栗山巧の名言40選!FA宣言で残留した時の言葉から引退セレモニーのスピーチまで
「西武ライオンズに決まってるでしょ」。プロ野球の埼玉西武ライオンズの栗山巧が、FA宣言の前に記者へ笑って答えた名言です。二軍の寮で一軍の歓声を聞いた若手の頃から引退セレモニーまで、一つの球団で25年打ち続けた栗山巧の名言は、自分の持ち場で踏ん張る力をくれます。
Writer
公式ライター Activel編集部
栗山巧は、プロ野球の埼玉西武ライオンズで25年間プレーした外野手です。ドラフトから育った選手では球団で初めて通算2000安打を打ちました。ほかの球団へ移ることもできるFA宣言の前には、どの球団でプレーしたいのかを聞いた記者に「西武ライオンズに決まってるでしょ。他にどこがあるんですか」と笑って答えています。栗山巧の名言には、二軍の寮で一軍の歓声を聞いていた若手の頃の言葉も、良いことも悪いことも自分次第と言い聞かせて積み重ねてきた人の言葉もあり、自分の持ち場で踏ん張る力をくれます。「今もこれからもライオンズの栗山です」と語った引退セレモニーまでの言葉を、口にした場面と一緒にたどっていきましょう。
栗山巧のプロフィール
栗山巧は1983年に兵庫県で生まれ、神戸で育ちました。2001年のドラフトで西武に入ってから、背番号1をつけ、キャプテンも務め、2026年8月に現役を終えるまで一つの球団で打ち続けました。本人が「すごく長い3年間」と振り返る二軍の時期や、子どもの頃にもらった色紙の言葉を知ると、栗山巧の名言がいっそう重く響きます。
基本プロフィール
通算成績は、2026年8月30日の引退試合までの数字です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1983年9月3日 |
| 出身 | 兵庫県 |
| 出身校 | 育英高校 |
| ドラフト | 2001年 4巡目(西武) |
| ポジション | 外野手 |
| 投打 | 右投げ左打ち |
| 身長・体重 | 177cm・85kg |
| 背番号 | 52 → 1(2008年から) |
| 通算成績 | 2323試合・2152安打・128本塁打・914打点・85盗塁・打率.277 |
| 主なタイトル | 最多安打(2008年)・ベストナイン4度・ゴールデングラブ賞(2010年) |
生い立ち(野球との出会いから阪神・淡路大震災、プロ入りまで)
野球を始めたのは、幼稚園の年長から小学校1年生にかけてのころです。神戸のグリーンスタジアムでプロ野球を観戦したあと、小学校の校庭で少年野球をしているのを見て「僕もやりたい」と思ったのがきっかけでした。母によると、小学校で「僕はプロ野球選手になんねん」と宣言し、高校に入る前には両親に「俺に投資してくれ」と頼んだそうです。
小学5年生だった1995年1月には、神戸市の自宅で阪神・淡路大震災にあいました。30年後に書いた手記では、重いバケツを持って近くの公園へ水をくみに行ったことや、通っていた小学校が避難してきた人でいっぱいになったことをつづり、野球を一生懸命やることで社会の役に立てるという考えも明かしています。
育英高校では甲子園に2度出場し、2年の夏にベスト4まで進みました。
ライオンズ一筋25年の歩み

2001年のドラフト4巡目で入団し、3年目の2004年9月に一軍で初めて試合に出て、初安打を打ちました。翌2005年から一軍の試合に出続けるようになり、背番号が52から1に変わった2008年には167安打で最多安打を取り、チームも日本一になっています。2012年からは5年にわたってキャプテンを務めました。
2016年11月にはFA権を行使したうえで西武に残り、2021年9月4日には、ドラフトから育った選手では球団で初めて通算2000安打に届きました。2025年11月に翌年を「締めくくりのシーズン」にすると発表し、2026年8月30日の引退試合では、最後の打席でヒットを打っています。
座右の銘「善敗己由」
栗山巧の座右の銘といえる言葉が「善敗己由」(ぜんぱいおのれによる)です。本人はこれを「僕の心の支え」と呼び、意味を「いいことも悪いこともすべて自分次第」と話しています。
栗山巧が10歳のころ、父が稲尾和久さん(ライオンズの永久欠番24番をつけた投手)に会った時に、息子あてのサインをもらいました。そこに書かれていたのがこの言葉です。稲尾さんはいつも「鉄腕」と書くのに、この時だけは違ったと、父は息子に話したそうです。
本人は公式サイトのメッセージで、このサインの色紙について「今でも心の支えになっています」と書き残しています。プロを目指していた頃は、この言葉を念仏のように心の中で唱えながら練習していたそうです。
栗山巧の名言40選
栗山巧の名言には、二軍の寮で一軍の歓声を聞いて「こんなん最悪やん!」とこぼした若手の頃の言葉も、40歳で代打の逆転本塁打を打った後に飛ばした冗談もあります。本人の公式サイトの文章やお立ち台の言葉には関西の言い回しがそのまま残っていて、飾らない人柄まで伝わってきます。
プロ入りから日本一、キャプテンの頃の名言
若手の頃の言葉は取材の記事に残っていて、2011年からは本人の公式サイトにメッセージを書くようになり、打てなかった試合のことも、ケガを抱えて戦った時期のことも、自分の言葉でつづっています。
01「今年も続けないと二軍やから」
— 2009年2月、最多安打のタイトルを取った翌年のキャンプ中の取材で
02「ドームでナイターをやってると、寮の部屋にガンガン聞こえてくるんですよ。攻撃中の応援団の鳴り物、ドッと沸くお客さんの歓声。一軍があんなに盛り上がってんのに、なんでおれだけこんなところにおるんやろう、こんなん最悪やん!って思いますよ」
— 二軍の頃を振り返った取材で
03「ちびっ子ファンの諸君、君たちは将来のプロ野球選手です。しっかり練習して、同じフィールドで野球をやりましょう。」
— 2010年5月5日、こどもの日のヒーローインタビューで
04「『自問自答』僕はこの言葉が大好きです。文字通り、自分に問い自分で答える。」
— 2011年6月17日、本人の公式サイトで
05「スーパーヒーローはいつの時代もちょっと遅れてやってきます。やられてやられてもうあかん。。と思ったところからが一番おもしろいとこです!!」
— 2011年6月22日、本人の公式サイトで
06「僕は、常にあかん時ほどチャンスやと思ってます。」
— 2011年7月7日、本人の公式サイトで
07「なによりドン底に落ちたときに、俺はこんだけのことやってきたんやから絶対このままでは終わらへんぞと、思ったりして心の支えにもなってくれました!」
— 2011年8月25日、本人の公式サイトで
08「良い時も悪い時も闘争心がある限り、ギリギリの状態でだろうがなんだろうが痛いだの痒いだの言わずに、グランドで戦う姿を見せるのがプロ野球選手として一番大事なことではないかと思いプレーしていました。」
— 2011年10月20日、本人の公式サイトで
09「ヒットはヒットなりの四球は四球なりのアウトはアウトなりの意味がありますからね。」
— 2011年11月2日、クライマックスシリーズのファイナルステージの前日に本人の公式サイトで
10「僕がいい加減なことをすると道具っていうのは正直ですから僕を見放すでしょう。」
— 2012年2月8日、本人の公式サイトで
11「全部自分次第なんやから誰がどうとかじゃない!自分がしっかりしたら善になるし自分がしっかりせんかったら敗になるんや!」
— 2012年5月25日、父が稲尾和久さんからもらった色紙について本人の公式サイトで
12「僕は、ええ時もあかん時も楽しいなと思いながらやっています。」
— 2012年8月14日、本人の公式サイトで
13「後々振り返ってあの時こうしておけば良かったのに。というのだけは絶対に嫌なんで、自分の納得する形で納得するようにやっていきます!」
— 2012年8月14日、本人の公式サイトで
14「これから積み重ねていくヒットの一本一本が皆さんの心に響くように、そしてその積み重ねが、皆さんの喜びになるような、気持ちの入った一本をこれからも打てるように頑張っていきます!」
— 2013年4月21日、通算1000安打の後に本人の公式サイトで
15「すごく思い出のある球場で、子供の頃からグリーンスタジアムでホームランが打ちたいなという思いがあったので、今日は本当に言葉にならないくらい嬉しいですし、夢見てる気分ですね。」
— 2014年7月5日、地元の神戸で満塁本塁打を打った試合のヒーローインタビューで
FA宣言で残留した時の名言
FA宣言は、ほかの球団へ移る権利を使うという意思表示です。2016年の秋、栗山巧からFA宣言をすると電話を受けた担当の記者は、毎年のようにFA宣言する選手を取材していた頃で、少し嫌な予感がしたと振り返っています。どの球団かと聞いた記者に返ってきたのが、「西武ライオンズに決まってるでしょ」でした。FA宣言をしてチームに残るのは、当時の西武では極めて珍しいことだったそうです。
16「宣言します。プレーしたい球団があるんです」
— 2016年の晩秋、FA宣言の前に担当の記者にかけた電話で
17「西武ライオンズに決まってるでしょ。他にどこがあるんですか」
— 同じ電話で、どの球団かを聞かれて
18「これからも埼玉西武ライオンズでプレーしたいという意思が、今回のFA宣言と残留を決めたことになりました。」
19「FA権を取得した時期を振り返ってみても、当時は夢中になって野球をやっていましたし、ライオンズからも期待されていた。ちょうどファンの皆さんとの絆も深まっていく時期だったと思うので、僕には他の選択肢はなかったです。」
— 2026年8月、引退試合の前に西所沢駅に掲げられたメッセージで
2000本安打とベテランの頃の名言
2018年の春に11年ぶりで開幕スタメンから外れたあとも、栗山巧は代打や指名打者で打ち続けました。楽天戦の9回にレフト前ヒットを打って通算2000安打に届いた2021年9月4日の会見でも、話していたのはこれからのことです。39歳の時の取材では、打席に向かう準備が楽しいと話しています。
20「栗山、生きています!」
— 2018年4月20日、ロッテ戦の代打で逆転の決勝打を打った後に
21「通過点だと思うし、これからはまさに勝負が始まると思うんで、通過点だったと今後も胸張って言えるように頑張っていきたいと思います。」
— 2021年9月4日、通算2000安打の共同会見で
22「一番はみんなに期待される場面で、どんなヒットでもいいから打ちたい。もうそれが目指すところだと思います。」
— 2021年9月4日、通算2000安打の共同会見で
23「あかんかっても次、よかっても次とここ最近は特にそう思いますね。」
— 2021年9月4日、通算2000安打の共同会見で
24「思い返せば、、、みたいな話は今は出来ません。ここからが真価の問われる時だと思いますし、栗山ファンでよかった。と思ってもらえるように価値あるプレーをお見せできるように頑張っていきます。」
— 2021年11月1日、本人の公式サイトで
25「負けたら『次、巻き返したい』とか『次、取り返したい』とか言うやないですか。僕はあまり好きじゃないです」
— 2023年7月の取材で
26「僕は一日一日を完結させたい。納得して終わりたい。負けたとしても、ファンの皆さんに『きょう、球場に来て良かった』と家に帰ってもらいたい。」
— 2023年7月の取材で
27「楽しいんですよ、準備が。もっと言うと、打撃を考えている時間がすごく楽しい。試合の勝ち負けはもちろんありますが、打席では投手との一対一の勝負やないですか。自分がやってきたこと、生きざまが出るわけで、そこに向かって準備する過程が楽しい」
— 2023年7月の取材で
28「打撃って奥深い。つかんだと思っても、昨日と今日では違う。生き物みたいですわ」
— 2023年7月、ソフトバンク戦の試合前に相手のフリー打撃を見ながら
29「今日の僕のホームラン喜んでもらえたでしょうか? うれしすぎる人は今日寝なくて大丈夫です」
— 2024年8月31日、日本ハム戦のヒーローインタビューで
30「プロ野球選手には、野球しかできない。でも、野球を一生懸命やることで、社会のために役立つことはできる。」
— 2025年1月、阪神・淡路大震災から30年の節目に書いた手記で
引退の発表から引退セレモニーまでの名言
2025年11月24日、栗山巧は翌年を「締めくくりのシーズン」にすると発表しました。「引退」と言わなかった理由は、のちの会見で明かしています。子どもたちに「辞めてもいいけど引退とは言わんといてくれ」と頼まれたからです。2026年8月30日の引退会見で現役のベストプレーを聞かれると「一番は今日打つヒット」と答え、その日の最後の打席で本当にヒットを打ちました。これが通算2152本目の安打です。セレモニーでは「今もこれからもライオンズの栗山です」と語りかけました。
31「すべてを出し尽くして、必ず優勝すると。」
— 2025年11月24日、契約更改の後の会見で
32「僕たちの最後の答え合わせを、一緒にしましょう。」
— 2026年8月24日、球団の公式 note に寄せた文章で
33「『内野安打』。結局、僕の野球人生はそういうことだと思います。いざそのギリギリのところで、いつも勝ち上がっていく時は、きれいな感じじゃなくて、泥臭い安打だったりする。」
— 2026年8月、2008年に最多安打のタイトルを決めた最後のヒットを振り返って
34「いつもと変わらず、『絶対にヒットを打つ』という強い気持ちを持って打席に立てれば、それはもう僕の打者としての完成形だと思うし、そうでありたい。」
— 2026年8月、引退試合の前に西所沢駅に掲げられたメッセージで
35「もう出し切れるか。その一点だけでした」
— 2026年8月30日、引退会見で
36「そして一番は今日打つヒットになると思います。」
— 2026年8月30日、引退会見で現役のベストプレーを聞かれて
37「当たり前にいる存在ではありますけど、特別なチームメイトでした」
— 2026年8月30日、引退会見で、同期入団の中村剛也選手について
38「岸くん、ナイスボール。やっぱり良いピッチャーですね。打ちたかったけど打てなかったです。」
— 2026年8月30日、引退セレモニーのあいさつの最初に
39「ここ数年はなかなか一軍の戦力になれない、そういうところもありましたけど、僕が来てからはわりと勝ってると思います(笑)。」
— 2026年8月30日、引退セレモニーのあいさつで
40「25年間、ライオンズの栗山であり続けました。今もこれからもライオンズの栗山です。」
— 2026年8月30日、引退セレモニーのあいさつの終わりに
栗山巧のほかにも、プロ野球選手の言葉を読みたくなった時は、プロ野球選手の名言60選もどうぞ。
よくある質問(Q&A)
商品やサービスを紹介いたします記事の内容は、必ずしもそれらの効能・効果を保証するものではございません。
商品やサービスのご購入・ご利用に関して、当メディア運営者は一切の責任を負いません。