだ1年残っています。これが自分たちの最高地点ではなく、来年のウインターカップでも優勝できるまで少し残しておきます」
— 2018年12月、高校2年でウインターカップに優勝した後
06「ボールへの執着心とスピードです。相手の懐に入るのは小さな選手が得意とする部分。相手が嫌がるようなディフェンスも重要だと思います」
— 2018年12月、小柄な選手が生きる道を聞かれて
07「一つひとつ小さな目標を達成していけば、大きな夢に向かって頑張っていけると思います。その一つの目標がウインターカップ優勝です」
— 2019年12月、高校最後のウインターカップの初戦の後
08「大濠さんは自分を抑えにきて、それまで自分がやれると思っていたことがすべて崩されました。1年生の自分が試合をつぶして負けさせてしまった。3年生には申し訳ない気持ちでいっぱいで、試合後めちゃくちゃ泣いたのを覚えています。今でも僕のバスケ人生で最も悔いが残っている試合です。でもあの敗戦があったから今の自分があると思います。」
— 2019年12月、ウインターカップ連覇の後、2年前の準決勝を振り返って
09「今が自分のピークではありませんから」
— 2019年12月、ウインターカップ優勝後の取材で、日本代表の夢を語った後に
10「(福岡第一では)ここまで試合に出られると思っていませんでした。今は将来、バスケで食べていこうと思っています。そして、その先の大きな夢は日本代表のポイントガードになって世界と戦うことです」
— 2019年12月、ウインターカップ優勝後の取材で
三遠と東海大学の頃の名言
河村勇輝は高校生のままプロのコートに立ち、大学に進むとコロナ禍で練習も止まりました。Bリーグの厳しさに触れながら話す言葉は、憧れの選手の背中を追いかけて、世界を見すえるものになっていきます。
11「自信がなかったら挑戦していないです。でもそれはプレーが通用する自信ではなく、どんな壁も突き破っていける自信です」
— 2020年1月24日、三遠ネオフェニックスの入団会見で
12「高校時代は8番をつけて色々なことを経験させていただきましたし、日本一にもなりました。でもこれからはその過去をすべて忘れてゼロからスタートしたかったからです」
— 2020年1月24日、入団会見で背番号0を選んだ理由を聞かれて
13「高校生、特別指定選手という立場ではあったのですが、ひとつの目標、夢でもあったBリーグの舞台に立てたことはすごく嬉しかったです。でも、それよりチームの勝利に貢献したいという気持ちの方が強かったので、試合に出た時は嬉しさをかみ殺して、どういうプレーをすれば勝てるかを考えました」
— 2020年3月、Bリーグ1部(B1)のデビューを振り返るインタビューで
14「『何回も挑戦し、何回でも失敗していい』と言われるけど、一回の失敗を簡単に考えて、終わらせてはいけないと思うし、同じ失敗を繰り返す事はダメだと思う。一回失敗する事にちゃんと自分で考えて悩んで、改心して行動する事が大事だと思います」
— 2020年4月1日、大学に入る日の本人の Instagram 投稿で
15「今があるのは、1年生の頃のウインターカップの歴史的負けの経験です。素直に自分に向き合い、失敗を認め努力し続ける事で成長できると学びました」
— 2020年4月1日、大学に入る日の本人の Instagram 投稿で
16「状況はネガティブだったけど、僕自身はポジティブに捉えていた」
— 2022年のインタビューで、大学1年のコロナ禍の自粛期間を振り返って
17「注目されることはプレッシャーになることもありますけど、それは試練だと思いますし、これが自分の生きてきた道なので。プレッシャーや試練があってなんぼの世界だと思ってプレーしています。」
— 2020年12月、全日本大学選手権(インカレ)の直前のインタビューで
18「僕は小柄で体格に恵まれていないですが、感動や驚きを与えるのは自分にしかできない部分でもあると思っているので、いろんな人に夢や希望を与える選手になることが究極の目標です。」
— 2020年12月、目指す選手像を聞かれて
19「小中学生の頃、田臥勇太さん(宇都宮ブレックス)や富樫勇樹さん(千葉ジェッツ)のプレーを見てからです。やっぱり2人が活躍している姿を見て感動したし、小さくてもできるという夢を見つけることができたので、自分も田臥さんや富樫さんのように、感動を与えられる選手になりたいです。」
— 2020年12月、夢や希望を与える選手を目指すようになったのはいつからかを聞かれて
20「アスリートにとってあたりまえにやるべきことを、毎日欠かさずきちんと継続することこそが重要だと思います」
— 2021年12月のインタビューで、食事や睡眠で気をつけていることを聞かれて
21「自分の特徴を最大限活かすこと。サイズは関係ないことを教えていただき、サイズのない僕に希望を与えてくれた先生です。」
— 2021年12月のインタビューで、福岡第一の井手口コーチについて
22「この負けを単なる負けにしないために、とにかく勝つためにできることは最大限やると心に決め、普段の練習から大切に過ごしました。」
— 2021年12月、ウインターカップを前にしたインタビューで、高校1年の負けを振り返って
23「日本代表に選ばれるだけではなく、世界に勝てる日本代表の一員になりたいです。代表に入ることが最終目標ではなく、入って活躍して、世界に勝つ。」
— 2022年2月のインタビューで、日本代表への思いを聞かれて
河村が背中を追った田臥勇太本人の言葉は、田臥勇太の名言にあります。
横浜ビー・コルセアーズの頃の名言
大学を中退してプロになり、Bリーグの MVP まで駆け上がった時期です。一流の人間であること、自分で決めたことをやり続けること。河村勇輝の努力の土台になる言葉を話したのがこの時期で、父と祖母への思いも語っています。
24「この決断は自分の中で正しかったと思えるように、これからやっていくしかないです」
— 2022年3月3日、東海大学の中退とプロ入りを発表した会見で
25「小さな選手だからこそできることだったり、アグレッシブなスピードあるプレーを目指して、そのスタイルはブラさずにやっていきたいです。小さな子供たちやバスケットファンのみならず、たくさんの国民の方々に希望や夢、目標を与えられるプレーをしていけたらと思っています」
— 2022年3月3日、中退とプロ入りを発表した会見で
26「『日本代表として世界相手に勝つポイントガードの1人でありたい』という目標をずっと持ち続けています。」
— 2022年9月のインタビューで、W杯とパリ五輪に向けて
27「プレッシャーがあると思いますけど、それを乗り越えてこそ真の王者になると思います。」
— 2022年9月のインタビューで、母校・福岡第一の後輩へ
28「絶対に勝たなければならない試合に2年生ながら先発として出させてもらいました。それにもかかわらず、勝つことができなかった。あのときの悔しさは、今でもずっと消えずに残っています。僕は大学を2年生で中退してプロ入りする決断をしたので、もうあの悔しさは同じ場所で晴らすことができません。一方で、負けた経験を生かすも殺すもやっぱり自分次第なんだとも考えられるようにもなりましたし、その悔しさを持って今は戦っている。」
— 2023年1月のインタビューで、東海大学2年のインカレ決勝を振り返って
29「ぼくもすべてにおいて一流の選手でありたいと、いつも思っています。もちろんプレーやそこから生まれる結果、記録も一流であることは前提ですが、オンコートにおけるパフォーマンスだけではなく、オフコートでの行動や振る舞いなども含めて真の一流選手と呼ばれる選手でありたいです。」
— 2023年4月のインタビューで
30「夢というのは簡単に掴めるものではありません。目の前にある小さな目標を着実に達成していきながら、より大きな夢に向かっていきたいです。そのためにはまだまだ努力も必要ですし、もちろん運も必要。いつでもチャンスがつかみ取れるよう、あらゆる準備をしておきたいです」
— 2023年4月のインタビューで
31「自分が一番大事にしているのは、自分で決めたことをやり続けること。その大切さは身にしみて感じているので、小さなことでもやり続けてほしいですね。いつ花が咲くかはわからないですけれど、やり続けた先に必ず花は咲くので、自分を信じて続けてください。」
— 2023年5月のインタビューで、子どもたちへの言葉
32「自分がコートに立てることは、決して当たり前のことではありません。コートに立ちたくても立てない選手もいますし、今までの積み重ねがあってこそコートに立つことができます。コートに入る前の一礼でそのことを改めて自覚し、全力で試合に戦うことを誓っています。」
— 2023年5月のインタビューで、両親の助言で始めた一礼について
33「両親が教員ということもありなかなか家にいない中で、祖母の家に朝から夜までずっといた日々が続いていました。バスケットが不自由なくできたのも祖母がいたからなので、そして今も病気だったり、年齢もすごくいってて毎日必死に生きている姿を見て、自分はどんな辛いことがあっても祖母の姿を見ているとやっていけるっていう気持ちに毎日なっているので、本当に祖母には感謝したいです。」
— 2023年6月、BリーグのMVPを受賞して
34「他のチームに移籍し、さらに高い目標を掲げてプレーするという選択肢もありましたが、それ以上にこの悔しさと反省をいかして、強いモチベーションを持って試合に臨むことができるのは、やはり横浜ビー・コルセアーズしかないと思いました。」
35「バスケットボール選手だった父の影響で、6歳の時に始めました。自宅の庭にリングもあったので、小さい頃から一番身近な遊びの一つだったんです。練習がきついと感じたことや、思い通りのプレーができなくて苦しい時期もありましたが、やめたいとか、嫌いになることは一度もなかったです。バスケが大好きで、うまくなりたいと日々過ごしてきました。」
36「子どものころは、勝ち負けにもこだわらず、とにかくバスケを楽しんでいました。いま思うと好きで楽しめたからこそ、続けてこられたと思います。だから子どもたちには、自分の好きなこと、楽しいと感じたことを続けてほしいと思います。」
— 2024年1月号の広報よこはま、横浜市長との新春対談で
37「海外でプレーしたい気持ちもより強くなりました。でも、海外に行ったら環境に慣れることも大変だと思うし、もちろん言語の壁もありますし。でも、何だろうな……苦労は買ってでもしたいなっていうのはあります。」
— 2024年2月のインタビューで、W杯を経験して感じた世界との距離を聞かれて
38「父ですね。それはよく言われていました。わざわざ苦労する必要はないけど、本当に人が成長できるのは、苦労した時であったり、そこから自分で見出したものから身につくものだと、父からずっと言われてきたので。そういった選択にはしたいなと思っています」
— 2024年2月のインタビューで、『苦労は買ってでもしろ』は誰の言葉かを聞かれて
39「僕たちは一人のプレーヤーである前に、一人の人間です。トッププレーヤーである前に、一流の人間であれというのは、すごく大事なことです。バスケ第一というより、バスケットボールを通じて、どれだけ人として成長できるかが僕の人生において、一番に考えていること。」
— 2024年3月、子ども向けのバスケットボールクリニックで
40「僕も小学校、中学校のころにもっと食事に気を配っていれば、身長が180センチくらいになったかも」
— 2024年3月、子ども向けのクリニックのトークショーで、会場の笑いを誘った一言
41「タイマーを使って、『よーい、スタート!』って走る練習がありますよね。そのとき、しっかりラインから走り始めて、(戻るときも)ラインを踏む。僕は毎日の走る練習のとき、ちゃんと線を踏む、フライングをしない。それだけを意識していました。そうしたら、走れるようになっていたんですね」
— 2024年3月、子ども向けのクリニックで、足が速くなる方法を子どもに聞かれて
日本代表、W杯とパリ五輪の名言
沖縄のW杯でパリ五輪の切符をつかみ、パリではチーム最多の29得点を挙げて、開催国のフランスをあと一歩まで追い詰めました。それでも河村勇輝の言葉で目立つのは、喜びよりポイントガードとしての責任です。
42「世界で通用する選手になるっていうのは、ひとつ目標としてずっと自分のなかで掲げてきたので、それに挑戦できる大会となります。自分がこれまでやってきたことのひとつの集大成として、今の自分の力がどれだけ世界で通用するのか、それを証明できる大会になるかと思います」
— 2023年8月、W杯を前にしたインタビューで
43「どっちもありますね。このW杯に出るワクワク感、どれくらいできるのか?という楽しさはあって、コートに立ってもすごく楽しかったです。ただそれ以上にチームの勝利に貢献できなかったこと、自分のターンオーバーやシュートの精度の悪さでチームに流れを持ってこれなかったことが悔しいです」
— 2023年8月、W杯初戦のドイツ戦の後
44「ドイツ戦を終えて、僕自身、1対1の場面でペイントアタックがすごい少なかったなあという心残りというか、反省がありました。元々日本はスポットシューターであったり、コーナーで構えている選手が多くいる中で、僕がドライブしないでどうするんだと。」
45「劣勢になっても特別なことはしないで、自分たちのやることを貫き通すだけです」
— 2023年8月、W杯のオーストラリア戦の後
46「今日も反省だらけですね。後半は何もかもがうまくいかずに、ポイントガードとしてゲームをコントロールすることができませんでした」
— 2023年9月2日、W杯のカーボベルデ戦に勝ってパリ五輪の出場権を得た後のヒーローインタビューで
47「とにかく緊張していましたね。自分の夢だった日本のPGとして世界の舞台に立つ――その夢を達成した瞬間ではあったのですが、実際にはそれをあまり感じることもできず、とにかく試合のことを考えていて、プラスすごく緊張してたというのが一番の思い出です」
— 2023年10月、B.LEAGUE 公式のインタビューで、W杯を振り返って
48「ヒーローですか……東京オリンピックでの富樫勇樹選手(千葉ジェッツ)ですね。オリンピックという舞台で、あの身長でプレーをされて、大きな選手を相手に点を獲って、ゲームの流れを変える姿を見て……勇気をもらいました。『身長を言い訳にはできないな』『必ずここにいたいな』という気持ちにさせてくれたので、ヒーローは富樫勇樹選手だと思います」
— 2024年7月、パリ五輪を前にしたインタビューで
49「もう、ワクワクしかないですね。」
— 2024年7月、初戦で再びドイツと戦うのは楽しみか怖いかを聞かれて
50「あってはならない状況を作って、やってはいけない試合。ここから学ばないと、無駄になってしまう。」
— 2024年7月5日、韓国との強化試合に敗れた後の会見で
51「勝てる試合だった。ポイントガードの僕がコントロールできなかった。自分の責任だと思う」
— 2024年7月30日、パリ五輪のフランス戦の後
52「どうであれ、レフェリーが全て。言い訳はできない。微妙なコンテストをしてしまった自分が悪い」
— 2024年7月、フランス戦の第4クォーターのファウルの判定について
53「39分勝っていても残りの1分で勝ち切れなければ、それは負けと一緒。詰めの部分で本領を発揮するのがポイントガードの仕事だと思っているので、やっぱり自分自身が成長しないといけないと思いました」
— 2024年8月5日、帰国した後の羽田空港の記者会見で
54「ベスト8という目標を達成できなかったことに悔しい気持ちでいっぱいですし、 結果としては3連敗になってしまいましたが、日本のバスケットボールがどんなものなのか、どれだけ進化したかということは世界中に伝わったんじゃないかと思います。あとは結果を出すだけ。」
— 2024年8月5日、羽田空港の記者会見の冒頭で
55「いろんな人に迷惑をかけたので『決断してよかった』と強く思うことは正直ありません」
— 2024年8月5日、羽田空港の記者会見で、大学中退の決断を聞かれて
NBA挑戦1年目、グリズリーズの名言
2024年、グリズリーズとの短期の契約から NBA 挑戦が始まりました。ジャ・モラントとのマッチアップやGリーグの日々で、河村勇輝の言葉は自信と焦りの間を行き来します。背番号7を選んだ話では、『SLAM DUNK』の宮城リョータの名前も出てきます。
56「間違いなく僕がバスケットをやってきた中で1番大きなチャレンジ。僕はチャレンジすることだけで満足してるわけではないですし、まだスタートラインにも立っていない。これからしっかりNBAのコートに立って、このサイズでもNBAに挑戦して、コートに立つことができると証明して、1人でも多くの小さな子供たちがバスケットボールを始めるきっかけだったり、頑張れる原動力になれれば」
— 2024年7月9日、NBA 挑戦を発表した横浜市内の会見で
57「どのような結果になっても、田臥勇太選手だったり、富樫勇樹選手をみて、僕はこの決断を1つやってみたいなと思えるきっかけになった。あのサイズで挑戦されたお2人の背中があったからだと思っているので。それを紡いでいくというか、僕もその1人としてがんばっていければと思ってます」
— 2024年7月9日、NBA 挑戦を発表した会見で
58「とにかく覚悟をもって、戦い抜くことができなければ、世界最高峰のリーグでは戦い抜くことはできないと、記事だったり、雄太さんからも聞く。NBAという世界は厳しい世界。しっかり覚悟をもってプレーしていきたい」
— 2024年7月9日、NBA 挑戦を発表した会見で、渡邊雄太からの助言を聞かれて
59「ジャ・モラントのスピードに平面でついていければ、正直どのNBA選手でもついていくっていうだけでいえば、ついていけると思うので、その練習をトレーニングキャンプで出来るというのはありがたい機会だなとすごく思います」
— 2024年10月、グリズリーズのキャンプ2日目の後の取材で
60「でもいつだって、2ウェイだったり、本契約を目指しながらGリーグでプレーするというのは変わりませんし、そういう気持ちを常に持ってる選手にチャンスが訪れると思うので。」
— 2024年10月、グリズリーズのキャンプの取材で
61「(アメリカのバスケに)徐々に慣れてきていると思いますけど、慣れっていう言葉はすごく難しいですよね。バスケットボールの慣れっていうのはすごく大事なことですが、『NBAで試合に出られないこと』に慣れてはいけないので」
— 2024年12月のインタビューで、アメリカでの約2カ月を振り返って
62「昔から僕は身近な目標を立て、それを達成したあとに見えてくるものがあると思っています。そういった形で今までバスケットボール(のキャリア)、人生を歩んできました。」
— 2024年12月のインタビューで
63「(SLAM DUNKは)インターハイまでしか読んでなくて、ずっと(単行本が)欲しいなと思っていました。あまり外に出かけたりするタイプではないので、アメリカに来たらフリーな時間も多いだろうなと思って、そういった時間で読破したいと思って、ずっと『欲しい』『欲しい』って言っていたら、マネジメント事務所の方がプレゼントしてくれました。アメリカに来て、すぐに読破しました」
— 2025年1月、メンフィスでのインタビューで
64「本当はグリズリーズでも7番をつけたかったんですけど、(チームメイトのサンティ・アルダマが着用していたために)つけられなかった。でもハッスルではつけられるっていうことがわかり、そう考えるうちに『あ、宮城も7番だな』と思って、それでいいなって(思って決めました)」
— 2025年1月、Gリーグのメンフィス・ハッスルで背番号7を選んだ理由を聞かれて
65「試合には出ていませんけど、緊張感のある、あの雰囲気を感じられたことで、バスケットボールへの熱だったり、自分の目標に対する熱というのが、より高まりました」
— 2025年4月、シーズン終了の会見で、サンダーとのプレーオフについて
66「自分はNBAでプレーできるということを証明したかった」
— 2025年4月、シーズン終了の会見で、12得点を挙げたレギュラーシーズン最終戦について
67「(アメリカは)間違いなく実力の世界。どれだけGリーグで活躍してもNBAで活躍していなければ、コーチやグリズリーズの選手からの厚い信頼は得られない。そういった部分で言えば、まだまだ足りないところはいっぱいある」
— 2025年4月、シーズン終了の会見で
河村が覚悟の話を聞いた渡邊雄太本人の言葉は、渡邊雄太の名言にあります。
血栓から復帰したブルズの頃の名言
2025年10月、河村はブルズとの契約を解除されました。当時は健康上の理由とだけ発表され、のちに右脚の血栓だったと分かります。プレーできない時間を経た河村勇輝の言葉には、バスケットができることへの感謝が増えていきます。
68「バスケットができることは当たり前じゃない、こういうふうに全力でプレーできることは当たり前じゃないと毎日ひしひし感じながら、それに感謝しながら、プレーできているかなと思っています。そういったメンタルの持ち方、マインドセットの部分に関しては、よりバスケットへ真摯に向き合えているという感覚はあります」
— 2026年1月、血栓から復帰した後の取材で
69「焦りは、あまり感じてないです。もちろんプレーできることをもう一回、証明しないといけない部分はありますが、現時点ではとにかくバスケットができていることのありがたみを感じながら、プレーしてるかなという感じです」
— 2026年1月23日、Gリーグのウェストチェスター・ニックス戦の後
70「去年、メンフィス(グリズリーズ)にいたとき以上にコートに出たらやれるんだっていう気持ちは強くなっています。だからこそ自分のプレーの評価のハードルも高くなってきています。昨季は3ポイントを1本決められたら合格点かなと思えたところが、今ではまだまだやらないといけないという気持ちになっている。高い目標を掲げ、自分にもより厳しくできていることは成長にもつながるかなと思っています」
— 2026年4月、NBA 挑戦2年目を振り返るインタビューで
71「テイクチャージ(攻撃側のファウルを誘発すること)を取ることだったり、守備で役割をしっかりと果たすことができれば、 オフェンスが多少うまくいかなかったとしても、安定してミニッツをもらえるということ。バスケットをやるなかで、やはりディフェンスが一番大事。そこの信頼を勝ち取ることが大事かなと思っています」
— 2026年4月、ウィザーズ戦の後に
2026年、クリッパーズとの契約解除とGリーグの名言
ペイサーズの一員として出たサマーリーグでは3ポイントシュートが13本中1本しか入らず、涙を浮かべました。クリッパーズとの契約も10月に解除されます。それでもユーロリーグの誘いよりGリーグを選んだ河村勇輝は、「迷いはなかったですね」と話します。
72「NBAでやっていけるレベルのパーセンテージではないのは間違いない。このサマーリーグに向けて、もちろんしっかり準備はしてきたし、自分のなかではやりきってここまで来たと思いますけど、それでも何かが足りなかったということ」
— 2026年7月、ペイサーズの一員として出たサマーリーグ5試合を終えて
73「やってきたことが何も出せなかった。自分の実力のなさをすごく痛感します」
— 2026年7月、サマーリーグを終えて、目に涙を浮かべて
74「人生で一番きつい夏にする」
— 2026年7月、サマーリーグの後に報道陣へ
75「この挑戦を後悔ないもので終われるように、今はとにかく毎日取り組んでいる」
— 2026年7月29日、東京都内のイベントで
76「まだまだ夏は続きますし、(NBAの)プレシーズンまでまだ時間はあるので、今やってきていることをしっかりとやり続けながら、いつか必ず結果が出ると信じて、やっていけたらいいなと思っています」
— 2026年9月、日本代表の活動の取材で、夏の手応えを聞かれて
77「一歩一歩、徐々にステップアップしたい。まずは2ウェイ契約をしっかり取って、最終的に本契約を勝ち取りたい」
— 2026年9月3日、NBA の配信サービスの発表会で
78「日本人でも戦えるということを日本のファンに届けたい」
— 2026年9月3日、NBA の配信サービスの発表会で
79「契約を獲得するためには、プレシーズンで自分の実力を証明しなければいけない」
“But I have to prove myself during the preseason to get the contract, you know.”
— 2026年9月28日、クリッパーズのメディアデーに英語で話して
80「もしかしたら今日カットされるかもしれないし、明日カットされるかもしれない。もしかしたら次にもチャンスを与えてくれるかもしれないし、それは本当にどうなるかわからない。だけど、今日ベストなプレーができなかったというところで、これを自分のなかでどう消化して、どう向き合って、成長の機会として捉えられるかということが、今後の自分にとって大切になってくる」
— 2026年10月、ハワイでのウォリアーズ戦の後
81「絶対に結果を残さないといけないという状況のなかで結果が残せなかったという自分の実力のなさに悔しさを感じている反面、やっぱり自分が目指している世界最高峰のバスケットはそれほど高いところにあるんだ、それほど目指す価値のある場所なんだと感じられた」
— 2026年10月、ハワイでのウォリアーズ戦の後
82「迷いはなかったですね」
— 2026年10月30日、契約解除の後の初めての取材で、Gリーグでプレーすることについて
83「Gリーグの環境で成長できると思ってこのチームを選びましたし、実際に今こうやって練習していて、すごく成長できていると感じているので。『その話』を聞いたときはちょっと考えはしましたけど、Gリーグでしっかりと経験を積みながら、NBAの契約を勝ち取ることが一番だとすぐに思いました」
— 2026年10月30日、契約解除の後の取材で、ユーロリーグという別の選択肢について
84「『3年目』と言葉にしていたのももちろんありますけど、自分のなかで、ここでやれる、契約を勝ち取れる自信があるというのもそうですし、一番自分が成長できるところ、そして自分が今実現したい夢に向けて、どこが最短距離なんだろうと考えたときに、ヘッドコーチがすごくいいと聞いていましたし、このGリーグに残るというのが、自分のなかで一番の選択肢だった」
— 2026年10月30日、NBA 挑戦3年目にGリーグに残る理由を話して
85「自分の中で、この1年が最後のシーズンだと思いながらプレーするわけではないので、最初に3年計画とは言いましたけど、自分が成長できる環境と自分の夢の部分をちゃんと考えながら、プレーする場所を選んでいきたいなと思っています。今回、Gリーグスタートではありますけど、とにかく本契約を取るために自分に必要なのは、ディフェンスの改善と3ポイント」
— 2026年10月30日、最初に話していた3年計画について
86「とにかくゲームチェンジャーみたいな形で、ディフェンスだったり、3ポイントシュートをしっかりワイドオープンで決めきったり、ゲームをコントロールしたりという、この3つを(出場)分数に限らずやり続けていけば、必ずどこかのチームがピックアップしてくれると思うので、それを信じてやり続けるだけ」
— 2026年10月30日、契約解除の後の取材で、Gリーグの開幕に向けて
名言サイトで見かける言葉
名言サイトで河村勇輝の言葉として見かけるものです。負けや準備についての話は、ここまでの言葉とも重なります。Activel編集部が調べた範囲では、元の取材にはたどり着けませんでした。
87「過去は変えられないので、その悔しさをどう活かすかは自分次第。その経験があったから成長ができた、結果を残すことができたとなれば、『負け』というのは成功の糧にもなります」
88「地に足を付け、目標を積み立てながら取り組む方が自分には合っている」
89「準備が全てだと思っていますので、どれだけ準備できたかが試合に臨む上での自信にもなる」
90「トレーニングをしている時間が不安をかき消せる。」
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