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マッスル北村の名言58選!東大を中退したボディビルダーの伝説と最後の言葉

マッスル北村の名言58選!東大を中退したボディビルダーの伝説と最後の言葉

東大を中退したボディビルダー、マッスル北村の名言58選。中学2年の手記から、亡くなる4日前の最後の言葉まで。マッスル北村が限界に挑んだ伝説の歩みと、妹が伝えるやさしい素顔が、名言の一つひとつから見えてきます。

2026.11.03 | ボディメイク

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公式ライター
Activel編集部

マッスル北村(本名・北村克己)は、東大を中退してまで体を鍛え続け、39歳で亡くなった日本のボディビルダーです。限界に挑むマッスル北村の名言の始まりは、中学2年の時、16時間半自転車で走り続けて倒れた後の手記です。一方で、やさしい素顔を伝える言葉も残っています。ドッグフードを食べない捨て犬には、自分で食べて見せながら話しかけました。

マッスル北村のプロフィール

マッスル北村は、1985年にミスターアジアのライトヘビー級で優勝し、1999年にはアメリカの大会のヘビー級で3位に入ったボディビルダーです。当時、日本人がアメリカの重量級で上位に入った前例はありませんでした。タレントとしてもテレビで活躍しました。

基本プロフィール

東京の練馬区に生まれ、彫刻家の父のもとで育ちました。

項目 内容
本名 北村克己
生年月日 1960年10月6日
亡くなった日 2000年8月3日(39歳)
出身地 東京都練馬区
高校 東京学芸大学附属高校
大学 東京大学 理科Ⅱ類・東京医科歯科大学 医学部(ともに中退)
競技 ボディビル
主な成績 1985年 ミスターアジア ライトヘビー級 優勝
ほかの優勝 1999年 WABBA アジアパシフィック 総合優勝
アメリカの大会 1999年 NPC トーナメント・オブ・チャンピオンズ ヘビー級3位
著書 『ボクの履歴書』

東大からボディビルへ、伝説の歩み

マッスル北村の伝説は、ボディビルを始める前から始まっています。一千回を超える拳立て伏せも、受験中に手首に着けた重りも、東大に入る前の話です。

  • 中学2年の夏休み: 自転車で山越えのコースに挑み、16時間半走り続けて奥多摩で倒れ、病院に運ばれる
  • 高校時代: 一千回を超える拳立て伏せや長距離走で体力の限界に挑む。競輪選手を目指すが、選手の走りを見て諦める
  • 1981年: 東大に進む。近所の体育館で初めてボディビルダーに出会い、大会への出場を勧められる
  • 1981年6月: 初めての学生コンテストで惨敗し、翌日からアルバイトで卵やプロテインの代金を稼ぐ
  • 1984年ごろ: 東京大学を中退し、東京医科歯科大学へ進む(1989年に中退)
  • 1985年: ミスターアジアのライトヘビー級で優勝
  • 1986年: ジャパンチャンピオンシップスのライトヘビー級を制するが、この年に始まったドーピング検査で失格。本人の異議でも結果は変わらず
  • その後: タレントとしてテレビや CM に出演
  • 1990年: ボディビルの国際団体 WABBA の世界大会で、ミディアムクラス4位
  • 1999年: WABBA アジアパシフィックで総合優勝。アメリカの NPC トーナメント・オブ・チャンピオンズのヘビー級で3位
  • 2000年8月3日: 8月末の大会に向けて減量する中、低血糖で倒れ、39歳で亡くなる

座右の銘

マッスル北村が座右の銘のように繰り返していたのは、宮本武蔵の『我ことにおいて後悔せず』です。本人が座右の銘と書いた文はありませんが、妹の善美さんは「いつも何かにつけ己に言い聞かせていた」と伝えています。本人の口癖では「肉体は滅んでも魂は永遠に生き続ける」があります。

マッスル北村の名言58選

マッスル北村の名言には、本人が連載や手記に書いた文と、妹の善美さんや仲間が覚えていた言葉があります。限界に挑む熱い言葉だけでなく、捨て犬に話しかけた言葉や、妹を感電させた後の一言も残っています。

限界に挑む努力の名言

マッスル北村の努力の言葉は、ボディビルを始める前から限界を追っています。倒れて病院に運ばれた2日後の手記で、もっと険しい道に挑戦したいと書いた人です。

01「なにもこのコースが僕の限界であったなどとは考えていない。これからもっと、もっと険しい道に挑戦したい気持ちでいっぱいだ。」

— 1974年9月1日付、中学2年の自由研究の手記で

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発言時期: 1974年9月1日付(中学2年の夏休み)

発言状況: 8月30日の未明に自転車で家を出て、河口湖から柳沢峠を越える山道を16時間半走り、奥多摩で倒れて病院に運ばれました。この手記は中学2年の自由研究『自転車の科学』の一部で、妹の善美さんが公式サイトで全文を紹介しています。

出典: マッスル企画 公式サイト「思い出ぽろぽろ」第14回

02「しかし失敗は失敗である。軽装で16時間半、僕は10分と休みをとらず、何も食べずに走り続けた。何も自慢するわけではない。が、これからどんな苦しいことがあっても乗り越えてやる。この時に育った強い精神力で頑張り抜きたいと思う。」

— 1974年9月1日付、中学2年の自由研究の手記で

03「肉体、精神の限界を極めたいと心に決めた」

— 中学2年の遠乗りの経験を、後に振り返って

04「鍛えれば鍛えるほど道は開ける」

— 高校時代から自分に言い聞かせていた言葉。妹の善美さんが伝える

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発言時期: 高校時代から常々言い聞かせていた言葉

発言状況: 高校に入った本人は、学校から帰ると庭で拳立て伏せや親指だけの腕立て伏せを日課にし、瓦やレンガを握りこぶしで割っていました。妹の善美さんは、兄がこの言葉をひたすら信じて突き進んでいるようだったと振り返ります。

05「僕は自分の限界の速さで走っているんだから、途中で倒れるかもしれない」

— 高校時代、マラソンに自転車でついて来てほしいと母に訴えて。妹の善美さんが伝える

06「着けて勉強するに決まっているじゃないか。こうすれば鉛筆を動かす時間もトレーニングになるからね。」

— 浪人時代、手首の重りを作って。妹の善美さんが伝える

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発言時期: 浪人時代

発言状況: 勉強しているのかと妹がのぞくと、本人は床に座ってトタン板を丸め、手首にはめる重りを作っていました。勉強の時はどうするのかと聞かれて、満足げに答えた言葉です。この重りを、お風呂と予備校の時のほかはほとんどはめていたそうです。

07「やはりボディビルの極意は信念と集中にあるようだ。まずはほかでもない自分自身が、自分の可能性を信じること。ダメだと思ったらそこですべておしまいになってしまう。『自分は必ずできる!』という言葉で絶えず否定想念を撃破することだ。」

— 連載『ボクの履歴書』の文で

08「でも実際にやってみると、たった1㎝太くするのがどれほど大変かが分かって、ボディビルにのめり込んでいった」

— ボディビルを始めた頃を振り返って

09「たとえこの命果てても、不完全燃焼という後悔だけは残したくなかった。己の肉体と精神の限界点を見極めたならば、あとは天命にまかせるのみであり、ジャッジが決めることである」

— ミスターアジアに向けた減量を綴った文で

10「これからはトレーニングに本腰を入れ、アメリカのコンテストで自分がどこまで通用するのか挑戦してみたい」

— 1999年、アメリカの大会から戻って

11「1千回と1千1回とでは天と地の隔たりがあった。まさに最後の1回は全身全霊の限界力を振り絞った一発。その前の1千回はこの1回のためのお膳立てに過ぎない。最後の一発はその前の1千回に勝るとも劣らない価値がある。」

12「壁にぶち当たったときこそ真のスタートラインであり、ボディビルダーとしての価値が問われるときなのだ。」

13「走るんだったら倒れるまで走る。腕立て伏せだったら潰れるまでやる。自転車だったら行き倒れするまで走り抜く」

14「黙っていても人生は新しいトラブルが次から次にやってくるものだ。 自分の心に嘘をつけぬ正直な心で全霊のトレーニングを行い 心身ともに鍛えておけばどんな難局もいつかは必ずクリアできる。」

ほかのボディビルダーや筋トレに打ち込んだ人の言葉は、筋トレの名言にあります。

敗北と挫折を語った名言

マッスル北村の名言には、負けた日を振り返る言葉も多く残っています。本人は初めての大会で惨敗した悔しさも、競輪の道を諦めたことも、次の道へ進む理由に変えていきました。

15「あのときの無残な敗北があったから今がある。もし表彰台に上がっていたら、ボディビルに魅力を感じないまま去っていた」

— 1981年の初めての学生コンテストを、後に振り返って

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発言時期: 大会は1981年6月。語ったのはその後

発言状況: 勧められて出場した初めての学生コンテストでは全く歯が立たず、悔しさのあまり決勝審査を待たずに会場を後にしました。翌日からアルバイトを始め、稼いだお金はすべて卵やツナ缶、プロテインに使ったといいます。惨敗の5か月後、東日本学生コンテストでは8位まで上がりました。

出典: FITNESS LOVE「マッスル北村『限界に挑戦した男』の伝説エピソード」

16「この道では僕の力は限界が見えている。もっと違う道で上を目指していかなければ…」

— 高校時代、競輪選手の道を諦めた時。妹の善美さんが伝える

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発言時期: 高校生の時、大学受験の1年前

発言状況: 競輪選手になりたいと朝から晩まで自転車で走っていた本人が、ある日を境に布団に潜ったまま、自転車に乗らなくなりました。3、4日して母に、競輪の選手に誘われて練習を見に行き、そのレベルの高さに思い上がりを打ち砕かれたと打ち明けたそうです。

17「絶望や失意の時こそ 過去の自分を反省する絶好のチャンスであり またとない飛躍の時なのだ」

18「敗北や挫折は決して人生の落とし穴ではない。むしろ好機なのだ。心が受けるダメージが大きい敗北ほどよい。」

19「他人を納得させる記録や結果よりも たとえ自己満足と笑われようが自分で自分に心から『よくやった』 と、ひとこと言える闘いこそ、まことの勝利であり 人間としての自信と誇りを得て 人生で最も大切な優しさや思いやりを身にまとう瞬間だと思う」

20「負けや失敗を恐れず自分の心が真に欲する闘いに黙って挑みたい。」

21「審査というものは審査員の主観によるものだから、結果に一喜一憂してはならない。真の審査員は自分に嘘のつけぬ自分自身の心そのものだ」

22「結局はその人間を再起させ、以前にも増して輝かせるものは心以外の何ものでもない。心が動いて初めて真の力が出る。」

心と肉体の調和を語った名言

大きな筋肉で知られるマッスル北村ですが、名言の中で繰り返し語ったのは心のことです。雑誌の記事も、本人がよく口にしていた言葉として「肉体と心の調和」を挙げています。

23「ボディビルダーが真に目指す道は心と体の調和にあります。自分の感情をコントロールして深い集中に入ったときに心と身体に架け橋が通ります。心をコントロールすることによって自分の肉体をいかようにもコントロールすることが出来るのです。皆さんもそれを信じて頑張ってください。ボクも頑張ります!」

— 1999年の自作ビデオ『THE世紀末バルクアップ1999』で。妹の善美さんが書き起こした言葉

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発言時期: 1999年の自作ビデオ

発言状況: 悩んでお酒に走った時期もあった本人が、ビデオの中で話したセリフです。そのビデオは、本人が徹夜して編集しました。

24「無限の可能性を信じてやまぬボディビルの歴史を築いてきた偉大な魂の軌跡がアメリカにはあった。その息吹に触れたとき、ボク自身の心の底から、鍛え続けることの喜びとともに、無限のエネルギーが湧出してくるのを感じた。このエネルギーを〝希望〟と呼ばずにはいられないボクの心をどうか察していただきたい」

— 1999年の渡米を「希望の地、アメリカ」と題して綴った文で

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発言時期: 1999年の渡米を振り返った文

発言状況: 1999年、ニュージーランドの大会の直後にボディビルの本場カリフォルニアへ初めて渡り、NPC トーナメント・オブ・チャンピオンズのヘビー級で3位に入りました。当時、日本人がアメリカの重量級で上位に入った前例はありませんでした。

25「今でもその一節をときおり口ずさむ。『重要なのは食べることではなく飛ぶことだ。いかに速く飛ぶかということだ』。当時のボクの心の中を自由の風が吹き荒れた。ただし、それは社会や体制からの自由を意味しない。自己の心に潜む限界意識からの自由だった。あらゆる自己の限界に挑みたいという強い希求であった。自分の中に潜む無限の可能性を信じていた」

— 愛読した『かもめのジョナサン』の一節を引いて綴った文で

26「ボディビルの神髄は心と肉体の調和にこそある。内面から迸るオーラの輝きを持たない肉体は、何の感動も魅力も伴わない。」

27「心で念ずることは肉体に多かれ少なかれ現ずるのである。信じることの出来る人は幸いである。」

28「一糸まとわぬ此の裸の肉体に、己の魂と全霊のエネルギーをそそぎ込み、天の祝福を彫刻していく喜びは芸術家の喜びであり、修行僧のそれでもある。」

29「ボクはボディビルを通じて万人を勇気づける心の医者になりたいと願っていた。」

30「ボディビルが世間からどのような評価を受けようが、ボクはこれを通じて神を信じ讃え、愛を語り、生命の美しさ、人生の尊さを具現していくのだ。」

運命と時間、生き方を語った名言

マッスル北村は高校生の頃から、夜中の2時3時まで妹の部屋で、人は何のために生まれたのかを話していました。妹の善美さんが覚えていた生き方の名言は、その夜の話につながっています。

31「善美、『運命』は自分で切り開くものだよ。出来ないと思って諦めたら絶対にそこ止まり。出来ると信じて頑張れば必ず道は開けるよ。」

— 夜遅くまで話していた頃の言葉。妹の善美さんが伝える

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発言時期: 妹と夜遅くまで話していた頃(本人が高校生の時は毎晩のように話していた)

発言状況: 善美さんはこの言葉を、治らないと言われた猫を毎日スポイトで看病しながら、しきりに思い出したそうです。

出典: マッスル企画 公式サイト「思い出ぽろぽろ」第18回

32「僕には時間が無いんだ」

— 高校時代に人生計画を立てた頃から。妹の善美さんが伝える

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発言時期: 高校時代に自分の人生計画を立てた頃から

発言状況: 時々口にした言葉です。そのたびに母は、一生懸命育てているのに嫌なことを言う、人生これからなのに何をあせっているのかと、寂しそうにつぶやいていたそうです。

33「僕はみんなの夢を背負っているんだ。だから中途半端に諦めるわけにはいかないんだ…」

— 妹の善美さんに語った言葉

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発言時期: 2015年の没後15年の文章で妹が紹介(語った日は分からない)

発言状況: 善美さんは当時、格好いいことを言っていると思い、理解できなかったそうです。亡くなった後、お兄さんの世界での優勝は我々の夢でもあったと大勢の人から聞いて、兄の言葉は嘘ではなかったと驚いたといいます。

出典: マッスル企画 公式サイト「あれから15年」

34「肉体は滅んでも魂は永遠に生き続ける」

— 本人の口癖。妹の善美さんが伝える

35「物事には偶然なんかない。偶然に思えることでもそのことには意味があり、それが自分にとって良いことでも悪いことでも自分の魂を鍛えるための神様の試練であり教えなんだ。だからこそしっかり受け止め乗り越えていくことが大事なんだ。そうでないと天に帰った時、魂の成長のない自分に後悔してしまう」

— 時々言っていた言葉。妹の善美さんが伝える

36「今の僕は何の取り柄もないもん。このままじゃ、ダメだよ。せっかく人間として生まれたのだから、お互い切磋琢磨できる間柄でないと続かないよ。相手にだけあれこれ理想を求めたって、自分自身がその人間にふさわしくないと、いつか飽きられてしまうし、心が離れてしまうからね。もっと心身ともに磨かないと。」

— 高校時代、好きな子に声をかければと妹に言われて

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発言時期: 高校生の時

発言状況: 本人は妹をバイクの後ろに乗せて好きな子の家の前を通り、止まらずに帰ってきました。堂々と声をかければと妹が言うと、そんなことはできないと答えた後、この言葉を言いながら自分の部屋に戻っていったそうです。

37「ボディビルだけでも道は長い。でも、一生涯ただのボディビルダーだけで終わってしまわないように、ひとつ先の夢、目的を持っていきたい」

— 雑誌の記事が伝える、生前の言葉

38「自分のためだと思うと力は出ないが、自分を信じてくれている人たちのためなら頑張れるような気がした。」

食べ続けた日々の名言

増量の時期、マッスル北村は卵30個に牛乳、サバ缶と、大鍋のおじやを毎日のように食べていました。「食べることもまたトレーニング」は、その頃の言葉です。この食事も後の減量も極端で、まねをするものではありません。

39「『食べることもまたトレーニング』と自分に言い聞かせながら、ジムを出た後も気を抜くことはなかった。」

— 連載『ボクの履歴書』の文で

40「胃腸というのも鍛えれば強く大きくなるものだ。」

— 連載『ボクの履歴書』の文で

41「デートに使うお金すら生卵に代えて飲んでしまいたいボクだったから・・・。」

— 連載『ボクの履歴書』の、デートで別れを告げられた話で

42「大丈夫だよ。体の細胞にね、これからどんどん大きくなることを教えてるんだよ。」

— 東大時代、太っていく体を心配する妹に

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発言時期: 東大に入った後

発言状況: 東大のボディビル部に入った本人の体は、筋肉がつく前にどんどん丸くなり、服も着られなくなりました。「そんなに太らせて大丈夫なの?」と妹が何度も聞いた時の答えです。善美さんは、理由にならないような答えに返す言葉もなかったそうです。

動物と人へのやさしさを語った名言

マッスル北村の名言で意外なのは、生き物の話になると言葉がやさしくなることです。胃から血を吐いても止まらなかった酒が止まったのは、愛犬クロの最後の夜でした。医学の道を離れた理由の一つにも、動物実験への違和感がありました。

43「おまえ、お腹すいているんだろ。片意地張らずに食べてみろよ。おいしいぞ。」

— 荒川の土手で、捨てられた犬に。妹の善美さんが伝える

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発言時期: 前に飼っていた愛犬コロが亡くなった数か月後

発言状況: バイクを走らせに行った荒川の土手で、飼い主を待ち続ける犬に出会いました。一度家に戻ってドッグフードを持ってきましたが、犬は口を付けません。本人はそう話しかけながら、自分でドッグフードをおいしそうに食べて見せたそうです。この犬がクロで、それから18年、家族として暮らしました。

44「誰が止めても、胃から血を吐いてもやめられなかった酒。あの日以来、ボクの飲酒癖は嘘のように止まった。クロの目が閉じて、代わりにボクの心の目が開いた」

— 愛犬クロの最後の夜を綴った文で

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発言時期: クロが亡くなった後に綴った文

発言状況: 芸能の仕事に失望して酒に溺れていた頃、1か月も寝たきりだったクロが、酒を探す本人の前で階段を一段ずつ下りてきました。その翌朝、クロは本人の腕の中で息を引き取ったと綴っています。

45「動物はどんなことがあっても自分の受けた恩は決して忘れないんだよ。」

— 妹と夜遅くまで話していた頃の言葉。善美さんが伝える

46「いつも周りの動物たちに助けられた」

— 飼っていた動物の話の中で

47「鬼のような執念や恨みなどで進める距離は意外と短い、考えるだけで疲れる…。しかし愛のエネルギーは無限なんだよ。」

48「恨みを心中に残したままでの筋肉の偉大な発達など不可能である。」

49「愛という動機を持たない物質が災いであるのと同様に、愛のない筋肉もまた災いかもしれない。」

思わず笑ってしまう名言

限界の話ばかりの人かと思うと、マッスル北村は笑える名言も残しています。妹や仲間の前では、おしゃべりが好きで少しいたずらな人でした。

50「いやあ、テスターで調べていたら、どうしてもスイッチに電気が漏電しているようで、ボク怖くて触れなかったんだ。」

— 夏休み、テレビの修理で妹にスイッチを入れさせた後に。妹の善美さんが伝える

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発言時期: ある年の夏休みの半ば

発言状況: 一晩かけても直らないテレビの前で、本人は妹にスイッチを入れてと頼みました。妹が感電すると、心配するより先に「善美のおかげで直ったよ」と喜びます。その後、自分が直したと母に自慢する妹を見てニヤニヤしながら言ったのがこの一言です。感電すると知っていて、妹にスイッチを入れさせたのでした。

51「今日ね学校行ったら声かけられてさ、何かと思ったら相撲部なんだよ。『君いい体してるねぇ。どお、うちの部に入らないか?』って入部誘われちゃったよ。ハハハハハ…」

— 東大時代、太っていく体を笑って。妹の善美さんが伝える

52「重要度の割合から言うとトレーニングが1で食事が9だと教えてくれたんだけど、なんて怠慢なスポーツなんだと思った」

— ボディビルを初めて知った時の印象を語って

53「帰りたくなりました…」

— 自作ビデオ『THE世紀末バルクアップ1999』で、脚を鍛えるレッグプレスのマシンの前で

54「やめろ~! 僕はケンカのプロなんだぞ~」

— 学生時代、公園に逃げてきた女の子に頼まれ、不良たちの所へ行って。友人の渡辺実さんが伝える

55「僕は今から旅に出るので声をかけないでください」

— 受験勉強の頃、部屋の前に貼った張り紙。妹の善美さんが伝える

最後の言葉

マッスル北村の最後の言葉として、2000年の夏の3つが残っています。亡くなる1週間前の電話では大会への手応えを明るく話し、4日前には点滴の後で群馬の会場へ向かいました。

56「飴なんかでカロリーを取るぐらいなら、自然の食べ物でカロリーを摂りたいんだよ。」

— 2000年7月下旬、倒れないために飴を持つよう勧めた妹に

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発言時期: 2000年7月27日に一度倒れて病院に運ばれた後

発言状況: 8月の大会に向けた減量の中で、本人は犬の散歩から帰って家の前で倒れました。点滴で意識が戻った後も減量を緩めない兄に、めまいがしたら飴をなめたらと善美さんが勧めた時の答えです。

57「もう本当に感謝。みんなのおかげで今年はいい状態で大会に出られそう!」

— 亡くなる1週間前、雑誌の編集部への電話で

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発言時期: 2000年7月下旬(亡くなる1週間前)

発言状況: 連載を載せていた雑誌の編集部に自分から電話をかけ、こう話しました。普段は謙遜する本人が、この時は少しだけ自信をのぞかせていたと編集部の筆者が書いています。

出典: FITNESS LOVE「マッスル北村『限界に挑戦した男』の伝説エピソード」

58「まだ間に合うかもしれない」

— 2000年7月30日、最後の舞台となった群馬の会場へ向かう時

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発言時期: 2000年7月30日(亡くなる4日前)

発言状況: ゲストとしてポーズをとる群馬のコンテストに向かう新幹線で意識を失い、病院で点滴を受けていました。それでもこう言って会場へ向かい、時間ぎりぎりに笑顔でステージに立ったと、雑誌の記事が伝えています。

よくある質問(Q&A)

Q1. マッスル北村の代表的な名言は何ですか?

本人の口癖だった「肉体は滅んでも魂は永遠に生き続ける」です。2012年の本の副題にも使われ、妹の善美さんも雑誌『アイアンマン』の記事もそう書いています。

トレーニングについては、1千回と1千1回の違いを語った言葉や、高校時代から自分に言い聞かせていた「鍛えれば鍛えるほど道は開ける」があります。

Q2. マッスル北村の最後の言葉は何ですか?

亡くなる4日前の2000年7月30日、点滴の後で群馬の会場へ向かう時の「まだ間に合うかもしれない」です。日付の分かる言葉では、これが一番後です。

その少し前には、雑誌の編集部への電話で「もう本当に感謝。みんなのおかげで今年はいい状態で大会に出られそう!」と話しています。

救急隊員への一言として「ブドウ糖入れないで下さい」もネットに載っています。ただ、親しかった人の話として投稿された言葉で、本人の文にも妹の善美さんの文にも見つかりません。

Q3. マッスル北村の怒りについての名言はありますか?

怒りそのものを語った言葉で出どころが分かるものはありませんが、近いのは恨みを語った「鬼のような執念や恨みなどで進める距離は意外と短い」と「恨みを心中に残したままでの筋肉の偉大な発達など不可能である」です。

「怒ることは、コルチゾールの分泌を促して…」という言葉も一部のサイトにありますが、どの本や番組の言葉かは分かりません。

Q4. マッスル北村が東大に入ったのは本当ですか?

本当です。二浪して東京大学の理科Ⅱ類に入りました。

ただ、講義に出たのは最初の1週間ほどで、すぐにボディビルにのめり込みました。その後、東大を中退して東京医科歯科大学の医学部に進みました。

1989年に医科歯科大も中退しました。ボディビルを中途半端に終わらせたくなかったことに加え、医師になる過程で避けられない動物実験への違和感が理由です。

Q5. マッスル北村の本はありますか?

あります。雑誌『アイアンマン』に1995年5月号から2000年10月号まで連載した半生記『ボクの履歴書』が、亡くなった後に増刊号の1冊にまとめられました。

2012年の『マッスル北村 伝説のバルクアップトレーニング』にも連載の抜粋が入っています。

Q6. マッスル北村の伝説にはどんなものがありますか?

マッスル北村の伝説には、中学2年で16時間半自転車をこいで倒れた話や、高校で一千回を超える拳立て伏せをこなした話があります。

受験では手首に重りを着けて勉強し、増量の時期は1日に卵30個を食べました。妹の善美さんは、高校時代から本人の心に「自分の限界を見てみたい」という声が響いていたと書いています。


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