宮浦健人の名言70選!「宮浦様」への本人の答え、サーブ、西田有志を追った言葉
男子バレーボール日本代表のオポジット、宮浦健人の名言を時期と場面つきで読めます。「宮浦様」と呼ばれて「助けられてばかり」と答えた本人の言葉、サーブへの自信、同じポジションの西田有志を追った思い、鎮西高校の恩師の教えまで。
Writer
公式ライター Activel編集部
宮浦健人は、男子バレーボール日本代表のオポジットです。左腕から打つスパイクと大きく曲がるサーブで点を取り、チームが苦しい場面でトスを託されてきました。「宮浦様」という呼び名は、リベロの小川智大の「宮浦様が全部決めてくれる」という言葉で広まりました。本人の答えは「チームメイトに助けられてばかり」です。宮浦健人の名言には、ユース時代に自分の控えだった西田有志を追いかけてきたという話や、「何かを変えられるのは、常に自分自身」という負けた後の言葉もあります。
宮浦健人のプロフィール
日本代表で務めるオポジットは、基本的にサーブレシーブをせず、スパイクで点を取るポジションです。本人も「攻撃あるのみかな」と説明しています。2026年9月には日本代表の一員としてアジア選手権で優勝し、2028年のロサンゼルス五輪の出場権を手にしました。
基本プロフィール
今の所属は、日本のバレーボールのトップリーグであるSVリーグのウルフドッグス名古屋です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 宮浦健人(みやうら けんと) |
| 生年月日 | 1999年2月22日 |
| 出身 | 熊本県荒尾市 |
| 身長 | 190cm |
| 最高到達点 | 350cm |
| 利き手 | 左 |
| ポジション | オポジット |
| 所属 | ウルフドッグス名古屋(背番号15) |
| 学校 | 鎮西高校・早稲田大学 |
| 日本代表 | 2021年に初選出 |
生い立ち:風船アタックと言われた少年が鎮西高校の主将になるまで
バレーを始めたのは小学2年です。細身でパワーがなく、スパイクは家族に「風船アタック」と言われるほどでした。当時の監督にも「お前はエースではない」と言われました。6年生の秋、父の恩師である鎮西高校の畑野久雄監督に「付属の中学校にバレー部を作るから来ないか」と誘われ、鎮西中学校へ進みました。朝6時台に家を出て、電車で片道1時間半ほどかけて通う生活でした。
鎮西高校では1年で腰椎分離症になり、2年でエースになると伸び悩んで「もう辞めたい」と泣くほど追い込まれました。それでも、その年の春の高校バレーでは準優勝しています。主将になった直後の2016年4月に熊本地震に遭い、体育館が使えず福岡県で練習した時期もありました。最後の春の高校バレーは初戦で敗れています。
早稲田大学からウルフドッグス名古屋までの歩み

2017年に早稲田大学へ進み、大学日本一を決める全日本インカレの4連覇に貢献しました。4年で主将を務めた2020年の大会では、優勝が決まる最後の1本を、自分のサービスエースで取っています。2021年にジェイテクトSTINGSへ入り、同じ年に日本代表に初めて選ばれました。
2022年からは海外に出ます。ポーランドのPSGスタル・ニサでは、サーブの場面で交代して入るリリーフサーバーが主な役目でした。翌シーズンはフランスのパリ・バレーで試合に出続けました。2024年にジェイテクトSTINGS愛知へ戻ることを決め、その夏のパリ五輪に初めて出場します。日本は7位でしたが、本人は「試合に絡むことがなかなかできず」と振り返っています。
2025年にウルフドッグス名古屋へ移ると、その年の12月にバレーの天皇杯で優勝して大会MVPに選ばれ、プロになって初めてのタイトルを手にしました。2025-26シーズンのSVリーグでは、日本人選手で最多の709得点を挙げています。
座右の銘
宮浦健人の座右の銘は、「千里の道も一歩から」です。2026年のネーションズリーグでは、放送局の選手紹介の好きな言葉・座右の銘の欄に、この言葉を書いています。
2025年10月のインタビューで部活生に向けて話した「0.0何%ずつ積み重ねて成長していける」も、少しずつ進むという同じ考えの言葉です。座右の銘を選んだ理由を話した記録は見当たりません。
宮浦健人の名言70選
「もっと」「まだまだ」。宮浦健人の名言には、この2つの言葉がくり返し出てきます。インタビューでは、負けた試合のことを聞かれても、チームや相手のせいにせず、自分に何ができたかの話に戻っていきます。「宮浦様」と呼ばれた時の返事にも、西田有志を追ってきた話にも、鎮西高校の恩師の教えにも、その姿勢が出ています。一方で、表彰式の後に落ちたメダルの話のように、周りを笑わせた一言もあります。
「宮浦様」という呼び名と仲間についての名言
「宮浦様」という呼び名が広まったのは、2025年6月のネーションズリーグの後です。リベロの小川智大がインタビューで「宮浦様が全部決めてくれるので、自信を持って上げています。本当に感謝しています。」と話しました。呼ばれた本人の答えは、次の言葉です。
01「全然そんなことなくて。チームメイトに助けられてばかりなので、もっと力をつけたいなと思います」
— 2025年7月17日、ネーションズリーグのアルゼンチン戦の後で、「宮浦様」という呼び名について
02「苦しいときに自分にあがってくると思うんですけど、それ以外にもたくさん素晴らしい選手がいてセッターの大宅(真樹)さんも良い状況で自分に託してくれているので、すごくみんなに助けてもらっていますし、苦しいときこそ自分がなんとか踏ん張って頑張ろうという意識を持ってやっています」
— 2025年6月15日、ネーションズリーグのオランダ戦の後で、チームを背負う意識を聞かれて
03「今までは、自分がうまくいかない時はそれで負けてしまうことがあったんですけど、自分がダメな時に周りのみんながすごく頑張ってくれて、そこは本当に周りのみんなに感謝したいですし、もっともっと自分が頑張らないといけないとも思いますし、これをみんなで続けてフォローし合っていきたいなと思います。」
— 2024年2月10日、フランスのパリ・バレーでの試合の後で、連勝の理由を聞かれて
04「おみさん(深津)が左利きだからどうこう、っていうのはなくて、もう、信じているんで、スーパーセッターだから」
— 2025年10月26日、ウルフドッグス名古屋が広島サンダーズに勝った後で、セッターの深津英臣について
05「どんな状況でもポジティブなエネルギーをもたらしてくれるので助かっています。」
— 2025年10月26日、同じ試合の後で、鎮西高校と早稲田大学の後輩の水町泰杜について
負けと悔しさ、自分に向ける矢印についての名言
うまくいかなかった時の話になると、宮浦健人はまず自分の足りない所を話します。悔しさを次にどう使うかという話は、大学を卒業する時から今まで変わりません。
06「悔しい気持ちがいつだって自分を成長させてくれた」
— 2021年2月の記事で、大学を卒業する時に
07「やっぱり学生時代、特に鎮西高校の時に、鎮西ってエースのバレーなので、自分自身がすごく責任というのを感じるようになって、そこで常に矢印を自分に向けられるようになったというか。自分のプレーがダメで負けた時に、『もっともっと成長しないといけない』と。そのサイクルを繰り返したことで、今のメンタリティになったのかなと思います。」
— 2024年6月のインタビューで、今の考え方がいつできたかを聞かれて
08「何かを変えられるのは、常に自分自身だと思っているので。もちろん、バレーはチームスポーツだから難しいですが、まだまだ、『もっとこうしておけばよかった』ということがたくさんあるので、もっと自分がやるべきことがあると思っています」
— 2025-26シーズンの開幕前のインタビューで、2025年の世界選手権の敗退を振り返って
09「へこんで何もやらないということじゃなくて、もちろん悔しい思いはあるので、そのエネルギーをどう変えるかですね。」
— 2024年6月のインタビューで、日本代表やポーランドで試合に出られずへこんだことはないかと聞かれて
10「マイナス思考になっても何も生まれないし、自分のためにならないので、『じゃあどうしていくか』というところだけ考えています。」
— 2024年6月のインタビューで
11「目の前のことに集中し、全力でやったうえで勝ちか負けか。結果は出るけど、やり続けられるかどうか」
— 2025-26シーズンの開幕前のインタビューで、敗北が成長につながっているのではと聞かれて
12「ケガという事実だけでなく、チームに何も貢献できないことが重なって、かなり落ち込みました。それこそ、自分がこれまで積み上げてきたものが崩れていく感覚でした」
— 2026年4月の記事で、2024-25シーズンのけがを振り返って
13「そういう時もあるけれど、僕はどちらかというとプレッシャーを楽しんでとにかく大きく打つことを意識しているよ。スパイクが決まる、決まらないは結果論だから、まずは楽しんで勝負する気持ちを持つことが大切かな。」
— 2024年12月公開のセッターの関田誠大との対談で、スパイクを打つ時のプレッシャーを聞かれて
最後の1点とオポジットの責任についての名言
大学2年の時に話した、なりたい選手の姿は、26歳になった2025年にもほとんど変わっていません。その年のSVリーグの決勝の第1戦では、最後の1本をブロックされて試合が終わりました。9月の世界選手権で敗退した後も、“自分がやるんだ”という話をしています。
14「『勝負どころで決めきる選手』です。最後の1点だとか、競ってる場面、点数が欲しいという場面でトスを託されるような選手になりたいと思っています。」
— 2018年6月、大学2年の時の対談で、どんな選手になりたいかを聞かれて
15「やはり苦しい時に点を決めるというか、本当にその日の調子がいいか悪いか、どちらにしても20点以降だったり、本当に最後の1点というところをしっかり決めきる選手になりたいなと思います。」
— 2025年10月のインタビューで、理想のオポジット像を聞かれて
16「勝てるチャンスがそこにあるかぎり、それを絶対に逃してはいけないと思っています。重要なポイントが取りきれなかったことが悔しいですし、自分はそこを取るポジションなので。やはり責任は感じます」
— 2025年5月3日、SVリーグの決勝の第1戦に敗れた後で
17「1プレイヤーとしてコートに立つ時に、自分がもっとチームを引っ張る覚悟と1点1点、1試合1試合の結果に対しての責任を持って、『自分が良ければ勝つ、良くなければ負ける』という気持ちを持って、戦うことが必要だと思いました」
— 2025年9月17日、世界選手権のリビア戦の後で、ここから先について聞かれて
18「どんな状況であっても、“自分がやるんだ”っていう気持ちでやらないといけないと思っています。苦しい局面も自分が打開するんだって。オポジットはそういうポジションなので。」
— 2025-26シーズンの開幕前のインタビューで、世界選手権の前に戻れたら何ができるかと聞かれて
19「あらためて自分がまだ足りないと強く気づくことができたので、この瞬間も“どう行動していくか”が大事だと思っています」
— 2025-26シーズンの開幕前のインタビューで、世界選手権で感じたことを話して
20「自分は“攻める”っていう気持ちで、攻めます」
— 2025年9月、世界選手権の前のブルガリアとの壮行試合の頃に
21「コートで一番大事なのはアグレッシブに攻めること。その(勝負を決める)1点を取るためにリスクを取ってプレーできるか。覚悟を持って挑むことは強く意識しています」
— 2026年9月のアジア選手権の時に、ベンチから試合に入る準備について
22「世界のトップかどうかわからないですけど、自信を持ってこの世界で戦える感覚はあります。結果を出すために、とにかくベクトルを自分に向けながら、いい意味でエゴを出すことも必要かなと」
— 2026年9月のアジア選手権の時に、イメージする世界のトップのオポジットになれたかを聞かれて
サーブについての名言
宮浦健人のサーブは、大学でジャンプサーブに変えてから武器になりました。日本代表で世界の相手に通用するサーブを考えて、たどり着いた打ち方です。
23「サーブは自分の武器だと今では胸を張って言える」
— 2021年2月の記事で、大学の頃を振り返って
24「3年生のときは思いきり打っていたが、4年生になってからはパワーがついて8割程度の力で去年と同じスピードで打てるようになった。かつ、コントロールもできるようになって精度が上がった」
— 2021年2月の記事で、ウエイトトレーニングを続けた4年生の時を振り返って
25「最後は『無』で力が抜けてしっかり腕を振れて、勝手にいいサーブを打っていました。これが4年間の集大成なのかなと思います。決まった瞬間は今年1年頑張ってきて良かったなという気持ちとうれしさが爆発しました」
— 2020年12月6日、全日本インカレの決勝で優勝を決めたサービスエースについて
26「まだまだ自分のサーブはこんなもんじゃないと思うので、試合でやっていかないといけないですけど、もっともっとできると思うので調整していきたいと思います」
— 2025年6月、ネーションズリーグのブルガリア戦の後で、サーブの感覚を聞かれて
27「サーブを打つ時も、ただ強く打つ1本と、『この1球、1本を絶対に無駄にしない』とより集中した強い気持ちを持って打つ1本は全然違うので、そこは極めていきたいです。」
— 2025年9月、世界選手権の前のインタビューで
西田有志と控えの時間についての名言
高校生の頃の世代別の代表では、宮浦健人が先発で、西田有志が控えでした。立場が変わったのは、西田が高校を出てすぐ日本のトップリーグのVリーグに進んでからです。SVリーグで日本人最多の709得点を挙げた後の2026年9月も、宮浦健人はアジア選手権の日本代表で途中から出ることが多くありました。西田は同じ年の7月に「お互いがバックアップできるのがいい関係」と話しています。
28「今の自分と西田を比べると、まだ西田には及ばない。でもシニアでプレーすることを考えれば、西田を超えないといけない」
— 2021年2月の記事で、西田がいるジェイテクトへ入る時に
29「もともと『すごい選手』とは思っていましたが、レベルが高いVリーグの世界に入ってからの成長ぶりに驚きました。すごく刺激になりましたし、『もっと成長しないといけない』と思いましたね。」
— 2022年1月のインタビューで、早稲田の頃に見ていた西田について
30「ユースの時は自分が試合に出ましたけど、自分が実力的に優っているとかはまったく思ったことがなくて。その時から西田選手はプレーが本当にすごかったので。持っているものが違うというか、キレもパワーも規格外で、ものすごかった。」
— 2024年6月のインタビューで、高校生の頃のユース代表でのポジション争いを聞かれて
31「自分自身は西田選手を追いかけてきた立場なので、本当に今も、頑張って追いかけているところです。やっぱりリスペクトできる部分がたくさんあるので、すごく刺激になりますし、もっともっと吸収していきたいと思っています。」
— 2024年6月のインタビューで、西田有志はどんな存在かを聞かれて
32「同じポジションは比較されますし、競争していかないと、とは思っています。でも、代表は試合が始まったら、チームが勝つか負けるかしかない。僕はどういう立場でも、勝つためだけに最善を尽くします。」
— 2024年のインタビューで、西田有志とのポジション争いについて
33「昨年も自分は試合に出られないことが多かったんですけど、そこはただただ自分に力がないだけなんで。でも二枚替えやブロックというところで出る可能性はあるので、そこで結果は絶対出さないといけない。そのためにはやっぱり最大限の準備をしないといけない。それをしなくて結果を出せなかったらなんにもならないんで(笑)。」
— 2024年6月のインタビューで、代表で先発でなくても結果を出し続けられる理由を聞かれて
34「自分はサブからでもできるし、西田もそれはできると思うんです。けど、自分はサブから戦いの視点を変えられているな、とは思っています」
— 2026年7月、ネーションズリーグの大阪大会の頃に
ポーランドとフランスの海外挑戦についての名言
海外1年目のポーランドで、宮浦健人はあまり試合に出られませんでした。それでも本人はこの時間を悪く言わず、ベンチでの準備の話をします。2年目のフランスでは試合に出続けました。
35「実際来てからもチーム内のレベルであったり、チーム数が多い中でもどこのチームもレベルがすごく高かったので、本当に自分個人として成長できる場所に来れたのかなと思います。」
— 2023年2月5日、ポーランドのニサでのインタビューで
36「ポーランドは、確かにしんどいこともありましたけど、すごく行ってよかったなと思っているんです。バレーのレベルも、練習の強度もめちゃくちゃ高いですから。ファンもすごく熱くて試合の雰囲気はヤバいですし(笑)。」
— 2024年6月のインタビューで、ポーランドでの時間を振り返って
37「2022-23シーズンはポーランド1部リーグであまり試合に出られず悔しい思いをしましたが、そんな中でも出場機会をもらえたときにしっかりと効果的なプレーができるようベンチにいるときから万全に準備して整えておくことを心がけていました。」
— 2024年7月のインタビューで、海外の2シーズンを振り返って
38「彼はめちゃくちゃ負けず嫌いなんです。ヤバいですよ(笑)。自分がよくないプレーをした時はめちゃくちゃへこむし、自分にキレるし。サーブとか、ダメだった時はめちゃくちゃ練習するし。そういう選手がトップになるんだなと。」
— 2024年6月のインタビューで、ニサで同じポジションを争ったワシム・ベンタラについて
39「エンバペって名前がコールされただけでスタジアムがガーッ!と沸いて。『うわ! カッケー!』と鳥肌が立ちました。」
— 2024年6月のインタビューで、サッカーのパリ・サンジェルマンの試合を見た時のことを話して
東京五輪からパリ五輪までの名言
東京五輪の時の宮浦健人は、テレビで見る側でした。3年後のパリでは途中出場が中心で、次の五輪ではコートに立ちたいと話しています。
40「アスリートである以上、現状維持ではいけない。常に上を意識しながらプレーしています」
— 2022年1月のインタビューで、東京五輪をテレビで見て
41「もどかしさはありました。ただ、それは自分の実力不足が原因。自分で努力して積み増ししていくものですから」
— 2024年7月の記事で、西田有志が活躍した東京五輪に出られなかったことについて
42「個人的には2枚替えのシチュエーションで出ることが多くて、ただそこで自分ができる最大限のパフォーマンスができたかっていうと、まだまだできてないと思っていて。もっともっとできると思っているので、そこは本当に悔しさが残るネーションズリーグになったのかなと思います」
— 2024年6月30日、ネーションズリーグの決勝の後で、セッターとオポジットを一緒に代える2枚替えでの出場を振り返って
43「初めてのオリンピックで雰囲気も通常の大会と違った。そうした中で、僕としてはもっとチームに貢献したかったという思いがある。チームとしては最後まで戦えた。戦ったんですけど、僕個人としてはもっともっと成長しないといけない」
— 2024年8月5日、パリ五輪の準々決勝でイタリアに敗れた後で
44「ただ今回は自分自身、試合に絡むことがなかなかできず、チームに貢献できなかったので、次のオリンピックではコートに立ちたい気持ちが強いです。まだまだ力不足なので、もっともっと一回りも二回りも成長したいと思っていますし、それができると信じています。」
— 2024年10月のインタビューで、パリ五輪を振り返って
45「コートの外から見ていて、今までに感じたことがないくらい、みんなの熱量が伝わってきました。そこは感動しましたね。」
— 2024年12月公開の関田誠大との対談で、パリ五輪のイタリア戦について
ウルフドッグス名古屋と初タイトルについての名言
2025年に移ったウルフドッグス名古屋で、宮浦健人はやってきたことを壊す選択をします。速いトスを打つことに取り組みながら、12月の天皇杯でプロになって初めてのタイトルを取りました。
46「私自身が新たな環境で、愚直に、そして地道に、更に成長していければと思います。」
47「常に『改善』ということは意識しているので、テーマは『改善』でしょうか。より効果的なスパイクが打てるとか、レシーブができるとか、色々なスキルもそうですし、どうやったらより良い自分になれるかというのは意識してやっています。」
— 2025年10月のインタビューで、今シーズンのテーマを聞かれて
48「天皇杯での優勝は、プロ選手になってからキャリア初のタイトルで、本当に『やっと取れたな』という気持ちでした。すごく自信にもなりましたし、個人賞もいただけて、自分自身の成長を改めて感じることができました。」
— 2026年1月のインタビューで、2025年12月の天皇杯を振り返って
49「世界バレーが終わってクラブシーズンに入り、(移籍した)ウルフドッグスのコーチ陣とかとも話をしました。そこで『いったん自分がやってきたことを壊して、新しいことに取り組もう』ということになって、引き出しが増えてきましたね。」
— 2026年7月の記事で、世界選手権からの1年を聞かれて
50「できていないこともたくさんありますが、改善の繰り返し。目の前の課題に対し、逃げずに向き合えたとは思っています。」
— 2026年5月、SVリーグの準決勝で敗れた後の会見で、シーズンを振り返って
51「悔しいことは多いですが、いろんな思いを抱えながらやりきることはできて、成長できたシーズンなのかなと。それは誇りに思うし、悔しさをこの先、来年、2、3年後に“こういう思いをしてよかった”と思えるように、これからも逃げずに挑みます」
— 2026年5月、同じ会見で
鎮西高校の畑野監督と早稲田大学についての名言
中学と高校の6年間を過ごした鎮西で教わったことを、宮浦健人は今も土台という言葉で語ります。その恩師の畑野久雄監督は、2025年11月に亡くなりました。早稲田大学では主将として、大会の中止が続いた2020年に全日本インカレを制しています。
52「もう辞めたい」
— 2021年2月の記事で、鎮西高校2年の頃に口にした言葉として
53「いつでもどんなときでも謙虚でいなさい、ということです。謙虚でなければ、満足してしまうし、そうなれば上を見ることもできない。やはり謙虚さが必要なんです。それに鎮西高校はたくさんのOBの方々がいらっしゃいますが皆さん、『当たり前のことを当たり前に』できなければ成長できないことを身に染みて分かっています。そうした考えが土台となって今、自分はバレーボールができていると感じます」
— 2025年12月の記事で、畑野監督の教えを聞かれて
54「やはり今の自分があるのは、畑野先生とのご縁があったからこそだと思います」
— 2025年12月の記事で、11月に亡くなった畑野監督について
55「身体がそんな状態であっても、やるだけですから。そこは鎮西魂です」
— 2025年11月29日、ヴォレアス北海道戦で腰のあたりを痛めた後の第5セットについて
56「泥臭くがむしゃらにやること。そこが今の自分のバレーボールの土台となっているので、それを全うして個人としてもさらに成長していきたいと思います。」
— 2026年8月の記事で、畑野監督から学んだことを語って
57「悔しい気持ちは確かにあった。でも代替大会が中止になったからといってここで終わるわけじゃない。全日本インカレで最高な形で終わるために、今は頑張らないといけない」
— 2020年10月、早稲田大学の主将の時に、新型コロナで秋のリーグ戦に代わる大会が中止になって
58「優勝が決まった瞬間、これが4年間の集大成なのかと思いました。大会開催が厳しい中で、たくさんの人がチームを応援してくださっていることに感謝しています。ありがとうございました」
故郷の熊本と家族についての名言
宮浦健人の故郷の熊本は、2016年と2026年の2度、大きな地震に遭いました。1度目は高校3年で主将になった直後で、2度目の後には日本代表としてアジア選手権を戦っています。
59「他の学校みたいにもっと練習できたらよかったのに」
— 2021年2月の記事で、熊本地震の後の最後の春の高校バレーに敗れた時の思いとして
60「自分が100%を出して熊本の皆さんが元気になってくれたら」
— 2026年9月、アジア選手権に優勝した後で、地震を受けて地元から届いた応援について
61「小さなころからよく訪れていた懐かしさもある場所で優勝できたことは、本当に特別な何かを感じる」
— 2026年9月13日、母の故郷の北九州でアジア選手権に優勝して
62「これからも家族を大切にしながら、より一層競技にも向き合って参ります。」
— 2026年10月5日、第1子の誕生を報告した本人の投稿で
子どもたちとファンへの名言
ファン向けのバレーボール教室も開いてきた宮浦健人は、子どもたちに向けては、楽しさと積み重ねを語ります。
63「僕も関さんと一緒で、まずはバレーボールを楽しんで、好きになることが大切だと思います。そこから『どうやってスパイクを打つんだろう』『どうしたら上手くなれるのかな』と探究心が芽生えてくると思うから。」
— 2024年12月公開の関田誠大との対談で、バレーを始めたい子どもたちへ
64「自分が一番大切だなと思っているのが、積み重ねることが大事だと思うので、日々の練習やトレーニングをしっかりやって、それプラス、コンディショニングをしっかりやっていければ、必ず、微力なんですけど、0.0何%ずつ積み重ねて成長していけると思うので、そういった気持ちを大事にしていただければと思います。」
— 2025年10月のインタビューで、部活生やバレーをしている人へ
65「バレーボールは“繋ぐ競技”なので、そこを伝えていきたいですね。ダイナミックなプレーの魅力もありますけど、繋ぐプレーや、ラリーの楽しさを知ってほしいです。」
— 2026年1月のインタビューで、バレーの面白さを一言で聞かれて
風船アタックから壊れたメダルまで、素顔が分かる面白い名言
本人は「ぱっと明るく何かを表現するような性格でもありません」と話しますが、取材で周りを笑わせることもあります。緊張でお腹が痛くなる話もその1つです。
66「スパイクを打っても、家族から『風船アタックだ』と言われるほど下手くそだった」
— 2021年2月の記事で、小学生の頃を振り返って
67「試合前のエンドラインに並んで挨拶するときとかすごいお腹痛いです。 1試合目でアナウンス入る時とか、そわそわしてすごいお腹痛いです。」
— 2018年11月の同期との対談で、大学2年の時に
68「やっぱりドラゴンボールですね。あとは人気なもので言うとナルトとかですね。」
— 2023年2月5日、ポーランドのチームメイトとアニメの何が話題になるかを聞かれて
69「毎日ご飯炊いて、胸肉焼いて、野菜食べて、毎日同じご飯を食べて。こだわりが本当になくて」
— 2024年7月8日、パリ五輪の壮行会で、海外で覚えた料理を聞かれて
70「輪っか、接続部分が外れちゃったので、それが落ちちゃったんで、つなげました」
— 2026年9月14日、アジア選手権の優勝の会見で、表彰式の後に落ちたメダルについて
よくある質問(Q&A)
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