畑山隆則の名言35選!坂本博之戦の言葉と井上尚弥を語る解説
ボクシングで2階級の世界王者になった畑山隆則は、坂本博之戦の前に「ボクは顎に自信がない…だから勝てるんです」と語りました。自信がないから人の倍練習したと話す畑山隆則の名言は、弱さを認めて挑む力をくれます。井上尚弥を語る今の解説にも名言があります。
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公式ライター Activel編集部
ボクシングで世界2階級を制した畑山隆則は、2000年の坂本博之戦の前に「ボクは顎に自信がない。彼はパンチがある。ボクは彼よりパンチがない。だから勝てるんです」と言い切りました。弱気に聞こえるこの言葉について、本人は2026年に「どうやっても負けるわけないだろって意味で言ったんですよ」と明かしました。一方で2021年のインタビューでは「基本はネガティブでないと成功しない」と話し、自信がないから練習を人の倍したと振り返っています。自信が持てない時ほど、畑山隆則の名言は背中を押してくれます。世界王者を夢見て青森から出てきた時のことから、王座を失って「あしたから無職」と焦った話、井上尚弥を語る今の解説まで、言葉が生まれた場面と一緒にたどっていきましょう。
畑山隆則のプロフィール
畑山隆則は青森市生まれの元プロボクサーで、WBA世界スーパーフェザー級とライト級の2階級で王者になりました。1999年に一度は引退したものの、坂本博之さんと戦うために1年でリングへ戻ります。2000年10月のその試合は、今も会う人から必ず話題にされる一戦です。ジムのゼネラルマネジャーを務めながら、ボクシングの解説や渡嘉敷勝男さん・竹原慎二さんとの YouTube「ぶっちゃけチャンネル」で、今のボクサーたちを語り続けています。
基本プロフィール
現役時代は、スピードと技術を持ちながら、打ち合うボクシングで客を沸かせたボクサーでした。自伝に『拳運 強運ボクサー畑山隆則・自伝』(祥伝社・2001年)があります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1975年7月28日 |
| 出身地 | 青森県青森市 |
| 身長 | 173cm |
| 王座 | WBA世界スーパーフェザー級・ライト級 |
| プロの戦績 | 29戦24勝(19KO)2敗3分け |
| 引退 | 2001年 |
| 所属 | 太田プロダクション |
生い立ち:青森から上京してボクシングを始めるまで
子どものころの畑山さんは、本人の言葉を借りれば「いわゆるガキ大将」でした。野球に打ち込み、青森山田高校へスポーツ推薦で進みますが、先輩部員と対立して1か月で野球部を辞めています。その後テレビで辰吉丈一郎さんの試合を見て、やんちゃだった人でも世界王者になれるなら、自分はもっとすごくなると考えました。ボクサーを目指して高校を中退し、上京します。
最初に通ったジムでは納得のいく練習ができず、移った先で出会ったのが柳和龍トレーナーです。2週間ほど黙って練習を見ていた柳トレーナーは、17歳の畑山さんに「俺が必ず世界チャンピオンにする」と告げました。打ち合って客を喜ばせるボクシングを教えてくれたのも、この人です。
2階級制覇と坂本博之戦、引退して解説者になるまでの歩み

1993年6月にプロデビューした畑山さんは、全日本新人王を経て、1996年3月に11連続KOで東洋太平洋の王座を取りました。1997年10月の初めての世界挑戦は、王者の崔龍洙と引き分けに終わります。翌1998年3月に強打のコウジ有沢を倒して日本王座を手にすると、同じ年の9月に崔龍洙との再戦で判定勝ちし、WBA世界スーパーフェザー級の王者になりました。
ところが1999年、2度目の防衛戦でラクバ・シンに敗れて王座を失い、23歳で引退します。トレーナーをしていたある日、ジムの社長がもらした「おまえと坂本博之の試合が見たいなあ」の一言で気持ちに火がつきました。2000年6月11日の復帰戦では階級を上げ、WBA世界ライト級王者ヒルベルト・セラノを8回KOで下して2階級制覇を達成し、リングの上から坂本博之さんを指名します。
同じ年の10月11日、坂本博之さんとの一戦は激しい打ち合いになり、10回に畑山さんがダウンを奪った直後、坂本さんの陣営がタオルを投げ入れて試合が止まりました。次の試合は引き分けで王座を守りましたが、2001年7月にジュリアン・ロルシーに敗れてベルトを失うと、今度こそグローブを置きました。その後はタレント・解説者として活動しています。
座右の銘
本人が座右の銘と明言した言葉は見当たりませんが、いちばん近いのは、現役の10年間を振り返って口にした「当たり前のことを当たり前のように毎日できた」という言葉です。
畑山隆則の名言35選
畑山隆則の名言には、現役のころの自信のなさや焦りを隠さず話したものが目立ちます。言葉の下の年は、本人が口にした年です。現役のころの話を、後のインタビューや YouTube で語った言葉もあります。
世界王者を目指して青森から上京した時を語った名言
17歳の畑山さんは、才能がなければ世界王者にはなれないと考えていました。だから柳トレーナーに「必ず世界チャンピオンにする」と言われた時、見る人が見れば素質は分かるんだと受け止めました。
01「昔、彼(辰吉)もやんちゃしてて、自分と似た様な境遇だと。そんな昔不良やっていたような人でもボクシングでチャンピオンなれるのかと。だったら俺もっとすごくなるんじゃないかと思って」
— 2022年12月、青森テレビの取材で、ボクサーを目指したきっかけを振り返って
02「いや僕は世界チャンピオンになりたくて青森から出てきたんです」
— 2022年12月、青森テレビの取材で、柳和龍トレーナーに何のためにボクシングをやっているのかと聞かれた時を振り返って
03「私はボクシングに限らずスポーツは才能だと思っていたので、可哀想な言い方ですけど、素質のない人間が100年やったって100ラウンド練習したって世界チャンピオンになんかなれないと考えていました」
— 2021年10月、元世界王者の木村悠さんが聞き手のインタビューで、17歳のころの考えを振り返って
04「そういう人が(見て)楽しいボクシングっていうのは、やっぱり僕みたいに打ち合うボクシングなんですよね。そのボクシングをするには大変なんです。大変なんですよ。走れないといけない、ロードワークもしないといけないし、体力がなきゃできないボクシングなんで」
— 2022年12月、青森テレビの取材で、柳トレーナーに教わったボクシングを振り返って
05「事前に“7対3で畑山有利”という記事を見て、カチンときていたんです。3割は僕が不利と思われたわけですから。もっとも、決して楽な試合ではなかったです。向こうもすごく気合いが入っているのを感じましたし、結果的にお客さんが盛り上がる試合ができて満足しています」
— 2014年12月のインタビューで、1998年3月のコウジ有沢戦を振り返って
引退と現役復帰、最後の試合を語った名言
1999年に王座を失った畑山さんは、いったんリングを離れます。王者が負けた翌日の怖さ、まだ動く体への未練、坂本博之さんと戦うために戻る決断まで、畑山さんは隠さず話しています。
06「世界チャンピオンが負けたら無職じゃないですか? あしたから。結婚して家族もいたじゃないですか? 泣く元気もないですよ。あしたから無職、ヤバいという焦り。泣く元気もなかったですもん。」
— 2026年9月、YouTube「竹原テレビ」で、自分が負けた時を振り返って
07「体はまだ動くし、技術に関することが熟知できてきたのに、これでボクシングをやらないというのは金をドブに捨てるのと同じではないか」
— 2021年7月、雑誌の対談で、現役復帰を決めた時の気持ちを振り返って
08「17歳で上京してボクシングを始めた私は、俗に言う「青春」というものを経験したことがなく、すべてをボクシングに注ぎ込んできた。ですから、本当に悔いなく「やり切った」という実感を得るために現役復帰したんです」
— 2021年7月、雑誌の対談で
09「ある日、社長が突然『おまえと坂本博之の試合が見たいなあ』なんて言い出したんです。社長はそれまで僕の復帰には反対していたのに。だからそこで、坂本選手とやれるならカムバックしますよ、と言ったんです」
— 2014年12月のインタビューで、1999年の引退の後を振り返って
10「やっぱり1年間ブランクあって世界戦ですから勝つことはないだろうと思ってました。なんとなくそんな甘くないだろうと。けど一応パンチとかにはすごく反応ができたんで2ラウンドあたりでこれいけるかなっていうふうになんとなく思ったんです」
— 2022年12月、青森テレビの取材で、2000年6月の復帰戦を振り返って
11「そのように満足のいく負け方だったので、「ボクシングに悔いなし」という思いを抱いたんです」
— 2021年7月、雑誌の対談で、2001年7月の最後の試合を振り返って
坂本博之戦の前後に語った名言
畑山隆則と坂本博之が戦ったのは、2000年10月11日、横浜アリーナのWBA世界ライト級タイトルマッチでした。試合の前の「だから勝てるんです」に込めた意味は、2026年の YouTube で本人が話しています。
12「初防衛は坂本選手とやります」
— 2000年6月11日、WBA世界ライト級の王座を取った直後のリングの上で
13「彼(坂本選手)は自分の顎に自信を持っている。ボクは顎に自信がない。彼はパンチがある。ボクは彼よりパンチがない。だから勝てるんです」
— 2000年、坂本博之戦の前に
14「坂本さんの方が強いっていう話が結構入ってきてたんで、『何で? バカなこと言ってんの?』と頭きてたから言ったんでしょうね、ああいうこと。どうやっても負けるわけないだろって意味で言ったんですよ、最初はね」
— 2026年4月、YouTube「ぶっちゃけチャンネル」で、「顎に自信がない」の言葉を振り返って
15「この試合に関しては、ファイトマネーやベルトなんてどうでもよかった。彼となら、きっと燃える試合ができるだろうと感じていました」
— 2014年12月のインタビューで、坂本戦を振り返って
16「完全に割れたんで。逆に坂本さんの方が多いぐらいですよ、ファンは。坂本の応援の方がすごい、世界戦なのに。こっちがチャンピオンですよ、一応。チャンピオンより挑戦者の方が応援すごいんだから戸惑うじゃないですか? その分、燃えるんですよね。『あっ、俺のファン、半分じゃねえんだ。よし、じゃあやっつけてやる』みたいな」
— 2026年10月、具志堅用高さんの YouTube「ネクストチャレンジ」で、坂本戦の会場を振り返って
17「これは本当に、無心の勝利でした。ただ、自分がすべてをつぎ込んできたボクシングという競技を悔いなく終えたい。ボクシングをやってきてよかったと思いたい。そういう気持ちで臨んだのが坂本戦でした」
— 2014年12月のインタビューで
18「もうやることがない」
— 2000年10月11日、坂本戦の直後に
19「やはり、坂本戦で燃え尽きてしまったのは否めないですね。あの試合のためにカムバックしたわけだし、それ以上求めるものがなかったんですよ」
— 2014年12月のインタビューで、その後の防衛戦を振り返って
20「会う人に『畑山さん、もう僕は畑山さんと坂本さんの試合は…』って必ず言われるんで、だからあの試合があっての私じゃないですかね今も」
— 2022年12月、青森テレビの取材で
「当たり前のこと」と努力・自信を語った名言
世界王者になれた理由について、畑山さんは運があったと認めたうえで、毎日の積み重ねを挙げます。自信がないから人の倍練習した、とも話しています。
21「人と出会ったっていうのも含めて全部、運は当然あったんでしょうね。ただ一つ言えるのは、僕はプロボクサーとして10年間当たり前のことを当たり前のように毎日できた。あんだけ努力することなんかありえない、あんだけ苦しかったこともありえないと思うんで。もう毎日の努力の積み重ねじゃないですか」
— 2022年12月、青森テレビの取材で、世界王座までの道を振り返って
22「私は自分に自信がないんです。自信がないから「これじゃ足りない」「これじゃダメだ」といつも考えて、練習も人の倍はしていました」
— 2021年10月、木村悠さんのインタビューで、自分の優れているところを聞かれて
23「持論ですが、スポーツ選手でポジティブな人は成功しない。良い意味でポジティブな面も必要なのかもしれませんが、基本はネガティブでないと成功しないと思います」
— 2021年10月、木村悠さんのインタビューで
24「それはありませんね。バッチリ練習するので、これで負けるわけがないと思うんです。絶対に負けるということはないから」
— 2021年10月、木村悠さんのインタビューで、試合の前は怖くなったり眠れなかったりしたかと聞かれて
25「30年前の自分に言えるとしたら、やはり努力を惜しまない方がいいってことだよね…若い時の苦労は買ってでもしろってのは本当でしたね」
— 2022年12月、青森テレビの取材で
26「青森県の人たちがボクシングをして、その手伝いを私がして、うちのジムから青森県出身の世界チャンピオンがでることは私の故郷の青森にも恩返しになるのかなと」
— 2022年12月、青森テレビの取材で、これからの夢を聞かれて
解説者として井上尚弥や今のボクサーを語った名言
解説者の畑山隆則は、「やった人しか分からない強さ」を知る立場から今のボクサーを語ります。井上尚弥については、渡嘉敷勝男さん・竹原慎二さんと続ける YouTube「ぶっちゃけチャンネル」でよく話しています。
27「ボクサーにとって世界チャンピオンは雲の上の存在ですから、その雲上の景色を見てみたいというのはみんな同じです」
— 2025年3月、二宮清純さんとの対談で、比嘉大吾さんの世界戦について
28「プロである以上、ただ勝てばいいわけではなく試合内容も重要で、そのために打ち合えるようにならなければいけません」
— 2025年3月、二宮清純さんとの対談で、那須川天心さんについて
29「東京ドームの雰囲気を経験してる。ネリ戦で失敗も経験してる。今回は失敗はない。限りなくゼロに近いと思う。経験の差がある」
— 2026年5月、井上尚弥―中谷潤人戦の直前の YouTube で、井上さんについて
30「中谷がうまく戦った。それに尽きますよ。井上チャンピオンが最後まで攻めあぐねてましたから」
— 2026年5月2日、井上尚弥―中谷潤人戦の後の YouTube の生配信で
31「彼のモチベーションはお金じゃなくて、ボクシングっていう作品」
— 2026年5月、YouTube「ぶっちゃけチャンネル」で、井上尚弥さんが戦い続ける理由について
32「ふざけて、ぼけているように見せて、実は何でも知っていた。物知りだし、知識の豊富な方だった。周りの人を喜ばそうと、演じているのが分かった」
— 2026年6月、ライト級の先輩チャンピオン、ガッツ石松さんの訃報を受けて
33「チャンピオンになれないよ。日本のトップになるのが難しい」
— 2026年7月、YouTube「ぶっちゃけチャンネル」で、今の日本で現役をやりたいかと聞かれて
34「老若男女、子どもからお年寄りまで分かる、具志堅(用高)さんなんかまさにそうだったと思うんですけど、そういうスターっていうのが、日本のスポーツ界で生まれなくなるんじゃないのと思うんですよね」
— 2026年8月、YouTube「ぶっちゃけチャンネル」で、井上尚弥さんと今のスポーツ界について
35「井岡のボクシング、あれから見直しましたよね。地味じゃないですか? 見た感じ強そうに見えないですよね。井岡って強いんですよ。やった人しか分からない強さがあるんですよね、井岡って」
— 2026年10月、具志堅用高さんの YouTube「ネクストチャレンジ」で、2020年の井岡一翔―田中恒成戦について
畑山さんがボクサーを目指すきっかけになった辰吉丈一郎さんの言葉は辰吉丈一郎の名言に、名前を挙げた具志堅用高さんの言葉は具志堅用高の名言に、ほかのボクサーの言葉はボクシング選手の名言にあります。
よくある質問(Q&A)
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