アイルトン・セナの名言30選!英語の原文と最後の言葉、2位と恐怖の言葉
「2位は、敗者の中の1位にすぎない」。勝つことにこだわり、恐怖とも向き合ったアイルトン・セナの名言です。最後の言葉として知られるのは、ライバルのプロストへの「みんな、君がいなくて寂しいよ」。全力で生きたアイルトン・セナの名言は、あと一歩を踏み出したい時に背中を押してくれます。
Writer
公式ライター Activel編集部
「2位は、敗者の中の1位にすぎない」。この名言を残したアイルトン・セナは、勝つことにこだわり、ホンダのエンジンで3度の世界王者になりました。速く走るほど恐怖とも向き合い、限界に触れた先でもう少し先へ行けるとも語っています。34歳で亡くなった1994年のイモラの週末には、かつて激しく争ったプロストに「みんな、君がいなくて寂しいよ、アラン」と呼びかけ、これが最後の言葉として知られています。日本で「神を見た」と伝わる鈴鹿の話や、ホンダの人たちに残した言葉まで、アイルトン・セナの名言を、生まれた場面と一緒にたどっていきましょう。
アイルトン・セナのプロフィール
アイルトン・セナは、ブラジルのサンパウロで生まれた F1 ドライバーです。4歳の時に父から小さなカートを贈られ、13歳で出た初めてのカートのレースで優勝しました。F1 では、マクラーレン・ホンダで3度の世界王者になっています。
基本プロフィール
F1 で走ったのは1984年からの11シーズンで、通算41勝を挙げました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | アイルトン・セナ |
| 本名 | Ayrton Senna da Silva |
| 生年月日 | 1960年3月21日 |
| 出身 | ブラジル・サンパウロ |
| 亡くなった日 | 1994年5月1日(34歳) |
| 所属チーム | トールマン→ロータス→マクラーレン→ウィリアムズ |
| 世界王者 | 3回(1988年・1990年・1991年) |
| 通算成績 | 41勝・ポールポジション(予選1位)65回 |
ホンダのエンジンで走ったのは1987年から1992年までの6年間で、3度の王座はすべてこの間に取っています。モナコGPでは通算6回優勝していて、1989年から1993年までは5年続けて勝っています。
ブラジルのカートから3度の世界王者、1994年のイモラまでの歩み

カートで南米の王者になったセナは、1981年にイギリスへ渡り、F3 より下のクラスで勝ち続けて、1983年にイギリス F3 の王者になりました。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1973年 | 初めてのカートのレースで優勝 |
| 1983年 | イギリス F3 の王者 |
| 1984年 | トールマンで F1 デビュー・雨のモナコで2位 |
| 1985年 | ロータスでポルトガルGP に初優勝 |
| 1987年 | ロータスでホンダのエンジンを使い始める |
| 1988年 | マクラーレン・ホンダで初の世界王者 |
| 1989年 | 鈴鹿でプロストと接触し、王座はプロストに |
| 1990年 | 2度目の世界王者 |
| 1991年 | 3度目の世界王者・母国ブラジルGP で初優勝 |
| 1994年 | ウィリアムズへ移り、5月1日にイモラで亡くなる |
1988年のマクラーレン・ホンダは16戦中15勝を挙げました。セナが8勝、チームメイトのプロストが7勝で、セナが初めての世界王者になりました。1989年と1990年の王座は、どちらもふたりが鈴鹿で接触した日本GP で決まっています。プロストが1993年限りで引退したあと、セナは1994年にウィリアムズへ移り、その年の3戦目のサンマリノGP で事故に遭いました。
座右の銘
アイルトン・セナの信条に近い本人の言葉は、「憧れの人はいない。尊敬するのは、仕事と献身と能力だ」です。1995年に作られ、今はサンパウロのアイルトン・セナ広場にあるブロンズ像に刻まれています。日本の名言サイトには「私に理想は存在しない」と訳したものもありますが、もとのポルトガル語の ídolos は憧れの人という意味です。座右の銘として本人が挙げた言葉は、会見や取材の記録には見つかっていません。セナの公式サイトなどで見かける「Seek Your Truth(自分の真実を求めよ)」は本人の言葉ではなく、セナの名前がついた商品やサイトを手がける会社が2023年に打ち出した合言葉です。
アイルトン・セナの名言30選と最後の言葉
アイルトン・セナの名言には、勝つことへのこだわりや、恐怖と限界に向き合った言葉が多く、信仰のあついセナらしく、神について語った言葉もあります。ともに世界王者を目指したホンダの人たちへの言葉、日本のファンへの思い、人生とチャンスについて日本の作家に語った言葉、そして1994年のイモラの週末に残した最後の言葉まで、どの言葉からも、レースにも人生にも全力で向き合ったセナの姿が伝わってきます。
「2位は敗者の中の1位」と勝つことについての名言
「2位は、敗者の中の1位にすぎない」は、セナの公式サイトにも英語とポルトガル語で残る言葉です。ただ、いつ、どこで言ったかは書かれていません。1990年、元世界王者のジャッキー・スチュワートに厳しく問われた時には、すき間を狙わなくなったらレーシングドライバーではないと答えています。
01「2位は、敗者の中の1位にすぎない」
“The second is nothing more than the first of losers.”
02「僕は2位や3位になるようにはできていない。勝つようにできているんだ」
“I am not designed to come second or third. I am designed to win.”
03「大事なのは勝つこと。ほかのことは、その結果だ」
“Winning is what matters. The rest is the consequence.”
04「力を出し切ること、打ち込むこと、努力、献身に、中途半端はない。とことんやるか、まったくやらないかだ」
“With regard to performance, commitment, effort, dedication, there is no middle ground. Or you do something very well or not at all.”
05「すき間を狙わなくなったら、もうレーシングドライバーではない」
“If you no longer go for a gap, you’re no longer a racing driver”
— 1990年、鈴鹿でプロストと接触した後、ジャッキー・スチュワートの問いに答えて
恐怖と限界についての名言
セナは、恐怖が自分を惹きつけると語っています。日本の名言集では「恐怖は自分をワクワクさせる」と訳されている言葉です。恐怖は人生の一部で、悪いものではなく、自分の身を守るための気持ちとして受け止めるとも話しています。1991年のモナコGP では、首位を走りながら、1周遅れのプロストを抜くのが一瞬怖かったと打ち明けています。
06「恐怖は人生の一部だ。恐怖とどう向き合えばいいか分からない人もいれば、僕もその一人だと思うけれど、恐怖と一緒に生きることを覚え、悪いものではなく、自分の身を守るための気持ちとして受け止める人もいる」
“Fear is part of our lives. Some people do not know how to face it, others – I think I am among them – learn to live with it and face it not as a negative thing, but as a feeling of self-preservation.”
07「恐怖は、僕を惹きつける」
“Fear fascinates me.”
08「危険を冒さない走り方を、僕は知らない。抜かなければならない時は、本当に抜く。ドライバーにはそれぞれ限界がある。僕の限界は、ほかの人より少し上にある」
“I don’t know how to drive any other way than the risky way. When I have to overtake, I really will. Each driver has his own limit. Mine is a little higher than the others.”
09「限界に触れたとたん、何かが起きて、急にもう少し先へ行けるようになる。心の力と決意と本能、そして経験もあれば、とても高く飛べるんだ」
“As soon as you touch this limit, something happens, and you suddenly can go a little bit further. With your mind power, your determination, your instinct, and the experience as well, you can fly very high.”
10「いちばん速くなったその瞬間、人はとてつもなくもろい。ほんの一瞬で、すべてを失うかもしれないからだ。この両極が、自分をより深く、より深く知ることにつながっていく」
“The same moment that you become the fastest, you are enormously fragile. Because in a split-second, it can be gone. All of it. These two extremes contribute to knowing yourself, deeper and deeper.”
11「ピットから出てきたプロストが前にいて、僕はストレートを速く走ってきた。正直に言うと、ほんの一瞬、彼を抜くのが怖かった。チャンピオン争いの首位を争っていたし、まあ、何が起きるか分からないからね」
“Prost saiu na minha frente dos boxes e eu vinha rápido pela reta. Confesso que, por uma fração de segundos, tive medo de ultrapassá-lo. Estávamos disputando a liderança do campeonato e, bem, nunca se sabe.”
— 1991年5月12日のモナコGP で、首位を走りながら、1周遅れのプロストを抜いた場面について
「神を見た」の話と神についての名言
信仰のあついセナは、1988年の鈴鹿の日本GP で初めての王座を決めたあと、ピットへゆっくり戻る途中のコース脇で神を見たと、後に語りました(マクラーレンの公式サイト)。日本では「鈴鹿のスプーンカーブで神を見た」と伝わっていますが、スプーンカーブという場所は、当時の会見や取材の記録では確かめられません。同じ年のモナコの予選の走りについては、セナ本人が「別の次元にいるようだった」と振り返っています。
12「あなたが誰であっても、人生でどんな立場にいても、それがいちばん上でもいちばん下でも、強い力と強い決意を目標にし、いつもたくさんの愛と神への信仰をもってすべてに取り組めば、いつかたどり着ける。どうにかして、たどり着けるんだ」
“Whoever you are, whatever social position you may have in life, whether the highest or the lowest, always make it your goal to have a lot of strength, a lot of determination, and always do everything with a lot of love and faith in God, and one day you will get there. Somehow, you will get there.”
13「神が僕にこの才能をくれたんだと思う。そして今は、落ち着いて、気持ちを楽にして、元気でいられるように助けてくれている」
“I think God gave me this gift And now he is helping me to be calm, relaxed.., and fine”
— 1983年、イギリスのドニントンのサーキットで、ウィリアムズの F1 マシンを試した時、ブラジルのテレビ局グローボのインタビューで
14「あの日、突然、自分がもう意識して運転していないことに気づいた。僕にとっては、別の次元にいるようだった。サーキットはトンネルで、僕はただ進み、進み、進み続けていた」
“That day, I suddenly realised that I was no longer driving conscious. And I was in a different dimension, for me. The circuit for me was a tunnel, which I was just going, going, going.”
— 1988年5月14日、モナコGP の予選の走りを、後のインタビューで振り返って
15「心が安らかだ。頭と肩から何トンもの重さが消えたみたいだ。世界王者になるのがどういうことか、まだよく分からない。今なら恐れずに言える。僕は一度も信仰を失わなかった。このタイトルをくれたのは神だ」
“I feel peace, like tons of weight has lifted from my head and my shoulders. It’s hard to comprehend what being a World Champion is. Now I can say without fear that I never lost my faith; it was God who gave me this title”
— 1988年10月30日、鈴鹿の日本GP で初めての王座を決めた時、ブラジルのテレビ局グローボのインタビューで
16「ゴールした時には、もう何も残っていなかった。神が、このレースを僕にくれたんだ」
“By the finish I had nothing left. God gave me this race.”
— 1991年3月24日、母国ブラジルGP で初めて優勝したレースを、後に振り返って
ホンダと日本への言葉
ホンダの人たちが覚えているセナの言葉には、アクセルペダルの踏み込みがわずか2mm足りないことを言い当てた言葉や、エンジンが壊れた次のレースで、あいさつより先にその原因を聞いた言葉があります。日本については、日本でのレースはいつも胸が熱くなると、鈴鹿で報道陣に話しています。ホンダとセナの関係は、ロータス・ホンダの1987年から、マクラーレン・ホンダの1992年まで続きました。1988年の日本GP で初めての王座を決めた後には、アイルトン・セナと本田宗一郎さんがサーキットで固い握手を交わしています。本田さんが1991年8月5日に84歳で亡くなると、直後のハンガリーGP では、ホンダのドライバーが黒い腕章を巻いて走り、セナは勝利を本田さんに捧げました。本田さんは、セナについて「F1グランプリでセナほど私を楽しませてくれたドライバーはいない」と語っています。
17「ありがとう、でもいいんだ。悪いから」
“Thank you, but it’s too much trouble for you.”
— 1987年、アメリカのホテルで、荷物を持とうとしたホンダの広報の小倉茂徳さんに
18「スロットルペダルが全開になってない」
“The throttle pedal is not fully open”
— ホンダのデータエンジニアだった田辺豊治さんに
19「あのエンジンはどうだったんだ? 何が悪かったんだ? どうするんだ?」
“How was that engine? What went wrong? What are you going to do about it?”
— ホンダのエンジンが壊れた次のレースで、あいさつより先に田辺豊治さんに
20「日本でのレースは、僕にとっていつも胸が熱くなる。日本の人たちは僕に特別に温かくて、鈴鹿に着いた時から、たくさん応援して、僕の一歩一歩を追いかけてくれるんだ」
“Racing in Japan is always an emotional experience, for me, since the Japanese people is specially warm towards me, cheering a lot and following every step I take since my arrival at Suzuka”
— 1993年、鈴鹿の日本GP で、フリー走行(予選に向けた練習走行)を前に報道陣に
人生と夢についての名言
アイルトン・セナは、レースを人生に重ね、走ることで自分を知ろうとしていました。1991年8月には、日本の作家の落合信彦さんのインタビューに1時間半にわたって答え、チャンスや挫折についての言葉を残しています。日本で「この世に生を受けたこと、それ自体が最大のチャンス」として広まっている名言は、このインタビューの言葉です。日本語で伝わっている言葉で、もとの英語やポルトガル語の文は見つかっていません。1993年には、ホンダの F1 の総監督を務めた桜井淑敏さんの問いに、人生でつらいことが起きる意味を語りました。
21「大事なのは、自分らしくいること。人に違う自分を求められても、それに乱されないこと。自分らしくいなきゃいけない」
“The main thing is to be yourself and not allow people to disturb you to be different because they want you to be different. You gotta be yourself.”
22「レースを通して、僕は自分のことをどんどん知っていく。…それは僕にとって訓練になり、生き方になった。次の日を、自分にとってのよりよい日を目指す生き方に」
“Not only because through racing I get to know myself better and better. … It has become an exercise for me and a way of living and aiming for the following day and for a better day for myself.”
— 1991年6月2日、カナダGP の後、モントリオールの研究所で、スポーツ心理学の研究者のインタビューに答えて
23「皆平等にチャンスは与えられている。この世に生を受けたということ、それ自体が最大のチャンスだろう」
— 1991年8月、ハンガリーGP の前にサーキットで、作家の落合信彦さんのインタビューに答えて
24「挫折や悲しみがあるからこそ幸せも感じられるのだ。挫折や苦難なしの人生など退屈きわまりないものではないか」
— 1991年8月、同じ落合信彦さんのインタビューで
25「いちばん難しいのは、なぜ良くないことが自分の人生に起きるのかを理解することだ。…そして1年後か10年後に、その出来事が少し違って見えてくることがある。良いことではなかったけれど、たぶん必要なことだったのだと」
“The main difficulty is to understand sometimes why something not so good happens in our life, … And sometimes later, a year or 10 years, that situation may come around and show [itself] a little bit different. That was not such a good thing, but that was perhaps a necessary thing.”
— 1993年のモナコで、ホンダの F1 の総監督を務めた桜井淑敏さんのインタビューに答えて
26「生きるなら、思い切り、とても強烈に生きたい。病気やけがに苦しみながら中途半端に生きるのは、絶対に嫌だ。もし事故で命を落とすことがあるなら、一瞬であってほしい」
“I want to live fully, very intensely. I would never want to live partially, suffering from illness or injury. If I ever happen to have an accident that eventually costs my life, I hope it happens in one instant.”
— 1994年の初めに、自分の将来について
アイルトン・セナの最後の言葉(1994年5月1日のイモラ)
アイルトン・セナの最後の言葉として知られるのは、1994年のサンマリノGP の週末に、走りながら無線でプロストへ送った「みんな、君がいなくて寂しいよ、アラン」という呼びかけです。この年、ウィリアムズに移ったセナとチームは、ブラジルと日本の開幕2戦がうまくいかないまま、ヨーロッパで最初のレースのイモラに入りました。4月29日の金曜日には、同じブラジル出身の若いルーベンス・バリチェロが大きな事故に遭い、30日の土曜日の予選ではローランド・ラッツェンバーガーが亡くなっています。そして5月1日の決勝で、首位を走っていたセナはタンブレロと呼ばれる高速のコーナーで壁にぶつかり、34歳で亡くなりました。
27「事故の多いシーズンになるだろう。あえて言うけれど、本当に深刻なことが起きなければ運がいい」
“It’s going to be a season with lots of accidents and I’ll risk saying we’ll be lucky if something really serious doesn’t happen”
— 1994年シーズンの初めに、ブラジルの新聞に
28「僕たちのシーズンは、ここイモラから始まる」
“Our season starts here, in Imola”
— 1994年のサンマリノGP で、BBC のテレビで、マレー・ウォーカーのインタビューに
29「シド、僕たちにはどうにもできないことがある。やめることはできない。続けなければならないんだ」
“Sid, there are certain things over which we have no control. I cannot quit, I have to go on.”
— 1994年4月30日、予選でラッツェンバーガーが亡くなった後、F1 の医師シド・ワトキンスに
30「親愛なる、僕たちの親愛なる友、フランスにいるアランに、特別なあいさつを。みんな、君がいなくて寂しいよ、アラン」
“A special hello to my dear – our dear – friend Alain in France. We all miss you, Alain.”
— 1994年、サンマリノGP の週末に、テレビの解説でイモラに来ていたアラン・プロストへ、走りながら無線で
よくある質問(Q&A)
商品やサービスを紹介いたします記事の内容は、必ずしもそれらの効能・効果を保証するものではございません。
商品やサービスのご購入・ご利用に関して、当メディア運営者は一切の責任を負いません。