錦織圭の名言75選!全米オープン準優勝から怪我、引退セレモニーまでの言葉
「勝てない相手はもういない」は、錦織圭の名言として広まった、2014年全米オープンの会見の言葉の一部です。全米オープン準優勝、怪我との闘い、2026年の引退会見と最後の試合、引退セレモニーまで、錦織圭の名言75選を言った日付と場面とともに読めます。
Writer
公式ライター Activel編集部
2014年の全米オープンで生まれ、その年の流行語大賞の候補にもなった錦織圭の名言「勝てない相手はもういない」は、実際には「勝てない相手は、もういないと思うので、できるだけ上を向いてやりたいですね」と続く言葉でした。小学校の卒業文集から2026年10月の引退会見まで、錦織圭の名言75選を、言った日付と場面とともに載せています。
錦織圭のプロフィール
錦織圭は、1989年に島根県松江市で生まれ、2026年10月に現役を引退したテニス選手です。世界ランキングは最高4位まで上がり、四大大会では2014年の全米オープンで準優勝、オリンピックでは2016年のリオデジャネイロ大会で銅メダルを取りました。錦織圭の名言の多くは、こうした大舞台と、何度も続いた怪我からの復帰の中で生まれています。
基本プロフィール
身長178cmと、トップ選手の中では小柄な体で世界の4位まで上り詰めた選手です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1989年12月29日 |
| 出身地 | 島根県松江市 |
| 身長 | 178cm |
| 利き腕 | 右 |
| プロ転向 | 2007年 |
| ツアー優勝 | シングルス12回 |
| 世界ランキング最高 | 4位(2015年3月) |
| 四大大会の最高成績 | 2014年全米オープン準優勝 |
| オリンピック | 2016年リオ大会 銅メダル |
| 現役引退 | 2026年10月 |
2015年3月に到達した世界ランキング最高4位は、アジアの男子選手としてそれまでで最も高い順位でした。
松江からアメリカ留学、全米オープン準優勝、2026年の引退までの歩み
5歳のとき、父親と公園でテニスを始めました。小学生時代の2001年、小学6年生で全国選抜ジュニア・全国小学生大会・全日本ジュニア12歳以下の3つの大会に優勝し、11歳からは松岡修造さんが主宰するジュニア合宿の修造チャレンジにも参加しています。中学時代の2003年、13歳で盛田正明テニス・ファンドの支援を受けてアメリカ留学に踏み出し、フロリダの IMG アカデミーで腕を磨きました。
- 2007年: プロに転向
- 2008年2月: 18歳でツアー初優勝
- 2009年: 右ひじを手術し、約1年試合に出られず
- 2014年9月: 全米オープンで日本選手初の四大大会(グランドスラム)決勝に進み、準優勝
- 2015年3月: 世界ランキング4位
- 2016年8月: リオ五輪で銅メダル
その後も2017年に右手首、2022年1月には左股関節の手術と、怪我との戦いが続きます。2026年5月1日に今季限りの引退を発表し、7月の会見では引退の理由を「体を戻して戦うという決断がメンタル的にできなくなっていった」と話しました。そして10月1日、地元のジャパンオープン1回戦が現役最後の試合(引退試合)になり、6日の引退セレモニー、11日の引退会見でファンにテニス人生を語っています。錦織選手のサーブの速さはテニスのサーブ最速ランキングで、得意とした打ち方はライジングショットの打ち方とコツで詳しく読めます。
座右の銘
錦織圭には、本人が大切にしてきた言葉が2つあります。どちらも本人の公式ブログに書いたもので、座右の銘として語った言葉は、Activel編集部が確かめた範囲では見つかりませんでした。
- 大切にしている言葉(2009年7月22日のブログ): 「悩んで解決する悩みと、悩んでも解決しない悩みがある」
- 部屋の壁に貼っている言葉(2011年3月14日のブログ): 「人間の本当の強さは何度転んでも起き上がれる事。どんな状況になっても人は必ずそこから立ち上がれることができる。」
1つ目について、本人は「解決しない悩みは悩んでも仕方ないんだと。それなら前を向いて進むしかない」と書き添えています。2つ目は東日本大震災の直後に紹介した言葉で、錦織選手は続けて「どこかで誰かが言ってました。僕の部屋の壁にずっと貼ってあります。」と書いており、本人が考えた言葉ではありません。
錦織圭の名言75選
小学校の卒業文集に「夢は世界チャンピオンになること」と書いた少年は、2026年10月の引退会見で、自分が成し遂げたことを「50くらいですかね。100と言いたいところですけど。」と採点しました。錦織圭の名言75選は、全米オープンや怪我、引退といった場面ごとに分け、それぞれの中は古い順で、英語で話した言葉には英語の原文も添えています。
小学生の卒業文集とジュニア時代の言葉
錦織圭が初めて世界を意識したのは、小学6年生の時でした。島根で過ごした小学生時代の夢や、13歳で踏み出したアメリカ留学は、大人になってからの言葉の中で何度も振り返られています。
01「夢は世界チャンピオンになること」
— 小学校の卒業文集に書いた言葉(自伝『頂点への道』で紹介)
02「テニスが好きだった理由は、エースを取る感覚が好きだったからかな・・・。」
— 2009年7月22日、公式ブログでファンの質問に答えて
03「世界で勝負したい――最初にそう思ったのは、小学校六年生の時です。」
— 2011年春、雑誌『考える人』に寄せた文章で
04「小さい頃に『背中に猿を背負うな』と言われました。よけいな思いや、プレッシャーを背負いすぎるなと。」
— 2010年4月10日、ひじの手術後の復帰1勝目を前に公式ブログで
05「アメリカに渡ったことで、いろいろな選手と対戦できました。選手として強くなれたし、世界は思っていたほど遠くないと感じられました」
“Moving to the United States allowed me to play against a lot of different players. I was able to get stronger as a player and felt that the world wasn’t as far away as I thought.”
— 2012年2月、東京での AP 通信のインタビューで
2014年の全米オープン準優勝の時の言葉
2014年の全米オープンで、錦織圭は日本選手として初めて四大大会の決勝に進みました。4回戦の後の会見で「勝てない相手はもういない」が生まれ、決勝はチリッチに敗れて準優勝。大会の前の8月上旬には右足の親指の付け根の手術を受けていて、1回戦の当日まで出場できるかどうか分からなかった大会でした。2か月後の会見では、本人が「勝てない相手」の真意を話しています。
06「18歳の時は、フェレールに勝った後にほぼ満足して、うわの空の状態で次の試合を戦った。それに比べたら、今は当たり前のようにここまで来て、まだまだ先は長いという感じ。」
— 2014年8月、全米オープンでベスト16に進んだ後に
07「来る前は考えられなかったけど、1回戦を勝った後、足の調子も良く、テニスの調子も良かったので、そこからは自分を信じてやれている。」
— 2014年9月2日、全米オープン4回戦でラオニッチに勝った後に
08「勝てない相手は、もういないと思うので、できるだけ上を向いてやりたいですね」
— 2014年9月2日、全米オープン4回戦の後の会見で
09「体は問題ない。より強い自信を得た。どうやって試合を終えたのかは覚えていない」
— 2014年9月3日、全米オープン準々決勝でワウリンカに勝った後に
10「世界1位の選手に勝てたなんて、本当にすごい。最高の気分です」
“It’s just amazing, an amazing feeling beating the No. 1 player.”
— 2014年9月6日、全米準決勝でジョコビッチに勝って
11「グランドスラムの決勝に出ることは、僕にとって初めてのことなので、もちろん緊張したりもするだろうけど、しっかり気持ちの準備を整えておきたい」
— 2014年9月6日、全米オープン準決勝の後に
12「決勝という舞台で、力が出せなかったのは悔しいですね」
— 2014年9月8日、全米オープン決勝でチリッチに敗れた後に
13「今日はトロフィーを取れなくてごめんなさい。でも次は必ず」
“Sorry I couldn’t get the trophy today, but for sure next time.”
— 2014年9月8日、全米オープン決勝の後の表彰式で
14「そんな簡単に来られるところではないことを、十分にわかっている。グランドスラムで活躍することがずっと目標なので、この悔しさを忘れずに、また優勝を目指したい」
— 2014年9月8日、全米オープン決勝の後に
15「意識して言ったわけではないが、反響が大きくてびっくりした。これまでは試合に入る前に既に負けていた。メンタル的に強くならないとトップには行けない。自分を追い込むために言った言葉だ。」
— 2014年11月18日、日本記者クラブの会見で
試合とメンタルについての言葉
18歳だった2008年2月、錦織圭は予選から勝ち上がって ATP ツアー初優勝を挙げました。そこから世界のトップ5に入り、2016年のリオ五輪では、日本のテニスに1920年以来96年ぶりのオリンピックのメダルをもたらしています。勝った試合の喜びだけでなく、負けた後に気持ちの持ち方をどう変えたかを書いた言葉も、この時期に多く残っています。
16「ジェームズ・ブレークに勝ったなんて、まだ信じられません。テレビでしか見たことのない選手です。今までで最高の大会になりました」
“I still can’t believe it that I beat James Blake. I’ve only seen him on TV. This is my best tournament ever.”
— 2008年2月17日、ツアー初優勝の表彰の場で
17「まだ信じられません。僕もいいプレーをしていたし、彼もいいプレーをしていました。自分にとって一番大きな勝利です」
“I still can’t believe it. I was playing great and he was playing great, too. Biggest win for me.”
— 2008年8月30日、全米3回戦でフェレールに勝って
18「まだまだ自分のベストのプレーは出来てませんが強い選手に勝つことで強くなってきてるのは感じます。」
— 2010年9月9日、全米オープンの後に公式ブログで
19「この負けですごく痛感したのが気持ちの強さ、体力の強さです。……なのでこの負けから学んだことがたくさんあったと思います。」
— 2011年1月24日、全豪3回戦に敗れて公式ブログで
20「日本ではたくさんの人が家を失い、家族、友人を失っているのを目の当たりにして、その中で試合に臨むのは胸が痛みましたが僕にできるのは全力でプレーすることだと思いプレーしました。」
— 2011年3月14日、震災直後の試合の後に公式ブログで
21「信じられませんが、この勝利を喜びたいと思います。……試合前には、自分がやってきたことを信じて戦う、と言い聞かせていました。」
— 2011年11月5日、世界1位のジョコビッチに勝って
22「いやもういい訳はできないということです。上にいくのに。自分の可能性をもっと信じてこれからも臨みたいと思います!」
— 2011年11月7日、ランキングが20位台に上がって公式ブログで
23「今日負けた悔しさと、まだまだトップ4に勝てないという現実がまだまだ先は長いと感じさせられます。でも今は正直にこの結果を喜びたいと思います。」
— 2012年1月25日、全豪で初めてベスト8に入った後に公式ブログで
24「考え方でこんなに変わるのかと思いましたが、こういうのの積み重ねでメンタルも自分自身も強くなっていくんでしょうね。」
— 2012年4月12日、調子を取り戻した後に公式ブログで
25「最後にツアーを優勝したのが2008年で4年間の間この瞬間を待ちわびていました。」
— 2012年10月8日、楽天ジャパンオープン優勝の後に
26「あまり考えすぎないようにしています。考え始めると、自分でプレッシャーを感じてしまうので」
“I try not to think too much because if I start thinking then I feel pressure myself.”
— 2013年7月、CNN で日本の期待について聞かれて
27「僕にとって、テニスはずっと趣味でした。運がいい男です」
“For me, playing tennis was always my hobby, I am a lucky guy.”
— 2013年7月、CNN のインタビューで
28「誰とやろうと、勝ちにいく気持ちで向かえています。勝てるチャンスはあるし、自分もそういう認識が頭でできています」
— 2014年6月、ハレの大会の準決勝でフェデラーに敗れた後に
29「やっぱりいい試合をしたところで、(負けたら)何も得られないというか、どんな相手でも勝たないと悔しさが残る。ツアーファイナルズといえど、やっぱり負けるのは悔しいですね」
— 2014年11月15日、ツアーファイナル準決勝の後に
30「5位というのは落ち着かないですし、ランキングを見るたびに変な位置にいるなとも思います。」
— 2014年11月、世界5位でシーズンを終えた時に
31「全豪のナダルとやった試合で、今までにない充実感と、テニス自体が変わっていると実感したし、ナダルを追い詰められたと実感した。信じることができるきっかけになった」
— 2014年末、飛躍のきっかけの試合を聞かれて
32「いいプレーできなくて苦しい場面もありましたけど、最後までファイトして、日本のために頑張るというのは心地いいというか、楽しかったですね」
— 2016年8月14日、リオ五輪で銅メダルを取った後に
33「まあ……、やっぱり本当は金が欲しかったので……」
— 2016年8月、リオの後のシンシナティで
怪我と向き合った言葉
2009年、19歳の錦織圭は右ひじにひびが入り、手術を受けて1年近く試合から離れました。その後も2017年の右手首、2022年の左股関節と怪我が続き、離脱するたびに、焦りや迷いを自分の言葉で書き残しています。
34「でも先が全く見えないんです。いつ治るかも分からないし、いつまたテニスができるか分からない。それが一番つらいです。」
— 2009年6月22日、右ひじの故障で離脱中に公式ブログで
35「何より手術を経験したことで、今まで見えなかったことも見えてきてこの経験は今後の自分にプラスになると思います。プラスにしていきます!!」
— 2009年12月25日、リハビリを終えて公式ブログで
36「復帰当初は全く思うようにプレーができず、かなり悩みました。でもそれにはひとつひとつ積み重ねていくしかないんですよね。フォームだったり、ショットの感覚だったり。自信を積み重ねる事が一番だと思います。」
— 2010年9月16日、公式ブログで応援のメッセージへの返事として
37「今回の怪我でたくさん学んだことがあります。ひとつは気持ちが強くなったこと。常に上向きの姿勢でいることができていると思います。」
— 2010年9月16日、公式ブログで応援のメッセージへの返事として
38「でもやはり前を見て歩かないとダメなんですよね。過去のことを振り返ってばかりいたんですが、ふと目の前の目標に集中したら嫌なことは消えていきました。」
— 2010年9月16日、公式ブログで応援のメッセージへの返事として
39「いまだから言えることかもしれないけれど、怪我をしたことによってプラスになったこともありました。……もうひとつは周囲のサポートのありがたさです。」
— 2011年春、雑誌『考える人』に寄せた文章で
40「だいぶ落ち着いてプラスにも考えられるし、無理矢理プラスにしなくてもいいと楽に考えて、結構ポジティブにいられたりします」
— 2017年11月、右手首の怪我からのリハビリ中に
41「最初の数カ月は大変だと思いますけど、何かそれも苦しいながらも、多分楽しんでできると思う。」
— 2017年11月、右手首の怪我からの復帰を前に
42「1回辞める(選択肢)もちらついたが、(この日同席した)フェデラーを見ていても、まだ30代後半まではできるかなと最終的には思えた」
— 2022年11月19日、フェデラーと同席したイベントで
43「自分でもビックリするくらい、良い結果が出たのでUSオープンに向けて、もっともっとレベルを上げてトップ100に早く入れるように頑張ります。」
— 2023年6月18日、約1年8か月ぶりの復帰大会で優勝して
フェデラーや松岡修造さんについて語った言葉
錦織圭はフェデラーを「理想のプレイヤー」と書き、松岡修造さんを「ヒーロー」と呼びました。フェデラーとは16歳の頃に初めて練習相手を務め、2010年にも練習の相手をした後、2013年に試合で初めて勝ち、2026年10月の引退記念イベントではダブルスを組んでいます。
44「(トップ50に入った日本選手は)松岡さんだけです。僕は彼を超えたい」
“He (Matsuoka) is the only one (player from Japan) to reach the top 50. I want to pass him.”
— 2008年2月16日、デルレイビーチの大会の準決勝に勝った後に
45「昨日今日とフェデラーのヒッティングをしてきました。すごい為になったと言いたいところですがそうでもありませんでした。笑 フェデラーは練習の時完全に力が抜けています。」
— 2010年6月1日、フェデラーの練習相手を務めて公式ブログで
46「理想のプレイヤーといえば、やはりロジャー・フェデラーです。」
— 2011年春、雑誌『考える人』に寄せた文章で
47「ずっと昔から目指して背を見てきた選手。テニスをする上で彼をたおすことが夢のひとつでした。」
— 2013年5月13日、フェデラーに初めて勝って公式ブログで
48「僕にはヒーローが2人います。1人目は松岡修造さん。日本で最高のテニス選手でした。そしてロジャー・フェデラー」
“I have two heroes. The first one is Shuzo Matsuoka, he was the best tennis player in Japan. And Roger Federer.”
— 2013年7月、CNN のインタビューで
49「彼の試合は楽しいし、かっこいいし、見ていて驚くショットが多い。本当に完璧」
— 2022年11月19日、フェデラーを迎えたイベントで
50「でも特に修造さんのせい(笑)。めちゃくちゃ泣いていて、もらい泣きした。修造さんからキャリアがスタートしたようなものなので」
— 2026年10月1日、最後の試合の後に涙の理由を聞かれて
51「練習中はめちゃくちゃリラックスしている。フットワークも力感も5割くらいで、ポイント練習もその力感でやる。……天才とはこういう人なのだと思った」
— 2026年10月11日、16歳での練習相手の経験を振り返って
52「一瞬だけど、フェデラー、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)、ラファエル・ナダル(スペイン)がいなくなれと思っていた時期があった」
— 2026年10月11日、世界4位になった頃を振り返って
53「打たれたときに『クソッ』と思うと同時に少しうれしかった。真剣勝負の最中に。ちょっと変わっているのかな」
— 2026年10月11日、フェデラーとの対戦を振り返って
54「ロジャーと初めて組めてすごく良い思い出になりました」
— 2026年10月11日、フェデラーとダブルスを組んで
フェデラーが錦織選手の強みを語った言葉はロジャー・フェデラーの名言に、松岡修造さんが錦織選手に向けた応援の言葉は松岡修造の名言に載っています。
面白い名言・迷言7選
2026年10月1日、現役最後の試合の後の会見で、試合の感想を聞かれた錦織圭は10秒ほど考え込み、「試合?」と首をかしげました。飾らない答えで笑いを誘う場面は、引退の会見に限らず、インタビューやファン向けの企画でも見られます。
55「ショッピングと寝ることが大好きです。オフの日には、たまに昼前まで寝てしまうこともあります。」
— 2014年9月、CNN で休日の過ごし方を聞かれて
56「タルタルソースですね。あとはウスターソース。醤油ではあまり食べないかな」
— 2020年4月、「アジフライには何をかけますか」と聞かれて
57「ちょっと恥ずかしいんだけど、ペンギンになりたかったんだ」
— 2021年3月、子どもに「子どもの頃の夢」を聞かれて
58「たぶん、昨日かな(笑)」
— 2021年3月、同じ企画で「最近泣いたのはいつですか」と聞かれて
59「ルールを変えるなら、180センチ以下の選手は2~3歩前から打って、今のAIの工夫で、打ったらシュンってベースラインまで戻って、打ったら戻っているみたいなものができたらいいな」
— 2026年10月1日、現役最後の試合の後の会見の最後の質問で
60「半分くらいはお世辞じゃないですか」
— 2026年10月11日、フェデラーにほめられて
61「先日、引退して2日目くらいにやったのは、ランチ頼んで、そのあとデザート2つ頼むとか。」
— 2026年10月11日、引退会見で引退後にやりたいことを聞かれて
引退会見、最後の試合、引退セレモニーの言葉
2026年5月1日に引退を発表してから10月11日の引退会見まで、錦織圭は何度も自分の言葉で引退を語りました。引退の理由を話した7月の会見から、最後の試合の後の涙、セレモニーで家族に向けた言葉まで、本人の引退コメントには悔いと満足の両方がたびたび出てきます。
62「今日は皆さまにご報告があります。このたび、今シーズンをもって現役を引退する決断をいたしました。」
“Today, I have an announcement. I have decided to retire from professional tennis at the end of this season.”
— 2026年5月1日、本人の X での引退の発表
63「それでも『テニスが好きだ』『もっと強くなれる』という思いが、何度でも自分をコートに戻してくれました。」
“Even so, my love for tennis and my belief that I could become a stronger player always brought me back to the court.”
— 2026年5月1日、引退の発表の文章で
64「正直に言えば、今でもコートに立ち続けたい気持ちはあります。それでも、これまでのすべてを振り返ったとき、『やり切った』と胸を張って言える自分がいます。」
“To be honest, I still wish I could continue my playing career. Even so, looking back on everything up to this point, I can proudly say that I gave it my all.”
— 2026年5月1日、引退の発表の文章で
65「痛いところが3つ、4つあり、ここからまた体を戻して戦うという決断がメンタル的にできなくなっていった」
— 2026年7月26日、引退表明後初の会見で理由を聞かれて
66「これが(現役)最後の試合だったら、やめるにやめられないな」
— 2026年7月29日、ワシントンの大会の2回戦に敗れた後に
67「最後のろうそくの火が彼にすべて消された」
— 2026年8月28日、全米オープンの予選で坂本怜に敗れた後に
68「やり切ったって言いたいが、やり切ってない部分もあるし。当たって砕けろで、砕けた感じ」
— 2026年8月28日、全米オープンの予選決勝の後に
69「終わった瞬間に、5歳からテニスを始めて、これだけ積み上げてきた30年がここで終わっちゃうんだなぁ、本気でプレーすることがなくなるんだなという喪失感みたいのが一気に押し寄せてきたんで。悲しさがやっぱり大きい。」
— 2026年10月1日、最後の試合の後のコート上で
70「本当に負けず嫌いなんですかね。もうちょっと見せたかったですねぇ。それしかない。やっぱり、ちょっとどっかネジ外れてるんでしょうね。最後までこの負けず嫌いがなくならなくてよかったなと思ってます。」
— 2026年10月1日、最後の試合の後のコート上で
71「悔いもたくさん残ってます。結果もやっぱりもうちょっと出したかったなという思いもあったし、国枝(慎吾)さんみたいに金メダル、グランドスラム取りまくる、そんなことはできなかったんですけど、でも、すごく楽しいテニス人生を送れました。」
— 2026年10月6日、引退セレモニーの最後のあいさつで
72「最初のライバルとしてお姉ちゃんが引っ張ってくれたのは、やっぱり今の僕のキャリアにすごく大事な時間だったと思うので、あの時はすいませんでした。」
— 2026年10月6日、引退セレモニーで家族について
73「これからまずはちょっと休ませてください。必ず、戻ってきて何かはします。」
— 2026年10月6日、引退セレモニーの最後に
74「テニスとは何だったんだろうって考えた時に、自分のめちゃくちゃ長い青春時代をテニスに全部注げたなってすごく思います。」
— 2026年10月11日、引退会見でテニスについて
75「あまり言いたくないですけど、50くらいですかね。100と言いたいところですけど。」
— 2026年10月11日、引退会見で自分の挑戦を採点して
テニス選手の名言をもっと読みたい人は、フェデラーやナダル、大坂なおみなどの言葉を集めたテニス選手の名言47選もどうぞ。
よくある質問(Q&A)
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