北口榛花の名言30選!「名言が残せなかった」とパリ五輪・世界陸上の言葉
「名言が残せなかった」。やり投げの北口榛花が、パリ五輪の金メダルの日に笑って話したこの一言は、流行語にもなりました。単身チェコへ渡った大学生の決意、涙の予選落ちから「帰ってきたよ」と言えるまでの北口榛花の名言は、笑って挑み続ける元気をくれます。
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公式ライター Activel編集部
パリ五輪で金メダルを取った日の会見で、やり投げの北口榛花は「ひとつ心残りがあるとすれば名言が残せなかった」と笑いました。その一言さえ流行語になった北口榛花の名言は、明るく、まっすぐです。単身チェコへ渡った大学生の時の決意から、東京世界陸上で泣いた予選落ちを越えて「帰ってきたよ」と言えるまで、言葉が生まれた場面と一緒に読むと、笑って挑み続ける元気がわいてきます。
北口榛花のプロフィール
北口榛花(きたぐち はるか)は、女子やり投げの選手です。2023年のブダペスト世界陸上と2024年のパリ五輪で金メダルを取り、2026年9月には68m92の日本記録を出しました。女子のトラックとフィールドの種目で五輪の金メダルを取った日本選手は、北口選手が初めてです。
基本プロフィール
生年月日や成績は次の表のとおりで、2020年からは JAL のアスリート社員としてやり投げを仕事にしています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1998年3月16日 |
| 出身地 | 北海道 |
| 身長 | 179cm |
| 出身校 | 旭川東高校・日本大学 |
| 所属 | JAL |
| 種目 | やり投げ |
| 自己ベスト | 68m92(2026年9月) |
| 五輪 | 2024年パリ 金・2021年東京 12位 |
| 世界陸上 | 2023年 金・2022年 銅 |
生い立ち:競泳とバドミントンからやり投げ、チェコへ
子どもの頃の北口選手は、3歳からスイミングスクールに通い、小中学校ではバドミントンも続けていました。やり投げに出会ったのは旭川東高校に入ってからで、陸上部の顧問に誘われても最初は断り続けていたそうです。高校1年の秋にやり投げに絞ると、3年になった2015年には18歳以下の世界一を決める世界ユース選手権で優勝しました。
ところが日本大学に入ると、リオ五輪を目指す中で右肘を痛め、指導を受けていたコーチも退任してしまいます。2018年の日本選手権で予選落ちした後、その秋にフィンランドの会議で出会ったチェコのセケラック コーチに、自分から指導を頼み込みました。翌2019年2月に単身でチェコへ渡り、まず1か月の練習から指導を受け始めています。この年からチェコが練習の拠点です。今では英語とチェコ語で、海外のメディアの取材にも答えています。
日本記録から世界陸上の金、パリ五輪の金、2026年の日本新までの歩み

チェコへ渡った2019年に日本記録を2度更新してから、北口選手は世界の大会でメダルを重ねていきます。ただ、ずっと順調だったわけではなく、東京五輪と2025年の東京世界陸上では、けがを抱えて戦い、悔し涙を流しました。
- 2019年5月: 木南記念で64m36の日本新
- 2019年10月: 北九州陸上カーニバルで66m00の日本新
- 2021年8月: 東京五輪で、日本の女子やり投げとして57年ぶりの決勝に進み、けがを抱えて12位
- 2022年7月: オレゴン世界陸上で銅メダル(63m27)
- 2023年8月: ブダペスト世界陸上で金メダル(66m73)
- 2023年9月: ダイヤモンドリーグのブリュッセル大会で67m38の日本新
- 2024年8月: パリ五輪で金メダル(65m80)
- 2025年9月: 東京世界陸上で予選落ち(60m38)
- 2026年5月: 男子やり投げの世界記録保持者、ヤン・ゼレズニー氏をコーチに迎えると発表
- 2026年9月: 新しく始まった世界アルティメット選手権で68m92の日本新を投げて優勝。愛知・名古屋アジア大会で銀メダル
座右の銘
北口選手が座右の銘として挙げた言葉は見つかりませんでしたが、いちばん近いのは、お母さんに言われてきた言葉です。2022年12月の表彰式では、試合中に跳びはねて喜ぶ自分の映像を見ると恥ずかしいと話したうえで、「母から『笑顔は幸せを引き寄せるよ』と言われています」と明かしました。
お母さんは元実業団のバスケットボール選手で、小さな頃からスポーツ選手の厳しさも伝えてくれた人です。笑顔の裏で本人は「私、本当は泣き虫なんです」とも話していて、苦しい時ほど笑おうとしてきたことが、下の名言からも伝わってきます。
北口榛花の名言30選
北口榛花の名言には、世界一になった日の喜びだけでなく、コーチがいなくて苦しんだ大学時代や、東京五輪で泣いた日、地元の世界陸上で予選落ちした日の言葉もあります。日本記録を出した日の朝に鼻血が止まらず、「言い訳ができて、リラックスして投げられた」と笑うような明るさの裏で、どう自分を動かしてきたのかを、北口榛花の言葉が教えてくれます。
やり投げを始めてチェコへ渡り、日本記録を出すまでの名言
コーチのいない大学時代に、北口選手は「辞めない」と決め、チェコのコーチに自分から指導を頼みました。この時期の言葉には、環境のせいにせず自分で動く強さが出ています。チェコ語も分からないまま飛び込んだ大学生は、その年のうちに日本記録を2度塗り替え、世界記録まで口にするようになります。
01「1投に全部の力を注いでいい。そういうところも自分の性格に合っているのかなと思いました」
— 2019年のインタビューで、やり投げに出会った高校時代を振り返って
02「陸上で大学に来て、辞めたら何も残らない。…だから、結果が出なかったとしても絶対に辞めない、と心に決めていました。」
— 日本大学の時、コーチがいなかった頃を振り返って
03「このままじゃ本当にダメになってしまう。自分でなんとかしなくちゃ」
— 2018年の日本選手権で予選落ちした時の気持ちを、後のインタビューで振り返って
04「世界で一番飛ばせるようになるには、『世界で一番飛ばしたことのある選手がいる国で習ったほうが早い』と思っていました」
— 2023年10月のインタビューで、チェコを選んだわけを聞かれて
05「何となく環境のせい、他人のせいにするのではなく、自分で動くことが大切です。」
— 2019年11月のインタビューで、チェコのコーチと出会った時を振り返って
06「日本人には無理かと思われるかもしれないけど、世界記録(72メートル28)も目指したいし、世界選手権や五輪で金メダルを狙いたい」
— 2019年5月6日、木南記念で日本新を投げた後に
07「68mや70mなど『無理だ』と言われている記録だって夢じゃない。」
— 2019年11月のインタビューで、ドーハの世界陸上で感じたことを聞かれて
東京五輪のけがとオレゴンの銅メダルの名言
東京五輪では、日本の女子やり投げとして57年ぶりの決勝に進みながら、けがで12位に終わり、涙のインタビューになりました。その翌年のオレゴン世界陸上では、最後の6投目で順位を上げて銅メダルを取っています。泣いている自分も認めてほしいと話した選手は、1年で世界のメダリストになりました。
08「笑っている私も、泣いている私も、両方自分なので、泣いている私を見て幻滅はしないでほしい…」
— 2021年8月6日、東京五輪の決勝で12位に終わった後の取材で
09「まだ自分が歴史を変えるチャンスはある。次はもっと元気に、世界大会のここ(取材エリア)を通れるようにしたい」
— 2021年8月6日、東京五輪の決勝の後の取材で
10「『あ、これが、私が乗り越えなきゃいけない局面だ』と思った。…『6投目、(自分は投げることが)できる子だ』(笑)と思っていた。」
— 2022年7月22日、オレゴン世界陸上で銅メダルを取った後に
11「自分がやっていることは『私だからできること』じゃなくて、『みんなができること』だというふうに思って、日本のやり投の選手たちがみんなで頑張っていけたらいいなと思う。」
— 2022年7月22日、オレゴン世界陸上の銅メダルの意味を聞かれて
12「母から『笑顔は幸せを引き寄せるよ』と言われています。」
— 2022年12月7日、ゆうもあ大賞の表彰式で
ブダペストの最後の1投で世界一になった時の名言
2023年8月25日のブダペスト世界陸上で、北口選手は4位で最後の6投目を迎え、66m73を投げて逆転で金メダルを取りました。陸上の日本の女子選手が、五輪と世界陸上でマラソン以外の金メダルを取ったのは、これが初めてです。投げる前には観客に手拍子を求め、試合後のコメントでは体が浮いているようだと笑いました。
13「嬉しすぎて、身体が軽いんですよ。なんかちょっと浮いているんじゃないかって思うくらい、3cmくらい浮いてるんじゃないかなって思うくらいふわふわしていて(笑)。」
— 2023年8月25日、ブダペスト世界陸上で金メダルを取った後に
14「自分が必ず歴史を作ると決めてここにやってきた」
— 2023年8月25日、ブダペスト世界陸上で金メダルを取った後のインタビューで
15「『北口は最終投てきに強い』とずっと言われてきたし、本当に『自分は強いんだぞ』というところを見せたかった。」
— 2023年8月25日、4位で迎えた6投目の気持ちを聞かれて
16「ハンガリーの人たちは、国籍に関係なく絶対に拍手してくれるってわかっていたので、最後は良くても悪くても後悔しないように臨もうと思って(手拍子を)リクエストしました。」
— 2023年8月25日、6投目の前に観客に手拍子を求めたことについて
17「誰もやっていなかったことを自分で選んでやりましたし、誰もできなかった結果に辿り着けて、本当に嬉しいです。」
— 2023年8月25日、自分で道を切り拓いて取った金メダルについて聞かれて
パリ五輪の金メダルと「名言が残せなかった」の言葉
「名言が残せなかった」は、2024年8月10日にパリ五輪で金メダルを取った当日の公式会見で、オリンピックはどんな舞台だったかと聞かれた時の一言です。チェコ語と英語と日本語で取材を受け続けて頭の中で言葉が混ざっていたと笑いながら話した一言で、その年の新語・流行語大賞のトップ10に入りました。同じ日には、もっと遠くへ投げたいという70mの夢も口にしています。
18「嬉しいだけでは足りないくらい、本当に言葉にできないくらいの気持ち。いまだにまだ実感が湧かない。」
— 2024年8月10日、パリ五輪で金メダルを取った直後に
19「本当に誰かが(自分を)信じてくれていなかったら、ここには立てていなかったと思う。」
— 2024年8月10日、パリ五輪の金メダルの後に、不安があったシーズンを振り返って
20「夢の中ではなくて、現実で70メートルを投げたい。満足できない理由があるのはとても幸せ」
— 2024年8月10日、パリ五輪の金メダルの後に、次の目標を聞かれて
21「ひとつ心残りがあるとすれば名言が残せなかった。いい言葉が、疲れているのもあって、言語が混ざりすぎて言えなかったのが残念。でも世界中の人々が集まって競技できたことが幸せだった」
— 2024年8月10日、パリ五輪の金メダルの後の公式会見で
22「身近でできることはすべてやったと思っていました。もっと遠くに手を伸ばさなくてはいけない、遠くに手を伸ばさないと自分の思っているような結果は出せないと思ったからこそ踏み出せた1歩でした。」
— 2024年8月11日のインタビューで、チェコへ行った時を振り返って
23「『名言を思いつきましたか?』とお話をいただくんですけど…。名言を残すのは難しいと身にしみて感じたパリオリンピックでした」
— 2024年12月2日、新語・流行語大賞の授賞式で
24「夢を持つことはとても大切で、でも夢はずっと同じでなくていい。そのときどきで自分がやりたいことをするのが人生を楽しく過ごす秘訣だと思います。」
— 2024年12月に掲載された雑誌のインタビューで
けがと予選落ちを越えて、2026年に日本新を投げるまでの名言
2025年の東京世界陸上で、北口選手は右肘のけがから戻ったばかりの体で予選落ちし、目に涙を浮かべて取材に答えました。翌年1月には7年間一緒だったコーチとの契約を終え、5月には男子やり投げの世界記録保持者、ヤン・ゼレズニー氏を新しいコーチに迎えています。そして2026年9月、北口榛花はインタビューで、堂々と「帰ってきたよ」と言える結果を出せたと話します。
25「世界大会の借りは世界大会でしか返せないと思います。ここで決勝に残れなかったからといって『人生終わりだ』というふうには思わないので、ちょっと長い休みは必要かもしれないですが、強くなって戻ってきたいと思います。」
— 2025年9月19日、東京世界陸上で予選落ちした後に
26「『競技を続けるにあたって色々な世界を見てみたい』そのような思いでこの一歩を踏み出しました。」
— 2026年1月20日、本人の Instagram で、コーチとの契約を終えると伝えて
27「やっと胸を張って、堂々と『帰ってきたよ』と言える結果を出せて良かった」
— 2026年9月12日、世界アルティメット選手権で68m92の日本新を投げた後に
28「何よりも、彼女(優勝した中国の厳子怡選手)を1人旅させてしまった。そこで勝負ができなかったというのが一番悔しい」
— 2026年9月27日、愛知・名古屋アジア大会で銀メダルを取った後に
29「この結果で『まだ私は世界と戦いたいのだ』という意思表示をすることができたと思う。」
— 2026年9月27日、アジア大会の後に今季を振り返って
30「絶対に70メートルを投げられる力はある。また来年、挑戦したい」
— 2026年9月27日、アジア大会の後の取材で
投てき種目や短距離、長距離など、ほかの陸上選手の言葉も読みたくなったら、陸上選手の名言100選がおすすめです。
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