澤穂希の名言50選!「苦しい時は私の背中を見て」とワールドカップの言葉
澤穂希の名言「苦しい時は、私の背中を見て」は、2008年の北京オリンピックで生まれた言葉。2011年ワールドカップ優勝やバロンドール、本の題名「夢は見るものではなく叶えるもの」まで、澤穂希の名言50選を言った時期とともに読めます。
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公式ライター Activel編集部
澤穂希の名言で一番知られる「苦しい時は、私の背中を見て」は、2011年のワールドカップ優勝の言葉だと思われがちですが、澤がこの言葉をチームに伝えたのは3年前の北京オリンピック、3位決定戦の前でした。代表デビューから殿堂入りまで、澤穂希の名言50選を、いつどこで語った言葉かとあわせて載せています。
澤穂希のプロフィール
澤穂希は、15歳で日本代表に入ってから、ワールドカップに6大会続けて出場した選手です。2011年のドイツ大会ではキャプテンとしてなでしこジャパンを初優勝に導き、大会の最優秀選手と得点王の2つを手にしました。ただ、澤穂希の名言で一番知られる言葉が生まれた2008年の北京オリンピックの3位決定戦は、0-2で敗れてメダルを逃した試合でした。
基本プロフィール
ポジションはミッドフィルダーで、2008年に佐々木則夫監督が就任してからは、守備でもチームを支えるボランチを任されました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 澤穂希(さわ ほまれ) |
| 生年月日 | 1978年9月6日 |
| 年齢 | 48歳(2026年10月時点) |
| 出身 | 東京都 |
| 身長 | 164cm |
| ポジション | ミッドフィルダー(ボランチ) |
| 主な所属 | 読売ベレーザ・ワシントン・フリーダム(アメリカ)・INAC神戸レオネッサ |
| 日本代表 | 205試合83得点 |
代表の205試合と83得点は、どちらも日本女子代表の歴代1位で、ワールドカップ6大会連続出場は世界記録です。2015年8月に結婚し、その年の12月に現役を退きました。
男の子の少年団からベレーザ、アメリカへ(生い立ち)
兄の練習を見に行き、蹴ったボールがゴールに入ったうれしさから、澤は小学2年生で地元の少年団の府ロクサッカークラブに入りました。男の子ばかりのチームで最初は入団を断られ、母親があきらめずに頼んでくれたおかげで入れたことを、本人は日本サッカー協会とディズニーが子ども向けに始めた取り組みの発表会で明かしています。2学年下には、のちに川崎フロンターレで活躍する中村憲剛さんもいました。中学生で日本代表の選手もいた読売ベレーザに加わった後、大学をやめて一人でアメリカに渡り、チームとの契約も英語で自分で結んでいます。
| 時期 | 生い立ちの主な出来事 |
|---|---|
| 小学1年生 | 兄の練習で蹴ったボールがゴールに |
| 小学2年生 | 府ロクサッカークラブに入る |
| 中学生 | 読売ベレーザに加わる |
| 20歳 | 大学をやめてアメリカへ |
少ない貯金しか持たずに海を渡り、日本人にもほとんど会わない土地で過ごしたあの頃があったからこそ今がある、と本人は本の中で振り返っています。
15歳の代表デビューから2015年の引退までの歩み

澤穂希の経歴をワールドカップでたどると、16歳で出た1995年の大会でアメリカに歯が立たなかったところから始まり、世界一にたどり着くまでに16年かかっています。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1993年 | 15歳でアジア女子選手権に出て代表デビュー |
| 1996年 | アトランタで初めてのオリンピック |
| 2004年 | 膝のけがを押してアテネの出場権、ベスト8 |
| 2008年 | 北京オリンピックで4位 |
| 2011年 | ワールドカップ優勝、最優秀選手と得点王 |
| 2012年1月 | バロンドール2011で女子最優秀選手に |
| 2012年 | ロンドンオリンピックで銀メダル |
| 2015年 | ワールドカップ準優勝、12月に引退 |
| 2026年 | 日本サッカー殿堂入り |
2011年の優勝の後には、なでしこジャパンが団体として初めての国民栄誉賞も受けています。東日本大震災で日本中が悲しみに包まれた年に、最後まであきらめずに世界一になった姿が、日本全体を勇気づけたからでした。
座右の銘
澤穂希の座右の銘として知られるのは、「夢は見るものではなく叶えるもの」です。2008年の自伝『ほまれ』で座右の銘として掲げ、2017年には同じ言葉を題名にした本も出しています。2024年には、「人と比べないこと」をずっとモットーにしてきたとも明かしています。
澤穂希の名言50選
16歳で初めて出た世界大会でアメリカに歯が立たなかった澤穂希は、その20年後、現役最後の試合を自分のゴールで締めくくりました。そのあいだにワールドカップとオリンピックに合わせて10回出場し、大会のたびに言葉を残してきました。
15歳の代表デビューからアテネオリンピックまでの名言
澤穂希の10代は、世界との差を思い知らされる日々でした。その差を埋めようとアメリカにも渡った澤が、膝のけがを押して出た2004年のアテネオリンピック予選の北朝鮮戦には、当時の女子の試合では考えられなかった3万人を超える観客が国立競技場に集まっています。
01「兄がサッカーを始めた影響で私も練習を見に行って、そのとき蹴ったボールがゴールに入ったことがすごくうれしくて。」
— 2026年9月、日本サッカー協会のインタビューで、サッカーを始めたきっかけを聞かれて
02「当時12歳の私にも容赦なく本気でプレーしていただいたことがうれしかった」
— 2026年9月、同じインタビューで、12歳でベレーザに入った頃、同じ読売クラブの男子の練習の後に一緒にボールを回したラモス瑠偉さんについて
03「本当にうれしかったですね。中学2年生のときに代表候補合宿に参加したのですが、第1回のFIFA女子ワールドカップ(1991年/当時、FIFA女子世界選手権)に出ている先輩もいましたし、まさか自分が選ばれるとは思ってもいませんでした。」
— 2026年9月、同じインタビューで、15歳で初めて代表に選ばれた1993年を振り返って
04「とにかく相手陣地に入れない。同じ人間同士なのにこんなことってあるの?って訳わからないくらいアメリカは強かった」
— 16歳で出た1995年の女子世界選手権(今の女子ワールドカップ)で、アメリカに敗れた試合を振り返って
05「ただ怖いもの知らずだった」
— 17歳で出た1996年のアトランタオリンピックを振り返って
06「自分の弱さとか、日本の弱さに気付いて、これは自分磨きで海外に行った方がいいなと、10代の終わりぐらいに決めて、20歳で行きました。」
— 2022年のインタビューで、アメリカに渡った理由を聞かれて
07「私はサッカーが大好きだったから大学もやめて、アメリカに一人で行きました。」
— 2017年の本『夢はみるものではなく、かなえるもの』で
08「英語も話せない状態で行きました。それでもサッカーがただうまくなりたかった。世界で通用する選手になりたかったんです!」
— 2015年8月、映画のトークイベントで、アメリカに渡った頃を振り返って
09「他には何も望みません。だから、今日だけは勝たせてください」
— 2004年4月24日、アテネオリンピック予選の北朝鮮戦の朝、立ち寄った神社で
10「もう自分の足がどうなろうとこの試合は絶対に勝たなくちゃいけない、アテネオリンピック出場権を取らなきゃいけない、という強い思いがありました。」
— 2024年2月の日本サッカー協会のインタビューで、2004年の北朝鮮戦を振り返って
11「『大丈夫だよ』というひと言は、私にとってすごく励みになりました。」
— 2015年12月の引退会見で、2004年のけがから戻るまでを支えてくれた仲間とスタッフについて
北京オリンピックの「苦しい時は私の背中を見て」
「苦しい時は私の背中を見て」は、用意していた言葉ではなく、日本が初めてオリンピックのベスト4に勝ち進んだ2008年の北京大会で、自然と口から出た言葉でした。後輩だけでなく先輩たちにも向けた言葉で、メダルまであと1勝の場面で、澤は話すよりも走り続ける姿でチームを引っ張ろうとしています。
12「苦しい時は、私の背中を見て」
— 2008年8月、北京オリンピックの3位決定戦のドイツ戦の前に、チームメイトへ
13「えっ、なんで私たちが、ここにいるんだろう」
— 2017年の本で、北京オリンピックでベスト4に残った時の気持ちを振り返って
14「苦しい時間帯、みんなが苦しい時は、私だって苦しい。苦しいけれど、自分がそこでさらに頑張って、みんなより前を走り続ける。これがリーダーとしての、私がするべき一番大事な仕事だと思っていました」
— 2017年の本で、背中を見ての言葉にこめた思いについて
15「言葉だけ言っている先輩などを見ていても、口だけの人は絶対に信用されません。」
— 2017年の本で、プレーと態度で引っ張るキャプテンの役目について
16「佐々木(則夫)監督になって、自分の守備力を見出してくれた。そこから自分自身も守備に対する気持ちも考えも変わったと思っています」
— 2015年12月、引退を発表してから、2008年にボランチを任された時を振り返って
17「逆に不可能と言われているほど、目標が高いほうがやりがいがあるというか、そんな気持ちでしたね。」
— 2017年の本で、北京の後に、次のワールドカップの優勝を目標にした頃について
2011年ワールドカップ優勝・バロンドールから2015年までの名言
2011年のドイツ大会の決勝で、澤穂希はアメリカを相手に延長の終了間際の同点ゴールを決め、ワールドカップの頂点にたどり着きました。その後キャプテンマークを受け継いだのが宮間あや選手で、2015年のカナダ大会では、ベンチにいることが増えた澤がピッチの外で宮間選手と若手を支える側に回っています。
18「プレッシャーはないですし、ただチャンスをつかみたいと思います」
— 2011年7月16日、ワールドカップ決勝のアメリカ戦の前日に
19「自分も苦しい時間帯はありましたが、みんなを見ていたら『もっと頑張れるぞ!』という思いが沸き上がってきて。」
— 2026年9月の日本サッカー協会のインタビューで、2011年の決勝を振り返って
20「あのゴールはたまたま自分がゴールを決めたという形になりましたけど、本当にみんなの思いが乗ったゴールになったんじゃないかなと思います」
— 2026年9月、日本サッカー殿堂の式典で、2011年の決勝の同点ゴールについて
21「もう、宮間しか見えなかった」
— 2024年10月、ポッドキャスト番組で、2011年の決勝の同点ゴールの場面を振り返って
22「選手もスタッフも、誰一人欠けても優勝はなかったと思います。」
— 2026年9月の日本サッカー協会のインタビューで、キャプテンとして臨んだ2011年の大会について
23「ホントひとつひとつ積み上げてきたよね……」
— 2011年、ワールドカップを終えてしばらくした頃に
24「少しずつ日本が元気を取り戻しつつあるなか、私たちがみなさんに希望と活力を与えられたのであれば、大変嬉しいことです。」
— 2011年8月2日、なでしこジャパンへの国民栄誉賞が決まった時のキャプテンのコメントで
25「この賞を糧にまた日々精進したい」
— 2012年1月、FIFA バロンドール2011の授賞式のスピーチの最後に
26「オリンピックがいつでも世界との距離を教えてくれました」
— 2012年、4回目のロンドンオリンピックの年に、アトランタ・アテネ・北京の3大会を振り返って
27「長年女子サッカーに携わってきた私にとって銀メダルはとても嬉しく、とても重みがあります」
— 2012年8月、ロンドンオリンピックで銀メダルを取った後に
28「宮間選手のパスのおかげです。本当に感謝しています」
— 2014年5月、アジアカップの準決勝の中国戦で先制のゴールを決めた後に
29「アヤのために私ができることは全部やる」
— 2015年のカナダのワールドカップの大会中、キャプテンの宮間あや選手について
30「準優勝で悔しいという気持ちはないわけではないですが、悔いなくやり切ったという感じはあります。」
— 2015年7月、最後と決めて臨んだワールドカップの決勝のアメリカ戦の後に
引退会見と引退後の名言
2015年12月17日の引退会見で、澤穂希は引退の理由を話しながら言葉を詰まらせました。10日後、女子の日本一を決める皇后杯の決勝が現役最後の試合となり、決勝点を決めた澤を、当時の監督は「苦しい時の澤」とたたえています。
31「引退の一番の理由は心と身体が一致して、トップレベルで戦うことが段々難しくなってきたと感じたからです」
— 2015年12月17日の引退会見で
32「人生最大の決断となりましたが、悔いのない、やりきった、本当に最高のサッカー人生でした」
— 同じ引退会見で、言葉を詰まらせた後に
33「人生の半分以上は、なでしこジャパンでプレーしたので本当に家族のような存在です。」
— 同じ引退会見で、日本代表とはどんな存在かを聞かれて
34「最後は自分が決めて終わりたかった」
— 2015年12月27日、現役最後の試合の皇后杯決勝で決勝点を決めた後に
35「楽しむことです。そして練習を120%やること」
— 2016年5月、日本サッカーミュージアムのトークイベントで、サッカーをしている女の子から大事なことを聞かれて
36「記録はいつか抜かれるものです。その日が来ることを楽しみにしています」
— 2021年9月、日本サッカー協会の100周年のインタビューで、自分が残した記録と賞について
37「サッカーをやりたいって気持ちは今、1%もないです(笑)。それくらい、本当に最高のサッカー人生で、やりきったなと心から思っているので」
— 2022年、引退から6年たったころのインタビューで
38「少しでも不安になったり次のステップに向けて悩んだりしたら、『澤穂希はできる!』って言って試合に臨んだり、行動に移すんです。そうすると、本当にできるんですよ」
— 2022年の同じインタビューで、行き詰まった時の乗り越え方を聞かれて
39「私は『人と比べないこと』をモットーにしてずっとやってきました」
— 2024年11月、週刊誌の特別企画の手記で
40「人生は一回だけ。他人と比べて落ち込んだり、新たなチャレンジを躊躇したりしている時間はもったいない」
— 2024年11月、同じ手記で
41「一緒にボールを蹴れるのは、私が小学6年生、憲剛が小学4年生のとき以来だったので、短い時間でしたけど、一緒にプレーできてうれしかったです」
— 2024年12月14日、中村憲剛さんの引退試合に出た後に
42「たとえ結果が出なくても、それは失敗ではなく経験です」
— 2025年12月、引退から10年がたった時の手記で
43「うまくいかなかったときにみんなが同じ方向を向いて乗り越えられるチームは、やっぱり強いです。」
— 2026年9月、日本サッカー殿堂入りの時のインタビューで、サッカーの魅力を聞かれて
本『夢はみるものではなく、かなえるもの』などの言葉
「夢は見るものではなく叶えるもの」を信じて走るなかで、澤穂希は自分を励ます言葉をいくつも胸に刻んできました。2016年10月にはそれを日めくりの語録にまとめ、2017年1月には、子どもの頃から引退までを語ったロングインタビューの本を、ひらがなの『夢はみるものではなく、かなえるもの』という題名で出しています。天才なのかと聞かれた時の答えも、この本の中にあります。
44「夢はみるものではなく、かなえるもの。」
— 2017年の本『夢はみるものではなく、かなえるもの』で、夢に向かう人に伝えたい言葉を聞かれて
45「私は絶対に天才ではありません。」
— 2017年の同じ本で、天才やすごい人と言われることについて
46「努力は裏切らない。」
— 2017年の同じ本で、努力の積み重ねで世界一になったのかと聞かれて
47「とにかく自分の好きなことを一生懸命やること。思い続けること、願い続けることが、現状を変えてくれるはずです。」
— 2017年の本で、サッカーを頑張れたことがほかのことでも自信になったと話した後に
48「壁にぶつかるからこそ、人は頑張れるのだと思います。」
— 2017年の本で、何をやるにしても壁は立ちはだかると話して
49「日本女子サッカーがブームではなく、文化になっていて欲しいと思います。」
— 2017年の同じ本で、100年後の日本のサッカーに望むことを聞かれて
50「ちなみに、私はバロンドールをいただいた初めての日本人です。」
— 2017年の同じ本で、100年後の日本のサッカーへの思いを話した最後に
澤穂希のほかにもサッカー選手の名言集を読みたい人は、サッカー選手の名言50選や、日本代表の選手の言葉を集めたサッカーのやる気のでる名言100人で読めます。男子の日本代表の監督と選手の言葉なら、森保一監督の名言と三笘薫の名言もあります。
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