テニスの歴史とは?発祥国や起源・始まりはいつからなの?【硬式】
テニスの歴史は、紀元前のエジプトから始まります。その後、フランス、イギリスで現在のテニスの原型となるスポーツが発祥しました。日本では明治時代にテニスが伝来し、ゴムまりを打ち合う軟式テニスが誕生します。時代と共にテニスボールやラケット、ルールが変化していきます。現在ではメジャースポーツの1つとして世界各地でプレーされています。
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公式ライター yama1116
学生時代はバスケ、テニス、アメフトをしていました。 現在は観戦専門ですが、サッカーや野球などスポーツ全般に興味がある30代3児のパパです。
テニスの歴史とは?
貴族が手のひらや手袋を使って球の打ち合いを楽しむ、遊戯としてのテニスの歴史がスタートし、16世紀になるとジュドポームと呼ばれるようになります。1873年にイギリスで勝ち負けを競うスポーツへと変化し、ローンテニスと呼ばれます。この頃から競技としてのテニスの歴史が始まります。
テニスの起源
8世紀から11世紀ごろになると、フランスの僧侶が前述の宗教行為を模倣し、修道院の回廊で手のひらや手袋を使って球の打ち合い始めます。フランスでジュドポームと呼ばれる遊戯が誕生します。ジュドポームとは手のひらの遊戯という意味があります。
テニスの語源
サーブを打つときのTenez(トゥネ)という掛け声が、イギリス人には、tenets(テネッツ)と聞こえて、それが現代のテニスという言葉に歴史と共に変化していったという説が現在有力とされています。トゥネという掛け声には、「さあいくよ。」という意味があります。
テニスの発祥国
テニスは、遊びから勝ち負けを競うスポーツへと変化しローンテニスが誕生します。ローンテニスの発祥地はイギリスです。ローンとは芝生を意味し、当時イギリスでは芝生のテニスコートが多かったため、ローンテニスと呼ばれていました。
日本のテニスの歴史
玩具用のゴムまりが発明されると、ゴムまりを打ち合う軟式テニスが、体育の授業に採用され急速に広まりました。のちに軟式テニスから硬式テニスに転向した選手が、東洋選手権で活躍したことがきっかけとなり、硬式テニスが普及していきました。
日本への伝来
アメリカ人のリーランド氏がテニスを紹介し、学校教育の一環としてテニスの指導が始まりました。明治時代は脱亜入欧を掲げており、西欧の文化を積極的取り入れていました。テニスを採用した背景には、ヨーロッパに近づくという狙いもあったのでしょう。
日本テニスの変遷
1879年 | リーランド氏が文部省にテニスを紹介 |
1886年 | 東京師範大学校にローンテニス部が誕生 |
1897年 | 三田土ゴムが国産のゴムまりを開発、軟式テニスが全国に普及 |
1900年 | 東京ローンテニス倶楽部が創設 |
1913年 | 慶應義塾大学が硬式テニスを採用 |
1920年 | アントワープ五輪で日本人選手が初のメダル獲得 |
1922年 | 日本庭球協会が誕生、全日本選手権が創設 |
1923年 | 日本庭球協会が国際テニス連盟に加盟 |
1924年 | 全日本選手権女子が開始 |
1931年 | 佐藤次郎選手が全仏ベスト4、ウィンブルドンベスト8進出 |
1932年 | 佐藤次郎選手がウィンブルドンベスト4進出 |
1945年 | 終戦により、日本庭球協会が復活 |
1950年 | 国際テニス連盟に復帰 |
1972年 | 日本庭球協会がジャパンオープンを創設 |
1980年 | 日本庭球協会が、財団法人日本テニス協会に変更 |
1983年 | 有明テニスの森公園が完成 |
1987年 | 有明コロシアムが完成 |
1992年 | 松岡修造選手が日本人男子初のツアー優勝、日本人最高の世界ランク46位 |
1994年 | 全仏で伊達公子選手がベスト4進出、世界ランク4位 |
1996年 | 伊達公子選手がウィンブルドンでベスト4進出 |
1997年 | 杉山愛選手がジャパンオープン初優勝 |
2006年 | 車いすテニスで国枝慎吾選手が、世界ランク1位に |
2007年 | 車いすテニスで国枝慎吾選手が、年間グランドスラム |
2011年 | 錦織圭選手が、日本人男子最高となる世界ランク25位 |
2014年 | 錦織圭選手が、全米オープンでアジア男子初のシングルス準優勝の快挙 |
2016年 | 錦織圭選手がリオデジャネイロ五輪のシングルスで銅メダル |
2018年 | 大坂なおみ選手が、日本人史上初の4大大会シングルス制覇,全米オープン優勝 |
2019年 | 大坂なおみ選手が、全豪オープン初優勝 |
テニスの大会の歴史
1905年には、オーストラリアとニュージーランドの共催でオーストラレージアン・テニス選手権が創設されました。この4大会は後にオープン化され、最も権威のあるテニストーナメントとなります。
四大大会の歴史
1877年にイギリスで開催されました。1968年に全仏オープンと全米オープンが初開催されます。四大大会の中で一番歴史の浅い全豪オープンは1969年に初開催されました。四大大会は、グランドスラムとも呼ばれています。
日本人選手の四大大会の成績
テニスの用具の歴史
テニスラケットの歴史
ラケットは、素手、革紐、グローブ、木の棒と変化し、バトワールと呼ばれる一枚板を削ったラケットが誕生しました。ラケットにガットが張られるようになったのは、1550年ごろです。
1874年にウォルター・クロプトン・ウィングフィールド氏によって現在の形のテニスラケットが発明されました。同氏は、テニスボールやネット、テニスのルールの特許も取得しています。
テニスラケットの素材の変化
現在では、航空宇宙機器用としても用いられるグラファイト・ファイバーという素材を使ったラケットが主流となっています。テニスのストリングスは、羊腸が使われていました。その後ナイロンやポリエステル製のストリングスが開発されました。
テニスボールの歴史
最初に認可されたテニスボールは、毛髪と羊毛を使用した詰め物のボールでした。現在のテニスボールは、色や表面、重量、直径、バウンドの高さなどの厳格な国際規格が存在します。
テニスウェアの歴史
20世紀中ごろには、太ももが全部見えるほどのショートパンツに変化しました。90年代になると、丈が少し長くなり、現在のスタイルに変化していきました。
テニスコートの歴史
現在のテニスコートの直接の原型は、ラケットを発明した前述のウォルター・クロプトン・ウィングフィールド氏が発明しました。ウィンブルドン選手権が開催される1877年頃には、現在のテニスコートの形に近づきました。
テニスコートの起源
テニスコートの変化
ウィンブルドン選手権が開催される頃には、サイドラインが23.77メートル、ベースラインが8.23メートルのコートに変化します。初期のネットの高さは1.44メートルで、現在の高さは0.914メートルです。当時の選手は、今と比べるとかなり高いネットでプレーしていたことになります。
テニスコートの種類
ウィンブルドンはグラスコート、全米、全豪オープンでハードコート、全仏では、クレーコートが使用されています。プレーヤーには、それぞれ得意とするサーフェスがあります。
コートの種類 | 球足の速さ | バウンドの高さ |
---|---|---|
ハードコート | 普通 | 高い |
クレーコート | 遅い | やや高い |
グラスコート | 早い | 低い |
オムニコート | 遅い | 低い |
カーペットコート | 早い | 普通 |
テニスのルールの歴史
点数の数え方やサーバーの位置は、1877年から現在までずっと同じです。テニスのポイントは、0ポイントをラブ、1ポイントをフィフィティーン、2ポイントをサーティー、3ポイントをフォーティーとカウントします。
現在のルール
・ノーバウンドかワンバウンドでボールを打ち返すこと。
・ネットの上を超えてボールを打ち返すこと。
・相手コートにバウンドするように打ち返すこと。
テニスはポイントをつみ重ね、4ポイント先取したら1ゲーム獲得できます。同点となったときは、デュースと呼ばれ2ポイント差がつくまでゲームは続きます。
テニス技術の歴史
そのため下手から打ち出すアンダーサーブが主流でした。その後、テニスの大会が開催され始めると、技術が求められるようになり、サーブの方法が少しずつ変化し、最終的には、現在のようなジャンピングサーブが主流となりました。
テニスの歴史のまとめ
日本テニスの歴史は、1879年にスタート。日本発祥の軟式テニスが普及し、硬式テニスも広がっていきました。現在テニスは、メジャースポーツとして世界中で愛されています。
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