松坂大輔の引退はいつ?理由と引退会見・引退試合、「許せ、大輔」の意味まで解説
松坂大輔の引退は2021年、41歳の時です。首の手術の後も右手のしびれが治らず、ブルペンで抜けた1球で投げるのが怖くなりました。松坂大輔の引退会見と日本ハム戦の最後の5球、引退セレモニーでイチローさんが言った「許せ、大輔」の意味も。
Writer
公式ライター Activel編集部
松坂大輔の引退が発表されたのは、2021年7月7日、40歳の夏でした。41歳で立った10月19日の最後のマウンドの相手は、22年前のプロ初登板と同じ日本ハム。1番に入った横浜高校の後輩・近藤健介選手に5球を投げ、四球で現役の幕を下ろしています。松坂大輔が引退を決めたきっかけは、その半年前、ブルペンで投げたたった1球でした。
松坂大輔の引退はいつ?引退した年齢と発表までの流れ

平成の怪物と呼ばれた松坂大輔の引退は、2021年のシーズン限りです。西武が今シーズン限りでの現役引退を発表したのは7月7日、誕生日の9月13日を前にした40歳の夏のことでした。本人がファンの前で引退を語った会見と最後の登板は10月19日で、マウンドを降りた時の年齢は41歳です。
発表から会見まで3か月以上かかったのは、本人がすぐには引退を受け止められなかったからでした。発表した後も気持ちが揺れ動いたまま会見を開くのをためらい、球団に待ってもらっていたと、会見で明かしています。発表の日には渡辺久信GM(ゼネラルマネジャー)も、体調面でも精神面でも万全とは言えない状態なので、回復してから本人の口で話す場を作ると伝えていました。
14年ぶりに西武へ戻ってから最後のセレモニーまでの2年間は、そのほとんどがリハビリと治療の時間です。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2019年12月 | 14年ぶりに西武へ復帰 |
| 2020年7月5日 | 首の手術 |
| 2021年4月末 | ブルペンで大きく抜けた1球 |
| 2021年5月初め | 球団に頼んで休む |
| 2021年7月7日 | 引退を発表(40歳) |
| 2021年10月19日 | 引退会見と最後の登板(41歳) |
| 2021年12月4日 | 引退セレモニー |
1999年に西武でプロの道を歩み始めてから、23年目のシーズンでした。
松坂大輔の引退の理由
松坂大輔がなぜ引退したのか、その理由は、右手のしびれとまひが治らず、思ったところへボールを投げられなくなったことです。首の手術を受けても症状は戻らず、最後は1球の怖さが決め手になりました。ただ、体の痛みはもっと前、2008年に右肩を痛めた時から13年も続いていました。首の手術、リハビリ、そしてブルペンの1球と、引退を決めるまでの1年あまりにも浮き沈みがありました。
2020年7月の首の手術
右手のしびれが強く出始めたのは、西武に戻って最初の春、2020年の春先でした。ちょうどコロナ禍の緊急事態宣言と重なり、トレーニングも治療も思うようにできないまま、症状は悪くなっていきます。「できれば手術は受けたくなかった」という本人が手術を選んだのは、首の痛みと右手のしびれで眠れない日が、ほぼ毎日のように続いたからでした。
2020年7月5日に受けたのは、球団が発表した、内視鏡を使った首(頚椎)の手術でした。この年、松坂大輔が一軍のマウンドに上がることは一度もありませんでした。
2021年4月のブルペンで抜けた1球
手術から年が明けた2021年の春、松坂大輔は打撃投手を務め、二軍(ファーム)の試合で投げられそうなところまで戻っていました。その話が出た矢先の4月の終わり、ブルペンでの投球練習で、前触れもなくボールが右打者の頭の方へ大きく抜けます。投手は指先の感覚でとっさに抜けを抑えるものですが、それができないほど、指先に感覚がありませんでした。
「そのたった1球で僕自身がボールを投げることが怖くなってしまった」。23年で初めての経験に大きなショックを受け、松井稼頭央二軍監督に時間をくださいと願い出ます。ゴールデンウィークのころから球団に頼んで休み、治療を受けながら2か月悩みましたが、しびれもまひもほとんど変わりませんでした。松坂大輔が引退を決めたのは、7月の初め、球団に伝える1週間ほど前のことです。
2008年から続いた肩の故障
右手のしびれより前から、松坂大輔は長く肩の痛みと付き合ってきました。自分の求めるボールを自信を持って投げられた最後として本人が挙げたのは、レッドソックス時代の2008年です。5月か6月、遠征先のオークランドでブルペンへ向かう途中に足を滑らせ、とっさにポールのようなものをつかんだ時に右肩を痛めました。その年のオフから肩の状態がいつもと違うと感じ始め、2009年ごろからは、痛みが出てもなるべく投げられるフォームを探す日々になります。
日本に戻ってからも肩の故障は続き、福岡ソフトバンクの3年間で一軍の登板は1試合だけでした。中日に移った2018年は6勝を挙げてカムバック賞に選ばれたものの、2019年は春のキャンプ中にファンとの接触で右肩を痛め、一軍の登板は2試合に終わっています。会見で「半分以上は故障との戦いだった」と23年を振り返ったのは、こうした年月があったからです。
松坂大輔の引退会見で語ったこと
その夜に最後の登板を控えた2021年10月19日の昼、本拠地のメットライフドームで引退会見が開かれました。「今日という日が来てほしかったような来てほしくなかったような」と、松坂大輔はまだ気持ちの整理がつかないことを隠しません。7月の発表からの日々については、「発表してから3カ月間、やれそうだなって思った日は一度もなかった」と打ち明けました。会見の最後には、入団の年からのチームメイトで、この時は投手コーチだった西口文也さんが、サプライズで花束を手渡しています。
家族への言葉
会見で松坂大輔の言葉が何度も止まったのは、家族の話になった時でした。やめると決めて妻に電話をかけると、ちょうどそばにいた息子も「本当に長い間、お疲れさまでした」と言ってくれた。そう話しながら、涙で言葉に詰まります。「だから会見したくなかったんですよね」という一言に、引退の報告がどれほどつらかったかがにじんでいました。
子どもたちに伝えた時のことも、引退のコメントの中で明かしています。少し前に「そろそろ辞めるかもね」と話した時は、遊ぶ時間が増えると喜んでいたのに、本当に辞めると伝えると、みんなしばらく泣いて黙ってしまったそうです。結婚する時に「自分が守っていく」と約束しながら、半分以上それができなかったと妻への申し訳なさも口にし、これからは庭で育てている野菜づくりのような時間を家族と増やしたい、と締めくくりました。
23年間の振り返りと諦めの悪さ
23年を振り返る言葉は、思いのほか辛口でした。「長くやった割には思ってたほど成績残せなかった」。日米通算170勝についても「ほぼ最初の10年で勝ってきた数字」と言い、入団の時に東尾修さんから200勝のボールをもらったのに、自分が200勝して返せなかったことを心残りに挙げています。
それでも、自分を褒めたいところを聞かれると、「諦めの悪さ」と答えました。選手生活の後半は、たたかれた分を力に変えてはね返そうとしてきたけれど、最後はそれに耐えられなかった。その諦めの悪さの原点として挙げたのが、横浜高校3年だった1998年夏の甲子園、PL学園との一戦です。長い間戦った自分にかける言葉を聞かれた時の答えは、「もう十分やったじゃん。長い間お疲れ様」でした。
会見の一問一答の全文は、パ・リーグ公式サイトで読めます。
松坂大輔の引退試合・最後の登板
会見から数時間後の夜、同じメットライフドームで、引退試合となる北海道日本ハム戦の先発のマウンドに松坂大輔が立ちました。この年初めての一軍の登板で、背中には5日前に戻したばかりの背番号18。会見では「本当は投げたくなかった」と打ち明けながら、最後にユニホーム姿でマウンドに立つ姿を見たいという人たちのために、「どうしようもない姿かもしれないですけど、最後全部さらけ出して見てもらおう」と決めていました。
最後の打者・近藤健介との5球
最後の打者は、1番に入った日本ハムの近藤健介選手、横浜高校の後輩です。カウント3-1からの5球目が内角に外れて四球。松坂大輔は両チームの選手とスタンドに深く頭を下げ、大きな拍手の中でマウンドを降りました。試合は日本ハムが勝ち、試合後には場内を一周してファンにあいさつしています。
投手コーチの西口文也さんは、登板の後のコメントで、自分の引退試合も四球だったことにかけて、「最後は僕と同じでフォアボールでしたね。大輔は3-1から、僕は3-2からフォアボール。ストライクが1球多いので僕の勝ちかな」と笑わせました。
背番号18に戻した最後のマウンド
最後のマウンドで背負ったのは、代名詞の背番号18です。西武に戻ってからの2年間は16番でしたが、引退試合の5日前の10月14日に NPB(日本野球機構)が18番への変更を発表し、この1試合のために18番が戻ってきました。
18番へのこだわりは、子どものころから変わりません。プロ野球を見始めたころ、桑田真澄さんの背番号18がとてもかっこよく見え、エースナンバーとは知らないまま、プロで投手をやるなら18番と決めていたといいます。会見では、周りに「いい加減にしろ」と言われるくらい18という数字にこだわってきた、とも話しています。憧れの人の言葉は、桑田真澄の名言53選で読めます。
プロ初登板と同じ日本ハム戦
最後の相手が日本ハムだったことには、もう1つの巡り合わせがあります。松坂大輔のプロ初登板も、1999年4月7日の日本ハム戦でした。18歳のルーキーはこの試合で155km/hを投げて周りを驚かせ、そのシーズンに16勝を挙げて新人王に輝きます。
155km/hの速球で始まった23年は、同じ日本ハムを相手に、5球の四球で幕を下ろしました。
松坂大輔の引退セレモニーとイチローの言葉
2021年12月4日、メットライフドームのファン感謝イベント「LIONS THANKS FESTA 2021」の中で、松坂大輔の引退セレモニーが行われました。約1万4000人のファンの前で「普通に投げられなくなるまで野球を続けられて、本当に幸せだった」とあいさつし、場内を一周してベンチへ戻ろうとした、その時です。大型画面に、マリナーズのユニホームを着たイチローさんが映し出されました。22年前、プロ1年目の松坂大輔が3打席連続の三振を奪った相手です。
「大輔、どんな言葉をかけていいのか、なかなか言葉が見つからない。だから僕にはこんなやり方しか出来ません。許せ、大輔」
画面はそこで切れ、数秒の静けさの後、一塁側のダッグアウトの横から、スーツ姿のイチローさん本人が花束を持って歩いてきます。その場でうずくまるほど驚いた松坂大輔は、花束を受け取り、「お疲れさまでした、長い間よく頑張ったね」と声をかけられて、こらえていた涙があふれました。何度か握手を交わしたイチローさんは、グラウンドに一礼して静かに去っています。
「許せ、大輔」の意味
「許せ、大輔」は、その前の「こんなやり方しか出来ません」と一緒に読むと意味が分かります。言葉が見つからないから、言葉の代わりに自分で会いに来て、花束を手渡す。そんなやり方でしか気持ちを伝えられないことを、イチローさんらしく短く「許せ」と言ったのだと、Activel編集部は読んでいます。画面の言葉だけを聞くと、会場に来られないことを謝っているようにも聞こえるので、その直後に本人が現れた驚きは大きく、スタンドからは悲鳴のような声が上がりました。
2人が初めて対戦したのは、1999年5月16日です。3打席連続の三振を奪った試合の後に話した「自信が確信に変わりました」は、今も松坂大輔の名言として知られる言葉になっています。それから22年、引退の日に駆けつけたのは、日本とアメリカで同じ時代を戦ってきたその相手でした。イチローさん自身の言葉は、イチローの名言58選で読めます。
松坂大輔の日米通算成績
23年で積み上げたのは、日米通算170勝108敗です。日本では西武から福岡ソフトバンク・中日、そして再び西武と渡り歩いて114勝、メジャーではレッドソックスとメッツで56勝を挙げました。
| リーグ | 期間 | 登板 | 勝利 | 敗戦 |
|---|---|---|---|---|
| 日本(NPB) | 1999〜2021年 | 219 | 114 | 65 |
| メジャー(MLB) | 2007〜2014年 | 158 | 56 | 43 |
| 日米通算 | 23年 | 377 | 170 | 108 |
NPB の個人年度別成績を1年ずつ見ていくと、日本での114勝のうち108勝は、西武時代の1999〜2006年の8年で挙げたものです。日本に戻った2015年以降の勝ち星は、中日での2018年の6勝だけ。最後の白星もこの2018年で、2019年12月に西武へ戻ってからの一軍の登板は、2021年10月19日の最後の1試合しかありません。
2006年と2009年のWBCでは2大会続けてMVPに選ばれ、2007年にはレッドソックスでワールドシリーズを制しました。新人王に輝いた1999年、沢村賞の2001年も含め、大きなタイトルと大舞台での活躍は、1999年から2009年までの11年に集まっていました。
松坂大輔の引退後と現在
引退会見で「違う角度で野球を観ていきたい」と話した松坂大輔は、引退後、野球を伝える側に回りました。2022年2月1日からはテレビ朝日の報道ステーションで野球コーナーの解説を務め、解説者としてのキャリアを始めています。
古巣の西武には、2023年と2024年の春、南郷キャンプの臨時投手コーチとして戻りました。投手を中心に教え、日米通算170勝の経験をもとにしたアドバイスは選手たちに好評でした。
ユニホーム姿でマウンドに立つ松坂大輔も、まだ見られます。イチローさんが率いる野球チーム、イチロー選抜 KOBE CHIBEN が高校野球女子選抜と戦う試合に毎年加わり、2025年8月31日の名古屋の試合で4年連続の出場になりました。背負う番号は、もちろん18です。
よくある質問(Q&A)
参考文献
- 埼玉西武ライオンズ「松坂大輔投手の今シーズン限りでの現役引退についてのお知らせ」 – 引退の発表(2021年7月7日)と渡辺久信GMのコメント
- 埼玉西武ライオンズ「松坂投手の手術終了についてのお知らせ」 – 2020年7月5日の脊椎内視鏡頚椎手術
- パ・リーグ.com「平成の怪物・松坂大輔引退会見、一問一答。」 – 引退会見での本人の言葉(引退の理由・家族・23年間の振り返り・背番号18)
- パ・リーグ.com「引退登板の松坂大輔に同僚・西口コーチらからコメント。」 – 最後の登板の内容・西口文也投手コーチのコメント・プロ初登板の日付
- NPB「松坂 大輔 個人年度別成績」 – 生年月日と日本での年度別成績
- テレ朝POST「松坂大輔、『報道ステーション』スポーツキャスターに就任!」 – 引退後の解説の仕事
- BS-TBS「高校野球女子選抜 vs イチロー選抜 KOBE CHIBEN」 – 2025年の試合への出場(4年連続)
最終アクセス日: 2026-10-18
商品やサービスを紹介いたします記事の内容は、必ずしもそれらの効能・効果を保証するものではございません。
商品やサービスのご購入・ご利用に関して、当メディア運営者は一切の責任を負いません。