武豊の名言100選!ディープインパクトを語る言葉と面白いコメント
競馬の騎手、武豊の名言には「負けた数のほうがはるかに多い」という言葉があります。名馬ディープインパクトを語る言葉や面白いコメント、負けた翌日の日記の言葉まで、武豊の名言100選は、うまくいかなかった日に笑いと元気をくれます。
Writer
公式ライター Activel編集部
「38歳の自分よりうまいジョッキーになることが一番の目標です」。競馬の騎手、武豊が39歳になる年の元日に、自分の公式サイトの日記に書いた言葉です。それから18年たった2026年、57歳で宝塚記念を連覇して「ようやくピークが来ました。遅咲きでした」と話しました。「負けた数のほうがはるかに多い」と語る武豊の名言には、負けた翌日に書いた言葉も、名馬ディープインパクトの背中で感じた言葉も、思わず吹き出す一言もあります。うまくいかなかった日に読むと、笑いと一緒に、もう一度やってみる気持ちがわいてきます。
武豊のプロフィール
武豊は競馬の騎手で、1987年にデビューし、2026年で40年目を迎えました。日本ダービーを6回、菊花賞を6回勝っており、57歳になった2026年にも宝塚記念と菊花賞を制しました。それでも、挑み続けているフランスの凱旋門賞はまだ勝っていません。
基本プロフィール
JRA(日本中央競馬会)の数字は、2026年10月26日現在のものです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 武豊(たけ ゆたか) |
| 生年月日 | 1969年3月15日 |
| 出身 | 京都府 |
| 身長・体重 | 170cm・50kg |
| 所属 | 栗東(滋賀県にある JRA の拠点) |
| デビュー | 1987年3月1日 |
| JRA通算 | 4688勝 |
| JRAのG1 | 87勝 |
| 日本ダービー | 6勝 |
| 菊花賞 | 6勝 |
生い立ち:騎手の父に憧れ、10歳ごろ馬に乗り始めた少年時代
武豊が一番憧れたのは、騎手で後に調教師になった父の武邦彦さんです。1979年に滋賀県の栗東トレーニングセンターで乗馬を始め、1984年に JRA 競馬学校へ入りました。
1987年のデビューから通算5000勝まで、40年の歩み
1987年3月1日に阪神競馬場でデビューし、翌1988年にスーパークリークの菊花賞で JRA の G1 を初めて勝ちました。1990年にはオグリキャップの引退レースになった有馬記念を制し、1998年にスペシャルウィークで子どもの頃からの夢だった日本ダービーを初めて勝ちます。2000年からアメリカ、2001年からフランスを拠点に騎乗し、2005年にはディープインパクトで無敗の三冠を達成しました。
2010年の落馬のけがの後は成績が伸び悩みましたが、2013年にキズナで日本ダービーを勝ちます。本人が「救世主」と呼ぶ1頭です。2018年に JRA 通算4000勝を達成し、2022年にドウデュースで6度目のダービーを制し、2026年7月には地方と海外を合わせた通算5000勝に届きました。
座右の銘は「八風不動」?本人が「口癖」と書いた言葉
武豊の座右の銘は「八風不動」だという話がありますが、本人が語った記録は見つかりませんでした。もとをたどると、2013年ごろのテレビ番組を見たという個人のブログに行き着きます。本人の公式サイトの日記にも、この語は出てきません。
一方で、本人が「口癖」と書いた言葉ははっきり残っています。2018年に JRA 通算4000勝を達成した時の本人の日記にある、「いまの自分よりも明日はもっとうまくなっていたい」です。2008年の「38歳の自分よりうまいジョッキーに」、3500勝の時の「昨日の僕より上手に」と、言い方を少しずつ変えながら何度も口にしています。
武豊の名言100選
武豊の名言集や語録でよく見る言葉のほかに、武豊がインタビューで語った言葉や、公式サイトの日記に書いた言葉があります。負けた翌日の日記には、悔しさと気持ちの切り替え方がそのまま出ています。笑いたい時は、最後の18選からどうぞ。
「38歳の自分よりうまく」騎手という仕事を語る名言
武豊は2008年の日記に、「数字での目標は立てないことにしました」と残しています。40年近く続ける理由を聞かれた時に出てくるのは、もっと上手くなりたいという話と、騎手という仕事が好きだという話です。
01「ボク自身は、何勝したいとか、数字での目標は立てないことにしました。3月には39歳になりますが、38歳の自分よりうまいジョッキーになることが一番の目標です。」
— 2008年元日、本人の公式サイトの日記で
02「せっかく騎手になったんだから、もっともっと上手くなりたい。そう思い続けて30年という感じです。」
— 2016年、JRA競馬学校のサイトのインタビューで。出典: 騎手に迫る
03「だって、騎手だけなんですよ、馬といっしょにゴールできるのは。あれは本当に騎手だけの特権です。」
— 同じインタビューで
04「騎手はステッキ1本持っていればどこへ行ってもやれる仕事。」
— JRA競馬学校のサイトのインタビューで。出典: 世界での戦い
05「長く留守にしていたら日本の騎乗馬がいなくなるかも、みたいな後ろ向きの考え方では何もできないですよ。」
— 同じインタビューで、海外で騎乗する若い騎手に向けて
06「馬の個性をつかんで、いい面を引き出してあげることです。」
— 2025年10月、中山馬主協会のサイトの対談で、騎手とはどんな仕事かと聞かれて
07「ジョッキーの仕事というのは、やっていることは目に見えないことの方が多いのに、結果だけはその逆で、誰の目にも明らかになってしまう。」
— 2023年3月、中山馬主協会のサイトのインタビューで
08「馬のちょっとしたことに気づいてあげられるか。馬がどう感じているか感じ取ることができるか……そういう、気づいたり、感じたり、ひらめいたりという部分に優れた騎手が、いい騎手と呼ばれるんだと思います。」
— 同じインタビューで
09「好きな仕事をしているので、特に意識したことがないですね。きょうは乗りたくないと思ったことはありません。毎日、楽しいですよ(笑)。」
— 2025年10月、中山馬主協会のサイトの対談で、デビューから39年たった今のモチベーションを聞かれて
10「キャリアを重ねるほど、勝ちたいと思うレースが増えていくのですから、ボクは本当に幸せ者です。」
— 2016年6月、本人の日記で、米国・英国・函館と騎乗した2週間を振り返って
11「口さがない仲間たちは、『60歳になっても、ユタカさんが騎手をやめている姿が想像できない』とも言っていたそうで、実はボク自身も騎手じゃない武豊を想像できずにいます。」
— 2017年7月、本人の日記で
12「たとえ18番人気の馬でも乗っていたいのがダービーで、この大一番に楽しみがある馬が待っていてくれる幸せというのはジョッキーならではの感情なのかもしれません。」
— 2023年5月、本人の日記で、ファントムシーフの騎乗を頼まれて迎えたダービーの週に
13「わかっているつもりなのですが、ハナとかアタマとかの競り合いになったらなりふり構わず追ってしまう。頭より先に体が動いてしまうのがジョッキーなんですよね。」
— 2009年8月、本人の日記で、ムチを使い過ぎる反則の話から
14「ファンのみなさんに、馬券が当たってもハズレても『いいレースを見られたなあ』と思ってもらえるレースをしないといけないですね。」
— デビュー30周年のころ、JRA-VAN の対談で
15「武豊を超える騎手は出て来ると思うし、出て来て欲しいです。」
— 2023年3月、中山馬主協会のサイトのインタビューで
16「乗れば乗るほど競馬は難しいと思うけど、乗れば乗るほど競馬は楽しいし、面白いと思う。これって、何なんでしょうね。」
「負けた数のほうがはるかに多い」勝負と負けの名言
18頭立てのレースなら、17人の騎手が負けます。第一人者の武豊も負けるレースのほうがずっと多く、日記には悔しさがそのまま残っています。ところが同じ日記の中で、「立ち直りが早いのもボクの取り柄のひとつ」と気持ちを切り替える日もあります。
17「勝利の方程式をつかんだ?道を究めた?そんなこと思ったことはない。デビュー以来3500勝したけれど、出走回数は1万7000回以上。勝率にしたら2割に満たない。負けた数のほうがはるかに多い。昨日の僕より上手に乗れるようになっていたい」
— 2013年1月、JRA通算3500勝を達成して
18「競馬は結果が全て。結果を競っているのであり、努力を競っているわけではない」
— 2018年、JRA通算4000勝を達成した時に新聞が選んだ名言ベスト10で1位になった言葉
19「雑音を消す方法はたった一つだけ。レースで勝つしかない。成功したらどうしようと考えているが、失敗することは全然考えてない」
— 不振を心配する周囲の声に
20「それは毎週です。うまく行くことの方が、少ない世界ですから。でも、競馬って、たま~~~に、すごくイイことがあるんです。」
— 2025年10月、中山馬主協会のサイトの対談で、うまくいかない日もあるのではと聞かれて。出典: 藤原菜々花のWe♡horses
21「ゲートが開いたら、前に進むしかないんです。」
— 2025年10月、同じ対談の続きで
22「でも悔しい思いができるのも、自分がそこに参加しているからこそです。」
— JRA競馬学校のサイトのインタビューで、凱旋門賞に挑み続ける話の中で
23「それは、そうですよ。失敗したことをやめていけばいいんですから。」
— 2023年3月、中山馬主協会のサイトのインタビューで、今18歳でデビューしても4400勝できるかと聞かれて「もっと勝つでしょう」と答えた後に
24「勝ったことがある、なしに関わらず、G1はいつでも勝ちたいんです。ほかのみんなだってそうでしょう。だからこそ勝ちにくいのがG1で、レースの価値も高いわけです。記録はあとからついてくるもの。」
— 2005年3月、本人の日記で、高松宮記念を初めて勝った後に
25「やるだけのことをやって負けたのならまだしも、なにもできなかった、させてもらえなかった悔しさというのは、初めてと言っていい経験だったかもしれません。でも、もう大丈夫。立ち直りが早いのもボクの取り柄のひとつだと思っていますから。」
— 2012年4月、本人の日記で、スマートファルコンの海外遠征から帰国して
26「ひとつ言えるのは、勝った側は成功した戦法を変える気にはなれないのに対して、負けた側は変える勇気が簡単に出せる強みがあるということ。」
— 2018年3月、本人の日記で、弥生賞にジャンダルムで出て3着に終わって
27「必ずドラマがあるのがダービーという競馬。誰もが勝ちたいレースだからこそ、勝つことは本当に難しいのです。目的を達成できた騎手だけが眺められる景色というのも確かにあり、福永君の感激はよくわかります。」
— 2018年5月、本人の日記で、福永祐一騎手が初めてダービーを勝った年に
28「手が届きそうなところに見える“夢の凱旋門賞”ですが、最後の扉の重さは格別のものがあります。ボク自身の手でこじ開けたいという気持ちが、心の中でたぎっています。」
— 2017年10月、本人の日記で
29「フランスのメディアの質問に『勝たなきゃ(騎手を)辞められません』と言ったのは、巧みな誘導に口走ってしまった感がありましたが、いま考えてもそれは本心でした。来年も、挑戦に相応しい素晴らしい馬に巡り合って、凱旋門賞に行きたいと思っています。」
— 2026年10月、本人の日記で、メイショウタバルで凱旋門賞に挑戦した後に
30「18頭立てだったら17頭が負けるわけですからね。1回負けたくらいでくよくよしてたら、騎手は向いてませんよ。」
31「負けは負け。その圧倒的に多い負けをムダにしないで教訓にできる人が、他の人よりもちょっと勝てるんじゃないかな」
32「勝利で得た一番は自信かな。それは自分のしてきたことが間違いではなかったという自信」
「飛んでいるような感じ」武豊がディープインパクトを語る名言
武豊とディープインパクトの話は、デビュー戦の翌週から始まります。頼まれてもいないのに「覚えておいてください」と言い、最後の有馬記念の後は「夢ではなく実在した」と語りました。訃報の翌日の日記には、「空を飛ぶような走りはボクしか知りません」と残しています。
33「来年の楽しみな一頭を挙げるとしたら、先週デビューしたディープインパクトです。覚えておいてください」
— 2004年12月、海外通算100勝のインタビューの終わりに、聞かれていないのに
34「この馬に出会えて本当によかった。素晴らしい馬です。走っているというより、飛んでいるような感じでした」
— 2005年4月、皐月賞のレースの後に
35「ディープインパクトならきっとやってくれるとは思っていても、現実に追い出したときにギュンギュン伸びてくれたときの気持ちはずっと忘れないと思います。感動しながら馬を追ったのは初めての経験でした。」
— 2005年5月29日、日本ダービーの日の本人の日記で
36「人の心に訴えるものを持った馬ですよね。だからこの馬の走りを見せたいという気持ちが強いし、その半面、神経質になってしまう部分もあるんです」
— 2005年、ダービーの翌週のインタビューで
37「見ている人が、それだけでスカッとした気持ちになれるというのは、彼が正真正銘の名馬であり英雄だからです。でも、一番気持ちよかったのは、乗っていたボク。」
— 2005年9月、本人の日記で
38「こんなときこそ、ボクが力になってあの馬の戦跡にキズがつかないようにしてやれなかったのかと、それだけが悔いとして残ります。ジョッキーとしての力不足を感じた、ブルーなクリスマスでした。」
— 2005年12月26日、本人の日記で、有馬記念で初めて敗れた翌日に
39「海外というのは、人が馬を連れて行くのではなく、馬が人を連れて行ってくれるものだから」
— 2006年、天皇賞・春を勝った後に
40「馬場や展開は思っていた通りでしたし、ディープの力を100%引き出せていたら、決して負けることはなかったと思うのです。本当に悔しいです。勝ちたかったです。」
— 2006年10月、本人の日記で、フランスの凱旋門賞の後に
41「ぼくは今でもこの馬が世界で一番強いと思っています」
— 2006年12月、最後のレースの有馬記念を勝った後に
42「お披露目のために、地下道で再びディープにまたがったとき、彼は『もう一回レースをするの?』とうれしそうな顔をしたような気がします。それほど、走ることが大好きな馬だったと思います。」
— 2006年12月24日、本人の日記で、日が落ちてからの引退式のことを
43「こういう馬がどこかにいるはずだと思っていたら、本当にいた。夢ではなく実在したのだから、またこういう馬に出会えるかもしれない。それがディープの仔だといいですね」
— 2006年、有馬記念の後に
44「ボクにとって、本当に特別な馬。種牡馬になってからの突き抜けた実績は誰もが知るところですが、空を飛ぶような走りはボクしか知りません。ただただ、ありがとうの気持ちを伝えました。」
— 2019年7月31日、本人の日記で、ディープインパクトの訃報の翌日に
45「どっちも強くて、普通なら負けない馬でしたけど、“負けるとしたら、あの馬だろうな”という、お互いがそう思う馬でしたね。」
— 2023年3月、中山馬主協会のサイトのインタビューで、ディープインパクトとサイレンススズカが走ったらどちらが勝つかと聞かれて
オグリキャップ・サイレンススズカ・スペシャルウィークを語る名言
デビュー4年目の武豊がオグリキャップに乗り、17万人の前で勝ったのが1990年の有馬記念です。武豊がサイレンススズカを語る時は、今も悔しさがにじみます。初めてのダービーをくれたスペシャルウィークは、本人にとって「忘れられない馬」です。
46「今になってみると、オグリキャップですね。とんでもない人気馬でしたから。」
— 2025年10月、中山馬主協会のサイトの対談で、ターニングポイントになった馬を聞かれて
47「ポケットで、ちょっと肩ムチを入れたんですけど、その時にフッと出た独り言を、当時は騎手だった松永幹夫さんが聞いていたという。まあ、馬に言っても念仏だったかも。」
— 同じ対談で、1990年の有馬記念の前に馬へ話しかけたという話を聞かれて
48「ぼくもあのとき一度だけなんですが、ゴールした瞬間に鳥肌が立ちました。」
— デビュー30周年のころ、JRA-VAN の対談で、1990年の有馬記念を振り返って
49「状態は今までで一番良かった。これほど、自信を持ってレースに臨んだこともなかった。悪夢としかいえない。もう、競走馬としては無理かもしれないが、せめて…」
— 1998年、天皇賞・秋でサイレンススズカが故障した直後に
50「印象深いという意味で、可能性を考えるとサイレンススズカです。もしかしたら、もっと強くなれた思うし、すごい馬だったという思いはずっとあります。一緒に(4歳以降も)海外のレースに行きたかったという思いは、すごく残っていますね」
— 2025年のイベントで、ディープインパクト以外で一番強いと思った馬を聞かれて
51「多くの騎手仲間が、デビューが決まると目標のレースにダービーを挙げますが、自分にとってはデビューの何年も前、幼い頃からダービーを勝ちたいと考えていたし、実際、公言していました」
— 2022年の連載のインタビューで
52「子どもの頃からの夢だったので、やっと叶ってうれしいです」
— 1998年、スペシャルウィークで日本ダービーを初めて勝った後のインタビューで
53「ボクに初めてのダービーをプレゼントしてくれた忘れられない馬です。あの馬のデビュー前の追い切りにまたがらせてもらったときに感じた、『きっと、こういう馬がダービー馬になるんだろう』という感覚はいまでも忘れられません。」
— 2018年5月、本人の日記で、スペシャルウィークの訃報を受けて
ハルウララに乗った日の武豊のコメント
ハルウララは高知競馬で105連敗を続け、全国の人気者になった馬です。2004年3月22日、武豊はこの馬に乗って10着に終わり、レースの後にもう1周走りました。ハルウララと武豊の組み合わせで競馬場がにぎわったこの日のコメントには、笑いとやさしさが混ざっています。
54「疲れました(笑)まさかこれほど注目されるとは思いませんでした。」
— 2004年3月22日、レース後の共同記者会見で
55「この馬を見に、大勢の人が集まってくれたので、レース後もう1周走りました。」
— 同じ会見で
56「ハルウララは細くて小さくて可愛い馬。乗り心地もそんなに悪くないけどスタートして何秒かで終わりましたね。全く走らないわけではない。ちょっと脚が遅いだけ」
— 2004年3月、ハルウララに騎乗して10着に終わって
ウオッカからドウデュース、メイショウタバルまで名馬を語る名言
初めてのダービーの後も、武豊には相棒と呼べる馬が次々に現れます。長い写真判定の間の気持ちも、けがの自分を待ってくれた陣営への感謝も、言葉に残っています。デビューから40年近くたっても、ドウデュースの走りには「人間がどんな馬か決めつけちゃいけない」と話しています。
57「今回ほど、負けたくないと思ったことはありませんでした。」
— 2008年11月、本人の日記で、ウオッカの長い写真判定を待った時のことを
58「本当にうれしい勝利で、しばらくはキタサンブラックに足を向けては寝られません。」
— 2016年5月、本人の日記で、春の天皇賞を勝って
59「悔いの残らないよう、キタサンブラックの走りをさせることだけを考えていた」
— 2017年12月、キタサンブラックの最後のレースの有馬記念を勝って
60「怪我をしたあと成績が伸び悩んでいた時期に現れた、ボクにとっては救世主みたいな馬で、あのダービーがなければいまジョッキーでいられたかどうかもわかりません。」
— 2025年5月、本人の日記で、キズナの銅像の除幕式に参列して
61「ボク自身がケガ明けで、有馬記念に間に合うかどうかさえ微妙な感じだったんですが、それでも代わりの騎手を探すでもなく、黙って待っていてくれた陣営の心意気に支えられました。」
— 2023年12月、本人の日記で、ドウデュースで有馬記念を勝って
62「そういう馬に出会うたびに、人間がどんな馬か決めつけちゃいけないなと思います。」
— 2025年10月、中山馬主協会のサイトの対談で、天皇賞・秋で最後の600mを32秒5で走ったドウデュースの話から
63「その人に『競馬場の景色、ファンの歓声、熱量。野球場ではなかなか感じられないものがありました。そして武さんの走り、シビレました』と言ってもらえたのですから、これは騎手冥利、いやホースマン冥利に尽きる出来事でした。」
— 2024年11月、本人の日記で、ドウデュースのジャパンカップの表彰式で
64「レース直後のインタビューでボクの口から出た『人がつないでくれた馬の縁、そして馬がつないでくれた人の縁』というのは我ながらいい言葉で、ここで改めて強調させてもらいます。」
— 2025年6月、本人の日記で、メイショウタバルで宝塚記念を勝って。長年世話になってきたオーナーと、子どもの頃から慕ってきた石橋守調教師の馬でした
「蹴られたボクが悪い」けがから戻る時の名言
騎手は大きなけがと隣り合わせの仕事で、武豊も骨折や落馬を何度も経験しています。それなのに報告の日記は妙に明るく、馬に蹴られた日でさえ、悪いのは自分だと言い切ります。
65「こういう危ない目に遭うこともあるのが騎手という仕事の宿命で、正直言って気をつけようがないとも言えるのですが、痛ましい事故はみんなの努力で減らさなければなりません。」
— 2008年11月、本人の日記で、右手の尺骨を骨折した落馬の後に
66「本当に残念です。が、元々、100%の騎乗ができる自信が持てないのであれば、それでも乗るというのはファンの皆さんにも関係者の皆さんにも失礼になります。ダービーだから乗る、と言うのはまさにわがままでしかありません。」
— 2010年5月、本人の日記で、ダービーの騎乗を断念して
67「弟(武幸四郎調教師)から声をかけてもらって、桜花賞6着のゴールドチャリスの追い切りに乗せてもらいましたが、やっぱり馬の上は気持ちがいいですね。」
— 2021年4月、本人の日記で、右足甲の骨折からおよそ1か月ぶりに調教に乗って
68「仕事中のアクシデントですから、長いこと騎手をやっていたらこういうこともあります。馬だって初めての競馬を経験して、怖い思いもしてきたのでしょう。彼らは危険を感じたときには走るか蹴るかの二択ですから、これは蹴られたボクが悪い。」
— 2023年10月、本人の日記で、レース後に馬に蹴られて太ももを痛めて
69「早く復帰することだけを考えていました。ケガしてから何もしなかった日はないですね。ありとあらゆることをやってきました」
— 2023年12月13日、48日ぶりの復帰を前に
70「不思議なことに、怪我をしても『もう競馬は嫌だ』なんてまったく思わなくて、毎日『早く乗りたい』って思うんです」
父と弟、先輩たちを語る名言
武豊の言葉には、父の武邦彦さんをはじめ、弟や兄弟子、人生の師と仰いだ人の話がよく出てきます。苦しい時に人からもらった「マジメに一生懸命やっていればいい」のような言葉も、日記に書き残しています。
71「一番、憧れたのは、やっぱり父ですね。」
— 2025年10月、中山馬主協会のサイトの対談で、騎手になりたいと思ったきっかけを聞かれて
72「力が入ります、と言うと『その力が余分なんや』とたしなめてくれる人がいます。父親です。騎手時代はもちろん、調教師となってからも一度も力んだところを人に見せなかったのが武邦彦という人で、唯一の越えられない存在だと思っています。」
— 2009年4月、本人の日記で
73「弟の勝利を父が珍しく涙を流して喜んでいるシーンを見たら、悔しいとは思えなくなりました。」
— 2013年10月、本人の日記で、秋華賞で弟の幸四郎騎手に敗れて
74「特に心に残っているのは、仕事で結果が出ず、苦しい時期に相談させていただいたときにいただいたお答えでした。『マジメに一生懸命やっていればいい。堂々としていればいい。それだけだ』と。本当に救われました。」
— 2024年3月、本人の日記で、人生の師と仰いだ伊集院静さんのお別れの会の週に
75「やめたらなにをするんですか?と聞いてみたときの答えが、『これからはゆっくり飲めるな』だったのも河内流。肩の力を絶妙に抜いた生き方は、これからもボクのお手本です。」
— 2025年3月、本人の日記で、兄弟子の河内洋調教師の勇退に寄せて
76「あの輝くような笑顔で『常にファンのことを考えて、プレー、そして行動しなきゃいけないよ』と、何度も激励をしていただいたのはボクの財産で、そこはいまも大事にさせていただいています。」
— 2025年11月、本人の日記で、長嶋茂雄さんのお別れの会に出て
3000勝から通算5000勝まで、節目の名言
大きな数字に届いた日でも、武豊の言葉は次の1勝に向いています。49歳で「次の目標は5000勝」と話した人は、40年目の2026年に地方と海外を合わせて5000勝に届いても、まだ先を見ています。途中で、イチローさんの通算安打数を超えることを目標に決めた言葉もあります。
77「次の表彰は4000勝でしょうか。その日を、何歳で、どんな状況で迎えられるのか、あるいは迎えられないのかわかりませんが、これからの1000勝の持つ意味はこれまで以上に重そうな気がしています。」
— 2007年11月、本人の日記で、通算3000勝を達成して
78「『いまの自分よりも明日はもっとうまくなっていたい』と、口癖のように言ってきたフレーズは、本心だからこそ。49歳になってからの進化はプロスポーツではあり得ないでしょうが、ボクは至って大真面目です。」
— 2018年10月、本人の日記で、JRA通算4000勝を達成して
79「やることはこれからも変わりません。もっともっと実力を付けて勝ち続けていきたい。次の目標は5000勝です」
— 2018年11月、4000勝の記念イベントの前のインタビューで
80「イチローさんの通算安打数は4367。同じ時期をともにスポーツ界に身を置いて歩んできたのですから、比べるものがあれば幸せなことですし、重ねたいと思います。通算勝利数で、イチローさんを超えることを近い目標にすることとしました。」
— 2019年3月、本人の日記で、東京ドームでイチロー選手の最後の試合を見て
81「5,000勝は、40年という長い年月、たくさんの馬と関係者の皆さん、そしていつも応援してくださるファンの皆さんのおかげで積み重ねることができた重い数字ですが、ご縁を感じる組み合わせでの達成に父も祖父も喜んでくれていると思います。ありがとうございました。」
— 2026年7月、本人の日記で、父の故郷の函館で通算5000勝に届いて
82「強い馬に乗っているし、それだけ長いことやっているということ。ディープの孫で勝つというのも、競馬の奥深さを感じた」
— 2026年10月25日、ゴーイントゥスカイで菊花賞単独トップの6勝目を挙げて
武豊の面白い名言・迷言18選
勝利のインタビューでも、やじを飛ばされた時でも、面白い言葉はふいに出てきます。武豊の面白いコメントは、身長が縮んだ話でも、イチローさんに勘定が回る話でも、自分を笑いの種にします。本人は「シビアな世界だし、多少のユーモアがあった方がいいかな~」と話しています。
83「にんじんは馬が食べるもの」
— にんじん嫌いを問われて
84「アナタからお金は借りた覚えはありません」
— レースの後、ファンから「金返せ」とやじられて
85「競輪は大好きだけど、居心地がいいのは競馬場。競馬場はお金をもらえるところで、競輪場はお金を使うところですから」
— 2013年、立川競輪場を訪れて
86「僕が“こうしろう”と言うことはない」
— デビュー直前の弟の幸四郎さんへのアドバイスを聞かれて
87「“いつも勝ってくれてありがとうな。お礼に奇麗なお姉さんのいる店に飲みに連れていったろか”と声に出して感謝したら周りが笑ってた。馬の耳に念仏ですけど…」
— ディープインパクトの馬上で
88「年齢による衰えを感じる瞬間は……個人的には、お酒に弱くなったことくらい(笑)。」
— 2016年、JRA競馬学校のサイトのインタビューで
89「引退式は時間があったので初めていっぱい触って、キスをしました。ディープキスです(笑)」
— 2019年12月、テレビ番組の収録でディープインパクトの思い出を聞かれて
90「鼻差のときは、ウイニングランはしない方がいいということですね(笑)。」
— 2023年3月、中山馬主協会のサイトのインタビューで、スペシャルウィークの有馬記念を振り返って
91「人間は年を取ると引力に負けて縮むものと聞いていますが、まだ36歳ですからそれはないですよね。最近では最もショッキングな事件でしたが、公称は引き続き170センチで行かせてもらいます。来年は戻っているかもしれませんから。」
— 2005年3月、本人の日記で、健康診断で身長が168.6センチだったと分かって
92「ボクのほうが年上なのですが、ご飯をご一緒させてもらったときには、いつもイチローさんに勘定が回ってしまいます。貫禄が違う、ということなんでしょうね。」
— 2012年7月、本人の日記で、イチロー選手のヤンキース移籍を受けて
93「ジャンプ界のレジェンド、45歳の葛西選手の『4年後にまたメダルを取る』という発言が話題になっていますが、ボクは違和感なく受け止めました。だって、4年後でもまだ49歳。」
— 2018年2月、本人の日記で
94「松島オーナーと、ドウデュースの子でダービーを狙う約束をしましたから、60歳になってもジョッキーを続けているのも確定です(笑)。」
— 2025年1月、本人の日記で、ドウデュースが年度代表馬に選ばれた JRA 賞の授賞式の後に
95「もちろん、ボク自身がダービー7勝目を待望しているのは事実ですが、毎年やるのはどうかなあという気もします。まあ、来年は8本立てられるように頑張りましょうか。」
— 2026年5月、本人の日記で、ダービー前の取材で去年に続いて指を7本立てるポーズを頼まれて
96「ようやくピークが来ました。遅咲きでした」
— 2026年6月14日、57歳で宝塚記念を連覇して
97「ちょっと空気読まなくて申し訳ない気持ちはあるんですけど」
— 2026年10月25日、菊花賞を勝ち、ロブチェンの三冠を阻んだ後のインタビューで
98「この世界は縦社会なので(笑)冗談ですよ」
— 2025年12月25日、有馬記念の枠順の抽選会で、逃げると宣言した若手騎手の馬と先頭争いになったらどうするかを聞かれて
99「まあ、関西のオッサンなんですよ(笑)。シビアな世界だし、多少のユーモアがあった方がいいかな~とは思っています。」
— 2025年10月、中山馬主協会のサイトの対談で、ジョークの話を聞かれて
100「パドックは見せ場やな。白馬のおじ様や」
— 2022年、天皇賞・春で白毛馬のハヤヤッコに騎乗が決まって
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