松坂大輔の名言40選!平成の怪物の語録、自信が確信に変わったイチロー戦も解説
1999年5月16日、イチローから3打席続けて三振を奪った松坂大輔の名言が「今日で自信が確信に変わった」。横浜高校の甲子園からメジャー、2026年の恩師への言葉まで、松坂大輔の名言40選を、いつ・どの場面の言葉かと一緒に読めます。
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公式ライター Activel編集部
1998年8月22日、夏の甲子園の決勝をノーヒットノーランで締めくくり、春夏連覇を決めた横浜高校の松坂大輔が、試合の後に口にしたのは「早く帰って、家の布団で寝たいです」の一言でした。流行語になった名言「リベンジ」から恩師への言葉まで、平成の怪物・松坂大輔の名言40選を、いつ・どの場面の言葉かと一緒に古い順に載せています。
松坂大輔のプロフィール
高卒1年目から3年続けて最多勝を取り、メジャーではワールドシリーズを制した松坂大輔ですが、引退会見では23年のプロ生活を「半分以上は故障との戦いだった」と振り返りました。同じ会見では「一番良い思いとどん底も同じくらい経験した選手っていうのはいないかもしれないですね」とも話していて、名言や語録はその両方の時期から生まれています。
基本プロフィールと歩み
中学3年の夏休みに入るころまで、ユニホームが好きだった帝京高校に行くつもりだった松坂大輔が、実際に進んだのは神奈川の横浜高校でした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1980年9月13日 |
| 出身地 | 東京都 |
| 身長・体重 | 182cm・92kg |
| 投打 | 右投右打 |
| 出身校 | 横浜高校 |
| プロ入り | 1998年ドラフト1位(西武) |
| 通算成績 | 日米通算170勝 |
| 今の仕事 | 報道ステーションのスポーツコメンテーター |
高校時代の最後の1年は、選抜と夏の甲子園、秋の国体まで負けなしで勝ち抜きました。プロでは日本で114勝、メジャーで56勝を挙げました。下の年表の WBC は、野球の国と地域の代表が戦うワールド・ベースボール・クラシックで、MVP は大会の最優秀選手のことです。
| 年 | 所属 | できごと |
|---|---|---|
| 1998年 | 横浜高校 | 甲子園で春夏連覇 |
| 1999年 | 西武 | 16勝で最多勝・新人王 |
| 2006年 | 西武 | 第1回 WBC で MVP |
| 2007年 | レッドソックス | ワールドシリーズ優勝 |
| 2009年 | レッドソックス | 第2回 WBC で MVP |
| 2011年 | レッドソックス | 右ひじの手術 |
| 2013年 | メッツ | マイナーを経て8月に契約 |
| 2015年 | ソフトバンク | 日本球界に復帰 |
| 2018年 | 中日 | カムバック賞 |
| 2020年 | 西武 | 14年ぶりに古巣へ |
| 2021年 | 西武 | 10月19日に引退登板 |
| 2022年 | — | スポーツキャスターに |
手術と復活をくり返したソフトバンクの3年間は、1軍で投げたのが1試合だけでした。そこから中日に移った2018年、日本では12年ぶりの勝利を挙げています。
平成の怪物と呼ばれた理由
「平成の怪物」は、1998年に横浜高校で甲子園の春夏連覇を果たし、夏の決勝をノーヒットノーランで締めくくった松坂大輔に付いた異名です。前に「怪物」と呼ばれた投手は江川卓さんで、松坂大輔は元号の付いたこの呼び名をずっと背負ってきました。
誰が最初に呼び始めたのかは、はっきりしていません。本人も2018年3月のインタビューで「誰が言い出したんですかね。調べたら分かるんですかね(笑)。」と笑い、最初は気に入っていなかったと明かしています。それでも平成の終わりが近づいたこの時には、「元号が付く人って多分そんなにいないと思うので、そういう意味ではすごく光栄なことだったんだなって思いますね。」と話していました。
座右の銘
松坂大輔の座右の銘は、横浜高校の渡辺元智監督から教わった「目標がその日その日を支配する」です。2026年8月18日、亡くなったばかりの渡辺さんへの思いを語った時に、「自分の座右の銘である『目標がその日その日を支配する』。」と言い、同じ山を登るのでも日本一の富士山を目指すかどうかで一歩の覚悟が違う、という意味だと説明しています。メッツと契約した2013年には、本人の X(当時の Twitter)のプロフィール欄にも「目標がその日その日を支配する…。」と書いていました。
2021年12月の引退セレモニーでは、もう1つ大切にしてきた言葉として「ワンフォアオール、一人は皆のために、僕はこの言葉を胸に刻み投げ続けてきました。」と語りました。
松坂大輔の名言40選
17歳の春、選抜の決勝で最後の打者を三振に取った松坂大輔は「最後は三振を狙ってました」と話し、46歳になった2026年9月には、プロからメジャーへ進んだ自分の道を「今だったらもっと悩んだんじゃないですかね」と振り返っています。その間の28年の語録が、時期の古い順に続きます。
横浜高校・甲子園の名言
高校時代の松坂大輔は、2年の夏に神奈川大会の準決勝で、自分の暴投でサヨナラ負けをしています。その悔しさを抱えて迎えた3年の1998年、横浜高校は秋から負けなしのまま選抜と夏の甲子園を続けて制しました。
01「最後は三振を狙ってました」
— 1998年4月8日、選抜の決勝で関大一を完封した後
02「あのつらさを思えば、どんなピンチでも動揺しなくなった」
— 1998年4月8日、選抜で優勝した後に、前の年の夏の負けを振り返って
03「春の選抜で優勝してから、ずっとこの日を目標に、苦しい練習にも耐えてきた。きょうはもちろん完封を狙います」
— 1998年8月22日、夏の甲子園の決勝の朝
04「早く帰って、家の布団で寝たいです」
— 1998年8月22日、夏の甲子園の決勝でノーヒットノーランを達成した後
05「(意中の球団は)横浜だったんですが……」
— 1998年11月20日、ドラフト会議で西武が交渉権を得た直後の会見で
06「プロ入りしたら、息の長い投手になりたい」
— 1998年12月、西武との入団交渉のころ
07「一番、対戦したいのはイチローさんです」
— 1998年12月、西武への入団を決めた時
ほかの神奈川の強豪と比べた横浜高校の強さは、神奈川県の野球の強豪高校ランキングで読めます。
西武時代の名言(自信が確信に変わったイチロー戦ほか)
1999年4月7日のデビュー戦で、松坂大輔は日本ハムの片岡篤史から最速155キロの直球で空振り三振を奪い、初勝利を挙げました。1年目に16勝を挙げた年は、ロッテの黒木知宏投手に負けた後の「リベンジ」が流行語になり、イチローを3打席続けて三振に取った日の「自信が確信に変わった」が名言として残っています。2006年11月には、入札で一番高い金額を出したメジャーの球団が交渉する権利を得るポスティングという仕組みで、レッドソックスへの移籍が決まりました。
08「自分は本番に強いと思っているんで」
— 1999年4月7日、プロ初登板の日本ハム戦で初勝利を挙げた後
09「次の試合でリベンジします」
— 1999年4月21日、ロッテ戦で黒木知宏投手に投げ負けた後
10「今まで自信が持てなかった。でも、今日で自信が確信に変わった」
— 1999年5月16日、イチローとの初対戦で3打席続けて三振を奪った後
11「シーズン前に僕が10勝できないと思っていた人に『どうだ』って見返すことができました。これが第1段階。第2段階は1つずつ白星を増やすこと。」
— 1999年7月31日、ロッテ戦で10勝目を挙げた後
12「とにかくイチローさんに対してだけ、目いっぱい投げました。ほかの人にも力を入れているんですけど、イチローさんだと、それ以上の力を出そうとしてしまうので……。」
— 1999年のオフ、イチローとの対談で初対戦を振り返って
13「ただプレッシャーがあるからこそ、逆にやってやろうという気にもなる。」
— 2006年11月、ポスティングでレッドソックスの落札が決まった日の成田空港の会見で
14「一番、対戦したいのは、やっぱりイチローさんですね」
— 2006年11月、同じ成田空港の会見で
メジャー挑戦から引退後までの名言
レッドソックスに入った2007年にワールドシリーズを制した松坂大輔は、2011年に右ひじの手術を受けてから、けがと手術、復活をくり返しました。ソフトバンク、中日、古巣の西武と渡り歩いた最後の年、2021年の春に、ブルペンで右打者の頭の方へとんでもなく抜けた1球をきっかけに投げることが怖くなり、引退を決めました。今はテレビで野球を伝えていて、引退後の語録には、2026年8月に亡くなった恩師・渡辺元智さんへの言葉もあります。
15「かなわないのが夢。僕はずっと、ここで投げられることを信じて、目標にしてやってきた。だから今、ここにいるのだと思います」
— 2006年12月14日、レッドソックスの入団会見で
16「注目されているのは分かっている。ファンになってくれるかは僕次第」
— 2006年12月14日、同じ入団会見で
17「苦しみが大きいぶん、よろこびはそれ以上のものになるとおもってましたし、じっさいそうだった。」
— 2008年2月、メジャー1年目を振り返ったインタビューで
18「やっぱり、早いうちから明確な目標をもって、そこに向かってなにをするべきかということをかんがえながら、ふだんから生活したほうがいいとおもいます。」
— 2008年2月、同じインタビューで、今野球をしている子どもたちへ
19「気を遣われるのがイヤなんです。本当に病人(ケガ人)になってしまう気がするから。」
— 2009年のオフ、けがを隠して WBC に出た理由を聞かれて
20「僕には若い時から貫いてきたこだわりがある。それは曲げられないですね。曲げてしまったら、気持ちがダメになってしまう気がします」
— 2010年のオフ、制球がよくなるフォームを勧められても断った理由を聞かれて
21「心の中で思い描く、投球フォームがあります。今年は足、今年は腕、今年は背中と、僕はプロ入り後、12年くらいかけてフォームをステップアップさせています。」
— 2010年のオフ、同じインタビューで
22「このユニフォームを着てプレイするからには、求められるものはひとつですから」
— 2012年6月、右ひじの手術から戻った年に遠征先のシアトルで
23「諦めない。ただそれだけ…。」
— 2013年8月、メッツと契約する直前の本人の X(当時の Twitter)の投稿
24「昔よりも速いボールを投げるのは難しい。だけど、見に来てよかったと思ってもらえるものは出せると思います」
— 2014年12月5日、ソフトバンクの入団会見で
25「いくら言葉にしても足りないくらいの感謝の想いを伝えるのは1軍のマウンドだと思っています。」
— 2017年11月5日、3年間で1軍の登板が1試合だったソフトバンクを退団した時に
26「周りにどう見られようが、どう言われようが、自分ではまだやりきった悔いのない野球人生だったとは思えないので、そう思えるまでは自分を信じて進んで行きたい。」
— 2018年1月23日、中日の入団テストに合格した日に
27「メチャクチャうれしかった。あまり喜びを爆発させるのもどうかなと思ったけど、あまりにも間が空きすぎて抑えられなかった」
— 2018年4月30日、中日で日本では12年ぶりの勝利を挙げた後
28「周りは無理だと言う人が多いとは思いますけど、自分から諦める気持ちはない」
— 2019年12月11日、14年ぶりに西武へ戻った入団会見で、日米通算200勝について
29「諦めの悪さを褒めてやりたいですね。」
— 2021年10月19日、引退会見で、自分を褒めたいところを聞かれて
30「最後まで諦めなければ報われるよ、勝てる、あの試合が諦めの悪さの原点ですね」
— 2021年10月19日、同じ引退会見で、延長17回を戦った1998年夏の PL 学園戦を挙げて
31「やっぱり最後は逃げない、立ち向かう、どんな状況もすべて受け入れる、どんな自分に不利な状況も跳ね返してやる」
— 2021年10月19日、同じ引退会見で、マウンドに上がる時に心がけたことを聞かれて
32「このマウンドに立てる自分はかっこいいと思ってましたね。」
— 2021年10月19日、同じ引退会見で、大舞台で力を出せない子どもたちへ
33「好きなまま終われて良かったです」
— 2021年10月19日、同じ引退会見で、今も野球が好きかを聞かれて
34「選手の時間は無限ではありません。悔いの残らないように、日々を過ごしてください。」
— 2021年12月4日、引退セレモニーのスピーチで、これからもプレーする選手たちへ
35「イチローさんという大きな背中を追いかけ続けることができたことで、ここまでやってこれたと思うので、イチローさんには言葉では表しきれないくらい感謝しています」
— 2021年12月4日、引退セレモニーにイチローさんが花束を持って現れた後で
引退を決めた理由や引退試合の最後の打者、イチローさんの「許せ、大輔」の意味は、松坂大輔の引退の記事で詳しく読めます。
36「これから起こるであろう『分からない』『初めて』を楽しみにしています。」
— 2022年1月、報道ステーションのスポーツキャスターに決まった時に
37「やっぱり時間帯です。朝一の試合だったら勝てる気がしないです。」
— 2026年2月、YouTube「渡部のサシ飲み」で、1998年の横浜高校と1985年の PL 学園が戦ったらと聞かれて
38「生徒ではなくなりましたが、僕にとっては一生、監督さんです。」
— 2026年8月17日、恩師の渡辺元智さんが亡くなった日に、報道ステーションで読み上げられたコメント
39「監督さんと出会わなければ、自分はここにいない。」
— 2026年8月18日、亡くなった恩師に寄せたコメントで
40「今だったらもっと悩んだんじゃないですかね。そういう時代だと思うし、選択肢が増えていいと思う。」
— 2026年9月20日、横浜市のトークショーで、自分がプロからメジャーへ進んだ道を振り返って
ほかの野球選手が努力について語った名言は、野球選手のかっこいい努力の名言70選で読めます。
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