女子バレーの監督とは?全日本の歴代監督をわかりやすく紹介!
全日本女子バレーの歴代監督は、おもに男性がつとめましたが、現在は中田久美監督が就任しています。延べ24人の個性豊かな監督が、東洋の魔女から現在の火の鳥NIPPONを牽引しました。歴代の名将は、バレーボール女子日本代表を率いるだけでなく、世界のバレーの普及に尽力した実績を持ちます。
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公式ライター Activel_director
女子バレーの監督とは?
現在の中田久美監督も守備力を重視していますが、現代の世界のバレーボールに対応するために、守備力とスピードそして緻密な戦略を武器にしています。
女子バレーの監督の特徴
・自分の方針に従わせるスパルタ方式
・選手の長所をほめて、鼓舞する指導方法
監督の方針は時代の流れとともに変わり、現在では東京オリンピックのころのスパルタ方式から大きく方向転換しました。2000年以降は、怒るべきところは怒るが、基本的には選手の長所を生かす指導方法がとられています。
女子バレーの現在の監督
中田監督は2016年10日、日本バレーボール協会の理事会で満場一致で日本代表監督に選出されました。中田監督の容赦ない叱責は、時に選手やスタッフを震え上がらせるほどですが、全ては中田監督のバレーボールに対する情熱のなせる業といえます。
中田久美監督
生年月日 | 1965年9月3日 |
身長 | 176cm |
所属チーム履歴 | 日立:1981~1992年、1995~1996年 |
ポジション | セッター |
現役時代名セッターで輝かしい成績を残した中田監督は、久光スプリングスのコーチ・監督を経て全日本で2人目の女性監督です。中田監督の熱血指導は選手を鼓舞し、チームに活気を与えています。
全日本女子バレーの歴代監督(1997~2020年)
監督と選手が一体となり喜怒哀楽を表すスタイルは、日本女子バレーの新しい形です。小柄で器用な日本人選手の特徴を生かした戦術は、現在は世界中が参考にしています。
氏名 | 就任時の所属 | 在任期間 |
---|---|---|
真鍋政義 | 久光製薬 | 2009~2016年 |
柳本晶ー | 所属なし | 2003~2008年 |
吉川正博 | NEC | 2001~2002年 |
葛和信元 | NEC | 1997~2000年 |
真鍋政義監督
生年月日 | 1963年8月21日 |
身長 | 188cm |
所属チーム履歴 | 新日鐵ブレイザーズ:1986~1998年 |
イベコパレルモ(イタリア):1999年 | |
旭化成スパーキッズ:2000~2001年 | |
パナソニックパンサーズ:2002~2003年 | |
旭化成スパーキッズ:2004~2005年 | |
ポジション | セッター |
プレミアリーグ監督会の推薦で全日本女子の監督に選ばれた真鍋監督は、アナリストを採用したIDバレーを採用しました。引退を決めていた木村沙織をキャプテンに招聘して、ロンドン五輪で銅メダルを獲得、五輪でのメダル獲得は28年ぶりです。
柳本晶一監督
生年月日 | 1951年6月5日 |
身長 | 182cm |
所属チーム履歴 | 帝人三原:1970年 |
新日本製鐵:1971~1991年 | |
ポジション | セッター |
柳本監督は、2003年に女子バレー復活請負人の名目で全日本女子代表監督に就任します。柳本監督は、ベテランの吉原知子選手をキャプテンにし、大山加奈選手や栗原恵選手たち若手を積極的に起用する大胆な采配で、2003年のワールドカップで5位、2004年のアテネ五輪で5位の成績を残しました。
葛和伸元監督
生年月日 | 1955年1月6日 |
身長 | ー |
所属チーム履歴 | 日本電気男子バレー部:1973~1076年 |
ポジション | スパイカー |
しかし、葛和監督の熱血指導とチーム作りは、後の柳本監督のチーム作りに活かされていきます。
全日本女子バレーの歴代監督:低迷期(1984~1996年)
氏名 | 就任時の所属 | 在任期間 |
---|---|---|
米田一典 | JVA | 1983~1984年 |
小島孝治 | JVA | 1985~1986年 |
岩本洋 | 日立 | 1987年 |
山田重雄 | 日立 | 1988年 |
宗内徳行 | 日本体育大学 | 1989年 |
米田一典 | JVA | 1990~1993年 |
横田忠義 | JVA | 1994年 |
小島孝治 | ユニチカ | 1995年 |
吉田国昭 | ユニチカ | 1996年 |
全日本女子バレーは日立中心の単独チーム方式で臨んでいましたが、1986年から所属チームにこだわらない純粋選抜方式に方向転換します。しかし順位は上がらず再度単独チーム方式を取りますが不本意な結果が続きました。混迷の時期は、監督も短いスパンで変わっています。
小島孝治監督
生年月日 | 1930年6月29日 |
身長 | ー |
所属チーム履歴 | 四天王寺高等学校監督:1953~1955年 |
日紡貝塚女子バレーボール部監督:1965年~ | |
ポジション | オールラウンダー |
小島監督は1970年に全日本女子の監督に初就任して、後に日本リーグの2大監督の山田監督と交代で采配を取る時期が長く続きました。小島監督が徹底して推進した拾ってつなぐバレーは、日本女子バレーの特徴的なスタイルで、伝統は現在まで受け継がれています。
山田重雄監督
生年月日 | 1931年10月26日 |
身長 | ー |
所属チーム履歴 | 日立武蔵監督:1965年~ |
ポジション | オールラウンダー |
山田監督は、1990年代にサッカーのプロ化が進みJリーグが開幕した流れに影響を受けて、バレーのプロ化を提案します。しかし、他の企業が乗り気でなかった理由で、従来の日本リーグがVリーグと改組するだけで終わりました。
横田忠義監督
生年月日 | 1947年9月26日 |
身長 | 194cm |
所属チーム履歴 | 松下電器:1970~1978年 |
ポジション | スパイカー |
横田監督は、NECエレクトロニクスの監督を経て1994年に全日本女子の監督に就任しました。全日本女子の監督の中で、現役時代に功績を残したことが評価されての監督就任は珍しいケースでした。監督に就任した年のアジア大会3位、世界バレー7位と成績は振るわず翌年に退任しました。
全日本女子バレーの歴代監督:日ソ2強時代(1960~1983年)
氏名 | 就任時の所属 | 在任期間 |
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前田豊 | ー | 1960年 |
大松博文 | 日紡貝塚 | 1961~1964年 |
船山浩志 | ヤシカ | 1966~1967年 |
前田豊 | 日本文化出版 | 1967年 |
山田重雄 | 日立 | 1967~1968年 |
小島孝治 | ユニチカ | 1970~1972年 |
船山浩志[ | ヤシカ | 1973年 |
山田重雄 | 日立 | 1973~1978年 |
小島孝治 | ユニチカ | 1978~1982年 |
生沼スミエ | 日立 | 1982年 |
全日本女子は1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得し、以後30年近くソ連と日本の2強時代となります。当時の全日本女子は、日立武蔵を中心にした単独チーム方式でした。
生沼スミエ監督
生年月日 | 1946年10月8日 |
身長 | 171cm |
所属チーム履歴 | 日立武蔵:1965~1972年 |
ポジション | セッター・センタープレーヤー |
生沼監督は、全日本女子で日本初の女性監督です。女性監督2人目の中田久美監督は、現役時代に生沼監督の指導を受けた経験があり、大いに影響を受けたと語っています。
大松博文監督
生年月日 | 1921年2月12日 |
身長 | ー |
所属チーム履歴 | ニチボー貝塚:1939年~ |
ポジション | ー |
回転レシーブは大松監督の考案で、守備を重視したバレースタイルは現在まで引き継がれています。大松監督の俺についてこいの名文句は、著書を生み映画化もされ、東洋の魔女とともに一躍有名になりました。
前田豊監督
生年月日 | 1915年9月25日 |
身長 | ー |
所属チーム履歴 | 早稲田大学バレー部 |
ポジション | レシーバー |
全日本男女のナショナルチームの強化に努めた前田監督は、バレーだけではなく日本のスポーツ界のリーダーの1人で、20世紀を創った人々550の1人に選ばれています。前田監督は、まさしく日本バレーの育ての親です。
女子バレーの歴代コーチとは?
現在では中田久美監督の下で、元日本代表男子の監督・寺廻太氏が女子強化委員長をつとめ、チームスタッフとともに指導をしています。
フェルハト・アクバシュコーチ
生年月日 | 1986年4月15日 |
国籍 | トルコ |
身長 | 196cm |
ポジション | スパイカー |
中田久美監督のもとでアクティブなコーチングをしたフェルハトコーチは、日本でコーチをしたことは自分にとって誇りであり、よい時間を過ごしたと語っています。
寺廻太強化委員長
生年月日 | 1958年1月22日 |
身長 | ー |
所属チーム履歴 | 日本電気:1980~1987年 |
ポジション | センタープレーヤー |
全日本男子の監督退任後の寺廻氏は、海外へコーチ留学をしチャイニーズ台北の監督を経て日本へ戻った後、さまざまなチームの監督・コーチを歴任しています。現在では全日本女子チームの強化委員長で、各コーチと連携してチーム強化につとめています。
伝統ある女子バレーを牽引する歴代監督
全日本女子の歴代監督は監督業だけでなく、日本や世界のバレーボールの普及に貢献してきた人物なことも大きな特徴です。
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