朝青龍の名言117選!語録「君消す」は本物?Xの投稿と横綱時代の言葉
大相撲の第68代横綱、朝青龍の名言117選。「相撲は負けて覚えるもの」と語った現役の頃から、土俵では鬼になると言い切った引退会見、Xの語録まで。朝青龍の名言や語録の「君消す」は本物なのか、出回る創作との見分け方にも答えます。
Writer
公式ライター Activel編集部
朝青龍は、モンゴルから高知の高校へ相撲留学し、大相撲の第68代横綱として25回優勝した力士です。朝青龍の名言には、負けて覚えると語った現役の頃の言葉もあれば、Xで「アホ死ね」と返した語録もあります。「君消す」のように、元の投稿が読めなくなり、本人の言葉かどうか気になるものもあります。
朝青龍のプロフィール
朝青龍は、モンゴル出身で初めて横綱になった大相撲の力士です。2005年には史上初の7場所連続優勝と、1年6場所すべての優勝を成し遂げました。土俵の外でも話題が絶えず、引退後はモンゴルで事業を営みながら、今もXで相撲について書いています。
基本プロフィール
本名はドルゴルスレン・ダグワドルジです。四股名の朝青龍は高校の近くの青龍寺から、明徳は高校の名前から取られました。下の表の現役の体格と成績は、日本相撲協会の力士プロフィールのとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 朝青龍 明徳 |
| 本名 | ドルゴルスレン・ダグワドルジ |
| 生年月日 | 1980年9月27日 |
| 出身地 | モンゴル・ウランバートル |
| 高校 | 明徳義塾高校(高知) |
| 所属部屋 | 若松部屋→高砂部屋 |
| 身長・体重 | 184cm・154kg |
| 最高位 | 第68代横綱 |
| 幕内優勝 | 25回 |
| 通算成績 | 669勝173敗76休 |
モンゴルの大草原から第68代横綱へ、歩みと引退
ウランバートルで生まれ、自分を「大草原の少年」と呼んだ朝青龍は、1997年に日本へ渡りました。明徳義塾高校で相撲を学び、翌年の全国高校総体では3位に入っています。1999年1月場所で初土俵を踏むと一気に番付を駆け上がり、2001年1月場所で新入幕、2002年7月に大関へ昇進します。そして2003年1月に横綱へ昇進し、モンゴル出身で初めての横綱になりました。
2004年の初場所から夏場所にかけては35連勝を記録し、2005年には7場所連続優勝と年間84勝を成し遂げました。その一方で、2007年には巡業を休んでモンゴルでサッカーをしたことが問題になり、日本相撲協会から2場所の出場停止などの処分を受けました。
最後の場所になった2010年の初場所で25回目の優勝を果たしますが、場所中に知人に暴行したと報じられ、2月4日に引退届を出して会見に臨みました。本人は会見で報道と実際には差があったと話し、のちにテレビでも暴行の報道を強く否定しています。同じ年の10月3日に両国国技館で断髪式を行い、その後はモンゴルで事業を営んでいます。甥の豊昇龍は、2025年に第74代横綱になりました。
座右の銘
朝青龍の座右の銘に近いのは、2004年のスポーツ紙の年間最優秀力士賞の取材で来年の目標を語った「自分で山を築いて、その山を登る。それが最高なんだ」です。翌2005年には1年6場所すべてで優勝しました。本人が座右の銘として挙げた言葉は見つかっていません。
朝青龍の名言117選
朝青龍の名言には、生まれて初めて海を見た少年の思い出もあれば、「相撲は負けて覚えるもの」という勝負の言葉や、品格を問う声に「一度は自分を指さしてみてほしい」と返した本音もあります。朝青龍の語録を一覧で見ると、Xでは「アホ死ね」「不味い」のような短い返信をする一方で、手術の後には家族への感謝も書いています。語録の「君消す」が本物なのかは、最後の節で答えます。
大草原の少年が横綱を目指した頃の名言
17歳を前に海を初めて見た少年は、モンゴルの家族を思いながら高知で稽古を続けました。横綱になってからは手紙に書いた親への思いを振り返り、入門してすぐの頃には「千代の富士のような力強いスピード相撲が目標です」と語っていました。
01「関西空港に到着して、生まれて初めて海を見ました。」
— 2005年5月のインタビューで、留学で日本へ来た時を振り返って
02「今日私にとて忘れない記念日です!1997年平成9年9月6日朝赤龍と共に日本初上陸、大草原少年とて初めての海、海のような夢感動ありがとう皆んな‼️」
— 2015年9月6日、日本へ来た日を振り返るXの投稿で
03「モンゴルのある北の方向に向かって頭を下げてから朝ごはんを食べていました。」
— 2005年5月のインタビューで、高校時代の朝を振り返って
04「いいお相撲さんになって、お父さん、お母さんを楽にさせたげたいんだ」
— 2005年5月のインタビューで、毎週のように書いた手紙の中身として
05「負けて悔しい、叩きのめされて悔しいからこそ、そこから這い上がって強くなれるんですね。」
— 2005年5月のインタビューで、高校の稽古を振り返って
06「そのままプロの世界に飛び込んでいたら、ここまで出世できていなかったかもしれませんね。」
— 2005年5月のインタビューで、明徳義塾高校について
07「まさか自分が日本に来て、大相撲の頂点である横綱になろうとは思ってもみませんでした。」
— 2005年5月のインタビューで
08「モンゴルの中学時代は、日本で例えれば“墨田区の番長”って感じだったかな。(強いのは)昔から有名だったから」
— 2007年1月、インタビューで少年時代を振り返って
09「体を大きくして、千代大海関みたいな相撲を目指します」
— 1999年5月23日、夏場所の序二段で優勝して
10「今度は全部、モンゴルの家に送りたいと思います」
— 1999年7月16日、名古屋場所の三段目の優勝の賞金について
11「テレビで見てたよ。強くてかっこよくて、モンゴルでも有名だから」
— 2000年11月28日、巡業の朝稽古で横綱貴乃花の胸を借りて
12「千代の富士のような力強いスピード相撲が目標です」
— 2000年12月20日、史上最速タイの12場所で新入幕を果たして
13「横綱の厳しい右を殺すことだけ意識した」
— 2001年5月13日、夏場所初日に横綱武蔵丸を下して
14「昔のビデオを見たけどかっこいいよな。オレは相撲界の長嶋茂雄になるぞ」
— 2001年10月2日、巨人の監督を退く長嶋茂雄さんのセレモニーを見て
横綱の強さと勝負を語った名言
朝青龍の強さは、勝負の直後の短い言葉によく表れています。20回目の優勝を決めた日に「次の目標は明日勝つこと」と言い切り、8場所連続優勝を逃した日には「一から出直しだよ」と口にしました。
15「重いものをとっちゃった」
— 2002年11月22日、九州場所で初めての優勝を決めて
16「馬から落ちたら大けがするから、乗っているときは緊張感を保たないといけないんだ」
— 2003年1月19日、初場所8日目に勝ち越しを決めて
17「丸刈りの頭のことを考えた」
— 2003年1月25日、横綱昇進につながる2場所連続優勝を果たして
18「それはまるで包丁を研いでいくような感じですね。」
— 2005年5月のインタビューで、「絶対この一番は落とさない!」と気持ちを入れていく時について
19「連続優勝を味わいたい。僕がやるのは土俵の上です」
— 2004年1月26日、初場所の全勝優勝の後、土俵の外の問題を問われて
20「自分で山を築いて、その山を登る。それが最高なんだ」
— 2004年、スポーツ紙の年間最優秀力士賞の取材で来年の目標を語って
21「負けた相手に全部ぶつけてやるから見てろよー!」
— 2004年9月26日、秋場所を9勝6敗で終えて
22「1つの夢を達成した。また別の大きな夢を追いかけるよ」
— 2005年1月21日、初場所で10回目の優勝を決めて
23「見たらわかるでしょ? 陰でけいこしてるんだよ」
— 2005年2月19日、出稽古で強さを見せて
24「自分が横綱に駆け上がる前はガンガン上位に挑んだもんだ。角界に朝青龍が5人くらいいれば、もっと盛り上がるよなぁ」
— 2005年5月3日、稽古の相手が見つからずに
25「弱冠25歳なんで、これからも走ります」
— 2005年11月27日、年6場所完全優勝と7場所連続優勝で1年を終えて
26「人間だから負けることもある。でも、相撲は負けて覚えるものだから」
— 2005年、スポーツ紙の年間最優秀力士賞の取材で連勝記録の悔いを語って
27「一生懸命努力して、できないことは何もないと思いますから。」
— 2005年5月のインタビューで、高校生へのメッセージとして
28「今やっていることを好きになっていかないと意味がないですよ。」
— 2005年5月のインタビューで、高校生へのメッセージとして
29「一から出直しだよ。いつか負けるだろうって気持ちが強かった」
— 2006年1月21日、8場所連続優勝が消えて
30「自分に勝たなきゃと思った。朝青龍はこんなもんじゃないだろ、と言い聞かせた」
— 2006年、スポーツ紙の年間最優秀力士賞の取材で、夏場所の右ひじの大けがを振り返って
31「オレはジャパニーズドリームを手にしたけど、松坂もアメリカンドリームを目指して頑張って」
— 2006年11月15日、大リーグに挑戦する西武の松坂大輔投手へ
朝青龍からエールを送られた松坂投手が、海を渡った後に何を語ったかは、松坂大輔の名言で読めます。
32「晴れ、雨、曇り。天気と同じ1年だったね」
— 2006年11月26日、九州場所で全勝優勝し、故障もあった1年を振り返って
33「次の目標は明日勝つこと」
— 2007年1月20日、史上5人目の20回目の優勝を決めて
34「これが横綱の相撲なんだという気持ちでやった」
— 2007年7月22日、白鵬との横綱決戦に勝ち21回目の優勝を果たして
35「四つに組んで力を出し切れなかったのは自分の力がもう一つということだ。まあ、悔いはありませんよ。力勝負なんだから」
— 2008年1月27日、白鵬との横綱決戦に敗れて
36「朝青龍が帰ってきました」
— 2009年1月25日、白鵬との優勝決定戦を制して5場所ぶりに優勝して
37「20回目までは早かったけど、そこから5回はどうだったかな…」
— 2010年1月23日、25回目の優勝を決めて
品格と騒動をめぐる名言
朝青龍は横綱の品格を問われ続けた力士です。現役の頃は土俵を指さしたことを「自分の失敗」と認め、サッカーの問題でも謝罪の会見に臨みました。ところが引退の半年後のインタビューでは、品格を口にする人たちへ「てめえができるかって」と言い返しています。
38「土俵を指さした行為は完全に自分の失敗。悪い面だった」
— 2003年5月26日、夏場所9日目の勝負の後の行為を初めて公の場で反省して
39「大事なところでいいかげんなことをした。私が一番よく分かってます」
— 2003年12月22日、無断で帰国して師匠の先代にあたる高砂親方の葬儀を欠席し、遺族に謝罪して
40「親方、おかみさん、ご近所の皆さん、付け人のみんな、それに私の妻に本当に迷惑をかけました。もうお酒は飲みません」
— 2004年7月23日、泥酔して部屋の玄関のガラスドアを壊したことを謝って
41「自分には横綱として足りない部分がある。考えながら勉強したい。強いだけじゃなく、品格の面でも磨いていきたい」
— 2007年11月30日、サッカーの問題を謝罪した会見で
42「僕、相撲大好きなんで。もちろんショックはだいぶ受けた。もう一度、最初からやり直そうという気持ちで精いっぱいです。」
— 2007年11月30日、同じ会見で相撲を続ける気持ちを問われて
43「皆さまは品格、品格と言いますが、正直、土俵に上がれば鬼にでもなるという気持ちで上がります。そこで精いっぱい相撲を取らなければいけないという気持ちはありました。」
— 2010年2月4日、引退会見で横綱の品格を問われて
44「品格を口にする人たちに言いたいのは、他人を指さすのは簡単だけど、一度は自分を指さしてみてほしいってこと。たった69人しかいない横綱に対してね、素人の人間がメディアを通してこうしろ、ああしろって言うのはどうか。てめえができるかって」
— 2010年、引退の半年後のインタビューで
45「たぶんね、朝青龍みたいな人間、あまりいないと思うよ。相撲界の人間関係として、まじめな子、素直にハイハイって言う子が好かれるんだろうけど、好きじゃない。人に合わせて相撲をとるわけじゃないからね。人の気分に合わせて相撲をとるなんて相撲じゃない。相撲はね、一瞬に命を懸けるもんなんだ」
— 2010年、引退の半年後のインタビューで
46「言いたいことを言わない人間ばっかりだったら、面白くないじゃないですか。あなたにだって、癖はあるでしょ。みんな、癖がある」
— 2010年、引退の半年後のインタビューで
47「俺の人生、いろいろあったよ。裁判所行ったし、なんとか席にも座ったし、台風が来れば、晴れが来る。晴れたらまた、台風。その繰り返しだったね」
— 2010年、引退の半年後のインタビューで
48「自分の考えが通じないこと、聞き入れてもらえなかったこと。それが一番つらかった」
— 2010年、引退の半年後のインタビューで、自分で語った台風が直撃した時に何がつらかったかを聞かれて
49「私が日本人だったら、宝物だったと思うよ。あれだけモンゴル軍団が攻めてきたなか、25回も優勝した朝青龍が日本人だったらね」
— 2010年、引退の半年後のインタビューで
引退会見と断髪式の名言
2010年2月4日の引退会見で、朝青龍は涙を見せながら、モンゴルから来た少年を支えてくれた人たちへの感謝と、相撲に悔いはないことを語りました。同じ年の10月3日の断髪式では、生まれ変わったら日本人の横綱になりたいとまで話しています。
50「皆さまに大変ご迷惑を掛け、また、日本相撲協会にも大変ご迷惑を掛け、報道でも大変騒がし、そういう意味でわたしは責任を取って引退しました。」
— 2010年2月4日、引退会見の冒頭で
51「正直どうなるのかと思いました。(暴行問題で)メディアで流れたことと実際に起こしたことはかなり差がありましたので、最後まで様子を見ようと思っていましたし、最後にけじめをつけるのは僕しかいない。それで引退を考えました。」
— 2010年2月4日、引退会見で引退を考えた時期を問われて
52「それが自分にとっての運命じゃないかと思います。」
— 2010年2月4日、引退会見で、25回目の優勝の直後に去る心境を問われて
53「何もない、水も違う、言葉も違う、そういう雰囲気の中で、モンゴルの大草原の少年をここまで横綱になるまで支援し、支えてくれた方々に感謝しています。」
— 2010年2月4日、引退会見で思い出を問われて
54「そうですね。25度も優勝しましたし。これからは「元朝青龍」という呼び方になりますけど、相撲に関しての悔いは一切ありません。」
— 2010年2月4日、引退会見で
55「やっぱり(2001年夏場所の初日に)両親の前で横綱武蔵丸関を倒したことを大変誇りに思います。」
— 2010年2月4日、引退会見で一番うれしかったことを問われて
56「これから人生も長いし、日本相撲界にはいられませんが、弱冠29歳なのでどこまでいけるかという人生楽しみ。努力して頑張ります。」
— 2010年2月4日、引退会見で
57「記者だって同じ人間だし、マスコミだって同じ人間。子供も家庭もあるだろうし。(過熱取材は)つらかったけど、こういう世界では仕方がないなという思いはあります。」
— 2010年2月4日、引退会見でマスコミとの戦いについて問われて
58「親代わりであり、本当に感謝です。出会いもあれば、いつか親方と別れる時もあるとずっと思っていました。」
— 2010年2月4日、引退会見で高砂親方について問われて
59「生まれ変わったら大和魂を持った日本人として横綱になりたい」
— 2010年10月3日、両国国技館の断髪式で
60「声援は現役中かと思わせるほどで、本当にありがとうございました。次の人生に夢をかけて頑張ります」
— 2010年10月3日、断髪式の土俵で
61「このころの体に戻りたいね。上を目指すために死ぬ気でやった。無我夢中でやった幕下時代の朝青龍が一番強かったよ。」
— 2010年、引退の半年後のインタビューで、幕下時代の写真を見ながら
師匠と甥、白鵬へ語った名言
師匠の高砂親方には「あなたの一番大きな夢をかなえたのは、オレなんだよっ!」と言いたいと語り、2025年に横綱になった甥の豊昇龍には「俺を超えてみろ」と言っていて、Xでも豊昇龍の相撲に細かく注文を付けています。ライバルの白鵬には、現役の頃から引退後まで厳しい言葉も励ましも送り続けました。2026年には朝青龍と白鵬の対談も実現しています。
62「あなたの一番大きな夢をかなえたのは、オレなんだよっ!」
— 2020年11月、師匠の高砂親方の定年に際して、スポーツ紙に語って
63「モンゴルの父との絆が果てしない草原なら、「朝潮」と「朝青龍」は果てしなく広がる太平洋。」
— 2020年11月、同じ話の中で(朝潮は師匠の高砂親方の現役時代の四股名)
64「豆腐は軟らかすぎると崩れちゃうし、硬すぎるとおいしくない。師弟もそういう(繊細な)もののような気がする。」
— 2020年11月、同じ話の中で
65「師匠が、ちゃんこは親子で集まって一緒に食べるものなんだと。父ちゃんの『ちゃん』と子どもの『こ』ってことを教えてくれたのが忘れられない」
— 2024年2月5日、師匠だった高砂親方(元大関朝潮)のお別れの会で
66「『朝青龍を育ててくれて感謝しています』ってことを最後に言ってあげたい」
— 2024年2月5日、師匠だった高砂親方(元大関朝潮)のお別れの会で
67「考え過ぎ‼️豊昇龍‼️自分自信で相撲とる‼️どうせ立会いが弱いんだから早くつかむ事が大事だ!」
— 2019年9月14日、甥の豊昇龍へのXの投稿で
68「戦うなら殺すつもりで行け‼️出来ないならちゃんこ🍲番やれ‼️」
69「こっちは芸能人じゃないんだから、力士なんだから、もうほんとに嫌われるほど強くなってほしい」
— 2025年1月31日、22年前の同じ日に自分も立った明治神宮で、豊昇龍の新横綱の土俵入りを見守って
70「自分の時は教えてくれる人がいなかった。横綱になったら2桁(優勝)。俺を超えてみろ」
— 2025年1月31日、同じ土俵入りの後に
71「超えればいいんですけどね。はい。やってみろって感じです」
— 2025年1月31日、自分の優勝回数に甥が近づけるかを問われて
72「電話一本でいい」
— 2025年1月31日、先輩横綱として送る助言を問われて
73「前に出る相撲なんだから、まっすぐ来ないと」
— 2005年11月13日、九州場所初日に立ち合いで変化した小結の白鵬へ
74「白鵬の方が全然、強いなと思った」
— 2009年3月27日、春場所13日目に全勝の白鵬の相撲を見て
75「白鵬泣く番多い!!泣くなバカやろ!!涙血の色に変えて戦え!!」
— 2016年3月27日、春場所で優勝を決めた白鵬へのXの投稿で
76「出た釘打たれる。以上」
— 2025年6月10日、白鵬が日本相撲協会を退職した翌日のXの投稿で
77「私は世話した鍋に唾吐きません」
— 2025年6月10日、同じ日のXの投稿で
78「現在貴方の心奥でどんな苦しさと悲しみに巻き込んでる事私以外わからないだろうなぁ。さー第二の人生ご自由の人生楽しもう。飛ぶんだ白鵬」
— 2025年6月22日、その12日後に2人の写真と一緒に白鵬へ送ったXの投稿で
79「あれはわざとじゃないんだよね。わざとじゃなかったから、わざとらしいっていう動きを入れられてショックを受けちゃって。」
— 2026年5月1日、白鵬との対談で2008年夏場所のダメ押しを振り返って
80「振り返れば全てが可愛い❤️」
— 2026年6月17日、白鵬が相手だと気持ちが違ったのかと聞かれて
81「悲しい悲しいな涙が止まらない…憧れの力士、角界の神様、横綱たちの横綱よ~~悲しいな」
— 2016年7月31日、千代の富士の訃報を受けてのXの投稿で
82「安青錦 新大君へ 下半身硬すぎる。ストレッチすることもちろんやってると思うか。足首が痛いのわかる。すり足相撲目指せ。こんな体制で長い相撲とらない。がんばれ」
— 2026年9月24日、秋場所中に大関の安青錦へ送ったXの投稿で
思わず笑ってしまう語録と面白い名言
朝青龍の語録が面白いのは、ファンの返信に短い一言で答えるからです。朝青龍のTwitter、今のXでは、モンゴル料理の店を聞かれて「何に様だ君」と返すように、相手の予想をあっさり外します。現役の頃にも、取材の場で思わず笑ってしまう面白い言葉を残していました。
83「アホ死ね」
— 2018年9月4日、「アルバイトですか?」という返信に答えて
84「不味い」
— 2017年11月、「宮崎牛、美味しいよね~」という返信に答えて
85「死んだ」
— 2017年10月、「レオンくんは元気ですか?」という返信に答えて
86「おい何勝⁉️」
87「バカ稽古せ〜」
— 2017年1月20日、「照ノ富士にひとことお願いします」という返信に答えて
88「AI 使え」
— 2025年10月21日、モンゴル語で何と言っているのかを聞かれて
89「君じゃないからね😁」
— 2026年7月24日、「中国語も堪能とは意外すぎる」という返信に答えて
90「正しい消し方。君間違いかも」
— 2026年3月25日、「お線香の下に紙はダメです!」という返信に答えて
91「何に様だ君」
— 2026年3月7日、大阪場所を前にモンゴル料理の店を聞かれて
92「熱いから行かん」
— 2015年6月29日、「名古屋で待ってます!」という返信に答えて
93「寒iiiiiiiyaaa🥶」
— 2026年6月20日、季節はずれの寒さになったモンゴルからのXの投稿で
94「あゝ涼しい🤣🤣🤣❄️ 日本暑いやろ」
— 2023年5月5日、モンゴルからのXの投稿で
95「ヘアスタイルの名は蒼き狼🐺だ😂🙏」
— 2023年6月3日、鶴竜の断髪式のために来日した時のXの投稿で
96「今日調子悪い🚜🤣」
— 2025年6月24日、自分のトラクターを見せるXの投稿で
97「風邪がライバルというのもおかしいけど」
— 2004年1月17日、初場所7日目に無傷の7連勝を決めて
98「相撲では緊張しないが今はひざが揺れている」
— 2005年5月27日、愛知万博でモンゴルのナショナルデーの式典に参加して
99「顔、かっこよかったな、相手。でも怖かったよ」
— 2001年1月11日、初場所5日目に貴闘力を下して
100「みなさんに謝らなければいけないことがありまして。またガッツポーズをやってしまいました。朝はやめようと思ったけど、うれしくてやっちゃいました」
— 2009年9月27日、秋場所千秋楽に4場所ぶりの優勝を決めて
101「大統領?あのトランプでも、なれたんだから…冗談、冗談(笑)」
— 2017年3月18日放送のテレビ番組で
Xに綴った本音と相撲への言葉
朝青龍のXは笑える語録だけではありません。2024年の手術の後には「地獄のような1ヵ月でした」と家族への感謝を書き、2025年には20歳の時の失礼を矢沢永吉さんに謝りました。今も大相撲を見続けて、横綱たちに厳しい言葉を書いています。
102「日本の医療技術、そしてサービス世界一と思います。感謝の言葉しか出ません。ありがとう日本🇯🇵🙏」
— 2024年4月26日、手術の成功を報告したXの投稿で
103「少し笑顔ができるようになりました。 家内に感謝です。皆さんに感謝です。 地獄のような1ヵ月でした。これから元気出して前向きでがんばります。ありがとうドルジより🙏😊🤲」
104「一度ずっと謝りたいことがあります 20歳の時に矢沢永吉さんと銀座で席設け、僕はあなたのファンです。乾杯が大好きです。大変失礼しました。ずっと謝りたいと思っております。🙏」
105「素直な気持ちが大事だよ」
— 2025年9月16日、矢沢永吉さんの対応を気にする声に答えて
106「モンゴル楽しみだ〜 モンゴル相撲見たり、組んでもうよっし。 果てしなく大草原に俺と一緒にドライブ楽しみだ😁人生は経験✨」
— 2025年6月26日、モンゴルへ来る予定の相手へのXの返信で
107「失敗した後に成功に登る🇯🇵 世界の国々に見本なる日本🇯🇵 科学技術地球🌏守る。 Happy GW😁♥️大和魂」
— 2025年5月1日、Xの投稿で
108「私モンゴル生まれ、日本巣立ち❗️☻」
— 2014年8月23日、Xの投稿で
109「堂安選手ありがとう❗️ 若い世代見せた ホンマにありがとう😊」
— 2022年12月6日、サッカーのワールドカップの日本代表についてのXの投稿で
110「柔な足腰一番大事❗️白鵬関見たいな足腰❗️」
— 2014年3月10日、Xの投稿で
111「鶴竜横綱無理だろう❗️(ーー;)花がない❗️」
— 2014年3月11日、Xの投稿で
112「一人相撲とる日馬富士‼️自分の技に転ぶ日馬富士‼️」
— 2015年1月17日、初場所を見てのXの投稿で
113「新横綱稀勢の里雲竜型だ〜‼️嬉しい😃」
— 2017年1月26日、稀勢の里が新横綱になった時のXの投稿で
114「ビールびんありえない話し!!」
— 2017年11月16日、日馬富士の問題の報道について、Xに書いて
115「本当の事聞きたくないか?お前ら」
— 2017年11月16日、同じ問題について、Xに書いて
117「身体が張りがどこ行ってしまった? 病院行ったほうがいいよ。これは」
— 2026年3月19日、不調だった新大関の安青錦についてのXの投稿で
語録「君消す」は本物か、出回る創作の見分け方
語録の「君消す」は、絡んできた相手を消すと予告したように読める短い一言です。本人の投稿が今は読めないので、朝青龍の言葉だと言い切れません。2022年12月6日に別の人が「朝青龍が、君消すの元ツイを、ツイ消ししたおかげで助かった人もいた。」と投稿していて、その頃に本人が書いて消したと受け取られていたことまでは分かりますが、元の投稿が無いので、どの投稿への返信だったのかは確かめられません。
気をつけたいのが創作です。2023年5月5日に別の人が「朝青龍の存在しない名言集」と題して、「出会い偶然‼️恋必然‼️」「おまえ桜⁉️散るな馬鹿‼️😭」といった言葉を投稿しました。題のとおり本人の言葉ではありませんが、語尾がよく似ているので、本物と混ざるおそれがあります。
見分ける時は、その言葉に投稿の日付があるか、@Asashoryu の投稿として開けるかを見てください。投稿を開けないものには、「アホ死ね」のように報道が残っていて本当に消された言葉もあれば、もともと存在しない言葉もあります。報道も投稿も見つからない語録は、楽しみながらも、本人が言ったとは言い切らないでおきましょう。
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