森保一監督の名言70選!ワールドカップで語った「最高の景色」と凡事徹底の言葉
ドーハの悲劇から29年、スペイン戦の最後の1分に「時代は変わった」と感じた森保一監督。その名言には、2026年のワールドカップで掲げた「最高の景色」、凡事徹底、オランダへの感謝、敗戦後の円陣の言葉も。森保一監督の名言70選は、どれも言った場面までたどれます。
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公式ライター Activel編集部
「最高の景色を」。日本サッカー協会が2026年のワールドカップへ向けて掲げたこの合言葉は、森保一監督の名言にも何度も出てきます。選手としてドーハの悲劇を経験した森保監督は、29年後のスペイン戦の最後の1分にその記憶がよみがえり、「あ、時代は変わったんだ」と感じたと、試合の後に話しています。そして2026年、ブラジルに敗れて大会を終えた後の円陣では、優勝という景色へ導けなかったことを選手に謝り、「違った意味での最高の景色」を見せてもらったと感謝を伝えました。そんな森保一監督の名言70選を、言った時期と場面とあわせて紹介します。
森保一監督のプロフィール
マツダSCで2年半、公式戦に出られなかった若手のころ、選手として経験したドーハの悲劇、サンフレッチェ広島での3度のJ1優勝を経て、森保一監督は2018年から日本代表を率い、2度のワールドカップを戦いました。名言の多くは、日本代表の監督になってからの会見やコメントと、日本サッカー協会の公式サイトに連載した本人の手記で語られたものです。
基本プロフィール
森保一(もりやす・はじめ)は、長崎で育った元サッカー選手で、2018年から日本代表の監督を務めています。現役時代は、マツダSCとサンフレッチェ広島で守備的MF(ボランチ)としてプレーしました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 森保一(もりやす・はじめ) |
| 生年月日 | 1968年8月23日 |
| 出身校 | 長崎日本大学高校 |
| 主な所属 | マツダSC・サンフレッチェ広島 |
| 国際Aマッチ | 35試合 |
| 監督歴 | 広島・五輪代表・日本代表 |
| あだ名 | ポイチ |
選手としては、1987年にマツダSC(のちのサンフレッチェ広島)に入り、京都パープルサンガとベガルタ仙台でもプレーしました。日本代表の選手だったころは、オランダ人のオフト監督が英語で話すことを通訳なしで聞けるように、英会話のCDを聞いて勉強していました。合宿のホテルで同じ部屋だった柱谷哲二さんが、のちに明かした話です。
あだ名の「ポイチ」は、名前の読み方から来ています。1992年に日本代表に選ばれたころは無名の選手で、「モリ・ホイチ?」と名前を正しく読めない記者もいたほどでした。
選手時代から日本代表監督、2度のワールドカップまでの歩み
森保監督の歩みは、ワールドカップにあと一歩で届かなかった選手時代から始まり、監督として2度のワールドカップにたどり着きます。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1987年 | マツダSCに入る |
| 1992年 | 日本代表に初選出 |
| 1993年 | ドーハの悲劇 |
| 2012年 | 広島の監督・J1初優勝 |
| 2015年 | 3度目のJ1優勝 |
| 2018年 | 日本代表の監督に |
| 2021年 | 東京五輪で4位 |
| 2022年 | カタールW杯でベスト16 |
| 2026年 | 北中米W杯でベスト32 |
1993年10月のドーハの悲劇では、勝てばワールドカップ初出場が決まる試合の終了間際に追いつかれ、出場を逃しました。一方、29年後の2022年カタールワールドカップでは、森保一監督の日本代表がドイツとスペインに逆転勝ちしてグループ1位で突破し、ラウンド16でクロアチアにPK戦で敗れています。
2026年の北中米ワールドカップでは、初戦のオランダ戦を2-2で引き分けた後の会見の最後に、森保監督が「一つだけ言わせてほしい」と話し始め、オランダへの感謝を伝えました。席を立とうとしていた記者たちは座り直して聞き入り、話が終わると拍手を送っています。チュニジアに4-0で勝ち、スウェーデンと引き分けてグループ2位で突破しましたが、決勝トーナメント1回戦(ラウンド32)でブラジルに1-2で敗れました。大会前の2026年5月の会見で掲げた言葉は「凡事徹底」で、大会の後には、2027年のアジアカップまで続けて指揮を執ることが決まっています。
座右の銘
森保一監督の座右の銘は「継続は力なり」です。2026年5月、ワールドカップの審判員に選ばれた荒木友輔審判員との対談で、「座右の銘はいくつか思い浮かびますが、ここで挙げるならば『継続は力なり』ですね。何をやるにしてもコツコツ頑張っていこうと、いつも自分に言い聞かせています」と答えています(日本サッカー協会「森保一監督×荒木友輔審判員 対談」)。
同じ対談では、自分を一言で表すと「優柔不断かな」とも話し、監督としてたくさんの決断をしなければならない中で、優柔不断な部分があると笑っていました。
森保一監督の名言70選
森保一監督の名言・語録は、選手時代と広島の監督時代、カタールワールドカップまで、北中米ワールドカップの3つの時代に分かれています。選手時代と広島の監督時代は、後に手記やインタビューで振り返った言葉も含めて出来事の古い順、カタールワールドカップからは言った時期の古い順です。「この名言の背景を詳しく読む」を開くと、その言葉が出た状況が分かります。広島の監督就任を振り返った「託す、任せる」のように、会見や試合後インタビューの言葉にはマネジメントやリーダーシップ、仕事に通じるものも多く、森保ジャパンの名言集としても読み返せます。
選手時代とサンフレッチェ広島の監督時代の名言
1987年にマツダSCに入った森保一は、2年半の間、公式戦に出られませんでした。それでも1992年には日本代表に初めて選ばれ、翌1993年にはドーハの悲劇を経験しています。監督としては2012年からサンフレッチェ広島を率い、5年半で3度のJ1優勝を果たしました。
01「実際、自分の人生を振り返ると、必ずと言っていいほど、分岐点では人に手を差し伸べてもらいました。」
— 2019年6月、日本サッカー協会の公式サイトの手記で
02「個人的には、試合に出場することができなかった2年半も、決して無駄ではなかったと感じています。」
— 2019年7月、手記でマツダSCの若手時代を振り返って
03「練習に向けて、試合に向けての『準備』、そして練習を終えて、試合を終えての『振り返り』。サッカー選手として重要な『準備』と『反省』というサイクルを、この期間に考え、習慣化することができたからです。」
— 2019年7月、手記で試合に出られなかった時期を振り返って
04「対戦したことで、アルゼンチン代表の選手たちも、自分と同じサッカー選手であるということ、スーパーマンや異次元の存在ではないということを知ることができたのです。」
— 2019年8月、手記で日本代表デビュー戦を振り返って
05「えぇ、オフト監督からはっきりと言われています。〝キミの仕事はダーティーワーク、すなわち汚れ役だ〟と……」
— 1992年、地元・広島でのアジアカップのころの取材で
06「Jリーグが開幕し、満員のスタジアムでプレーしたときには、何度も、何度も『夢で終わってほしくない』と思ったことを、今でも覚えています。」
— 2019年6月、手記で日本サッカーリーグ時代を振り返って
07「自分は華麗なプレーができる選手ではありませんでしたが、観客、ファン、サポーターのみなさんが反応してくれたのは、まさに泥臭いと言われるようなプレーでした。」
— 2019年6月、手記で現役時代を振り返って
08「僕らはアメリカワールドカップの予選には夢を懸けて戦ってましたし、夢がつかみ取れるところまで来てて、つかみ取れなかった。やはりショックだったと思います」
— 2018年12月、雑誌のインタビューでドーハの悲劇を振り返って
09「すべてを捧げたドーハでの経験は大きかったと思います。夢を掴み取れそうなところで、指の間から零れ落ちた。これ以上悲しい出来事は起きないだろう、という境地に達しましたね。そうなると、もう上がるだけ。ポジティブに捉えられるわけです」
— 2022年11月、カタール大会の前のインタビューで
10「まずは1人ひとりが、個のレベルを必ず上げること。そこでチーム力を上げたい」
— 2012年、広島の監督に就任した時に選手たちへ(2014年の著書『プロサッカー監督の仕事』より)
11「マネジメントに徹して、それ以外はできる人にやってもらう、託す、任せる。」
— 2022年11月、インタビューで広島の監督就任を振り返って
12「そうした選手たちの努力や姿勢を思い出し、彼らの顔を見ていると、目頭が熱くなり、込み上げてくるものを押さえ切れませんでした。」
— 2021年7月、手記で広島の監督1年目を振り返って
13「シーズン終盤の攻撃面の成長は頼もしかった。でも、ひとつですよね。ひとつだけ挙げるとするならば、間違いなく精神面ですね。選手たちはこの1年で本当にタフになりました」
— 2012年11月、J1初優勝を決めた後の取材で
14「サンフレッチェは初優勝しましたが、これまで育成型クラブとしてのスタイルを忘れず、長い道を歩んできました。どこにでも誇れる育成型クラブのスタイルを確立し、成長していきたいと思っています」
— 2012年12月、Jリーグアウォーズで最優秀監督賞を受けて
15「全員をちゃんと観てもいないのに、使う選手と使わない選手に分けることは絶対に間違っている。」
— 2014年、著書『プロサッカー監督の仕事』で
16「僕が絶対に許さないタイプも存在します。それは『チームを批判する人間』と『チームの輪を乱す人間』です。」
— 2014年、著書『プロサッカー監督の仕事』で
17「そこで監督として気をつけていることは、勝っても有頂天にならないこと、負けてもネガティブな表現ばかりにならないようにすること。」
— 2014年、著書で試合後の記者会見について
18「公式戦はもちろんだが、練習にもお金を払って(見にきて)もらえるような激しい練習をしよう」
— 2015年シーズン、広島の選手たちにかけ続けた言葉
19「走ること、戦うこと。我々がつかみとるぞ」
— 2015年12月、チャンピオンシップ決勝のハーフタイムに
20「とても幸せな5年半でした。ご支援、ご声援をいただき、誠にありがとうございました」
— 2017年7月、サンフレッチェ広島の監督を退任して
「新しい景色」を目指したカタールワールドカップまでの名言
2017年10月に東京オリンピックを目指す五輪代表の監督になり、2018年7月には日本代表の監督も兼ねることになりました。日本サッカー協会が掲げた「新しい景色を2022」のもと、森保監督はベスト8を目標にカタールワールドカップへ挑みました。2022年の大会ではドイツとスペインに逆転勝ちし、森保一監督の日本代表はワールドカップの優勝経験国を2つ破っています。
21「自国開催の東京五輪で監督をすることは結果を求められる重責ですが、みなさんに喜んでもらえるような結果を出せるように、全身全霊で五輪に向かっていきたい。メダルを獲得できるようにがんばりたい」
— 2017年10月、五輪代表監督の就任会見で
22「『覚悟』と『感謝』この2つの気持ちを持って職責を全うしたいと思います。」
— 2018年7月、日本代表監督への就任が決まって
23「選手やスタッフにはこれまでの努力に胸を張ってUAEを後にしてほしいと思います。」
— 2019年2月、アジアカップ決勝で敗れた後
24「僕はミーティングでも選手たちに、“絶対”という言葉は使いません。」
— 2019年6月、手記で
25「サッカーも、人生も、思い通りに行かないことのほうが圧倒的に多かった。」
— 2019年6月、手記で
26「個人的には、“マリーシア”とは“ずるがしこい”ではなく、“かしこい”だと思っています。」
— 2019年6月、手記で
27「試合に勝つためには、勝てると思って、できると思って戦わなければ、勝てるものも勝てないということ。」
— 2019年8月、手記で
28「『勝った』と『勝てたかもしれなかった』が違うように、ここから『勝てた』を『勝ち』に変えていくには、相当な努力が必要だということ。」
— 2019年8月、手記で、2試合を引き分けて敗退したコパ・アメリカを振り返って
29「日本が確実にアジアで勝利し、世界でも勝って行くことを考えれば、この『全員攻撃、全員守備』こそが、最大のコンセプトになります。」
— 2019年11月、手記で
30「要するに、今できることの最大値を出すということに、変わりはないのです。」
— 2020年3月、手記でコロナ禍の延期を受けて
31「『心・技・体』という言葉がありますが、自分の指標としては『体・技・心』とも考えています。」
— 2021年7月、手記で
32「選手たちには利己と利他、対になる言葉ではありますが、この両方が必要です。自分の価値を高めようとする向上心と、チームのために戦う犠牲心です。」
— 2021年7月、手記で
33「選考する立場だけに、綺麗事に聞こえることは重々理解していながらも、伝えたいのは、東京オリンピックがサッカー選手としてのゴールではないということ。」
— 2021年7月、東京五輪のメンバー発表の後に手記で
34「オリンピアンであるか、メダリストであるかというところには、今後大きな違いがあると思っています。」
— 2021年8月、東京五輪の準決勝で敗れた後
35「この大会でメダルを懸けて戦うところまで選手たちに連れてきてもらったことを、監督として感謝したい」
— 2021年8月、東京五輪の3位決定戦の後
36「我々が諦めずに、ワールドカップへ行きたいという気持ちを持ち続けてチャレンジしつづければ、必ず本大会出場のチケットはつかみ取れると思っています。」
— 2021年10月、最終予選でサウジアラビアに敗れた後
37「自分の選手時代には最終予選で突破に手が届きそうなところで逃しました。最善の準備とベストを尽くしても、最後に守りに入ったのだと思います。」
— 2022年3月、ワールドカップ出場を決めた後
38「『ドーハの悲劇』を『歓喜』に変えられるように、残された時間で最高の準備をしてみんなで喜べる結果を出したいと思っています。」
— 2022年11月、カタール大会のメンバー発表会見で
39「ベスト8以上という目標を持って臨んでいますが、目の前の今が一番大事です。」
— 2022年11月、初戦ドイツ戦の前日会見で
40「歴史的な瞬間、勝利だったといっても過言ではないと思いますが、日本のサッカーの発展を考えながら代表を強化して、世界で活躍する選手たちのことを考えると、サプライズでないと思っています。」
— 2022年11月、ドイツに逆転勝ちした後
41「ターンオーバーに関して、全く後悔していません。」
— 2022年11月、先発を5人入れ替えたコスタリカ戦に敗れた後
42「勝負の世界なので、勝てば賞賛され負ければ批判されるのは当たり前で、賞賛も批判も含めて、サッカーに興味をもって議論をしてもらえることがうれしい。」
— 2022年11月、スペイン戦の前日会見で
43「ちょうどその時に選手が前向きにボールを奪いに出たのを見て、『あ、時代は変わったんだ』と、新しい時代になったと感じました。」
— 2022年12月、スペインに逆転勝ちした後
44「選手たちには、世界で戦えると示したことに誇りを持ってほしい。」
— 2022年12月、クロアチアにPK戦で敗れた後
45「監督はチームを勝たせ、応援している方々に喜んでもらうのが仕事です。」
— 2022年12月、大会を終えた翌日の取材で
46「日本国民の皆さんと一丸になって戦えば、我々は世界で勝っていけるという思いで臨んだ」
— 2022年12月、テレビ番組で「森保ノート」を見せて
47「次のワールドカップへ、まだ見ぬ新しい景色を見るために向かう道ですが、一戦一戦、結果に覚悟を持って挑戦していきたい。」
— 2022年12月、続投が決まった日の会見で
48「代表監督という立場上、『クレージージョブ』と呼ばれることもありますが、私の中ではハッピージョブです(笑)。」
— 2022年12月、カタール大会の後のインタビューで
「最高の景色」を目指した北中米ワールドカップの名言

続投が決まった後、日本サッカー協会は2026年の北中米ワールドカップへ向けて「最高の景色を2026」を掲げ、森保監督は大会の目標を優勝としました。2025年3月にバーレーンに勝って8大会連続の出場を決め、ピッチでのスピーチでは「選手たちはヒーローです」と話しています。2026年5月のメンバー発表の会見では、今の心境を表す言葉に「凡事徹底」を挙げ、涙も見せました。大会では、初戦の後に森保監督がオランダへの感謝を伝え、前の年の10月に14度目の対戦で初めて勝ったブラジルと、決勝トーナメント1回戦(ラウンド32)で再び戦うことになりました。
49「『勝』かな。全勝したいというのはある。チームの戦術であったり人であったりを試したいのはあるけど、全部勝つために戦っているので」
— 2024年の年頭、今年を漢字一文字で表して
50「いろんなストレスを抱えて日常生活をしている方が多いと思うので、サッカーを見ているときは心を解放して喜怒哀楽を爆発させてもらいたい」
— 2024年の年頭、ファンへ伝えたいことを聞かれて
51「結果は私の責任ですが、選手もスタッフも最大限努力してくれて感謝したいです。」
— 2024年2月、アジアカップ準々決勝で敗れた後
52「進化、成長して、さらに前進していきたい。隙や油断がなく凡事徹底していけるようにしたいと思います」
— 2025年の年頭、1年の抱負を聞かれて
53「皆さん、ワールドカップ出場、おめでとうございます。厳しい戦いを乗り越えた選手たちはヒーローです。」
— 2025年3月、バーレーンに勝って出場を決めた試合の後、ピッチのセレモニーで
54「ワールドカップの決勝の舞台で日本が戦ってるところを最高の景色とイメージしたいと思っています」
— 2025年3月、出場を決めた後の会見で
55「おこがましいかもしれませんが、サッカーで世界一になることが日本のためになると思って日々活動させていただいています。」
— 2025年6月、ワールドカップ開幕まで1年の日に
56「勝つためにチャレンジをしてくれた先人、先輩方がいたからこそ、自分たちの今日の結果につながったと思っています。」
— 2025年10月、ブラジルに初めて勝った後
57「あらゆるスポーツを通して『日本ならできる』という姿を世界に発信していくために、我々も100日後、最高の景色へ向かう大会に皆さんと共に挑みます。」
— 2026年3月、ワールドカップ開幕100日前に
58「凡事徹底かなと思っています。W杯は特別な舞台ですけど、でも特別な舞台だから何をするというわけではなく、これまでやってきたプロセスの先にW杯があると思っています」
— 2026年5月、メンバー発表会見で心境を聞かれて
59「これまでの活動を通してコーチ陣と何度も議論をし、『今のベストはこれだ』と、日本が世界で勝つために最高の26人を選ばせてもらった」
— 2026年5月、メンバー発表会見で
60「W杯の舞台に立ちたいという思いをかなえてあげられなかった選手たちのことを考えると、感情の部分で少しコントロールができなかった」
— 2026年5月、メンバー発表で見せた涙について
61「勝ち点1では満足できませんが、勝ち点1以上に価値のある1ポイントだったと思っています」
— 2026年6月、初戦のオランダ戦で引き分けた後
62「オランダ人の記者の方もいらっしゃると思うので、ここであらためてオランダの方々に感謝申し上げたいと思っています」
— 2026年6月、オランダ戦の後の記者会見の最後に
63「多くの日本の皆さんが『帰る時は来た時よりも美しく』という言葉を知っていると思いますし、われわれチームもロッカーの掃除をして帰り、サポーターの皆さんもスタジアムでゴミを拾って帰る。そこは日本が世界に誇れる文化だと思っています。」
— 2026年6月、チュニジア戦の前日会見で
64「誰と組んでも勝つ、誰と組んでも機能することをテーマにしてチーム作りをしてきたなかで、選手たちが今のメンバーがベストだと、誇りと自信を持ってプレーしてくれていると思います。」
— 2026年6月、チュニジアに4-0で勝った後
65「リスペクトはするが、勝つチャンスはある。また歴史が変わるようなことを起こせるようにベストを尽くしたい」
— 2026年6月、ブラジル戦の前日会見で
66「最後、円陣で選手に話したのは、やはりこの悔しさを胸に刻んで、次の成長につなげていこうということです。」
— 2026年6月、ブラジルに敗れた後
67「この大会で優勝するという夢、目標の『最高の景色』を見ることはできませんでした。監督としては、みんなをそこへ導いてあげられなくて申し訳ないという思いを伝えました」
— 2026年6月、敗戦後の円陣について
68「違った意味での最高の景色はチーム、選手、スタッフに見させてもらいました。」
— 2026年6月、敗戦後の円陣について
69「この成長を続けていけば、世界一になれる日は必ず来ると感じることができた」
— 2026年7月、帰国後の会見で
70「結果ではもっと上に行きたかった悔しさはあるが、やり残したというものではない」
— 2026年7月、続投が決まった後の会見で
日本代表の監督の名言は、岡田武史監督の名言61選も読めます。北中米ワールドカップで5大会連続の出場となった選手の言葉は長友佑都の名言100選に、森保一監督と同じ時代に日本代表で戦った選手の言葉は三浦知良の名言45選とラモス瑠偉の名言55選にあります。サッカー選手の名言をまとめて読むなら、サッカー選手の名言50選もどうぞ。
よくある質問(Q&A)
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