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アーノルド・シュワルツェネッガーの名言40選!シュワちゃんの筋トレの言葉を英語で解説

アーノルド・シュワルツェネッガーの名言40選!シュワちゃんの筋トレの言葉を英語で解説

ミスター・オリンピアに7回輝き、映画スターと州知事になったアーノルド・シュワルツェネッガー。「痛みの壁を破れば、チャンピオンになれる」など、アーノルド・シュワルツェネッガーの名言は、あと1回がきつい時に力をくれます。79歳でも鍛え続けるシュワちゃんの名言には、その理由もあります。

2026.10.29 | ボディメイク

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公式ライター
Activel編集部

アーノルド・シュワルツェネッガーは、体が大きすぎる、訛りが強いと言われても、ボディビルの世界一、映画スター、州知事になりました。「痛みの壁を破れば、チャンピオンになれる」というアーノルド・シュワルツェネッガーの名言は、あと1回がきつい時に背中を押してくれます。70代になっても鍛え続ける理由として、78歳の本人が挙げたのは、ジムに顔を出すたびに1つ増える「その日の勝ち」でした。

アーノルド・シュワルツェネッガーのプロフィール

オーストリアの小さな村に生まれたアーノルド・シュワルツェネッガーは、ボディビルでミスター・オリンピアに7回輝き、映画スターになり、アメリカのカリフォルニア州知事も務めました。18歳で入った陸軍でも、戦車の道具箱から工具を出してダンベルを詰め、演習先で鍛えていたほどです。

基本プロフィール

アーノルド・シュワルツェネッガーは、オーストリア生まれのボディビルダー・俳優で、日本では「シュワちゃん」の愛称で親しまれてきました。2026年10月の時点で79歳です。

項目 内容
英語表記 Arnold Schwarzenegger
生年月日 1947年7月30日
出身 オーストリア・タール
身長 約188cm(現役時代)
アメリカに渡った年 1968年(21歳)
アメリカの市民権 1983年
主な実績 ミスター・ユニバース5回・ミスター・オリンピア7回
大学 ウィスコンシン大学スペリオル校
カリフォルニア州知事 2003〜2011年
愛称 シュワちゃん・オーストリアン・オーク

ミスター・オリンピアは、プロのボディビルダーの世界一を決める大会です。シュワルツェネッガーは1970年から1975年まで6年続けて勝ち、いったん大会から退いた後、1980年に戻って7回目の優勝を果たしました。1970年の初優勝は23歳65日で、ギネス世界記録に最年少の優勝として載っています。ボディビルダー時代のあだ名オーストリアン・オーク(オーストリアのオークの木)は、故郷の湖のほとりで、オークの枝を使って懸垂をしていた話から付きました。

生い立ち・幼少期

シュワルツェネッガーが生まれたのは、第二次世界大戦が終わって2年後のオーストリアです。州都グラーツに接する小さな村タールで、警察官の父グスタフと母アウレリアのもと、1歳上の兄マインハルトと育ちました。本人は2012年のラジオ番組で、戦争中より戦後のほうが食べ物は少なく、母が農家を回って分けてもらっていたと振り返っています。

  • 10歳のころ: アメリカに行って一番になることを夢見ていた
  • 15歳ごろ: 故郷の湖でトレーニングする元ミスター・オーストリアたちに出会い、グラーツの重量挙げのクラブに入る
  • 10代: 雑誌の表紙のレグ・パーク(映画でヘラクレスを演じたボディビルダー)にあこがれて寝室の壁に筋肉の写真を貼り、心配した母に医者を呼ばれた
  • 18歳: オーストリア陸軍に入り、戦車の操縦手になる
  • 1965年: 部隊を抜け出し、ドイツ・シュツットガルトのジュニア・ミスター・ヨーロッパで優勝した後、軍の罰で2〜3日閉じ込められた

父はダンベルを持ち上げる息子に、「外で薪を割ったり、身寄りのない人のために石炭をすくったりしたほうがいい。それでも筋肉はつくし、人の役に立つ」と言ったそうです。2023年のラジオ番組で本人が明かしたこの父の教えが、70代のシュワルツェネッガーの信条につながっていきます。

ミスター・オリンピア7回から俳優、カリフォルニア州知事までの歩み

アーノルド・シュワルツェネッガーの歩みと名言の年表(ボディビル、俳優、カリフォルニア州知事、70代の今まで)

シュワルツェネッガーは19歳でロンドンのミスター・ユニバースに出て2位になり、翌年、20歳で史上最年少の優勝を果たしました。1968年には21歳でボディビルの本場アメリカに渡り、カリフォルニア州ベニスのゴールドジムを拠点にしました。

年 主な出来事
1967年 20歳で最年少のミスター・ユニバース
1968年 アメリカに渡る
1970年 23歳でミスター・オリンピア初優勝
1975年 6連覇の後、大会からの引退を発表
1977年 『パンピング・アイアン』公開
1980年 大会に戻り、7回目の優勝
1982年 『コナン・ザ・グレート』で主演
1983年 アメリカの市民権を得る
1984年 『ターミネーター』公開
2003年 カリフォルニア州知事に就任
2011年 州知事の任期を終える
2012年 自伝『Total Recall』を出す
2023年 著書『Be Useful』・Netflix『Arnold』
2024年 ペースメーカーを入れる

俳優を目指した時は、映画のエージェントたちに体の大きさも訛りも、名前の長さまで欠点だと言われ、「無理だ」と断られました。それでも1982年の『コナン・ザ・グレート』で主役をつかみ、1984年の『ターミネーター』で世界的なスターになっています。2003年から2011年まではカリフォルニア州知事を務めました。2018年には予定していたカテーテルでの心臓の手術がうまくいかずに胸を開くことになり、2024年にはペースメーカーを入れましたが、79歳の今も毎日ジムと自転車で体を動かしています。

座右の銘

アーノルド・シュワルツェネッガーが自分の哲学と呼んでいるのは、父の口ぐせだった Be Useful(役に立て)です。座右の銘やモットーと呼んだ言葉ではありませんが、本人が考え方の中心に置いている言葉が次の2つです。

  • Be Useful(役に立て): 本人の公式サイトのトップで、自分の哲学(my philosophy)と呼んでいる言葉。元は父グスタフの口ぐせで、2023年の著書の題名にもなった
  • If you rest, you rust(休めばさびる): 2026年7月の寄稿で、尊敬するセオドア・ルーズベルト元大統領の言葉として「よく口にする」と明かした言葉

父の口ぐせは、76歳になった本人の耳にも残っていました。2023年10月のラジオ番組では、「今でも朝6時を過ぎて寝ていると罪悪感がある。『この国は寝坊して作られたんじゃない。役に立て。何かしろ』という父の声が聞こえるから」と話しました。

アーノルド・シュワルツェネッガーの名言40選

アーノルド・シュワルツェネッガーの名言には、ボディビルダー時代に痛みの壁の先で筋肉が育つと語った言葉、俳優と州知事の時期に「無理だ」の声に耳を貸さなかったと振り返った言葉、70代になっても鍛え続ける理由を語った言葉があります。日本で広まった「筋肉がNOと言ったら、私はYESと答える」は元の英語が見つかりませんが、65歳の本人は「ノーをノーだと受け取ったことはない」と語っています。

日本で広まったシュワちゃんの名言と元の英語

日本の筋トレ好きの間でシュワちゃんの名言として語られる言葉の中には、本人が英語で言った記録をたどれないものもあります。本人が出たドキュメンタリーの書き起こしにも、スピーチの記録や取材の記事にも元の英語が見つからなかったのは、次の5つです。

  • 「筋肉がNOと言ったら、私はYESと答える」: 1977年1月号のボディビル雑誌のインタビューの言葉だと紹介する日本の記事はありますが、その雑誌そのものが見つかっていません
  • 「筋トレしてムキムキになったら嫌だ、と言う奴がいるが、安心しろ。あんたにはなれない」: 元になる英語が見つからず、日本のブログや note で紹介されているだけでした
  • 「おしゃべりは後にしてくれ。パンプが冷めちまう」: パンプは、鍛えた筋肉に血が流れ込んで張る感覚のことです。『パンピング・アイアン』の中にこの言葉は無く、英語の形で出回っている文も、名言サイトが日本語の言葉をほかの言語と一緒に訳したものでした
  • 「限界を決めるのは心だ」: 英語の名言集には The mind is the limit の形で載っていますが、『パンピング・アイアン』の中にも、本人の取材記事にも見つかりませんでした
  • 「強さは、勝つことから生まれるのではない」: 1982年の新聞のインタビューの言葉として英語圏で紹介されていますが、その記事の本文までは読めませんでした

元の英語も、本人が言った場面もたどれたのは、次の5つの言葉です。「筋肉がNO」にいちばん近い本人の言葉も、この中にあります。

01「最後の3、4レップが筋肉を成長させる。この痛みの壁を越えられるかどうかが、チャンピオンとそうでない者の差だ」

“Going through this pain barrier. … And this last two or three or four repetitions, that’s what makes the muscle then grow. And that divides one from a champion and one from not being a champion.”

— 1977年公開のドキュメンタリー『パンピング・アイアン』で

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発言時期: 1975年の撮影(1977年公開)

発言状況: ミスター・オリンピアに向けて、ジムで仲間と限界まで回数を重ねる場面に、シュワルツェネッガー本人の声が重なります。同じ重さで9回、10回、11回、12回と続けることに体は慣れていないので、その痛みの壁を越えると筋肉が大きくなる、という説明の後の言葉です。レップは続けて持ち上げる回数のことで、映画の中の言い方は「最後の2回、3回、4回」です。日本で広まった「最後の3、4レップ」はそれを短く整えた形でした。この後には、「たいていの人に足りないのは、何があってもやり抜くという度胸だ」という言葉が続きます。

02「みんなに好かれて、もめごとを避けることだけが望みなら、この世に生きている意味がどこにある?」

“After all, what is the point of being on this earth if all you want to do is be liked by everyone and avoid trouble?”

— 2009年5月、南カリフォルニア大学の卒業式のスピーチで

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発言時期: 2009年5月15日(州知事の2期目・61歳)

発言状況: 名誉博士号を受けた卒業式で、「成功の6つのルール」の2つ目「ルールを破れ」を話した場面です。「法律ではなく、ルールをだ」と断ったうえで、行儀がよすぎてルールを破ろうとしない人は、型破りな人にも本物の独創的な人にもなれないと続けました。日本では「もしあなたが他のみんなのようになろうとしているのなら、この地上にいることに何の意味があるのですか?」という言葉で紹介されていますが、元の英語は「みんなに好かれたいだけなら」という意味です。

出典: カリフォルニア州知事室の公式サイトの書き起こし(2009年5月15日・保存版)

03「『ノー』をノーだと受け取ったことはない。いつも『イエス』と聞こえていた」

“I never saw a ‘no’ as a ‘no.’ I always heard ‘yes.'”

— 2012年8月、テレビ批評家の集まりの会見で

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発言時期: 2012年8月3日(65歳)

発言状況: 州知事の任期を終えた翌年、自分を描いたスポーツ専門局 ESPN のドキュメンタリーの宣伝で、全米のテレビ批評家が集まる会に出た時の言葉です。若いころ両親にボディビルを自分勝手なものと思われても、自分がどこへ行きたいかははっきり見えていたと話し、州知事として「無理だ、無理だ」と反対された時も気にしなかったと続けました。筋肉の話ではありませんが、日本で広まった「筋肉がNOと言ったら、私はYESと答える」にいちばん近い本人の言葉です。

04「来る日も来る日も、顔を出しさえすれば、その日の勝ちが少なくとも1つ増える。私はその毎日の勝ちに夢中なんだ」

“Every single day, without fail, if I show up, I get at least one tally mark in the win column of my day.” / “I’m addicted to that daily win.”

— 2026年4月、本人のニュースレターで

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発言時期: 2026年4月13日(78歳)

発言状況: 毎日届くメール『Arnold’s Pump Club』の、本人が一人称で書く欄の言葉です。70歳のころから「なぜまだ鍛えるのか。いつやめるのか」と聞かれるようになったと書き出し、体重計の数字や夏の体のようなゴールを決めると、着いた時かあきらめた時にやめてしまうと続けました。本人が挙げた、鍛え続ける本当の理由は、この毎日の勝ちでした。日本では「ジムに行っただけで、今日は勝ち」という言葉で紹介されました。

出典: 本人のニュースレター『Arnold’s Pump Club』(2026年4月13日)

05「自分を磨き続けるのをやめた日が、時代遅れになり始める日だ」

“I also believe that the day we stop working to upgrade ourselves is the day we start to become obsolete.”

— 2026年4月、本人のニュースレターの同じ回で

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発言時期: 2026年4月13日(78歳)

発言状況: 78歳でもスキーができ、頭がさえていて、手術やつらい時期から早く立ち直れるのは鍛え続けているからだ、と書いた後の言葉です。日本では「人は向上心を失った瞬間に、役立たずな存在になっていく」という訳で紹介されていますが、元の英語の obsolete は「役立たず」ではなく「時代遅れ」という意味です。自分を磨き続けることを、鍛えるのをやめない理由に挙げています。

ボディビルダー時代の筋トレ・筋肉の名言

ボディビルダー時代のシュワルツェネッガーの筋トレ・筋肉の名言には、痛みを喜びに変える考え方と、自分の体を彫刻のように見る目がくり返し出てきます。どれも、6年続けてミスター・オリンピアに勝ち、いったん大会から退いた1975年、28歳の時の言葉です。言葉は、ジムでの姿を撮ったドキュメンタリー『パンピング・アイアン』と、南アフリカでの大会を追った雑誌の取材に残っています。

06「ジムで味わえるいちばんの感覚、いちばん満たされる感覚は、パンプだ。血が筋肉に流れ込んで、今にも皮膚がはじけそうなくらい、ぱんぱんに張る。最高の気分だ」

“The greatest feeling you can get in a gym, or the most satisfying feeling you can get in a gym, is the pump. … Blood is rushing into your muscles, and that’s what we call the pump. Your muscles get a really tight feeling, like your skin is going to explode any minute. … It feels fantastic.”

— 1977年公開のドキュメンタリー『パンピング・アイアン』で

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発言時期: 1975年の撮影(1977年公開)

発言状況: 力こぶを鍛える場面に本人の声が重なり、パンプ(鍛えた筋肉に血が流れ込んで張る感覚)を説明しています。誰かが筋肉に空気を吹き込んでいるみたいだ、とも話しました。撮影の時は、6回目のミスター・オリンピアに向けて体を仕上げている最中です。映画の中でパンプを語っているのはこの場面で、日本で広まった「おしゃべりは後にしてくれ。パンプが冷めちまう」という言葉は出てきません。

07「自分のいる場所はアメリカだと、ずっと感じていた。10歳のころから、アメリカに行って一番になることばかり夢見ていた。ほかの誰とも違う人間になることを」

“I always felt like my place is America. And when I was 10 years old I only dreamed of coming to America and being the greatest. And just being different than everybody else.”

— 1977年公開のドキュメンタリー『パンピング・アイアン』で

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発言時期: 1975年の撮影(1977年公開)

発言状況: 子どものころを振り返る場面の、本人の声です。直前には、警察官だった父のもとで、完璧な手本でいなければならない厳しい家で育ったことや、初めて出た国際大会のジュニア・ミスター・ヨーロッパでトロフィーを持ち帰った時に、両親がとても誇りに思ってくれたことを話しています。

08「牛乳は赤ちゃんの飲み物だ。大人になったら、ビールを飲まないとね」

“Milk is for babies. When you grow up, you have to drink beer.”

— 1977年公開のドキュメンタリー『パンピング・アイアン』で

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発言時期: 1975年の撮影(1977年公開)

発言状況: 写真を撮る場面の終わりに、そばにいた人から「スキムミルクを飲んでいるんでしょう?」と聞かれ、「牛乳は飲まない」と答えた後の軽口です。食事のすすめではなく、撮影の合間の冗談でした。それでもこの言葉は、2023年8月に本人のニュースレターの回の題にもなりました。

09「小学校のころから、認められたいというものすごい気持ちがあった。自分はそのへんの普通の男で終わるのではなく、何か特別なことをするために選ばれた、という気がしていた」

“Around the time of grammar school I had this incredible desire to be recognized. … I got the feeling that I was meant to be more than just an average guy running around, that I was chosen to do something special.”

— 1975年、南アフリカでの大会を追った雑誌の取材で

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発言時期: 1975年(ミスター・オリンピアの6連覇の年・28歳)

発言状況: 南アフリカのプレトリアで開かれたミスター・ユニバースとミスター・オリンピアを追った記者に、グラーツの近くの村で育った子どものころを話した時の言葉です。テレビや映画を見るたびに、画面の中に自分を置いて「みんなが自分を見たらどんな感じだろう」と考えていたといいます。このあと「お金のことは考えていなかった。名声と、いちばんになることを考えていた」と続けました。

10「自分は芸術家になって、彫刻家が作品に向かうように自分の体に向かうんだ。鏡を見て『いい体だ』と言っていてはだめだ。冷静に分析して、鍛えるだけだ」

“What it boils down to is you become an artist and you’re working on your own body like an artist works on a piece of sculpture. … You can’t look in the mirror and say, ‘I look great.’ You have to be very clinical and just analyze it and work on it.”

— 1975年、南アフリカでの大会を追った雑誌の取材で

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発言時期: 1975年(28歳)

発言状況: 「なぜ体を完璧にしたいのか。中身のほうが大事だろう」と人に言われることについて話した言葉です。いちばん大事なのは心と体のバランスだと前置きし、彫刻家が「ふくらはぎにもう少し粘土を足そう」と決めるところを、ボディビルダーは「ふくらはぎをあと10セットやろう」と言うのだと説明しました。『パンピング・アイアン』の中でも、鏡を見て「三角筋がもっといる」と考えるのは彫刻家と同じだと話しています。

11「全部、心の問題なんだ。こういうトレーニングをやり抜くには、心が強くないといけない」

“It’s totally mental, the whole trip. I tell you, the mind has to be strong to go through these workouts.”

— 1975年、南アフリカでの大会を追った雑誌の取材で

12「痛みの壁を破れば、チャンピオンになれる。トレーニング中に痛いのは、成長していて、勝つことに一歩近づいているということだ。だから痛みを喜びに変えるんだ」

“If you break the pain barrier, that makes you the champion. When it hurts, and when there’s pain while you’re training, that means something positive — growing, success, progress one step closer to winning. So you turn it into pleasure.”

— 1975年、南アフリカでの大会を追った雑誌の取材で

13「目の前に目標が見えたら、そこへ行く方法は、まっすぐ歩いていくことだけだ。途中に何があっても、それに目を向けたり、気を取られたりはしていられない」

“When you see your goal in front of you, the only way you can get there is by walking straight toward it. And whatever happens to be in front of you, those are the things you just cannot look at or be bothered with.”

— 1975年、南アフリカでの大会を追った雑誌の取材で

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発言時期: 1975年(28歳)

発言状況: 「人を押しのけるわけじゃない」と前置きして語った言葉で、このあと「ときには冷たくて自分勝手に見えるかもしれないが、ほかにやり方はない」と続けています。同じ取材では、1970年にセルジオ・オリバと舞台でポーズを競い合った時、相手が先に降りるまでやめなかった話もしました。6回目のミスター・オリンピアの本番を前にした時期の言葉です。

14「僕に弱点はない。数年前にはあったけれどね。あとはポーズをもっと完璧にするだけだが、それはほとんど無理だ。もう完璧だからね」

“I don’t have any weak points. I had weak points a few years ago. … And all I have to do now is get my posing routine down more perfect, which is almost impossible to do. It’s perfect already.”

— 1975年、ミスター・オリンピアの予選の場面で(『パンピング・アイアン』)

15「ボディビルは、僕にとってすばらしい経験だった。これからも一生続けていく。やめるのは大会に出ることだけで、ボディビルはやめない。最高のスポーツだ」

“Bodybuilding has been a beautiful experience for me. And I will continue it for the rest of my life. I only stop competing, but I’m not stopping bodybuilding. It’s the greatest sport.”

— 1975年、6回目のミスター・オリンピアに勝った舞台で

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発言時期: 1975年(南アフリカ・プレトリアのミスター・オリンピア)

発言状況: 6年続けてミスター・オリンピアに勝った直後、舞台の上で「今年が最後の大会だった。ボディビルの大会から引退することを正式に発表したい」と話し、応援してくれた人と審査員に感謝した後の言葉です。この場面も『パンピング・アイアン』に収められています。それでも5年後の1980年、33歳で大会に戻り、7回目の優勝をつかんでいます。

ロニー・コールマンやマッスル北村など、ほかのボディビルダーが筋トレについて語った言葉は、筋トレの名言にあります。

俳優と州知事の時期に語った成功と失敗の名言

俳優と州知事の時期のシュワルツェネッガーは、「無理だ」と言われても耳を貸さないこと、失敗を恐れないこと、人の役に立つことを、くり返し語っています。映画のエージェントたちに欠点だと言われた訛りを、1991年の取材では自分の「トレードマーク」と呼び、2009年と2010年の大学の卒業式では、その経験を成功のルールとして学生に話しました。

16「ずっと取り組んできたのは、訛りと動きだ。といっても、訛りを完全になくしたいわけじゃない。もう僕のトレードマーク、サインみたいなものだからね」

“The things I have always worked on are the accent and the movement. Not that I want to get rid of the accent completely, because it has become a trademark, a signature.”

— 1991年、雑誌『Interview』の取材で

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発言時期: 1991年(『ターミネーター2』の撮影の時期)

発言状況: 『ターミネーター2』の撮影の合間に、サンタモニカのショッピングモールで受けた取材です。俳優としてうまくなるために教室に通っているかと聞かれ、ここ2年は映画が続いて時間がないが前は通っていたと答えました。いちばんの練習は、いろいろな監督や俳優と仕事をする現場での訓練だ、と話した流れの言葉です。かつて「その訛りではスターになれない」と言われたのに、この取材では訛りを自分の看板として語っています。

17「自分のやっていることに夢中なら、疲れるはずがない。現役のころ1日5時間鍛えていると、『なんて自分に厳しいんだ』と言われた。でも、厳しさとは何の関係もない。僕はそれが大好きだったんだ」

“But you cannot get tired if you’re interested in what you do. That’s the key thing.” / “You train five hours a day, as I did when I was competing, and people say, My God, you’re so disciplined. But it has nothing to do with discipline; I loved it.”

— 1991年、雑誌『Interview』の取材で

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発言時期: 1991年(44歳のころ)

発言状況: ずいぶん忙しそうだが、と聞かれて答えた言葉です。当時は、国民の体力づくりを進める大統領の諮問会議の委員長も務めていて、夜通し撮影した翌朝に、体力づくりの話をしにワシントンや各州へ飛ぶこともあると話していました。大好きだった理由は、「ジムに行くたびに、大会の優勝に一歩近づいていると分かっていたから」でした。

18「長年のトレーニングと競技から、僕はあることを学んだ。人はいつだって、自分で思っているより強いということだ」

“But I learned something from all those years of training and competing. What I learned is that we are always stronger than we know.”

— 2003年11月、カリフォルニア州知事の就任演説で

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発言時期: 2003年11月17日(56歳)

発言状況: 州議会議事堂の前での、1期目の就任演説です。州が大きな財政赤字を抱え、山火事の被害も出ていた時で、議会と知事が解決策で合意できるはずがないと言う人もいる、と認めたうえで、ボディビルの経験からこう語りました。続けて「苦しい闘いも、戦うことも、きつい努力も、恐れたことは一度もない」と話しています。

19「アメリカで成功したいなら英語をうまく話せないといけないと分かっていたから、まず英語を母語としない人のための英語の授業を取った。初めて車で大学に来た時は怖かった。なじめないんじゃないか、ばかに見えるんじゃないかと」

“I started by taking English as a Second Language, because I knew if I wanted to make it in America, I needed to speak English well,” / “I was scared when I first drove up to Santa Monica College – scared I wouldn’t fit in, scared that I would look like an idiot.”

— 2005年、サンタモニカ・カレッジの卒業式のスピーチで

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発言時期: 2005年(州知事の1期目)

発言状況: 21歳でアメリカに来たシュワルツェネッガーは英語をほとんど話せず、ベニスのゴールドジムで鍛えながら、近くのサンタモニカ・カレッジで英語の授業を取り始めました。1970年代はじめのことで、すでにミスター・ユニバースの王者でした。州知事になった本人が、その母校の卒業式で学生時代を振り返った言葉です。

出典: カリフォルニア・コミュニティカレッジ機構の公式サイト

20「でも僕は耳を貸さなかった。それは彼らのルールで、僕のルールではなかったから」

“But I didn’t listen to all this. Those were their rules, not my rules.”

— 2009年5月、南カリフォルニア大学の卒業式のスピーチで

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発言時期: 2009年5月15日(61歳)

発言状況: 「成功の6つのルール」の2つ目「ルールを破れ」の話の中の言葉です。ボディビルを終えて俳優を目指した時、映画のエージェントたちに「その体は大きすぎて化け物みたいだ」「ドイツ語訛りでスターになった者はいない」「アーノルド・シュワルツェンシュニッツェルだか何だかの名前が看板に載るのを想像してみろ」と言われ、レスラーか用心棒の役くらいなら、と勧められた話の後に続きました。

21「エージェントたちが致命的な欠点だと言った訛りも体も、ある時から僕の財産になった。だから、『できない』という言葉には決して耳を貸すな」

“The things that the agents said would be totally a detriment and would make it impossible for me to get a job, all of a sudden became an asset for me, all of those things, my accent, my body and everything. So it just shows to you, never listen to that you can’t do something.”

— 2009年5月、南カリフォルニア大学の卒業式のスピーチで

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発言時期: 2009年5月15日(61歳)

発言状況: 演技と英語と発音の教室に通い、テレビの端役を経て、1982年の『コナン・ザ・グレート』で主役をつかんだ話の後の言葉です。監督に「シュワルツェネッガーがいなかったら、作り出さなければならなかった」と言われたことや、『ターミネーター』の I’ll be back は訛りがあったから映画史に残るせりふになったことを話していました。2010年のエモリー大学の卒業式でも、同じ話をしています。

22「何かに挑む時、僕はいつでも失敗する覚悟があった。失敗を恐れて身動きが取れなくなったら、自分を前へ押し出すことは決してできない」

“Anything I’ve ever attempted, I was always willing to fail.” / “You can’t be paralyzed by fear of failure or you will never push yourself.”

— 2009年5月、南カリフォルニア大学の卒業式のスピーチで

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発言時期: 2009年5月15日(61歳)

発言状況: 3つ目のルール「失敗を恐れるな」の言葉です。『レッド・ソニア』『SF超人ヘラクレス』『ラスト・アクション・ヒーロー』は大失敗だったと自分の出演作を笑いにし、同じころに『ターミネーター』や『プレデター』『ツインズ』は大当たりしたと続けました。いつも勝てるわけではないが、決断を恐れてはいけない、と学生に話しています。

23「君たちが遊び回っているその時にも、どこかで誰かが懸命に働いている。誰かが賢くなり、誰かが勝っている。それだけは覚えておいてほしい」

“But when you’re out there partying, horsing around, someone out there at the same time is working hard. Someone is getting smarter and someone is winning. Just remember that.”

— 2009年5月、南カリフォルニア大学の卒業式のスピーチで

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発言時期: 2009年5月15日(61歳)

発言状況: 5つ目のルール「死ぬほど働け」の言葉で、本人は6つの中でこれをいちばん大事なルールと呼びました。ボクサーのモハメド・アリの「腹筋の回数は、痛くなってから数え始める」という言葉を引き、「勝ちたいなら、きつい努力を避けて通る道はまったく無い」とも話しています。6つ目のルールは「社会に何かを返せ」でした。

24「手を差し伸べて人を助けることは、これまでにしたどんなことよりも大きな満足を与えてくれる」

“And let me tell you something, reaching out and helping people will bring you more satisfaction than anything else you have ever done.”

— 2009年5月、南カリフォルニア大学の卒業式のスピーチで

25「おびえていた子が自信をつけていくのを見た時、それが僕にとっての一番の勝利だった」

“When I saw that kid go from terror to self-confidence, that was the big winner for me. I was reaching out to someone who needed help.”

— 2010年5月、エモリー大学の卒業式のスピーチで

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発言時期: 2010年5月10日(62歳)

発言状況: 俳優として売れ始めたころ、知的障害のある人のスポーツ大会、スペシャルオリンピックスの選手たちに、ウエイトリフティングを教えた時の話です。ベンチプレスを怖がっていた少年が、その日の終わりには挙げられるようになり、跳び上がって部屋じゅうのみんなとハイタッチしたと振り返りました。スペシャルオリンピックスは、当時の妻の母ユーニス・ケネディ・シュライバーが始めた大会です。

出典: エモリー大学の公式の学内報(2010年5月)

26「自分がチャンピオンになる姿が、はっきり見えていた。それが信じられないほどの原動力と意志と、自分を律する力を生んで、もう誰にも止められなかった」

“I had very clear visions of me being a champion.” / “And that created such unbelievable drive and such unbelievable will and discipline, that there was absolutely no stopping me.”

— 2012年10月、公共ラジオ NPR の番組で

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発言時期: 2012年10月2日(自伝『Total Recall』を出した時・65歳)

発言状況: 10歳で自分は特別なことのために生まれたと確信したと自伝に書いているが、貧しいオーストリアで何がその確信をくれたのか、と聞かれた答えです。雑誌の表紙でヘラクレスを演じるレグ・パークを見て、ミスター・ユニバースの表彰台に立つ自分、映画に出る自分を思い描き始めたと話しました。ボディビルを始めた10代のころは、毎日2時間ジムで鍛えた後、家に帰ってさらに1時間半鍛えていました。

27「演習が夜中に終わっても、戦車から道具を全部出して、何時間も鍛えた。とにかく手を止めなかった」

“… when we were on maneuver at 6, 7 o’clock at night, when we were finished, or at midnight if we were finished, I would then take out all the exercise equipment and I would be working out for, you know, for hours. And so I was relentless.”

— 2012年10月、公共ラジオ NPR の番組で

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発言時期: 2012年10月2日(65歳)

発言状況: 18歳で入ったオーストリア陸軍で、戦車の操縦手だったころの話です。戦車の横の道具箱から工具を全部出し、代わりにトレーニング用のベンチやダンベル、バーベルのプレートを詰めて演習に持っていったと話しました。軍隊で初めて毎日肉を食べられるようになり、1年で体重が25ポンド(約11kg)増えたとも振り返っています。

28「1年後に戻ってきたら優勝すると分かっていた。そしてそのとおり、史上最年少のミスター・ユニバースになった。15歳のときに立てた目標を果たしたんだ」

“I knew that a year later, when I come back, that I will win this competition. And sure enough, … I became the youngest Mr. Universe ever. And I achieved this goal that I had with the age of 15.”

— 2012年10月、公共ラジオ NPR の番組で

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発言時期: 2012年10月2日(65歳)

発言状況: 19歳で初めてロンドンのミスター・ユニバースに出た時、目標は6位以内でしたが、結果は2位でした。会場でスタンディングオベーションを受けたのは自分だけだったと話し、1年きつい練習をして体を作り、大きさと強さを身につけて、20歳で最年少の優勝を果たしたと続けています。ボディビルを始めたばかりの15歳で立てた目標でした。

70代のシュワちゃんが語る名言

70代のシュワちゃんの名言は、年を取っても鍛え続ける理由と、人の役に立つことを語っています。2018年と2020年に心臓の手術を受け、2024年にペースメーカーを入れた後も、本人は毎日ジムと自転車で体を動かし、読者向けのメールや寄稿でその理由を書いてきました。75歳で出た Netflix のドキュメンタリー『Arnold』では、若いころの負けや、否定の声を力にしてきた日々を、本人が自分の言葉で振り返りました。

29「小さな傷で目覚めるつもりで眠ったら、大きな傷で目覚めた。でもね、目が覚めた。それだけで感謝すべきことだ」

“I went to sleep expecting to wake up with a small incision and woke up with a big one – but guess what? I woke up, and that’s something to be thankful for.”

— 2018年4月、心臓の手術の後の本人の X で

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発言時期: 2018年4月2日(70歳)

発言状況: カテーテルで心臓の弁を替える予定の手術がうまくいかず、胸を開く手術になった後の、最初の投稿です。書き出しは It’s true: I’m back!(本当だ、戻ってきた)で、映画の決めぜりふにかけています。

出典: 本人の X 投稿(2018年4月2日)

30「狙いは、体を自分の意志どおりに彫り上げることだった。でもそれは、心を形づくることにも使える。誰もが不可能と呼ぶことをやるために」

“The idea was to sculpt the body to your will, But it can also be used to shape your mind — to do the things that everyone calls impossible.”

— 2023年6月、Netflix のドキュメンタリー『Arnold』で

31「一晩中泣いた。次の日、自分に言ったんだ。『赤ん坊みたいに泣いたな。さあ、前に進もう』と」

“I cried the whole night, … The next day, I said, ‘Okay, you cried like a little baby … Now, let’s move on.'”

— 2023年6月、Netflix のドキュメンタリー『Arnold』で

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発言時期: 2023年6月(配信・75歳)

発言状況: 1968年、ロンドンで前の年に続いてミスター・ユニバースに勝った直後に、アメリカの大会で負けて2位に終わった時のことを振り返った言葉です。21歳でアメリカに渡ったばかりのころの負けでした。

32「誰かに『お前には無理だ』『それは不可能だ』と言われるほど、私はわくわくする」

“But the more someone says you can’t, or that this is impossible, the more excited I get over it.”

— 2023年6月、Netflix のドキュメンタリー『Arnold』で

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発言時期: 2023年6月(配信・75歳)

発言状況: 第3話で、1970年代に「俳優になるのはやめておけ」と言ったエージェントたちが、のちに「1本で2000万〜3000万ドルも稼ぐなんて」と言うようになった、と振り返った流れの言葉です。否定の言葉を、むしろ自分を動かす力にしてきたという話です。

出典: Netflix 公式サイトの紹介記事(2023年6月)

33「失敗を恐れるな。人は必ず失敗するのだから。19歳の時、ミスター・ユニバースに出て負けた。映画が大コケしたこともある」

“one of the things that I talk about is not to be afraid of failure because you’re going to fail. And I was 19 years old. I was competing in the Mr. Universe contest, and I lost. I had movies that went in the toilet.”

— 2023年10月、公共ラジオ NPR の朝の番組で

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発言時期: 2023年10月6日(76歳)

発言状況: 著書『Be Useful』が出るころのラジオ番組で、これまでに負けた戦いはどれかと聞かれ、こう答えました。失敗や負けはたくさんあり、それを認めることが大事だと思う、と続けました。

34「時間をかけて自分のビジョンと目標をつくり、どんなに難しくてもそれを追いかければ、人生は楽しくなる。たくさん苦労したけれど、私の人生はいつもとても楽しかった」

“if you take some time and create a vision for yourself, create a goal for yourself and then chase that goal no matter how difficult it may be, life becomes kind of fun, because to me, my life was always a lot of fun, even though I struggled a lot.”

— 2023年10月、公共ラジオ NPR の朝の番組で

35「誰にでも、何かを返す力がある」

“Everyone has the ability to give back something.”

— 2023年10月、公共ラジオ NPR の朝の番組で

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発言時期: 2023年10月6日(76歳)

発言状況: 著書『Be Useful』で最後に挙げた「鏡を壊せ」の意味を聞かれた答えです。妻だったマリア・シュライバーの父サージェント・シュライバーが大学の卒業式で話した「いつも自分ばかり映す鏡を壊せば、その向こうに、助けを必要とする何百万もの人が見える」という言葉を紹介し、その後にこう続けました。2009年の卒業式でも、同じ義父の言葉を引いています。

36「全部を胸にしまい込んでいたら、本当の意味で前向きにはなれない。誰にも、1人では持ち上げられない重さがある」

“it’s impossible to be truly positive when you keep everything bottled up. … There are weights that none of us can lift alone.”

— 2024年3月、ペースメーカーを入れたことを明かしたニュースレターで

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発言時期: 2024年3月(76歳)

発言状況: 前の週に「少しだけ機械になる手術」を受け、ペースメーカーを入れたと読者に明かした回の言葉です。病気の話はしない育ちだったが、多くの読者が自分の健康の悩みを抱えているはずで、1人じゃないと知ってほしいと書きました。怖くて何かを先延ばしにしているなら、医師の言うことを聞いて自分を大切にしてほしい、とも書いています。

37「私は引退というものを信じていない。私にとって引退とは、やっていることをやめることだからだ」

“I personally don’t believe in retiring, simply because to me, retiring is to stop doing what you’re doing!”

— 2025年6月、50歳以上の人の団体 AARP の取材で

38「若いころの自分には、『お前は正しい道にいる。誰にも何も変えさせるな』と言う」

“I would say, ‘You’re on the right track. Don’t let anyone change anything.’ Because one of the things that I had to learn very quickly was not to listen to the naysayers.”

— 2025年6月、50歳以上の人の団体 AARP の取材で

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発言時期: 2025年6月(77歳)

発言状況: 駆け出しのころの自分に今なら何と言うか、と聞かれた答えです。アメリカに行くことも、世界一のボディビルダーになることも、映画に出ることも、周りには「無理だ」「夢だ」と言われたがすべて実現した、と続け、最後に「だから、否定する人の言うことは聞くな」と結びました。同じ取材では、孫たちにドイツ語でおじいちゃんを意味する Opa と呼ばれていることも話しています。

39「ベッドから出たくない朝もある。そんな朝、私はやる気が来るのを待たない。とにかく起きる。すると自転車をこいでいるうちに、何セットかやるうちに、元の自分に戻っている」

“Sure, there are mornings I don’t want to get out of bed. … On those mornings, I don’t wait for inspiration. I get up anyway, and somewhere on the bike ride or a few sets in, I’m back.”

— 2026年7月、Newsweek への本人の寄稿で

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発言時期: 2026年7月19日(78歳)

発言状況: 「もうすぐ79歳」と書いた寄稿の中の言葉です。心臓の手術の後、医師に重いものはもう持ち上げられないと言われました。限界を押し広げて生きてきた本人には、受け入れがたい現実でした。それでも本人はジムに戻り、すべてを学び直しました。関節が重く、トレーニングが遠く感じる朝の話として、この言葉が出てきます。

出典: Newsweek への本人の寄稿(2026年7月19日)

40「私はもう、規律と意地を取り違えない。やり方は変わった。でも、打ち込む気持ちは同じだ」

“I no longer confuse discipline with stubbornness. … My approach changed, but my commitment remains the same.”

— 2026年7月、Newsweek への本人の寄稿で

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発言時期: 2026年7月19日(78歳)

発言状況: 今のトレーニングを書いた段落の結びです。重さを軽くして回数を多くし、休みを短くして強度を保つこと、浜辺を走る代わりに自転車に乗ること、スキーは半日でやめることを挙げています。無理をせずに続け、明日も動ける体でいるためのトレーニングです。

よくある質問(Q&A)

Q1. 「筋肉がNOと言ったら、私はYESと答える」はシュワちゃんの名言?

Activel編集部が探した限り、本人が言った場面を確かめられる記録は見つかりませんでした。1977年1月号のボディビル雑誌のインタビューの言葉だと紹介する日本の記事はありますが、その雑誌は見つかっていません。本人の言葉で近いのは、2012年8月の会見の “I never saw a ‘no’ as a ‘no.’ I always heard ‘yes.’”(ノーをノーだと受け取ったことはない。いつもイエスと聞こえていた)です。

Q2. シュワちゃんの名言「パンプが冷めちまう」の元の英語は?

元の英語は見つかりませんでした。シュワルツェネッガーがパンプを語った1977年公開の『パンピング・アイアン』の中にこの言葉は無く、英語の形で出回っている Talk later. The pump is cooling down. は、名言サイトが日本語の言葉をほかの言語と一緒に訳した文です。映画の中では、パンプを「ジムで味わえるいちばんの感覚」と話しています。

Q3. 「ムキムキになったら嫌だ」への「安心しろ、あんたにはなれない」は本人の言葉?

元になる英語も、本人が言った場面も、Activel編集部が探した限り見つかりませんでした。日本のブログや note で好きな名言として紹介されている言葉で、英語の名言集にも載っていません。

Q4. 筋トレのやる気が出るシュワルツェネッガーの名言は?

シュワルツェネッガーの筋トレの名言では、28歳のボディビルダー時代の「痛みの壁を破れば、チャンピオンになれる」や「最後の3、4レップが筋肉を成長させる」は、あと1回がきつい時に思い出したくなる言葉です。78歳の本人は、ベッドから出たくない朝も「やる気が来るのを待たない。とにかく起きる」と書き、体を動かしているうちに元の自分に戻ると続けました。

Q5. シュワルツェネッガーは英語が苦手だった?

1968年に21歳でアメリカに来た時は、英語をほとんど話せませんでした。1970年代はじめにサンタモニカ・カレッジで英語を母語としない人のための英語の授業を取り、2005年の同校の卒業式では「ばかに見えるんじゃないかと怖かった」と振り返っています。俳優を目指すと強い訛りを欠点だと言われましたが、1991年の取材では、訛りを「もう僕のトレードマーク」と話しました。


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