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ラモス瑠偉の名言55選!日本代表の10番を背負った男の格言とは?

ラモス瑠偉の名言55選!日本代表の10番を背負った男の格言とは?

ラモス瑠偉の名言集はサッカーや家族を本気で愛し、全力でプレーしてきたかっこいいラモス瑠偉だからこそ言える言葉ばかりです。日本に対しての愛も強く外国人のラモス瑠偉が「日本で戦争が起きたらオレは戦う。」と言った名言は、日本人に気づきを与える格言です。

2022.12.20 サッカー

ラモス瑠偉とは?

ラモス瑠偉とは、サッカー日本代表に加え、ビーチサッカー日本代表、フットサル日本代表にも選ばれた元サッカー選手です。1994FIFAワールドカップ・アジア予選に日本代表が出場したときは、最終戦のイラク戦のロスタイムのときに同点とされ、ワールドカップ出場を逃したドーハの悲劇を経験した選手でもあります。Jリーグの公式YouTubeには1994ベストゴールとしてラモス瑠偉の天才的なループシュートの映像が載っています。

ラモス瑠偉のプロフィール

生年月日 1957年2月9日
出身地 ブラジル/リオ・デ・ジャネイロ/メンデス
ニックネーム カリオカ
身長 181cm
体重 71kg
血液型 O型
ポジション MF
利き足 右足
経歴 1975年-1977年:サージFC
1977年-1992年:読売クラブ
1992年-1996年:ヴェルディ川崎
1996年-1997年:京都パープルサンガ
1997年-1998年:ヴェルディ川崎
成績 JSL得点王:1979年,1983年
JSLアシスト王:1979年,1991年,1992年
日本年間最優秀選手賞:1990年,1991年
日本プロスポーツ大賞・殊勲賞:1993年
Jリーグ功労選手賞:1998年

ラモス瑠偉は1977年に読売サッカークラブの選手にスカウトされ来日し、半年間の外国選手出場待機期間を経て日本の公式試合デビューをした元サッカー選手です。デビュー後は、1990年から1995年の間サッカー日本代表に選ばれプレーをし、1998年に現役を引退しました。現役選手を引退したあとは、2005FIFAビーチサッカーワールドカップの日本代表の監督や2006年にJ2落ちした東京ヴェルディの監督を務めるなど、指導者としても活躍しています。2022年現在は、サッカーを取り上げたテレビに出演したり、パラ応援大使として活動したり、マルチな仕事をしています。

ラモス瑠偉の座右の銘

すべてのものがやがて報われすべてのものがいつか救われる

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ラモス瑠偉の座右の銘は「すべてのものがやがて報われすべてのものがいつか救われる」です。ラモス瑠偉は子どものころ父親を亡くし、母親を経済的に楽にさせるためにサッカーを努力し続けた結果、プロサッカー選手になり日本代表に選ばれました。生まれ育ったブラジルを離れ、誰も知らない日本でサッカーを頑張ることは精神的に大変なことです。サッカーを努力し続けたラモス瑠偉だからこそ「すべてのものがやがて報われすべてのものがいつか救われる」という言葉が生まれたのでしょう。

ラモス瑠偉の名言55選

ラモス瑠偉の名言は日本のためにサッカーを本気でやり、家族のためにサッカーを一生懸命続けてきた気持ちが伝わり感動する内容ばかりです。名言の中の「まだ何も終わってない。なんで泣くの!」という言葉は、1993年に行われたワールドカップ出場をかけたアジア地区最終予選で今まで勝てなかった韓国戦の勝利に三浦知良が泣いた際にラモス瑠偉がかけた言葉です。残り試合のことを考え、最後まで諦めない姿勢はスポーツ選手として、とてもかっこいいと言えます。

サッカー魂を感じられる名言

まだ何も終わってない。なんで泣くの!

もっと怒れよ、もっと褒めろよ。人のために何かをしてあげなきゃダメだよ。それが才能ある選手に対する本当の愛情だと思うんだ。

テクニックは人から教わることも出来る。でも、ハートは自分で鍛えるしかない。

ワールドカップを見てみろよ。みんなあんなに必死になって戦うのは、国の代表だからだろ。国を愛し、家族を愛し、仲間を愛しているからだろ。日本はそこんとこから外国に負けてる。

「ベテランがいなくなって俺たちの時代が来る」なんて思ってたら甘いぞ。

みんな死ぬときは死ぬやん!何をやっても。ビーチサッカー日本代表のユニフォームを着て死んだら、こんな名誉なことはないよ。

日本代表に選ばれていながら、日の丸を背負って戦うっていう重大さをわかってない選手も少なくない。だから怒るんだ。98年のワールドカップ・フランス大会のとき、NHKにゲスト解説者として呼ばれたんだけど、あまりにも不甲斐ない戦いを見ているうち、カッカしてきてね。試合終了後、選手たちに向かって「なにニヤニヤしてんだよ!ワールドカップは戦争だよ!」って怒りをぶちまけたら苦情が殺到した。でも、日本のチームに強くなってもらいたいから言っているだけなのに、それがなぜ悪いの?

Jリーグができたこともあって、サッカーができるのは当然と思っている選手も少なくないんじゃないかな。甘いよ。いつまでもプレーできるクラブがあるわけじゃない。

もう一度やるべき事は何なのか確認しながら考え直せ。今日の試合のビデオ見直せよ。韓国の選手達のプレー見ろよ。答えが全て詰まってるんじゃないの?

読売は地獄に落ちたオレを救ってくれたチーム。だから、チームがおかしいって思ったら、見ちゃいられないこともあった。

リーダーは口だけじゃなくて、行動で見せないといけない。

やられたまま尻尾を巻いて逃げ帰るのってイヤじゃない?「絶対に日本のやつらにオレのことを認めさせてやる」って、それまで以上に練習したよ。ちょっとでもサボれば、「ガイジンだから……」って叩かれるに決まっているから。肉離れした足でも練習して、練習しながら直したもんさ。

日の丸背負って戦うことの意味を思い出せ!

もし、俺たちがドーハでボコボコにされて負けて、「やっぱりW杯の壁は厚いな」と思ったら、4年後のフランス大会にも出てなかったと思うし、Jリーグも盛り上がってないよね。あそこまで頑張ったから、「4年後はフランスに行くぞ」が合言葉になったんです。だからあのメンバーを、忘れて欲しくないですよ。そんなに技術があったわけじゃない。今の選手に比べたら下手くそだったけど、戦っていたからね。

給料のことなんて、どうでもいい。そんなこと構わない。おカネなんて、いつでも稼げる。それよりも大切なのは、ワタシがどういう人間か、どんなサッカー選手か、それを皆に見せてやること。このままじゃ終われない。だから試合には出られなくても、誰よりも練習はやったよ。肉離れを起こしたときも、自分でテーピングして、それで練習した。

ワールドカップで勝つ強いチームを見てみな。みんな死ぬ気で戦っている。なぜか。国を背負っているからだよ。自分より重いものを背負うから、自分の力以上のものを出せるんだ。

何をやるにしてもやるからには100%の力でやれ!

(サッカーとは何か)人生そのままや

俺達日本人でもう一度立てなおそうよ!

W杯は簡単に出られる舞台ではないし、あのときはきっと神様が日本にはまだ早いって思ったんだ

大和魂を見せろ!

すべて、気持ちですよ。怒られたからやる気なくすなんていう人は、何をやっても成功しないです。

怒られて悔しいなら、「ようし、やってやろうじゃないか。必ずあんたの口からほめ言葉を言わせてやるぞ!」と、なんで思わないのか?そう思える人が絶対に成功するんですよ。

今日やらなきゃ明日はないと思って生きているか?

年上の人は自分より絶対に経験があるわけだから、先輩の話を聞かないなんて損ですよ。

もう一度生まれ変わったら、もう1度日本に来て、早く帰化して、もう一度、W杯を目指したい。

魂でサッカーを愛した男を覚えておいてほしい。

大好きなサッカーをやってお金をもらえる幸せを忘れてはいけない。

なんでも新しくなっていく。でも、いいものは残してほしい。国立が新しくなっても、この神様を連れていかないと……。サッカーの神様を残さないとダメでしょ。

サッカーで一番大事なのは、ハート。いつだってそう思ってやってきた。スピード、テクニック、戦術眼……。そりゃね、必要だよ。でも、ハートがなかったら、そんなもの役に立ちゃしない。

褒めないとダメですよ。

ここは特別なんだ。違うエネルギーを感じる。ここは神聖な場所。本当にサッカーの神様がいるんだ。

思い出はたくさんある。ほとんど、ここでは負けていない。すごいタイトルもとった。このスタジアムを愛しています。

日本は結構、強い。簡単に負けるチームじゃない。もっと、みんなが自信をもってほしい。アウエーというか、他の国でのワールドカップでベスト4になったら、とんでもないことですよ。優勝みたいなものです。

サッカーに対する情熱は、これはもう、サッカーがとにかく好きだったということ。好きで好きで仕方がない。だから頑張る。

1981年の8月だった。バイクで事故を起こし、左脚のスネを複雑骨折したんだよ。骨が見えるぐらい、ひどい骨折だっただけに、一瞬、「ああ、オレのサッカー選手としての人生も終わったかな」と。でも、運ばれた病院の先生に「二度とサッカーはできないでしょう」と言われたときには、逆に「冗談じゃない!」っていう持ち前の反発心が芽生えてきてね。「だったらボクの脚に触らないでください」って治療を拒み、信頼できるドクターに連絡を取って、その病院で治療してもらったんです。先生も「お前次第だ」と言ってくれたんで、頑張れば、復帰できるんだと思って。

ブラジルの人が二番目に応援するのは日本だと思う。サポーターの力を借りて、日本代表に暴れてほしい。

日本サッカーをばかにするなよ!

野良犬みたいな俺まで抱え込んでくれて見捨てなかった。日本サッカーを強くしたのは間違いなくオフト。だから男にしたかった

今まで日本でやってきた22年間は、あっという間でした。生まれ変わっても日本に来て、早く帰化して、もう一度W杯を目指したい

嫌いになれと言われてもなれない、心底愛しているから。

愛情表現とコミュニケーション。そこから、教育は始まる。

日本愛が感じられる名言

日本で戦争が起きたらオレは戦う。だって日本人なんだから。日本人になった期間は短いけどオレは日本人だよ。

日の丸――。最高だ。こんなに美しい国旗、他にないよ。どんなに苦しくても、膝が痛くても、日の丸をつけていると思うと頑張れる。

日本を、日本サッカーをなめられることは、俺自身がナメられることと同じなんだ。そんなの許せないよ。

小さな力が大きなエネルギーに変わる。日本は必ず復活できる。

日本人として生きていくことは自分自身で決めた。クラブにとってプラスになればって、それが一番だったんだ。

日本に来て、この国がいろいろいい思いをさせてくれたから、恩返しをしたいくらい好きになった。好きでたまらない国を愛するし、育ててくれた国に恩返しをする。

日本にきて35年になるのか……。2年でブラジルに帰るつもりで来たのに、まさか、こんなに長くいることになるとは。わかんないもんだよ、人の運命なんて。

ユニフォームの日の丸。スタンドで揺れる日の丸。日の丸が目に入ると、こんなところで諦めていいのかって、また闘志が湧いてくるんだ。

家族愛が感じられる名言

奥さんを両親の側にいさせてあげたい。だから、夢を捨てた。

あそこまで愛した人を…たぶん乗り越えられないと思います。別に乗り越えようとも思ってないから。

どんな小さな支えでも、子どもたちに与えれば倍になって返って来る。

12歳のときにお父さんが亡くなってからは、お母さんや家族を守るために必死でサッカーをしました。自分が頑張ることで家族を守れる。その一心でやりました。

ボク自身、なぜ苦しい思いまでして日本で頑張れたのか?お母さんに家を買ってやって、ラクをさせたかったからだよ。結婚してからは初音と娘、息子のために頑張ってきた。人間、背負うものがないと力も出せない。自分のためだけだったら、サッカーなんかやめて、くだらない人生を送ってたんじゃない?

ラモス瑠偉の名言が読める書籍や動画

ラモス瑠偉のかっこいい名言や格言は、ラモス瑠偉自身が執筆したラモスの黙示録やインタビュー内容をまとめた天国と地獄―ラモス瑠偉のサッカー戦記 (文春文庫)を読むことでどのようなシーンで言っていたのか詳しく知ることができます。

「日の丸――。最高だ。こんなに美しい国旗、他にないよ。」の名言はラモスの黙示録でも触れられていて、ラモス瑠偉の日本に対しての熱い思いを知れます。ラモス瑠偉がどのような生き方や恋愛をしてどのような思いでサッカーをしてきたのか知りたい方は、名言を解説している語録やYouTubeの動画を見ることがおすすめです。

ラモスの黙示録

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ラモスの黙示録

出版社:ザマサダ
発売日:1999/3/1
文庫:196ページ

ラモスの黙示録は、ラモス瑠偉が初めて書いた本です。ブラジルで育ったラモス瑠偉が日本でサッカーをしたときのことやドーハの悲劇のことが書かれていて、ラモス瑠偉の熱い想いを知れる一冊となっています。また著書の中には、日本の国旗のことにも触れられていることから、ラモス瑠偉が日本に対してどのように思っていたのかもわかるでしょう。

天国と地獄―ラモス瑠偉のサッカー戦記 (文春文庫)

天国と地獄―ラモス瑠偉のサッカー戦記 (文春文庫)

出版社:文藝春秋
発売日:1998/5/1
文庫:365ページ

天国と地獄はラモス瑠偉が在日してから20年間の中で起きた、結婚や帰化問題、ドーハの悲劇を語った内容が書かれています。ラモス瑠偉が日本に帰化するときについても詳細に書かれていることから、ラモス瑠偉がなぜ日本でプレーをしているのか、どのような努力をしてきた人なのか知りたい人におすすめの一冊です。

海を渡ってきたサムライ ラモス瑠偉の名言 名言から読み解く偉人伝

ラモス瑠偉の名言の動画は、有名人や偉人の名言を紹介しているYouTuberがラモスの名言をはじめラモス瑠偉の幼少期から日本での出来事について約6分でわかりやすく解説している動画です。ラモス瑠偉の両親のことから、どのような経緯で来日したのか、帰化した理由、サッカー人生をわかりやすくまとめて解説していることから本を読む時間がない方におすすめです。

ラモス瑠偉の言葉がなぜ心に響くのか?

ラモス瑠偉はホームシックになったり、試合で喧嘩をしてしまい1年間出場停止になってしまったりと、とても苦労をしてきた選手です。1981年にはバイクで事故を起こし左すねに大怪我をしましたが、諦めず一生懸命リハビリとプレーをし1983年には得点王に輝きました。テレビにサッカーの解説で出演したときに怒って言った名言もありますが、本気でサッカーを愛している人の言葉だからこそ心に響くのでしょう。かっこいいラモス瑠偉の名言の背景を一つでも理解し、スポーツだけでなく、仕事中や家事をやるときに取り入れてみるのもおすすめです。

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