植芝盛平の名言80選!合気道の開祖が語った愛と争わない心の言葉
「愛は争わない。愛には敵はない」。合気道の開祖・植芝盛平の名言です。「もう歳だから」とためらう70歳の人に「今日は、はじめて合気道をやる」と声をかけた達人です。植芝盛平の名言は、人と争って疲れた時や何かを始める時の支えになります。
Writer
公式ライター Activel編集部
「愛は争わない。愛には敵はない」。合気道の開祖で、武道家の植芝盛平(うえしば もりへい)が残した言葉です。若い頃から柔術や剣術で体を鍛え、北海道の開拓地で木を伐り倒してきた人がたどり着いたのは、本当に勝つとは自分の中の争う心に打ち勝つことだという考えでした。
植芝盛平の名言には、「わしは今も稽古するんでえ」という言葉や、弟子に「お前はヤギじゃないだろう」と返した言葉もあります。宇宙や神を語る難しい言葉もありますが、勝ち負けに疲れた時や、もう一度始めたい時の支えになる一言を探してみてください。
植芝盛平のプロフィール
植芝盛平は、試合で勝敗を決めず、相手と争わないことを説く合気道を開いた武道家です。弟子たちは大先生と呼びました。
基本プロフィール
合気道の開祖は明治の半ばに和歌山で生まれ、1969年に亡くなるまで教えを説きました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 植芝盛平(うえしば もりへい) |
| 生まれ | 1883年12月14日 和歌山県 |
| 亡くなった日 | 1969年4月26日 |
| 開いた武道 | 合気道 |
| 受章 | 紫綬褒章・勲四等旭日小綬章・正五位勲三等瑞宝章 |
和歌山から北海道へ、大本との出会いを経て合気道を開くまでの歩み

和歌山県の西ノ谷村(今の田辺市)に生まれました。植芝盛平翁顕彰会の紹介によると、子どもの頃は体が弱かったといいます。上京して商売をしながら柔術や剣術を学び、軍隊でも銃剣術で鳴らしました。1912年には開拓団の団長として北海道の白滝へ渡りました。仕事で行った遠軽で、大東流柔術の武田惣角に出会います。
転機は1919年です。父の危篤で帰郷する途中に京都の綾部へ立ち寄り、宗教団体である大本の出口王仁三郎に会いました。翌年に綾部へ移り、信仰を深めながら武道の修業を重ねていきます。この時期からの信仰は、植芝盛平の言葉に宇宙や神が出てくる土台の一つです。
1927年に東京へ出て、1931年に今の新宿区若松町に道場の皇武館を開きました。1942年に茨城県の岩間へ移り、戦後の1948年には財団法人の合気会が文部省の認可を受けます。名言の多くは、戦後に合気会の会誌や新聞、月刊誌の連載で語られたものです。
座右の銘
座右の銘に近いのは「合気は愛気じゃよ」です。息子の植芝吉祥丸は、開祖がもっとも好んだ表現のひとつで、戦後はとくに講話のたびに口にしていたと伝記に書いています。これが座右の銘だと本人が語った記録は、調べた本にも公的なページにもありません。
言葉はどの本に残っているか
植芝盛平の言葉は、本人が筆を執った本よりも、周りの人がまとめた本に多く残っています。『合気神髄』は、合気会の会誌と『合気道新聞』に載った開祖の文を集めた1冊で、植芝盛平の語録の中心です。
『武産合気』は、高橋英雄が開祖の話を筆記して月刊誌に連載した聞き書きです。合気会の『合気道新聞』は、今も昭和の頃の開祖の文を再掲しています。
植芝盛平の名言80選
植芝盛平の名言は、「愛は争わない」のように争いをやめよと説く言葉が中心です。その一方で、鉄砲の検査官たちの前で「ワシには鉄砲は当たらんのや」と言ってしまった話も、弟子が伝えています。どちらも合気道の名言として読むと、開祖の人柄が見えてきます。
合気道とは何かを語った言葉
合気道は相手を倒す術ではなく、人を育てる道だというのが、植芝盛平の名言に何度も出てくる考えです。「人殺し予防法」という驚くような言い方も残っています。「万有愛護」は、すべての物を愛し守るという意味の語です。
01「合気とは敵と戦い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である」
— 合気会の公式サイトより
02「いま私がやっております合気道とは、人をこさえる道、心身鍛錬の道であります。人をなぐったり、邪剣をふりまわして人を殺す道ではありません」
— 『合気神髄』(1990年)より
03「合気道とは、各人に与えられた天命を完成させてあげる羅針盤であり、和合の道であり、愛の道なのである」
— 『合気神髄』(1990年)より
04「人を直すことではない。自分の心を直すことである。これが合気なのである」
— 『合気神髄』(1990年)より
05「合気は人命を救うためにあるのである。すなわち人殺し予防法が合気の道である」
— 『合気神髄』(1990年)より
06「合気は感謝のつとめであります」
— 『武産合気』(1986年)より
07「山川草木、禽獣魚虫類にまで、その処を得さしめ、共に楽しむのが合気道であります」
— 『武産合気』(1986年)より
08「いかに深山幽谷に入って修業しても、自然に反するものは自ら滅びる。合気は自然でなければならない」
— 『合気神髄』(1990年)より
09「合気道は形はない。形はなく、すべて魂の学びである」
— 『合気神髄』(1990年)より
10「自分に愛の心が無かったら万有愛護の大業は成りがたく、愛のかまえこそ正眼の構えであります」
— 『合気神髄』(1990年)より
争わないことと本当の勝ちについての言葉
戦わずに勝つことさえ目指さない、というのが植芝盛平の名言の特徴です。軍隊の銃剣術で鳴らした人が、勝ち負けを争うことそのものを否定しています。人とぶつかって疲れた時に読んでみてください。
11「愛は争わない。愛には敵はない」
— 『合気神髄』(1990年)より
12「真の武道には敵はない、真の武道とは愛の働きである」
— 『合気神髄』(1990年)より
13「だから武技を争って勝ったり、負けたりするのは真の武ではない」
— 『合気神髄』(1990年)より
14「勝つとは己れの心の中の「争う心」に打ち勝つことである。己れに与えられた使命を成しとげることである」
— 『合気神髄』(1990年)より
15「すなわち、絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬことである」
— 『合気神髄』(1990年)より
16「合気道は、無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ」
— 『武産合気』(1986年)より。五井昌久が植芝の言葉として引いたもの
17「邪気ある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである」
— 『武産合気』(1986年)より。五井昌久が植芝の言葉として引いたもの
18「相手があり敵があって、それより強くなり、それを倒すのが武道であると思ったらそれは間違いである」
— 『合気神髄』(1990年)より
19「真の武道には相手もない、敵もない」
— 『合気神髄』(1990年)より
20「怒って来れば笑ってこれに和するということこそ、真の合気でなくてはならぬ」
— 息子の吉祥丸の本『合気道』(1957年)より
21「合気道は勝ち負けを争う武ではない」
— 『合気神髄』(1990年)より
22「勝負を争うのではありません。勝負は非常に危険性があります」
— 『合気神髄』(1990年)より
23「喧嘩争いを起こさんようにするには、喧嘩争いの前に、先におさえる。これが日本の武道です。愛の道が肝心です」
— 『合気神髄』(1990年)より
24「我々は人として、この地上に本当の楽しい世を建設しなければならない。つまり、争いのない平和な国にしなければならない」
— 『合気神髄』(1990年)より
25「合気道においては、こちらから攻めるということは絶対にない。攻めかかるということは、己れの必勝の自信のいまだ足らざる証拠であり、すなわちその気持ちがすでに己れの精神の負けを感じていることにほかならぬからである」
— 『合気神髄』(1990年)より
26「私は今どんなに人に悪くされても、その人を拝してなんとも思わぬ。悪くされたこともかえって修業の一つとして感謝しているから、自然と天の運化にさからうことがない」
— 『武産合気』(1986年)より
27「他の国を侵略して人を殺して勝ったなどと錯覚するのは愚かです」
— 息子の吉祥丸の本『合気道開祖植芝盛平伝』(1977年)より
稽古と修業、失敗についての言葉
開祖になっても自分はまだ修業の途中だと言い、若い頃の失敗も隠しませんでした。何かを続けていて、自分はまだまだだと感じる時に読み返したい言葉です。
28「植芝はまだこれから修業です。いつ迄修業するかは、それは決っているものの、修業は人としての当然の努力であります」
— 『武産合気』(1986年)より
29「わしは今も稽古するんでえ」
— 息子の吉祥丸の本『合気道開祖植芝盛平伝』(1977年)より
30「稽古をすることが一番楽しいし、らくなんじゃ」
— 『武産合気』(1986年)の高橋英雄の思い出より
31「君は何を言っているのか。日々極意の技をやっているではないか。今日教えた入身の投げ技などは、極意中の極意だ」
— 息子の吉祥丸の本『合気道』(1957年)より
32「例えば天地の真象を良く見て、みづからこの真象によって悟る。悟ったらすぐに行う。行ったらすぐ反省し、という具合に順序をたてて、悟っては反省し、行っては反省するというようにして、だんだん向上して頂きたい」
— 『合気道新聞』第772号(再掲)より
33「この道理を体の上に分かり実現しなければならぬ。それがすなわち技の稽古である」
— 『合気道新聞』第771号(再掲)より
34「稽古は自己の念を我欲に結んだら向上はあり得ない。邪道である」
— 『合気道新聞』第768号(再掲)より
35「武道をやるからといって、武道のことばかりを考えてはいけない」
— 『合気神髄』(1990年)より
36「すべて道はあるところまで先達に導かれますが、それから後は自分で開いてゆくものなのです」
— 『合気神髄』(1990年)より
37「いつもゆったりと落着いた気持で、営みの世に只一人という気持で、喜びの世に浸っているようでなければだめです」
— 『武産合気』(1986年)より
38「月ごと、年ごとに、この技というものは進んで向上しつつ変わってまいります。一定しておりません」
— 『合気神髄』(1990年)より
39「わしにも数々の失敗がある。それはみな心弱きための失敗であった」
— 『合気神髄』(1990年)より
40「こういう具合いに枚挙すればいとまのないくらいの失敗もあるが、そのたびごとに妙技を体得、今日の合気を完成していったのである」
— 『合気神髄』(1990年)より
師と弟子、人との付き合いについての言葉
弟子を門人と呼ばず友達と言い、山や川まで師だと語っています。「山川草木ひとつとして師とならないものはない」は、世界の動きや本からも学べという話の結びです。
41「要するに、武道を修行する者は、宇宙の真象を腹中に胎蔵してしまう事が大切で、世界の動きをみてそれから何かを悟り、また書物をみて自分に技として受け入れる、ことごとくみな無駄に見過ごさないようにしなければいけない。すなわち山川草木ひとつとして師とならないものはないものである」
— 『合気道新聞』第772号(再掲)より
42「私が合気道修行者に望むことは、どういうことかというと、この世界のありさまを始終よく眺め、また人々の話をよくきいて、良きところを自分の物に取りいれ、それを土台にし、自分の門をひらいて行かなくてはなりません」
— 『合気道新聞』第772号(再掲)より
43「私には門人はありません。はじめから皆ことごとく自分の友達でありますし、また、自分の師匠さんであります」
— 『合気神髄』(1990年)より
44「皆さんが稽古をしてくれればこそ、ぢぢいが本日あるのであります。皆さんを恩人と思うのであります」
— 『合気神髄』(1990年)より
45「物事を、己れの立場からみたら、まず、人々は皆、私の家族であると感ずる」
— 『合気神髄』(1990年)より
46「富士の高嶺に登る道は沢山ありますが、行き着く所は一つであります。すなわち愛の道であります」
— 『合気神髄』(1990年)より
47「誠とは愛と愛とが抱合することであります。愛の交流であります」
— 『武産合気』(1986年)より
宇宙と神を語った言葉
植芝盛平の言葉に宇宙の話が多いのは、大本の出口王仁三郎のもとで信仰を深めたことと切り離せません。『体育学研究』の論文によると、大本は神道系の新興宗教です。庭を歩いていると大地から黄金の気が噴き上がり、涙が止まらなかったという体験を、息子の本は伝えています。
「正勝吾勝」は『古事記』の神の名に出てくる語です。植芝盛平翁顕彰会は、正勝を不義を打ち破る強い信念、吾勝を我執を克服して己に打ち勝つ信条と説明しています。「天の浮橋」も『古事記』の語で、「禊」は身を清めることです。
48「合気道の極意は、己れの邪気をはらい、己れを宇宙の動きと調和させ、己れを宇宙そのものと一致させることにある」
— 『合気神髄』(1990年)より
49「合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我はすなわち宇宙」なのである」
— 『合気神髄』(1990年)より
50「何ものかを敵とし、何ものかと争う心はすでに宇宙の心ではないのである」
— 『合気神髄』(1990年)より
51「その瞬間、私は「武道の根源は、神の愛-万有愛護の精神-である」と悟り得て、法悦の涙がとめどなく頰を流れた」
— 息子の吉祥丸の本『合気道』(1957年)より
52「また宗教のことをいうといやがる人があるが、これは何も知らないからきらうので、宗教といえどもことごとく自分に受け入れて、武道になおしていけばよいのである」
— 『合気道新聞』第772号(再掲)より
53「これが神ながらの道「三千世界一度に開く梅の花」ということである」
— 『合気神髄』(1990年)より
54「正勝は屈せぬこと、吾勝はたゆまぬこと、勝速日は勝利栄光をいう」
— 『合気神髄』(1990年)より
55「つまり合気道は禊の技であるということである」
— 『合気神髄』(1990年)より
56「天の浮橋に立たねば合気は出て来ないのであります」
— 『合気神髄』(1990年)より
植芝盛平の道歌
植芝盛平の道歌は、合気道の教えを詠んだ和歌です。囲まれた時の心得から愛の教えまで、短い言葉に込められています。笠間市のページによると、「美しき この天地の御姿は」の歌は、すべての物は神様が作られたもので、みんな一つの家族であるという意味です。
57「向上は秘事も稽古もあらばこそ極意のぞむな前ぞ見えたり」
— 息子の吉祥丸の本『合気道』(1957年)・『合気神髄』(1990年)より
58「まよひなば悪しき道にも入りぬべし心の駒に手綱ゆるすな」
— 息子の吉祥丸の本『合気道』(1957年)より
59「敵多勢我をかこみて攻むるとも一人の敵と思ひたゝかへ」
— 息子の吉祥丸の本『合気道』(1957年)より
60「合気とは愛の力の本にして愛は益々栄えゆくべし」
— 息子の吉祥丸の本『合気道』(1957年)より
61「合気とは筆や口にはつくされず言ぶれせずに悟り行へ」
— 『合気神髄』(1990年)より
62「合気とは万和合の力なりたゆまず磨け道の人々」
— 『合気神髄』(1990年)より
63「美しき この天地の御姿は 主のつくりし 一家なりけり」
— 笠間市「合気道開祖、修練の地」より
64「合気にてよろづ力を働かし美しき世と安く和すべし」
— 息子の吉祥丸の本『合気道』(1957年)より
息子と弟子が伝える言葉
息子や弟子が思い出して伝える言葉には語り口が残っていて、厳しさとおかしさの両方が伝わってきます。最後の3つは、養神館を開いた弟子の塩田剛三が自分の本に書いた話です。その中の「当身」は、相手を突く技のことです。
65「合気は愛気じゃよ」
— 息子の吉祥丸が『合気道開祖植芝盛平伝』(1977年)で伝える言葉
66「武は愛なり」
— 弟子の藤平光一が『合気道:写真解説』(1959年)で伝える言葉
67「合気は愛なり」
— 弟子の砂泊諴秀が『合気道の心を求めて』(1989年)で伝える言葉
68「勝とうと気を張っては何も視えんのじゃ」
— 息子の吉祥丸が『合気道開祖植芝盛平伝』(1977年)で伝える言葉
69「わしの腕は伐木でかためられたものじゃから、木よりも強うなったのは当然じゃ」
— 息子の吉祥丸が『合気道開祖植芝盛平伝』(1977年)で伝える言葉
70「そんなことない、私は何十年か合気道をやってきているけれども、今日は、はじめて合気道をやる。あんたもはじめてなんだから一緒にやろう」
— 弟子の五月女貢が季刊『道』の取材で伝える言葉
71「よくいらっしゃいました」
— 弟子の五月女貢が季刊『道』の取材で伝える言葉
72「何ごとだ、師匠にお尻を見せる馬鹿がおるか」
— 弟子の五月女貢が季刊『道』の取材で伝える言葉
73「私は植芝です。しっかりやりなさい」
— 弟子の磯山博が笠間市の広報で伝える言葉
74「お前はヤギじゃないだろう。頭なんかでやるな」
— 弟子の磯山博が笠間市の広報で伝える言葉
75「わしが気結びするから、稽古ではできるが、一人ではできんのじゃ」
— 合気会の師範が、武道の出版社の取材で伝える言葉
76「清水、地球を洗濯せにゃいかんのう」
— 弟子の清水健二が伝える言葉
77「相手の目を見てはいけない。目に心を吸収されてしまうからです。相手の剣を見てはいけない。剣に気が把われてしまうからです。相手を見てはいけない。相手の気を吸収してしまうからです。真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の錬磨です。だから、わたしはこのまま立っとればいいんじゃ」
— 『武産合気』(1986年)の高橋英雄の思い出より
78「ワシに隙があったら、いつでもこれで殴ってきなはれ。もし殴れたら、あんたに十段をやろう」
— 弟子の塩田剛三が『合気道修行』(1991年)で伝える言葉
79「実戦における合気道は、当身が七分、投げが三分」
— 弟子の塩田剛三が『合気道修行』(1991年)で伝える言葉
80「ワシには鉄砲は当たらんのや」
— 弟子の塩田剛三が『合気道修行』(1991年)で伝える言葉
植芝盛平の言葉として出回っているが、確かめられなかった言葉
ネットの名言集で植芝盛平の名言として紹介されるものの中には、別の人の言葉や、元の日本語が見つからないものもあります。人に話す時は気をつけてください。
「合気道で一番強い技、それは自分を殺しに来た者と友人となることさ」は、弟子の塩田剛三の言葉として広まっています。語録の『合気神髄』に、この形は出てきません。
「失敗は成功へ鍵である」は、英語の本 The Art of Peace の「Failure is the key to success」と同じ内容で、「人生は成長だ」も英語で紹介されている言葉です。どちらも元の日本語は見つからず、本人が日本語でこう言ったとは確かめられません。
よくある質問(Q&A)
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