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アイルトン・セナの名言30選!英語の原文と最後の言葉、2位と恐怖の言葉

アイルトン・セナの名言30選!英語の原文と最後の言葉、2位と恐怖の言葉

「2位は、敗者の中の1位にすぎない」。勝つことにこだわり、恐怖とも向き合ったアイルトン・セナの名言です。最後の言葉として知られるのは、ライバルのプロストへの「みんな、君がいなくて寂しいよ」。全力で生きたアイルトン・セナの名言は、あと一歩を踏み出したい時に背中を押してくれます。

2026.10.25 | スポーツ

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公式ライター
Activel編集部

「2位は、敗者の中の1位にすぎない」。この名言を残したアイルトン・セナは、勝つことにこだわり、ホンダのエンジンで3度の世界王者になりました。速く走るほど恐怖とも向き合い、限界に触れた先でもう少し先へ行けるとも語っています。34歳で亡くなった1994年のイモラの週末には、かつて激しく争ったプロストに「みんな、君がいなくて寂しいよ、アラン」と呼びかけ、これが最後の言葉として知られています。日本で「神を見た」と伝わる鈴鹿の話や、ホンダの人たちに残した言葉まで、アイルトン・セナの名言を、生まれた場面と一緒にたどっていきましょう。

アイルトン・セナのプロフィール

アイルトン・セナは、ブラジルのサンパウロで生まれた F1 ドライバーです。4歳の時に父から小さなカートを贈られ、13歳で出た初めてのカートのレースで優勝しました。F1 では、マクラーレン・ホンダで3度の世界王者になっています。

基本プロフィール

F1 で走ったのは1984年からの11シーズンで、通算41勝を挙げました。

項目 内容
名前 アイルトン・セナ
本名 Ayrton Senna da Silva
生年月日 1960年3月21日
出身 ブラジル・サンパウロ
亡くなった日 1994年5月1日(34歳)
所属チーム トールマン→ロータス→マクラーレン→ウィリアムズ
世界王者 3回(1988年・1990年・1991年)
通算成績 41勝・ポールポジション(予選1位)65回

ホンダのエンジンで走ったのは1987年から1992年までの6年間で、3度の王座はすべてこの間に取っています。モナコGPでは通算6回優勝していて、1989年から1993年までは5年続けて勝っています。

ブラジルのカートから3度の世界王者、1994年のイモラまでの歩み

アイルトン・セナの歩みと名言の年表(1984年の F1 デビューから1988・1990・1991年の世界王者、1994年5月1日のイモラまで)

カートで南米の王者になったセナは、1981年にイギリスへ渡り、F3 より下のクラスで勝ち続けて、1983年にイギリス F3 の王者になりました。

年 主な出来事
1973年 初めてのカートのレースで優勝
1983年 イギリス F3 の王者
1984年 トールマンで F1 デビュー・雨のモナコで2位
1985年 ロータスでポルトガルGP に初優勝
1987年 ロータスでホンダのエンジンを使い始める
1988年 マクラーレン・ホンダで初の世界王者
1989年 鈴鹿でプロストと接触し、王座はプロストに
1990年 2度目の世界王者
1991年 3度目の世界王者・母国ブラジルGP で初優勝
1994年 ウィリアムズへ移り、5月1日にイモラで亡くなる

1988年のマクラーレン・ホンダは16戦中15勝を挙げました。セナが8勝、チームメイトのプロストが7勝で、セナが初めての世界王者になりました。1989年と1990年の王座は、どちらもふたりが鈴鹿で接触した日本GP で決まっています。プロストが1993年限りで引退したあと、セナは1994年にウィリアムズへ移り、その年の3戦目のサンマリノGP で事故に遭いました。

座右の銘

アイルトン・セナの信条に近い本人の言葉は、「憧れの人はいない。尊敬するのは、仕事と献身と能力だ」です。1995年に作られ、今はサンパウロのアイルトン・セナ広場にあるブロンズ像に刻まれています。日本の名言サイトには「私に理想は存在しない」と訳したものもありますが、もとのポルトガル語の ídolos は憧れの人という意味です。座右の銘として本人が挙げた言葉は、会見や取材の記録には見つかっていません。セナの公式サイトなどで見かける「Seek Your Truth(自分の真実を求めよ)」は本人の言葉ではなく、セナの名前がついた商品やサイトを手がける会社が2023年に打ち出した合言葉です。

アイルトン・セナの名言30選と最後の言葉

アイルトン・セナの名言には、勝つことへのこだわりや、恐怖と限界に向き合った言葉が多く、信仰のあついセナらしく、神について語った言葉もあります。ともに世界王者を目指したホンダの人たちへの言葉、日本のファンへの思い、人生とチャンスについて日本の作家に語った言葉、そして1994年のイモラの週末に残した最後の言葉まで、どの言葉からも、レースにも人生にも全力で向き合ったセナの姿が伝わってきます。

「2位は敗者の中の1位」と勝つことについての名言

「2位は、敗者の中の1位にすぎない」は、セナの公式サイトにも英語とポルトガル語で残る言葉です。ただ、いつ、どこで言ったかは書かれていません。1990年、元世界王者のジャッキー・スチュワートに厳しく問われた時には、すき間を狙わなくなったらレーシングドライバーではないと答えています。

01「2位は、敗者の中の1位にすぎない」

“The second is nothing more than the first of losers.”

02「僕は2位や3位になるようにはできていない。勝つようにできているんだ」

“I am not designed to come second or third. I am designed to win.”

03「大事なのは勝つこと。ほかのことは、その結果だ」

“Winning is what matters. The rest is the consequence.”

04「力を出し切ること、打ち込むこと、努力、献身に、中途半端はない。とことんやるか、まったくやらないかだ」

“With regard to performance, commitment, effort, dedication, there is no middle ground. Or you do something very well or not at all.”

05「すき間を狙わなくなったら、もうレーシングドライバーではない」

“If you no longer go for a gap, you’re no longer a racing driver”

— 1990年、鈴鹿でプロストと接触した後、ジャッキー・スチュワートの問いに答えて

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発言時期: 1990年(日本GP で2度目の王座を決めた後)

発言状況: 1989年の日本GP では、セナとプロストが鈴鹿のゴール手前のシケイン(速度を落とさせるための小さなカーブ)で接触し、王座はプロストに決まりました。翌1990年の日本GP では、ふたりが接触して2台ともリタイアし、セナの2度目の王座が決まりました。セナはイギリスの報道などから強く責められ、3度の世界王者のジャッキー・スチュワートの問いに答えて、この言葉を口にしました。

出典: アイルトン・セナの公式サイト(2024年12月10日)

恐怖と限界についての名言

セナは、恐怖が自分を惹きつけると語っています。日本の名言集では「恐怖は自分をワクワクさせる」と訳されている言葉です。恐怖は人生の一部で、悪いものではなく、自分の身を守るための気持ちとして受け止めるとも話しています。1991年のモナコGP では、首位を走りながら、1周遅れのプロストを抜くのが一瞬怖かったと打ち明けています。

06「恐怖は人生の一部だ。恐怖とどう向き合えばいいか分からない人もいれば、僕もその一人だと思うけれど、恐怖と一緒に生きることを覚え、悪いものではなく、自分の身を守るための気持ちとして受け止める人もいる」

“Fear is part of our lives. Some people do not know how to face it, others – I think I am among them – learn to live with it and face it not as a negative thing, but as a feeling of self-preservation.”

07「恐怖は、僕を惹きつける」

“Fear fascinates me.”

08「危険を冒さない走り方を、僕は知らない。抜かなければならない時は、本当に抜く。ドライバーにはそれぞれ限界がある。僕の限界は、ほかの人より少し上にある」

“I don’t know how to drive any other way than the risky way. When I have to overtake, I really will. Each driver has his own limit. Mine is a little higher than the others.”

09「限界に触れたとたん、何かが起きて、急にもう少し先へ行けるようになる。心の力と決意と本能、そして経験もあれば、とても高く飛べるんだ」

“As soon as you touch this limit, something happens, and you suddenly can go a little bit further. With your mind power, your determination, your instinct, and the experience as well, you can fly very high.”

10「いちばん速くなったその瞬間、人はとてつもなくもろい。ほんの一瞬で、すべてを失うかもしれないからだ。この両極が、自分をより深く、より深く知ることにつながっていく」

“The same moment that you become the fastest, you are enormously fragile. Because in a split-second, it can be gone. All of it. These two extremes contribute to knowing yourself, deeper and deeper.”

11「ピットから出てきたプロストが前にいて、僕はストレートを速く走ってきた。正直に言うと、ほんの一瞬、彼を抜くのが怖かった。チャンピオン争いの首位を争っていたし、まあ、何が起きるか分からないからね」

“Prost saiu na minha frente dos boxes e eu vinha rápido pela reta. Confesso que, por uma fração de segundos, tive medo de ultrapassá-lo. Estávamos disputando a liderança do campeonato e, bem, nunca se sabe.”

— 1991年5月12日のモナコGP で、首位を走りながら、1周遅れのプロストを抜いた場面について

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発言時期: 1991年5月12日のモナコGP について(ポルトガル語の言葉)

発言状況: 首位を走るマクラーレン・ホンダのセナには、最後の大仕事が残っていました。フェラーリに移り、1周遅れになっていたプロストを抜くことです。プロストは前年の鈴鹿で接触した相手で、この年もチャンピオンを争っていました。セナはそのプロストをうまく抜いて優勝し、開幕から4戦で4勝しました。それまで、シーズンの最初の4戦をすべて勝ったドライバーはいませんでした。

出典: アイルトン・セナの公式サイト「1991年モナコGP」

「神を見た」の話と神についての名言

信仰のあついセナは、1988年の鈴鹿の日本GP で初めての王座を決めたあと、ピットへゆっくり戻る途中のコース脇で神を見たと、後に語りました(マクラーレンの公式サイト)。日本では「鈴鹿のスプーンカーブで神を見た」と伝わっていますが、スプーンカーブという場所は、当時の会見や取材の記録では確かめられません。同じ年のモナコの予選の走りについては、セナ本人が「別の次元にいるようだった」と振り返っています。

12「あなたが誰であっても、人生でどんな立場にいても、それがいちばん上でもいちばん下でも、強い力と強い決意を目標にし、いつもたくさんの愛と神への信仰をもってすべてに取り組めば、いつかたどり着ける。どうにかして、たどり着けるんだ」

“Whoever you are, whatever social position you may have in life, whether the highest or the lowest, always make it your goal to have a lot of strength, a lot of determination, and always do everything with a lot of love and faith in God, and one day you will get there. Somehow, you will get there.”

13「神が僕にこの才能をくれたんだと思う。そして今は、落ち着いて、気持ちを楽にして、元気でいられるように助けてくれている」

“I think God gave me this gift And now he is helping me to be calm, relaxed.., and fine”

— 1983年、イギリスのドニントンのサーキットで、ウィリアムズの F1 マシンを試した時、ブラジルのテレビ局グローボのインタビューで

14「あの日、突然、自分がもう意識して運転していないことに気づいた。僕にとっては、別の次元にいるようだった。サーキットはトンネルで、僕はただ進み、進み、進み続けていた」

“That day, I suddenly realised that I was no longer driving conscious. And I was in a different dimension, for me. The circuit for me was a tunnel, which I was just going, going, going.”

— 1988年5月14日、モナコGP の予選の走りを、後のインタビューで振り返って

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発言時期: 1988年5月14日のモナコGP の予選について(マクラーレン・ホンダの1年目)

発言状況: セナは1分23秒998のタイムでポールポジションを取り、2番手のチームメイトのプロストは1分25秒425でした。同じクルマで1.4秒以上の差です。セナは、このあと急にやりすぎだと気づいてペースを落とし、ゆっくりピットに戻って、その日はもう走らないと自分に言い聞かせたと、のちに語っています。

出典: マクラーレンの公式サイト(2024年5月14日)

15「心が安らかだ。頭と肩から何トンもの重さが消えたみたいだ。世界王者になるのがどういうことか、まだよく分からない。今なら恐れずに言える。僕は一度も信仰を失わなかった。このタイトルをくれたのは神だ」

“I feel peace, like tons of weight has lifted from my head and my shoulders. It’s hard to comprehend what being a World Champion is. Now I can say without fear that I never lost my faith; it was God who gave me this title”

— 1988年10月30日、鈴鹿の日本GP で初めての王座を決めた時、ブラジルのテレビ局グローボのインタビューで

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発言時期: 1988年10月30日(日本GP・初めての世界王者)

発言状況: 16戦中15戦目の鈴鹿で、セナはポールポジションからのスタートでエンジンが止まりかけ、1コーナーでは14位まで下がりました。それでも1周目のうちに8位まで戻り、小雨が降り始めた28周目に首位のプロストを抜いて優勝しています。ゴールした瞬間には右のこぶしを空へ突き上げ、ペースを落とすとバイザーを上げて両手を高く挙げました。

16「ゴールした時には、もう何も残っていなかった。神が、このレースを僕にくれたんだ」

“By the finish I had nothing left. God gave me this race.”

— 1991年3月24日、母国ブラジルGP で初めて優勝したレースを、後に振り返って

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発言時期: 1991年3月24日のブラジルGP について(インテルラゴス)

発言状況: F1 に来て8年目で、初めての母国での優勝でした。ギアボックスの大きなトラブルを抱えながらゴールまで走り、表彰台では疲れ切った体でトロフィーを掲げています。セナはこの勝利を神からの贈り物だと話しました。その場で取材していた記者のデビッド・トレメインが、のちにこの言葉を振り返っています。

出典: F1 の公式サイト(デビッド・トレメインの回想)

ホンダと日本への言葉

ホンダの人たちが覚えているセナの言葉には、アクセルペダルの踏み込みがわずか2mm足りないことを言い当てた言葉や、エンジンが壊れた次のレースで、あいさつより先にその原因を聞いた言葉があります。日本については、日本でのレースはいつも胸が熱くなると、鈴鹿で報道陣に話しています。ホンダとセナの関係は、ロータス・ホンダの1987年から、マクラーレン・ホンダの1992年まで続きました。1988年の日本GP で初めての王座を決めた後には、アイルトン・セナと本田宗一郎さんがサーキットで固い握手を交わしています。本田さんが1991年8月5日に84歳で亡くなると、直後のハンガリーGP では、ホンダのドライバーが黒い腕章を巻いて走り、セナは勝利を本田さんに捧げました。本田さんは、セナについて「F1グランプリでセナほど私を楽しませてくれたドライバーはいない」と語っています。

17「ありがとう、でもいいんだ。悪いから」

“Thank you, but it’s too much trouble for you.”

— 1987年、アメリカのホテルで、荷物を持とうとしたホンダの広報の小倉茂徳さんに

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発言時期: 1987年(ロータス・ホンダの1年目)

発言状況: ホンダの F1 チームの広報を請け負う会社にいた小倉茂徳さんの思い出です。空港からのタクシーで大きな荷物をたくさん抱えて着いたセナに「ひとつ荷物持ってあげるよ」と声をかけると、こう返ってきました。ブラジルでは大スターなのに、会ってみると偉ぶるところがなく、まったく飾り気のない、ごく普通の人だったそうです。

出典: ホンダの公式サイト「愛すべき、素顔のアイルトン」

18「スロットルペダルが全開になってない」

“The throttle pedal is not fully open”

— ホンダのデータエンジニアだった田辺豊治さんに

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発言時期: ホンダのエンジンで走った1987年から1992年の間

発言状況: 1986年の後半からデータエンジニアとして F1 の現場に立った田辺豊治さんの思い出です。セナがこう言い出し、測ってみるとペダルの踏み込みが2mmほど足りませんでした。「セナ足」と呼ばれるセナのアクセルの使い方のデータを初めて見た時も、センサーがおかしいと大騒ぎになりましたが、調べると、データのとおりにセナが自分でアクセルを動かしていたそうです。田辺さんは、セナの言ってくることは本当に正確で、嘘がなかったと話しています。

出典: ホンダの公式サイト「セナに鍛えられたHondaF1エンジン」

19「あのエンジンはどうだったんだ? 何が悪かったんだ? どうするんだ?」

“How was that engine? What went wrong? What are you going to do about it?”

— ホンダのエンジンが壊れた次のレースで、あいさつより先に田辺豊治さんに

20「日本でのレースは、僕にとっていつも胸が熱くなる。日本の人たちは僕に特別に温かくて、鈴鹿に着いた時から、たくさん応援して、僕の一歩一歩を追いかけてくれるんだ」

“Racing in Japan is always an emotional experience, for me, since the Japanese people is specially warm towards me, cheering a lot and following every step I take since my arrival at Suzuka”

— 1993年、鈴鹿の日本GP で、フリー走行(予選に向けた練習走行)を前に報道陣に

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発言時期: 1993年の日本GP(マクラーレンで走った最後の鈴鹿)

発言状況: 鈴鹿は、セナが3度の王座をすべて決めた場所です。翌年のウィリアムズ行きがすでに決まっていたこのレースで、セナは2番手からスタートして1コーナーで首位に立ち、通算40勝目を挙げました。

出典: アイルトン・セナの公式サイト(2021年10月22日)

人生と夢についての名言

アイルトン・セナは、レースを人生に重ね、走ることで自分を知ろうとしていました。1991年8月には、日本の作家の落合信彦さんのインタビューに1時間半にわたって答え、チャンスや挫折についての言葉を残しています。日本で「この世に生を受けたこと、それ自体が最大のチャンス」として広まっている名言は、このインタビューの言葉です。日本語で伝わっている言葉で、もとの英語やポルトガル語の文は見つかっていません。1993年には、ホンダの F1 の総監督を務めた桜井淑敏さんの問いに、人生でつらいことが起きる意味を語りました。

21「大事なのは、自分らしくいること。人に違う自分を求められても、それに乱されないこと。自分らしくいなきゃいけない」

“The main thing is to be yourself and not allow people to disturb you to be different because they want you to be different. You gotta be yourself.”

22「レースを通して、僕は自分のことをどんどん知っていく。…それは僕にとって訓練になり、生き方になった。次の日を、自分にとってのよりよい日を目指す生き方に」

“Not only because through racing I get to know myself better and better. … It has become an exercise for me and a way of living and aiming for the following day and for a better day for myself.”

— 1991年6月2日、カナダGP の後、モントリオールの研究所で、スポーツ心理学の研究者のインタビューに答えて

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発言時期: 1991年6月2日(カナダGP の決勝の日)

発言状況: 聞き手は、モントリオールでドライバーの体と心を研究していたジャック・ダレール博士たちです。レースを続けさせるのは挑戦や競争、楽しさやスピードなのかと聞かれて、それだけではないと答えた言葉です。自分を知るのは仕事のためだけでなく、人としてよくなるためだとも話しています。自分がどこで強く、どこで弱いかを確かめることだそうです。

23「皆平等にチャンスは与えられている。この世に生を受けたということ、それ自体が最大のチャンスだろう」

— 1991年8月、ハンガリーGP の前にサーキットで、作家の落合信彦さんのインタビューに答えて

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発言時期: 1991年8月(ハンガリーGP の直前・31歳)

発言状況: セナは裕福な家に生まれ、4歳で父からカートを買ってもらっています。チャンスをまったく与えられない者も多いではないか、という落合さんの問いに、「それは違う」と答えたのがこの言葉です。続けて「すべてこの世に生まれてきた者は、神からそれなりの能力と肉体的力、そして生きる目的を与えられている」と話しました。

24「挫折や悲しみがあるからこそ幸せも感じられるのだ。挫折や苦難なしの人生など退屈きわまりないものではないか」

— 1991年8月、同じ落合信彦さんのインタビューで

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発言時期: 1991年8月(ハンガリーGP の直前)

発言状況: この言葉の後には「ごまかしの道を拒否して真剣に生きてる者なら誰しも挫折を感じるはずだ」と続き、「自分の考えや信条を持たず、困難や挫折から目をそらし、毎日をいいかげんに生きている人間ほど哀れなものはない」とも言い切っています。インタビューの途中、セナは「若い私がこんなことを言うのは生意気だろうか」と口にしたそうです。

25「いちばん難しいのは、なぜ良くないことが自分の人生に起きるのかを理解することだ。…そして1年後か10年後に、その出来事が少し違って見えてくることがある。良いことではなかったけれど、たぶん必要なことだったのだと」

“The main difficulty is to understand sometimes why something not so good happens in our life, … And sometimes later, a year or 10 years, that situation may come around and show [itself] a little bit different. That was not such a good thing, but that was perhaps a necessary thing.”

— 1993年のモナコで、ホンダの F1 の総監督を務めた桜井淑敏さんのインタビューに答えて

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発言時期: 1993年(モナコGP の時)

発言状況: この言葉の後には、友だちや家族を失うとつらく、なぜ自分にこんなことが起きるのかと思う、人の心は小さくて理解できない、と続きます。桜井さんが1987年・1988年・1990年・1993年に聞いたセナの話は、亡くなった後にセガが出したソフトに、3時間ほどの声として収められました。日本の名言サイトにある「なぜ人生には不幸なことが起きるのか」は、この時の言葉と中身が同じです。

26「生きるなら、思い切り、とても強烈に生きたい。病気やけがに苦しみながら中途半端に生きるのは、絶対に嫌だ。もし事故で命を落とすことがあるなら、一瞬であってほしい」

“I want to live fully, very intensely. I would never want to live partially, suffering from illness or injury. If I ever happen to have an accident that eventually costs my life, I hope it happens in one instant.”

— 1994年の初めに、自分の将来について

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発言時期: 1994年の初め(ウィリアムズに移った年)

発言状況: マクラーレンでの6年を終え、ウィリアムズへ移った年の初めの言葉です。日本の名言集では「生きるならば、完全な、そして強烈な人生を送りたい」と訳されています。この年の5月1日、セナはイモラのサンマリノGP で亡くなりました。

出典: F1 の公式サイト「殿堂入りドライバー アイルトン・セナ」

アイルトン・セナの最後の言葉(1994年5月1日のイモラ)

アイルトン・セナの最後の言葉として知られるのは、1994年のサンマリノGP の週末に、走りながら無線でプロストへ送った「みんな、君がいなくて寂しいよ、アラン」という呼びかけです。この年、ウィリアムズに移ったセナとチームは、ブラジルと日本の開幕2戦がうまくいかないまま、ヨーロッパで最初のレースのイモラに入りました。4月29日の金曜日には、同じブラジル出身の若いルーベンス・バリチェロが大きな事故に遭い、30日の土曜日の予選ではローランド・ラッツェンバーガーが亡くなっています。そして5月1日の決勝で、首位を走っていたセナはタンブレロと呼ばれる高速のコーナーで壁にぶつかり、34歳で亡くなりました。

27「事故の多いシーズンになるだろう。あえて言うけれど、本当に深刻なことが起きなければ運がいい」

“It’s going to be a season with lots of accidents and I’ll risk saying we’ll be lucky if something really serious doesn’t happen”

— 1994年シーズンの初めに、ブラジルの新聞に

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発言時期: 1994年シーズンの初め

発言状況: この年から、コンピューターで車体の動きを整えるアクティブ・サスペンションなど、ドライバーを助ける電子制御の多くが禁止されました。セナはこの新しい決まりに不満を持ち、「クルマはとても速く、運転するのが難しい」とも話していました。亡くなった翌日、アメリカの通信社がこの言葉を伝えています。

28「僕たちのシーズンは、ここイモラから始まる」

“Our season starts here, in Imola”

— 1994年のサンマリノGP で、BBC のテレビで、マレー・ウォーカーのインタビューに

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発言時期: 1994年のサンマリノGP の時

発言状況: ウィリアムズでマーケティングの責任者だったリチャード・ウェストさんが、のちに思い出して語ったセナの言葉です。開幕の2戦で、チームが取れたポイントは6点だけでした。イモラはヨーロッパで最初のレースで、チームは木曜日にイモラに入り、たくさんの招待客を迎える準備をしていました。

29「シド、僕たちにはどうにもできないことがある。やめることはできない。続けなければならないんだ」

“Sid, there are certain things over which we have no control. I cannot quit, I have to go on.”

— 1994年4月30日、予選でラッツェンバーガーが亡くなった後、F1 の医師シド・ワトキンスに

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発言時期: 1994年4月30日(決勝の前日)

発言状況: ラッツェンバーガーの事故の後、セナはコースの係の車で現場に駆けつけました。ワトキンスは、取り乱したセナに「明日のレースはやめたらどうだ。いっそ全部やめてしまえ。3度も世界王者になったんだ。やめて釣りに行こう」と声をかけました。セナがこう答えたことを、ワトキンスはのちに著書『Life at the Limit』に書いています。日本で「僕たちには制御し切れないものがある。辞められない。進むしかないんだ」と訳されているのも、この時の言葉です。

30「親愛なる、僕たちの親愛なる友、フランスにいるアランに、特別なあいさつを。みんな、君がいなくて寂しいよ、アラン」

“A special hello to my dear – our dear – friend Alain in France. We all miss you, Alain.”

— 1994年、サンマリノGP の週末に、テレビの解説でイモラに来ていたアラン・プロストへ、走りながら無線で

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発言時期: 1994年のサンマリノGP の週末

発言状況: プロストは1993年限りで引退し、この年はフランスのテレビの解説の仕事でイモラに来ていました。セナの呼びかけは、そのフランスのテレビの中継に向けて、走りながら送ったものと伝えられています。かつてマクラーレンで組み、激しく争ったふたりの仲は、プロストの引退の後によくなっていました。この呼びかけを5月1日の決勝の朝の練習走行(ウォームアップ)の時のものとする記事もありますが、どの日の走行だったかは伝えるものによって違います。プロスト本人は、この呼びかけを「彼の最後のメッセージ」と呼んでいます。

よくある質問(Q&A)

Q1. アイルトン・セナの最後の言葉は?

1994年のサンマリノGP の週末、テレビの解説でイモラに来ていた元ライバルのアラン・プロストに、走りながら無線で送った「みんな、君がいなくて寂しいよ、アラン」という呼びかけです。英語では「We all miss you, Alain.」と言っています。決勝の前日の4月30日には、予選でラッツェンバーガーが亡くなった後、医師のシド・ワトキンスに「やめることはできない。続けなければならないんだ」と答えていました。

Q2. 「2位は敗者の中の1位」は英語で何と言った?

セナの公式サイトでは、英語で「The second is nothing more than the first of losers.」、ポルトガル語で「O segundo nada mais é do que o primeiro dos perdedores.」と書かれています。日本の名言サイトで見かける英語の「Being second is to be the first of the ones who lose.」は、公式サイトの形とは違います。いつ、どこで言った言葉かは、公式サイトにも書かれていません。

Q3. 「神を見た」は本当に言った?どこで?

セナ本人が、後にそう語っています。1988年10月30日、鈴鹿の日本GP で初めての王座を決めた後、ゴールしてピットへゆっくり戻る途中に、コース脇で神を見たという話です。初めてのタイトルを決めた時のブラジルのテレビのインタビューでは、「このタイトルをくれたのは神だ」と話しています。日本で言われる「スプーンカーブで」という場所は、当時の記録では確かめられません。

Q4. 本田宗一郎さんとはどんな関係だった?

1988年の日本GP で初めての王座を決めた後、セナと本田宗一郎さんはサーキットで固い握手を交わしました。本田さんが1991年8月に亡くなると、直後のハンガリーGP でセナは黒い腕章を巻いて走り、勝利を本田さんに捧げています。本田さんは、セナについて「F1グランプリでセナほど私を楽しませてくれたドライバーはいない」と語っています。ふたりが交わした言葉は、ホンダの公式サイトにも残っていません。

Q5. 恐怖について何と言った?

セナは「恐怖は、僕を惹きつける(Fear fascinates me.)」と語っています。「恐怖は人生の一部だ」とも言い、恐怖を自分の身を守るための気持ちとして受け止めると話しています。日本の名言サイトで見かける「恐怖は自分をワクワクさせる」とは、言い方が少し違います。

Q6. 名言の原文(英語)はどこで読める?

セナの公式サイト(senna.com)には、励ましの言葉10個を英語とポルトガル語で並べたページがあります。マクラーレンの公式サイトには『Life lessons from Ayrton Senna』として5つの言葉が、F1 の公式サイトの殿堂のページには1994年の初めに語った言葉が英語で載っています。


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