モハメド・アリの名言40選!蝶のように舞い蜂のように刺すの意味と英語の原文
ボクシングで3度世界王者になったモハメド・アリは、詩で相手をあおり、徴兵を拒んで王座を失っても信念を曲げませんでした。「蝶のように舞い蜂のように刺す」は誰が考え、「不可能なんてありえない」は本人の名言なのか。自分を信じ抜いたモハメド・アリの名言は、迷った時に背中を押してくれます。
Writer
公式ライター Activel編集部
モハメド・アリは、ボクシングのヘビー級で史上初めて3度世界王者になった、アメリカのボクサーです。試合の前には詩で相手をあおり、倒す回まで予告し、徴兵を拒んで王座を奪われても信念を曲げなかったモハメド・アリの名言は、自分を信じきれない時に背中を押してくれます。「蝶のように舞い蜂のように刺す」を考えたのは誰か、「不可能なんてありえない」は本当にモハメド・アリの名言なのかも、言葉が生まれた場面と一緒にたどっていきましょう。
モハメド・アリのプロフィール
モハメド・アリは、生まれた時はカシアス・クレイという名前でした。22歳で初めて世界ヘビー級王者になった翌日にイスラム教徒であることを公にし、翌月にモハメド・アリの名前を授かっています。25歳でベトナム戦争への徴兵を拒んで王座とボクシングのライセンスを失い、3年7か月リングに立てませんでした。それでも32歳で王座を取り戻し、36歳で3度目の王者になっています。
基本プロフィール
アメリカ南部のケンタッキー州ルイビルに生まれたアリは、18歳でローマ五輪の金メダルを取ってプロになり、21年間で61試合を戦っています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | カシアス・クレイ・ジュニア |
| 英語表記 | Muhammad Ali(Cassius Clay, Jr.) |
| 生年月日 | 1942年1月17日 |
| 出身 | アメリカ・ケンタッキー州ルイビル |
| 階級 | ヘビー級 |
| 五輪 | 1960年ローマ五輪 金メダル |
| プロ戦績 | 61戦56勝(37KO)5敗 |
| 世界王座 | 1964年・1974年・1978年 |
| 殿堂入り | 1990年(国際ボクシング殿堂) |
| 没年月日 | 2016年6月3日(74歳) |
国際ボクシング殿堂は、左手を下げたまま戦い、上体をそらしてパンチをよけるという、それまでの教えに反するスタイルでボクシングを変えた選手として、アリを紹介しています。
生い立ち:自転車を盗まれた12歳の少年がボクシングを始めるまで
カシアス・クレイ少年がボクシングを始めたきっかけは、盗まれた自転車でした。1954年10月、地元ルイビルで開かれた催し物に出かけた12歳の少年は、会場の外で赤い自転車を盗まれます。少年が、近くにいた警官のジョー・マーティンに犯人をぶちのめしてやると訴えると、若いボクサーを教えていたマーティンは、それならまず戦い方を覚えなさいと勧めました。
- 高校では勉強に苦しんだが(のちに読み書きの障害と分かった)、スクールバスと並んで毎日走って学校へ通うほど練習に打ち込んだ
- アマチュアでは全米選手権のライトヘビー級で2年続けて優勝し、134勝7敗の戦績を残した
- 飛行機が怖く、1960年のローマ五輪へ向かう時は、軍の払い下げのパラシュートを身に着けて乗った
- ローマ五輪のライトヘビー級で金メダルを取り、その年の10月にプロになった
プロの最初の試合の賞金は、地元ルイビルの子ども病院に寄付しています(モハメド・アリ・センターの年表)。
ローマ五輪の金メダルから3度の世界王者、引退、聖火の点火までの歩み

年表の中でいちばん長い空白は、1967年から1970年までの3年7か月です。徴兵を拒んだアリは、25歳から28歳までの間、一度もリングに立てませんでした。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1960年 | ローマ五輪で金メダル、プロデビュー |
| 1964年 | ソニー・リストンを破り世界王者に、改名 |
| 1967年 | 徴兵を拒み、王座とライセンスを失う |
| 1970年 | 3年7か月ぶりにリングに戻る |
| 1971年 | ジョー・フレージャーに初黒星、最高裁が有罪を取り消す |
| 1974年 | キンシャサでジョージ・フォアマンを破り王座に返り咲く |
| 1975年 | マニラでフレージャーとの3度目の試合 |
| 1976年 | 日本武道館でアントニオ猪木と対戦 |
| 1978年 | レオン・スピンクスとの再戦に勝ち3度目の王座 |
| 1981年 | トレバー・バービック戦を最後に引退 |
| 1984年 | パーキンソン病と診断される |
| 1996年 | アトランタ五輪の開会式で聖火台に点火 |
| 2005年 | 大統領自由勲章 |
| 2016年 | 74歳で死去 |
徴兵を拒んだことを裁く裁判で、アリは1審で有罪になりましたが、1971年6月にアメリカの最高裁判所が全員一致で有罪を取り消しました。1974年10月30日のキンシャサの試合で、アリはロープにもたれて相手の攻撃を受け続け、疲れたフォアマンを8回に倒しました。この試合は、日本ではキンシャサの奇跡として知られています。
引退から3年後の1984年に、アリはパーキンソン病と診断されました。それでも1990年の湾岸戦争の直前には、止める声を押し切ってイラクのバグダッドへ飛び、1週間待ってサダム・フセインに会い、人間の盾として捕らえられていた米国人の人質15人を解放させています。1996年のアトランタ五輪の開会式では、病気を抱えたまま聖火台に火をともし、世界を驚かせました。
座右の銘
モハメド・アリ本人が座右の銘として挙げた言葉は、Activel編集部が調べた範囲では見つかりませんでした。近い言葉は2つあります。1つは、22歳でソニー・リストンを破った直後のリングで叫んだ「俺は最強だ」です。王者になる前の1963年には、同じ言葉を題にしたレコード『I Am the Greatest!』も出しています。もう1つは、1975年にニューヨークの老人施設へ寄付をした時に話した「人のために尽くすことは、この地球に部屋を借りている私の家賃だ」です。自分を信じる言葉と、人のために生きる言葉の両方が、アリの生き方をよく表しています。
モハメド・アリの名言40選
モハメド・アリの名言には、試合の前に相手をあおった自信たっぷりの言葉と、徴兵を拒んだ時のように信念をかけた言葉、そして病気を抱えながら人のために動いた晩年の言葉があります。王者になる前の1963年には、詩や語りを吹き込んだレコード『I Am the Greatest!』まで出し、このレコードは翌年のグラミー賞の候補にもなりました。若い頃の大口が、王座を失っても信念を曲げない言葉へ、さらに人を思う言葉へと変わっていく流れを、英語の原文と一緒に読んでみてください。
「蝶のように舞い蜂のように刺す」とリストン戦までの名言
「蝶のように舞い蜂のように刺す」は、英語では「Float like a butterfly, sting like a bee」といい、蝶のように軽やかに動いて相手のパンチをかわし、蜂のように鋭くパンチを打ち込む、という意味の言葉です。考えたのはアリ本人ではなく、アシスタントトレーナーのドリュー・バンディーニ・ブラウンでした。まだカシアス・クレイと名乗っていた22歳のアリは、1964年2月のソニー・リストン戦の前に、この言葉を何週間も叫び続けています。倒す回を予告し、詩で相手をからかうアリのやり方も、この頃にはもう始まっていました。
01「ムーアは4回で倒れる」
“Archie Moore will fall in four”
— 1962年11月、アーチー・ムーア戦の前の予告
02「蝶のように舞い、蜂のように刺す」
“Float like a butterfly, sting like a bee”
— 1964年2月、ソニー・リストン戦の前に
03「俺がチャンピオンで、お前は浮浪者だ!」
“I’m the champ and you’re the tramp!”
— 1964年2月25日、ソニー・リストン戦の当日の計量で
04「試合を見に来た誰が思っただろう。人間の人工衛星が打ち上げられるのを目にするなんて。お金を払った観客も、夢にも思わなかった。まもなくソニーの皆既日食を見ることになるとは」
“Who on Earth thought when they came to the fight / That they would witness the launching of a human satellite. / Hence the crowd did not dream when they laid down their money, / That soon they would see a total eclipse of the Sonny.”
— 1964年2月、ソニー・リストン戦の前に
05「俺は最強だ!世界を揺るがしたぞ!」
“I’m the greatest! I shook up the world!”
— 1964年2月25日、ソニー・リストンを破って王者になった直後のリングで
改名と徴兵拒否、王座を奪われた時の名言
リストン戦に勝った翌日、アリはイスラム教徒であることを公にし、やがてカシアス・クレイの名前を捨てました。1967年4月には、ベトナム戦争のための入隊を拒んで有罪とされ、王座とボクシングのライセンスを失っています。アリは、生まれた時の名前を奴隷の名前だと言い切り、入隊を拒む理由を正義という言葉で語りました。
06「カシアス・クレイは奴隷の名前だ。自分で選んだのではないし、欲しくもない。私はモハメド・アリ。自由な名前で、神に愛される者という意味だ。私に話しかける時は、この名前で呼んでほしい」
“Cassius Clay is a slave name. I didn’t choose it and I don’t want it. I am Muhammad Ali, a free name – it means beloved of God, and I insist people use it when people speak to me”
— 1964年、改名した後に記者たちに
07「私はアフリカ人だ」
“I am an African.”
— 1964年5月、初めて訪ねたアフリカのガーナで
08「私はイスラム教徒で、アッラーご自身が宣言した戦争でなければ、私たちは戦争には行かない。ベトコンには、個人的な恨みは何もない」
“I am a member of the Muslims and we don’t go to no wars unless they are declared by Allah himself. I don’t have no personal quarrel with those Viet Congs.”
— 1966年、徴兵について新聞記者の電話取材に答えて
09「俺の名前は何だ!」
“What’s my name?!”
— 1967年2月6日、ヒューストンでのアーニー・テレル戦で
10「多くの新聞は、私には刑務所に行くか、軍隊に入るか、二つの道しかないかのように書いてきた。私はそれに強く抗議する。もう一つの道がある。それは正義だ。…最後には正義が私のもとに来ると信じている。真実は、いつか必ず勝つのだから」
“I strongly object to the fact that so many newspapers have given the American public and the world the impression that I have only two alternatives in taking this stand: either I go to jail or go to the Army. There is another alternative and that alternative is justice. … In the end I am confident that justice will come my way for the truth must eventually prevail.”
— 1967年4月28日、入隊を拒んだ後に出した声明で
11「いや、行かない。家から1万マイルも離れた所へ行って、白人の奴隷主たちの支配を続けるためだけに、ほかの貧しい人たちを殺す手伝いはしない」
“No, I will not go 10,000 miles from home to help murder and kill another poor people simply to continue the domination of white slave masters.”
復帰からキンシャサの奇跡、マニラの死闘までの名言
1970年10月にリングに戻ったアリは、翌年3月にジョー・フレージャーに初めて負けましたが、6月には最高裁で有罪の取り消しを勝ち取ります。1974年にはキンシャサの奇跡で王座に返り咲き、1975年にはマニラでフレージャーと3度目の死闘を戦いました。試合の前にはおどけた口上で相手をあおる一方で、雑誌のインタビューや自伝では、年を重ねることや想像力について語っています。
12「いいや。彼らはその時、正しいと思うことをしただけだ。私も、正しいと思うことをした。それだけのことだ。正しいと思ってしたことで、彼らを責めることはできない」
“No. They only did what they thought was right at the time. I did what I thought was right. That was all. I can’t condemn them for doing what they think was right”
— 1971年6月、最高裁が有罪を取り消した後に記者に聞かれて
13「ワニと格闘し、クジラと取っ組み合った。稲妻に手錠をかけ、雷を牢屋に放り込んだ。どうだ、ワルだろう。つい先週も、岩を殺し、石にけがをさせ、レンガを病院送りにした。俺はあまりにタチが悪くて、薬まで病気にしてしまう」
“I have wrestled with a alligator. I done tussled with a whale. I done handcuffed lightning, thrown thunder in jail. That’s bad. Only last week, I murdered a rock, injured a stone, hospitalized a brick. I’m so mean I make medicine sick.”
— 1974年秋、キンシャサでのジョージ・フォアマン戦の前に
14「私、私たち」
“Me, we.”
— 1975年6月、ハーバード大学の4年生に向けた講演で
15「死のようだった。私が知る中で、いちばん死に近いものだった」
“It was like death. Closest thing to dyin’ that I know of.”
— 1975年10月、マニラでのジョー・フレージャーとの3度目の試合について
16「50歳になっても、20歳の時と同じように世界を見ている人は、人生の30年を無駄にしたのだ」
“The man who views the world at 50 the same as he did at 20 has wasted 30 years of his life.”
— 1975年11月号の雑誌『Playboy』のインタビューで
17「想像力のない人は、地面に立っているだけだ。翼がないから、飛ぶことができない」
“The man who has no imagination stands on the earth—he has no wings, he cannot fly”
— 1975年11月号の雑誌『Playboy』のインタビューで
18「国と国の戦争は、地図を書き換えるために戦われる。だが、貧しさとの戦いは、世の中を変える道筋を描くために戦われる」
“Wars on nations are fought to change maps, but wars on poverty are fought to map change.”
— 1975年11月号の雑誌『Playboy』のインタビューで
19「チャンピオンはジムで作られるのではない。チャンピオンを作るのは、心の奥にあるもの、つまり願いや夢、思い描く姿だ。最後の最後まで続く体力と、ほんの少しの速さが要る。技術と意志の両方が要る。だが、意志は技術より強くなければならない」
“Champions aren’t made in gyms. Champions are made from something they have deep inside them—a desire, a dream, a vision. They have to have last minute stamina, they have to be a little faster, they have to have the skill and the will. But the will must be stronger than the skill.”
— 1975年の自伝『The Greatest: My Own Story』で
20「人のために尽くすことは、この地球に部屋を借りている私の家賃だ」
“Service to others is the rent I pay for my room here on earth.”
— 1975年12月、ニューヨークの老人施設に寄付をした時に
猪木戦から3度目の王座、引退までの名言
1975年6月、日本に立ち寄ったアリはアントニオ猪木の挑戦を受けると言い出し、翌年6月26日の日本武道館での試合は、3分15ラウンドを戦って引き分けに終わりました。1978年にはレオン・スピンクスに負けて王座を失いましたが、7か月後の再戦で取り返して3度目の王座に就き、39歳で最後の試合を終えています。
21「次の防衛戦の相手は猪木だ。一発でKOしてやる」
— 1975年6月、日本に立ち寄り、猪木側から挑戦状を受け取った時に
22「俺はお前をペリカンと名付ける!」
— 1976年3月25日、ニューヨークのプラザホテルでの調印式で
23「危険を冒す勇気のない者は、人生で何も成し遂げられない」
“He who is not courageous enough to take risks will accomplish nothing in life.”
— 1977年4月、試合の宣伝で記者たちに
24「黒人のアメリカ人は、みな奴隷の名前を持っている。…カシアス・クレイは、白人が私の奴隷主に付けた名前だ。自由になり、もう誰のものでもなく、奴隷でもなくなった今、私は白人の名前を返して、美しいアフリカの名前を選んだ」
“All black Americans have slave names. … Cassius Clay is a name that white people gave to my slave master. Now that I am free, that I don’t belong to anymore to anyone, that I’m not a slave anymore, I gave back their white name and I chose a beautiful African one.”
— 1977年8月号の雑誌『Interview』のインタビューで
25「一分一秒が嫌でたまらなかった。それでも自分に言い聞かせた。『今は苦しめ。そして、残りの人生をチャンピオンとして生きろ』と」
“I hated every minute of it. But I said to myself, ‘Suffer now, and live the rest of your life as a champion.'”
— 1978年、レオン・スピンクスとの再戦に向けた練習を振り返って
26「君は私の兄弟だ。愛している」
“You’re my brother. I love you.”
— 1981年1月、ロサンゼルスで飛び降りようとしていた男性に
27「時の流れに追いつかれた。もう終わりだ。現実を受け止めなければならない。誰でも負ける時はある。誰でも年をとる。これで終わりだ」
“Father Time has caught up with me. I’m finished. I’ve got to face the facts. We all lose sometimes. We all grow old. This is the end.”
— 1981年12月、トレバー・バービックに負けた最後の試合の後に
アリとの試合までの駆け引きを猪木の側から見た話や、その試合を振り返った猪木の言葉は、アントニオ猪木の名言にあります。
「Impossible is nothing」の出どころと引退後の名言
「Impossible is nothing」は、インポッシブル・イズ・ナッシングや「不可能なんてありえない」の形で、アリの名言として広く紹介されていますが、もとは2004年にアディダスが始めた広告の言葉です。広告会社のコピーライターが書いた文章が、そこに出たアリの写真に重ねて刷られたことから、アリの言葉として定着しました。Activel編集部が調べた範囲では、2004年より前にアリがこの言葉を口にした記録は見つかりませんでした。
引退した後のアリは、1984年にパーキンソン病と診断されてからも人前に立ち続け、試合の前にののしった相手に謝り、イスラム教への誤解には言葉で向き合っています。
28「その場の勢いで、言うべきでないことをたくさん言った。…呼ぶべきでない呼び方で、彼を呼んだ。それは謝る。すまなかった。全部、試合を盛り上げるためだった」
“I said a lot of things in the heat of the moment that I shouldn’t have said. … Called him names I shouldn’t have called him. I apologize for that. I’m sorry. It was all meant to promote the fight.”
— 2001年、ジョー・フレージャーへの謝罪で
29「イスラム教は平和の宗教だ。イスラム教は、テロや人を殺すことを勧めてはいない」
“Islam is a religion of peace. Islam does not promote terrorism or the killing of people.”
— 2001年9月、同時多発テロの9日後に訪れたニューヨークで
30「私たちイスラム教徒は、自分の目的のためにイスラム教を利用する者たちに、立ち向かわなければならない。彼らのせいで、多くの人がイスラム教を知ろうとしなくなった。本当のイスラム教徒なら、イスラム教を人に押しつけることが教えに反すると知っているし、知っていなければならない」
“We as Muslims have to stand up to those who use Islam to advance their own personal agenda. They have alienated many from learning about Islam. True Muslims know or should know that it goes against our religion to try and force Islam on anybody.”
— 2015年12月、パリとカリフォルニアのテロの後に出した声明で
31「ボクシングをやめた後に、私の本当の仕事が始まった」
“It was after I retired from boxing that my true work began.”
自分を信じることと人を思う心を語った名言
自分を一番だと信じること、倒れても立ち上がること、肌の色で人を憎まないことを、アリは自分の生き方そのままの短い言葉にして残しました。故郷ルイビルのモハメド・アリ・センターは、今もこうした言葉をアリの言葉として伝えています。
32「自分がどこへ向かっているのか、何が真実なのかは分かっている。あなたたちが望むような人間になる必要はない。私には、なりたい自分になる自由がある」
“I know where I’m going and I know the truth, and I don’t have to be what you want me to be. I’m free to be what I want.”
33「俺は最強だ。そう言っていたのは、自分が最強だと分かる前からだ」
“I am the greatest, I said that even before I knew I was.”
34「偉大なチャンピオンになるには、自分が一番だと信じなければならない。もし一番でないなら、一番のふりをすればいい」
“To be a great champion you must believe you are the best. If you’re not, pretend you are.”
35「勝ち負けは、誰も見ていない遠い所で決まる。人目の届かないジムで、外を走る道で。ライトの下で踊る、ずっと前に」
“The fight is won or lost far away from witnesses-behind the lines in the gym, out there on the road, long before I dance under those lights”
— 2013年4月17日、本人の公式 X の投稿で
36「リングの中でも外でも、倒れることは悪くない。悪いのは、倒れたままでいることだ」
“Inside of a ring or out, ain’t nothing wrong with going down. It’s staying down that’s wrong.”
37「負けるとはどういうことかを知っている者だけが、力が互角の勝負で、魂の底から、勝つためのあと少しの力を引き出せる」
“Only a man who knows what it is like to be defeated can reach down to the bottom of his soul and come up with the extra ounce of power it takes to win when the match is even.”
38「信じる目的のために戦うなら、何も失うことはない。…私が思う本当の敗者は、心から大切にしている目的を持たない人たちだ」
“You lose nothing when you fight for a cause… In my mind the losers are those who don’t have a cause they care about.”
39「肌の色で人を憎むのは間違っている。どの色の人が憎むのでも同じだ。とにかく、間違っている」
“Hating people because of their color is wrong. And it doesn’t matter which color does the hating. It’s just plain wrong.”
40「これまでの道のりで、間違いもたくさんしてきた。それでも、一人の人生でもよい方へ変えられたのなら、私は無駄に生きたわけではない」
“I’ve made my share of mistakes along the way, but if I have changed even one life for the better, I haven’t lived in vain.”
ジョージ・フォアマンやマイク・タイソン、フロイド・メイウェザーなど、ほかのボクサーが残した言葉は、ボクシング選手の名言で読めます。
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