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岩崎恭子の名言40選!「今まで生きてきた中で一番幸せです」は本当は「生きてた」

岩崎恭子の名言40選!「今まで生きてきた中で一番幸せです」は本当は「生きてた」

競泳の岩崎恭子は、14歳でバルセロナ五輪の金メダルを取り、「今まで生きてた中で一番幸せです」と話しました。この名言は「生きてきた」と誤って広まり、本人は批判にも苦しみます。悩みを前向きにとらえるまでの岩崎恭子の名言は、つらい時の支えになります。

2026.11.05 | 水泳

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公式ライター
Activel編集部

岩崎恭子は、1992年のバルセロナ五輪の200m平泳ぎで、14歳で金メダルを取った競泳の選手です。一番有名な名言は、レース直後の「今まで生きてた中で一番幸せです」です。「生きてきた」の形で間違って広まったこの言葉は批判も呼び、本人を2年ほど苦しめました。その言葉を今は「ありがたかった」と話す岩崎恭子の名言を読むと、悩むのも悪くないと思えてきます。

岩崎恭子のプロフィール

岩崎恭子は、中学2年生で出場したオリンピックで、世界記録保持者を残り5mでとらえて金メダルを取った競泳の選手です。大会前の持ちタイムは世界記録と5秒以上離れていて、本人もメダルを取りに行く状態ではなかったと話しています。金メダルの後は注目と批判に苦しみ、2年ほど競技への意欲をなくしましたが、立ち直って4年後のアトランタ五輪にも出場しました。

基本プロフィール

沼津の街に一つだけのスイミングスクールで育った平泳ぎの選手で、オリンピックには2度出場しました。

項目 内容
生年月日 1978年7月21日(2026年10月時点の年齢は48歳)
出身 静岡県沼津市
学歴 日大三島高校 → 日本大学
種目 競泳(平泳ぎ)
身長 159.3cm(1996年の登録)
五輪 1992年バルセロナ 金メダル、1996年アトランタ 10位(どちらも200m平泳ぎ)
引退 1998年(20歳)
今の活動 水泳の指導、着衣泳の普及、日本水泳連盟 理事

金メダルの時の身長は155〜156cmで、当時の資料の157cmより実際は低かったと本人は明かしています。表の159.3cmは、4年後のアトランタ五輪の時にJOC の選手ページに登録された身長です。

生い立ち:3歳上の姉を追いかけて五輪の代表に決まるまで

岩崎恭子は、3歳上の姉の影響で水泳を始めました。5歳で地元のスイミングスクールに入ると、そこで一番良い選手だった姉が、そのまま目標になります。

  • 小学2年生で、姉が小学生の大きな大会であるジュニアオリンピックに出ていたこともあって選手クラスを選んだ
  • 小学4年生の時、ソウル五輪で鈴木大地が背泳ぎの金メダルを取る映像を見て、日本の選手でも金メダルを取れると思った
  • 同じ年に、ジュニアオリンピックに初めて出場した
  • 中学2年生の4月、選考会で2位に入り、バルセロナ五輪の代表に決まった

姉に追いつきたい気持ちと記録が伸びる楽しさで、水泳に夢中になっていきました。

14歳の金メダルから引退、現在の着衣泳までの歩み

岩崎恭子の歩みと名言の年表(14歳の金メダルと「一番幸せです」の言葉から、悩んだ2年間、アトランタ五輪、引退、着衣泳の普及まで)

14歳で金メダルを取った後の2年間を、本人は「結構長く感じました」と振り返っています。1994年に世界水泳とアジア大会の代表を逃した後に出たアメリカの大会が次のアトランタ五輪につながり、1998年に20歳で引退した今は着衣泳を広めています。

年 主な出来事
1992年 バルセロナ五輪の200m平泳ぎで金メダル(14歳6日)
1994年 世界水泳とアジア大会の代表を逃す、アメリカのサンタクララの大会へ
1996年 アトランタ五輪の200m平泳ぎで10位
1998年 20歳で引退
引退の後 アメリカのミッションビエホで1年間、指導を学ぶ
2023年 「着衣泳を広めるプロジェクト」を立ち上げる
2025年 日本水泳連盟の理事になる

金メダルを取った1992年7月27日の決勝のタイムは2分26秒65で、当時の五輪新記録でした。14歳6日での優勝は、五輪の競泳で史上最年少です。

引退を決めたのは、レースの解説の仕事をしていて、競泳の後輩の田中雅美を全力で応援している自分に気づいた時です。「悔しい、と思わなければ競技どころではないですからね(笑)」と振り返っています。引退の後はアメリカで指導を学び、帰国後は水泳を教えています。現在の活動の中心は、服を着たまま水に落ちた時に身を守る着衣泳を広めることです。2023年に本『はじめての着衣泳教室』を出し、日本水泳連盟の生涯スポーツ・環境委員会の委員長も務めています。

座右の銘

岩崎恭子が「大事にしています」と話す言葉は、2023年に小学校の特別授業で贈った、詩人の相田みつをの「幸せはいつも自分の心が決める」です。座右の銘として挙げた言葉は、Activel編集部が調べた範囲では見つかりませんでした。ほかに、1964年の東京五輪に出場した先輩の木原光知子の「泳縁(えいえん)」の言葉を受け継ぎ、水泳を通じた人のつながりを大切にしたいと話します。自分の心がけとして挙げるのは「素直さ」です。

岩崎恭子の名言40選

岩崎恭子の名言は、14歳の素直な一言だけではありません。批判を受けて「大人は身勝手だな」と感じた中学生は、メダルに届かなかったアトランタ五輪を「勝ち」と言い切るようになり、今は水泳を「命を守ることができるスポーツ」と語っています。本人が大人になってから当時を振り返って語った言葉が中心で、悩みと幸せについての言葉もあります。

「今まで生きてた中で一番幸せです」と14歳の金メダルの名言

金メダルの直後に岩崎恭子が話した言葉は、「今まで生きてた中で一番幸せです」でした。長い間「今まで生きてきた中で一番幸せです」の形で伝えられ、本人も2014年のインタビューではこの形で話していたほどです。2021年7月のクイズ番組で、本人が「『生きてきた中で』って言ってない。みんな間違える」と直しました。バルセロナ五輪の時は世界記録との差が大きく、予選で全体2位に入って満足していましたが、ヘッドコーチの「もう1回泳ぐからね」の一言で決勝へ気持ちを切り替えました。

01「今まで生きてた中で、一番幸せです」

— 1992年7月27日、金メダルのレース直後のインタビューで

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発言時期: 1992年7月27日(バルセロナ五輪 女子200m平泳ぎの決勝の直後)

発言状況: 14歳の岩崎がテレビのインタビューで「どんな気持ちですか」と聞かれ、涙ぐみながら答えた言葉です。その後、新聞でもテレビでも「今まで生きてきた中で」の形で伝えられてきました。2021年7月7日放送のクイズ番組で本人が違いを指摘し、番組のアナウンサーが資料とテロップの誤りを認めて訂正しています。当時の映像でも「生きてた中で」と話していて、本人が公認したグッズの商品名もこの形です。

02「とにかく何かしゃべらなきゃって、素直に気持ちを表現しただけなんです」

— 2019年のインタビューで、当時の映像を見ながら

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発言時期: 2019年(金メダルから27年後)

発言状況: 決勝の映像を見ながらの言葉です。電光掲示板を何度も見返す14歳の自分の姿に、「本当にびっくり、の顔。どんなにすごいことをしたのか、この時はまだ理解できてなくって」と笑みを見せました。

03「いつもの何倍も何十倍も練習で頑張ったから」

— 1992年7月27日、記者会見で金メダルの理由を聞かれて

04「オリンピックの合宿なんて毎日、泣きながら泳いでいました。」

— 2008年のインタビューで、五輪前の合宿を振り返って

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発言時期: 2008年(バルセロナ五輪の前の合宿のこと)

発言状況: 代表の合宿の練習は、多い日で8000mから9000mを一気に泳ぎ、それを1日に2度繰り返すものでした。通っていたスイミングスクールの3倍の量だったそうです。「もう、帰りたいっ!」と思ったこともあり、それでも「そんな厳しい練習なのに、本当に泳ぐことが楽しかったですね」と続けています。

05「プールが、すごく小さく見える」

— 1992年7月、五輪の開幕前に家族への手紙で

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発言時期: 1992年7月(バルセロナ五輪の開幕の10日ほど前)

発言状況: 日本代表がレースの舞台を視察した時、岩崎は街を見渡す丘の上にあるプールの印象を、家族にあてた手紙に書きました。沼津の中学2年生だった岩崎は、このプールで自己ベストを4秒以上縮めることになります。

06「一回一回、壁を蹴るように前に進んだ。ぴょーん、ぴょーんと、おもしろいくらいに」

— 2019年のインタビューで、決勝の泳ぎを振り返って

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発言時期: 2019年(1992年7月27日の決勝のこと)

発言状況: 苦手の飛び込みで出遅れた岩崎は、50mのターンで6位、100mで3位と順位を上げました。この言葉は後半の泳ぎのことです。残り5mで世界記録保持者のアニタ・ノールをとらえ、最後のタッチでかわしました。

07「今風に言えば『ゾーン』に入っていたんでしょうね」

— 2019年のインタビューで、決勝を振り返って

08「あの後、二度と同じように泳げたことはない」

— 2019年のインタビューで、決勝を振り返って

09「私自身は経験がなかったからこそ金メダルを獲れた。今でも、そう思っています。」

— 2014年のインタビューで、金メダルを振り返って

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発言時期: 2014年(バルセロナ五輪から22年後)

発言状況: オリンピックでは経験が大切だとよく言われる、という話に答えた言葉です。当時は「緊張で体がガチガチになることもなかった」「ものすごく気持ちが自由でした」と話し、本人も不思議だったと言います。4年後のアトランタ五輪では、経験があるからこその怖さを初めて感じました。

「言わなきゃよかった」と悩んだ2年間の名言

素直に話しただけの言葉に、「まだ14歳なのに」「偉そうに」という批判が届き、いたずらや無言電話も何年も続きました。地元の沼津では、本人に聞こえる声で「実物はかわいくない」と話す人もいて、下を向いて歩くようになります。立ち直るきっかけとして本人が挙げるのは、1994年のアメリカの大会で誰からも見られなかったこと、ハリウッドでパパラッチに囲まれて堂々と歩く女優を見たこと、コーチの「物事には区切りがある。高校に入ったんだから卒業までやれば」の一言です。

10「言わなきゃよかったって後悔した時もあった。多くの方々が覚えていてくれる言葉を残せて、今なら、良かったなと思えるけれど」

— 2019年のインタビューで、有名な言葉を振り返って

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発言時期: 2019年(金メダルから27年後)

発言状況: 現役を終えるまで、金メダルのレースをまともに見返せなかったそうです。メダルそのものも、取った直後から3年ほどは見ないようにしていました。

11「正直、『大人は身勝手だな』と感じましたね(苦笑)。」

— 2014年のインタビューで、周りの反応を振り返って

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発言時期: 2014年(金メダルの後の時期のこと)

発言状況: 注目されると、「まだ14歳なのに“今まで生きてきた中で、一番幸せ”とか偉そうに」という批判が聞こえてきました。率直な気持ちを言葉にしただけなのに、思わぬ方向に受け取られたのか、と聞かれて答えた言葉です。

12「生きてきたのが14年間であってもうれしかったり、幸せなことがあってもおかしくない。」

— 2014年のインタビューで、言葉への批判について

13「子どもだって、うれしいことや楽しいことがあるのに素直に表現するのはいけないことなのかなと疑問に感じました。」

— 2014年のインタビューで、言葉への批判について

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発言時期: 2014年(金メダルの後の時期のこと)

発言状況: 批判を受けた体験があったので、親になった今は「子どもの気持ちを素直に認めてあげよう」との思いが強いそうです。

14「そうか、注目されなければいいんだ、1番でなければいいんだ、と思うようになりました。」

— 2016年のインタビューで、金メダルの後を振り返って

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発言時期: 2016年(金メダルの後の時期のこと)

発言状況: それまでは純粋に水泳が楽しかったのに、人から見られることも、泳げば記録が伸びることも、全部嫌になりました。やめれば「なんで出場しないんですか?」と言われるので、やめることもできなかった時期の考えです。

15「何で私が耐えなければいけないんだろうと思っていました。」

— 2023年、小学校の特別授業で、金メダルの後の時期について

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発言時期: 2023年7月(三島市立佐野小学校の特別授業)

発言状況: 同世代の中学生や高校生には嫉妬する人が少なくなく、根拠のない噂話も広がったと言います。言い返したくても、余計に悪く言われるかもしれないので我慢したと、小学生に打ち明けています。「2年間くらい悩みました」という言葉が続きます。

16「自分は悪いことをしていないのだから、下を向いて歩く必要はないと思いました。知らない人に何か言われても気にしなくて良いと考えを切り替えました」

— 2023年、小学校の特別授業で、アメリカ遠征の話をして

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発言時期: 2023年7月(三島市立佐野小学校の特別授業)

発言状況: アメリカへの遠征中、練習が休みの日に訪れたハリウッドで、パパラッチに囲まれた女優が堂々と歩く姿を見た時の話です。日本と違って自分を知っている人がいないので、街でも下を向かずに歩けて、人々の表情が見えることにも安心したそうです。

17「そのうちに周囲から何を言われてもいいやと思うようになった。」

— 2023年、評議員を務める日本ゴルフ協会のインタビューで

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発言時期: 2023年(金メダルの2年後の大会のこと)

発言状況: アメリカのサンタクララの大会に出た時の話です。当時は海外遠征がほとんどなく、日本のように人から見られることも、声が聞こえてくることも何もないのが、とても新鮮だったそうです。本人はこの大会を大きな転機に挙げます。

18「金メダルを取って大きなプレッシャーとなっていたことも、メダルを含めた全てが自分だと思うようになり、それが大きくて96年アトランタ五輪にも出場することができました。」

— 2023年、日本ゴルフ協会のインタビューで

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発言時期: 2023年(サンタクララの大会の後のこと)

発言状況: ゴルフにも親しむ評議員として、注目される子どもへのアドバイスを聞かれ、アメリカの大会の後に変わった自分の考えを話しました。

出典: 日本ゴルフ協会のインタビュー

19「いまだに優勝コメントを覚えてもらっている。そんなアスリートって少ないと思うんですよね。そういう意味では『ありがたかったな』という印象を持っていますね。」

— 2025年のインタビューで、有名な言葉を振り返って

「負け」で「勝ち」だったアトランタ五輪の名言

アトランタ五輪の岩崎恭子は、200m平泳ぎで10位、100mは予選落ちに終わりました。金メダルを取れる位置に自分はいないと気づいたうえで、目標を決めて2年間積み上げて臨んだ大会です。岩崎恭子はこの大会で、「メダルを獲ることよりも、メダルを獲りに行くまでの過程こそが大事なんだ」と分かったと語ります。メダルに届かなかった大会を「勝ち」と言う理由は、そこにあります。

20「バルセロナ五輪は自分で『なし』と考えて(笑)。」

— 2025年のインタビューで、アトランタ五輪へ向かう時の考え方について

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発言時期: 2025年(1994年からアトランタ五輪までのこと)

発言状況: バルセロナ五輪で出した記録には、その後ずっと届いていませんでした。そこで、バルセロナ五輪より前の記録を自分の記録として、どれくらい伸ばせるかを考えたそうです。周りの期待については「もう吹っ切れて、そこまで気にしていなかったです」と言います。

21「今の現実を受け止めなければ、それ以上は望めない、って思ったんですよ。」

— 2025年のインタビューで、アトランタ五輪の前を振り返って

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発言時期: 2025年(アトランタ五輪の前のこと)

発言状況: 「もう一回金メダルを取れる位置に自分は今いないって気づいていたんです」という話の続きです。悩んだ2年ほどのブランクがあり、タイムからも、金メダルを狙える位置にいないことは分かっていました。当時のコーチも同じように理解してくれていたそうです。

22「4年後のアトランタ五輪は経験がある分、怖かったんです。」

— 2014年のインタビューで、2つの五輪を比べて

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発言時期: 2014年(1996年のアトランタ五輪のこと)

発言状況: 事前の合宿でも選手村でも一緒だった後輩の田中雅美に、「恭子ちゃん、なんで、そんなに怖い顔しているの?」と言われたそうです。レース前は、初めて体が震えました。

23「アスリートとしては連覇もできず、メダルも逃したので『負け』です。ただ、人間としてバルセロナよりも成長できた自分がいた。その意味では『勝ち』と言える五輪だったととらえています。」

— 2014年のインタビューで、アトランタ五輪の意味について

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発言時期: 2014年(1996年のアトランタ五輪のこと)

発言状況: 同じ大会でマラソンの有森裕子が2大会連続のメダルを取りました。その時の有森の「自分で自分を褒めてやりたい」という言葉を挙げて、岩崎は「私も同じ心境でした」と言います。メダルに届かなかった自分より有森はもっと大変だったのだろうと思い、ジーンとくるものがあったと続けています。

24「競泳は駄目になる時は一瞬で駄目になってしまうスポーツなので、自分でもあのような状態からよくやったなと思います。」

— 2023年、日本ゴルフ協会のインタビューで

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発言時期: 2023年(サンタクララの大会からアトランタ五輪までのこと)

発言状況: アメリカの大会からアトランタ五輪までを振り返った言葉で、「誰もが経験できることではないのだから、ありがたいことだと今は感じています」と続きます。

出典: 日本ゴルフ協会のインタビュー

25「競技者としては良くなかったのですが、私が人生を歩む工程として、凄く意味のあることだと思っています。」

— 2008年のインタビューで、アトランタ五輪を振り返って

着衣泳、子どもの指導、後輩の選手について語った名言

岩崎恭子と水泳の関わりは、引退で終わりませんでした。アメリカで学んだ後は子どもたちに泳ぎを教えました。自分の子どもを産んで命の大切さをより感じると、タイムより命を守れる泳ぎを身につけてほしいと願うようになります。14歳で注目された経験から、後輩の選手には「いい子じゃなくていい」と言います。

26「私としては、なにか一つでも自分に自信が持てるものを見つけてほしいなと考えているだけ。」

— 2014年のインタビューで、子どもについて

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発言時期: 2014年

発言状況: 「我が子を水泳選手にしたいですか」とよく聞かれるけれど、その気持ちは全くない、という話の続きです。「それは別にスポーツじゃなくてもいいと思うんですよね」とも言います。

27「私は、その子の良さを見つけてあげたいな、と思います。個性を大切にしたいなと思いますし、型にはまらない、ということがすごく大切だと思います」

— 水泳の指導について話したインタビューで

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発言時期: 引退の後(水泳の指導者として)

発言状況: 1人のコーチで複数の子どもを教える時に心がけていることです。アメリカで1年間、水泳の指導を学んだ時に、個性を生かした泳ぎで速くなる子を見てそう考えるようになったそうです。

28「自分には関係ない、とは思わないでほしいです。誰にでも起こり得るのが、水の事故です。」

— 月刊「こどもの本」2024年2月号で、本『はじめての着衣泳教室』を紹介して

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発言時期: 2024年2月号(月刊「こどもの本」)

発言状況: 本人が自分の本を紹介した文章です。初めて服を着たまま水に入った時、浮いているだけでやっとだったことに驚き、着衣泳を知識と経験として身につけておくべきだと考えるようになったと書いています。

出典: 本人の寄稿(月刊「こどもの本」)

29「水泳は『命を守ることができるスポーツ』。その技を知ることが大事なんだよ、ということを一番に言いたいです。」

— 2025年のインタビューで、学校の水泳について

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発言時期: 2025年12月

発言状況: 水泳の授業がない学校やプールのない学校が増えるなか、学校の水泳が「泳ぎを覚えなきゃいけない」というスイミングスクールのイメージになっている、という話の続きです。知識がないまま人を助けに行って命を落とせば皆が悲しむので、大人にも着衣泳を学んでほしいと願っています。

30「子どもに教える前に、まずは大人が背中を見せないといけないと強く感じました。」

— ビーチクリーンの活動について話したインタビューで

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発言時期: 引退の後(ビーチクリーンを始めた時)

発言状況: 水泳界の先輩の小谷実可子が定期的に仲間とビーチクリーンをしているのを知り、地元の沼津で、自分の Twitter から人を募って始めた時の言葉です。数十人が集まりました。大人がやらなければ子どもも真剣に取り組まない、と気づいたそうです。

31「私は個人的に『出場することに意味がある』というのは、こういうことなんだなと感じました。」

— 2021年7月、東京五輪の競泳の解説で、池江璃花子について

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発言時期: 2021年7月25日(東京五輪の競泳の初日)

発言状況: 病気から戻ってリレーに出場した池江璃花子について、解説の記事に書いた言葉です。ゼロどころかマイナスからの再スタートで、この舞台で泳げただけでも想像以上のことだと書き、前の日の表情から五輪を心から楽しんでいるのが伝わってきたと続けました。

32「いい子じゃなくていい。自分で考えて言わなきゃいけない。自分の言葉は選手も大事にしたほうがいい。」

— 2019年のインタビューで、アスリートの言葉について

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発言時期: 2019年5月

発言状況: 競泳はレースが終わった直後のインタビューだから名言が出やすい、北島康介の「チョー気持ちいい」もそうだ、と話した後の言葉です。少し時間がたつと格好いいことを言おうと思ってしまうし、今は選手にメディア対応の講座もあると続けています。

岩崎が解説で語った池江璃花子自身の言葉は池江璃花子の名言に、「チョー気持ちいい」の北島康介自身の言葉は北島康介の名言にあります。

悩みと幸せについて語った名言

一番幸せだと言って苦しんだ本人は、「人生で一番幸せな瞬間」は変わったかと聞かれ、「変わったというより、日々増えているという感覚でしょうか」と答えています。悩んだ時間も今は必要だったと言い、小さな幸せをたくさん探しています。

33「多くの人に伝えたいのは、どうせ悩むなら前向きに悩んで欲しいって思うんです。」

— 2025年のインタビューで

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発言時期: 2025年1月

発言状況: バルセロナの後は泳ぎたくなかったのに、泳がないと周りが騒ぐと思っていた、という話の後の言葉です。記録を更新した時の嬉しさを知っていたから辞めなかった、と振り返りました。

34「今考えると、その時間も私にとって必要な時間だったのかなと思います。悩むことは悪いことではないですしね。」

— 2025年のインタビューで、苦しかった時期を振り返って

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発言時期: 2025年1月

発言状況: 「オリンピックの後の2年間なんて、実はあの時闇があったんですね」と話し、当時の自分の表情を「全然冴えてないんですね(笑)」と振り返った後の言葉です。

35「苦しい状況から抜け出したとき、必ず何かの手応えが感じられる。」

— バルセロナ五輪から20年の頃のインタビューで

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発言時期: バルセロナ五輪から20年の頃

発言状況: 講演で子どもたちに伝えたいことを聞かれ、「壁にぶつかっても、もう少しだけ頑張ってみよう」とよく話している、と答えた後の言葉です。アトランタ五輪で学んだことだそうです。

36「大切なのは自信と素直さ。これだけ練習をしたという自分に対する自信と、人の話に耳を傾ける素直さです。人のせい、もののせいにしないことを心掛けていました」

— 2023年、小学校の特別授業で

37「本人は目の前のことを一生懸命繰り返しているだけ。特別なことじゃない。反復です。1日1日をつないでいけば、実力通りのことはできると思う」

— 2019年のインタビューで、10代の選手について

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発言時期: 2019年5月

発言状況: 東京五輪で10代の選手の活躍が期待されていた時期の話です。「バルセロナで代表入りして『14歳ですごいね』とよく言われたけど」と自分の経験から話しました。

38「大変な事もあるけれど 努力は裏切らないよ」

— 2014年11月17日、本人のブログで選手たちに向けて

39「小さな幸せをたくさん探すには、なにごとも積極的に楽しむことだと思います。」

— バルセロナ五輪から20年の頃のインタビューで

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発言時期: バルセロナ五輪から20年の頃

発言状況: 「人生で一番幸せな瞬間」が変わったかを聞かれて答えた言葉です。金メダルも、アトランタで泳いだことも、結婚や出産も別の幸せだったと言い、「自分の発言だからこそ、『幸せ』な瞬間を意識するようになったんです」と続けています。

40「それが私だけの人生であり、試練であり、生き方なのかなって。他人と比べて悩んでいても仕方がないし、前向きに楽しみたいですね。」

— バルセロナ五輪から20年の頃のインタビューで

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発言時期: バルセロナ五輪から20年の頃

発言状況: 「そんなに10代で大変な経験をして……」とよく言われるけれど、自分も他人だったらそう感じると思う、と笑ってから話した言葉です。

ほかの水泳選手が残した言葉は、水泳・競泳選手の名言で読めます。

よくある質問(Q&A)

Q1. 「今まで生きてた中で」と「今まで生きてきた中で」、どちらが正しい?

「今まで生きてた中で一番幸せです」が正しい形です。「今まで生きてきた中で一番幸せです」は、広まった形ですが間違いです。

本人が2021年7月のクイズ番組で「『生きてきた中で』って言ってない。みんな間違える」と話し、番組が資料とテロップの誤りを訂正しました。当時の映像でも「生きてた中で」と話していて、本人が公認したグッズの商品名もこの形です。

新聞やテレビでは長く「生きてきた」の形で伝えられ、本人も2014年のインタビューではこの形で話しています。

Q2. 「今まで生きてた中で一番幸せです」は、いつ、どんな場面の言葉?

1992年7月27日、バルセロナ五輪の女子200m平泳ぎで優勝した直後に、テレビのインタビューで話した言葉です。

「どんな気持ちですか」と聞かれ、14歳の岩崎恭子が涙ぐみながら答えました。本人は後に、「とにかく何かしゃべらなきゃって、素直に気持ちを表現しただけなんです」と話しています。

Q3. 岩崎恭子はこの言葉を後悔していた?

後悔した時期がありました。本人が「言わなきゃよかったって後悔した時もあった」と話しています。

「まだ14歳なのに」「偉そうに」と批判され、いたずらや無言電話が続いたためです。それでも今は、優勝のコメントを覚えてもらえるアスリートは少ないと考え、「ありがたかったな」という印象を持っていると話しています。

Q4. 岩崎恭子は何歳で金メダルを取った?

14歳6日です。五輪の競泳で史上最年少の優勝で、当時は沼津市の中学校の2年生でした。

記録は2分26秒65で、当時の五輪新記録です。大会前の自己ベストを4秒43縮めています。

Q5. 岩崎恭子の現在は?何をしている?

水泳の指導と、着衣泳を広める活動を続けています。2025年6月からは日本水泳連盟の理事も務めています。

着衣泳は、服を着たまま水に落ちた時に身を守る方法です。2023年に「着衣泳を広めるプロジェクト」を立ち上げ、本『はじめての着衣泳教室』も出しました。スポーツコメンテーターの仕事や、ビーチクリーンの活動もしています。

Q6. 岩崎恭子はいつ引退した?

1998年に、20歳で競技を引退しました。

2度目の五輪となったアトランタの後も泳いでいましたが、レースの解説の仕事で、後輩を全力で応援している自分に気づいて引退を決めました。引退の後はアメリカで1年間、水泳の指導を学びました。

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