マッスル北村の名言58選!東大を中退したボディビルダーの伝説と最後の言葉
東大を中退したボディビルダー、マッスル北村の名言58選。中学2年の手記から、亡くなる4日前の最後の言葉まで。マッスル北村が限界に挑んだ伝説の歩みと、妹が伝えるやさしい素顔が、名言の一つひとつから見えてきます。
Writer
公式ライター Activel編集部
マッスル北村(本名・北村克己)は、東大を中退してまで体を鍛え続け、39歳で亡くなった日本のボディビルダーです。限界に挑むマッスル北村の名言の始まりは、中学2年の時、16時間半自転車で走り続けて倒れた後の手記です。一方で、やさしい素顔を伝える言葉も残っています。ドッグフードを食べない捨て犬には、自分で食べて見せながら話しかけました。
マッスル北村のプロフィール
マッスル北村は、1985年にミスターアジアのライトヘビー級で優勝し、1999年にはアメリカの大会のヘビー級で3位に入ったボディビルダーです。当時、日本人がアメリカの重量級で上位に入った前例はありませんでした。タレントとしてもテレビで活躍しました。
基本プロフィール
東京の練馬区に生まれ、彫刻家の父のもとで育ちました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 北村克己 |
| 生年月日 | 1960年10月6日 |
| 亡くなった日 | 2000年8月3日(39歳) |
| 出身地 | 東京都練馬区 |
| 高校 | 東京学芸大学附属高校 |
| 大学 | 東京大学 理科Ⅱ類・東京医科歯科大学 医学部(ともに中退) |
| 競技 | ボディビル |
| 主な成績 | 1985年 ミスターアジア ライトヘビー級 優勝 |
| ほかの優勝 | 1999年 WABBA アジアパシフィック 総合優勝 |
| アメリカの大会 | 1999年 NPC トーナメント・オブ・チャンピオンズ ヘビー級3位 |
| 著書 | 『ボクの履歴書』 |
東大からボディビルへ、伝説の歩み
マッスル北村の伝説は、ボディビルを始める前から始まっています。一千回を超える拳立て伏せも、受験中に手首に着けた重りも、東大に入る前の話です。
- 中学2年の夏休み: 自転車で山越えのコースに挑み、16時間半走り続けて奥多摩で倒れ、病院に運ばれる
- 高校時代: 一千回を超える拳立て伏せや長距離走で体力の限界に挑む。競輪選手を目指すが、選手の走りを見て諦める
- 1981年: 東大に進む。近所の体育館で初めてボディビルダーに出会い、大会への出場を勧められる
- 1981年6月: 初めての学生コンテストで惨敗し、翌日からアルバイトで卵やプロテインの代金を稼ぐ
- 1984年ごろ: 東京大学を中退し、東京医科歯科大学へ進む(1989年に中退)
- 1985年: ミスターアジアのライトヘビー級で優勝
- 1986年: ジャパンチャンピオンシップスのライトヘビー級を制するが、この年に始まったドーピング検査で失格。本人の異議でも結果は変わらず
- その後: タレントとしてテレビや CM に出演
- 1990年: ボディビルの国際団体 WABBA の世界大会で、ミディアムクラス4位
- 1999年: WABBA アジアパシフィックで総合優勝。アメリカの NPC トーナメント・オブ・チャンピオンズのヘビー級で3位
- 2000年8月3日: 8月末の大会に向けて減量する中、低血糖で倒れ、39歳で亡くなる
座右の銘
マッスル北村が座右の銘のように繰り返していたのは、宮本武蔵の『我ことにおいて後悔せず』です。本人が座右の銘と書いた文はありませんが、妹の善美さんは「いつも何かにつけ己に言い聞かせていた」と伝えています。本人の口癖では「肉体は滅んでも魂は永遠に生き続ける」があります。
マッスル北村の名言58選
マッスル北村の名言には、本人が連載や手記に書いた文と、妹の善美さんや仲間が覚えていた言葉があります。限界に挑む熱い言葉だけでなく、捨て犬に話しかけた言葉や、妹を感電させた後の一言も残っています。
限界に挑む努力の名言
マッスル北村の努力の言葉は、ボディビルを始める前から限界を追っています。倒れて病院に運ばれた2日後の手記で、もっと険しい道に挑戦したいと書いた人です。
01「なにもこのコースが僕の限界であったなどとは考えていない。これからもっと、もっと険しい道に挑戦したい気持ちでいっぱいだ。」
— 1974年9月1日付、中学2年の自由研究の手記で
02「しかし失敗は失敗である。軽装で16時間半、僕は10分と休みをとらず、何も食べずに走り続けた。何も自慢するわけではない。が、これからどんな苦しいことがあっても乗り越えてやる。この時に育った強い精神力で頑張り抜きたいと思う。」
— 1974年9月1日付、中学2年の自由研究の手記で
03「肉体、精神の限界を極めたいと心に決めた」
— 中学2年の遠乗りの経験を、後に振り返って
04「鍛えれば鍛えるほど道は開ける」
— 高校時代から自分に言い聞かせていた言葉。妹の善美さんが伝える
05「僕は自分の限界の速さで走っているんだから、途中で倒れるかもしれない」
— 高校時代、マラソンに自転車でついて来てほしいと母に訴えて。妹の善美さんが伝える
06「着けて勉強するに決まっているじゃないか。こうすれば鉛筆を動かす時間もトレーニングになるからね。」
— 浪人時代、手首の重りを作って。妹の善美さんが伝える
07「やはりボディビルの極意は信念と集中にあるようだ。まずはほかでもない自分自身が、自分の可能性を信じること。ダメだと思ったらそこですべておしまいになってしまう。『自分は必ずできる!』という言葉で絶えず否定想念を撃破することだ。」
— 連載『ボクの履歴書』の文で
08「でも実際にやってみると、たった1㎝太くするのがどれほど大変かが分かって、ボディビルにのめり込んでいった」
— ボディビルを始めた頃を振り返って
09「たとえこの命果てても、不完全燃焼という後悔だけは残したくなかった。己の肉体と精神の限界点を見極めたならば、あとは天命にまかせるのみであり、ジャッジが決めることである」
— ミスターアジアに向けた減量を綴った文で
10「これからはトレーニングに本腰を入れ、アメリカのコンテストで自分がどこまで通用するのか挑戦してみたい」
— 1999年、アメリカの大会から戻って
11「1千回と1千1回とでは天と地の隔たりがあった。まさに最後の1回は全身全霊の限界力を振り絞った一発。その前の1千回はこの1回のためのお膳立てに過ぎない。最後の一発はその前の1千回に勝るとも劣らない価値がある。」
12「壁にぶち当たったときこそ真のスタートラインであり、ボディビルダーとしての価値が問われるときなのだ。」
13「走るんだったら倒れるまで走る。腕立て伏せだったら潰れるまでやる。自転車だったら行き倒れするまで走り抜く」
14「黙っていても人生は新しいトラブルが次から次にやってくるものだ。 自分の心に嘘をつけぬ正直な心で全霊のトレーニングを行い 心身ともに鍛えておけばどんな難局もいつかは必ずクリアできる。」
ほかのボディビルダーや筋トレに打ち込んだ人の言葉は、筋トレの名言にあります。
敗北と挫折を語った名言
マッスル北村の名言には、負けた日を振り返る言葉も多く残っています。本人は初めての大会で惨敗した悔しさも、競輪の道を諦めたことも、次の道へ進む理由に変えていきました。
15「あのときの無残な敗北があったから今がある。もし表彰台に上がっていたら、ボディビルに魅力を感じないまま去っていた」
— 1981年の初めての学生コンテストを、後に振り返って
16「この道では僕の力は限界が見えている。もっと違う道で上を目指していかなければ…」
— 高校時代、競輪選手の道を諦めた時。妹の善美さんが伝える
17「絶望や失意の時こそ 過去の自分を反省する絶好のチャンスであり またとない飛躍の時なのだ」
18「敗北や挫折は決して人生の落とし穴ではない。むしろ好機なのだ。心が受けるダメージが大きい敗北ほどよい。」
19「他人を納得させる記録や結果よりも たとえ自己満足と笑われようが自分で自分に心から『よくやった』 と、ひとこと言える闘いこそ、まことの勝利であり 人間としての自信と誇りを得て 人生で最も大切な優しさや思いやりを身にまとう瞬間だと思う」
20「負けや失敗を恐れず自分の心が真に欲する闘いに黙って挑みたい。」
21「審査というものは審査員の主観によるものだから、結果に一喜一憂してはならない。真の審査員は自分に嘘のつけぬ自分自身の心そのものだ」
22「結局はその人間を再起させ、以前にも増して輝かせるものは心以外の何ものでもない。心が動いて初めて真の力が出る。」
心と肉体の調和を語った名言
大きな筋肉で知られるマッスル北村ですが、名言の中で繰り返し語ったのは心のことです。雑誌の記事も、本人がよく口にしていた言葉として「肉体と心の調和」を挙げています。
23「ボディビルダーが真に目指す道は心と体の調和にあります。自分の感情をコントロールして深い集中に入ったときに心と身体に架け橋が通ります。心をコントロールすることによって自分の肉体をいかようにもコントロールすることが出来るのです。皆さんもそれを信じて頑張ってください。ボクも頑張ります!」
— 1999年の自作ビデオ『THE世紀末バルクアップ1999』で。妹の善美さんが書き起こした言葉
24「無限の可能性を信じてやまぬボディビルの歴史を築いてきた偉大な魂の軌跡がアメリカにはあった。その息吹に触れたとき、ボク自身の心の底から、鍛え続けることの喜びとともに、無限のエネルギーが湧出してくるのを感じた。このエネルギーを〝希望〟と呼ばずにはいられないボクの心をどうか察していただきたい」
— 1999年の渡米を「希望の地、アメリカ」と題して綴った文で
25「今でもその一節をときおり口ずさむ。『重要なのは食べることではなく飛ぶことだ。いかに速く飛ぶかということだ』。当時のボクの心の中を自由の風が吹き荒れた。ただし、それは社会や体制からの自由を意味しない。自己の心に潜む限界意識からの自由だった。あらゆる自己の限界に挑みたいという強い希求であった。自分の中に潜む無限の可能性を信じていた」
— 愛読した『かもめのジョナサン』の一節を引いて綴った文で
26「ボディビルの神髄は心と肉体の調和にこそある。内面から迸るオーラの輝きを持たない肉体は、何の感動も魅力も伴わない。」
27「心で念ずることは肉体に多かれ少なかれ現ずるのである。信じることの出来る人は幸いである。」
28「一糸まとわぬ此の裸の肉体に、己の魂と全霊のエネルギーをそそぎ込み、天の祝福を彫刻していく喜びは芸術家の喜びであり、修行僧のそれでもある。」
29「ボクはボディビルを通じて万人を勇気づける心の医者になりたいと願っていた。」
30「ボディビルが世間からどのような評価を受けようが、ボクはこれを通じて神を信じ讃え、愛を語り、生命の美しさ、人生の尊さを具現していくのだ。」
運命と時間、生き方を語った名言
マッスル北村は高校生の頃から、夜中の2時3時まで妹の部屋で、人は何のために生まれたのかを話していました。妹の善美さんが覚えていた生き方の名言は、その夜の話につながっています。
31「善美、『運命』は自分で切り開くものだよ。出来ないと思って諦めたら絶対にそこ止まり。出来ると信じて頑張れば必ず道は開けるよ。」
— 夜遅くまで話していた頃の言葉。妹の善美さんが伝える
32「僕には時間が無いんだ」
— 高校時代に人生計画を立てた頃から。妹の善美さんが伝える
33「僕はみんなの夢を背負っているんだ。だから中途半端に諦めるわけにはいかないんだ…」
— 妹の善美さんに語った言葉
34「肉体は滅んでも魂は永遠に生き続ける」
— 本人の口癖。妹の善美さんが伝える
35「物事には偶然なんかない。偶然に思えることでもそのことには意味があり、それが自分にとって良いことでも悪いことでも自分の魂を鍛えるための神様の試練であり教えなんだ。だからこそしっかり受け止め乗り越えていくことが大事なんだ。そうでないと天に帰った時、魂の成長のない自分に後悔してしまう」
— 時々言っていた言葉。妹の善美さんが伝える
36「今の僕は何の取り柄もないもん。このままじゃ、ダメだよ。せっかく人間として生まれたのだから、お互い切磋琢磨できる間柄でないと続かないよ。相手にだけあれこれ理想を求めたって、自分自身がその人間にふさわしくないと、いつか飽きられてしまうし、心が離れてしまうからね。もっと心身ともに磨かないと。」
— 高校時代、好きな子に声をかければと妹に言われて
37「ボディビルだけでも道は長い。でも、一生涯ただのボディビルダーだけで終わってしまわないように、ひとつ先の夢、目的を持っていきたい」
— 雑誌の記事が伝える、生前の言葉
38「自分のためだと思うと力は出ないが、自分を信じてくれている人たちのためなら頑張れるような気がした。」
食べ続けた日々の名言
増量の時期、マッスル北村は卵30個に牛乳、サバ缶と、大鍋のおじやを毎日のように食べていました。「食べることもまたトレーニング」は、その頃の言葉です。この食事も後の減量も極端で、まねをするものではありません。
39「『食べることもまたトレーニング』と自分に言い聞かせながら、ジムを出た後も気を抜くことはなかった。」
— 連載『ボクの履歴書』の文で
40「胃腸というのも鍛えれば強く大きくなるものだ。」
— 連載『ボクの履歴書』の文で
41「デートに使うお金すら生卵に代えて飲んでしまいたいボクだったから・・・。」
— 連載『ボクの履歴書』の、デートで別れを告げられた話で
42「大丈夫だよ。体の細胞にね、これからどんどん大きくなることを教えてるんだよ。」
— 東大時代、太っていく体を心配する妹に
動物と人へのやさしさを語った名言
マッスル北村の名言で意外なのは、生き物の話になると言葉がやさしくなることです。胃から血を吐いても止まらなかった酒が止まったのは、愛犬クロの最後の夜でした。医学の道を離れた理由の一つにも、動物実験への違和感がありました。
43「おまえ、お腹すいているんだろ。片意地張らずに食べてみろよ。おいしいぞ。」
— 荒川の土手で、捨てられた犬に。妹の善美さんが伝える
44「誰が止めても、胃から血を吐いてもやめられなかった酒。あの日以来、ボクの飲酒癖は嘘のように止まった。クロの目が閉じて、代わりにボクの心の目が開いた」
— 愛犬クロの最後の夜を綴った文で
45「動物はどんなことがあっても自分の受けた恩は決して忘れないんだよ。」
— 妹と夜遅くまで話していた頃の言葉。善美さんが伝える
46「いつも周りの動物たちに助けられた」
— 飼っていた動物の話の中で
47「鬼のような執念や恨みなどで進める距離は意外と短い、考えるだけで疲れる…。しかし愛のエネルギーは無限なんだよ。」
48「恨みを心中に残したままでの筋肉の偉大な発達など不可能である。」
49「愛という動機を持たない物質が災いであるのと同様に、愛のない筋肉もまた災いかもしれない。」
思わず笑ってしまう名言
限界の話ばかりの人かと思うと、マッスル北村は笑える名言も残しています。妹や仲間の前では、おしゃべりが好きで少しいたずらな人でした。
50「いやあ、テスターで調べていたら、どうしてもスイッチに電気が漏電しているようで、ボク怖くて触れなかったんだ。」
— 夏休み、テレビの修理で妹にスイッチを入れさせた後に。妹の善美さんが伝える
51「今日ね学校行ったら声かけられてさ、何かと思ったら相撲部なんだよ。『君いい体してるねぇ。どお、うちの部に入らないか?』って入部誘われちゃったよ。ハハハハハ…」
— 東大時代、太っていく体を笑って。妹の善美さんが伝える
52「重要度の割合から言うとトレーニングが1で食事が9だと教えてくれたんだけど、なんて怠慢なスポーツなんだと思った」
— ボディビルを初めて知った時の印象を語って
53「帰りたくなりました…」
— 自作ビデオ『THE世紀末バルクアップ1999』で、脚を鍛えるレッグプレスのマシンの前で
54「やめろ~! 僕はケンカのプロなんだぞ~」
— 学生時代、公園に逃げてきた女の子に頼まれ、不良たちの所へ行って。友人の渡辺実さんが伝える
55「僕は今から旅に出るので声をかけないでください」
— 受験勉強の頃、部屋の前に貼った張り紙。妹の善美さんが伝える
最後の言葉
マッスル北村の最後の言葉として、2000年の夏の3つが残っています。亡くなる1週間前の電話では大会への手応えを明るく話し、4日前には点滴の後で群馬の会場へ向かいました。
56「飴なんかでカロリーを取るぐらいなら、自然の食べ物でカロリーを摂りたいんだよ。」
— 2000年7月下旬、倒れないために飴を持つよう勧めた妹に
57「もう本当に感謝。みんなのおかげで今年はいい状態で大会に出られそう!」
— 亡くなる1週間前、雑誌の編集部への電話で
58「まだ間に合うかもしれない」
— 2000年7月30日、最後の舞台となった群馬の会場へ向かう時
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