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小川智大の名言60選!座右の銘と五輪落選、ミスの後の次の1本を語る言葉

小川智大の名言60選!座右の銘と五輪落選、ミスの後の次の1本を語る言葉

バレーボール日本代表のリベロ小川智大は、東京とパリの五輪で代表から落ち、パリでは落選を聞いて号泣した選手です。「成功につなげられれば、すべての道のりは成功に変わる」をはじめ、ミスの後の次の1本を語る小川智大の名言は、失敗を引きずる人の背中を押してくれます。

2026.11.07 | バレーボール

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公式ライター
Activel編集部

小川智大は、男子バレーボール日本代表のリベロです。守備専門のリベロには、ミスを自分の得点で取り返す手段がありません。東京とパリの五輪で代表から外れ、パリの落選では、伝えられたその場で号泣しました。それでも練習を手伝うサポートメンバーとしてパリへ行き、今はロス五輪を見据えてポーランドで戦っています。小川智大の名言を読むと、ミスの直後に頭の中で何を考え、落選の後に何を選んだのかが、本人の言葉で分かります。失敗を引きずっている時に読むと、次の1本へ向かうヒントになります。

小川智大のプロフィール

小川智大は、身長176cmながら世界のスパイクを受けてきたリベロです。Vリーグのベストリベロ賞を3度受け、2020-21シーズンにはサーブレシーブ成功率の日本記録を作りました。

基本プロフィール

2026年11月時点の所属は、この年に移ったポーランドのクラブです。

項目 内容
名前 小川智大(おがわ ともひろ)
生年月日 1996年7月4日
出身 神奈川県
身長 176cm
ポジション リベロ
所属 ボグダンカ・LUK・ルブリン(ポーランド)
出身校 川崎市立橘高校・明治大学
日本代表 2021年に初選出

生い立ち:泣きながらレシーブを覚えた少年がリベロになるまで

バレーボールを始めたのは小学3年です。入ったクラブはとても厳しく、平日も夕方5時から夜9時までの練習があり、本人によると、1年のうち250日は泣いていました。この頃に体に刻んだレシーブの形が、のちのリベロの土台になります。

それまではスパイカーでしたが、中学3年の全国大会、JOCジュニアオリンピックカップでリベロに変わりました。身長と、高校から高くなるネットを考えると、上の世界で戦うならリベロしかないと自分で判断したのです。

2012年、15歳で受けた川崎市立橘高校の入学試験の面接では、「プロのバレーボール選手になります」と言い切りました。面接官を務めたのは、たまたま当時のバレー部監督でした。

明治大学からルブリンまでの歩み

小川智大の歩みの年表(小学3年でバレーを始めてから、リベロ転向、明治大学、東京とパリの五輪落選、ルブリン移籍まで)

川崎市立橘高校から明治大学に進み、1年の時は、同じリベロで主将の瀧野頼太の背中を見て過ごしました。2年でスタメンに定着し、4年では主将を務めています。2019年に豊田合成トレフェルサ(今のウルフドッグス名古屋)へ入り、2022-23シーズンにはVリーグ優勝も経験しています。

日本代表には2021年に初めて選ばれましたが、リベロの枠が1つになる五輪では、東京もパリもメンバーから外れました。パリにはサポートメンバーとして同行しています。その後はジェイテクトSTINGS愛知とサントリーサンバーズ大阪で1シーズンずつ戦い、2026年にポーランドのルブリンへ渡りました。同じ年の9月には日本がアジア選手権で優勝し、ロス五輪の出場権を手にしています。

座右の銘

小川智大の座右の銘は、「I never lose I either win or learn」です。2026年のネーションズリーグの選手紹介で、好きな言葉・座右の銘を聞かれて挙げました。日本語にすると「僕は負けない。勝つか、学ぶかだ」という意味です(Activel編集部の訳)。

小川はパリ五輪の落選の後、「成功につなげられれば、すべての道のりは成功に変わる」と話しています。負けても学びに変えるという座右の銘と、同じ考え方です。もとの英語の文はネルソン・マンデラの言葉として紹介されていますが、いつどこで話したかは確かめられません。

小川智大の名言60選

小川智大の名言には、「次の1本」と「自分のため」がくり返し出てきます。小川がインタビューや試合後のコメントで話してきたのは、きれいごとではありません。ミスの直後に頭の中で何を考えているか、落選の後になぜパリへ行ったかを、かなり正直に話しています。小川智大の言葉は、まずミスの話から読んでみてください。

ミスの後の1本についての名言

小川智大の名言の中で、この人らしさが一番出るのがミスをした直後の話です。怒りも言い訳も、次の1本を拾うために使います。言葉の中のディグは、相手のスパイクを受けるレシーブのことです。

01「僕は、桁違いに“ミスをした後の次の1本が強い”。そこの切り替えのスピードがめちゃくちゃ早い。」

— 2026年7月のインタビューで

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発言時期: 2026年7月

発言状況: レシーブをミスした時の自分を説明した言葉です。アタッカーが「小川、どんまい!次次!」と寄ってきても、手で制して離れてもらうと続けています。

02「『絶対に、2本連続でレシーブミスはしないぞ』っていうことだけを胸に誓って構えて。」

— 2026年7月のインタビューで、ミスの直後に考えていることを聞かれて

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発言時期: 2026年7月

発言状況: この言葉に続けて、これまでのキャリアで、ミスの次の1本までミスをしなかった確率は90%以上だと話しています。

03「『次も思いっきり俺のところに打ってこいよ!』と強気に、すべての怒りを次のサーブレシーブやディグへのエネルギーに変えることが一番大事だと思っている。」

— 2026年7月のインタビューで、ミスの後の感情について

04「コートの中の逆境を、自分のエネルギーに変えるエゴの力が、リベロには絶対に必要な能力だと感じている」

— 2026年7月のインタビューで

05「『今のサーブは相手の打球のブレ方が尋常ではなかったから、世界中の誰がレシーブに入っても絶対に上げられない球だった。だから今の失点は俺のせいじゃない、相手が凄すぎただけだ』なんて、頭の中で瞬時に言い訳を作って処理する。これもメンタルを維持するためには本当に大事なこと」

— 2026年7月のインタビューで、サーブで直接得点を取られた時について

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発言時期: 2026年7月

発言状況: 言い訳といっても、口に出すわけではありません。自分の心を立て直すために、頭の中だけでしていることです。

06「リベロの信用っていうのは、『口じゃなくて、“次の1本のディグの結果”だけで示すもんだ』と思っている」

— 2026年7月のインタビューで

07「バレーって失敗が許されないスポーツなんですよ。サッカーや野球って、点数を決めたらヒーローじゃないですか?でも、バレーは決めるのは当たり前。」

— 2025年8月のインタビューで、バレーの面白さを聞かれて

リベロという仕事についての名言

リベロは、自分で点を取れないポジションです。小川智大はそこから話を始め、リベロに向いている性格や、相手の頭の中を読む楽しさまで語っています。

08「リベロに必要な能力は絶対的な“メンタルの強さ”と、圧倒的な“我慢強さ”なんです」

— 2026年7月のインタビューで

09「だけど、リベロには、“自分で直接点数を取ってミスを帳消しにする”という選択肢が、構造上コートの中に“一切存在しない”。」

— 2026年7月のインタビューで、アタッカーと比べて

10「僕個人の持論としては、『リベロをやる人間は、“自己中心的”な性格の方が絶対にいい。』と思っている。どこかで“頭のネジが1本ぶっ飛んでいないとトップでやっていけない”」

— 2026年7月のインタビューで

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発言時期: 2026年7月

発言状況: ミスの直後に「もう終わったことだからしょうがない」と瞬時に思えるかどうかは、努力だけでなく性格にもよると話した後の言葉です。

11「ラリー中であれば、相手のトスが離れた時に、ブロックを飛ぶのか飛ばないのか、すごく迷うところ。その判断のコールをするのがリベロなんです」

— 2026年7月のインタビューで、コートの後ろからの指示について

12「相手が“この瞬間に何を考えているのか”っていうのを、ずっと頭の中で考えるのが楽しいですね。」

— 2025年8月のインタビューで、バレーの面白さを聞かれて

13「たとえば、“この前は、サーブをここに打ってきた”と覚えておいて、計算する。そこで“俺がこう動いたのを見ているはずだから、こっちの選択肢を選ぶかな”って予測が当たった時とか、“気持ちいい瞬間だな”って感じられますね」

— 2025年8月のインタビューで

14「声はプレーの質を上げる1つだと思っているので、どんどんどんどん喋って、間違っててもいいから喋ってというのは心がけています」

— 2025年7月、ネーションズリーグのドイツ戦の後に

15「全てのプレーにおいて思い切ってやる、自分らしさをしっかり出すことをチャレンジと言っています」

— 2025年7月、ネーションズリーグのドイツ戦の後に

東京とパリ、2度の五輪落選についての名言

小川智大が落選をどう受け止めたかは、東京とパリでまったく違います。五輪のリベロの枠は1つだけで、小川は同じ日本代表の山本智大と争ってきました。パリ五輪の落選で号泣した後はサポートメンバーとして現地へ行き、チームとは別行動でホテルと練習場を往復しながら、西田有志のサーブを受けました。現地へ行った理由も、本人は飾らずに話しています。

16「漏れても、選ばれても、メダルを取れても取れなくても、進んだ自分の道のキャリアになる。それが少しでもいい方向に向けば、という気持ちでやっている。胸を張って終われるキャリアにしたいんです」

— 2026年7月のインタビューで

17「東京五輪の時は、本命はパリだと思っていたので落選もケロッとしていた。むしろ福澤さんたち落選した選手たちを気遣う余裕もあった」

— 2026年7月のインタビューで、東京五輪の落選を振り返って(福澤さんは元日本代表の福澤達哉)

18「プレーも良かったし、自分を出し切れていた。だからかな?泣いたんです。落選を伝えられたその場で泣いたのは、自分でも驚いた。自分でも信じられないくらい号泣した。まさか涙が出るとは自分でも思っていなかったから」

— 2026年7月のインタビューで、パリ五輪の落選を振り返って

19「大人になってから人前で泣くことはほとんどないですが、パリ五輪の代表に落選した時は泣きました。“人の想い”って面白くて……助けにもなるんですけど、叶わなかった時は、とてもきつい。」

— 2025年8月のインタビューで

20「6、7年ぐらい前からずっと目指していた場所だったから、『落ちたから次』というふうには簡単には考えられない。」

— 2025年6月、日本代表の記者会見で、パリ五輪の落選を振り返って

21「バレーに対してブレることはない。マイナスを考えるのが好きじゃない。良いことを考えたい。ここで頑張ればまた次どこかでチャンスが来る、と」

— 2026年7月のインタビューで、2度の落選の後の気持ちについて

22「“行っとかないともったいない”って考えました」

— 2025年8月のインタビューで、サポートメンバーとしてパリへ行った理由について

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発言時期: 2025年8月

発言状況: 落選の直後は、すぐに次の五輪を目標にはできなかったそうです。もし今後また目指すことになるなら、今パリを見ておかないと損だと考えました。現地では、同じサポートメンバーのエバデダン・ラリーと一緒に動いていました。

23「物事は捉え方次第だと思っています。」

— 2025年8月のインタビューで、落選してもパリへ行った理由について

24「自分のためになるならなんでもやる。“成功につなげられれば、すべての道のりは成功に変わる”から。目指していたメダルを目の前で見たいというエゴでもありました。五輪は小さいころから夢見ていたもの。壮大すぎたが、いざ現地で見るとより近いものになった。イメージがついたんです」

— 2026年7月のインタビューで、パリへの同行を断らなかった理由について

25「自分にとって、プラスになることが最優先でした。」

— 2025年8月のインタビューで、チームのためという見方を聞かれて

26「今はもう、明確に『ロスを目指そう』という気持ちになっています」

— 2025年6月、日本代表の記者会見で

27「落ちたことを切り替えて、次のロス五輪でメンバーに入れたら、パリの想いも含めていろいろとつながるはずです」

— 2025年8月のインタビューで

世界と戦う日本についての名言

身長176cmのリベロが世界のスパイクを受けて気づいたのは、体の大きさで守備は決まらないということでした。日本がどう勝つかについても、はっきりした考えを持っています。

28「“世界相手でも、身体が小さくたってレシーブは完璧に通用するんだ”っていう絶対的な自信を持てるようになった。“相手のコースを読むインテリジェンス”があれば、世界トップの球だって何の問題もなく正面で拾える」

— 2026年7月のインタビューで

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発言時期: 2026年7月

発言状況: 日本人はフィジカルがないからレシーブで世界にパワー負けする、とネガティブに言われた時期があったそうです。実際に代表で世界のトップと試合をすると「普通に全部拾えるじゃん!」と思った、と話した後の言葉です。

29「細かい技術は、圧倒的に日本人はうまいんです」

— 2025年8月のインタビューで、世界のトップと比べて

30「ただ、強く見えるけど、折れるのも速い。そこで怯まずに、“我慢していたらミスが出るはず”って耐え抜くことで、日本人は勝つしかない」

— 2025年8月のインタビューで、世界のトップチームについて

31「イラン以外のアジアチームが僕らに勝つには、サーブを打つしかない。サーブを打つ以外に、僕らに勝つ手段はないと思っています」

— 2026年9月、アジア選手権のインド戦の後に

32「データにないコースであっても、まずはどっしりと構え、止まって見てから動けば反応できる」

— 2026年9月、アジア選手権で、情報の少ない相手のサーブについて

33「気持ちが勝手に乗っかって、緊張もなく“やるしかない”という状態になっているはずです」

— 2025年8月のインタビューで、世界選手権の決勝ラウンドを見据えて

移籍とポーランド挑戦についての名言

小川智大は2024年から3年続けて新しいチームを選び、そのたびに理由を言葉にしてきました。ポーランドのルブリンには髙橋藍も加わりました。小川はこの移籍を、ロス五輪のための決断だと言い切っています。

34「新しい環境でプレーすることにより、選手としての価値を高められるのではないかと考え、STINGSに移籍しました。環境を変えたことにより、プレー面でストレスを感じることも増えましたが、それすらも自分自身の成長につながっていたと思います。」

— 2025年5月、ジェイテクトSTINGS愛知を退団する時のコメント

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発言時期: 2025年5月8日

発言状況: 5月31日の契約満了で退団することをクラブが発表した日のコメントです。準優勝に終わったリーグの直後でした。

出典: ジェイテクトSTINGS愛知の発表

35「これからも挑戦し続けます。そして、自分の選んだ道が正しかったと言える努力をしていきます。」

— 2025年5月、ジェイテクトSTINGS愛知を退団する時のコメント

36「国内に限らず海外の選択肢もあった中で、難しい決断だったんですけど、自分にとってベストなチームを選びたかった。」

— 2025年6月、サントリーサンバーズ大阪への移籍について

37「年間を通して毎日“いろんなポーランドのトップ選手の球質”をリアルに体感して経験したいと思ったんです。」

— 2026年7月のインタビューで、ポーランドへ移る理由について

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発言時期: 2026年7月

発言状況: 球質は、スパイクやサーブの重さ、変化のことです。ロス五輪にスタメンで出るには、海外の重い球に慣れるのが今一番やるべきことだと話した後の言葉です。

38「味方の世界最高峰のアタッカーたちのサーブやスパイクを毎日レシーブで受けられる。それはリベロとしては、想像しただけで『すごく楽しいな!』って思える。間違いなくロスを見据えての決断です」

— 2026年7月のインタビューで、ポーランドへ移る理由について

39「僕がポーランドのチームに行ったら、周りの選手から『あ、こいつ、小柄なのにヤバいリベロが日本から来たな!』とは絶対に言われると思う。」

— 2026年7月のインタビューで

40「あまり実感が湧かないです。自分が思ってた30歳とは違うなと思いますけど、自分らしく頑張ります」

— 2026年7月4日、30歳の誕生日に、日本代表の沖縄合宿で

髙橋藍や山本智大ら仲間についての名言

小川智大は、仲間を褒める時も遠慮がありません。同じリベロの山本智大にはライバルとして敬意を示し、髙橋藍のレシーブは世界一だと言い切ります。その一方で、自分も負けないと付け足すのが小川らしいところです。

41「僕はリベロなので、そもそもディフェンスでは誰にも負けたくないと思っているし、6番のディフェンスも得意なんだけど、藍は目がいいし、ボールの予測、動きが速いからとにかく上手い。世界一だと思っています。」

— 2025年1月、髙橋藍との対談で(6番は後衛の中央の守備位置)

42「レシーブが上手い人の動きを見て『どうやって上げているんだろう』と考えて、実践するのが自分のプラスにもなるから。」

— 2025年1月、髙橋藍との対談で

43「でも僕は勝ちたいので、勝ちます。」

— 2025年1月、当時の所属チームが髙橋藍のいるサントリーと戦う前の対談で

44「3本打たれたら1本は拾わないと(笑)。」

— 2025年1月、髙橋藍との対談で、次の対戦について

45「智(山本)さんは全然ミスをしないし、僕もミスをしない。お互いにリスペクトしている。」

— 2026年9月、アジア選手権で、自分と山本智大の2人を使い分ける起用について聞かれて

46「宮浦様が全部決めてくれるので、自信を持って上げています。本当に感謝しています。」

— 2025年6月、ネーションズリーグで、レシーブが乱れた時に自分が上げるトスについて(宮浦健人はジェイテクトでも一緒だった日本代表の選手)

47「まあ僕は、祐希さんのサーブも藍のサーブも返しています」

— 2026年9月、アジア選手権のインド戦の後に、隣で取材を受ける石川祐希を見ながら

石川祐希やほかのバレー選手の言葉は、バレーボールの名言20選で読めます。

小学生から大学までの名言

泣き虫だった小学生の頃の話から、主将としてチームをまとめた大学4年まで、小川智大の言葉は今と同じように率直です。15歳の面接の一言にも、後輩をからかう対談の言葉にも、負けず嫌いなところが出ています。

48「小学校時代の環境がすべて。なかったら今はないはず」

— 2025年8月のインタビューで、小学校のクラブを振り返って

49「メンバーを外されては涙を流して、『キャプテンとして終わっているよ』と言われては、また泣いていました(苦笑)。“これだけやっているのになんで!”って思ったし、悔しかったんだと思います」

— 2025年8月のインタビューで、小学生の頃を振り返って

50「『よく頑張ってるね』ですかね(笑)。」

— 2025年8月のインタビューで、小学生の自分が今の自分に会ったら何と言うかを聞かれて

51「プロのバレーボール選手になります。将来は海外でプレーして、日本代表として活躍したいです」

— 2012年、15歳の時に川崎市立橘高校の入学試験の面接で

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発言時期: 2012年

発言状況: 面接官だった当時の監督が、2026年の取材で振り返って明かした言葉です。海外でのプレーも日本代表も、その後すべて現実になりました。

52「“上でやるならリベロしかない”とわかっていました。」

— 2025年8月のインタビューで、中学3年でリベロに変わった時を振り返って

53「いままでやってきたことは子どものバレーだったと思い知らされた1年間でした」

— 2018年12月、明治大学の主将として、大学1年の時を振り返って

54「インカレ優勝という目標を掲げたからには過程を大事にしようと思った」

— 2018年12月、明治大学の主将として

55「個性が豊かなのは構わないので、チームのために自分は何をするべきかを考えてほしかった」

— 2018年12月、明治大学の主将として、チームメイトに求めたことについて

56「大学では“真剣にやる楽しさ”を見つけられたんです。」

— 2025年8月のインタビューで

57「やらなかったら腐るけど、やったら少し成長があるって環境で……どうやってもよかったけど、腐るのは嫌だったんです」

— 2025年8月のインタビューで、本当にバレーを楽しいと思ったのは大学3、4年の頃だと話して

58「佳朗に『負けたらバレー辞めてやる』と言ったんですよ。」

— 2018年11月、明治大学の後輩の鎌田佳朗との対談で、秋のリーグでサーブレシーブの順位を競った勝負について

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発言時期: 2018年11月

発言状況: 結果は小川が6位、鎌田が8位でした。

59「結局俺には勝てないんですよ。」

— 2018年11月、同じ対談で、鎌田佳朗に

60「リスペクトはしますけれど、試合になったら負けたくない気持ちは常に持っている」

— 2018年11月、同じ対談で、意気込みを聞かれて

よくある質問(Q&A)

Q1. 小川智大の座右の銘は?

「I never lose I either win or learn」です。2026年のネーションズリーグの選手紹介で、好きな言葉・座右の銘として挙げました。

日本語にすると「僕は負けない。勝つか、学ぶかだ」という意味です。

Q2. 「I never lose I either win or learn」は誰の言葉?

ネルソン・マンデラの言葉として紹介されていますが、マンデラがいつどこで話したかは確かめられません。

小川智大が作った言葉ではありません。小川は2026年の選手紹介で、この言葉を自分の座右の銘として挙げました。

Q3. 小川智大はミスの後どう切り替えている?

「絶対に、2本連続でレシーブミスはしないぞ」と決めて、次の1本だけを考えています。

周りが励ましに来ても、手で制して離れてもらいます。ミスの次の1本までミスをしなかった確率は、これまで90%以上だと話しています。

頭の中で「相手が凄すぎただけだ」と言い訳を作って処理することもあります。怒りは、次の1本を拾うエネルギーに変えるそうです。

Q4. 小川智大は五輪の落選についてどう話している?

東京五輪の落選は、本命はパリだと思っていたので「ケロッとしていた」と話しています。一方でパリ五輪の時は、落選を伝えられたその場で号泣し、自分でも驚いたそうです。

それでもサポートメンバーとしてパリへ行きました。理由は「自分のためになるならなんでもやる」からです。五輪を現地で見て、夢だった舞台のイメージがついたそうです。

Q5. 小川智大はなぜポーランドのルブリンへ移籍した?

海外のトップ選手の球を毎日受けるためです。小川智大はポーランドへの移籍を「間違いなくロスを見据えての決断です」と話しています。

世界最高峰のアタッカーのサーブやスパイクを毎日レシーブできるのは、リベロとして「すごく楽しいな!」と思えるとも語っています。

Q6. 小川智大は山本智大についてどう話している?

同じ日本代表のリベロとして、「お互いにリスペクトしている」と話しています。2人を使い分ける起用について聞かれた2026年9月のアジア選手権で、「智(山本)さんは全然ミスをしないし、僕もミスをしない」と話しました。

五輪のリベロの枠は1つなので、2人は代表の座を争う相手でもあります。


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