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女子バレーの監督とは?全日本の歴代監督をわかりやすく紹介!

女子バレーの監督とは?全日本の歴代監督をわかりやすく紹介!

全日本女子バレーの歴代監督は、おもに男性がつとめましたが、現在は中田久美監督が就任しています。延べ24人の個性豊かな監督が、東洋の魔女から現在の火の鳥NIPPONを牽引しました。歴代の名将は、バレーボール女子日本代表を率いるだけでなく、世界のバレーの普及に尽力した実績を持ちます。

2023.09.23 バレーボール

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女子バレーの監督とは?

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バレーボール女子日本代表の監督は、おもに男性がつとめてきました。全日本女子は、初代の前田豊監督や東京オリンピックで金メダルを獲得した大松博文監督の時代から、守備力を重視してチーム作りをしています。時代の変化に伴い、監督の指導方法も大きく変わってきたのも特徴です。

現在の中田久美監督も守備力を重視していますが、現代の世界のバレーボールに対応するために、守備力とスピードそして緻密な戦略を武器にしています。

女子バレーの監督の特徴

歴代女子バレー監督の特徴は、おもに男性が務めていることです。指導方針は大きく分けて2つのタイプに分けられます。

・自分の方針に従わせるスパルタ方式
・選手の長所をほめて、鼓舞する指導方法

監督の方針は時代の流れとともに変わり、現在では東京オリンピックのころのスパルタ方式から大きく方向転換しました。2000年以降は、怒るべきところは怒るが、基本的には選手の長所を生かす指導方法がとられています。

女子バレーの現在の監督

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全日本女子バレーの現在の監督は、現役時代名セッターで名をはせた中田久美監督です。中田監督は歴代で2人目の女性監督で、初代女性監督の生沼スミエ氏に大きな影響を受けています。

中田監督は2016年10日、日本バレーボール協会の理事会で満場一致で日本代表監督に選出されました。中田監督の容赦ない叱責は、時に選手やスタッフを震え上がらせるほどですが、全ては中田監督のバレーボールに対する情熱のなせる業といえます。

中田久美監督

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生年月日 1965年9月3日
身長 176cm
所属チーム履歴 日立:1981~1992年、1995~1996年
ポジション セッター
中田久美監督は、中学入学後にバレーボールを始め、中学2年のときにバレーボールの英才教育チームLAエンジェルスに入団しました。高校は通信制にしてバレーに専念した中田監督は、史上最年少の15才で全日本のセッターに抜擢されました。

現役時代名セッターで輝かしい成績を残した中田監督は、久光スプリングスのコーチ・監督を経て全日本で2人目の女性監督です。中田監督の熱血指導は選手を鼓舞し、チームに活気を与えています。

全日本女子バレーの歴代監督(1997~2020年)

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人気女子バレー選手が続々と登場し、バレー人気が上がった1997~2020年ごろは、テレビでもお馴染みの葛和監督・柳本監督・真鍋監督が全日本女子の指揮をとりました。魅力的な選手たちと監督の個性で、女子バレーの知名度と人気が上がった時期です。

監督と選手が一体となり喜怒哀楽を表すスタイルは、日本女子バレーの新しい形です。小柄で器用な日本人選手の特徴を生かした戦術は、現在は世界中が参考にしています。

氏名 就任時の所属 在任期間
真鍋政義 久光製薬 2009~2016年
柳本晶ー 所属なし 2003~2008年
吉川正博 NEC 2001~2002年
葛和信元 NEC 1997~2000年

真鍋政義監督

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生年月日 1963年8月21日
身長 188cm
所属チーム履歴  新日鐵ブレイザーズ:1986~1998年
イベコパレルモ(イタリア):1999年
旭化成スパーキッズ:2000~2001年
パナソニックパンサーズ:2002~2003年
旭化成スパーキッズ:2004~2005年
ポジション セッター
真鍋監督は中学校時代はスパイカーで、高校でセッターに転向し、インターハイの優勝に貢献しました。インカレやVリーグでも活躍し、元日本代表の名セッターでも知られています。

プレミアリーグ監督会の推薦で全日本女子の監督に選ばれた真鍋監督は、アナリストを採用したIDバレーを採用しました。引退を決めていた木村沙織をキャプテンに招聘して、ロンドン五輪で銅メダルを獲得、五輪でのメダル獲得は28年ぶりです。

柳本晶一監督

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生年月日 1951年6月5日
身長 182cm
所属チーム履歴 帝人三原:1970年
新日本製鐵:1971~1991年
ポジション セッター
現役時代の柳本監督は、全日本メンバーのセッターで輝かしい結果を出しました。新日鐵で選手権監督をつとめた時期もあります。

柳本監督は、2003年に女子バレー復活請負人の名目で全日本女子代表監督に就任します。柳本監督は、ベテランの吉原知子選手をキャプテンにし、大山加奈選手や栗原恵選手たち若手を積極的に起用する大胆な采配で、2003年のワールドカップで5位、2004年のアテネ五輪で5位の成績を残しました。

葛和伸元監督

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生年月日 1955年1月6日
身長
所属チーム履歴 日本電気男子バレー部:1973~1076年
ポジション スパイカー
葛和監督は就任時に選手の大型化をめざしました。アタッカーだった大貫美奈子選手をセッターにコンバートしましたが、結果が出せず、NECの教え子だった竹下佳江選手を抜擢します。葛和ジャパンは2002年のシドニー五輪予選で敗退し、葛和監督は日本女子バレー史上初の五輪不出場の結果となり責任を取って辞任しました。

しかし、葛和監督の熱血指導とチーム作りは、後の柳本監督のチーム作りに活かされていきます。

全日本女子バレーの歴代監督:低迷期(1984~1996年)

オリンピック出場の歴史 | NPO法人日本バレーボール・オリンピアンの会 (161166)

氏名 就任時の所属 在任期間
米田一典 JVA 1983~1984年
小島孝治 JVA 1985~1986年
岩本洋 日立 1987年
山田重雄 日立 1988年
宗内徳行 日本体育大学 1989年
米田一典 JVA 1990~1993年
横田忠義 JVA 1994年
小島孝治 ユニチカ 1995年
吉田国昭 ユニチカ 1996年
東京オリンピック以来世界の頂点に君臨していた日本女子バレーは、1984年のロスアンゼルス五輪で3位に甘んじてから長期間の低迷期に突入しました。

全日本女子バレーは日立中心の単独チーム方式で臨んでいましたが、1986年から所属チームにこだわらない純粋選抜方式に方向転換します。しかし順位は上がらず再度単独チーム方式を取りますが不本意な結果が続きました。混迷の時期は、監督も短いスパンで変わっています。

小島孝治監督

生年月日 1930年6月29日 
身長
所属チーム履歴 四天王寺高等学校監督:1953~1955年
日紡貝塚女子バレーボール部監督:1965年~
ポジション オールラウンダー
小島監督は、日紡貝塚女子バレーボール部監督時代に、山田重雄監督が率いる日立と日本一の順位を争った名監督です。小島監督は、関西弁の人情味あふれる監督でした。

小島監督は1970年に全日本女子の監督に初就任して、後に日本リーグの2大監督の山田監督と交代で采配を取る時期が長く続きました。小島監督が徹底して推進した拾ってつなぐバレーは、​日本女子バレーの特徴的なスタイルで、伝統は現在まで受け継がれています。

山田重雄監督

生年月日 1931年10月26日
身長
所属チーム履歴 日立武蔵監督:1965年~
ポジション オールラウンダー
山田重雄監督は、1900年代に小島孝治監督とともに日本女子バレーを牽引した人物です。山田監督は理詰めの戦略と、相手チームを徹底的に研究するやり方でチームを率い知将と呼ばれました。

山田監督は、1990年代にサッカーのプロ化が進みJリーグが開幕した流れに影響を受けて、バレーのプロ化を提案します。しかし、他の企業が乗り気でなかった理由で、従来の日本リーグがVリーグと改組するだけで終わりました。

横田忠義監督

ミュンヘン五輪バレー 再結成 - YouTube (161152)

生年月日 1947年9月26日
身長 194cm
所属チーム履歴 松下電器:1970~1978年
ポジション スパイカー
横田忠義監督は現役時代、大古誠司選手・森田淳悟選手とともにビッグ3と呼ばれ、ミュンヘン五輪で金メダルを獲得した名アタッカーです。

横田監督は、NECエレクトロニクスの監督を経て1994年に全日本女子の監督に就任しました。全日本女子の監督の中で、現役時代に功績を残したことが評価されての監督就任は珍しいケースでした。監督に就任した年のアジア大会3位、世界バレー7位と成績は振るわず翌年に退任しました。

全日本女子バレーの歴代監督:日ソ2強時代(1960~1983年)

オリンピック出場の歴史 | NPO法人日本バレーボール・オリンピアンの会 (161165)

氏名 就任時の所属 在任期間
前田豊 1960年
大松博文 日紡貝塚 1961~1964年
船山浩志 ヤシカ 1966~1967年
前田豊 日本文化出版 1967年
山田重雄 日立 1967~1968年
小島孝治 ユニチカ 1970~1972年
船山浩志[ ヤシカ 1973年
山田重雄 日立 1973~1978年
小島孝治 ユニチカ 1978~1982年
生沼スミエ 日立 1982年
1951年に国際バレーボール連盟に加入した前田豊監督率いる全日本女子は、初の世界大会の世界バレーでソ連に敗れたものの、初出場で銀メダルを獲得しました。

全日本女子は1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得し、以後30年近くソ連と日本の2強時代となります。当時の全日本女子は、日立武蔵を中心にした単独チーム方式でした。

生沼スミエ監督

生年月日 1946年10月8日
身長 171cm
所属チーム履歴 日立武蔵:1965~1972年
ポジション セッター・センタープレーヤー
生沼スミエ監督は、山田監督の下でにセッターで活躍して、日立武蔵第一期黄金時代を築きました。全日本女子チームでも、1967年の世界選手権の優勝に貢献、メキシコ五輪とミュンヘン五輪で銀メダルを取った後、現役引退しました。

生沼監督は、全日本女子で日本初の女性監督です。女性監督2人目の中田久美監督は、現役時代に生沼監督の指導を受けた経験があり、大いに影響を受けたと語っています。

大松博文監督

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生年月日 1921年2月12日
身長
所属チーム履歴 ニチボー貝塚:1939年~
ポジション
大松博文監督は、東京オリンピックで全日本女子チームを金メダルに導いた監督です。大松監督の指導はスパルタで、鬼の大松​のニックネームも有名になりました。

回転レシーブは大松監督の考案で、守備を重視したバレースタイルは現在まで引き継がれています。大松監督の俺についてこいの名文句は、著書を生み映画化もされ、東洋の魔女とともに一躍有名になりました。

前田豊監督

生年月日 1915年9月25日
身長
所属チーム履歴 早稲田大学バレー部
ポジション レシーバー
前田豊監督は、全日本女子バレーの初代監督です。前田監督は早稲田大学時代に日本選手権で優勝し、全日本男子メンバーに選ばれました。大学卒業後はバレー指導者に転身、以後バレーの指導と日本のバレーボール普及に尽力しました

全日本男女のナショナルチームの強化に努めた前田監督は、バレーだけではなく日本のスポーツ界のリーダーの1人で、20世紀を創った人々550の1人に選ばれています。前田監督は、まさしく日本バレーの育ての親です。

女子バレーの歴代コーチとは?

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全日本女子の歴代コーチは、現役時代の名選手ではなくVリーグのコーチやトレーナー、JVAの協会員がつとめることが多いです。女性ではなく男性がコーチになるケースが多いのも特徴です。

現在では中田久美監督の下で、元日本代表男子の監督・寺廻太氏が女子強化委員長をつとめ、チームスタッフとともに指導をしています。

フェルハト・アクバシュコーチ

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生年月日 1986年4月15日
国籍 トルコ
身長 196cm
ポジション スパイカー
フェルハト・アクバシュコーチは、全日本女子史上ただ1人の外国人コーチです。フェルハトコーチは2017年から2年間コーチをつとめ、メンバーの信頼を集めましたが、ルーマニアの女子チームCSMブカレストの監督の両立が難しくなり退任しました。

中田久美監督のもとでアクティブなコーチングをしたフェルハトコーチは、日本でコーチをしたことは自分にとって誇りであり、よい時間を過ごしたと語っています。

寺廻太強化委員長

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生年月日 1958年1月22日
身長
所属チーム履歴 日本電気:1980~1987年
ポジション センタープレーヤー
寺廻太氏は、33歳で現役を引退してNECの監督に就任し、若き名将といわれました。寺廻氏は全日本男子バレーの監督でも有名で、抜群の統率力と斬新なスタイルで選手の信頼を集めています。

全日本男子の監督退任後の寺廻氏は、海外へコーチ留学をしチャイニーズ台北の監督を経て日本へ戻った後、さまざまなチームの監督・コーチを歴任しています。現在では全日本女子チームの強化委員長で、各コーチと連携してチーム強化につとめています。

伝統ある女子バレーを牽引する歴代監督

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バレーボール女子日本代表の歴代監督は、創成期から現在までさまざまな個性を持つ人物がつとめています。国際バレーボー連盟に加入してすぐに世界の頂点に立った伝統ある全日本女子は、世界のバレーボールを牽引してきました。

全日本女子の歴代監督は監督業だけでなく、日本や世界のバレーボールの普及に貢献してきた人物なことも大きな特徴です。

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