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北口榛花の名言30選!「名言が残せなかった」とパリ五輪・世界陸上の言葉

北口榛花の名言30選!「名言が残せなかった」とパリ五輪・世界陸上の言葉

「名言が残せなかった」。やり投げの北口榛花が、パリ五輪の金メダルの日に笑って話したこの一言は、流行語にもなりました。単身チェコへ渡った大学生の決意、涙の予選落ちから「帰ってきたよ」と言えるまでの北口榛花の名言は、笑って挑み続ける元気をくれます。

2026.11.05 | 陸上競技

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公式ライター
Activel編集部

パリ五輪で金メダルを取った日の会見で、やり投げの北口榛花は「ひとつ心残りがあるとすれば名言が残せなかった」と笑いました。その一言さえ流行語になった北口榛花の名言は、明るく、まっすぐです。単身チェコへ渡った大学生の時の決意から、東京世界陸上で泣いた予選落ちを越えて「帰ってきたよ」と言えるまで、言葉が生まれた場面と一緒に読むと、笑って挑み続ける元気がわいてきます。

北口榛花のプロフィール

北口榛花(きたぐち はるか)は、女子やり投げの選手です。2023年のブダペスト世界陸上と2024年のパリ五輪で金メダルを取り、2026年9月には68m92の日本記録を出しました。女子のトラックとフィールドの種目で五輪の金メダルを取った日本選手は、北口選手が初めてです。

基本プロフィール

生年月日や成績は次の表のとおりで、2020年からは JAL のアスリート社員としてやり投げを仕事にしています。

項目 内容
生年月日 1998年3月16日
出身地 北海道
身長 179cm
出身校 旭川東高校・日本大学
所属 JAL
種目 やり投げ
自己ベスト 68m92(2026年9月)
五輪 2024年パリ 金・2021年東京 12位
世界陸上 2023年 金・2022年 銅

生い立ち:競泳とバドミントンからやり投げ、チェコへ

子どもの頃の北口選手は、3歳からスイミングスクールに通い、小中学校ではバドミントンも続けていました。やり投げに出会ったのは旭川東高校に入ってからで、陸上部の顧問に誘われても最初は断り続けていたそうです。高校1年の秋にやり投げに絞ると、3年になった2015年には18歳以下の世界一を決める世界ユース選手権で優勝しました。

ところが日本大学に入ると、リオ五輪を目指す中で右肘を痛め、指導を受けていたコーチも退任してしまいます。2018年の日本選手権で予選落ちした後、その秋にフィンランドの会議で出会ったチェコのセケラック コーチに、自分から指導を頼み込みました。翌2019年2月に単身でチェコへ渡り、まず1か月の練習から指導を受け始めています。この年からチェコが練習の拠点です。今では英語とチェコ語で、海外のメディアの取材にも答えています。

日本記録から世界陸上の金、パリ五輪の金、2026年の日本新までの歩み

北口榛花の歩みと名言の年表(チェコでの修行と日本記録から、世界陸上の銅と金、パリ五輪の金、東京世界陸上、2026年の日本新まで)

チェコへ渡った2019年に日本記録を2度更新してから、北口選手は世界の大会でメダルを重ねていきます。ただ、ずっと順調だったわけではなく、東京五輪と2025年の東京世界陸上では、けがを抱えて戦い、悔し涙を流しました。

  • 2019年5月: 木南記念で64m36の日本新
  • 2019年10月: 北九州陸上カーニバルで66m00の日本新
  • 2021年8月: 東京五輪で、日本の女子やり投げとして57年ぶりの決勝に進み、けがを抱えて12位
  • 2022年7月: オレゴン世界陸上で銅メダル(63m27)
  • 2023年8月: ブダペスト世界陸上で金メダル(66m73)
  • 2023年9月: ダイヤモンドリーグのブリュッセル大会で67m38の日本新
  • 2024年8月: パリ五輪で金メダル(65m80)
  • 2025年9月: 東京世界陸上で予選落ち(60m38)
  • 2026年5月: 男子やり投げの世界記録保持者、ヤン・ゼレズニー氏をコーチに迎えると発表
  • 2026年9月: 新しく始まった世界アルティメット選手権で68m92の日本新を投げて優勝。愛知・名古屋アジア大会で銀メダル

座右の銘

北口選手が座右の銘として挙げた言葉は見つかりませんでしたが、いちばん近いのは、お母さんに言われてきた言葉です。2022年12月の表彰式では、試合中に跳びはねて喜ぶ自分の映像を見ると恥ずかしいと話したうえで、「母から『笑顔は幸せを引き寄せるよ』と言われています」と明かしました。

お母さんは元実業団のバスケットボール選手で、小さな頃からスポーツ選手の厳しさも伝えてくれた人です。笑顔の裏で本人は「私、本当は泣き虫なんです」とも話していて、苦しい時ほど笑おうとしてきたことが、下の名言からも伝わってきます。

北口榛花の名言30選

北口榛花の名言には、世界一になった日の喜びだけでなく、コーチがいなくて苦しんだ大学時代や、東京五輪で泣いた日、地元の世界陸上で予選落ちした日の言葉もあります。日本記録を出した日の朝に鼻血が止まらず、「言い訳ができて、リラックスして投げられた」と笑うような明るさの裏で、どう自分を動かしてきたのかを、北口榛花の言葉が教えてくれます。

やり投げを始めてチェコへ渡り、日本記録を出すまでの名言

コーチのいない大学時代に、北口選手は「辞めない」と決め、チェコのコーチに自分から指導を頼みました。この時期の言葉には、環境のせいにせず自分で動く強さが出ています。チェコ語も分からないまま飛び込んだ大学生は、その年のうちに日本記録を2度塗り替え、世界記録まで口にするようになります。

01「1投に全部の力を注いでいい。そういうところも自分の性格に合っているのかなと思いました」

— 2019年のインタビューで、やり投げに出会った高校時代を振り返って

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発言時期: 2019年のドーハ世界陸上の後のインタビュー(旭川東高校に入った頃の話)

発言状況: 陸上部の顧問の先生に誘われても、北口選手は最初ずっと断っていました。「来るだけでいいから」と言われて話を聞きに行き、やりを投げさせてもらうと、初めての人はなかなか地面に刺さらないやりが、最初から刺さったそうです。その時の地面に刺さる音が気持ちよかったと話しています。やり投げは6回の投げのうち、いちばん飛んだ1投の記録で争います。その争い方も自分に合っていると感じて、この言葉になりました。

出典: スポーツくじ toto のインタビュー記事

02「陸上で大学に来て、辞めたら何も残らない。…だから、結果が出なかったとしても絶対に辞めない、と心に決めていました。」

— 日本大学の時、コーチがいなかった頃を振り返って

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発言時期: 2023年8月に掲載された記事の言葉(2018年ごろ、日本大学の時の話)

発言状況: 大学1年の時、リオ五輪を目指す中で無理な投げ方をして右肘を痛めたうえ、やり投げの専門のコーチがいなくなりました。2018年の日本選手権の前には、コーチがいないことや記録へのプレッシャーで食事も喉を通らなくなっています。それでも、どんなに苦しい時も、必ずグラウンドには足を運びました。このあとには「水泳、バドミントン、勉強、いろいろな選択肢の中でやり投を選んで、あの時、あれを選んでいればよかった……という後悔をしたくない」と続きます。

03「このままじゃ本当にダメになってしまう。自分でなんとかしなくちゃ」

— 2018年の日本選手権で予選落ちした時の気持ちを、後のインタビューで振り返って

04「世界で一番飛ばせるようになるには、『世界で一番飛ばしたことのある選手がいる国で習ったほうが早い』と思っていました」

— 2023年10月のインタビューで、チェコを選んだわけを聞かれて

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発言時期: 2023年10月のインタビュー(チェコを選んだのは2018年から2019年にかけて)

発言状況: 北口選手は高校時代から、体の強さよりしなやかさを使って投げる選手で、それに合う練習ができるチェコに行きたいと考えていました。ただ、チェコとのつながりはありませんでした。だからチェコの人と知り合えた瞬間に「これは行かなきゃいけない」と思ったそうです。やり投げが強い国には全部行って環境の違いを確かめたうえで、チェコを選んだとも話しています。女子と男子の世界記録保持者は、どちらもチェコの選手です。

05「何となく環境のせい、他人のせいにするのではなく、自分で動くことが大切です。」

— 2019年11月のインタビューで、チェコのコーチと出会った時を振り返って

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発言時期: 2019年11月のインタビュー(2018年の秋の出来事)

発言状況: 北口選手はフィンランドの会議で出会ったセケラック コーチに、今はコーチがいないと打ち明けました。東京五輪でメダルを取りたいのではないのかと聞かれて「もちろんです」と答え、同時に練習を見てほしいと思い切って頼むと、返事は「いいよ」でした。帰国してからメールを送り続け、2019年2月に1か月間、チェコで一緒に練習しています。

06「日本人には無理かと思われるかもしれないけど、世界記録(72メートル28)も目指したいし、世界選手権や五輪で金メダルを狙いたい」

— 2019年5月6日、木南記念で日本新を投げた後に

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発言時期: 2019年5月6日(木南記念・ヤンマースタジアム長居)

発言状況: 2月にチェコで武者修行をしてきた日本大学の4年生が、5投目に64m36を投げて63m80の日本記録を更新し、東京五輪に出るために必要な記録も超えました。この日は朝から鼻血が止まらず、ウォームアップの時にも出たそうで、「記録が出ないでもしょうがないと。言い訳ができて、リラックスして投げられた」と笑っています。その4年後、北口選手は世界陸上で本当に世界一になります。

07「68mや70mなど『無理だ』と言われている記録だって夢じゃない。」

— 2019年11月のインタビューで、ドーハの世界陸上で感じたことを聞かれて

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発言時期: 2019年11月のインタビュー(2019年のドーハ世界陸上の後)

発言状況: ドーハでは、わずか6cm足りずに予選で敗れました。それでも「世界選手権で感じたのは、『やれる』ということ」と話し、海外の選手とそれほど違いを感じなかったといいます。同じ年の10月27日には、北九州で66m00の日本新を投げています。それから7年近くたった2026年9月に、北口選手は68m92を投げました。

東京五輪のけがとオレゴンの銅メダルの名言

東京五輪では、日本の女子やり投げとして57年ぶりの決勝に進みながら、けがで12位に終わり、涙のインタビューになりました。その翌年のオレゴン世界陸上では、最後の6投目で順位を上げて銅メダルを取っています。泣いている自分も認めてほしいと話した選手は、1年で世界のメダリストになりました。

08「笑っている私も、泣いている私も、両方自分なので、泣いている私を見て幻滅はしないでほしい…」

— 2021年8月6日、東京五輪の決勝で12位に終わった後の取材で

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発言時期: 2021年8月6日(東京五輪 女子やり投げ決勝の後)

発言状況: 日本の女子やり投げで57年ぶりに決勝へ進みましたが、予選の後から左脇腹に痛みを抱えていました。棄権は考えなかったものの、記録は55m42で12位に終わり、上位8人だけが投げられる4回目には進めませんでした。「笑っている私が報道に出ていて、笑顔で元気づけられると言ってもらえた」と話したうえで、目を潤ませてこの言葉を続けています。

09「まだ自分が歴史を変えるチャンスはある。次はもっと元気に、世界大会のここ(取材エリア)を通れるようにしたい」

— 2021年8月6日、東京五輪の決勝の後の取材で

10「『あ、これが、私が乗り越えなきゃいけない局面だ』と思った。…『6投目、(自分は投げることが)できる子だ』(笑)と思っていた。」

— 2022年7月22日、オレゴン世界陸上で銅メダルを取った後に

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発言時期: 2022年7月22日(オレゴン世界陸上 女子やり投げ決勝の後)

発言状況: 1投目に62m07を投げて安心したものの、その後に順位を落とし、5位くらいまで下がった時の気持ちです。高校時代は6投目に強かったことを思い出して臨んだ最後の投げが63m27で、3位に入りました。本人は投げ終わった後も「ダメだ、ダメだ」とコーチに言っていたそうです。日本の女子がフィールド種目で世界陸上と五輪を通じてメダルを取ったのは、これが初めてでした。

11「自分がやっていることは『私だからできること』じゃなくて、『みんなができること』だというふうに思って、日本のやり投の選手たちがみんなで頑張っていけたらいいなと思う。」

— 2022年7月22日、オレゴン世界陸上の銅メダルの意味を聞かれて

12「母から『笑顔は幸せを引き寄せるよ』と言われています。」

— 2022年12月7日、ゆうもあ大賞の表彰式で

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発言時期: 2022年12月7日(令和4年度 ゆうもあ大賞の表彰式)

発言状況: ジャンプのタイミングが合っていない自分の喜び方が恥ずかしい、と笑わせた後の言葉です。賞品の金の耳かきを手にすると「金メダルより先に金を頂いて大丈夫かな?」と話し、「今回は銅メダル。残るは銀、金しかない」と意気込んでいます。金メダルは、その翌年に取ることになります。

ブダペストの最後の1投で世界一になった時の名言

2023年8月25日のブダペスト世界陸上で、北口選手は4位で最後の6投目を迎え、66m73を投げて逆転で金メダルを取りました。陸上の日本の女子選手が、五輪と世界陸上でマラソン以外の金メダルを取ったのは、これが初めてです。投げる前には観客に手拍子を求め、試合後のコメントでは体が浮いているようだと笑いました。

13「嬉しすぎて、身体が軽いんですよ。なんかちょっと浮いているんじゃないかって思うくらい、3cmくらい浮いてるんじゃないかなって思うくらいふわふわしていて(笑)。」

— 2023年8月25日、ブダペスト世界陸上で金メダルを取った後に

14「自分が必ず歴史を作ると決めてここにやってきた」

— 2023年8月25日、ブダペスト世界陸上で金メダルを取った後のインタビューで

15「『北口は最終投てきに強い』とずっと言われてきたし、本当に『自分は強いんだぞ』というところを見せたかった。」

— 2023年8月25日、4位で迎えた6投目の気持ちを聞かれて

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発言時期: 2023年8月25日(ブダペスト世界陸上 女子やり投げ決勝の後)

発言状況: オーストラリアのマッケンジー・リトル選手が最後の投げで63m38を出し、北口選手はメダル圏外の4位に下がっていました。リトル選手とはいつも最後の投げでやり合っているからと、「絶対に、今日も負けたくない!」と思って臨んだ6投目が66m73です。この投げの前には観客に手拍子を求めていて、次の名言がその時の気持ちです。

出典: 日本陸上競技連盟のコメント記事

16「ハンガリーの人たちは、国籍に関係なく絶対に拍手してくれるってわかっていたので、最後は良くても悪くても後悔しないように臨もうと思って(手拍子を)リクエストしました。」

— 2023年8月25日、6投目の前に観客に手拍子を求めたことについて

17「誰もやっていなかったことを自分で選んでやりましたし、誰もできなかった結果に辿り着けて、本当に嬉しいです。」

— 2023年8月25日、自分で道を切り拓いて取った金メダルについて聞かれて

パリ五輪の金メダルと「名言が残せなかった」の言葉

「名言が残せなかった」は、2024年8月10日にパリ五輪で金メダルを取った当日の公式会見で、オリンピックはどんな舞台だったかと聞かれた時の一言です。チェコ語と英語と日本語で取材を受け続けて頭の中で言葉が混ざっていたと笑いながら話した一言で、その年の新語・流行語大賞のトップ10に入りました。同じ日には、もっと遠くへ投げたいという70mの夢も口にしています。

18「嬉しいだけでは足りないくらい、本当に言葉にできないくらいの気持ち。いまだにまだ実感が湧かない。」

— 2024年8月10日、パリ五輪で金メダルを取った直後に

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発言時期: 2024年8月10日(パリ五輪 女子やり投げ決勝の後)

発言状況: 北口選手は1投目に65m80を投げ、そのまま逃げ切って優勝しました。いつもは6投目までのんびりしてしまうけれど、ほかの選手にプレッシャーをかけられるように、この日は1投目から絶対に行くと決めていたと話しています。ブダペストの最後の1投の逆転とは反対の勝ち方でした。

19「本当に誰かが(自分を)信じてくれていなかったら、ここには立てていなかったと思う。」

— 2024年8月10日、パリ五輪の金メダルの後に、不安があったシーズンを振り返って

20「夢の中ではなくて、現実で70メートルを投げたい。満足できない理由があるのはとても幸せ」

— 2024年8月10日、パリ五輪の金メダルの後に、次の目標を聞かれて

21「ひとつ心残りがあるとすれば名言が残せなかった。いい言葉が、疲れているのもあって、言語が混ざりすぎて言えなかったのが残念。でも世界中の人々が集まって競技できたことが幸せだった」

— 2024年8月10日、パリ五輪の金メダルの後の公式会見で

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発言時期: 2024年8月10日(パリ五輪の当日のメダリスト会見)

発言状況: 「ずっと夢みてきた舞台だと思うが、改めてオリンピックとはどんな舞台だったか」と聞かれた時の答えです。この会見で北口選手は「英語で話してもいい?」と質問し、「チェコ語と英語と日本語しか話さないけど、疲れているので混乱しています」と説明しました。子どもの頃に見ていた五輪の競技は水泳だったと話した後、この言葉を続けて笑っています。テレビではなく会見場で出た言葉だったので、後に流行語大賞の候補になった時は本人が驚いています。

22「身近でできることはすべてやったと思っていました。もっと遠くに手を伸ばさなくてはいけない、遠くに手を伸ばさないと自分の思っているような結果は出せないと思ったからこそ踏み出せた1歩でした。」

— 2024年8月11日のインタビューで、チェコへ行った時を振り返って

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発言時期: 2024年8月11日(パリ五輪の金メダルの翌日のインタビュー)

発言状況: 言葉もなかなか通じない場所へ行くのは勇気が必要だったのではないかと聞かれた時の答えです。続けて、言葉は完璧でなくても通じ合うくらいにはなると分かったと話し、下の世代の選手にも海外に挑戦してほしいと伝えました。「自分が道を切り拓くことで、それに続く人が出てくるといいなと思います」という言葉で、この話を結んでいます。

出典: 日本オリンピック委員会のインタビュー記事

23「『名言を思いつきましたか?』とお話をいただくんですけど…。名言を残すのは難しいと身にしみて感じたパリオリンピックでした」

— 2024年12月2日、新語・流行語大賞の授賞式で

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発言時期: 2024年12月2日(2024年の新語・流行語大賞の授賞式)

発言状況: 「名言が残せなかった」がトップ10に入り、記念の盾を手にした北口選手は「流行った自覚はないのですが」と苦笑いしました。五輪の選手の言葉がたくさん使われるのをテレビで見ていて、いつかは名言を残したかったと振り返り、今も取材で名言について聞かれると明かして、この言葉で会場の笑いを誘いました。

24「夢を持つことはとても大切で、でも夢はずっと同じでなくていい。そのときどきで自分がやりたいことをするのが人生を楽しく過ごす秘訣だと思います。」

— 2024年12月に掲載された雑誌のインタビューで

けがと予選落ちを越えて、2026年に日本新を投げるまでの名言

2025年の東京世界陸上で、北口選手は右肘のけがから戻ったばかりの体で予選落ちし、目に涙を浮かべて取材に答えました。翌年1月には7年間一緒だったコーチとの契約を終え、5月には男子やり投げの世界記録保持者、ヤン・ゼレズニー氏を新しいコーチに迎えています。そして2026年9月、北口榛花はインタビューで、堂々と「帰ってきたよ」と言える結果を出せたと話します。

25「世界大会の借りは世界大会でしか返せないと思います。ここで決勝に残れなかったからといって『人生終わりだ』というふうには思わないので、ちょっと長い休みは必要かもしれないですが、強くなって戻ってきたいと思います。」

— 2025年9月19日、東京世界陸上で予選落ちした後に

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発言時期: 2025年9月19日(東京世界陸上 女子やり投げ予選の後)

発言状況: 記録は60m38で、2連覇を目指した地元の大会で決勝に進めませんでした。「春先からけがが続いたり、精神的にも苦しい部分がたくさんありましたが、そのたびに『今年は東京世界陸上があるからやっぱり練習に戻ろう』という気持ちになれた」と話し、素敵なゴールを作ってくれたみなさんに感謝してから、この言葉を続けています。

出典: 日本陸上競技連盟のコメント記事

26「『競技を続けるにあたって色々な世界を見てみたい』そのような思いでこの一歩を踏み出しました。」

— 2026年1月20日、本人の Instagram で、コーチとの契約を終えると伝えて

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発言時期: 2026年1月20日(本人の Instagram)

発言状況: 2019年から指導を受けてきたセケラック コーチとの契約を終えると知らせた投稿です。「7年前、私はまだ大学生で、常識など何にもわからない状態でした」と振り返り、コーチやその家族、チームメイト、街の人の支えがあったから海外に飛び込めたと感謝を伝えました。「世界一を取った状況でのこの判断に色々なご意見があるかとは思いますが、新たな挑戦を温かく見守っていただけると嬉しいです」とも書いています。5月1日には、ゼレズニー氏をコーチに迎えると発表しました。

27「やっと胸を張って、堂々と『帰ってきたよ』と言える結果を出せて良かった」

— 2026年9月12日、世界アルティメット選手権で68m92の日本新を投げた後に

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発言時期: 2026年9月12日(世界アルティメット選手権・ハンガリーのブダペスト)

発言状況: 選ばれた8人だけが出る新しい大会で、場所は2023年に世界一になった思い出の地でした。1投目は61m15の3位でした。中国の18歳の厳子怡(Yan Ziyi)選手が68m05を投げる中、2投目に68m92を出し、3年前の自分の日本記録67m38を1m54更新しています。本人は後のインタビューで、久しぶりにすごく緊張し、その緊張感が「3年前のブダペストの6投目の時とリンクしました。大丈夫、できる、と思って投げたんです」と話しました。

28「何よりも、彼女(優勝した中国の厳子怡選手)を1人旅させてしまった。そこで勝負ができなかったというのが一番悔しい」

— 2026年9月27日、愛知・名古屋アジア大会で銀メダルを取った後に

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発言時期: 2026年9月27日(愛知・名古屋アジア大会 女子やり投げ決勝の後)

発言状況: 15日前に北口選手が勝った相手の厳子怡選手が1投目に70m46を投げ、北口選手は62m70の2位でした。先に70mを投げられた時の気持ちを聞かれると、「もう彼女は(70m台を)ごまんと投げてきている(笑)から、『はいはい、そうっすよね。投げてくるよね』という感じ(笑)」と笑わせています。その一方で、なぜ投げられなかったのかについては「自分の土台がまだ足りないという言葉に尽きる」と認めました。

29「この結果で『まだ私は世界と戦いたいのだ』という意思表示をすることができたと思う。」

— 2026年9月27日、アジア大会の後に今季を振り返って

30「絶対に70メートルを投げられる力はある。また来年、挑戦したい」

— 2026年9月27日、アジア大会の後の取材で

投てき種目や短距離、長距離など、ほかの陸上選手の言葉も読みたくなったら、陸上選手の名言100選がおすすめです。

よくある質問(Q&A)

Q1. 「名言が残せなかった」はいつ、どんな場面の言葉?

2024年8月10日、パリ五輪で金メダルを取った当日の公式会見で、北口榛花選手が話した言葉です。「ひとつ心残りがあるとすれば名言が残せなかった」と笑って答えました。

聞かれたのは、改めてオリンピックとはどんな舞台だったかということでした。チェコ語と英語と日本語で頭が混乱していると説明しながら、いい言葉が言えなかったのが残念だと続け、最後は世界中の人々が集まって競技できたことが幸せだったと結んでいます。

Q2. 北口榛花の流行語は? 授賞式では何と言った?

流行語になったのは「名言が残せなかった」で、2024年の新語・流行語大賞のトップ10に入りました。12月2日の授賞式では「流行った自覚はないのですが」と苦笑いしています。

テレビで報道されていない会見場で言った言葉が選ばれて、とても驚いたとも話しました。最後は「名言を残すのは難しいと身にしみて感じたパリオリンピックでした」と話し、会場の笑いを誘っています。

Q3. 北口榛花はなぜチェコでやり投げを学んだ?

世界で一番飛ばした選手がいる国で習う方が早いと考え、自分の投げ方に合う練習ができるチェコを選んだからです。女子と男子の世界記録保持者は、どちらもチェコの選手です。

日本大学の時にコーチがいなくなり、2018年の日本選手権で予選落ちして「自分でなんとかしなくちゃ」と動き始めました。その年の秋にフィンランドの会議でセケラック コーチと出会い、自分から頼んで、2019年2月に単身でチェコへ渡っています。

Q4. 北口榛花はチェコ語を話せる?

話せます。今では英語やチェコ語で、海外のメディアの取材にも答えています。

パリ五輪の日に3つの言葉で取材を受け続けたことが、「名言が残せなかった」の一言につながりました。言葉について本人は、完璧ではなくても通じ合うくらいにはなると分かり、頑張ればできるようになると話しています。

Q5. 北口榛花がいつも笑顔なのはなぜ?

お母さんの教えを守っているからです。雑誌のインタビューでは、お母さんが「笑顔でいれば幸せがやってくる」「つらくても笑顔を心がけて」と言ってくれたので、それを心がけていると話しました。

ただ、いつも笑っているわけではありません。東京五輪で12位に終わった日には「笑っている私も、泣いている私も、両方自分なので」と涙を見せ、後のインタビューでも「私、本当は泣き虫なんです」と話しています。

Q6. 北口榛花の夢や目標は?

今の大きな目標は70mを投げることです。パリ五輪で金メダルを取った日にも「夢の中ではなくて、現実で70メートルを投げたい」と話しています。

2026年9月には自己ベストを68m92まで伸ばしました。同じ月のアジア大会の後にも「絶対に70メートルを投げられる力はある。また来年、挑戦したい」と前を向いています。


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