1. Home
  2. >
  3. スポーツ
  4. >
  5. 野球
  6. >
  7. 栗山巧の名言40選!FA宣言で残留した時の言葉から引退セレモニーのスピーチまで
栗山巧の名言40選!FA宣言で残留した時の言葉から引退セレモニーのスピーチまで

栗山巧の名言40選!FA宣言で残留した時の言葉から引退セレモニーのスピーチまで

「西武ライオンズに決まってるでしょ」。プロ野球の埼玉西武ライオンズの栗山巧が、FA宣言の前に記者へ笑って答えた名言です。二軍の寮で一軍の歓声を聞いた若手の頃から引退セレモニーまで、一つの球団で25年打ち続けた栗山巧の名言は、自分の持ち場で踏ん張る力をくれます。

2026.11.06 | 野球

Writer

writer avatar

公式ライター
Activel編集部

栗山巧は、プロ野球の埼玉西武ライオンズで25年間プレーした外野手です。ドラフトから育った選手では球団で初めて通算2000安打を打ちました。ほかの球団へ移ることもできるFA宣言の前には、どの球団でプレーしたいのかを聞いた記者に「西武ライオンズに決まってるでしょ。他にどこがあるんですか」と笑って答えています。栗山巧の名言には、二軍の寮で一軍の歓声を聞いていた若手の頃の言葉も、良いことも悪いことも自分次第と言い聞かせて積み重ねてきた人の言葉もあり、自分の持ち場で踏ん張る力をくれます。「今もこれからもライオンズの栗山です」と語った引退セレモニーまでの言葉を、口にした場面と一緒にたどっていきましょう。

栗山巧のプロフィール

栗山巧は1983年に兵庫県で生まれ、神戸で育ちました。2001年のドラフトで西武に入ってから、背番号1をつけ、キャプテンも務め、2026年8月に現役を終えるまで一つの球団で打ち続けました。本人が「すごく長い3年間」と振り返る二軍の時期や、子どもの頃にもらった色紙の言葉を知ると、栗山巧の名言がいっそう重く響きます。

基本プロフィール

通算成績は、2026年8月30日の引退試合までの数字です。

項目 内容
生年月日 1983年9月3日
出身 兵庫県
出身校 育英高校
ドラフト 2001年 4巡目(西武)
ポジション 外野手
投打 右投げ左打ち
身長・体重 177cm・85kg
背番号 52 → 1(2008年から)
通算成績 2323試合・2152安打・128本塁打・914打点・85盗塁・打率.277
主なタイトル 最多安打(2008年)・ベストナイン4度・ゴールデングラブ賞(2010年)

生い立ち(野球との出会いから阪神・淡路大震災、プロ入りまで)

野球を始めたのは、幼稚園の年長から小学校1年生にかけてのころです。神戸のグリーンスタジアムでプロ野球を観戦したあと、小学校の校庭で少年野球をしているのを見て「僕もやりたい」と思ったのがきっかけでした。母によると、小学校で「僕はプロ野球選手になんねん」と宣言し、高校に入る前には両親に「俺に投資してくれ」と頼んだそうです。

小学5年生だった1995年1月には、神戸市の自宅で阪神・淡路大震災にあいました。30年後に書いた手記では、重いバケツを持って近くの公園へ水をくみに行ったことや、通っていた小学校が避難してきた人でいっぱいになったことをつづり、野球を一生懸命やることで社会の役に立てるという考えも明かしています。

育英高校では甲子園に2度出場し、2年の夏にベスト4まで進みました。

ライオンズ一筋25年の歩み

栗山巧の歩みと名言の年表(2001年のドラフトから、2008年の日本一、2016年のFA宣言、2021年の通算2000安打、2026年の引退セレモニーまで)

2001年のドラフト4巡目で入団し、3年目の2004年9月に一軍で初めて試合に出て、初安打を打ちました。翌2005年から一軍の試合に出続けるようになり、背番号が52から1に変わった2008年には167安打で最多安打を取り、チームも日本一になっています。2012年からは5年にわたってキャプテンを務めました。

2016年11月にはFA権を行使したうえで西武に残り、2021年9月4日には、ドラフトから育った選手では球団で初めて通算2000安打に届きました。2025年11月に翌年を「締めくくりのシーズン」にすると発表し、2026年8月30日の引退試合では、最後の打席でヒットを打っています。

座右の銘「善敗己由」

栗山巧の座右の銘といえる言葉が「善敗己由」(ぜんぱいおのれによる)です。本人はこれを「僕の心の支え」と呼び、意味を「いいことも悪いこともすべて自分次第」と話しています。

栗山巧が10歳のころ、父が稲尾和久さん(ライオンズの永久欠番24番をつけた投手)に会った時に、息子あてのサインをもらいました。そこに書かれていたのがこの言葉です。稲尾さんはいつも「鉄腕」と書くのに、この時だけは違ったと、父は息子に話したそうです。

本人は公式サイトのメッセージで、このサインの色紙について「今でも心の支えになっています」と書き残しています。プロを目指していた頃は、この言葉を念仏のように心の中で唱えながら練習していたそうです。

栗山巧の名言40選

栗山巧の名言には、二軍の寮で一軍の歓声を聞いて「こんなん最悪やん!」とこぼした若手の頃の言葉も、40歳で代打の逆転本塁打を打った後に飛ばした冗談もあります。本人の公式サイトの文章やお立ち台の言葉には関西の言い回しがそのまま残っていて、飾らない人柄まで伝わってきます。

プロ入りから日本一、キャプテンの頃の名言

若手の頃の言葉は取材の記事に残っていて、2011年からは本人の公式サイトにメッセージを書くようになり、打てなかった試合のことも、ケガを抱えて戦った時期のことも、自分の言葉でつづっています。

01「今年も続けないと二軍やから」

— 2009年2月、最多安打のタイトルを取った翌年のキャンプ中の取材で

02「ドームでナイターをやってると、寮の部屋にガンガン聞こえてくるんですよ。攻撃中の応援団の鳴り物、ドッと沸くお客さんの歓声。一軍があんなに盛り上がってんのに、なんでおれだけこんなところにおるんやろう、こんなん最悪やん!って思いますよ」

— 二軍の頃を振り返った取材で

03「ちびっ子ファンの諸君、君たちは将来のプロ野球選手です。しっかり練習して、同じフィールドで野球をやりましょう。」

— 2010年5月5日、こどもの日のヒーローインタビューで

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2010年5月5日(楽天戦の後)

発言状況: その年の1号となる3点本塁打を打ってお立ち台に上がり、最後に子どもたちへのメッセージを求められて答えた言葉です。続けて大人のファンに、「選手の投げ入れの時は子供達に是非譲ってあげてください」と頼んでいます。

出典: 埼玉西武ライオンズ公式 試合後のヒーローインタビュー(2010年5月5日)

04「『自問自答』僕はこの言葉が大好きです。文字通り、自分に問い自分で答える。」

— 2011年6月17日、本人の公式サイトで

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2011年6月17日

発言状況: サヨナラの好機に2度打てなかった6月10日の広島戦を振り返ったメッセージにある言葉です。打てなかった時も打った時も、試合が終わってからすることとして挙げています。

05「スーパーヒーローはいつの時代もちょっと遅れてやってきます。やられてやられてもうあかん。。と思ったところからが一番おもしろいとこです!!」

— 2011年6月22日、本人の公式サイトで

06「僕は、常にあかん時ほどチャンスやと思ってます。」

— 2011年7月7日、本人の公式サイトで

07「なによりドン底に落ちたときに、俺はこんだけのことやってきたんやから絶対このままでは終わらへんぞと、思ったりして心の支えにもなってくれました!」

— 2011年8月25日、本人の公式サイトで

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2011年8月25日

発言状況: 入団2年目のオフから続けてきた厳しいトレーニングと、指導を受けた大川達也さんについて書いたメッセージの中の言葉です。つらいトレーニングをやり切ってきたことが、どん底の時の支えになったと振り返っています。

08「良い時も悪い時も闘争心がある限り、ギリギリの状態でだろうがなんだろうが痛いだの痒いだの言わずに、グランドで戦う姿を見せるのがプロ野球選手として一番大事なことではないかと思いプレーしていました。」

— 2011年10月20日、本人の公式サイトで

09「ヒットはヒットなりの四球は四球なりのアウトはアウトなりの意味がありますからね。」

— 2011年11月2日、クライマックスシリーズのファイナルステージの前日に本人の公式サイトで

10「僕がいい加減なことをすると道具っていうのは正直ですから僕を見放すでしょう。」

— 2012年2月8日、本人の公式サイトで

11「全部自分次第なんやから誰がどうとかじゃない!自分がしっかりしたら善になるし自分がしっかりせんかったら敗になるんや!」

— 2012年5月25日、父が稲尾和久さんからもらった色紙について本人の公式サイトで

12「僕は、ええ時もあかん時も楽しいなと思いながらやっています。」

— 2012年8月14日、本人の公式サイトで

13「後々振り返ってあの時こうしておけば良かったのに。というのだけは絶対に嫌なんで、自分の納得する形で納得するようにやっていきます!」

— 2012年8月14日、本人の公式サイトで

14「これから積み重ねていくヒットの一本一本が皆さんの心に響くように、そしてその積み重ねが、皆さんの喜びになるような、気持ちの入った一本をこれからも打てるように頑張っていきます!」

— 2013年4月21日、通算1000安打の後に本人の公式サイトで

15「すごく思い出のある球場で、子供の頃からグリーンスタジアムでホームランが打ちたいなという思いがあったので、今日は本当に言葉にならないくらい嬉しいですし、夢見てる気分ですね。」

— 2014年7月5日、地元の神戸で満塁本塁打を打った試合のヒーローインタビューで

FA宣言で残留した時の名言

FA宣言は、ほかの球団へ移る権利を使うという意思表示です。2016年の秋、栗山巧からFA宣言をすると電話を受けた担当の記者は、毎年のようにFA宣言する選手を取材していた頃で、少し嫌な予感がしたと振り返っています。どの球団かと聞いた記者に返ってきたのが、「西武ライオンズに決まってるでしょ」でした。FA宣言をしてチームに残るのは、当時の西武では極めて珍しいことだったそうです。

16「宣言します。プレーしたい球団があるんです」

— 2016年の晩秋、FA宣言の前に担当の記者にかけた電話で

17「西武ライオンズに決まってるでしょ。他にどこがあるんですか」

— 同じ電話で、どの球団かを聞かれて

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2016年の晩秋(FA宣言の前)

発言状況: 「宣言します。プレーしたい球団があるんです」と切り出された記者が言葉を返せずにいると、栗山巧は「どこか聞かないんですか」と促しました。記者がそこでようやく聞くと、笑いながらこの言葉で即答しました。球団はのちに、この言葉を名言グッズにしました。

18「これからも埼玉西武ライオンズでプレーしたいという意思が、今回のFA宣言と残留を決めたことになりました。」

— 2016年11月10日、FA権を行使した日に球団が出した発表で

19「FA権を取得した時期を振り返ってみても、当時は夢中になって野球をやっていましたし、ライオンズからも期待されていた。ちょうどファンの皆さんとの絆も深まっていく時期だったと思うので、僕には他の選択肢はなかったです。」

— 2026年8月、引退試合の前に西所沢駅に掲げられたメッセージで

2000本安打とベテランの頃の名言

2018年の春に11年ぶりで開幕スタメンから外れたあとも、栗山巧は代打や指名打者で打ち続けました。楽天戦の9回にレフト前ヒットを打って通算2000安打に届いた2021年9月4日の会見でも、話していたのはこれからのことです。39歳の時の取材では、打席に向かう準備が楽しいと話しています。

20「栗山、生きています!」

— 2018年4月20日、ロッテ戦の代打で逆転の決勝打を打った後に

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2018年4月20日

発言状況: 前の年はレギュラーの目安となる打席数に10年ぶりで届かず、この年は11年ぶりに開幕スタメンから外れていました。ロッテ戦の代打で逆転の決勝打を打った後に、この言葉でアピールしました。翌21日にはスタメンで出場し、逆転の決勝3ランを打ちました。

21「通過点だと思うし、これからはまさに勝負が始まると思うんで、通過点だったと今後も胸張って言えるように頑張っていきたいと思います。」

— 2021年9月4日、通算2000安打の共同会見で

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2021年9月4日

発言状況: 楽天戦の9回に牧田和久投手からレフト前ヒットを打ち、プロ野球史上54人目の通算2000安打に届いた日の共同会見で、この記録を振り返ってほしいと言われた時の答えです。同じ会見で、中村剛也選手から花束を受け取ったことについて、「今度は逆の立場で僕が花束を渡したいな」とも話しています。

出典: パ・リーグ公式 栗山巧 2000安打達成の記者会見全文

22「一番はみんなに期待される場面で、どんなヒットでもいいから打ちたい。もうそれが目指すところだと思います。」

— 2021年9月4日、通算2000安打の共同会見で

23「あかんかっても次、よかっても次とここ最近は特にそう思いますね。」

— 2021年9月4日、通算2000安打の共同会見で

24「思い返せば、、、みたいな話は今は出来ません。ここからが真価の問われる時だと思いますし、栗山ファンでよかった。と思ってもらえるように価値あるプレーをお見せできるように頑張っていきます。」

— 2021年11月1日、本人の公式サイトで

25「負けたら『次、巻き返したい』とか『次、取り返したい』とか言うやないですか。僕はあまり好きじゃないです」

— 2023年7月の取材で

26「僕は一日一日を完結させたい。納得して終わりたい。負けたとしても、ファンの皆さんに『きょう、球場に来て良かった』と家に帰ってもらいたい。」

— 2023年7月の取材で

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2023年7月(39歳・プロ22年目)

発言状況: 選手にとっては143試合のうちの1試合でも、ファンはチケットを買って球場に来ている、という話の流れで出てきた言葉です。「引きずったら絶対にあかん」とも口にしていて、その真意はこの話だと説明しています。

27「楽しいんですよ、準備が。もっと言うと、打撃を考えている時間がすごく楽しい。試合の勝ち負けはもちろんありますが、打席では投手との一対一の勝負やないですか。自分がやってきたこと、生きざまが出るわけで、そこに向かって準備する過程が楽しい」

— 2023年7月の取材で

28「打撃って奥深い。つかんだと思っても、昨日と今日では違う。生き物みたいですわ」

— 2023年7月、ソフトバンク戦の試合前に相手のフリー打撃を見ながら

29「今日の僕のホームラン喜んでもらえたでしょうか? うれしすぎる人は今日寝なくて大丈夫です」

— 2024年8月31日、日本ハム戦のヒーローインタビューで

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2024年8月31日

発言状況: 8回にその年の1号となる代打逆転2ランを打ち、その年初めて上がったお立ち台での言葉です。40歳11か月での一発で、2005年から20年続けて本塁打を打ったことにもなりました。球団の名言グッズには「今日は寝なくて大丈夫です!」という言葉もあります。

30「プロ野球選手には、野球しかできない。でも、野球を一生懸命やることで、社会のために役立つことはできる。」

— 2025年1月、阪神・淡路大震災から30年の節目に書いた手記で

引退の発表から引退セレモニーまでの名言

2025年11月24日、栗山巧は翌年を「締めくくりのシーズン」にすると発表しました。「引退」と言わなかった理由は、のちの会見で明かしています。子どもたちに「辞めてもいいけど引退とは言わんといてくれ」と頼まれたからです。2026年8月30日の引退会見で現役のベストプレーを聞かれると「一番は今日打つヒット」と答え、その日の最後の打席で本当にヒットを打ちました。これが通算2152本目の安打です。セレモニーでは「今もこれからもライオンズの栗山です」と語りかけました。

31「すべてを出し尽くして、必ず優勝すると。」

— 2025年11月24日、契約更改の後の会見で

32「僕たちの最後の答え合わせを、一緒にしましょう。」

— 2026年8月24日、球団の公式 note に寄せた文章で

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2026年8月24日(引退試合を含む最後の3連戦の直前)

発言状況: 2025年11月の発表の時に話した「来季を、自分自身の追求の締めくくりとして、25年目の答えにしたい」という言葉を受けて、その答えは打席でのスイングや背番号1を背負う背中の中にある、と書いた文章の中の言葉です。最後は「集大成の打席へ、行ってきます」と結んでいます。

出典: 西武ライオンズ公式 note 栗山巧の25年。答えは、打席のなかに。

33「『内野安打』。結局、僕の野球人生はそういうことだと思います。いざそのギリギリのところで、いつも勝ち上がっていく時は、きれいな感じじゃなくて、泥臭い安打だったりする。」

— 2026年8月、2008年に最多安打のタイトルを決めた最後のヒットを振り返って

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2026年8月28日〜30日に掲げたメッセージ(球団の公式 note で全文を公開)

発言状況: 2008年に最多安打のタイトルを決めた最後のヒットが内野安打だったことを思い出し、それが自分を象徴していると話した言葉です。ライオンズで25年やった理由を「本当にライオンズが大好きですし、この野球に集中できる環境が自分に合っているし、ライオンズも必要としてくれた」とも語っています。

出典: 西武ライオンズ公式 note 西所沢駅に掲げられた、栗山巧選手からのメッセージを全文公開

34「いつもと変わらず、『絶対にヒットを打つ』という強い気持ちを持って打席に立てれば、それはもう僕の打者としての完成形だと思うし、そうでありたい。」

— 2026年8月、引退試合の前に西所沢駅に掲げられたメッセージで

35「もう出し切れるか。その一点だけでした」

— 2026年8月30日、引退会見で

36「そして一番は今日打つヒットになると思います。」

— 2026年8月30日、引退会見で現役のベストプレーを聞かれて

37「当たり前にいる存在ではありますけど、特別なチームメイトでした」

— 2026年8月30日、引退会見で、同期入団の中村剛也選手について

38「岸くん、ナイスボール。やっぱり良いピッチャーですね。打ちたかったけど打てなかったです。」

— 2026年8月30日、引退セレモニーのあいさつの最初に

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2026年8月30日

発言状況: 引退試合で対戦した楽天の岸孝之投手は、2008年の日本一を一緒に経験した元チームメイトです。対戦は2打席ともレフトフライに終わりました。セレモニーのあいさつは、岸投手へのこの言葉から始まっています。

39「ここ数年はなかなか一軍の戦力になれない、そういうところもありましたけど、僕が来てからはわりと勝ってると思います(笑)。」

— 2026年8月30日、引退セレモニーのあいさつで

40「25年間、ライオンズの栗山であり続けました。今もこれからもライオンズの栗山です。」

— 2026年8月30日、引退セレモニーのあいさつの終わりに

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2026年8月30日(ベルーナドーム)

発言状況: ファンに「苦しいときも、楽しいときも、支えてくださって本当にありがとうございました」と伝え、今の選手たちが日本シリーズに連れて行ってくれると話したあとに、この言葉を続けました。

出典: パ・リーグ公式 栗山巧引退セレモニー全文

栗山巧のほかにも、プロ野球選手の言葉を読みたくなった時は、プロ野球選手の名言60選もどうぞ。

よくある質問(Q&A)

Q1. 栗山巧のFA宣言の名言「西武ライオンズに決まってるでしょ」は、いつ・誰に言った?

2016年の晩秋、FA宣言の前に担当の記者へかけた電話で言った言葉です。

「宣言します。プレーしたい球団があるんです」と切り出された記者が返す言葉に困っていると、栗山巧は「どこか聞かないんですか」と促し、聞かれると笑いながらこう答えました。全文は「西武ライオンズに決まってるでしょ。他にどこがあるんですか」です。

同じ年の11月10日、球団を通じたコメントでFA宣言と残留を伝えています。

Q2. 栗山巧の座右の銘「善敗己由」の意味は?

いいことも悪いこともすべて自分次第、という意味です。読み方は「ぜんぱいおのれによる」です。

栗山巧が10歳のころ、父が稲尾和久さんから息子あてにもらったサインに書かれていた言葉で、本人はこれを心の支えにしてきました。

Q3. 栗山巧は引退セレモニーで何と言った?

「25年間、ライオンズの栗山であり続けました。今もこれからもライオンズの栗山です」と話し、「25年間、本当にありがとうございました」と締めくくりました。

2026年8月30日、引退試合の後にベルーナドームで話したあいさつです。冒頭では、対戦した楽天の岸孝之投手に「岸くん、ナイスボール」と声をかけ、途中には「僕が来てからはわりと勝ってると思います」という冗談もはさんでいます。

Q4. 栗山巧の名言グッズには、どんな言葉がある?

球団の公式ストアの名言グッズには、6つの言葉が使われています。

「西武ライオンズに決まってるでしょ。」「そこに向かって準備する過程が楽しい。」「締めくくりのシーズン。」「いつも力をもらっています。」「選手の投げ入れは子どもたちに!」「今日は寝なくて大丈夫です!」の6つです。「選手の投げ入れは子どもたちに!」は、2010年のお立ち台で大人のファンに頼んだことと同じ中身です。

商品はタオルやキーホルダーなどの受注生産で、受付を終えたものもあります。今の品ぞろえは球団の公式ストアで確かめられます。

Q5. 通算2000安打の時、栗山巧はどんな言葉を残した?

「通過点だと思うし、これからはまさに勝負が始まると思う」と話しました。

2021年9月4日、楽天戦の後の共同会見での言葉です。これからの目標を聞かれると、数字は挙げずに、ファンに期待される打席で結果を出したいと答えています。

Q6. 「栗山、生きています!」はいつの言葉?

2018年4月20日のロッテ戦、代打で逆転の決勝打を打った後の言葉です。

この年は11年ぶりに開幕スタメンから外れていました。翌21日にはスタメンで出場して、逆転の決勝3ランを打っています。


商品やサービスを紹介いたします記事の内容は、必ずしもそれらの効能・効果を保証するものではございません。
商品やサービスのご購入・ご利用に関して、当メディア運営者は一切の責任を負いません。

Follow Us
公式SNS
x logo facebook logo youtube logo
Search
サイト内検索