中村敬斗の名言111選!腐らない言葉とKのゴールパフォーマンスの意味
サッカー日本代表の中村敬斗の名言は、ベンチ外の日々も2部リーグの1年も腐らずに越えてきた人の言葉です。W杯で見せたKのゴールパフォーマンスの意味も、イングランド戦に懸けた思いも、中村敬斗の名言から分かります。
Writer
公式ライター Activel編集部
中村敬斗は、2026年W杯のオランダ戦で同点ゴールを決めたサッカー日本代表のアタッカーです。ベルギーでベンチ外が続いても、チームが2部に落ちても、サッカー人生で腐ったことは一度もないと話します。中村敬斗の名言には、苦しい時もやめずに続ける強さがにじみます。同じW杯のチュニジア戦で見せたKのポーズの意味も、本人の言葉で分かります。
中村敬斗のプロフィール
我孫子の少年団から17歳でガンバ大阪へ進み、18歳で海を渡った選手です。ベルギーでは半年間ベンチの外に置かれ、フランスではチームが2部に落ちたままW杯の年を迎えました。中村敬斗の名言には、そんな回り道の途中で話した言葉がたくさんあります。
基本プロフィール
今の所属はフランスのリヨンで、日本代表では左サイドを任されています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 中村敬斗(なかむら けいと) |
| 生年月日 | 2000年7月28日 |
| 出身 | 千葉県我孫子市 |
| 身長 | 180cm |
| ポジション | MF/FW(左サイド) |
| 所属 | リヨン(フランス) |
| 代表の背番号 | 13 |
| 主な記録 | 代表デビューから6試合6得点 |
| W杯 | 2026年に出場(1得点1アシスト) |
生い立ち:我孫子の少年団から三菱養和へ
兄の横でボールを蹴り始め、5歳だった2006年のドイツW杯でロナウジーニョに夢中になりました。地元の少年団、高野山SSSから柏イーグルスTOR’82を経て、小学4年で柏レイソルU-12へ進みます。ところがパスでつなぐチームの考え方がドリブル好きの本人には合わず、小学6年の時に自分から辞めると決めました。両親の言葉は「自分で決めろ」だけでした。その後は地元の少年団へ戻ります。
この頃、気持ちが切れかけた本人にトレーナーが勧めたのが坂道ダッシュでした。数回やって2分ほどで終わらせると、「2分で意味ある?」と言われ、そこから本数を増やしていったそうです。
中学からは三菱養和SCのジュニアユースでプレーしました。ユースにいた2017年にはU-17W杯のホンジュラス戦でハットトリックを決めています。
ガンバ大阪から海外へ、W杯とリヨンまでの歩み
2018年にガンバ大阪へ入り、2019年7月、18歳で海外に渡ります。オランダのトゥウェンテでは開幕から点を取りましたが出番を失い、翌年移ったベルギーのシント=トロイデンでは半年間ベンチ外でした。そこで2021年2月に選んだのがオーストリア2部のFCジュニアーズです。同じ年の夏に提携先の1部、LASKリンツへ上がって結果を残し、2023年3月に日本代表へ初めて呼ばれました。
2023年夏に移ったフランス1部のスタッド・ランスでは、2024-25シーズンに32試合11ゴールを挙げましたが、チームは2部に降格します。移籍がまとまらず2部に残った1年は公式戦14ゴール3アシストで、その間もブラジル戦の同点ゴール、ウェンブリーのイングランド戦のアシストと代表で結果を出しました。
2026年W杯では1得点1アシストを記録しましたが、日本は決勝トーナメント1回戦のラウンド32でブラジルに敗れました。大会の後にリヨンへ完全移籍し、9月のヨーロッパリーグで初ゴールを決めています。10月18日のニース戦では途中出場から9分後に一発退場となりました。
座右の銘
本人が座右の銘と呼んだ言葉は見つかりませんでしたが、大事にしている言葉ならいくつも話しています。トレーナーとの話で挙げた「常に自己ベスト」も、自分の内側を一言で表した「向上心」もその1つです。ピアスには enjoy と ginga の文字を刻み、「楽しむ」と「原点に戻る」という意味で大事にしていると話します。ginga はポルトガル語で、本人にとっては初心に戻る言葉です。子どもたちには「有言実行という言葉もありますし」と話し、言霊を信じているとも語りました。
中村敬斗の名言111選
中村敬斗のインタビューや試合後のコメントには、小学生で自分からチームを辞めた話も、2部にいる悔しさも、W杯のゴールの後の本音も出てきます。海を渡った頃はビジョンを描いていた本人が、やがて目の前の試合だけを考えるようになっていく変化も、言葉からたどれます。
少年時代の名言
小学生のうちから自分で練習メニューを考え、チームを辞めるかどうかも自分で決めました。そばで支えたのが、小学1年から通った整骨院のトレーナー、花嶋先生こと花嶋義広さんです。U-17W杯の時の言葉のほかは、大人になってから当時を振り返った言葉です。
01「自分から前に出ていくタイプではなかったですね。学校の中では足が速い方で、友達は多かったです。ドイツワールドカップ(2006年)で活躍する選手を見て、『僕もいつかはこの舞台に立ちたい』と、その時から将来はプロになると本気で思っていました」
— 2025年7月のインタビューで、少年時代を振り返って
02「ロナウジーニョが大好きで、毎日ビデオを見てリフティングや足技をマネしていました。だからリフティング得意なんだけど、とにかく大好きで」
— 2026年7月、JALのサッカー教室で、好きだった選手を子どもに聞かれて
03「練習を見てくれていた母親、そして花嶋先生と相談しながらやっていました。毎日ノートにやったことを全部書いて、できたことにチェックを入れて、次の日にやることを考える。そうやって相談しながら、最後に何をするかは自分で決めていました」
— 2025年7月のインタビューで、小学生の頃の自主練を振り返って
04「チームで練習しているだけではプロになれないと思っていました。周りと違う場所で、どれだけ充実した練習をできるかが大事だと思っていたんです」
— 2025年7月のインタビューで、自主練のメニューを自分で考えていた頃を振り返って
05「坂道ダッシュと一緒で、リフティングが10回できたら次は20回を目指す。そういう目の前の課題をクリアしながら小さな目標を立ててやっていました。」
— 2025年7月のインタビューで、目標の立て方を聞かれて
06「親からは『自分で決めろ』とだけ言われました。」
— 2025年7月のインタビューで、小学6年で柏レイソルU-12を辞めた時を振り返って
07「間違いないです。毎日練習に行くのが本当に楽しくて、早く学校が終わらないかと思っていたくらいです」
— 2025年7月のインタビューで、三菱養和での中学時代が一番楽しかったのかと聞かれて
08「本当にたくさんあって…、1つだけ挙げるとすれば『常に自己ベスト』という言葉を大切にしています。例えば試合に出られないと誰だって悔しいですよね。でも、そこでふてくされるのでなく、『何が足りなくて、今のベストの自分ならどこまでできるのか』を自己分析するんです。これは今になっても心がけていることです。」
— 2025年7月のインタビューで、花嶋先生の言葉で印象に残っているものを聞かれて
09「適当にやるのではなく、毎日真剣に取り組むことが未来につながっていくのだと思います」
— 2025年7月のインタビューで、「常に自己ベスト」の話の続きで
10「正直驚いていますし、やっぱりチームでずっと頑張ってきて、ずっと長い代表活動をやってきて、この大舞台でハットトリックできたのは最高ですね」
— 2017年10月8日、U-17W杯のホンジュラス戦でハットトリックを決めた後に
ガンバ大阪とプロ入りの名言
17歳でプロになり、60メートルを超える独走で初ゴールを決めた頃の言葉です。かわした相手は、キャンプで何もできなかった日本代表の槙野智章選手でした。「新人」の扱いを自分から断るような言葉が続きます。
11「自分は『新人』じゃなくて、『チームの一員』という扱い。戦力とも考えられていると思うんで、シュートを外したことも間違いなく自分の責任です」
— 2018年3月、J1の鹿島戦で決定機を外した後に
12「キャンプの時に槙野選手とマッチアップをした時は何もできなくて、本当に悔しかった。ほとんどボールを触れないし、触ったら潰される。一回も前を向けなかった」
— 2018年3月、Jリーグのカップ戦の浦和戦でプロ初ゴールを決めた後に
13「この辺で決めないと自分のいる価値がなくなってしまう。シュートが武器と言っておきながら、なかなかゴールが取れていなかったので、しっかりと結果を残すことができて本当に嬉しく思います」
— 2018年3月、浦和戦のプロ初ゴールについて
14「これだけ試合に出してもらっているのだから、ビビって自分の武器を出さないなんて、ありえない。ミスしても、気にせず次。そう思うようにしています」
— 2018年3月、高校生でプロの世界に入って臆することはないかと聞かれて
15「ちょっと次元が違う選手になっちゃいましたよね」
— 2019年2月の沖縄キャンプで、エムバペに追いつきたい気持ちは変わらないかと聞かれ、笑いながら
16「森下監督には本当に鍛えてもらったし、メチャメチャいい恩師だと思ってます。守備とかハードワークをやっていくと、自分の一番大事な武器を忘れてしまうんですよね。」
— 2019年5月、U-20代表の練習試合の後に、ガンバ大阪U-23で指導を受けた森下仁志監督について
17「誰も知らない選手の中に飛び込んでいくことで、より成長があると思った」
— 2019年7月17日、トゥウェンテへの移籍の会見で、移籍先を選んだ理由を聞かれて
18「チームは引き分けましたけど、個人としては最悪な結果という印象です。あまりいい形ではない感じで(海外に)行くことになりますが、時間は戻せないので、切り替えて向こうでもやっていくしかないですね」
— 2019年7月20日、ガンバ大阪での最後の試合の後に
19「ガンバにいた頃は一生懸命で、グラウンド練習が終わって残って、1対1から始まり、苦手なヘディングとかひととおりやって。そこからジムで1時間ぐらい……楽しかったなと思う。青春だったな、と。」
— 2024年1月のインタビューで、ガンバ大阪の頃の居残り練習を振り返って
笑いながら「次元が違う」と話した相手、エムバペ自身の言葉は、エムバペ(エンバペ)の名言40選で読めます。
オランダ・ベルギーで試合に出られなかった頃とオーストリア時代の名言
海を渡った中村敬斗は開幕からゴールを決めて順調に見えましたが、すぐに出番を失いました。ベンチ外の半年を過ごし、2部のチームへ移るまでの言葉です。
20「ワンゴール、ワンアシスト、ワンレッド。笑えないけど」
— 2019年9月15日、オランダリーグのシッタート戦の後に
21「ガンバ時代はU-23に落とされ、森下仁志監督にめちゃくちゃ鍛えられ、何とか這い上がれました。だけど欧州ではそんな足踏みしている時間はない。自分はレンタルで来ている立場だし、限られた時間でどれだけ上に行けるかだから。他のライバルとの違いを示すためにもゴールに絡む動きが必要。そうしなきゃ生き残れない」
— 2019年秋、オランダでの取材で
22「オランダに移籍して最初の半年は結果を出せていたので、出場したら『絶対やれる』という自信があったんです。」
— 2024年12月に公開された岡崎慎司さんとの対談で、オランダで出番が減った頃を振り返って
23「シント=トロイデンVVに移籍した時、開幕戦から2試合はスタメンだったんですが、その後いきなりベンチ外になって。納得はいかなかったですがまた練習からアピールしようと思っていたんですが、そのあと完全に構想外で。」
— 2025年6月に公開された岡崎慎司さんとの対談で、ベルギーの頃を振り返って
24「理由はわからなかったですが、選手は試合に出てなんぼだと思うので、移籍を考えました。」
— 2025年6月に公開された岡崎慎司さんとの対談で、移籍を考えた理由について
25「監督が守備を重視する人で試合に出れていません。でも、自分が全然ダメなので、監督の求める基準に達するように自分を鍛えます。絶対にレギュラーを奪い返します」
— 海外へ移った後の苦しい時期に、三菱養和の恩師に送った連絡の言葉(恩師が2026年6月に紹介)
26「ただ、ベンチ外になったことで、腐って練習をしなくなったら、このままダメになっていくなと感じていました。」
— 2025年10月のインタビューで、ベルギーで半年間ベンチ外だった頃を振り返って
27「(その辛い経験があったからこそ)もし次に、試合に出られない時期がきたとしても、僕は問題ないと思います。」
— 2025年10月のインタビューで、ベンチ外だった半年を振り返って
28「これまで、僕はサッカー人生で『腐った』ことは一度もありません。ベルギーで試合に出られず、ベンチ外が続いたときでさえ、投げやりになることはありませんでした。」
— 2026年1月のインタビューで、これまでのサッカー人生を振り返って
29「オーストリア2部は今まで自分がプレーしてきたリーグよりレベルが低かった。確かに一回、下がったところには行ったと思います。でもそこから『這い上がった』という感覚はない。一歩一歩成長。そう感じています」
— 2023年3月、日本代表に初めて呼ばれた時の取材で、オーストリア2部への移籍を振り返って
日本代表とスタッド・ランスの名言
代表に呼ばれ、デビューから6試合で6得点を挙げた頃の言葉です。先を描くのをやめて、今いる場所で全力を尽くすという考え方が、この頃からはっきりしてきます。
30「ただ、A代表に関しては、今季自チームで活躍して、夏に移籍してステップアップしてからかなと正直思っていたので、このタイミングで呼んでいただいてめちゃくちゃ嬉しい。何とか生き残れるように頑張りたいです」
— 2023年3月、日本代表に初めて呼ばれて
31「三笘選手は世界一のリーグで得点やアシスト、それ以外のプレーも含めて違いを見せている選手。そういう選手と自分はちょっとまだ比較はできないと思うので、ライバルと言う感覚はないです」
— 2023年3月、日本代表の合宿の取材で、三笘薫とのポジション争いを聞かれて
32「良いパスをくれたので嬉しい。長く一緒にやってきて、そこに走れば彼が出してくれるのもわかっていた。信じて走ってよかった」
— 2023年6月15日、エルサルバドル戦で代表初ゴールを決めた後に、久保建英のパスについて
33「ランスに来て本当に毎日楽しくて、そうすると勝手に結果もついてきた。実は自分の中で考えの変化というのがすごくある。最初海外に挑戦してから自分が思い描いたものとはかけ離れていて。みんなよく『ビジョンを描く』というし、僕も最初はそう思っていた。でも、実際そのとおりに行かなかった時、どのようなメンタリティーでいるのか。もちろん、思いどおりに行けばベストだけど、そうではないことがほとんど。ならビジョンは描かなくてもいいんじゃないかと思う。これは向上心がなくなったのではなくて、今いるチーム、今いる場所で全力を尽くす。チームが勝つために頑張る。そのうえでシーズンが終わった時に何点取っていた、となればいいなと」
— 2024年1月、フランスのランスでのインタビューで
34「記録は関係ないですよ、毎回ゴールを目指すだけです」
— 2024年1月、代表デビューからの連続ゴールの記録を聞かれて
35「サッカーIQがめちゃくちゃ高いんですよね。ドリブルのイメージ強いと思いますけど、速いし取られない。めちゃくちゃリスペクトしている。心強いし、距離感もいいんですよね。」
— 2024年1月のインタビューで、ランスの同僚の伊東純也について
36「チームメイトとコミュニケーションを取るのは得意なほうなので、積極的に自分から話しかけたりしています。加入した最初はまず溶け込むことが大事だと思って、プレーももちろん大事ですけど、いろいろな選手と話してコミュニケーションを取るようにしていました。」
— 2024年3月のインタビューで、ランスでの立ち位置を聞かれて
37「色々ありました。でもあそこで鍛えられた。常に向上心を持っていたし、絶対に上にいくんだという強い気持ちを持っていたので腐るということはなかった。」
— 2024年6月6日、ミャンマー戦で2得点した後に、ガンバ大阪の頃を振り返って
38「少し無難になってしまうかもしれませんが、僕の場合は『成』でしょうか。成長を実感できる1年になりました。」
— 2024年12月、日本サッカー協会(JFA)の新春インタビューで、2024年を漢字1文字で表すならと聞かれて
39「初めて日本代表に選ばれたときは、どうやって生き残っていくかで頭がいっぱいでした。」
— 2024年12月、JFAの新春インタビューで、日本代表での立場を聞かれて
40「毎回、危機感を持って代表活動に臨んでいますし、絶対に生き残るという思いを変わらず持ち続けています。」
— 2024年12月、JFAの新春インタビューで、代表活動に臨む気持ちについて
41「自分は完成されたプレーヤーではないので、挙げたらきりがありません。さまざまなことを吸収して、もっと自分を磨いていきたい。」
— 2024年12月、JFAの新春インタビューで、これから伸ばしたいことを聞かれて
42「昔は数年先のことまで考え、ビジョンを持って取り組んでいました。それがうまくいった時期もあれば、うまくいかないこともありました。今はあまり先のことを考えずに、目の前の試合、毎日の練習に集中することにしています。『今を生きる』ではありませんが、今後もそういうフォーカスの仕方で自分を磨いていくつもりです。」
— 2024年12月、JFAの新春インタビューで、これからの取り組み方について
2部に落ちたランスで語った名言
フランス1部のリーグ・アンで2桁ゴールを挙げた年にチームが2部(リーグ・ドゥ)へ落ち、移籍もまとまりませんでした。2025年9月には代表からも外れましたが、翌月のブラジル戦で同点ゴールを決めています。腐らずに続けるという話が、くり返し出てくる時期です。
43「メンタル。技術もある程度の身体能力も大事だと思いますが、その上でやっぱり1番大事なのはメンタルだと思います。」
— 2025年6月のインタビューで、海外でプレーするために大事なことを聞かれて
44「でもやっぱり、好きだからできることなんだと思います。好きなことだから頑張れるんです。」
— 2025年6月のインタビューで、つらい時も腐らず努力できる理由を聞かれて
45「誰かに言われてやってても、成長しないじゃないですか。自主的にやるようになってから初めて効果が出るんです。」
— 2025年6月のインタビューで、子どもたちへの助言として
46「嫌いなものは嫌いでいいと思います。海外の人は嫌いなものは嫌いだとハッキリしていますし。自分を持って『これ嫌いだから嫌だ』とはっきり言えるぐらいのメンタルを持っている方がいいと思います。」
— 2025年6月のインタビューで、海外では食事の好き嫌いを無くすことが大事かと聞かれて
47「僕はメンタルが強いほうではないし、毎回毎回緊張するんですよ。」
— 2025年6月のインタビューで、新しいチームに入る時にしていることを聞かれて
48「勉強に対してもそうですけど、何かうまくいかない時とか、壁に当たることってなんでもあると思うんです。その時に、腐らずに、諦めずに、自分を見失ったなって時も信念を持って、周りに相談したりするのもすごく大事だと思う」
— 2025年6月のインタビューで、サッカーをしている子どもたちへ
49「ここから生き残りをかけてサバイバルが始まると思いますが、必ずW杯に出る。僕の夢でもあるので、選ばれるように頑張る。」
— 2025年6月、W杯まで残り1年の時点のインタビューで
50「僕はやりたくないことをやらなくていいとは思いません。コツコツ続けること、地味なことって実はすごく大事なことなんです。小さい頃からの積み重ねが、後になって活きてくることが必ずあります。みんなサッカーも勉強も頑張ってください」
— 2025年7月のインタビューで、サッカーをしている子どもたちへ
51「向上心が無くなると停滞するし、進化できなくなる。常に成長し続けるために、向上心を持ち続けることが大事だと思っています。」
— 2025年10月のインタビューで、自分の内側にあるものを一言で表すならと聞かれて
52「僕個人としてはチャレンジャー精神を持ってやっていましたし、失うものはないと思っていた。持ったらガンガン仕掛けようと。」
— 2025年10月14日、ブラジル戦で同点ゴールを決めて3-2で勝った後に
53「純也くんがボールを持った瞬間、『間違いなく絶対パスが来るな』と確信していました。そして、本当に完璧なクロスが来た。」
— 2026年1月のインタビューで、ブラジル戦の同点ゴールを振り返って
54「子どもの頃、ロナウジーニョ選手に憧れていたので、テレビで見ていたカナリア色のユニフォームのブラジル代表からゴールを決めて、しかも日本代表がブラジル代表から歴史的な初勝利を飾ることができた。なんだか、夢が現実になったような、不思議な気持ちでしたね。」
— 2026年1月のインタビューで、ブラジルに勝った試合を振り返って
55「リーグドゥに残ることになっちゃったんで、個人的に本当に残念。でも仕方ないんで、この1年は代表とワールドカップがあるんで。僕の中で、はっきり言って、代表にかけてますね」
— 2025年11月13日、ガーナ戦の前日に、2部に残ったことについて
56「もし、普通に移籍できていたら、あるいはチームが降格していなかったら、選ばれていたかもしれない。そう思ったこともありました。でも、先ほども言ったように、僕はそれで腐るような人間ではありません。」
— 2026年1月のインタビューで、2025年9月のアメリカ遠征で代表に選ばれなかったことについて
57「2部への降格という経験も、今となっては自分の成長のために必要なことだった、いわば『必然』だったのかもしれないとさえ思っています。」
— 2026年1月のインタビューで、2部への降格を振り返って
58「ストッキングを下げると、大ケガするかもしれないという怖さはあります。でも足のつりを気にしていたら、全力でやれず結果を残せないし、プロとして生き残れない。」
— 2026年5月のインタビューで、短いストッキングの理由を聞かれて
59「まったく考えません。これまでも、目の前のことを一つひとつやることだけでした。正直言って、1か月後のことも考えていません。」
— 2026年4月の取材で、10年後の自分を考えるかと聞かれて
60「若い頃って、“もっとこういうプレーをしなきゃ”って周りに合わせようとしてしまうことがあったんです。でも、無理に変えようとすると、自分の得意じゃないプレーになってしまうことが多くて。だからこそ今は、自分を信じることを大切にしています」
— 2026年6月に公開されたインタビューで、周りに合わせていた若い頃を振り返って
61「恐れずに自分の好きなようにプレーすればいいと思います。とにかく楽しんでやること。それが一番ですね。もちろん生まれ持った体格や身体能力的なものもあると思うんですけど、継続していくことで超えていけるものだと思っています」
— 2026年6月に公開されたインタビューで、これからサッカーを始める子どもたちへ
62「正直、気持ちを維持するのに苦労したのは事実です。ただ、それを支えてくれたのが“シーズン後にW杯がある”というモチベーションでした」
— 2026年6月の取材で、2部での1年を振り返って
63「点とったりしている時は誰でもメンタルは安定していると思うんですけど…自分が苦しい時期にいかにやり続けられるかみたいなところが大事」
— 2025-26シーズン中のNHKの番組の取材で、点を取れない時期のメンタルについて
2部からウェンブリーへ、イングランド戦の名言
所属はフランス2部のまま、2026年3月にウェンブリーでイングランドと戦いました。三笘薫のゴールをアシストして1-0で勝った試合です。その前後には、三笘薫について語った言葉もあります。
64「よりレベルの高い環境でやりたいというのは正直、常に思っています。でも今、自分のいる立ち位置と野心というところが少しズレている。そういうところでモチベーションを保つのが大変な1年になっています」
— 2026年3月、イングランド戦の前の取材で、フランス2部にいる自分について
65「誰も好きで2部でやってるわけじゃないし、チーム状況だったり、個人の契約の中で残ることになった。その中でも学べることはあるし、前向きにはやれているとは思います。」
— 2026年3月、イングランド戦の前の取材で、2部に残ったことについて
66「これまで代表には3年以上選んでもらっていますけど、僕はまだまだチャレンジャー。地に足を着けて常にひたむきに頑張っていくことが大事だと思います」
— 2026年3月、イングランド戦の前の取材で、代表での立場について
67「一緒に出られる時は本当にやりやすいし、世界一のリーグでプレーしている選手と一緒にプレーできるのは毎回光栄だなと思う。もちろん自分もそういう舞台に行きたい」
— 2026年3月30日、イングランド戦の前日に、三笘薫と一緒にプレーすることについて
68「僕は昨季リーグ・アンで2桁ゴールを取ったけど、今年は残念ながらリーグ・ドゥにいることになってしまった。今はリーグ・アンに上げるために頑張っていますけど、代表でレベルの高いチームとやって自分の存在を示すことで、『自分はやっぱりリーグ・ドゥのレベルでは満足できないんだ』ということを示さないといけなかった。はっきり言って、この試合に懸けていましたし、日頃のリーグレベルが低い分、目に見える結果を残したかったんです」
— 2026年3月31日、イングランド戦の後に
69「本当に左サイドを三笘選手とやれるのは大きな喜びだし、めちゃくちゃうまい。自チームじゃありえないくらいのレベルなんで、本当にやっていてめちゃくちゃ楽しくて。」
— 2026年3月31日、イングランド戦の後に、左サイドで三笘薫と組んだことについて
70「相手に当たって抜けたので、何かホワイトがそのあとに目の前に来て、『ラッキーガイ』って言ってきました(笑)」
— 2026年3月31日、イングランド戦の後に、対面のベン・ホワイトとのやりとりについて
71「正直、鳥肌が立ちます」
— 2026年3月31日、イングランド戦の後に、ウェンブリーの日本のサポーターの声援について
72「ただ自分の中では、キャリアトップ3ぐらいに入る大きな試合でした。その中で、結果を残した。それは本当に自信になる。」
— 2026年5月のインタビューで、イングランド戦を振り返って
73「僕からしたら、ライバルなんて…比較されるのは、向こうからしたら、おこがましいと思うし、同じリーグのレベルにいる選手じゃないんで、まだ。」
— 2026年6月に伝えられたテレビ番組の対談で、三笘薫とライバルだと言われることについて
一緒に左サイドでプレーした三笘薫の言葉は、三笘薫の名言40選で読めます。
2026年W杯の名言
左サイドのウイングバックとして全4試合に先発し、オランダ戦で同点ゴール、チュニジア戦でアシストを記録しました。夢だった大会の前の思いも、決勝トーナメント1回戦にあたるラウンド32でブラジルに敗れて悔し涙を流した後の思いも、本人の言葉で残っています。
74「サッカーをしている世界中の子どもたちに、『夢は何?』と聞いたら、みんな『ワールドカップで活躍すること!』、『優勝すること!』と答えると思います。それぐらい大きな意味を持つ大会。サッカー選手にとって、一番の大会だと思います。」
— 2026年5月のインタビューで、W杯がどんな大会かを聞かれて
75「左サイドで久保選手と2人で崩して、久保選手がパスをくれるっていうのはわかっている中で、自分の中でパスをもらう前に、ファーを打つふりしてニアっていうのは、もらう前からイメージはできていた」
— 2026年6月14日、W杯オランダ戦で同点ゴールを決めた後に
76「本当に最高の舞台だなと感じましたけど、やっぱりピッチに立ったらサッカーはサッカーなので特別なW杯の舞台って感じなかったです」
— 2026年6月14日、オランダ戦の後に、初めてのW杯の舞台について
77「マッチアップしたダンフリース選手もレアル・マドリードが決まっているような選手で、かたや僕はリーグ・ドゥ。一見、力の差があるように見えますけど、ゴールを取れて本当によかったです。」
— 2026年6月14日、オランダ戦の後に、マッチアップしたダンフリースについて
78「自分を見失わず、自分を信じてやり続けて、今日、こういう舞台で先発で使ってくれた森保監督に感謝したいですね。それに僕がこうやってW杯でスタメンで出れるのも、ケガで離脱した三笘(薫)選手、南野(拓実)選手が左サイドで貢献してきたから。」
— 2026年6月14日、オランダ戦の後に、苦しい道のりだったと話した続きで
79「世代別から一緒にやってきたので、なんかあるシーンにおいては、喋らずとも来るだろうなっていうのは分かります。感覚で」
— 2026年6月14日、オランダ戦の後に、久保建英との連係について
80「まだまだ初戦が終わっただけなので、ゴールを取ったからといって何かが変わるわけではありません。」
— 2026年6月、チュニジア戦の前に、W杯初ゴールの後の気持ちについて
81「『チュニジア戦は頼んだよ』と。託されている。もちろん久保選手の思いも背負ってみんな戦う」
— 2026年6月、チュニジア戦の前に、欠場が決まった久保建英から声をかけられて
82「カットインだけじゃなくて、今日はキックフェイントで縦に行ってクロスでアシストした。自分がやってきたことが結果につながっている」
— 2026年6月20日、チュニジア戦で鎌田大地の先制点をアシストした後に
83「自分が点を取ったら久保選手にやるということだったけど、アシストしたし。鎌田選手がKをやったら『鎌田のK』と言われてしまうので。僕がやると言っていた」
— 2026年6月20日、チュニジア戦の後に、ゴールの後のKのポーズについて
84「個人としては何もできずに終わってしまった。勝てなくはなかったけど、力の差はあった」
— 2026年6月29日、ラウンド32でブラジルに敗れた後に
85「絶対にまたW杯に出たい」
— 2026年6月29日、ブラジルに敗れた後に、これからについて
86「今日勝っていれば本当に違ったと思いますし、ブラジルにW杯で勝つということは、世界的に見てもビッグニュースになる。それをやりたかった」
— 2026年6月29日、ブラジルに敗れた後に
87「ずっとブラジル戦、もっとこうしたらよかった、ああしたらよかったって後悔だったり、そんなことばっかり考えていた。今もそうですけど。僕のストロングポイントも全く出せなかった」
— 2026年6月30日、敗退の一夜明けの取材で
88「4年に一度のワールドカップがどれだけデカイものかっていうのは痛感しました」
— 2026年6月30日、敗退の一夜明けの取材で、初めてのW杯を終えて
89「やっぱり大事な時になにかできる選手になれれば。代表っていう重さを感じた。入り続けたいという思いは前々からあったけど、より強い思いになっている」
— 2026年6月30日、敗退の一夜明けの取材で、4年後に向けて
90「ソックスはストレスでした。めちゃくちゃ正直。」
— 2026年6月30日、敗退の一夜明けの取材で、主審に注意された短いソックスについて
91「感情にプレーを左右されて、いつも通りの力を発揮できないことは一番避けたいと思っています。自分がこうしたいだとか、エゴが出過ぎるといい判断ができないんですよね。」
— 2026年7月に公開されたインタビューで、試合中の感情について
オランダ戦の後に感謝を口にした森保監督本人の言葉は、森保一監督の名言70選で読めます。
W杯の後と地元・我孫子での名言
大会の後に地元へ帰り、市役所を訪ね、小学生や中学生の質問に答えました。落ち着く方法を聞く小学3年生にも、目標の立て方に迷う子どもにも、自分がしてきたことをそのまま話しています。
92「間違いなく、一番は両親です。小さい頃からずっと支えてもらいました。」
— 2026年8月の市の広報紙のインタビューで、誰に感謝を伝えたいかと聞かれて
93「本当にたくさんの応援とサポートをありがとうございました。我孫子からのメッセージも多く届き、次の試合も頑張ろうという気持ちになりました。ワールドカップで活躍する夢は一部かないましたが、まだ夢の途中。4年後必ずリベンジしたいと思います。」
— 2026年8月の市の広報紙に載った、我孫子市のみなさんへの言葉
94「無理やり目標を立てる必要はないと思います。まず『好きなこと』を見つけて、それに熱中して打ち込んでいけば良いと思います。それがいずれ夢や目標につながってきます。」
— 2026年8月の市の広報紙のインタビューで、目標の立て方について子どもたちへの助言を聞かれて
95「あとは、できるだけポジティブな言葉を使うように心掛けています。有言実行という言葉もありますし、“言霊”は信じてるんで。」
— 2026年8月の市の広報紙のインタビューで、目標の立て方の話の続きで
96「サッカーは一人じゃないから、オランダ戦で失点したときもみんなで集まって話し合って大丈夫って(したことで)、気持ちの整理もつく。ピンチのときは一人で抱え込まず、みんなと話し合って、前を向いて行こうとポジティブになれれば絶対にピンチもチャンスに変えられると思う」
— 2026年7月18日、JALのサッカー教室で、小学3年生に落ち着く方法を聞かれて
97「プロになるまでもいろんな壁があった。腐らずにやり続けるのが大事。どんなつらいことがあっても投げやりにならないことが一番大事」
— 2026年7月21日、千葉県警のイベントで我孫子市の中学生と話した時に
98「左サイドハーフは攻撃的なポジション。常にゴールを意識してプレーする。ゴールや、ゴールの起点になるのが一番大事。常にゴールを見て、逆算して」
— 2026年7月21日、千葉県警のイベントで、同じポジションの中学生に
99「あまり考えすぎないようになりました。海外の選手は思ったことをズバズバ言ってくる。若い頃は全部、真に受けていましたね。最近は8〜9割は流して聞いているような感じです。気にせずにやってます。自分のスタイル的には、流れに身を任せる。”なるようになる”じゃないけど、そんな感じでやっていますね」
— 2026年8月のインタビューで、メンタルの整え方について
100「自分自身、海外に来て、けっこう変わりました。僕は、何でも突き詰めてやるタイプだったんです。サッカーのことをずっと考えている。そういうタイプだったんですけど、年を重ねて経験していくにつれて、変わっていったのかなと思っています」
— 2026年8月のインタビューで、海外に来てからの変化について
101「次のW杯に出た場合は29歳。ちょうど経験も重ね、代表を引っ張っていくことに関しては一番大事な年齢」
— 2026年7月10日、我孫子市役所で、次のW杯への思いについて
リヨンへの移籍とその後の名言
2026年9月、2部を抜けてフランス1部のリヨンへ移りました。「欲しいタイミングでパスが来る」と喜ぶ言葉は、「本当に、パスが来なかった」という2部の1年があってのものです。
102「(決まるまでは)緊張していましたし、心配や不安もありました。でも最終的に、このクラブに加入できて本当に幸せです」
— 2026年9月、リヨン公式の映像のインタビューで、加入が決まるまでの気持ちについて(日本語訳)
103「ここに加入できて本当に嬉しいです。この巨大なクラブでプレーするのが待ちきれません。たくさんのファンの前でゴールやアシストをしていくこと、それが僕にとっての大きな喜びです。本当にありがとうございます」
— 2026年9月、リヨンとの契約の日に(日本語訳)
104「昨季はもがいた。心機一転、サッカーができるのが喜び」
— 2026年9月16日、ヨーロッパリーグのアンデルレヒト戦でリヨン初ゴールを決めた後に
105「欲しいタイミングでパスが来る。連係して崩せるのが楽しい」
— 2026年9月16日、アンデルレヒト戦の後に、リヨンの周りの選手について
106「どこに行くかというところで、リヨンは僕の中で最優先でした。」
— 2026年9月23日、ウルグアイ戦の前日に、リヨンへの移籍について
107「一番、僕自身がレベルアップ、ステップアップして、レベルの高い環境でプレーしないといけないと思っていたので、リーグ・アンに戻ってこられてよかったと思います」
— 2026年9月23日、ウルグアイ戦の前日に、リーグ・アンに戻ったことについて
108「3年以上(代表に)選んでいただいていますけど、だからと言ってインパクトが必要ないわけではないので。フレッシュな気持ちで臨みたい」
— 2026年9月23日、ウルグアイ戦の前日に、W杯の後で初めての代表活動について
109「(自分の仕事は)攻撃でアクセントを作る。逆にそれがなくなったら自分の価値がなくなるので、ゴールはありませんでしたが、アシストできてよかったです」
— 2026年9月24日、ウルグアイ戦の後に、自分の役割について
110「本当に見習うことが多いなというふうに思います」
— 2026年10月5日、キリンカップ決勝のニュージーランド戦の後に、伊東純也について
111「前回大会は悔しい思いをしたので、個人的にも良い大会にしたいです」
— 2026年10月5日、ニュージーランド戦の後に、アジアカップ2027について
中村敬斗のゴールパフォーマンス:Kのポーズの意味
中村敬斗のゴールパフォーマンスで話題になったのは、2026年W杯のチュニジア戦で両手で作ったKのポーズです。自分のゴールではなく、前半4分にアシストした鎌田大地のゴールの後に見せました。左膝のけがでリハビリを続けていた久保建英へのメッセージで、Kは久保のKです。本人が試合の後に認めています。
| 時期 | 本人の言葉 |
|---|---|
| 試合の前 | 「『チュニジア戦は頼んだよ』と。託されている」 |
| ポーズの後 | 「(向きが)逆になっちゃった」 |
| 試合の後 | 「鎌田選手がKをやったら『鎌田のK』と言われてしまうので。僕がやると言っていた」 |
もともとは「自分が点を取ったら久保選手にやるということだった」そうです。ところが中村敬斗はこの試合で点を取らず、アシストに回りました。そこでゴールを決めた鎌田ではなく、自分がポーズを取ったわけです。ポーズの向きが逆になったと笑いながら振り返り、試合の後に久保からメッセージが届いたと明かして「喜んでました」と話しました。
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