佐々木麟太郎の名言50選!マーリンズ入団会見の言葉やインタビュー、英語の原文も
野球の佐々木麟太郎の名言です。「挑戦したかしなかったかを、選ぶ人生にしたい」と語ったマーリンズ入団会見の言葉、通訳なしの英語、寝られない日もあった大学の話まで。佐々木麟太郎の名言が、迷った時の背中を押します。
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公式ライター Activel編集部
佐々木麟太郎は、花巻東高校で高校通算140本塁打を放ち、アメリカのスタンフォード大学へ進んで、2026年7月にメジャーリーグのマーリンズ入りを決めた野球選手です。佐々木麟太郎の名言でまず読みたいのは、ドラフト1位で指名したソフトバンクではなく、8巡目で指名したマーリンズを選んだ時の「挑戦したかしなかったかを、選ぶ人生にしたい」です。実は同じ考え方は、高校3年でプロ志望届を出さなかった時の言葉にもう出ていました。高校3年の時の英語力はほぼゼロで、留学中は寝られない日もあったと話す本人が、入団会見では通訳なしで答えました。進む道に迷っている時こそ、佐々木麟太郎の名言を読んでみてください。
佐々木麟太郎のプロフィール
佐々木麟太郎は2005年生まれの岩手県北上市出身で、右投げ左打ちの一塁手です。父は花巻東高校の佐々木洋監督で、大谷翔平と菊池雄星は高校の先輩にあたります。麟太郎という名前は、幕末の勝海舟の幼い頃の呼び名に由来します。
基本プロフィール
今はマーリンズ傘下のチームの選手ですが、2026年9月の時点ではまだチームに合流できていないと本人が話しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 佐々木麟太郎 |
| 生年月日 | 2005年4月18日 |
| 年齢 | 21歳 |
| 出身 | 岩手県北上市 |
| 身長・体重 | 184cm・120kg(2026年7月の報道) |
| 投打・守備 | 右投げ左打ち・一塁手 |
| 出身校 | 花巻東高校 |
| 大学 | スタンフォード大学(休学) |
| 所属 | マーリンズ傘下(ルーキーリーグ) |
| 高校通算本塁打 | 140本 |
花巻東からスタンフォード、マーリンズまでのキャリアの歩み
花巻東高校では1年春からレギュラーになり、両肩の手術も乗り越えて、高校通算140本塁打を記録しました。これは練習試合を含む数です。甲子園は2022年春のセンバツが1回戦敗退、2023年夏が準々決勝敗退でした。2023年10月にはプロ志望届を出さずアメリカの大学へ進むと表明し、2024年3月に渡米、9月にスタンフォード大学へ正式に入学します。
スタンフォードでは2025年に52試合で打率.269・7本塁打、2026年に54試合で打率.262・16本塁打を記録しました。その間の2025年10月、日本のドラフトでソフトバンクとDeNAから1位で指名され、抽選でソフトバンクが交渉権を得ます。そして2026年7月12日、メジャーリーグのドラフトでマーリンズから8巡目(全体235位)で指名されました。
佐々木麟太郎がマーリンズを選ぶと表明したのは、7月19日の花巻市の会見です。7月23日にはマイアミにあるマーリンズの本拠地で入団会見に臨みました。契約金は21万200ドルです。ただ、9月の時点ではビザが取れずチームに合流できていないと本人が話し、本格的な始動は2027年2月の春のキャンプ(スプリングトレーニング)からの見通しです。
座右の銘
座右の銘に一番近いのは、マイアミの入団会見で自分の生き方のモットーだと話した「人と違う道を行く」です。父から教わった「悲観的に準備し、楽観的に挑む」も、本人の支えになっている考え方です。本人が座右の銘としてはっきり挙げた発言は見つかりませんでした。
佐々木麟太郎の名言50選

佐々木麟太郎の名言は、失敗してもいいから挑戦するという話に何度も戻ってきます。入団の時の言葉から読み始め、高校、進路の決断、大学の順に読むと、マーリンズを選んだ決断が急な思いつきではなかったと分かります。最後は、逃げたくなった時にどうするかを子どもたちに語った言葉です。英語で話した言葉は元の英語でも読めます。訳はMLB公式の日本語版や報道のもので、無いものは編集部の訳です。
マーリンズ入団を表明した会見の言葉
佐々木麟太郎の名言を1つだけ読むなら、2026年7月19日に地元の岩手県花巻市で開いた、入団表明の会見の冒頭の言葉です。ドラフト1位を断ってマーリンズを選んだ理由を、本人が話しました。その日に出した直筆のコメントにも、この決断への覚悟が書かれています。
01「この道が結果として失敗だったとしても、私自身、後悔は一切したくありません。」
— 2026年7月19日、岩手県花巻市の入団表明の会見の冒頭で
02「自分自身を軸にして、失敗したかしなかったか、ではなく、挑戦したかしなかったかを、選ぶ人生にしたいなという思いで、最終的にこの道を決断いたしました。」
— 2026年7月19日、入団表明の会見の冒頭で
03「『新たな道の開拓』が、佐々木麟太郎の使命、宿命だと心に刻み、アメリカで頑張って参ります」
— 2026年7月19日、本人の直筆のコメントで
04「最後の最後まで悩んだが、若い段階からアメリカで挑戦したい気持ちが自分の中で勝った」
— 2026年7月19日、マーリンズを選んだ理由を聞かれて
05「どちらも、世界で一、二を争う野球文化。どっちがいいかではなく、年齢の関係もあり、いつ野球人生が終わるか分からない中で、目標にしている環境に一番近い場所でプレーさせていただきたい気持ちで選んだ」
— 2026年7月19日、決断の決め手を聞かれて
06「自分自身もドラフト上位レベルではないと思っていた。指名を頂いたことに感謝の気持ちしかない。8巡目とか1巡目とかは関係なかった。」
— 2026年7月19日、8巡目での指名について聞かれて
07「ドラフト1位で指名していただいたことを感謝しかないと思っています。期待に応えられず、こういう決断になってしまったことを、自分自身本当に心から苦しく思っています。」
— 2026年7月19日、ソフトバンクへの思いを聞かれて
08「ここに来るまで、やっぱり父親の導きがなかったら、こんな人間、こんな野球選手もなってないと思うので、個人的には父親に対してはすごく深い思いもあります。」
— 2026年7月19日、父の佐々木洋監督について聞かれて
09「本当にお2人の存在が間違いなく私の人生、キャリアを作り上げてきた。お2人の存在は、私自身の人生の中でも誇りになるような大先輩。感謝の気持ちでいっぱいです。」
— 2026年7月19日、菊池雄星と大谷翔平について
10「自分自身のこの佐々木麟太郎という人間、野球選手というのは覚悟、宿命、使命、いろいろな言葉ありますけど、これをすべて背負いながら生きていくべきなんじゃないかなというのが自分の覚悟ですし、自分の生き様だと思っています」
— 2026年7月19日、家族への思いを聞かれて
11「スタンフォード大でプレーした2年間は、人生の一番の財産で宝物。米国で野球選手としても人間としてももまれた。成長を感じた。」
— 2026年7月19日、アメリカの大学での経験を聞かれて
佐々木が憧れを語り続けてきた先輩の言葉も読みたくなったら、大谷翔平の名言へどうぞ。
マイアミの入団会見で通訳なしで話した英語と、その後の言葉
高校3年で英語力がほぼゼロだった佐々木麟太郎が、2026年7月23日のマイアミの入団会見では、記者の英語の質問に通訳なしで答えました。ところが2か月後の9月には、ビザが取れずチームに合流できていないと明かします。その言葉まで読むと、挑戦がまだ始まったばかりだと分かります。
12「どの選択肢も素晴らしい。しかし、できるだけ早くメジャーリーグへ昇格することが常に目標であり、夢。だからこそ、これがこの道を選んだ大きな理由です。マイアミ(マーリンズ)は素晴らしい機会を与えてくれました。とても興奮しているし、非常に感謝しています。これが決断した大きな理由です」
“Anywhere is great options. … But my goal is, my dream is always going to be how I’m going to make the big leagues as soon as possible. So, that’s a big reason for choosing [this way]. Miami is giving me a great opportunity for me. So excited, too, and so grateful. That’s a big reason I choose.”
— 2026年7月23日、マイアミの入団会見で
13「ここでプレーできることに本当に感謝している。(イチローさんは)今はプレーしていないが、ここでプレーしたことを本当に尊敬している。そして今、自分がここにいることがとてもうれしい」
“I’m actually grateful to play here. [Suzuki’s] not playing right now, but I actually care for and really respect him for playing here. And now I’m here, I’m so glad.”
— 2026年7月23日、マイアミの入団会見で
14「スペイン語を話すように努め、勉強します。それが次の目標だと思う。自分はここでは英語のネイティブスピーカーではないので、まずは英語、そして同時にスペイン語にも勉強します」
“Maybe trying to speak Spanish, studying. I think that’s the next goal. I’m not like a native speaker here for English, so English first, and then coming to Spanish at the same time.”
— 2026年7月23日、マイアミの入団会見で
15「やっぱり人と違う道を行くというか、やっぱりチャレンジしたい。成功できればいいですけど、ダメだったらダメでしょうがないと思ってるので、これはプロの世界ですし、そこが自分自身の生き方のモットーだと思います。良くてもダメでも、まずやってみて、結果を受け止めて、また次は必ず何か起こると思うので、それに1つ1つ向き合えるよう、実践していきたい。」
— 2026年7月23日、マイアミの入団会見で日本語の質問に答えて
16「そういう選手たちが挑戦できる、挑戦しやすいような、道しるべを作れるような選手になりたいと思っています。」
— 2026年7月23日、マイアミの入団会見で
17「まだビザが取れてなくて…チームに参加できていないんです」
— 2026年9月17日、ロサンゼルスで今の状況を聞かれて
花巻東で高校通算140本塁打を打った頃の言葉
高校通算140本塁打は、当時の報道で歴代最多と伝えられた数です。周りが騒いでいた頃の佐々木麟太郎の名言には、自分を低く見る言葉が続きます。
18「記録には全く意識がない。いかに打撃の質を上げていくかが大事。この一年を通じて飛距離も出て、成果を感じているので、夏に向けてベストを尽くせるよう準備したい」
— 2023年4月1日、盛岡市の新球場での試合の後に
19「全然大したことないと思っています。自分よりうまい人は全国にいますから」
— 2023年5月、花巻東のグラウンドでのインタビューで
20「チームとして勝ち切れたのは100点ですが、自分は0点ぐらい。武器のバッティングが生かし切れなかった」
— 2023年7月26日、岩手大会の決勝で甲子園を決めた後に
21「自分まで回せとみんなが言ってくれて、回ってきたので自分は幸せだと思った。みんなにありがとうの思いで、全力で振ることだけを考えて打ちました」
— 2023年8月19日、夏の甲子園の準々決勝で敗れた後に
22「自分の野球人生は終わりではない」
— 2023年8月19日、同じ試合の後に進路を聞かれて
プロ志望届を出さず、スタンフォードへ進んだ時の言葉
高校通算140本塁打の選手が、なぜプロに進まずアメリカの大学へ行ったのか。本人は「野球もできる人間になりたい」と答えています。スタンフォードを選ぶまでの佐々木麟太郎の名言には、後のマーリンズの決断と同じ考え方がもう出ています。
23「最後の最後まで悩んだが、現段階ではプロ志望届を出さずに、米国の大学に行くことを考えている」
— 2023年10月10日、鹿児島国体で履正社に敗れた後に
24「自分自身の生き方としては、野球だけできる人間を目指しているのではなく、野球もできる人間になりたい。」
— 2023年12月、花巻東高校での合同取材で
25「野球人生だけで決断したわけではありませんし、自分自身の人生の考え方で一瞬の喜びではなく一生の喜びでと、意思を持って最終的に決断しています。」
— 2024年2月20日、スタンフォード大学への進学が決まった後の取材で
26「人生の可能性をいかに広げていくかが大事だと思っている。勉強も野球も100%尽くしたい」
— 2024年2月20日、同じ取材で
27「プロ野球界での記録だけではなく記憶にも残る偉大な長嶋茂雄選手がつけていた番号というのは強い印象と自分が『3』をつけてプレーできる喜びのイメージが頭の中に残ったので、大学と話し合って決めさせていただきました」
— 2024年2月20日、大学の背番号3を選んだ理由を聞かれて
28「とにかく失敗の連続だった。失敗を繰り返し、それに対し変えていくために、向き合ってきた。その時間は、3年間で1番の思い出です」
— 2024年3月1日、花巻東高校の卒業式の日に
29「自分は、周りに作られてきた人間です」
— 2024年3月、卒業の後のインタビューで
30「(日本とメジャー)両方で指名されるレベルに上がっていきたい。最終的なゴールは自分の中では雄星さんと翔平さんと同じ舞台で」
— 2024年3月、高橋由伸さんの取材に
スタンフォード大学の2年間を語ったインタビューの言葉
佐々木麟太郎のインタビューを読むと、スタンフォードの2年間がどれだけ苦しかったかが分かります。英語を理解するところから始めるので、勉強には人の2倍、3倍の時間がかかったと話しています。
31「やるべきことをしただけです」
“Yeah. I just did my job.”
— 2025年2月、リーグの開幕戦で勝った後に通訳なしで答えて
32「僕が日本の高校球児たちにどんな影響を与えるかはわからないけど、僕は僕の道を行くだけです。野球がうまくいかなくても、僕は僕の道を行く。スタンフォードに来たかった。それが僕の理由であり、僕の人生なんだ」
— 2025年2月、大学の開幕を前に英語で答えて
33「覚悟していたつもりだったんですけど、それでも足りなかったと思います」
— 2025年8月、留学の大変さを聞かれて
34「まずは英語を理解することから始まる。やっとそこから勉強に入っていけるので、人よりも2倍、3倍の時間がかかる。正直、全然、寝られない日もありました」
— 2025年8月、同じインタビューで
35「自分としても、大変な選択をしたなっていうのは思いますけれど、この苦難の道を誇りに思っています。一瞬の喜びより、一生の喜びを求めたい。今後の人生のことを考えたら間違いなくプラスになるので、そこをモチベーションにしながらやっています」
— 2025年8月、同じインタビューで
36「私は物事に対して『悲観的に準備し、楽観的に挑む』ようにしています。これは父から教わった考え方で、自分の支えになっています。」
— 2025年8月、一時帰国中のインタビューで
37「自分がやったことは自分自身に返ってくる。人生は、ブーメランと一緒だと思うんです。そんな話を、小さい頃から『言われる』のと『言われない』のでは人生が大きく変わったと思います」
— 2025年10月、大学の寮でのインタビューで
38「今は滑走路にすら乗っていない状況だと思っています。離陸前ですね。だから、飛行機の機体に技術やパワーといった燃料をしっかりと蓄えたい。その状態になって滑走路に乗れるか。そこが大切だと思っています」
— 2025年10月、大学の寮でのインタビューで
39「正直、不甲斐ない一年でした。もうちょっと自分に期待していたので」
— 2026年2月に公開された、大学1年目を振り返る取材で
40「去年は、何もかもが挑戦でした。スタンフォードの生活も、アメリカでの1年目も。英語が話せない。授業も、ふだんの会話も、すべてが大変でした」
“Last year, everything was a challenge. Stanford life, my first year in the United States. I’m not speaking English. Classes, general conversation, everything has been hard.”
— 2026年4月に公開された、大学の新聞の取材で
41「日本の高校野球の文化では、高校からディビジョン1の野球へ行く人はいません。今の僕がしていることは、開拓者のようなものです」
“As baseball culture in high school in Japan, nobody gets to Division I baseball after high school… It’s a pioneer thing, what I’m doing right now.”
— 2026年4月に公開された、大学の新聞の取材で(ディビジョン1はアメリカの大学スポーツの最上位の区分)
42「バットはバットですよ。僕にとっては何も変わりません」
“Bat is bat, honestly. Nothing changes for me.”
— 2026年6月23日、ドラフト前の合同の打撃練習の後に
子どもたちへの言葉
少年野球では後ろにボールをそらすほど下手だった。佐々木麟太郎の名言の最後は、そう明かして子どもたちに語りかけた言葉です。この節の言葉の多くは、入団を表明する2週間前の2026年7月5日に、岩手県のJALスタジアム花巻で、小中学生ら約60人を前に話したものです。逃げたくなった時にどうするかという話は、大人にもそのまま当てはまります。
43「挑戦することを恐れないで欲しい」
— 2025年8月、中学生・高校生の野球少年へ伝えたいことを聞かれて
44「大事なのは考え方。逃げたくなったとき、あえて一番難しい選択をしてほしい」
— 2026年7月5日、花巻市の交流イベントで
45「ピンチはチャンス。『ここで打てば試合の流れを変えられる』と思うようにしている」
— 2026年7月5日、ピンチの場面の心構えを聞かれて
46「自分の中では人以上に、人と違うことをして練習しなきゃいけないという感覚が、当時からありました」
— 2026年7月5日、少年野球の頃を振り返って
47「当時中学3年間は1日800球くらい練習していた。12月31日も1月1日もバットを振っていた。」
— 2026年7月5日、花巻東に入る前の父との練習を振り返って
48「勉強しないことが一番後悔なので、皆さんテストとかあると思いますし、練習もあると思うんですけど、一番きつい選択をしてほしいなと思います。」
— 2026年7月5日、花巻市の交流イベントで
49「高校3年生で『アメリカの大学に行きます』と言った時、英語力がほぼゼロに近かったんです。」
— 2026年7月5日、英語の勉強について聞かれて
50「誰かに頼ると英語がしゃべれなくなる。自分を追い込まなきゃいけない。とにかくしゃべって、聞いた。2年たって、だいぶしゃべれるようになってきた」
— 2026年7月5日、花巻市の交流イベントで
よくある質問(Q&A)
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