青木真也の名言50選!『空気を読んではいけない』の語録と試合後の言葉
総合格闘家・青木真也の名言は「友達はいらない」だけではありません。2008年の「100回やったら、99回俺が負ける」、2022年の「もう嫌われるのも疲れた」、2026年の朝倉未来戦の後の「完敗」まで、青木真也の本・note・Xの名言を場面からたどります。
Writer
公式ライター Activel編集部
「幸せな人生を生きるために友達はいらない」。総合格闘家の青木真也の名言には、周りに合わせない強い言葉が並びます。ただ、青木真也の名言を時期を追って読むと、試合が怖いと打ち明け、負けて泣き、2026年の朝倉未来戦の後には「完敗」と言い切った人の姿が見えてきます。
青木真也のプロフィール
青木真也は、静岡県出身の総合格闘家です。柔道から総合格闘技に移り、得意の寝技で、国内の団体の修斗と DREAM、シンガポールの団体 ONE の王者になりました。43歳になった2026年には、国内の大会 RIZIN で、YouTube でも知られる格闘家の朝倉未来と戦っています。プロレスのリングにも上がり、本や note で自分の考えを書き続けてきた人です。
基本プロフィール
修斗・DREAM・ONE の3つの団体で王者になった青木真也の、生年月日や入場曲は次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1983年5月9日 |
| 出身地 | 静岡県 |
| 身長 | 180cm |
| 出身大学 | 早稲田大学 |
| 獲得した王座 | 修斗世界ミドル級・DREAM ライト級・ONE ライト級 |
| 入場曲 | ウルフルズ『バカサバイバー』 |
入場曲の『バカサバイバー』は、青木真也の呼び名にもなりました。ところが本人は ABEMA TIMES に寄せた文章の中で、この曲に「これといった想いはありません」「『テンポがいい』の理由だけで選んでいます」と明かしています。それでも変えないのは、「選手の価値は歴史です」と考えているからです。
柔道と修斗から朝倉未来戦までの歩み
中学の柔道部で補欠だった青木真也は、警察官を2か月で辞めて格闘技を選び、40代まで戦い続けました。
- 小学校3年生: 柔道を始める(中学の柔道部では補欠だったと本人が語る)
- 2003年: 早稲田大学在学中に総合格闘技に移り、プロデビュー
- 2006年2月17日: 菊地昭に勝ち、修斗世界ミドル級王者に
- 2006年: 大学を出て静岡県警に就職するが、2か月で退職
- 2008年: DREAM の旗揚げ大会で JZ・カルバンと戦い、無効試合(ノーコンテスト)に。4月29日に再戦
- 2009年10月6日: ヨアキム・ハンセンに勝ち、DREAM ライト級王者に
- 2009年12月31日: 廣田瑞人の腕を折って勝ち、中指を立てる
- 2012年: シンガポールの格闘技団体 ONE に出場を始める
- 2013年4月: ONE ライト級世界王者に(通算1,316日間)
- 2014年: プロレスラーとしてデビュー
- 2015年12月29日: RIZIN の旗揚げ大会で桜庭和志に勝つ
- 2019年3月31日: 両国国技館で ONE の王座を取り戻す(5月に陥落)
- 2022年3月26日: 秋山成勲に2ラウンド TKO(レフェリーが試合を止める負け)で負ける
- 2022年11月19日: シンガポールでザイード・イザガクマエフに1ラウンド TKO で負ける
- 2025年3月23日: ONE でエドゥアルド・フォラヤンに1ラウンド一本勝ち
- 2025年11月16日: ONE で手塚裕之に2ラウンドで負ける
- 2026年9月10日: 大会「超RIZIN.5」で朝倉未来に1ラウンド TKO で負ける
- 2026年10月18日: プロレス団体 DDT への入団が発表される(11月3日付)
座右の銘
座右の銘として本人が挙げた言葉は見当たりませんが、近いのは、朝倉未来戦の2日前の note の題にも掲げた「得意淡然 失意泰然」です。うまくいった時ほど淡々と、落ち込んだ時ほど落ち着いているという意味の言葉です。2022年の対談では、「僕は大事にしている言葉があって『運がいい』と言うようにしています。『努力すれば叶う』とは、絶対口にしてはいけない。」とも話しました。
青木真也の名言50選
青木真也の名言・語録は、強い言葉と本音が隣り合っています。2016年9月の本に「友達はいらない」と書いた人が、2か月後の note には「オレの為に泣いてくれる人がいる事が嬉しかった。」と書きました。
「100回やったら、99回俺が負ける」など桜庭和志戦までの名言
世界王者になった後の2008年にも、青木真也は試合前に「100回やったら、99回俺が負ける」と話しました。後に本人が note で「青木真也名言」と題して振り返った言葉です。2009年に相手の腕を折って勝った翌日には「申し訳ない」と話し、10年近くたつと「実によかった」と語ります。2015年に桜庭和志を破った後のマイク(リングの上での挨拶)では、泣きながら「引退しないでください」と呼びかけました。
01「PRIDEも修斗も総合格闘技最高です」
— 2006年12月31日、「PRIDE男祭り2006」でヨアキム・ハンセンに勝った後に
02「100回やったら、99回俺が負ける、だけどもしかしたら1回勝つかもしれない。その1回を最初に持ってくる」
— 2008年、DREAM の旗揚げ大会の JZ・カルバン戦を前にしたコメント
03「だけど真面目な話をすると、あの時のカルバンとの再戦は、負けに行ったんですよ。」
— 2018年の本人の noteで、2008年4月29日の再戦を振り返って
04「今回の試合がいままで一番怖かったです。相手の廣田(瑞人)選手がどうのじゃなくて、試合すること自体が怖かった。」
— 2010年1月1日、大晦日の廣田瑞人戦の翌日のインタビューで
05「楽になんねぇもん、負けたって。かといって、勝ったって楽になんねぇし。だからもう、とにかくやり切りたいんすよね。」
— 2010年7月、DREAM の大会で川尻達也と戦う前のインタビューで
06「桜庭さん、本当にありがとうございました。まだ僕、桜庭さんの代わりになれないです。だからまだ桜庭さんの試合が見たいので、引退しないでください。」
— 2015年12月29日、RIZIN の旗揚げ大会で桜庭和志に勝った後のマイクで
07「やる、やめるを人の声で決断してほしくないなと思って。自分で決めて欲しいなって。」
— 同じ日の試合後のインタビューで、桜庭和志の引退について
『空気を読んではいけない』など本の名言
青木真也の本で強い言葉が並ぶのは、2016年の『空気を読んではいけない』です。友達はいらない、人と食事に行かないと見出しで言い切っています。ただ、飲み会を断る理由を聞かれると、「子どもに食わせたい」という話をします。2019年の『ストロング本能』に続く2020年の『距離思考』には、「僕は試合が怖い。」という一文もあります。
08「幸せな人生を生きるために友達はいらない」
— 2016年の本『空気を読んではいけない』第1章の見出し
09「凡人は群れてはいけない」
— 同じ本の第1章の見出し
10「凡人が空気を読んでしまったら、本当に『空気』になってしまう」
— 2016年10月のインタビューで紹介された、同じ本の言葉
11「自分の考え方が汚されるから、人と食事に行かない」
— 同じ本の第1章の見出し
12「『負けろ』『死ね』という言葉を自分のエネルギーに変える」
— 同じ本の第3章の見出し
13「夢を軽々しく口にするのは詐欺と同じである」
— 同じ本の第5章の見出し
14「僕がやりたいのは、『こいつ負けて人生潰れねえかな』と思われている中で、勝つことです。」
— 2017年の本『人間白帯』のイケダハヤトとの対談で、後楽園ホールのような場所は「温かいからつまらない」と話した続きで
15「職業『自分』みたいなことですよね。職業『自分』は自由ですし、何してもいいですし。」
— 同じ本の、はあちゅうとの対談で、警察官を2か月で辞めた話の後に(幻冬舎plus の抜粋)
16「余計なことを言ってくるやつは『うるせぇバカ』でいい」
— 2019年の本『ストロング本能』の言葉(出版社の紹介文より)
17「不安に強い人は『世界は不平等』と観念している」
— 同じ本の言葉(出版社の紹介文より)
18「失うものを持たない者こそ最強である」
— 2020年の本『距離思考』第3章の見出し
19「孤独を深めた者だけが研ぎ澄まされた言葉を持てる」
— 同じ本の第2章の見出し
20「『裕福』は他人から見たものであるが、『幸福』は自分の中にしか存在しない。」
— 同じ本で、世間体に流されて自分の幸せを後回しにする人について
21「勝敗の解釈とはその後の行動で変えられるものだ。」
— 同じ本で、失敗の受け止め方について
22「僕は試合が怖い。」
— 同じ本で、試合の前の恐怖について
「家庭を壊して」のマイクと秋山成勲戦の頃の名言
2019年から2022年にかけて、青木真也の言葉は大きく揺れます。36歳の時の試合後のマイクでは「うらやましいだろう」と客席に投げかけ、3年後には「もう嫌われるのも疲れた」と泣きました。のちに本人は、当時のマイクを「恥ずかしい」と振り返っています。
23「36歳になって、家庭を壊して、好きなことやって。どうだお前ら、うらやましいだろう」
— 2019年10月13日、両国国技館でホノリオ・バナリオに54秒で勝った後のマイクで
24「負けないことを目指すなら、試合をしなければいい。試合をしたから当然、勝ちも負けもある。」
— 2019年12月31日、1年を振り返った ONE 公式のインタビューで
25「何もない。やるだけだ」
— 2022年3月、ONE の大会の記者会見で、秋山成勲のエールに対して
26「やっちゃった。やっぱり青木真也は青木真也を抜け出せなかったよ。」
— 2022年3月、秋山成勲に2ラウンド TKO で負けた後の取材で
27「勝ち続けたり、作られたものよりも美しいものがあるはずって僕は思っている。」
— 2022年10月、ONE に出始めて10年の時の記事で
28「負けたら全員いなくなると思っていて、手のひらを返される恐怖は常にあります。これまでに手のひらを返され続けてきた人なので、本心では誰も信用していないし、人は離れていくと思っています。それは、裏切られたからじゃなく、自分が未熟で能力が低いから人が離れていく。本当に怖いですね」
— 2022年11月、シンガポールでの試合の2日前のインタビューで
29「秋山さんとやったときから、気持ち切れてんのよ、もう…。何のために頑張っていいのか、分からないのよ。もう嫌われるのも疲れた。人に辛く当たるのも疲れた」
— 2022年11月19日、ザイード・イザガクマエフに負けた直後の取材で
青木真也のnoteとXの名言
青木真也の note には、試合に負けた翌朝の短い文から訃報の日の言葉まで、その時の気持ちが残っています。X(ツイッター)には、ひと言で言い切った投稿や、冗談まじりの投稿が並びます。
31「僕が格闘技を通じて伝えたいメッセージは『生きろ』だ。」
— 2020年1月17日の本人の noteで
32「貧乏くじを引かないことばかり考えて、生きていくとゴミみたいに内容のない人間になっちまうぜ。」
— 2020年5月9日、37歳の誕生日の本人の noteで、楽に稼げる試合に切り替えない理由として
33「負けは人生を豊かにしてくれるし、負けることで成長と物語に厚みがつきます。」
— 2022年6月23日の本人の noteで、那須川天心と武尊の試合の後に
35「僕は闘いを続けます。青木真也を全うします。アントニオ猪木のようにはいかなくとも明日もコツコツ強く生きていこうぜ。」
— 2022年10月1日、アントニオ猪木の訃報の日の本人の noteで
36「わざわざ『負けた』と文字にするのは傷口に消毒液を塗るような作業です。」
— 2025年7月14日、プロレスで鈴木みのるに負けた後の本人の noteで
38「勝ち負けはあっても結果に良し悪しはないよ」
— 2024年8月20日の本人の X の投稿で
39「20代から30代前半で『人生』が決まります。練習に仕事に勉強に目一杯やることをお勧めします。42歳。今までやってきたもので生きていく現実は頑張ってやってきてよかったと思います。」
— 2025年4月21日の本人の X の投稿で
40「自分と向き合うとは孤独になること」
— 2025年10月29日の本人の X の投稿で
41「敗戦後に『記事や動画を出す、メディアに出る』ことが大事。一番のチャンスなんだよ。負けた顔を撮らせなさいよ。」
— 2026年3月21日の本人の X の投稿で
猪木の訃報の日の言葉や那須川天心の負けに向けた言葉を読んで、2人の名言も気になったら、アントニオ猪木の名言と那須川天心の名言もどうぞ。
朝倉未来戦と引退についての名言
2026年9月10日、青木真也は約11年ぶりの RIZIN で朝倉未来と戦い、1ラウンドで負けました。試合の前には「ちゃんと最後、形にします」と話し、負けた後は「完敗」と短く言い切ります。やめると言えばやめられるのに、なぜやめないのか。引退についての言葉には、43歳の揺れがそのまま残っています。10月18日にはプロレス団体 DDT への入団が発表され、「一番いい居場所だなと感じました」と話しました。
43「残念だったな、俺だよ。恥ずかしながら、恥をしのんで帰ってまいりました。ちゃんと最後、形にします」
— 2026年7月20日、超RIZIN.5 の対戦カード発表の会見で
44「もういいって。格闘技嫌いと思えたらやめられるかなっていう気持ちですね。本当にやりきりたい。最後」
— 同じ会見で、自分の引きどころについて
45「どこの青木真也を見たかわからないけど、2026年9月10日43歳の青木真也を見る覚悟を持ってください」
— 2026年9月7日、試合の3日前に本人の YouTube で
46「完敗!以上!はい。それ以上でも、それ以下でもなし。完敗。」
— 2026年9月10日、朝倉未来に負けた後の試合後インタビューの第一声
47「年取ったね。本当、年取ったねと思います。うん。でも悪いことじゃない。」
— 同じ試合後のインタビューで、10年前の自分との違いを聞かれて
48「かっこいい青木真也でいたくて、やっぱ彼が憧れた青木真也でいたいなって思ったし」
— 同じ試合後のインタビューで、セコンドの後輩たちについて
49「『辞めます』って言うこと自体は、実は簡単なんですよ。でも、10歳から43歳まで33年間、競争の中で生きてきた。練習して、相手と競い合うことが生き方そのものになっているから、それを剥がしていくのがすごく難しい。」
— 2026年9月、朝倉未来戦の後のインタビューで
50「43歳の自分だって今しかない。だから、いつまでもこんなことをやってちゃダメだ、と思っちゃうんです。今が一番早いんですよ。」
— 2026年9月、同じインタビューで、失った青春について聞かれて
よくある質問(Q&A)
商品やサービスを紹介いたします記事の内容は、必ずしもそれらの効能・効果を保証するものではございません。
商品やサービスのご購入・ご利用に関して、当メディア運営者は一切の責任を負いません。