渡辺元智の名言100選!横浜高校の渡辺監督の「目標がその日その日を支配する」
高校野球の横浜高校を率いて甲子園で5度優勝した渡辺元智監督は、選手たちに「目標がその日その日を支配する」と説き続けました。スパルタから対話へ変わり、「栄光より挫折」と語った渡辺元智の名言と、松坂大輔ら教え子が今も忘れないという名言は、負けて立ち止まった時に力をくれます。
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公式ライター Activel編集部
渡辺元智は、横浜高校を甲子園で5度の優勝に導き、松坂大輔らを育てた高校野球の監督です。2026年8月に81歳で亡くなりました。スパルタから対話へ指導を変えた50年の中で、渡辺元智の名言は生まれました。「目標がその日その日を支配する」「栄光より挫折」が語られた場面と教え子が忘れない言葉は、負けて立ち止まった時に力をくれます。
渡辺元智監督のプロフィール
渡辺元智監督は神奈川県の松田町に生まれ、肩の故障で選手の夢をあきらめた後、母校の横浜高校で50年にわたって高校球児を指導しました。亡くなったのは2026年8月17日、母校が夏の甲子園を戦っている最中でした。
基本プロフィール
甲子園の51勝は歴代5位タイで、1970年代から2000年代まで4つの年代すべてで甲子園を制した監督は、渡辺監督のほかにいません。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 渡辺元智(わたなべ もとのり) |
| 生没 | 1944年11月3日〜2026年8月17日 |
| 出身 | 神奈川県足柄上郡松田町 |
| 経歴 | 横浜高校→神奈川大学(中退) |
| 指導歴 | 1965年コーチ、1968年監督 |
| 甲子園 | 春15回・夏12回出場、51勝22敗 |
| 優勝 | 1973年春・1980年夏・1998年春夏・2006年春 |
| 勇退 | 2015年夏 |
生い立ち:養子に入って野球を続け、肩の故障で夢を断たれるまで
幼い頃に父親が病気になり、家の暮らし向きでは高校で野球を続けるのが難しかったそうです。母親の妹の家に養子に入ったことで横浜高校で野球ができるようになり、プロを目指しました。ところが神奈川大学に進んで1年目に肩を痛め、手術でも治らないと分かります。学費を出してもらった養家にも顔向けできない思いから「遠くへ逃げたい」と千葉へ移り、ブルドーザーの修理工場で働きました。そうして1年ほどたった頃、母校から声がかかります。
横浜高校の監督として甲子園5度優勝、50年の歩み

1965年に20歳で母校のコーチになり、1968年に監督に就任しました。日本一厳しい練習で鍛えたチームは、1973年のセンバツで初出場初優勝を果たします。しかしスパルタだけでは行き詰まり、渡辺監督は選手との対話を増やしていきます。愛甲猛投手を自宅に住まわせて迎えた1980年には、初めて夏の甲子園を制しました。
その後は甲子園に出ても勝ち進めない時期が長く続きます。盟友の小倉清一郎さんを1990年秋に呼び戻し、1998年には松坂大輔投手らを擁して春夏連覇を達成し、秋の国体まで公式戦44連勝という記録を残しました。2004年に脳梗塞で倒れた後も、2006年のセンバツで5度目の優勝を果たしています。2015年夏の神奈川大会決勝で東海大相模に敗れたのを最後に監督を退きました。
座右の銘は「目標がその日その日を支配する」
渡辺元智の座右の銘は、「目標がその日その日を支配する」です。もとは大正時代の思想家、後藤静香の詩「第一歩」の最後の1行です。渡辺監督は高校時代に、学校の創立者でもあった校長が朝礼でこの詩を披露するのを聞いて感銘を受けたと、2021年のラジオ番組で話しました。詩の全文はこうです。
監督になってからはミーティングのたびにこの1行を書き、嫌われても毎日言っていたそうです。一方で、2015年の最後の試合の後に座右の銘を聞かれた時は、変わらないものとして「選手を信頼するっていうこと」を挙げました。
渡辺元智の名言100選
横浜高校の渡辺監督は若い頃、選手が逃げないように自分の足と選手の足をロープでつないだこともありました。その監督が、松坂大輔の時代には「どんなに頭に来ても対話で説明しないと」と話しています。渡辺元智の名言を時期ごとに読んでいくと、厳しさの中身が変わっていったことが伝わってきます。教え子たちも「監督にこう言われた」と今も話しています。今の横浜高校の監督で教え子の村田浩明さんが聞いた最後の言葉は、「もう次の準備だよ」でした。
スパルタから対話へ、1973年と1980年の全国制覇の名言
渡辺監督は横浜高校の監督になった頃、日本一長く練習すれば勝てると考えていました。その考えが変わっていったきっかけは、1973年の決勝でかけた一言と、1980年の春に控え投手が合宿所を飛び出した出来事でした。
01「夢を捨てないでかすかにやってたことが、神様に通じたんじゃないのかなと思ってね。」
— 2021年4月、ニッポン放送の番組で20歳の頃を振り返って
02「自分が野球できないけども、教えるっていう事がねあるんだなって。」
— 同じ番組で、コーチの話が来た時の気持ちを聞かれて
03「プロ野球の選手になりたいという夢が消えて、今度は日本一になりたいという夢に変わったんです。」
— 同じ番組で、母校に戻った頃を振り返って
04「日本一厳しく、日本一長く練習すれば、必ず甲子園に行ける」
— 監督に就任した当初の考えとして、2015年の記事が伝える言葉
05「合宿中に選手が逃げないよう、自分の足と選手の足をロープでつないだこともある」
— スパルタだった頃の指導を、後年振り返って
06「お前次バッターで回ってくるじゃないか。打ちゃいいじゃねぇか」
— 1973年春のセンバツ決勝、落球した選手にかけた言葉
07「スパルタばかりじゃなくて変えなきゃいけないなって。」
— 2021年4月の番組で、1973年の決勝の一言を話した後に
08「愛甲の時はね、不良の集まりだった。あの時は若かったから毎日が勝負。」
— 記者に語った、愛甲猛投手がいた1980年前後の話
09「私は指導者としての自分の愚を悟った」
— 著書『育成力』で、1980年春の出来事を振り返って
松坂大輔と1998年の春夏連覇の名言
横浜高校に入学した時の松坂大輔は、渡辺監督から見ると、ボールは速くてもコントロールのない投手でした。1年生の松坂投手は監督室に呼ばれ、握力のトレーニングを兼ねて監督をマッサージしながら、なにげない話をしていたそうです。そこから2年後の夏には、0-6で迎えた8回に、渡辺監督が「目いっぱい楽しもうじゃないか」と選手に語る試合が待っていました。2026年に松坂さんが恩師へ贈った言葉は、松坂大輔の名言にあります。
10「本当の黄金時代を築きたかった。1人でまとめるには限界もあったし、野球に関しては小倉にはかなわないと思っていたから」
— 1990年秋に小倉清一郎さんを呼び戻した理由を、記者に語って
11「彼には期待してるんですよ。ただちょっと油断すると太るんですよ。」
— 1997年の春季関東大会で優勝した時、2年生の松坂投手について記者に
12「でも愛甲がいた時みたいに力ずくではダメなんですよ。どんなに頭に来ても対話で説明しないと」
— 同じ時、記者に指導の悩みを話して
13「ボールはものすごく速かったんですよ。ですけどもコントロールはない。」
— 2021年4月の番組で、1年生の松坂投手の印象を聞かれて
14「彼は号泣ですよ。立ち上がれないくらい泣いてましたね。」
— 同じ番組で、1997年夏の神奈川大会の準決勝を振り返って
15「怪物になるのは2年生の秋の大会から。すごい力を発揮する。」
— 同じ番組で、怪物になったのはいつからかと聞かれて
16「何で打たれるのか? ストレートも変化球もドンピシャ。ひょっとしたら負けるんじゃないかと一瞬考えた」
— 1998年夏のPL学園戦のことを、後にテレビ番組で話して
17「おまえら、勝つ気があるのか」
— 1998年8月21日の準決勝、明徳義塾戦の5回が終わった後のベンチ裏で
18「可能性のある限り残り2回を目いっぱい楽しもうじゃないか」
— 同じ試合、6点を追う8回裏に選手たちへ
19「何が起こるか分からんから、ゼロに抑えてくれ」
— 同じ試合、9回表のマウンドに松坂投手を送る時に
20「最後は松坂が出てきてチームが一つになった」
— 同じ試合の後に
21「信じられない。野球人生において考えもしなかったことが2日連続で起こった」
— 同じ試合の後に、PL学園戦と明徳義塾戦を振り返って
22「春夏連覇はうちにとって100年に一度あるかないかのチャンス。」
— 1998年8月21日、翌日の決勝を前に
23「この金字塔を達成出来た大きな要因は、目標・夢をかかげ、チーム一丸となって耐えたからです。」
— 2020年5月、故郷の松田町に寄せたメッセージで
24「最初から春夏連覇なんて考えたことないですね。」
— 2021年4月の番組で、春夏連覇について話して
「山は登ったら降りなければいけない」人を育てる指導の名言
横浜高校では、技術を小倉清一郎さんが教え、人としての教えを渡辺監督が受け持っていました。頂点に立った後の下山の話や、選手の「すいません」の聞き方の話は、野球以外の場で人を教える立場にも通じます。
25「この年(61歳)で優勝なんて、思っていなかった。大変な感激です」
— 2006年春のセンバツで優勝した後のお立ち台で
26「時代とともに、指導方法は変わらないといけない」
— 2015年5月の記事が、監督のモットーとして紹介した言葉
27「一人で考えているだけでは、平面しか見えない。人が人を動かすわけだから、多面的に野球を捉えるには人間論でいかなければいけない」
— 2014年8月のインタビューをもとにした記事で
28「選手たちがどういう意味で『すいません』と言っているのか、指導者は理解しなければいけない。」
— 同じ記事で
29「野球の好きな子が集まっているから、やる気になれば自然とうまくなる。『俺について来い』というだけの時代ではない」
— 同じ記事で、選手をやる気にさせる話として
30「横浜高校は、常に全国優勝という山を登る気でいなくてはいけない。」
— 同じ記事で、横浜高校の強さの理由を話して
31「つまり山は登ったら降りなければいけない。新たな心構えをもたないと、次の山に登ることはできない」
— 同じ記事で、頂点に立った後の話として
32「経験は素晴らしいことだけど、『自分には経験がある』という甘さをもったまま次の山に行くと、大きな事故を起こしかねない。」
— 同じ記事で、下山の話に続けて
33「苦しさを乗り越えて、次の楽しさにつながる。選手にそう話し、結果を出させることで、やる気を引き起こす」
— 同じ記事で、たどり着いた指導の形として
34「何の変哲もない白いボールの中にも人生がある」
— 野球部の3つの指針の1つとして
35「指導者に徳がなければ、教え子を育てることなどできないということである。」
— 著書『育成力』で
「栄光より挫折」2015年夏、最後の試合の名言
「栄光より挫折」は、70歳で臨んだ最後の夏、神奈川大会の決勝で東海大相模に0-9と敗れた後の会見で語られました。この夏の横浜高校はシードのない立場から決勝まで勝ち上がり、閉会式の後には選手たちが監督を3度胴上げしました。
36「4月下旬に自分で決めた。体力に自信がなくなった。選手に迷惑をかけてしまう」
— 2015年5月、その夏限りでの退任を申し入れた後に
37「よくこれで勝てた。2週間ベストコンディションは無理。どん底で勝てたのは今後につながる」
— 2015年夏の神奈川大会5回戦、藤沢翔陵戦の後に
38「勝ち進むほどチャンスも少ない。僅かなチャンスをいかにものにするか―」
— 同じ大会の準々決勝、横浜隼人戦の後に
39「原貢さんに追いつけ、追い越せの気持ちでやってきた。最後が東海大相模だったというのは特別な思いがある」
— 同じ大会の決勝、東海大相模に敗れて
40「栄光より挫折、勝利より敗北、成功より失敗。それを私は選手に言い続けてきました。負けて初めて覚えることもある。失敗しなくては、絶対にうまくはならないんです。今日の敗戦を、無駄にして欲しくない」
— 2015年7月28日、最後の試合の後の会見で
41「高校野球というのは、強いチームを倒すための練習にこそ意味があり、私は目標に向かっていくことの大切さを教えてきました。」
— 同じ会見で
42「お互いに、白いボールを追っかける中で、絆が生まれ、人生がある」
— 同じ会見で
43「選手に感謝。その一言ですね。」
— 同じ日の取材で、最後の戦いを聞かれて
44「右も左も高校野球一筋だった。白い球を追いかける中に人生があった」
— 同じ日の試合の後に
45「一つだけは変わらないことは、選手を信頼するっていうことですかね。」
— 同じ日の取材で、座右の銘を聞かれて
46「試合で怒っていたら今の選手は萎縮するでしょう。」
— 同じ日の取材で、にこにこしている印象を聞かれて
47「私自身我慢、我慢の野球だったかも分からないですね。」
— 同じ取材で、選手を怒らない理由を話した後に
48「ほんとうにね、メッカですよね。あそこに行くと、ほんとうに心が洗われると言いますか、いろんなことを教えてくれると言いますか」
— 同じ日の取材で、甲子園はどんな舞台かと聞かれて
49「やっぱりうちに帰って、女房と一杯飲んだら終わったかな、と。」
— 同じ日の取材で、試合が終わった瞬間の思いを聞かれて
50「門馬監督が先だろう、と。」
— 同じ日、選手に胴上げされそうになった時のことを話して
「9回の中に人生の縮図」勇退の後に語った名言
監督を退いた後の渡辺さんは、2018年の雑誌の取材や2021年のラジオ番組で、野球を通じて教えたかったことを話しました。ノックは「唯一のコミュニケーションの場」だと言い、補欠の選手を大事にする話は、そのまま人生の話へ広がっていきます。
51「栄光より挫折、勝利より敗北。成功より失敗から学んだことのほうが多かった」
— 2018年8月の雑誌の記事で、約50年の監督人生を振り返って
52「絶対に諦めるな。全国制覇を目指そう。高い目標に向かって逞しく前進しなさい」
— 同じ記事で、チーム力が弱い年に選手にかける言葉として
53「苦しみのなかへ積極果敢に突入していくところに、野球(人生)の徳が醸し出される」
— 同じ記事で
54「目標がその日その日を支配する」
— 2021年4月の番組で、今でも忘れられない言葉を聞かれて
55「コツコツコツコツ重ねてかなければだめだと。」
— 同じ番組で、ミーティングで選手に話した意味を説明して
56「目標がなければ何を具体的にやっていったらいいのか?」
— 同じ番組で、目標を持つ意味を説明して
57「松坂の時にはやっぱり『ワンチーム』『人生の勝利者目指せ』『仲間を大事にしよう』とか、そういう格言を多くしましたよ。」
— 同じ番組で、松坂投手らの代について
58「やっぱりノックができない監督はいい監督になれない。」
— 2021年4月の番組で、こだわりの用具を聞かれて
59「練習=実践なんですよ。練習と試合が全く異なったら練習をやる意味がない。」
— 同じ番組で、練習について話して
60「僕は偶然という言葉は使いたくない。」
— 同じ番組で、備えの野球について話して
61「好きなものに向かって一生懸命努力することは決して無駄じゃないと。」
— 同じ番組で
62「人を育てるっていうことが一番大事なことなんですね。」
— 同じ番組で、高校野球の魅力を聞かれて
63「好きな野球だからこそ耐えられる。」
— 同じ番組で、コロナ禍の高校野球について
64「9回の中に人生の縮図と言いますか、あらゆるものが詰まってる。」
— 同じ番組で、高校野球を通じて教えたことを聞かれて
65「僕は打点以上に得点っていうことが素晴らしいと。必ず伏線があるわけです。」
— 同じ番組で、得点の裏にあるものについて
66「そういう下の選手を大事にするところが甲子園の優勝に繋がってくる」
— 同じ番組で、補欠の選手について話して
67「苦しさが楽しさになっていかなきゃいけない。」
— 同じ番組で、今の「楽しくやろう」という風潮について
68「練習では自分が下手、試合は自分が一番うまいと思え」
— 勇退の後、グラウンドで球児たちにかけた言葉
69「野球を通じて人生の荒波のくぐり方を学んで欲しい」
— 監督時代によく語っていた言葉
70「チームに何が必要で、自分は何ができるか」
— 選手たちに考えるよう指導した言葉
故郷へのメッセージと2026年夏の名言
外出自粛が続いた2020年5月、渡辺監督は故郷の松田町の人たちに「コロナと我慢比べです。」と呼びかけました。亡くなる3週間ほど前の2026年7月には、杖をついて神奈川大会を見に来て、横浜高校の織田翔希投手を高校時代の松坂投手と比べる言葉を残しています。
71「何が足りないか考えた結果、忍耐力でした。心の問題です。諦めない強い気持ちです。」
— 2020年5月、故郷の松田町に寄せたメッセージで
72「愛と心が人を動かす」
— 同じメッセージの4つのスローガンの1つとして
73「コロナと我慢比べです。」
— 同じメッセージで、町の人たちに
74「富士山に登る第一歩、松田山に登る第一歩」
— 同じメッセージで、故郷の町の人たちに向けて
75「高校時代の松坂と比べると、織田の方がいいんじゃないかな。いい投手だよね。」
— 2026年7月24日、神奈川大会準決勝の慶応戦を観戦して
76「村田がやってくれました。いい顔をしていました。村田の考えを、選手たちが理解している。いい形だと思います」
— 2026年7月26日、教え子の村田浩明監督が決勝を制した後に
松坂大輔ら教え子が伝える渡辺監督の名言
ここからは、教え子たちが「監督にこう言われた」と話している言葉です。同じ教えでも人によって言葉の形が少し違い、「人生の勝利者たれ」は卒業する部員に贈られ、孫の佳明さんには「人生の勝利者になれ」と伝わっています。
77「人生の勝利者たれ」
— 卒業していく部員たちに贈った言葉(2015年の記事が紹介)
78「栄光より挫折、成功より失敗、勝利より敗北から学びなさい」
— 松坂大輔さんが2026年8月18日、テレビの生放送で忘れられない言葉として
79「覚悟を持つ」
— 松坂大輔さんが同じ放送で、もう1つの忘れられない言葉として
80「我慢しろ」
— 愛甲猛さんが2026年9月、お別れの会の取材で
81「冷静沈着」
— 愛甲猛さんが、監督が色紙に書くのを何度も見た言葉として
82「高い山に登ったら必ず下山する。いつも足元を見つめてやらないといけない。下山するのを失敗したら命取りになる。だから下山の仕方を間違うな!」
— 春夏連覇の主軸だった後藤武敏さんが2015年に、1998年センバツの優勝後の話として
83「下山したら、また足元を見つめて高い山に挑戦しよう」
— 後藤武敏さんが、同じ時に言われたと話して
84「俺は3年間そういう教育をしたつもりはない。お前がそう態度を示すならお前とはもう縁を切る」
— 後藤武敏さんが、1998年夏のPL学園戦の試合中に言われたと話して
85「当たり前のことを当たり前にこなせないと野球なんてできるか!」
— 後藤武敏さんが、高校時代に言われたと話して
86「一人の人間としてしっかりしろ!」
— 筒香嘉智さんが2015年に、常に言われていたと話して
87「クライマックスシリーズだろうが、レギュラーシーズンだろうが、どんな試合の1打席も変わらない」
— 筒香嘉智さんが2026年8月に、プロ入り後に指導された言葉として
88「練習はウソをつかない」
— 卒業生の近藤健介さんが2015年に、教わった言葉として
89「けがだけはするな!」
— 卒業生の浅間大基さんが2015年に、よく言われたと話して
90「お母さんのために頑張れ」
— 柳裕也さんが、在学中もプロになってからも言われたと話して
91「人生の勝利者になれ」
— 孫の渡辺佳明さんが2026年8月18日に、ずっと言われていたと話して
92「この負けは許されない。出処進退を書け」
— 村田浩明監督が2026年9月のお別れの会の弔辞で
93「村田野球、よかったよ」
— 村田浩明監督が2026年8月18日に、最後の会話として
94「もう次の準備だよ」
— 村田浩明監督が、同じ最後の会話で聞いた言葉として
95「周りを見て、チームメートを信じて投げなさい」
— 織田翔希投手が2026年8月に、2025年のセンバツの頃に言われたと話して
96「お前はお前らしくいけ」
— 横浜高校の小野舜友主将が2026年8月に、心に残る言葉として
97「今、温泉の帰りで電話してみたけど、多村の解説は分かりやすくて、よく勉強してるな!」
— 卒業生の多村仁志さんが2026年8月に、亡くなる少し前の電話として
98「投手はマウンドでは孤独、人と闘うまえにまず自分と闘え」
— 2015年当時の3年生、高橋修人選手のノートに書かれた語録
99「仲間は宝、誰一人いらない者はいない」
— 同じノートに書かれた語録
100「闘志なき者はグラウンドを去れ」
— 同じノートに書かれた語録
よくある質問(Q&A)
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