千代の富士の名言50選!「体力の限界」など引退の言葉と稽古の言葉を解説
大相撲の第58代横綱、千代の富士の名言です。肩の脱臼で引退を考えた23歳の本音から、横綱になっても語った「不安を消すには稽古しかない」、涙をこらえた「体力の限界」まで。千代の富士の名言は、不安な時にもう一度踏ん張る力をくれます。
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公式ライター Activel編集部
千代の富士は、小さな体で優勝31回を重ねた大相撲の第58代横綱です。千代の富士の名言には、肩の脱臼で引退を考えた23歳の本音や、「不安を消すには稽古しかない」という言葉、引退会見で涙をこらえた「体力の限界」があります。横綱でさえ不安だったと知ると、千代の富士の名言は自分の不安に向き合う力をくれます。
千代の富士のプロフィール
千代の富士は、1955年に北海道の海の町で生まれた力士です。120キロ台の体で自分より大きな相手を次々に倒し、引退の後は九重親方として弟子を育てました。
基本プロフィール
本名は秋元貢です。千代の富士という名は、先代の師匠である千代の山と、のちの師匠である北の富士から取って付けられました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 千代の富士 貢 |
| 本名 | 秋元 貢 |
| 生年月日 | 1955年6月1日 |
| 没年月日 | 2016年7月31日(61歳) |
| 出身 | 北海道松前郡福島町 |
| 身長・体重 | 183cm・126kg |
| 最高位 | 第58代横綱 |
| 幕内優勝 | 31回 |
| 通算成績 | 1045勝437敗159休 |
| 受賞 | 国民栄誉賞(1989年) |
生い立ち・幼少期
千代の富士は、カレーの具がアワビという海の町で育った少年です。夏休みは夜が明けると外へ飛び出し、暗くなるまで遊ぶうちに足腰が鍛えられていきました。同じ北海道出身の大鵬には憧れていても、自分が相撲を取るとは思っていませんでした。
中学3年の夏、地元に来た大相撲の巡業で、同じ町出身の元横綱千代の山が、同じ年の子より大きな体に目を留め、家まで誘いに来ます。一度は断ったものの、東京へ行けて飛行機に乗れるという話に心が動きました。函館空港へ向かう車で一緒になった力士に「俺のことを知っているか」と聞かれ、知らないと答えた相手が、横綱になったばかりの北の富士で、のちの師匠でした。
入門から引退、親方までのキャリアの歩み
力士の番付は、下から序ノ口、序二段、三段目、幕下と続き、その上の十両と幕内の力士が関取と呼ばれます。1970年秋場所に15歳で初土俵を踏んだ千代の富士は、1974年九州場所で十両に、翌年秋場所で幕内に上がりました。ところが左肩の脱臼が癖になり、幕内から幕下まで落ちました。1979年春場所には右肩まで脱臼します。そこで腕立て伏せで肩に筋肉をつけ、投げに頼る相撲を、相手のまわしの前の部分を取って一気に出る相撲へ変えていきました。
ウルフというあだ名は、目つきの鋭さをオオカミにたとえた北の富士が付けたものです。1981年初場所に関脇で初優勝して大関へ上がり、同じ年の名古屋場所でも優勝して横綱になりました。1988年には53連勝を記録し、翌1989年に相撲界で初めての国民栄誉賞を受けています。
1990年3月に史上初の通算1000勝を達成しました。翌1991年の夏場所は、初日に18歳の貴花田に敗れ、3日目に貴闘力にも敗れた夜に引退を表明しました。翌年に九重部屋を継いでからは、大関千代大海らを育てています。2015年には還暦の土俵入りを披露し、その翌年、61歳で亡くなりました。
座右の銘
千代の富士の座右の銘に近いのは、連勝が止まった大乃国戦を振り返って口にした「負けて覚える相撲かな」です。1991年の著書にも『負けてたまるか』という題を付けています。座右の銘をはっきり挙げた発言は見つかりませんでした。
千代の富士の名言50選
千代の富士の名言で目を引くのは、強さを誇る言葉より、不安や悔しさをそのまま口にした言葉です。その言葉は、インタビューで明かした負けた夜の話まで知ると重みが変わります。「心が弱いから番付けが落ちる」と自分を叱った若手の頃も、「弱いから稽古する」と番付の下の相手の部屋へ通った横綱の頃も、本人があとから振り返っています。
入門の頃と、肩の脱臼に苦しんだ若手時代の名言
脱臼は、入門して数年の三段目の頃に左肩から始まりました。主なものだけで左肩9回、右肩2回に及びました。23歳の時には本気で引退を考えています。その時に自分に課したのが、毎日の腕立て伏せのノルマでした。
01「1つは『東京に連れて行ってやる』ということ。もう1つは『飛行機に乗せてやる』ということでした」
— 2015年公開のインタビューで、入門を決めた理由を聞かれて
02「入門してすぐに親のありがたみを知りましたね」
— 2015年公開のインタビューで、新弟子の生活を振り返って
03「とにかくあのころは朝から晩まで無我夢中。自分の体の小さなことなど、考えている暇はなかった。稽古でも、一日に最低3回はやったなあ」
— 引退して親方になった直後の回想で、入門の頃について
04「どんなことがあっても辞められない、と思いましたよ。ケガは再三しましたが、その都度、『もうダメかな』とも思いましたが、心が弱いから番付けが落ちるのだ、と思っていました」
— 2015年公開のインタビューで、辞めたいと思ったことはないかと聞かれて
05「最初にはずれたときに自分で入れられたので病院に行かなかったのですよ。それがいけなかった」
— 2015年公開のインタビューで、初めて肩を脱臼した三段目の頃について
06「まあ、小さな身体で大きな相撲を取っていたからね」
— 2015年公開のインタビューで、若い頃のケガを振り返って
07「手術すると、完治するまで2年掛かるというんだ。そうすると、番付は幕内から序ノ口まで落っこちちゃうもんネ。…じゃあ、辞めるしかない。あのときは、ホントに引退することを考えたよ。まだ23歳だったけど」
— 引退の後の回想で、1979年春場所の右肩の脱臼について
08「一番手っ取り早くて効果的なトレーニングは、腕立て伏せ。一日、最低でも500回、というノルマを決め、これを達成しないうちは寝ないことにしたんだ」
— 引退の後の回想で、右肩の脱臼の後のトレーニングについて
09「もう『やった!』という感じでした。同時に『これからが本番だ』と心をいれかえましたよ」
— 2015年公開のインタビューで、関取になった時を振り返って
稽古と不安についての名言
千代の富士の稽古の話に欠かせないのが、苦手な琴風に勝つために始めた、ほかの部屋へ出向いて稽古する出稽古です。ある朝、稽古場に師匠の姿がなく、聞けば琴風のいる部屋にいるとのことでした。自分にも来いということだと察して通い始め、のちに対戦成績は22勝6敗まで差が開きました。ここからは、横綱になっても負ければ不安で、弱いから稽古すると言い切った人の言葉です。
10「負ければ、不安なんだよ。もう勝てないんじゃないかと思うぐらい追いつめられるんだよ。あの時もそうだった。これから先、オレはどうなるんだろうって考えたよ」
— 2014年11月、九州場所の朝稽古の取材で、小錦に敗れた1984年を振り返って
11「だから、やるんだよ。何をって。稽古に決まってるだろ。やるしかないんだよ。不安を消すには稽古しかない。稽古して自分を追い込んで納得するまでやる。そうすると、ここまでやったんだから負けるはずがないって、自分の中で思えるようになる。そこまで追い込まないと土俵には上がれない」
— 2014年11月、九州場所の朝稽古の取材で
12「自分が弱いんだから当たり前でしょ。横綱だろうが何だろうが勝てない相手がいれば、稽古して研究するのは当然。弱いから稽古する。どこがおかしいの」
— 親方の頃の取材で、横綱なのに出稽古へ行ったことを聞かれて
13「強くなりたければ、自分より強い人と稽古するのが一番。そこへ行って最初は通用しないかもしれないけど、自分の課題もわかってくる。稽古を続けて少しでも通じるようになれば、それが自信になるんだ」
— 2014年の取材で、当時の力士の稽古について
14「最初はやっぱり行きづらかったよ。でも、師匠の考えてることは分かっていたし、それから何年も通ったなあ。もちろん、初めのころは完敗さ。でも、そのうちに何とか対応できるようになり、やがて形勢が逆転。最後のころは、琴風が何をやろうとしているか、顔を見ると、一発で分かるようになったよ」
— 引退の後の回想で、苦手な琴風への出稽古について
15「楽をして強くなろうなんて思ったら大間違いですよ」
— NHKアーカイブスの人物のページに残る言葉
16「今日いい稽古をしたからって明日強くなるわけじゃない。でも、その稽古は2年先、3年先に必ず報われる。自分を信じてやるしかない。大切なのは信念だよ」
17「流した汗はウソをつかない」
18「いま強くなる稽古と、3年先に強くなるための稽古を両方しなくてはいけません」
19「一日やそこらで苦手を克服できるものではない」
20「自信は自分でつけていきたい」
初優勝から横綱、53連勝までの名言
1981年の千代の富士は、関脇での初優勝から半年で横綱に駆け上がりました。ところが、昇進の喜びもつかの間、師匠に引退の話をされ、横綱として最初の場所でケガをしています。北の湖という壁の話から、連勝が止まって相手の手を払った日の悔しさまで、横綱の頃の言葉には勝つことの苦しさが出ています。
21「思うがままに取っていたね。次の日の新聞に何が書かれるか、見るのが楽しみでした」
— 2015年公開のインタビューで、1981年初場所の初優勝を振り返って
22「横綱の名を汚さぬよう、一生懸命頑張ります」
— 1981年7月21日、横綱昇進を伝えられた時の口上
23「師匠からは、横綱昇進が決まった名古屋のお寺の宿舎で『成績が悪かったら辞めるしかないぞ』と、すぐに引退のことを言われました」
— 2015年公開のインタビューで、1981年の横綱昇進を振り返って
24「もう、『引退』という文字が頭に浮かびましたよ」
— 2015年公開のインタビューで、新横綱の場所のケガを振り返って
25「いい方向で考えられるようになり、何にも負けなくなりました。『なにくそ』という感じになりましたね」
— 2015年公開のインタビューで、足首のケガの後の心の変化について
26「自分のことを気持ち的に追い込むとロクなことがない。それは昔からそうでした」
— 2015年公開のインタビューで、決定戦に強かった理由を聞かれて
27「あの人は邪魔な人でしたね(笑)とにかく、北の湖関がいなければ、どんなに楽だろうかと思っていました。でも大きな壁があったからこそ、自分の相撲も伸びたのだと思いますよ」
— 2015年公開のインタビューで、自分が横綱に上がる前の、壁だった北の湖について
28「さすがに大きな人だなと思いましたよ」
— 2015年公開のインタビューで、大鵬の45連勝を抜いた夜、福岡の店で当の大鵬親方に会った話
29「負けたあとで大乃国が手を貸してくれたのだけども『自分で起きられるわ』と手を払ってしまった。腹立たしいというか、悔しくてね。苦い思い出ですよ」
— 2015年公開のインタビューで、連勝が止まった1988年の大乃国戦について
30「負けた相撲はよく覚えています。『負けて覚える相撲かな』ですよ」
— 2015年公開のインタビューで、大乃国戦の話の最後に
31「壺より賞の方が重かった」
— 1989年9月29日、国民栄誉賞の表彰式で、両手で抱えるほど重い記念品の壺を贈られて
32「プロはいかなる時でも、言い訳をしない」
33「横綱として休むことはファンを裏切ることになるかもしれない。しかし、本当の裏切りは出場しても横綱らしさを見せられないことだ」
34「横綱の晩年は常に断崖絶壁に背を向けて立たされている状況で、いま何をしなければいけないかを考えていた」
引退の言葉「体力の限界」と引退を語った名言
1991年夏場所の初日、35歳の横綱は18歳の貴花田に敗れました。3日目に貴闘力にも敗れたその夜、引退会見で出たのが「体力の限界」です。千代の富士の引退の言葉には、横綱として土俵に立ち続けた10年の重みがあります。
35「体力の限界、気力もなくなり引退することになりました」
— 1991年5月14日、九重部屋での引退会見で
36「しかしあるとき『もう、これは、無理だな』と思った。ボロボロになるまで相撲を取るのも美学ですが、自分の考えで踏ん切りをつけることはできました」
— 2015年公開のインタビューで、引退の決断を振り返って
37「早く上がってこないと俺が引退してしまうぞ」
— 若手のホープだった貴花田との対戦を周りが望む中、インタビューで
38「ゆうべはゆっくりしたいと思ったが、周りがごちゃごちゃしていて、あまりよく眠れなかった」
— 1991年5月15日、引退の翌日、2度目の会見を開く両国国技館に現れて
39「まぶしいほどの若さだった」
— 著書『負けてたまるか』で、引退の翌日にすれ違った貴闘力について
親方になってからの名言
九重親方になった千代の富士は、弟子の個性を伸ばす一方で、後の世代の横綱にも遠慮のない言葉を向けました。自分の記録を抜いた白鵬には「おめでとう」と握手し、優勝した朝青龍には厳しい言葉を書いています。
40「やはり型に当てはめることではなく、個性を見出して、それを伸ばすことだと。人から『よいお弟子さんを育てられましたね』というのは嘘だと思います。それは、弟子がそう育ったのですよ」
— 2015年公開のインタビューで、弟子の育て方について
41「完全燃焼したと思う。大関に上がって優勝もしてくれた。よく頑張った」
— 2010年1月13日、弟子の千代大海の引退会見に同席して
42「53連勝が、あらためてすごいことだと思った。悔しさ? 全然ないよ」
— 2010年9月18日、白鵬に連勝記録を抜かれ、「すいません」と頭を下げられた日に
43「白鵬がいるから上がれないと、努力をしていない。もう白鵬と半年くらい寝食を共にするくらいの努力をしないと」
— 2015年公開のインタビューで、日本人の横綱が出ないことについて
44「今回はフロック(まぐれ)。15日間うまくいきすぎた。万に一回あるかないかの優勝だと肝に銘じなければいけない」
— 2009年9月、朝青龍の優勝について新聞の連載コラムで
45「ああいう人がいたから、私も頑張ることができた。大きな目標であり、壁だった」
— 2015年11月、北の湖理事長の死去を受けて
46「横綱を経験している人だけ、しかも健康だから出来る。元気にやってきて良かった。感無量です」
— 2015年5月31日、還暦の土俵入りを終えて
九重親方がコラムで取り上げた朝青龍が、自分で語ってきた言葉は、朝青龍の名言で読めます。
弟子や周りの力士が伝える千代の富士の言葉
千代の富士に声をかけられた弟子や力士は、その言葉をあとから明かしています。千代大海は、師匠にほめられたことは本当に数少ないと話していて、初めてほめられた時の言葉もよく覚えていました。
47「でも、これは何か意味があることだから、ここからだぞ、おまえの心に火が付いただろ」
— 弟子の千代大海が伝える、2002年初場所の優勝決定戦で敗れた時の言葉
48「相撲協会でおまえほど稽古している奴はいないって。俺が見た中で、おまえが一番稽古していると」
— 弟子の千代大海が伝える、十両に上がった頃に初めてほめられた言葉
49「酒をやめて相撲だけを考えろ」
— 弟子の千代の国が2023年の引退会見で伝える、初めて幕内から落ちた時の言葉
50「(記録達成を)待ちくたびれたぞ」
— 元大関の魁皇が伝える、通算勝ち星の記録に並んだ時の言葉
よくある質問(Q&A)
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