具志堅用高の名言30選!現役時代の言葉と面白い迷言、ちょっちゅねの意味も解説
「チャンピオンになって沖縄に帰るんだという気持ちで戦ってきた」。王座を13回守った現役時代を、具志堅用高はこう振り返ります。沖縄を背負って戦った日の名言から、テレビで広まった迷言は本当か、「ちょっちゅね」の意味まで、具志堅用高の名言には、笑顔の裏で怖さと戦ってきた姿があります。
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公式ライター Activel編集部
初の世界戦の前、具志堅用高は怖くて何度も逃げようと思い、控室では沖縄の方角を向いて「お願いだ。勝たせてくれ」と祈りました。その試合で世界チャンピオンになり、沖縄を背負って王座を13回守り抜いています。最後の世界戦の日にアイスを食べられずに負けたという話は、本人が今も「ほんとだよ」と認めています。「ラッキーセブンは?」と聞かれて「5」と答えたという迷言は本当なのかも含めて、言葉が生まれた場面と一緒に、具志堅用高の名言をたどっていきましょう。
具志堅用高のプロフィール
具志堅用高は沖縄県の石垣島で生まれ、1976年、21歳でWBA世界ジュニアフライ級(今のライトフライ級)のチャンピオンになったボクサーです。プロ9戦目でつかんだ王座を13回続けて守り抜き、1981年に沖縄での試合で初めて負けて、ボクシングをやめました。引退後は東京にジムを開いて会長として世界チャンピオンを育て、今はテレビや本人の YouTube でも話し続けています。世界チャンピオンになってからも、5回目の防衛まではとんかつ屋でアルバイトをしていました。
基本プロフィールと現役時代の歩み
石垣島の中学を出た具志堅用高は、地元の八重山商工高校の受験に落ち、那覇の興南高校へ進みました。高校に入った時はまだ身長が160センチに届かず、野球部には入れませんでした。誘われて入ったボクシング部で3年の夏にインターハイで優勝し、東京の協栄ジムでプロになりました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1955年6月26日 |
| 出身地 | 沖縄県石垣市(石垣島) |
| 身長 | 162cm |
| 出身校 | 興南高校 |
| ジム | 協栄ジム |
| 王座 | WBA世界ジュニアフライ級 |
| プロの戦績 | 24戦23勝(15KO)1敗 |
| 異名 | カンムリワシ |
初の世界戦でファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)に7回KOで勝った試合の後、石垣島と西表島にすむ国の特別天然記念物の鳥、カンムリワシになると宣言し、それがそのまま異名になりました。引退した後は、白井義男さんと開いたジムの会長として、1995年から2020年まで選手を育てました。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1973年 | インターハイで優勝 |
| 1974年 | プロデビュー |
| 1976年 | 世界王座を取る(グスマン戦) |
| 1977〜80年 | 王座を13回続けて防衛 |
| 1981年 | 初めて負けて引退 |
| 1995年 | 白井・具志堅スポーツジムを開く |
| 2015年 | 国際ボクシング殿堂入り |
| 2017年 | 教え子の比嘉大吾が世界王者に |
| 2020年 | ジムを閉じる |
| 2026年 | 世界王座から50年の記念大会 |
具志堅用高の語録を本で読むなら、国際ボクシング殿堂入りを記念した『具志堅良好!語録』(宝島社・2015年)があり、面白いエピソードも入っています。現役のころに出した自伝『リングはぼくの戦場だ』(講談社・1979年)や、半生を語った『負けたくなかった』(中央公論新社・2019年)もあります。2020年からは YouTube チャンネル「具志堅用高のネクストチャレンジ」で、ボクシングの話から自分の都市伝説まで本人が話しています。
座右の銘
具志堅用高が取材で好きな言葉として挙げているのは「一生懸命」で、2015年に受けたインタビューのページでも、座右の銘の欄にこの言葉が書かれています。2026年3月のインタビューでも、初の世界戦に勝てた理由を聞かれて「一生懸命という言葉はいまだに好きです」と話し、練習を重ねた結果だと振り返りました。名言のサイトには「一生『拳』命」と載っていますが、本人がそう話した取材や本は、Activel編集部が調べた範囲では見つかりませんでした。2014年10月に浦添市で開かれた講演では、座右の銘を聞かれて「左右の目?」と返し、会場を沸かせています。
口癖「ちょっちゅね」の意味
テレビでおなじみの具志堅用高の口癖「ちょっちゅね」は、もとは「そうっすね(そうですね)」で、「ちょっとね」という意味ではありません。片岡鶴太郎さんが、具志堅さんの言った「そうっすね」を「ちょっちゅね」とものまねし始めたのがきっかけだと、本人が2011年のイベントで話しています。2015年のインタビューでは「最近では『ちょっちゅね〜』が沖縄の方言だと勘違いしている人までいてね。違いますよって(笑)」と話し、沖縄の方言でもないと説明しました。どの場面がものまねされたのかは、取材によって本人の話が違います。
具志堅用高の名言30選
具志堅用高の名言には、差別が残る時代に沖縄を背負ってリングに上がった現役時代の言葉と、ジムの会長として若い選手に夢と勇気を語った引退後の言葉、そしてテレビや取材の場で飛び出した面白い言葉があります。それぞれの言葉が出てきた日の場面を知ると、テレビで見る陽気な姿とは違う、怖さと戦いながら勝ち続けた世界チャンピオンの顔が見えてきます。
現役時代の名言(沖縄・グスマン戦・13回防衛)
具志堅用高がプロになった1974年は、沖縄が本土に復帰してまだ2年で、沖縄出身の人への差別が残っていました。現役時代の言葉に沖縄が何度も出てくるのはそのためです。初の世界戦となったグスマン戦の前には、怖くて逃げようと思ったことも明かしています。
01「石垣の高校に合格してたら、うみんちゅ(漁師)になってた。牛乳が飲めたら、体が大きくなって野球をやっていたと思う。神様がボクシングに出会わせてくれた」
— 2022年5月、沖縄の本土復帰50年のインタビューで、石垣島の高校受験に落ちて那覇の興南高校に進んだころを振り返って
02「当時、沖縄と本土にははっきりした線が引かれていた。だから僕は、この線を消すためにチャンピオンになって頑張ったのよ」
— 2020年5月のインタビューで、1974年に上京してプロになったころを振り返って
03「怖くてねえ。殺されるんじゃないかと。試合前は何度も逃げようと思った」
— 2013年の取材で、1976年10月の初の世界戦(グスマン戦)の前の気持ちを振り返って
04「お願いだ。勝たせてくれ」
— 2021年12月の取材で、グスマン戦の控室で沖縄の方角を向いて心の中で祈った言葉を振り返って
05「わんや、カンムリワシないん(私はカンムリワシになる)」
— 1976年10月10日、初の世界戦でグスマンに勝って王座を取った試合の後に
06「たった一夜であんなに人生変わるのか。いやいや、すごいですよ。」
— 2022年5月の取材で、グスマン戦で王座を取った翌日からの暮らしの変わりようを振り返って
07「今はただボクシングを忘れてのんびりしたい。そして大好きなケーキを食べたい」
— 1979年4月8日、アルフォンソ・ロペス戦で6試合続けてのKO勝ちの日本記録を作った後に
08「1発もらっても3発当ててやるという覚悟でやらないといい試合はできません。逃げたら駄目なんですよ。」
— 2015年、本人が住む東京・杉並区の地域情報サイトの取材で、現役のころの戦い方を振り返って
09「世界を取るのは大変だけど、守るのはもっと難しい」
— 2015年6月14日、アメリカで国際ボクシング殿堂入りした日のインタビューで
10「試合前はいつだって怖いし淋しい。その恐怖に勝つ方法は、練習しかないんです。練習すれば自信になる。」
— 2026年3月、沖縄のショッピングモールの企画で受けたインタビューで、13回の防衛の裏にあった思いを聞かれて
11「120%、沖縄のために闘った」
— 2022年5月、沖縄の本土復帰50年のインタビューで
12「これ以上リングに上がる気力がなくなった。今は本当に寂しい」
— 1981年8月7日、引退の会見で
13「僕のボクシングは沖縄で始まって沖縄で終わったんです。神様がそうさせたんだからしょうがないね。」
— 2015年、本人が住む東京・杉並区の地域情報サイトの取材で、1981年3月の沖縄での試合に初めて負けて引退したことを振り返って
引退後の名言(ジムの会長・若い選手へ)
引退した具志堅用高は、1995年に元世界チャンピオンの白井義男さんと東京に白井・具志堅スポーツジムを開き、2017年には教え子の比嘉大吾を世界チャンピオンに育てました。2020年には、気力と体力の面で選手の指導を続けるのが難しい年齢になったとしてジムを閉じました。その後も講演やインタビュー、記念の大会で、夢と勇気について若い人たちに語り続けています。
14「夢を持っている人が少なくなっている。頑張らない人は自分に負けてしまう」
— 2015年6月、国際ボクシング殿堂入りの式典のころ、後輩たちに向けて
15「人間は頑張れば夢はかなう。私の人生を振り返ると100%そうだ。勇気と我慢、努力が大切だ。」
— 2016年11月26日、東京沖縄県人会の創立60周年のフォーラムの基調講演で
16「うれしい時は涙を流すの、僕は。悔しい時は泣かないけどね」
— 2017年5月20日、教え子の比嘉大吾がWBC世界フライ級王座を取った直後のリングの上で
17「練習着が格好いいと思ったら、すぐにまねをした。人の良いところを取り入れるのが一流になる近道」
— 2019年4月、映画『クリード 炎の宿敵』の取材で、現役のころ『ロッキー』をまねた話をして
18「一番大切なのは勇気、どんな困難にも立ち向かっていく勇気ね。沖縄の力を世界に示すために、みんなカンムリワシのように羽ばたいてほしいよね」
— 2020年5月のインタビューで、沖縄の若い人たちに向けて
19「チャンスは自分でつくるもの」
— 2020年、地元の新聞の連載を前にしたインタビューで
20「ホント、神様ですよ。ボクシングの世界から見たら。」
— 2025年10月、本人の YouTube チャンネルで、井上尚弥選手の試合を振り返って
21「一生懸命、好き勝手にやりなさい」
— 2026年3月、沖縄のショッピングモールの企画で受けたインタビューで、これからの若い人たちに伝えたいことを聞かれて
22「沖縄のために頑張りたい、チャンピオンになって沖縄に帰るんだという気持ちで戦ってきた」
— 2026年10月18日、世界王座から50年の記念大会で、リングに上がってあいさつした時に
面白い名言・迷言8選
1981年3月の最後の世界戦の日、計量の後にいつも食べていたアイスを会長に取り上げられて負けた話は、45年たった2026年に聞かれても、本人が「ほんとだよ」と即答しています。一方、「ラッキーセブン」を聞かれて「5」と答えたといった珍解答も、具志堅用高の面白い迷言・天然エピソードとして名言のサイトやSNSで広まっていますが、どの番組で話したかの記録は見当たらず、サイトによって言い回しも違います。引退会見では一番の後悔に税金対策を挙げ、教え子の比嘉大吾には、計量の後に自分が食べられなかったアイスを手渡しています。
23「一番後悔しているのは税金対策。うまくやっていたら東京に家の一つくらいは建てられたのに」
— 1981年8月7日、引退の会見で
24「僕は一度も誰ともケンカなんてしたことないよ。誰ねボブ・マーリーって?レゲエの歌手?ディスコは知ってるけどレゲエは知らないね」
— 2009年1月、ビール会社のCM撮影の取材で、ネットで広まっていた「チャンピオン時代にボブ・マーリーとけんかをした」という話は本当かと聞かれて
25「いっぺんにグっと飲んじゃダメ!最初はちょっちゅだけですね」
— 2011年8月4日、ハンバーガー店で自分が監修したシェイク(シェーキ)の発売イベントで、試飲しながら
26「まぁ勇気も必要になってくるんですけど、僕には勇気がないんですよ!! 勇気と根性がない(笑)。」
— 2015年1月のインタビューで、テレビではなかなか「ちょっちゅね」と言えないと話して
27「真っ白な犬で名前はグスマン。最初の世界タイトル戦で勝った相手の名前でね、顔が似てるんですよ。今では僕より人気あるんじゃないかな。」
— 2015年、本人が住む東京・杉並区の地域情報サイトの取材で、飼っている犬の話をして
28「37年前、食べられなかったことを今日のように思い出す。(食べていれば)20回ぐらい防衛していましたよ」
— 2018年2月3日、比嘉大吾の防衛戦の前日、計量を終えた比嘉にジムの会長として紅イモ味のアイスとスッポン汁を手渡した時に
29「世界チャンピオンになるとみんな来る。急に親戚が増えるんです。」
— 2018年12月16日放送のテレビのトーク番組「誰だって波瀾爆笑」で、とんかつ屋の常連客に80万円を貸した話をして
30「アイスクリーム一個で失ったんだから。タイトルを」
— 2026年7月、沖縄テレビの番組「ぐしけんさん」で、最後の世界戦の会場だった具志川総合体育館の控室を訪ねて
井上尚弥や辰吉丈一郎、モハメド・アリなど、ほかのボクサーの言葉はボクシング選手の名言にあります。
よくある質問(Q&A)
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