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ボビー・ジョーンズの名言40選!球聖のゴルフと人生の言葉を英語の原文付きで解説

ボビー・ジョーンズの名言40選!球聖のゴルフと人生の言葉を英語の原文付きで解説

アメリカのゴルファー、ボビー・ジョーンズの名言です。誰も見ていない罰打を申告してほめられ、「銀行強盗をしなかった人をほめるようなもの」と返した場面から、病気の中で語った人生の言葉まで。ボビー・ジョーンズの名言は、今うまくいかない人の背中を押してくれます。

2026.11.08 | ゴルフ

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公式ライター
Activel編集部

ボビー・ジョーンズは、1930年に当時のゴルフの4大大会をすべて制し、28歳で引退したアメリカのゴルファーです。かんしゃく持ちだった少年は、誰も見ていない場面で自分に罰打を科す人になりました。ボビー・ジョーンズの名言には、負けて学んだ話も、病気の中で語った人生の言葉もあります。

ボビー・ジョーンズのプロフィール

ボビー・ジョーンズは、1902年にアメリカのアトランタで生まれたゴルファーです。日本では球聖ボビー・ジョーンズの名でも知られます。競技はアマチュアのまま続け、弁護士を仕事にしていました。引退の後は、マスターズを生んだオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブを創設しました。

基本プロフィール

メジャーの13勝には、今の4大メジャーに入らない全米アマと全英アマの勝利も入っています。

項目 内容
名前 ロバート・タイア・ジョーンズ・ジュニア
生年月日 1902年3月17日
亡くなった日 1971年12月18日(69歳)
出身 アメリカ・ジョージア州アトランタ
メジャー13勝 全米アマ5・全米オープン4・全英オープン3・全英アマ1
大きな記録 1930年の年間グランドスラム
仕事 弁護士
学歴 ジョージア工科大学・ハーバード大学・エモリー大学の法科大学院
創設 オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ、マスターズ

生い立ち・幼少期

ボビー・ジョーンズは体の弱い子どもでした。百日咳やはしかにかかったため、両親は新鮮な空気を求めて、アトランタのイーストレイクにあるゴルフ場の近くへ移ります。ゴルフはクラブのプロ、スチュアート・メイドンのスイングをまねて覚えました。

14歳の1916年には全米アマに初めて出場し、3回戦まで進みます。ただ、気性は激しく、クラブを投げることもありました。記者のグラントランド・ライスは、「天使の顔に、オオカミの気性」と評しました。

全米アマ初出場から28歳の引退、その後の歩み

10代で注目されながら、大きな大会にはなかなか勝てませんでした。1921年の全英オープンでは、セントアンドリュースの第3ラウンドの途中でボールを拾い上げてしまいます。大きな大会に勝てなかったこの頃を、友人の記者O・B・キーラーはのちに「七年の不遇」と呼びました。

1923年の全米オープンで初めてメジャーに勝つと、そこから8シーズンで13勝を重ねました。1925年の全米オープンでは、誰も見ていない場面で自分のボールが動いたと申告し、その後のプレーオフに1打差で敗れています。

1930年は、全英アマ、全英オープン、全米オープン、全米アマの順に勝ち、9月27日に年間グランドスラムを達成しました。この4つは、マスターズがまだ無い時代の4大大会です。その年の11月、28歳で競技からの引退を発表しました。

その後はゴルフの教則映画に出演しながら弁護士の仕事に戻り、クリフォード・ロバーツとオーガスタ・ナショナルを創設します。第二次世界大戦では陸軍の情報将校として中佐まで務めました。1948年、子どもの頃にゴルフを覚えたイーストレイクで最後のラウンドを終えると、その後は脊髄の難病である脊髄空洞症で、車いすの生活になりました。1958年にセントアンドリュースの名誉市民に選ばれ、1971年に亡くなりました。

座右の銘

座右の銘として本人が挙げた言葉は見つかりませんでした。一番近いのは、遺族の財団が本人のよく言っていた言葉として伝える「人生もゴルフと同じで、ボールは見つけた場所から打つのだ」です。

ボビー・ジョーンズの名言40選

ボビー・ジョーンズの歩みと、各時期に語った主な名言の年表

ボビー・ジョーンズの名言には、憧れの選手の前で大失敗した話から、スコアをごまかさない話、最悪と言ったコースに惚れ込む話、車いすの生活で語った人生の言葉まであります。ジョーンズは、ゴルフの名言を残した人の中でも、自分で書いた本や記事の文が多く残っている人です。

名言のすぐ下に英語の原文があり、日本語はActivel編集部の訳です。

かんしゃく持ちの少年と、勝てなかった頃の名言

クラブを投げていた少年が、負けながら変わっていく頃の言葉です。憧れの選手の前での大失敗も、自分で笑い話にして書き残しました。

01「野球のほうが、ずっと好きだった」

“I liked baseball much better.”

— 自伝『ダウン・ザ・フェアウェイ』(1927年)で、少年時代を振り返って

02「彼はほとんど話さなかったし、話したことも一言も分からなかった」

“He said very little and I couldn’t understand a single word of what he said.”

— 同じ自伝で、スコットランド出身の師スチュアート・メイドンについて

03「ゴルフをやめるその日まで、クラブを手にしたままでは耐えられない感情に、私は何度も出会った」

“To the finish of my golfing days, I encountered golfing emotions which could not be endured with the club still in my hands.”

— 本人が書いた文。少年時代の短気の話として遺族の公式サイトに載る

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発言時期: 書いた年は確かめられません

発言状況: 競技を始めてから8年ほどの間、ジョーンズはよくかんしゃくを起こし、コースでクラブを投げていました。本人はこの文で「ゴルフをやめるその日まで」と書き、後年まで感情との戦いが続いたことを認めています。

04「そこで私は聞いた。『バードンさん、今までにあれよりひどいショットを見たことがありますか』。彼は『ない』と答えた。それで話は終わったようだった」

“So I said: ‘Mr. Vardon, did you ever see a worse shot than that?’ He said: ‘No.’ That appeared to close the incident.”

— 自伝『ダウン・ザ・フェアウェイ』で、1920年の全米オープンを振り返って

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発言時期: 1920年の出来事を、1927年の自伝に書いた文です

発言状況: 18歳のジョーンズは、憧れの名手ハリー・バードンと同じ組で回りました。いいところを見せようと難しい寄せを選び、ボールの頭を打ってグリーンの向こうのバンカーへ入れました。自伝には「今でも、あのショットを思い出すと耳が熱くなる」とあります。恥ずかしさをごまかそうとバードンに聞くと、返ってきたのは「ない」の一言でした。

05「見た目のぱっとしないコースに、第3ラウンドの前半で46も打たされた時は、さすがに少し考え始めた。そして10番と11番で続けて6を打った後、ついにボールを拾い上げるという恥ずべきことをしてしまった」

“Yet I did begin to think a little when a course so unprepossessing forced me to take 46 to the turn in the third round of the tournament, and finally goaded me into the disgraceful act of picking up my ball after taking a pair of sixes at the 10th and 11th holes.”

— 1927年の寄稿で、1921年の全英オープンを振り返って

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発言時期: 1921年の出来事を、1927年に英国の雑誌への寄稿で書いた文です

発言状況: 19歳で初めて出た全英オープンの第3ラウンドで、ジョーンズはボールを拾い上げました。6年後に自分で「恥ずべきこと」と書き、同じ1927年には、ボールを拾い上げたセントアンドリュースで全英オープンを制しています。

出典: The Open 公式サイト(1927年の特集)

06「セントアンドリュースは、今までに見た中で最悪のコースの一つだと思っていた。その難しさにさえ、敬意を払っていなかったと思う」

“I considered St Andrews among the very worst courses I had ever seen, and I am afraid I was even disrespectful of its difficulty.”

— 1927年の寄稿で、初めて訪れた1921年を振り返って

07「勝った試合から学んだことは、一つもない」

“I never learned anything from a match I won.”

— 自伝『ダウン・ザ・フェアウェイ』(1927年)で

08「チャンピオンらしい終わり方ではなかった。臆病な犬のような終わり方だった」

“I didn’t finish like a champion… I finished like a yellow dog.”

— 1923年の全米オープン最終日、最後の3ホールで崩れてリードを失った後に

09「このようなクラブに名誉を与えられる人などいません。名誉は、このクラブの一員であることにあるのです。どの選手権に勝つよりも、このクラブの会員であることを誇りに思います」

“No man can honor a club like this. The honor lies in belonging to it. I am prouder of being a member of this club than I could be of winning all the championships there are.”

— 1923年、全米オープン初優勝を祝う地元クラブの祝賀会で

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発言時期: 1923年、全米オープン初優勝の後

発言状況: 21歳でメジャー初優勝を果たしたジョーンズを、地元のアトランタ・アスレチック・クラブがイーストレイクの祝賀会で迎え、銀の食器を贈りました。「クラブに名誉をもたらした」とたたえるあいさつを受けて、「皆さんは一つだけ間違っています」と切り出し、続けた言葉です。

10「ほかにどうやって、ハーバードの赤い『H』の文字をもらえというのですか」

“How else am I going to get a crimson ‘H’ letter?”

— 全米オープン王者になった後も、ハーバードのゴルフ部でマネージャー補佐を務めていた時に

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発言時期: 1923年の全米オープンに勝った後

発言状況: 赤い「H」は、ハーバードの部の一員の印です。王者になってもジョーンズは、マネージャー補佐を喜んで務めました。エール大学との対抗戦で任された仕事は、祝いのウイスキーを無事に運ぶことでした。その日は寒く、マネージャーと二人で一滴残らず飲んでしまった、とハーバードの部員が語っています。

試合の重圧と、自分との戦いの名言

17歳の全米アマでは、1つの大会で約8キロやせました。そんなジョーンズが、相手は目の前の選手ではなく、パーと自分自身だと気づいていく言葉です。

11「ゴルフには2種類ある。ゴルフと、トーナメントのゴルフだ。そしてこの2つは、内側がまるで違う」

“There are two kinds of golf … There is golf—and there is tournament golf. And they are not at all alike, inside.”

— 1926年の全米オープンの後、友人の記者O・B・キーラーの取材で

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発言時期: 1926年、全米オープンに勝った後

発言状況: キーラーに、試合で神経がどれほど疲れるかを聞かれて答えた言葉です。本人が話していたのは、技術より心の中の違いでした。後に引用される時には、最後の「内側が(inside)」が抜け落ちることがあります。続けて「私はこれを経験から知った。その多くは苦い経験だ」と話しています。

12「ストロークプレーの相手は、オールドマン・パー(パーじいさん)だ。彼は1パットでは決して上がらないし、3パットも決してしない」

“In medal play you are up against old man par, who never gets down in the one putt and never takes three.”

— 同じ1926年の取材で。パーを1人の老人にたとえて

13「2週間、毎日36ホールを回っても、体重は変わらない。選手権になると、火がもっと熱くなるらしい」

“I can play 36 holes of golf every day for two weeks and weigh the same at the end. In a championship the fire seems to be hotter.”

— 1919年の全米アマの話として、孫のボブ・ジョーンズ4世が伝える本人の文

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発言時期: 1919年、オークモントの全米アマの頃の話

発言状況: この文のすぐ前には、「オークモントの選手権で18ポンド(約8キロ)やせた。体の疲れのせいではない」と書かれています。17歳で決勝まで勝ち進んだ大会です。

14「ゴルファーはすぐに思い知らされる。一番身近で、たぶん一番手ごわい相手は、自分自身だと」

“The golfer very soon is made to realize that his most immediate, and perhaps his most potent, adversary is himself.”

— 著書『ゴルフ・イズ・マイ・ゲーム』(1960年)で

罰打の逸話と、マナーの名言

ボビー・ジョーンズの逸話に、1925年の全米オープンの罰打があります。ほめられて返した一言には、ゴルフのルールとマナーについての考えがよく出ています。

15「それは、銀行強盗をしなかった人をほめるようなものです」

“You might as well praise a man for not robbing a bank.”

— 1925年の全米オープンで、自分に罰打を科したことをほめられて

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発言時期: 1925年、全米オープンの後

発言状況: 第1ラウンドの11番で、構えた時にボールが動きました。見ていたのは本人だけで、周りが判断できない中、ジョーンズは自分に1打の罰を科します。この大会はマクファーレンと同じスコアで並び、36ホールのプレーオフに1打差で敗れました。

出典: エモリー大学 ボビー・ジョーンズ奨学金のページ

16「翌朝の10時に始めましょう。アルはミサに行きたいでしょうから」

“Let’s start in the morning at ten. Al will want to go to mass.”

— 1929年の全米オープン、プレーオフの開始時刻を決める時に

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発言時期: 1929年、全米オープンのプレーオフの前日

発言状況: 翌日は日曜日でした。協会の副会長が、開始は午前9時と午後1時だと伝えると、ジョーンズは相手のアル・エスピノサのために1時間遅らせるよう頼みます。こうして10時と午後2時になったプレーオフを、ジョーンズは36ホールで23打差をつけて制しました。

17「いつも勝つためにプレーしなさい。……あなたの最善を超えた時にだけ勝てるのだと相手に教えるのは、相手への礼儀です」

“Always play to win. . . . You owe it to your opponent to let him know that he only wins when he overcomes the best you can do.”

— 遺族の公式サイトに載る言葉

18「ゴルフでは、エチケットと礼儀のならわしは、プレーを定めたルールと同じくらい大切です」

“In golf, customs of etiquette and decorum are just as important as rules governing play.”

— 1967年、マスターズの観客に向けて書いた文章で

19「ゴルフでは、そしてたぶん人生でも、ルールを守るだけでは足りない。エチケットを守らなければ、何の値打ちもない」

“In golf and maybe in life too it is not enough to play by the rules, if you don’t play by the etiquette it’s not worth a damn.”

— ジャーナリストのアリステア・クックが、本人の文として伝えた言葉

セントアンドリュースへの名言

スコットランドのセントアンドリュースは、全英オープンの舞台の一つです。ジョーンズが最悪のコースだと思い、途中でボールを拾ったこの町は、1958年、ベンジャミン・フランクリン以来のアメリカ人の名誉市民として本人を迎えました。

20「セントアンドリュースには、いつも道がある。いつも見えている道とは限らないが、それを探すことで、並のコースを100回回るより多くのことを学べる」

“There is always a way at St Andrews. Although it is not always the obvious way, and in trying to find it there is more to be learned than in playing a hundred ordinary courses.”

— 1927年、英国の雑誌への寄稿で

21「2ラウンドもしないうちに好きになった。今も大好きだ。今までにプレーした中で最高のコースだ」

“Before I had played two rounds I loved it, and I love it now… it is the finest course I have ever played.”

— 好きになろうと決めて、二度目に訪れた時を振り返って

22「人生からセントアンドリュースでの経験以外のすべてを取り去っても、私の人生は十分に豊かだろう」

“I could take out of my life everything except my experiences at St Andrews, and I’d still have a rich full life.”

— 1958年、セントアンドリュースの名誉市民の式で

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発言時期: 1958年

発言状況: すでに病気が進んでいたジョーンズは、町のヤンガー・ホールを埋めた人々の前で、メモを見ずに話したと遺族は伝えます。退場の時には、「また戻ってきてくれないか」という歌詞のスコットランドの古い歌を、会場の全員が歌いました。

出典: エモリー大学 ボビー・ジョーンズ奨学金のページ

引退と家族の名言

グランドスラムを達成した年に、ジョーンズは競技をやめました。なぜアマチュアだったのか、何を一番に置いていたのかを語った言葉です。

23「私がアマチュアとしてプレーしてきたのは、正直なプロを恥ずべきものと考えたからではない。人生にほかの望みがあったからだ」

“I have chosen to play as an amateur, not because I have regarded an honest professionalism as discredible but simply because I have had other ambitions in life.”

— 1930年11月、引退を伝えた声明で

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発言時期: 1930年11月

発言状況: 全米ゴルフ協会の副会長が本人に代わって発表した、長い声明の一部です。ジョーンズはワーナーの教則映画に出ることを決め、それがアマチュアの決まりに触れると自分で判断して、競技をやめると書きました。

24「妻と子どもが一番、次に仕事、最後にゴルフ。ゴルフだけの人生だったことは一度もない」

“My wife and my children came first; then my profession; finally, and never in a life by itself, came golf.”

— 後年、自分の優先順位を振り返って(遺族の公式サイト)

オーガスタとマスターズの名言

ボビー・ジョーンズとマスターズの関係は、土地との出会いから始まります。本人は初め、大会の名前に「おこがましい」と反対していました。1934年の第1回は「オーガスタ・ナショナル招待」の名で開かれ、1939年に今のマスターズになっています。

25「この土地は、誰かがゴルフコースを造りに来るのを、何年もここで待っていたように思えた」

“It seemed that this land had been lying here for years just waiting for someone to lay a golf course upon it.”

— 著書『ゴルフ・イズ・マイ・ゲーム』(1960年)で、初めて土地を見た時を振り返って

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発言時期: 1960年の著書に書いた文です

発言状況: ジョーンズが古い種苗園だった土地を訪ね、モクレンの並木の道を抜け、屋敷の裏の芝のテラスから土地を見下ろした時の話です。「その体験は忘れられないものだった」と書いたすぐ後に、この文が続きます。

出典: マスターズの公式メディアガイド 2019年(PDF)

26「ジャックはまったく別のゲームをしている。私の知らないゲームだ」

“Jack is playing an entirely different game – a game with which I’m not familiar.”

— 1965年のマスターズで、ジャック・ニクラスの優勝について

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発言時期: 1965年

発言状況: ニクラスは大会記録の271で回り、9打差をつけて優勝しました。第3ラウンドには、当時の大会記録に並ぶ64を出しています。

病気の中で語った、人生の名言

40代半ばで脊髄の難病である脊髄空洞症が分かり、ジョーンズはやがてクラブを握れなくなりました。病気について聞かれた時の答えをはじめ、ボビー・ジョーンズが人生を語った名言です。どの言葉にも、変えられないものを受け入れ、それでも最善を尽くすという考えが通っています。

27「ゴルフでも人生でも、大事なのは、変えられないことを受け入れること。そして見通しが暗くても明るくても、よく考えた自分なりの最善を、決然と尽くし続けることだと思う」

“The main idea in golf, as in life, I suppose, is to learn to accept what cannot be altered, and to keep on doing one’s own reasoned and resolute best whether the prospect be bleak or rosy.”

— 著書『ゴルフ・イズ・マイ・ゲーム』(1960年)で

28「ゴルフは、人生というゲームに一番近いゲームだ。いいショットが不運を呼ぶこともあれば、悪いショットが幸運を呼ぶこともある。それでも、ボールはあるがままに打つしかない」

“Golf is the closest game to the game we call life. You get bad breaks from good shots; you get good breaks from bad shots – but you have to play the ball as it lies.”

— 脊髄空洞症について聞かれて(遺族の公式サイト)

29「私には心臓と肺と、脳と呼ばれるものがある。あるがままに打つまでだ」

“I have my heart, my lungs, and my so-called brain. We play it as it lies.”

— 病気について、英国のゴルフ記者パット・ウォード=トーマスに

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発言時期: 年は確かめられません

発言状況: ジョーンズは自分の病気を人前で話さず、親しい友人にもめったに語りませんでした。この言葉は、その数少ない言葉の一つとして南部ゴルフ協会の100年史に載っています。エモリー大学は、アリステア・クックの回想として、別の場面の「その話はやめよう。ボールは、あるがままに打つんだよ」という言葉を伝えています。

出典: 南部ゴルフ協会 100年史(PDF)

30「人生もゴルフと同じで、ボールは見つけた場所から打つのだ」

“In life, as in golf, you play the ball where you find it.”

— 遺族の財団が、よく言っていた言葉として伝える

31「友は人にとって何にも代えがたい宝だ。友情に恵まれた人生は、それだけで満ち足りている」

“Friends are a man’s priceless treasures, and a life rich in friendship is full indeed.”

— 遺族の公式サイトに載る言葉

32「これで、全部なのかい」

“Is this all there is to it?”

— 最期の日に妻へ。ジャーナリストのアリステア・クックが伝えた言葉

スイングとパットの格言、ユーモアの名言

次のラウンドで思い出したい短い格言と、思わず笑ってしまう一言です。ボビー・ジョーンズの格言は、最後の1つを除いて、遺族の公式サイトの名言のページに載っている言葉です。

33「どんなに短いパットも、軽く見てはいけない」

“No putt is too small to be despised.”

34「考えることが少ない時ほど、いいスイングができる」

“You swing your best when you have the fewest things to think about.”

35「ゴルフは1打ずつプレーするものだ、と言っても新しくも珍しくもない。だが私がそれを分かるまでには、何年もかかった」

“It is nothing new or original to say that golf is played one stroke at a time. But it took me many years to realize it.”

36「バンカーの中では、欲張りすぎはよくない」

“Too much ambition is a bad thing to have in a bunker.”

37「私の一番いいスコアは、いつもラウンドの途中で波に乗った時に出た。正気に戻る前にクラブハウスまで帰れるくらい、後半に」

“My best scores have always been when I had run into a streak in the midst of a round – late enough to permit me to get back to the clubhouse before I entirely regained consciousness.”

38「日陰でプレーしなくていいのは、ありがたいね」

“It’s a good thing we don’t have to play in the shade.”

— 試合の日の気温は日陰で華氏105度(約40度)になるという予報を聞いて

39「ゴルフコースでは、人は運命に追い回される犠牲者にも、恐ろしい悲劇に打ちのめされる人にも、信じられないメロドラマの主人公にも、腹を抱えて笑う喜劇の道化にもなる。ほんの数時間のうちに、死体を埋めることも、もつれた人格を直すこともなしに」

“On the golf course, a man may be a dogged victim of inexorable fate, be struck down by an appalling stroke of tragedy, become the hero of an unbelievable melodrama, or the clown in a side-splitting comedy – any of these within a few hours, and all without having to bury a corpse or repair a tangled personality.”

— 遺族の公式サイトが「おそらく一番有名な言葉」として載せる

40「ゴルフクラブをゆっくり振りすぎた人など、一人もいない」

“Nobody ever swung a golf club too slowly.”

— 1927年から1935年の新聞連載をまとめた本『ボビー・ジョーンズ・オン・ゴルフ』で

日本で広まり、英語の原文が見つからない言葉

次の言葉は、日本でボビー・ジョーンズの言葉として広まっていますが、英語の原文は本人の著書にも遺族の公式サイトにも見つかりませんでした。本人の言葉とは言い切れません。

  • 人生での価値はどれほどの財産を得たかではない。何人のゴルフ仲間を得たかである
  • 人生の長い目でみれば「運」というものは誰にでも平等公平なものだ
  • 卑しきシングルより、正直なるダッファー(下手なゴルファー)たれ
  • ゴルフは左手のゲームである
  • いつか幸運が訪れることを期待して、努力を続け、ボールを打ち続けなさい
  • 最後のパットまでベストを尽くすことができない人を、私はゴルファーとは認めない

財産とゴルフ仲間の言葉に一番近い本人の言葉は、「友は人にとって何にも代えがたい宝だ」です。

「カップの入り口は正面、後方、左右と4つある」は、本人の言葉ではなく、師のスチュアート・メイドンの言葉です。ジョーンズは自伝のパッティングの話の中で、師が言ったこととして書いています。「ゴルフは人との闘いではなく、自分とコースとの闘い」は、ゴルフのコラムの解説文で、本人の言葉ではありません。本人の文で近いのは、オールドマン・パーの話です。

よくある質問(Q&A)

Q1. ボビー・ジョーンズとは、どんな人?

ボビー・ジョーンズとは、1930年に当時の4大大会をすべて制し、28歳で引退したアメリカのゴルファーです。競技はアマチュアのまま続け、弁護士を仕事にしていました。

引退の後はオーガスタ・ナショナルとマスターズを生みました。バスケットボールのNBAにも同じ名前の選手がいますが、別の人です。

Q2. 「球聖」という呼び名はどこから来たの?

球聖ボビー・ジョーンズは、日本の出版社が著書の紹介で使う呼び名で、映画の邦題も『ボビー・ジョーンズ 球聖とよばれた男』です。

いつ、誰から始まったのかは確かめられず、英語に同じ呼び方も見当たりません。

Q3. 「人生のライ」「あるがままに打つ」は本人の言葉?

「あるがままに打つ」は、本人の言葉として確かめられます。「これが、いま私が置かれている人生のライなのだ」という日本語の言い方は、元の英語が見つかりませんでした。

「ライ」は、ボールが置かれた状態のことです。本人の言葉は、遺族の公式サイトに「ボールはあるがままに打つしかない」、南部ゴルフ協会の100年史に「あるがままに打つまでだ」の形で残っています。

エモリー大学のページにも、アリステア・クックの回想として似た言葉があります。

Q4. 「耳と耳の間の5インチのコース」は本人の言葉?

本人の言葉として広まっていますが、本人の言葉とは確かめられません。元の本や場面が分からないからです。

言い方も「5インチ」「5インチ半」と分かれています。遺族の公式サイトの名言のページにも載っていません。アーノルド・パーマーの言葉として「6インチ」の形も出回っています。

Q5. ボビー・ジョーンズとマスターズの関係は?

ボビー・ジョーンズは、マスターズの開催地オーガスタ・ナショナルをクリフォード・ロバーツと共に創設した人です。コースも、設計家のアリスター・マッケンジーと一緒に作りました。

第1回は1934年で、本人も出場して13位でした。優勝者はホートン・スミスです。「マスターズ」の名はロバーツの提案でしたが、本人が反対したので、大会の名前が変わったのは1939年でした。

Q6. ボビー・ジョーンズの言葉を読める本は?

日本語なら、自伝の『ダウン・ザ・フェアウェイ』と『ボビー・ジョーンズ ゴルフのすべて』があります。どちらもゴルフダイジェスト社の本です。

ちくま文庫の『ボビー・ジョーンズ ゴルフの神髄』は、版元で品切れになっています。人物そのものを知りたい時は、2004年の映画『ボビー・ジョーンズ 球聖とよばれた男』もあります。

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