ジェンナーロ・ガットゥーゾの名言80選!ピルロや敗戦を語る言葉を原文つきで解説
サッカーの元イタリア代表で、今はラツィオ監督のガットゥーゾの名言です。「すごい技術がないのは分かっていた」と話しながら闘志で世界一になり、ピルロを見て「仕事を変えなきゃ」と思った男の名言は、才能に悩む時に闘う力をくれます。
Writer
公式ライター Activel編集部
ジェンナーロ・ガットゥーゾは、ACミランとイタリア代表で世界の頂点に立った元サッカー選手で、今はイタリアのクラブ、ラツィオを率いる監督です。「すごい技術がないのは分かっていた」と自分でも話すとおり、相手のボールを奪い続ける闘志で2006年のワールドカップを制しました。ガットゥーゾの名言には、チームメイトのピルロのプレーを見て「仕事を変えなきゃ」と思った正直さも、朝はまず良い方の目から開けるという病気との闘いも出てきます。代表監督としてワールドカップを逃した傷は棺に入るまで消えないと語りながら、それでも前へ進んでいます。才能がないと落ち込んだ時こそ読んでほしいのが、ガットゥーゾの名言です。
ジェンナーロ・ガットゥーゾのプロフィール
ジェンナーロ・ガットゥーゾは、1978年生まれのイタリア人で、中盤で相手のボールを奪う役目を担ったミッドフィールダーでした。イタリアでは、うなり声を意味する「リンギオ」が愛称で、日本では闘犬と書かれてきました。その素顔は、漁師の町で育った少年時代の話から見えてきます。
基本プロフィール
イタリア代表では73試合に出場し、2006年のワールドカップで優勝しました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | ジェンナーロ・ガットゥーゾ |
| 生年月日 | 1978年1月9日 |
| 出身 | イタリア・カラブリア州 |
| 身長 | 177cm |
| ポジション | ミッドフィールダー |
| 代表 | イタリア代表73試合 |
| 異名 | リンギオ・闘犬 |
| 現在 | ラツィオ監督 |
生い立ち・幼少期
ガットゥーゾが生まれたのは、南イタリアのカラブリア州にある漁師の町、コリリャーノ・カーラブロです。チームに入る前は、船の燃料タンクをゴールポストにして、石と貝殻だらけの浜辺で毎日ボールを蹴っていました。
本人の話では、両親は大工で、町の人々は一日働いてもわずかなお金しか得られなかったそうです。それでも子ども時代は本当に美しかったと振り返っています。12歳で家を出て、ひとりでペルージャのチームへ向かいました。
レンジャーズからラツィオまでのキャリア
1997年、19歳のガットゥーゾはスコットランドのレンジャーズに移ります。翌年にイタリアへ戻り、サレルニターナを経て1999年にACミランへ入りました。
ミランには2012年までいて、2003年と2007年にチャンピオンズリーグを制しています。2005年の決勝では3点差を追いつかれてリバプールにPK戦で敗れ、その2年後のアテネで同じ相手に勝ちました。イタリア代表では2006年のワールドカップで優勝し、2010年の大会の後に代表を離れています。
2011年には目の病気にかかり、復帰したものの翌年ミランを退団しました。スイスのシオンで選手兼監督となり、指導の道に入ります。パレルモの監督を務めた後、ギリシャのOFIクレタとイタリアのピサではクラブの経営難に振り回されました。
2019年に古巣ミランの監督を退く時には、残り2年の報酬を手放して、スタッフの給料が支払われるようにしています。ナポリでは2020年に国内カップ戦のコッパ・イタリアを制し、これが監督として初めてのタイトルになりました。その後はバレンシア、マルセイユ、クロアチアのハイドゥク・スプリトを率いています。
2025年6月にイタリア代表監督に就きましたが、2026年3月31日、ワールドカップ出場をかけたプレーオフ決勝でボスニア・ヘルツェゴビナにPK戦で敗れ、4月3日に退任しました。6月にラツィオの監督となり、10月18日にユヴェントスに3-0で勝った時点でインテルと並ぶ首位に立っていました。
座右の銘
座右の銘として挙げた言葉は見つかりませんでしたが、近いのは本人の自伝の題です。『Se uno nasce quadrato non muore tondo』は、四角く生まれた者は丸くは死なない、という意味で、自分の角を削らずに生きてきたガットゥーゾらしい題になっています。
ジェンナーロ・ガットゥーゾの名言80選

ガットゥーゾの名言には、技術がないと認めた上での闘志や、ピルロへの尊敬、負けた試合を今も引きずる痛みがまっすぐに出ています。下着で優勝を祝った話や、父に殴ると言われて契約した話のように、笑ってしまうものも少なくありません。ジェンナーロ・ガットゥーゾの名言は、選手の時の話だけでは終わりません。監督になってからは、選手を守る言葉や、代表を去った傷を語る言葉が増えていきました。
「技術がない」と認めた闘志の名言
ガットゥーゾの強さは、自分に足りないものを隠さない所にあります。闘志を語った言葉には、けがも相手の大きさも気にせずボールへ向かった選手の姿と、その熱さが行きすぎたと認める姿の両方が出ています。
01「この考え方で自分を作り上げた。すごい技術がないのは分かっていた。でも、気持ちの上で相手を殺す準備をした。人生をサッカーに捧げてきた」
“I built myself up with this mentality. I knew I didn’t have great technique, but I prepared myself to mentally kill my opponent. I have dedicated my life to football.”
— 2022年、スペインでのインタビューで選手時代を振り返って
02「何であれ、絶対に負けたくない。友だちとのトランプでさえ」
“I don’t ever want to lose at anything, not even a game of cards with my friends.”
— 2018年、自分の歩みを語ったサッカー誌の取材で
03「ボールが動いている時は必ず、俺の中の獣が出てくる」
“Whenever there’s a ball in play, the animal inside me will come out.”
— 2018年、サッカー誌の取材で
04「それから2年間、タックルに行くたびに、手を元の位置にはめ戻さなければならなかった」
“For the next two years, every time I went in for a tackle I had to crack my hand back into place.”
— 2018年、手のけがを振り返って
05「問題があったことは一度もない。当時も今もいい友だちだ。あの試合では、自分の2倍も大きい相手に強く行こうと考えていた。でもピッチの上で、何かを怖がったことは一度もない」
“There have never been any problems, we were and we are great friends. In that match I was thinking to be hard with one who was two times greater than me! But on field I’ve never been afraid of anything.”
— 2014年1月、イブラヒモビッチとの一件を聞かれて
06「サッカーをするのが恋しいか? いや、全然。持っている以上のものをサッカーに渡した。何も出し惜しみしなかった」
“Do I miss playing football? No, not at all. I’ve given more than what I had to the game. I never held anything back.”
— 2018年、サッカー誌の取材で
07「全責任を取る。ジョーダンとやり合って頭に血が上った。お互いスコットランドの言葉で話していた。彼の故郷のグラスゴーでプレーした時に覚えた。でも何を話したかは言えない」
“I take full responsibility. I was wound up after exchanging words with Jordan … We were both speaking Scottish, something that I learned when I played in his home city of Glasgow, but I can’t tell you what we said.”
— 2011年2月、トッテナム戦の翌日に
08「Respect の腕章を着けてジョー・ジョーダンの喉に手をかけている写真を見ると、笑うしかない。そうしないと泣くしかないから。たぶん1秒の出来事だが、見せるべき手本では絶対になかった」
“When I see pictures of me with my hand on Joe Jordan’s throat while wearing the Respect armband, I have to laugh, as if I didn’t I’d have to cry. It was an incident that lasted maybe one second, but it was certainly not the right example to set.”
— 2018年、同じ一件を振り返って
ガットゥーゾとピッチでぶつかったイブラヒモビッチ本人の言葉は、イブラヒモビッチの名言で読めます。
カラブリアの浜辺と家族の名言
苦しい時にガットゥーゾが戻っていく場所は、子どもの頃の浜辺です。国歌を聞いても母の声を思い出すと話すガットゥーゾにも、闘犬になる前の少年の時間がありました。
09「それまでは、船の燃料タンクをゴールポストにしてやるしかなかった。漁師たちに囲まれた浜辺で、足の下は石と貝殻だらけだった」
“Until then I’d only been able to play with fuel-carriers from boats as the goalposts – we would play on the beach, surrounded by fishermen, with all the stones and shells under our feet.”
— 2018年、12歳より前の話を振り返って
10「本当に美しい子ども時代だった。毎日サン・シーロでも、ウェンブリーでも、マラカナンでも、ボンボネーラでもプレーした。浜辺や通りに有名なスタジアムの名前を付けていたから」
“It was such a beautiful childhood. I would play at San Siro, Wembley, the Maracana and La Bombonera every day, because we’d named the beaches and streets after the most famous stadiums.”
— 2018年、サッカー誌の取材で
11「苦しい時は、目を閉じるだけであの時に戻れる。あの浜辺、あの思い出に」
“In times of difficulty, I simply have to shut my eyes and I’m taken all the way back to that time; those beaches, those memories.”
— 2018年、サッカー誌の取材で
12「漁師の町、コリリャーノ・カーラブロに生まれた。両親は大工だった。12歳で家を出た。好きで、できると感じていたこと、サッカーをするために。ひとりでペルージャへ行った。とても苦しんだが、黙って耐えた」
“Nasco in un paese di pescatori, Corigliano Calabro. I miei erano falegnami. Io ho lasciato casa a dodici anni per fare quello che mi piaceva e che sentivo di saper fare: giocare al calcio. Sono andato a Perugia, da solo. Ho patito tanto, ma in silenzio.”
— 2022年6月、イタリアの新聞のインタビューで
13「国歌を聞くたびに、ベルリンの決勝の前でさえ、母が家に帰りなさいと叫んでいた時のことを思い出した。子どもの俺は、浜辺で8時間も10時間も遊んでいたから」
“Ogni volta che sentivo l’inno di Mameli, anche prima della finale di Berlino, pensavo a quando lei mi urlava di tornare a casa perché stavo, bambino, a giocare sulla spiaggia per otto o dieci ore.”
— 2022年6月、同じインタビューで
スコットランドのレンジャーズ時代を語った名言
19歳で渡ったスコットランドにいたのは1年ほどでしたが、そこはガットゥーゾをプロにした場所でした。父に背中を押された移籍の話から、ガスコインとの思い出まで、スコットランドへの愛情が伝わる言葉が残っています。
14「行きたくないと父に言った。父は、提示された金額は書き切れないほどで、自分の一生の稼ぎの4倍だと言った。それでも嫌だと言うと、受けないなら殴ると言われた。だからレンジャーズにサインした!」
“I didn’t want to leave and I told this to my father,” “He told me that the money they were offering was so much he couldn’t even write down the total figure. He told me it was four times his total earnings in his lifetime.” “When I still said no, he said he would punch me if I didn’t accept it, so I signed for Rangers!”
— レンジャーズへの移籍を振り返って
15「グラスゴーは、初めてプロのサッカー選手として考え始めた場所だ。ペルージャの頃は、心の底で、間違いを恐れずピッチに立つ心の強さが足りないと思っていた」
“Glasgow was the place where I first started to think like a professional footballer. When I played for Perugia, deep down I thought I lacked the mental strength to go out on the pitch and play without the fear of making a mistake.”
— 2018年、サッカー誌の取材で
16「背広の代金を自分のお金で払ってくれた。これが、多くの人が知らないポール・ガスコインだ」
“He paid for the suits with his own money. This is the Paul Gascoigne not many people know.”
— 2018年、チームメイトだったガスコインについて
17「あそこにいた時に、自分が何者か分かった。たまたまカラブリアに生まれたスコットランド人だ!」
“During my time there, I realised who I am: A Scotsman accidentally born in Calabria!”
— 自伝を書いた頃、スコットランドの日々を振り返って
ACミランの仲間と伝説の名言
13年いたミランでは、仲間とのふざけ合いや厳しい規律の話が尽きません。カタツムリを食べた話についても、ガットゥーゾ本人が理由を語っています。
18「ミラネッロの初日、ひげを剃って洗面台に2本毛を残した。コスタクルタに頭を2発はたかれた。それでクラブの考え方がすぐ分かった」
“Il primo giorno a Milanello mi feci la barba, lasciai due peli nel lavandino… Presi due schiaffi in testa da Costacurta, capivi subito la mentalità.”
— 2019年4月、本の発表の場で、ミランの練習場ミラネッロの初日を振り返って
19「あの数日のおかげで、俺たちはチャンピオンズリーグに勝ったんだ」
“noi abbiamo vinto la Champions League grazie a quei giorni lì”
— 2019年4月、2007年のマルタの合宿を振り返って
20「生きたカタツムリを食べるよりひどいこともやってきた。言いたいのは、あの時は緊張をほぐすために何かが必要だったということだ」
“I’ve done worse things than eating a snail alive,” “I’m saying this because my point is that in that particular moment there was need to do something to break the tension.”
— 2018年5月、コッパ・イタリア決勝の前日の会見で
ピルロを語った名言
ガットゥーゾとピルロは15歳以下のイタリア代表の頃から一緒でした。ガットゥーゾは技術の差を正直に認めながら、ピルロを遠慮なくからかってもきました。
21「ピルロのプレーを、足元にボールがある彼を見ると、自分は本当にサッカー選手と呼べるのかと思う」
“Quando vedo giocare Pirlo, quando lo vedo col pallone tra i piedi, mi chiedo se io posso essere considerato davvero un calciatore”
— ピルロがフリーキックを決めた試合の後、ロッカールームで
22「俺がピルロと同じ? ヌテッラと上等なチョコレートを混ぜないでくれ。アンドレアのプレーを見ると思ったよ。俺に同じプレーができるのか? 仕事を変えなきゃ、ってね」
“Io come Pirlo? Non mischiamo la Nutella con il cioccolato fino” … “quando vedevo Andrea giocare mi dicevo ‘ma io posso fare lo stesso gioco che fa lui? Devo cambiare mestiere'”
— 2017年11月、イタリアのラジオ番組で
23「苦しい時、足元にボールがあれば彼に渡した。好きにしてくれ、と思った。彼が俺の役に立ったことのほうが、俺が彼の役に立ったことより、ずっと多い」
“nei momenti di difficoltà, quando avevo la palla tra i piedi la davo a lui da recuperare: ‘Fai quello che vuoi’, pensavo ed ero sicuro quando ero vicino a lui” … “è stato molto più utile lui a me che io a lui”
— 2017年11月、同じラジオ番組で
24「隣でプレーできて本当に幸運だった。困った時は彼にボールを渡すだけでいい。イタリアで言うように、彼が銀行に預けてくれる。彼がいなかったら俺のほうが、俺がいない彼より苦しんだのは明らかだ」
“I was very fortunate to play next to him because whenever I was in trouble, all I had to do was give him the ball and, as we say in Italy, he would put it in the bank. It’s clear I would have suffered more without him than he would have done without me.”
— 2018年、サッカー誌の取材で
25「10年ほど一緒にプレーして、彼を何回はたいたか想像もつかないだろう。1発1セントでも、今ごろ100万ユーロ以上持っているはずだ」
“You can’t imagine the number of slaps I had to give him in the decade or so that I was playing with him. If each slap was worth only one cent, I’d still probably have more than €1 million now.”
— 2018年、ピルロの自伝の話を聞かれて
26「チームメイトだった頃、彼はいつも俺にいたずらをした。でも、父親より俺のほうが多く彼をはたいた」
“Quando eravamo compagni di squadra mi faceva sempre gli scherzi, ma ha preso più schiaffi da me che da suo padre.”
— 2021年1月、イタリアのスーペルコッパの前日の会見で
27「ピルロはサッカーの世界で望むことを何でもできる男だ。ずば抜けた知性があるから」
“Pirlo è uno che può fare tutto quello che vuole nel mondo del calcio perché ha un’intelligenza fuori dal comune”
— 2017年11月、イタリアのラジオ番組で
28「これであいつも大変だぞ。…勉強して、必死に働いて、寝る時間もあまりないんだ」
“Well he’s screwed now… That’s the job,” “You have to study, to work hard, and you don’t get much sleep.”
— 2020年8月、ピルロがユヴェントスの監督に就くと聞いて
イスタンブールの敗戦とアテネの雪辱の名言
3点差を追いつかれてリバプールに敗れた2005年のイスタンブールの決勝は、ガットゥーゾにとって何年たっても消えない夜でした。2年後のアテネで同じ相手に挑む前に語った言葉には、まだ癒えない痛みが出ています。
29「奇妙なことだった。あの夜は忘れがたい。永遠に記憶に残るし、思い出すと今も痛む。でもあの夜の思いは、俺たちを奮い立たせてくれる」
“It was something strange and it is hard to forget that night,” “It will stay in my memory forever and still hurts me thinking about it.” “But the thoughts and feelings of what happened that night can stimulate us.”
— 2007年5月、アテネの決勝の前に
30「見るには勇気がいる。まだその勇気が出ない。ところどころは見たが、全部は見ていない。どうしてもできないんだ」
“You need courage to watch it, and I haven’t plucked up enough yet,” “I have seen bits of it, but not the whole match. It’s something I just can’t bring myself to do.”
— 2007年5月、イスタンブールの試合の映像について
31「ハーフタイムにもうパーティーをしてシャンパンを開けていたなんて話は嘘だ」
“These stories that we were already having a party at half time and opening the champagne are lies,”
— 2007年5月、アテネの決勝の前に
32「復讐はない。ただのサッカーの歴史だ。歴史はそうやって書かれてきた」
“There’s no revenge. It’s just footballing history. It’s how history has been written.”
— 2007年5月、チャンピオンズリーグ準決勝の第2戦の後で
33「3-0で勝っていたリバプールとのチャンピオンズリーグの決勝に負けた。聖母マリアをこの目で見たよ。サッカーには敬意を払い、いつも全力でなければならない」
“I’ve lost a Champions League final that I was winning 3-0 against Liverpool and I saw the Virgin Mary in person. I think that in football you have to respect it and always be at your best.”
— 2022年9月、バレンシアの監督として
2006年ワールドカップ優勝の名言
世界一になった大会の言葉は、笑える話と胸が熱くなる話が隣り合っています。決勝の朝まで眠れなかった話も、優勝の瞬間に下着だった話も、ガットゥーゾという人そのものです。
34「体は向こうのほうがずっと上だった。でもブッフォンが叫んだ。みんな、怖くない! どれだけ大きくても、明日生きたまま食ってやる。それでも次の20時間、俺は相手の大きさとジダンの強さしか考えられなかった」
“Physically, they were in much better shape than us. But Buffon started shouting: ‘Guys, they don’t scare us! They can be as big as they want, but we’ll eat them alive tomorrow.’ However, for the next 20 hours, I could only think about how big they were and how strong Zidane was…”
— 2025年、イタリアサッカー連盟に関わる媒体の取材で決勝の前日を振り返って
35「ゆうべは朝7時に寝た。冗談じゃなく28回トイレに行った」
“Stanotte mi sono addormentato alle sette di mattina, sono andato – e non sto scherzando – ventotto volte in bagno”
— 2006年7月、ワールドカップ決勝の頃に
36「だから下着で祝うことになった。人生で一番うれしい瞬間に、俺はまだ言い争っていた。今度はベンチと」
“So I found myself celebrating in my underwear as, in the moment of the greatest joy of my life, I was still arguing – this time with the substitutes’ bench.”
— 2018年、優勝の瞬間を振り返って
37「ワールドカップには3回出た。子どもの頃に壁とボールで遊んでいた時も、いつか出たいとは思った。でも勝てるとまでは思わなかった。自分より大きな夢だった」
“Ho fatto tre Mondiali – spiega – e anche quando giocavo da bambino con il muro ho sempre pensato un giorno di giocarlo, ma non ero mai arrivato a pensare di poterlo vincere, e’ stato un sogno piu’ grande di me”
— 2014年2月、ワールドカップのトロフィーの催しで
目の病気と向き合った名言
2011年、ガットゥーゾは物が二重に見える病気でピッチを離れました。病気は今も続いています。2026年には、15年間コルチゾン(ステロイド薬)を使い続けていることと、もう7年近くお酒を飲んでいないことを明かしました。首位争いをする監督は、毎朝この病気と向き合っています。
38「俺を倒すには、こんなものでは足りない」
“Ci vuole altro per abbattermi”
— 2011年10月、自分で開いた会見で
39「自分の中の悪い悪魔に従ってピッチに出た。あの試合で人生で最悪の20分を過ごした。酔っ払いのようで、イブラが4つの場所に見えた」
“Ho seguito il diavolo cattivo che c’è in me e sono sceso in campo.” “In quella partita ho passato i 20 minuti più brutti della mia vita. Sembravo ubriaco, vedevo Ibra in quattro posizioni diverse”
— 2011年10月、同じ会見で
40「正直に言うと、朝起きると、まず良い方の目を開け、それからゆっくりもう片方を開ける。普通に見えることを願って」
“Non nascondo che quando mi sveglio al mattino apro prima l’occhio buono poi piano piano l’altro, sperando di vederci in modo normale”
— 2011年10月、同じ会見で
41「運転できないので子どもを学校に送れないのはつらい。パソコンに向かっても、キーを打ち間違えて、思った手紙が書けないのはつらい」
“E’ brutto non poter portare i miei figli a scuola perché non posso guidare. E’ brutto andare al computer e non riuscire a scrivere la lettera che hai in mente perché sbagli a toccare tasto.”
— 2011年10月、同じ会見で
42「練習して試合に出られるのは、自分にとってはチャンピオンズリーグに勝ったようなものだ」
“being able to train and play is like having won a Champions League on a personal level.”
— 2012年4月、復帰戦の翌日に
43「まだ力はあったのに、選手をやめたのは34歳で自己免疫の病気にかかったからだ。眼筋型の重症筋無力症だ。15年前からコルチゾンを使っている。使わないと物が二重に見え、正しく見えなくなる。同じ病気で4、5か月寝たきりになり、動けない人もいる」
“Ancora ce ne avevo, ma ho smesso di giocare perché ho preso una malattia autoimmune a 34 anni, la miastenia oculare. Da 15 anni faccio uso di cortisone, se non faccio uso di cortisone mi viene la diplopia, cioè che non vedo in maniera corretta. C’è gente che con la mia stessa malattia sta 4-5 mesi a letto, non riesce a muoversi.”
— 2026年10月、イタリアのスポーツの催しで
44「受け入れて、向き合っている。俺は病気より強い。でも、こたえる。毎日コルチゾンを使うのは楽じゃない。人生にはもっと悪いことがいつもあるから、前へ進むんだ」
“L’ho accettata, ci lavoro, sono più forte della malattia. Però mi costa: fare uso di cortisone tutti i giorni non è facile.” … “E si va avanti perché c’è sempre di peggio nella vita”
— 2026年10月、同じ催しで
ミランと代表を去る時の名言
長くいた場所を離れる時も、ガットゥーゾは感謝を口にしています。2010年に代表を退く時には、代表監督になる夢も語っていました。
45「夢は、いつか代表監督としてワールドカップに行くことだ」
“il mio sogno un giorno è fare un Mondiale da ct azzurro”
— 2010年、イタリア代表を退くと発表した会見で
46「身を引いて、ほかの人に場所を空ける時が来た。これはさよならじゃない。1年離れて、その後どうなるか見よう。ミランが俺にしてくれたことは、俺がミランにしたことより大きい」
“E’ arrivato il momento di farmi da parte e lasciare spazio ad altri” … “è solo un arrivederci, faro’ un anno fuori e poi vedremo” … “Il Milan ha fatto per me piu’ di quello che abbia fatto io per la societa”
— 2012年5月、ミランの本社を出る時に
監督になってから語った名言
ガットゥーゾの監督の道は、給料の出ないクラブも、シーズンの途中で去ったクラブもある厳しいものでした。下積みの中で語った言葉には、ユーモアと、選手やスタッフを守ろうとする思いが同居しています。
47「20年間サッカーをやってきた。漁師をやっていたわけじゃない。監督としての時間が多くないのは確かだが、それが限界にならないことを願う」
“Per 20 anni ho fatto calcio, mica il pescatore. E’ chiaro che non ho molte ore da allenatore ma spero non sia un limite”
— 2013年6月、パレルモの監督の就任会見で
48「彼は怖くない。俺が怖いのは死だけだ」
“Non lo temo” “io temo soltanto la morte”
— 2013年6月、パレルモの会長について笑いながら
49「俺は学校を出ていない。先生の免状はない。監督の免状はある。良い時もあるかもしれないし、くそな時もあるかもしれない。でも決まりは俺にはとても大事だ」
“Me no finish the school, I have no diplom for teacher. I have a diploma for manager and sometimes maybe good, sometimes maybe sh*t. But the rules for me is very important”
— 2014年9月、ギリシャのOFIクレタの会見で
50「どうやって止めるか? 選手にどう教えればいいか分からない。マンツーマンかな。ちょっと蹴るかもな!」
“How to stop him? I would not know how to coach players to do that. Perhaps man marking – or even a little kick!”
— 2015年5月、メッシの止め方を聞かれて
51「英雄のような歓迎を受けたが、私は英雄ではない。英雄は、この1か月、信じられない犠牲を払ってきた私の選手たちだ」
“Ho ricevuto un’accoglienza da eroe ma non sono un eroe. Gli eroi sono i miei giocatori, che da un mese fanno sacrifici incredibili.”
— 2016年9月、ピサに戻った日の練習の後で
52「月に800、900ユーロで働いて、9月からお金を受け取っていない人たちがいる。アレーナ・ガリバルディの扉を閉めるのは、私が最後になる。50歳の人がローンをどう払えばいいか分からず泣いているのを見ると、ひどく腹が立つ」
“Ci sono persone che lavorano per 800/900 euro al mese e non prendono soldi da settembre. Sarò l’ultima persona a chiudere la porta dell’Arena Garibaldi” … “Vedere gente di 50 anni che piange perché non sanno come pagare il mutuo… mi dà un fastidio pazzesco”
— 2016年12月、ピサの監督として試合後の会見で
53「ヴェンゲルに比べたら、私はプルチーニ(子どものカテゴリー)を教えているようなものだ」
“Rispetto a Wenger, io è come se allenassi la categoria Pulcini”
— 2018年3月、アーセナル戦の前日の会見で
54「私は大した監督ではない。下積みを重ねてきて、まだ学ぶことがたくさんある。戦術は本では学べない。歯を殴られて学ぶんだ」
“Non sono un grande allenatore, ho fatto tanta gavetta e devo ancora imparare tanto.” … “La tattica non si impara sui libri, ma con le legnate sui denti.”
— 2018年2月、コッパ・イタリア準決勝に勝った後のテレビの取材で
55「ミランの話でお金の話はしない。私がミランに与えたものは、ミランが私に与えてくれたものよりずっと少ない。私にとって当たり前の行いを、ほめられたくはない」
“Quando si parla di Milan non si parla di soldi.” … “Io ho dato molto meno di quello che il Milan ha dato a me. Non voglio essere lodato per un gesto che per me è normale”
— 2019年5月、ミランの監督を退いた後に
56「私はサッカーの神様をとても信じている。きちんとやれば、結果はついてくる」
“Credo molto in un dio del calcio, quando fai le cose bene poi i risultati arrivano”
— 2020年6月、コッパ・イタリアで優勝した直後に
57「選手にとって私は最高の友で、ピッチでは最悪の敵だ。でも間違えた人を恨みはしない。選手が私に悪態をつくのは構わないが、私のスタッフに手を出すことは誰にも許さない」
“Sono il miglior amico ma in campo il peggior nemico dei calciatori, però non porto rancore verso chi sbaglia.” … “un giocatore può anche mandarmi a quel paese ma nessuno deve toccare il mio staff.”
— 2020年6月、イタリアのラジオ番組で
58「誰にでも敬意を。でも、誰も恐れない」
“Rispetto per tutti, ma paura di nessuno”
— 2022年6月、バレンシアの監督の就任会見で
59「サッカーだけでなく人生で、意欲のない人間には何もできない。最初に意欲、次に犠牲と価値観。いつも何かを信じなければいけない」
“In life, not only in football, if a man doesn’t have desire, he can’t do anything. The first thing is desire, then sacrifice and values. You must always believe in something.”
— 2022年6月、バレンシア公式サイトの取材で
60「最初の日から規律を求めてきた。私たちはチームで、規則がある。ある選手が決まった時間に遅れた。私は、尊厳を失うくらいなら試合に負けるほうを選ぶ」
“Dal primo giorno ho chiesto disciplina” … “Siamo una squadra e ci sono delle regole.” … “io preferisco perdere una partita piuttosto che la dignità.”
— 2024年夏、ハイドゥク・スプリトの試合前の会見で
ガットゥーゾが止め方を聞かれたメッシ本人の言葉は、メッシの名言で読めます。
イタリア代表監督の名言
2010年に語った夢に、ガットゥーゾは15年後に手をかけます。選手の時に優勝した代表の監督になり、チームをワールドカップへ連れ戻す役目を担いました。就任の日の覚悟から、ボスニア戦のPK負けの夜、退任の声明まで、言葉の重さが変わっていきます。
61「夢がかなった。この役目にふさわしい人間でありたい。簡単な仕事ではない。でも、人生に簡単なことなど何もない」
“È un sogno che si avvera e spero di essere all’altezza del ruolo” … “Il compito non è facile, ma di facile nella vita non c’è nulla.”
— 2025年6月、イタリア代表監督の就任会見で(イタリアサッカー連盟公式サイト)
62「それでも、恐れという言葉はあってはならない。それを抱えていては、どこにも行けない」
“Eppure, la parola paura non deve esistere, perché con quella non si va da nessuna parte.”
— 2025年6月、同じ会見で
63「言うなと言われたが言う。今、私のチームにガットゥーゾがいても、あんなに騒ぎを起こす選手は、今の私のサッカーの見方なら試合に出さない」
“Mi hanno detto di non dirlo ma lo dico: oggi un Gattuso nella mia squadra, col casino che faceva, non lo metterei in campo, per come vedo ora il calcio.”
— 2025年6月、同じ会見で
64「サッカーは、こういう時のため、こういう夜のためにするものだ。こんな時に胸がうずかないなら、スパイクを脱いでやめるべきだ」
“Si gioca a calcio per questi momenti, per notti simili. Se non hai il formicolio in queste circostanze, devi smettere e appendere gli scarpini al chiodo.”
— 2026年3月、ボスニア戦の前日に
65「つらい。それでも選手たちを誇りに思う。あれほどの愛情を注いだ彼らが、こんな打撃を受けるいわれはなかった。私個人としては謝る、やり遂げられなかったのだから」
“Fa male” … “ma sono orgoglioso dei miei ragazzi, non si meritavano una batosta così per l’amore che ci hanno messo.” … “Personalmente chiedo scusa perché non ce l’ho fatta”
— 2026年3月31日、ボスニア戦のPK負けの直後に
66「今日、誰かに何かで刺されても、血は出ない。何も出ない。つらい」
“Se uno oggi mi buca con qualcosa non esce sangue, non esce niente. Fa male.”
— 2026年3月31日、同じ試合の後のテレビの取材で
67「心に痛みを抱えて。掲げた目標を達成できなかったので、代表監督としての私の務めは終わったと考える。代表を率いられたのは名誉だった」
“Con il dolore nel cuore, non avendo raggiunto l’obiettivo che ci eravamo prefissati, ritengo conclusa la mia esperienza sulla panchina della Nazionale” … “È stato un onore poter guidare la Nazionale”
— 2026年4月3日、退任の声明で(イタリアサッカー連盟公式サイト)
ラツィオの監督としての名言
代表を去った2か月あまり後、ガットゥーゾはまた、うまくいっていないクラブの監督を引き受けました。首位争いをしている今も、代表の傷は消えないと話し、もう監督を続けたくなかった時期があったことも打ち明けています。
68「私の経歴が物語っている。混乱があって、うまくいっていない所でこそ、私は落ち着く」
“La mia storia dice questo: dove c’è casino e non si attraversano buoni momenti io sono a mio agio.”
— 2026年7月、ラツィオの監督の就任会見で
69「傷は永遠に残る。失望はそれほど大きかった。絶対にあきらめない心も気持ちも変わらない。毒と怒りはさらに増えた」
“La ferita rimarrà per sempre perché la delusione è stata enorme” … “la mentalità e la voglia di non mollare mai non è cambiata. Ho ancora più veleno e rabbia”
— 2026年7月、同じ会見で代表について
70「何年か前、私はもう監督を続けたくなかった。ある種の態度が我慢ならなかった。そこから歩みを重ね、取り組んだ。今は、2つか3つのことは議論なしでやってもらい、残りは私のほうが彼らの話を聞く」
“Io un po’ di anni fa non volevo più allenare perché mi davano fastidio determinati atteggiamenti, ho fatto un percorso e ci ho lavorato. Oggi su due tre cose non si discute e si fanno, il resto sono io che ascolto loro.”
— 2026年10月18日、ユヴェントスに3-0で勝った後に
71「消えることのない傷だ。消えるのは、私が棺に入れられて、いなくなる時だ。とてつもない失望だった。私は信じていた」
“È una ferita che non andrà mai via, andrà via quando mi metteranno nella bara e non ci sarò più. È stata una delusione pazzesca. Ci credevo”
— 2026年10月18日、代表について聞かれて
72「選手の時はとても運が良く、値しないトロフィーまで勝ち取った。監督としては、まいたものすべてに対して、収穫は少ない。苦しみ、それでも進み、あきらめない」
“Da giocatore ho avuto tanta fortuna, ho vinto anche trofei che non meritavo, da allenatore per tutto quello che ho seminato ho raccolto meno. Si soffre e si va avanti, non si molla”
— 2026年10月18日、同じ取材で
73「サッカーの良いところは、ばかなことや間違いをしても、普通の暮らしなら償わなければいけないのに、この世界では3日か7日ごとにやり直す機会があることだ。大事なのは良くなること、冷静でいること、落ち込まない力を持つことだ」
“La cosa bella nel calcio è che quando commetti una sciocchezza o un errore, nella vita normale la devi pagare mentre nel nostro mondo ogni tre o sette giorni hai la possibilità di riscattarti. L’importante è migliorarsi, essere lucidi e avere la forza di non deprimersi.”
— 2026年10月、カリアリ戦の前日の会見で
名言サイトで見かける言葉
日本の名言サイトで見かける言葉には、ボールを奪うことへの誇りや父の思い出のほか、『キャプテン翼』やワールドカップ優勝を語ったものがあります。
74「俺が相手から10回ボールを奪うことは、1ゴール決めるのと同じか、それ以上の価値がある。ガットゥーゾにはガットゥーゾの仕事があるんだ」
75「俺にはサッカーの才能はない。あるのは努力の才能だけさ」
76「GKやっているヤツは若林、それ以外はみんな翼ファン。当時イタリア中がそうだったが、俺だけは違っていたぜ。俺のお気に入りはひとりの勇敢なディフェンダー石崎だ」
77「サッカーをやりたいという気持ちを俺に植え付けたのは、父親だった。トレーニングから帰ってきた親父の鞄に顔を突っ込んで、その匂いを嗅いだことかな。今でも思い出すだけで鼻がツンとくるよ」
78「子供のころ、一番好きなアニメだった。ひとつのプレーが長くて、丸一日かかることもあったけど、あれが好きで。最後は代表チームとして外国チームとも戦うだろ。すごく影響を受けた」
79「いろいろなことが頭をよぎるよ。1982年大会、僕は父親に肩車されて、優勝したイタリアチームを見ていたんだ。こんな素晴らしいことはないよ」
80「フランスは五ツ星ホテルだ。僕たちは一ツ星ホテルかもしれない。だけど、僕たちは海を持っている。自分たちだけの海を」
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