レスリングで世界大会16連覇の吉田沙保里の名言は、笑えるのに悔しい時の力になります。「よし、ブン投げてやる!」から、4連覇を逃したリオの銀メダルで負けた人の気持ちを知った言葉、父と母の言葉まで。「全員タックルで倒した」は本当の言葉なのか、吉田沙保里の名言と場面で確かめられます。
吉田沙保里は、レスリングで五輪3連覇、世界大会16連覇を果たした選手です。吉田沙保里の名言には、モデルのような相手に「よし、ブン投げてやる!」と燃える言葉もあれば、4連覇を逃したリオ五輪の銀メダルで負けた人の気持ちを知った言葉もあります。悔しい時に読むと、もう一回やってみようと思える言葉ばかりです。
吉田沙保里のプロフィール
吉田沙保里は、3歳で父の道場でレスリングを始め、2004年のアテネから五輪で3大会続けて金メダルを取りました。4連覇をかけた2016年のリオでは銀メダルに終わっています。世界大会16連覇と個人戦206連勝の記録を残し、霊長類最強女子とも呼ばれました。2019年に引退し、2026年10月には44歳で歌手デビューしています。
基本プロフィール
霊長類最強という吉田沙保里の呼び名を支えた記録が、世界大会16連覇です。五輪3大会と世界選手権13大会を、続けて制しました。
| 項目 |
内容 |
| 英語表記 |
Saori Yoshida |
| 生年月日 |
1982年10月5日 |
| 出身 |
三重県 |
| 競技 |
レスリング女子 |
| 五輪 |
金3(2004年・2008年・2012年)、銀1(2016年) |
| 世界大会 |
16連覇 |
| 個人戦 |
206連勝 |
| 国民栄誉賞 |
2012年 |
| 現役引退 |
2019年1月(36歳) |
金メダルを取った3大会は55kg級で、リオだけは53kg級で戦いました(JOC の選手ページ)。
生い立ち:3歳で父の道場でレスリングを始めてから中学2年まで
吉田沙保里の父の栄勝さんは、全日本チャンピオンになったレスリング選手で、引退の後は自宅に道場を開いて子どもたちを教えていました。2人の兄も通っていて、本人は「私だけがレスリングをやらないという選択肢はなかったんです」と振り返っています。5歳の初めての試合では男の子に負けて泣き、相手の金メダルをほしがると、父はこう言い聞かせました。「いいか、沙保里。あの金メダルはな、スーパーやコンビニには売ってないんだよ。がんばって練習して強くなって、試合に勝った子しかもらえないものなんだ」。
- 小学生の頃の休みは、お盆とお正月の2、3日ずつだけだった
- 友達に遊びに誘われても、練習があるからと断るしかなかった
- ピアノを習いたいと頼むと、父の答えは「ピアノが弾けるようになっても、レスリングは強くならん」だった
- 中学校にレスリング部がなく、陸上部で走ってから自宅の道場で練習した
- 中学2年の時に、アトランタ五輪の田村亮子選手(のちの谷亮子さん)をテレビで見て、「私も、こんなふうに強い選手になりたい」と思った
これ以降、レスリングをやめたいと思ったことは一度もなかったそうです。やらされていた練習が、自分の目標のための練習に変わった瞬間でした。
五輪3連覇からリオの銀メダル、引退、歌手デビューまでの歩み

2002年から世界大会で勝ち続けた吉田沙保里ですが、負けも知っています。206連勝は個人戦に限った数で、団体戦のワールドカップでは2度敗れています。どちらも五輪の年の出来事で、2008年の敗戦では、団体戦も含めた連勝が119で止まりました。
| 年 |
主な出来事 |
| 2002年 |
世界選手権で優勝(世界大会の連覇が始まる) |
| 2004年 |
アテネ五輪で金メダル |
| 2008年 |
1月のワールドカップで敗れ、119連勝が止まる。北京五輪で金メダル |
| 2012年 |
5月のワールドカップで敗れる。ロンドン五輪で金メダル。国民栄誉賞 |
| 2014年 |
3月に父の栄勝さんが死去 |
| 2016年 |
リオ五輪で日本選手団の主将を務め、銀メダル |
| 2019年 |
1月に引退を発表。4月から『ZIP!』の金曜日のメインパーソナリティー |
| 2026年 |
10月28日にシングル「I’m Here」で歌手デビュー |
リオの決勝では、アメリカのヘレン・マルーリスに敗れて4連覇を逃しました。その銀メダルを、引退会見では最も印象に残るものとして挙げています。
44歳で出したデビューシングルの「I’m Here」と「勝ちに行く、今」は、どちらも本人が作詞に加わった曲で、競技で経験してきたことが歌になっています。
座右の銘
吉田沙保里の座右の銘として本人が挙げた言葉は、Activel編集部が調べた範囲では見つかりませんでしたが、「モットー」と言い切った言葉はあります。それが、2017年のインタビューで語った「人生は一度きりだから自分のやりたいことに集中する。これは私のモットーです。」です。2026年10月、歌手デビューのライブでも「人生は一度きり。一歩踏み出さないと。」と話していて、この考えは引退した後も変わっていません。
もう1つ、本人を表す語が夢追人です。自身のブログの題は「夢追人」で、三重県が2014年に作った表彰にも「夢追人 吉田沙保里大賞」の名が付いています。
吉田沙保里の名言40選
吉田沙保里の言葉を読むと、あの強さの理由が3つ見えてきます。父に叩き込まれた攻めの姿勢、じゃんけんでも勝つまでやめない負けず嫌い、そして負けた時に自分と向き合う姿です。吉田沙保里の笑える名言も、勝負の言葉も、根は同じです。
吉田沙保里のタックルと勝負を語った名言
吉田沙保里のタックルは、「タックルを制する者は、世界を制する」という父の口癖から始まりました。現役時代の父は投げ技や返し技が得意で、相手のタックルにやられることが多かったそうです。その失敗があったから、娘には、自分とは違う戦い方を教え込みました。公式戦で5連敗した山本聖子さんに、アテネ五輪の代表を懸けた2004年の決勝で完勝した時も、決め手は3本のタックルでした。世界中の選手に研究されるようになっても、吉田沙保里のタックルは最後に頼れる武器であり続けました。
01「私には誰にも負けないタックルがある。タックルならいつでも入れる。タックルで必ず逆転できる。焦るな、落ちつけ!」
— 2015年3月に掲載されたインタビューで
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発言時期: 2015年3月に掲載されたインタビュー(前の年のアジア競技大会を振り返って)
発言状況: 前の年のアジア競技大会の初戦で、中国の選手に5ポイントもリードされました。それでも逆転できたのは、試合の中でこう自分に言い聞かせたからだと語っています。五輪の前に負けることがあっても、父のもとで始めたころの原点に戻り、武器のタックルを磨いて突き進める、とも話しました。
02「誰もが私のタックルや戦い方を研究し、対策を練って戦いを挑んできます。そういう人たちを一人ひとり倒していく。それが頂点を行く者の宿命なのです。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)
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発言時期: 2016年、リオ五輪の前(著書『迷わない力』を基にした連載)
発言状況: ライバルについて語った一節です。山本聖子さんに勝つために、大学に入ってから腕力とスタミナを鍛え、2002年にようやく判定で勝ちました。2004年の決勝を今でも自分の一番の試合に挙げたうえで、今は特定のライバルはおらず、世界の全選手がライバルだと続けています。
出典: プレジデント社「吉田沙保里『4連覇へ向けて』最大のライバルは」
03「私のタックルをみんな研究して対策するから、全員タックルで倒した。」
04「今はロースコアでも、どんなに泥臭い戦いになろうとも、試合が終わったときに自分の手が上がっていればいい。一番大事なことは、表彰台の一番上に立つこと。」
— 2015年3月に掲載されたインタビューで、新しい戦い方を語って
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発言時期: 2015年3月に掲載されたインタビュー(リオ五輪に向けて)
発言状況: 以前は、スカッとして気持ちがいいので、正面からのタックルで相手の両肩をマットにつけるフォール勝ちにこだわっていたそうです。勝てばいいと割り切れるようになったのがロンドン五輪での成長だと話しました。リードしている場面でむやみにタックルに入らなくなったので、返されて大量に点を失う心配も消えたそうです。
05「ハングリー精神。勝負の世界で最後にものをいうのはこれです。実力が拮抗していたら、勝ちたいという気持ちに飢えているほうが絶対に勝ちます。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)
06「とにかくレスリングは勝ってナンボ。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)
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発言時期: 2016年、リオ五輪の前(著書『迷わない力』を基にした連載)
発言状況: 相手のケガをしている所を攻めるのは卑怯なのか、という話の結びです。ケガをしたのは相手自身の責任で、棄権せずに出てきたのは戦えるということだと書きました。この言葉の後は「私はあくまで勝ちにこだわっていきます。リオでは、トレードマークの高速タックルを捨ててでも勝ちにいくので見ていてください。」と続きます。
07「やはり最後は気持ちが勝敗を左右するので、いくら人一倍練習をしても、ここぞというときに気持ちが強くないと勝つことはできません。」
— 2017年7月に掲載されたインタビューで
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発言時期: 2017年7月に掲載されたインタビュー(リオ五輪の次の年)
発言状況: 練習では強いのに本番で勝てない選手も、練習では全く勝てないのに本番に強い選手もいる、という話の続きです。30年のレスリング人生を通して、この心の部分を鍛えることが何より難しいと語りました。だから緊張感のある練習を積むことが大事で、これだけ厳しい練習をしたと思えれば大きな自信になるそうです。
08「『オリンピックには魔物が潜む』と言うけれど、“魔物”は自分の気持ちのなかに潜んでいるんだよ」
— 2016年2月に掲載されたインタビューで、五輪に初めて出る後輩に伝えた言葉として
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発言時期: 2016年2月に掲載されたインタビュー(リオ五輪の半年前)
発言状況: 五輪に初めて出る後輩たちにどんな声をかけるか、と聞かれて紹介した言葉です。自分が経験してきたことを伝えようと思っている、と話していました。3度の五輪を経験していても、舞台に慣れたかと聞かれると「それはありません」と答えています。
吉田沙保里の努力と夢を語った名言
努力の話は、「練習は嫌い」から始まります。父がよく言っていた「がんばったもの勝ち」を信じて、嫌いな練習から逃げなかった人の言葉だからこそ、今まさに練習がつらい人の気持ちを軽くしてくれるかもしれません。夢についても、かなった時の話だけでなく、破れた時にどうするかまで話しています。
10「私はレスリングは好きだけど、練習は嫌い。やらなくてもいいならやりたくない。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)
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発言時期: 2016年、リオ五輪の前(著書『迷わない力』を基にした連載)
発言状況: 自分より重い選手を2人背負って走ったり、床に座った状態から腕の力だけでロープを登ったりする練習が楽しいはずがない、という話から始まる一節です。伊調馨選手は練習大好きという変わった人だけれど、それは例外中の例外だそうです。それでもこの言葉の後は「でも、練習します。」と続き、朝は誰よりも早く道場に行くそうです。
11「どんなに素質があっても、また輝かしい実績があっても、練習を怠っていたらその選手は絶対に勝てません。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)、父の「がんばったもの勝ち」を受けて
12「自分はこれだけの厳しい練習に耐え抜いたという事実は、生きていくうえでなにものにも代えがたい自信をその人に与えてくれるからです。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)
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発言時期: 2016年、リオ五輪の前(著書『迷わない力』を基にした連載)
発言状況: 本人が練習を続けている大学の部には、毎日必死にやっても、どうしても勝てない選手が何人もいるそうです。その選手たちに「がんばったもの勝ち」は当てはまらないのか、という問いへの答えがこの言葉でした。社会に出て困難にぶつかった時も、あの苦しさに比べれば、と乗り切れるはずだと続けています。
13「『何のためにこんなにキツいことをやっているんだろう』と、いつも思います。でもそこで頑張れるのは、やはり夢があるからです。」
— リオ五輪の後、現役のうちに「PLAY TRUE リレー」に寄せた文章で
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発言時期: リオ五輪の後、現役のうちに寄せた文章(日付の記載なし)
発言状況: 東京2020のレガシー事業として、アスリートが自分の大切にしていることを伝えるプロジェクト「PLAY TRUE リレー」に寄せた文章です。心・技・体の中で最も重きを置いているのは心だと書いた後に、この言葉が続きます。目指すものがその先にあり、同じ夢をもつ仲間がいるから頑張れると結びました。
出典: PLAY TRUE リレー「吉田沙保里」
14「もし、夢や目標が破れてしまっても、新たな夢を見つけて、それに向かって頑張れば、また新しい楽しさや喜びが出てくると思うんです。」
— 2013年3月に掲載されたインタビューで
15「何事も自分次第。自分がどうしたいかで変わってきますから。私はマイナスに考えない、絶対プラスに考える性格なんですよ。」
— 2013年3月に掲載されたインタビューで
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発言時期: 2013年3月に掲載されたインタビュー(ロンドン五輪の次の年)
発言状況: 誰にでも試練は何回も訪れるという話の結びです。この後、ロンドン五輪の前のワールドカップで4年ぶりに負けたことに触れ、「悩み苦しみましたが、負けて強くなりました。」と語りました。25歳で119連勝が止まった時にも多くを学び、それで今の自分があると話しています。
父と母を語った名言
吉田沙保里の父の栄勝さんは、厳しいコーチで、口癖は「人に迷惑をかけるな」でした。2014年に高速道路を運転中に倒れた時も、ぶつかった自分の車を路肩まで動かし、サイドブレーキをかけてから意識を失ったそうです。母の幸代さんは、負けて落ち込む娘に別の見方を示す人でした。119連勝が止まった時には「これまであなたに負けた人たちも、同じように悔しい思いをしてきたのよ」と諭し、リオの銀メダルには「ちょうどよかったじゃない。うちには、この色なかったから」と言いました。
16「私の人生は、本当に父がすべて決めてきたんです(笑)。」
— 2017年に公開されたインタビューで、大学の進学先を振り返って
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発言時期: 2017年に公開されたインタビュー
発言状況: 中京女子大学(今の至学館大学)への進学も、父の一声で決まったそうです。本当は、高校は鹿児島の鹿屋高校へ、大学は東京の方へ行きたいと思っていました。自宅から近ければ練習を見て教えられる、というのが父の考えだったようです。少し縛られていて離れたかった、という気持ちも正直に話しています。
出典: 笹川スポーツ財団「人生をかけて歩んできたレスリング」
17「勝ったか負けたかよりも、父の基準は、攻めたか、攻めなかったか、でしたね。」
— 2017年に公開されたインタビューで
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発言時期: 2017年に公開されたインタビュー
発言状況: 父は勝敗へのこだわりも強かったのでは、と聞かれて答えた言葉です。勝った試合でも、練習通りに技を出して攻めていなければ叱られました。逆に負けても、きちんと攻める姿勢を見せていれば褒めてくれたそうです。
18「そうだ。負ければ誰だって悔しいに決まっている。二度とそういう思いをしたくなければ、もっともっと強くなればいい。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)、2008年の敗戦を振り返って
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発言時期: 2016年、リオ五輪の前(著書『迷わない力』を基にした連載)
発言状況: 2008年1月のワールドカップで敗れ、抜け殻のようになって実家に帰った時のことです。負けた人たちも同じ思いをしてきたという母の言葉を受けて、本人はこう思い直しました。道場で父が子どもたちを教える姿を毎日見ているうちに、始めたころの気持ちもよみがえったそうです。
19「人に迷惑をかけるなよと、父は命をかけて私たち家族に教えてくれたのだと思っています。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)、2014年の父の死を振り返って
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発言時期: 2016年、リオ五輪の前(著書『迷わない力』を基にした連載)
発言状況: 父が亡くなったのは2014年3月11日です。高速道路の真ん中に車が止まっていたら、後ろの車がよけられず、多くの人を巻き込むかもしれない。父はそれを防ごうととっさに車を動かしたのだと、本人は受け止めています。
20「いまも、迷ったときは父ならどう言うだろうとよく考えます。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)
21「吉田家に生まれてよかった。いまは心の底からそう思っています。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)
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発言時期: 2016年、リオ五輪の前(著書『迷わない力』を基にした連載)
発言状況: ポケットベルがほしくて「友だちもみんな持ってるよ」と言っても、父の答えは「ウチはウチ、ヒトはヒト」でした。友達と遊ぶ時間もなくレスリングに打ち込む青春を送り、その結果、霊長類最強女子という「最高の勲章」を手にできたと振り返っています。父には感謝の気持ちしかないと結びました。
リオオリンピックの銀メダルと負けを語った名言
2016年のリオオリンピックで、吉田沙保里は日本選手団の主将として4連覇に挑みました。決勝で敗れた本人は、号泣しながら何度も謝りました。ところが2年半後の引退会見で、一番印象に残るメダルに選んだのが、この銀メダルです。勝ち続けた人が五輪で負けて初めて知った気持ちだからこそ、その言葉は悔しさの中にいる人に届きます。
22「お待たせしてすみません。自分が弱いから負けました」
— 2008年1月、ワールドカップで119連勝が止まった約1時間後に
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発言時期: 2008年1月(ワールドカップのアメリカ戦の後)
発言状況: 相手のマルシー・バンデュセンにタックルを返され、微妙な判定で敗れました。泣きじゃくって控室に下がりましたが、1時間ほどすると、真っ赤に腫らした顔で報道陣の前に出てきて、消えそうな声で話しました。後に父は国際電話で「悔しいだろう。だったら、その悔しさをそのまま持ってこい。そして、一生懸命、練習せい。」と声をかけています。
23「日本選手の主将として、金メダル取らないといけないところだったのに、ごめんなさい」
— 2016年8月、リオ五輪の決勝の後に
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発言時期: 2016年8月(リオ五輪の女子53kg級の決勝の後)
発言状況: 素晴らしい戦いでした、と声をかけられて答えた言葉です。今の気持ちを聞かれた時も「たくさんの方に応援していただいたのに、銀メダルで終わってしまって申し訳ないです」と謝っていました。敗因を聞かれると「自分のやっぱり気持ちが、最後は勝てるだろうと思ってたんですけど、取り返しのつかないことになってしまって…」と話しています。
24「今はこの銀メダルをとても新鮮に思い、大好きです」
— 2016年8月31日、日本レスリング協会のリオ五輪の報告会で
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発言時期: 2016年8月31日(日本レスリング協会のリオ五輪の報告会)
発言状況: 協会の会長が「金以上の価値がある銀メダル」とたたえた場で、代表選手が一人ずつ大会を振り返りました。この言葉に続けて「また次の道に向かって頑張っていきますので応援よろしくお願いします」と言うと声が震え、涙をぬぐっています。
25「4連覇は逃しましたが、もうそれは勝負の世界なので仕方ありません。あの時は、彼女の『吉田沙保里に勝ちたい』という思いの方が強かったのだと思います。」
— 2017年に公開されたインタビューで、リオの決勝の相手について
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発言時期: 2017年に公開されたインタビュー
発言状況: 「彼女」は決勝の相手のヘレン・マルーリスです。決勝にはソフィア・マットソンが来るとにらんでいたので、マルーリスが上がってきたのには少し驚いたそうです。実際に戦ってみると、予想以上に強かったと認めています。
出典: 笹川スポーツ財団「人生をかけて歩んできたレスリング」
26「たとえ負けたとしても、その努力が無意味になることは絶対にありません。」
— リオ五輪の後、現役のうちに「PLAY TRUE リレー」に寄せた文章で
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発言時期: リオ五輪の後、現役のうちに寄せた文章(日付の記載なし)
発言状況: 勝負の世界では勝者はたった一人、残りはみんな敗者だ、と書いた後の一節です。それでも敗者はみんな弱いのかといえばそうではない、と続けました。本気で頑張った人だけが得られる強さは、人生の糧になると語り、父がこだわったのも試合の勝敗より攻めきったかどうかだったと振り返っています。
出典: PLAY TRUE リレー「吉田沙保里」
27「いちばん近いのもあるかもしれないですけど、リオオリンピックは負けた人の気持ちがよくわかった大会になりました」
— 2019年1月10日、引退会見で
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発言時期: 2019年1月10日(引退会見)
発言状況: 獲得した17個のメダルで一番印象に残るものは、という質問でした。いつもは即答する本人が、この質問では「うーん……難しいですけど……」と言葉をつなぎ、考えてから、唯一の銀メダルを選びました。「いちばん近い」とは、リオが一番最近の大会だという意味です。
28「本当に負けて得るもの、負けて知るものということを思えば、すごく大きかった。」
— 2019年1月10日、引退会見で
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発言時期: 2019年1月10日(引退会見)
発言状況: 初めて表彰台の2番目に上った時に「あっ、負けた人ってこんな感じなんだな」と感じたそうです。競い合う仲間がいたから頑張ってこられたことも、負けて知ることができたと話しました。この言葉は、銀メダルは自分自身を成長させてくれた、という話の結びです。
29「吉田沙保里は勝ち続けることで成長したのではなく、負けて強くなってきました」
引退の報告とその後を語った名言
2019年に33年間の現役生活を終えた後、吉田沙保里の毎日はがらりと変わり、テレビの司会やゴルフ、ギターが加わりました。2026年10月には歌手としてデビューし、ライブで「勝負に行きたいときにこの曲を聴いてください」と呼びかけています。レスリングで勝つことだけを見てきた人の世界が広がっていく様子が、言葉から伝わります。
30「この度、33年間のレスリング選手生活に区切りをつけることを決断いたしました。」
— 2019年1月8日、本人の SNS で
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発言時期: 2019年1月8日(本人の SNS での発表)
発言状況: これまでに取った多くのメダルの写真と一緒に投稿した引退の報告です。「ここまで長い間、現役選手として頑張ってこれたのも沢山の方々の応援とサポートのおかげです。」と続けて感謝を伝えました。
出典: 吉田沙保里の Instagram の投稿
31「昔から『自分は自分、人は人』と教えられてきましたし、自分自身は『やり切った』という思いが強かったので、心は動かなかったです。」
— 2019年1月10日、引退会見で
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発言時期: 2019年1月10日(引退会見)
発言状況: 前の月の全日本選手権で、伊調馨選手が優勝して東京五輪に触れました。それを解説者として見ていて心は動かなかったか、という質問でした。続けて、仲間として頑張ってきた伊調選手の口から東京五輪を目指すと聞いて、率直に「すごいな」と思ったと話しました。
32「現役時代は、勝つことばかりにこだわっていました。今はそういった重圧からも解き放たれて、ちょっとは優しい顔になってきたのかな(笑)」
— 2019年5月、『ZIP!』の現場で受けた取材で
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発言時期: 2019年5月(週刊誌の取材)
発言状況: 引退してすぐの4月から、朝の情報番組『ZIP!』の金曜日のメインパーソナリティーを務めました。放送の日は朝3時半に起きて、4時に現場に入っていました。最初は寝つけないほど緊張していたものの、もともと朝には強いと話していました。
33「メチャクチャ広がりました。レスリングで勝つためだけに……という感じでいたけど、いろんなものが見えました。社会ってこういう感じだったんだと。」
— 2022年8月、ラジオ番組で
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発言時期: 2022年8月(ラジオ番組への出演)
発言状況: 引退してからやることの幅は広がったでしょう、と聞かれて返した言葉です。続けて、夢を達成するためにレスリングがいちばんきついと思っていたけれど、もっと頑張っている人はたくさんいると話しました。今は「楽しい」という気持ちの方が大きいと笑っています。
34「夢にまで見た歌手になりました! 勝負に行きたいときにこの曲を聴いてください」
— 2026年10月29日、歌手デビューのミニライブで
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発言時期: 2026年10月29日(東京・池袋サンシャインシティの噴水広場)
発言状況: 前の日に、自身が作詞したシングル「I’m Here」が発売されたばかりでした。ライブの最初のあいさつの言葉です。この後、「勝ちに行く、今」も歌っています。足を止めて聞き入る人の中には、歌っているのがレスリングの吉田沙保里だと気づいて二度見する人もいたそうです。
35「勝ち負けでなく、自分らしく生きることが大切。前を向いて頑張っている人に聞いて欲しい」
— 2026年10月29日、デビュー曲について
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発言時期: 2026年10月29日(シングルの発売記念イベント)
発言状況: 「I’m Here」をどんな人に聞いて欲しいかと聞かれた時の答えです。作詞を手がけたのは「これまではレスリングで多くの人に応援をされてきたので、今度は応援歌でみんなの背中を押したいと思ったから」だと話しました。
吉田沙保里の面白い名言と語録
吉田沙保里の面白い名言は、ネタを狙った言葉というより、負けず嫌いが振り切れて思わず笑ってしまう言葉です。語録として広まった「女でよかった」の話は、「男だったらきっと、試合で何人か相手を殺してますね」という、かなり強い言い方です。それだけ本気で相手に向かっていたことが伝わります。
36「いるんですよ、海外にはときどき、美形で手足が長くてスタイルのいい、モデルみたいな選手が。そういうときは燃えますね。『よし、ブン投げてやる!』ですよ。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)
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発言時期: 2016年、リオ五輪の前(著書『迷わない力』を基にした連載)
発言状況: 試合になるとアドレナリンが出まくる、特に外国人のかわいい選手と戦う時は、という話です。遠慮や優しさはマットの上では邪魔なだけで、道場でも先輩を相手に遠慮しないそうです。
出典: プレジデント社「吉田沙保里『相手のケガ』を攻めるのは卑怯なのか?」
37「私、本当に自分が女でよかったと思っています。男だったらきっと、試合で何人か相手を殺してますね。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)、「ブン投げてやる」の話に続けて
38「霊長類最強女子ってなんなん」
— 2019年2月17日、本人の X で
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発言時期: 2019年2月17日(本人の X の投稿)
発言状況: 百獣の王を名乗るタレントの武井壮さんが投稿した「百獣の王ってなんなん」に、引用の形で返した言葉です。引退した翌月のやり取りでした。
出典: 吉田沙保里の X の投稿
39「『結婚して金! ママでも金!』。やっちゃいますか(笑)?」
— 2015年3月に掲載されたインタビューで
この名言の背景を詳しく読む
発言時期: 2015年3月に掲載されたインタビュー
発言状況: 力を温存する戦い方なら選手生活も延びそうですか、と聞かれた時の返しです。「ママでも金」は、柔道の谷亮子さんの言葉です。
40「日常生活でも負けるのはイヤ。たとえじゃんけんだって負けたら『クソ―、もう一回』って勝つまでやります。勝負事は絶対に勝たないと気がすまないんです。」
— 著書『迷わない力』で(2016年、リオ五輪の前)
よくある質問(Q&A)
Q1. 吉田沙保里はなぜ霊長類最強女子と呼ばれる?いつから?
世界大会の連覇と個人戦の連勝を重ね、最後は世界大会16連覇、個人戦206連勝という記録を残したからです。誰がいつ付けた呼び名なのかは、はっきりしません。
2012年10月の報道の見出しには、もう霊長類最強と出ています。霊長類最強の男と言われたロシアのカレリンの記録を、世界大会13連覇で抜いた頃です。
母の幸代さんは引退会見の日に「どなたがつけたのか?」と苦笑いしながら、カレリンさんに匹敵するほど強いと思われているのだと感謝していました。本人は著書で「最高の勲章」と書き、引退の翌月には X に「霊長類最強女子ってなんなん」と投稿しています。
Q2. 「全員タックルで倒した」はいつの言葉?
いつ、どこで言った言葉なのかは分かっていません。本の名前を挙げて紹介する記事はありますが、その本の該当の箇所までは確かめられませんでした。
確かめられた近い言葉は、著書『迷わない力』を基にした連載で、吉田沙保里のタックルについて書いた「誰もが私のタックルや戦い方を研究し、対策を練って戦いを挑んできます。そういう人たちを一人ひとり倒していく。」です。
Q3. 吉田沙保里の名言集でよく見る面白い名言は?
面白い名言には、かわいい選手と戦う時の「よし、ブン投げてやる!」と、じゃんけんでも勝つまでやるという「クソ―、もう一回」があります。どちらも本人の著書を基にした連載に出てくる言葉です。
恋の話では、2012年10月に「連戦連敗です」と打ち明けました。引退の翌月に X に投稿した「霊長類最強女子ってなんなん」も、吉田沙保里の面白い名言の1つです。
Q4. 「人類が16年かかった」は本人の言葉?
本人の言葉だという根拠は見つかりませんでした。「人類がレスリングという競技で吉田沙保里を倒すのに16年かかっただけ」という形で出回っていますが、載せているページにも出どころが書かれていません。
リオの決勝の後の本人は「ごめんなさい」と謝り、翌年のインタビューでは相手の思いの方が強かったと話しています。この言葉の強気な調子とは、ずいぶん違います。「勝ち続けてきた理由は、吉田沙保里と戦わなくていいから」という言葉も、同じく出どころが見つかりませんでした。
Q5. 父と母からはどんな言葉をかけられた?
父の口癖は「タックルを制する者は、世界を制する」と「がんばったもの勝ち」、そして「人に迷惑をかけるな」でした。
119連勝が止まった2008年には、国際電話で「悔しいだろう。だったら、その悔しさをそのまま持ってこい。」と声をかけています。母は同じ時に「これまであなたに負けた人たちも、同じように悔しい思いをしてきたのよ」と諭し、リオの銀メダルには「ちょうどよかったじゃない。うちには、この色なかったから」と言いました。
Q6. 銀メダルの時に何と言った?
リオ五輪の決勝の直後に、「日本選手の主将として、金メダル取らないといけないところだったのに、ごめんなさい」と話しました。
その気持ちは時間とともに変わります。2週間ほど後の報告会では「今はこの銀メダルをとても新鮮に思い、大好きです」と話し、2019年の引退会見では「リオオリンピックは負けた人の気持ちがよくわかった大会になりました」と振り返りました。
Q7. 吉田沙保里の座右の銘は?
本人が座右の銘として挙げた言葉は、調べた範囲では見つかりませんでした。
本人が「モットー」と言い切った言葉には、2017年の「人生は一度きりだから自分のやりたいことに集中する。」があります。ブログの題には「夢追人」と付けています。