ジョージ・マロリーの名言20選!「そこに山があるから」の英語の原文と本当の意味
「なぜエベレストに登りたかったのか」と聞かれ、「Because it's there」と答えた登山家ジョージ・マロリー。「そこに山があるから」の名言の山は、誰も登っていなかったエベレストです。勝ち目は50に1つでも挑んだジョージ・マロリーの名言は、挑む理由を考える支えになります。
Writer
公式ライター Activel編集部
「なぜエベレストに登りたかったのか」と聞かれたイギリスの登山家ジョージ・マロリーは、「そこにあるからだ(Because it’s there.)」と答えました。日本では「そこに山があるから」として知られるジョージ・マロリーの名言ですが、ここでいう山は、まだ誰も頂上に立っていなかったエベレストのことです。3度エベレストへ向かい、1924年に消息を絶つまで、マロリーはどんな思いで山に挑んでいたのでしょうか。妻ルースへの手紙や、マロリー自身が書き残した登山の文から、たどっていきましょう。
ジョージ・マロリーのプロフィール
ジョージ・マロリーは、1920年代にエベレストに3度挑んだイギリスの登山家です。本業は学校の先生で、夏のアルプスで腕をみがいてきました。1924年6月、仲間のアンドリュー・アーヴィンと頂上を目指したまま帰らず、2人が頂上に着いたかどうかは今も分かっていません。
基本プロフィール
マロリーは、イギリスの北西部、チェシャー州の村で牧師の家に生まれました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | ジョージ・マロリー |
| 本名 | George Herbert Leigh Mallory |
| 生年月日 | 1886年6月18日 |
| 出身 | イギリス・チェシャー州モバリー |
| 学校 | ケンブリッジ大学モードリン・カレッジ |
| 仕事 | チャーターハウス校の先生 |
| 家族 | 妻ルース・子ども3人 |
| エベレストの遠征 | 1921年・1922年・1924年 |
| 消息を絶った日 | 1924年6月8日(37歳) |
山に登り始めたのは、寄宿制のウィンチェスター・カレッジに通っていた18歳の頃で、先生のアーヴィングがアルプスへ連れて行ってくれました。ケンブリッジ大学では歴史を学び、1910年からは男子校のチャーターハウス校で教えていました。1914年にルースと結婚し、第一次世界大戦では砲兵としてフランスの戦場にも出ています。
イギリスの学校の先生から3度のエベレストの遠征へ、1924年に消息を絶つまでの歩み

マロリーが初めてエベレストに向かったのは、学校の先生を辞めた1921年のことです。最初の遠征は、まだ誰も近づいたことのなかったエベレストへの道を探す旅でした。マロリーはこの遠征で、ノースコルまで登る道を見つけています。ノースコルは、エベレストと隣の山の間のくぼんだ所で、頂上へ続く尾根の入り口にあたります。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1886年 | イギリスのモバリーで生まれる |
| 1904年 | アルプスで登山を始める |
| 1911年 | モンブランに登る |
| 1914年 | ルースと結婚 |
| 1921年 | 1度目のエベレストの遠征 |
| 1922年 | 2度目の遠征・約8,200mまで登る |
| 1923年 | アメリカで講演・新聞の取材 |
| 1924年 | 3度目の遠征・6月8日に消息を絶つ |
| 1999年 | 標高約8,160mで遺体が見つかる |
1922年の遠征では、酸素を使わずに約8,200mまで登りましたが、その後の雪崩で荷を運んでいたポーター7人が亡くなっています。翌1923年、講演でアメリカを回っていた時にニューヨーク・タイムズの取材を受け、のちに日本で「そこに山があるから」として広まる「Because it’s there.」の答えを残しました。1924年6月8日、マロリーはアーヴィンと頂上を目指して、いちばん高いキャンプを出ています。昼すぎ、下にいた仲間のノエル・オデールが2人の姿を見たのを最後に、2人は戻りませんでした。75年後の1999年5月、調査隊がマロリーの遺体を発見しましたが、頂上に着いたことを示すものは見つかっていません。
座右の銘
マロリーが座右の銘として挙げた言葉は、本人の手紙や著作、1923年の取材の記事には見当たりません。山に挑む考え方がよく表れているのは、1918年に登山家の集まりで読み上げた文の「挑んではいけない夢などない」と、1921年の遠征の記録に書いた「私たちが守る原則の中で、何より大切なのは助け合いだ」の2つです。挑むことを何より大事にしながら、仲間の命を守ることも重く見ていたマロリーの姿が、この2つの言葉から伝わってきます。
ジョージ・マロリーの名言20選と「そこに山があるから」の本当の意味
ジョージ・マロリーの名言には、「そこに山があるから」のほかにも、挑むことの意味を語った言葉や、エベレストを初めて見た時の驚き、仲間の命を預かる重さ、遠く離れた妻ルースへの思いを書いた言葉があります。どれも、新聞の取材への本人の答えや、登山の文と手紙に本人が書き残した言葉で、山へ向かう時の迷いや覚悟まで、そのまま伝わってきます。一方、日本の名言サイトでマロリーの言葉として見かける「人生における最大の危険は、冒険しないことだ」は、本人の手紙や著作、1923年の取材の記事には見当たりません。
「そこに山があるから」は誰の言葉か(1923年のニューヨーク・タイムズ)
「そこに山があるから」は、イギリスの登山家ジョージ・マロリーの名言です。1923年3月18日のニューヨーク・タイムズの記事は、記者の「なぜエベレストに登りたかったのか」という問いで始まります。1924年にもう一度挑むつもりだったマロリーが、くり返し頂上を目指す理由として答えたのが「Because it’s there.」でした。日本で「なぜ山に登るのか」の問いとして知られるやりとりは、このニューヨーク・タイムズの記事が出どころです。記事は、ニューヨーク・タイムズが公開している当時の紙面で今も読めます。同じ記事でマロリーは、科学の調査のためではないのかという問いにも答え、山に挑む理由をもう少し詳しく語っています。
01「そこにあるからだ」
“Because it’s there.”
— 1923年3月、ニューヨーク・タイムズの取材で、エベレストに登る理由を聞かれて
02「科学は、探検の口実になることはあっても、理由になることはめったにないと思う」
“Sometimes science is the excuse for exploration. I think it is rarely the reason.”
— 1923年3月、同じ取材で、遠征の科学の成果について聞かれて
03「エベレストは世界でいちばん高い山で、まだ誰も頂上に立っていない。その山があること自体が、挑戦なのだ。その答えは本能的なもので、宇宙を征服したいという人の願いの一部なのだと思う」
“Everest is the highest mountain in the world, and no man has reached its summit. Its existence is a challenge. The answer is instinctive, a part, I suppose, of man’s desire to conquer the universe.”
— 1923年3月、同じ取材で、科学の話に続けて
「山」が指していたエベレストと、誤訳と言われる理由
記者の問いは「なぜエベレストに登りたかったのか」だったので、「Because it’s there.」の it は、山全般ではなくエベレストを指しています。原文に沿って訳すと「そこにエベレストがあるから」に近くなります。マロリーは続けて、世界でいちばん高く、まだ誰も頂上に立っていない山があること自体が挑戦なのだとも話しています。
- 記者の問い: 「なぜエベレストに登りたかったのか」(Why did you want to climb Mount Everest?)
- マロリーの答え: 「そこにあるからだ」(Because it’s there.)
- 日本で広まった形: 「そこに山があるから」
日本では「そこに山があるから」の名言として広まり、登山をする人が山に登る理由を聞かれた時の答えとしても使われてきました。朝日新聞の記者だった本多勝一は、2005年に週刊誌に書き、翌年の著書『「日本百名山」と日本人』に収めた文で、この訳を世紀の大誤訳のひとつに挙げました。本多勝一が誤訳だとしたのも、記者が聞いたのが山全般ではなく、まだ誰も登っていなかったエベレストのことだったからです。
アルプスに登っていた若い頃の言葉
マロリーは学生の頃から、夏になるとアルプスで登っていました。1911年8月、学生時代の先生のアーヴィングたちとモンブランに登った日のことを、マロリーは文に書き、1918年3月にイギリスの登山家の集まりであるアルパイン・クラブで読み上げました。その文は会の雑誌『Alpine Journal』に載っています。マロリーはその文で、頂上に立って手にしたのは成功ではなく、自分自身に勝ったという思いだったと記しています。
04「征服し、成し遂げなければならない。頂上に立つのだ。目指す先を知ってこそ、そこまで行けると信じられる。挑んではいけない夢などないと知るために」
“One must conquer, achieve: get to the top; one must know the end to be convinced that one can win the end—to know there’s no dream that mustn’t be dared.”
— 1911年8月のモンブランの登山を書いた文で(1918年3月)
05「私たちは敵を打ち負かしたのか? 自分自身のほかに、敵はいない。成功を手にしたのか? その言葉は、ここでは何の意味もない」
“Have we vanquished an enemy? None but ourselves. Have we gained success? That word means nothing here.”
— 1911年8月、モンブランの頂上に立った時のことを書いた文で(1918年3月)
06「挑むことと、理解すること。挑まずに理解することは決してない。それが掟なのだ」
“To struggle and to understand—never this last without the other; such is the law.”
— 1911年8月、モンブランの頂上に立った時のことを書いた文で(1918年3月)
1921年・1922年のエベレストの遠征の言葉
1921年、エベレストへの道を探す最初の遠征で、マロリーは初めて見たエベレストを、世界のあごから突き出た白い牙にたとえました。頂上へ続く尾根を前にしながらも、強い風の中では危険を冒さずに引き返す道を選び、その判断を遠征の記録の本に書き残しています。頂上を目指した1922年には、出発の前の晩に妻ルースへ手紙を書き、雪崩でポーター7人を失った後には、その死を自分の過ちだと受け止めました。
07「それは、世界のあごから突き出た、途方もなく大きな白い牙だった」
“It was a prodigious white fang excrescent from the jaw of the world.”
— 1921年6月、初めてエベレストを見た朝のことを書いた遠征の記録で
08「この山にどれほど心を奪われているか、どれほど胸が躍るか、とても書ききれない。それに、何もかもが美しい!」
“I can’t tell you how it possesses me and what a prospect it is. And the beauty of it all!”
— 1921年6月28日、エベレストのふもとの最初のベースキャンプから妻ルースへの手紙で
09「間違った危険を冒すのは、悪い意味での英雄気取りだ」
“it would be bad heroics to take wrong risks”
— 1921年9月、強い風のノースコルで引き返した時のことを書いた遠征の記録で
10「登山の挑戦は、正気と確かな判断を保ったまま、冒険であり続けられる。そして私たちが守る原則の中で、何より大切なのは助け合いだ」
“A mountaineering enterprise may keep sanity and sound judgment and remain an adventure. And of all principles by which we hold the first is that of mutual help.”
— 1921年の遠征の記録で、次の遠征で頂上を目指す時の考えとして
11「いとしい人、分かっていてほしい。僕を全力に駆り立てるのは、きみなんだ。何度でも、きみなんだ。気持ちが沈んだ時も、自信をなくした時も、ひどく疲れきった時も、何よりきみにふさわしい人でいたいと思う」
“Dearest one, you must know that the spur to do my best is you and you again – in moments of depression or lack of confidence or overwhelming fatigue I want more than anything to prove worthy of you.”
— 1922年5月17日、初めて頂上を目指す前の晩に、第3キャンプから妻ルースへの手紙で
12「あとは、すべてが神々のひざの上、運しだいだ。そのひざは、むき出しで冷たいけれど」
“Well it’s all on the knees of the gods and they are bare cold knees.”
— 1922年5月17日、同じ手紙で
13「ロープで結ばれた一行は、より固く結びつく。一人ひとりの意志が合わさって、もっと強いひとつの意志になる」
“a roped party is more closely united; the separate wills of individuals are joined into a stronger common will.”
— 1922年5月21日、いちばん高いキャンプを出る前にロープを結んだ時のことを書いた遠征の記録で
14「この人たちの身を守ること以上に、果たしたかった務めはない。それなのに今、僕の過ちで、7人が命を落としてしまった」
“There is no obligation I have so much wanted to honour as that of taking care of these men; … and now through my fault seven of them have been killed.”
— 1922年6月9日、雪崩でポーター7人が亡くなった後、妻ルースへの手紙で
15「山に登る魅力の半分は、登る前に思い描く姿から生まれる。謎めいていて、遠く、近づけない姿から」
“half the charm of climbing mountains is born in visions preceding this experience—visions of what is mysterious, remote, inaccessible.”
— 1922年の遠征の記録の本『Mount Everest: The Assault, 1922』の、マロリーの章の書き出しで
1924年、最後の遠征と妻ルースへの手紙
1924年、マロリーは3度目のエベレストの遠征に出ました。チベットを進む道中から頂上を目指す直前までに妻ルースへ書いた手紙には、頂上への自信と、天気や体への不安の両方が書かれています。頂上を目指す前の日に仲間へ送った最後のメモは、短いものでした。こんろが斜面を転がり落ちたことをわび、置き忘れたコンパスを頼み、結びに天気のよさを書き添えています。
16「この計画で、僕が頂上に立てないとは、ほとんど考えられない。負けて下りてくる自分の姿が、思い浮かばないんだ」
“It is almost unthinkable with this plan that I shan’t get to the top; I can’t see myself coming down defeated.”
— 1924年4月、チベットのチブルンから妻ルースへの手紙で
17「モンスーンのことも、ベースキャンプから頂上までに起こりうる百もの失敗のことも、忘れてはいない。戦いに向けて力はみなぎっているが、ありったけの力が要ることも分かっている」
“I don’t forget meanwhile that there’s the old monsoon to be reckoned with, and a hundred possible slips between the B.C. and the summit. I feel strong for the battle but I know every ounce of strength will be wanted.”
— 1924年5月、第2キャンプから妻ルースへの手紙で
18「あさって、また登り始める。このキャンプから頂上まで、あと6日だ!」
“We shall be going up again the day after tomorrow – Six days to the top from this camp!”
— 1924年5月27日、第1キャンプから妻ルースへの最後の手紙で
19「勝ち目は50に1つだ。それでも、もうひと勝負して、立派にやってのけるつもりだ」
“It is 50 to 1 against us but we’ll have a whack yet & do ourselves proud.”
— 1924年5月27日、妻ルースへの最後の手紙の結びで
20「この仕事には、申し分のない天気だ!」
“Perfect weather for the job!”
— 1924年6月7日、頂上を目指す前の日に、最後のキャンプから仲間のオデールに送ったメモで
よくある質問(Q&A)
商品やサービスを紹介いたします記事の内容は、必ずしもそれらの効能・効果を保証するものではございません。
商品やサービスのご購入・ご利用に関して、当メディア運営者は一切の責任を負いません。