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ジェイ・カトラーの名言56選!ロニー・コールマンとの戦いと英語の原文

ジェイ・カトラーの名言56選!ロニー・コールマンとの戦いと英語の原文

ボディビルのミスター・オリンピアで4度優勝したジェイ・カトラー。ロニー・コールマンに4度敗れて2位だった頃に何を考え、2008年に失った王座を翌年どう取り返したのか。ジェイ・カトラーの名言56選が、英語の原文と言った時期つきで答えてくれます。

2026.11.08 | ボディメイク

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公式ライター
Activel編集部

ジェイ・カトラーは、ボディビルの最高峰ミスター・オリンピアで4度優勝した、アメリカのボディビルダーです。王者ロニー・コールマンに4度敗れて2位になった後、2006年に初めて勝ち、2008年に失った王座も翌年に取り返しました。舞台で敗れて王座を失った人がもう一度勝ったのは、オリンピアで初めてです。ジェイ・カトラーの名言には、2位と呼ばれた瞬間から今まで、負けた後に何を考え、どう戻ってきたのか、引退した今何を思うのかが残っています。日本語で広まった「成功に近道はない」も、元は本人が英語で話した言葉です。

ジェイ・カトラーのプロフィール

マサチューセッツ州の小さな町で育ち、兄たちのコンクリート会社で働きながら体を作りました。オリンピアの2位は6回で史上最多、そのうち4回は王者ロニー・コールマンの次でした。

基本プロフィール

2026年時点で53歳。今も動画やポッドキャストで話し続けています。

項目 内容
名前 ジェイ・カトラー(Jay Cutler)
生年月日 1973年8月3日
出身 アメリカ・マサチューセッツ州
身長 約175cm
競技 ボディビル
主な成績 ミスター・オリンピア優勝4回(2006・2007・2009・2010年)
ほかの成績 アーノルド・クラシック3連覇(2002〜2004年)
最後の大会 2013年のミスター・オリンピア(6位)

兄たちの会社で働いた少年時代と18歳の誕生日

マサチューセッツ州スターリングの7人きょうだいの末っ子で、家族にウエイトトレーニングをする人はいませんでした。11歳から兄たちのコンクリート会社で働き、週末も学校の休みも、朝6時から日が暮れるまで、コンクリートを流し込む重い型枠を運びました。

12歳の頃には、姉の恋人が持っていたボディビルの雑誌で1982年のミスター・オリンピアの王者クリス・ディッカーソンを見て、こんな体になりたいと思ったそうです。2024年のスピーチでは、映画『ターミネーター2』でアーノルド・シュワルツェネッガーの体を見たことも、きっかけに挙げています。18歳の誕生日にジムに入り、地元の大学で刑事司法を学びながら鍛えました。

2位4回から4度の王者、引退までの歩み

ジェイ・カトラーの歩みと名言の年表(18歳でジムに入る、2001年から4度の2位、2006年の初優勝、2009年に王座を取り返す、2013年の最後の大会、現在まで)

1996年にアマチュアの全米選手権で優勝してプロになり、2001年に初めてオリンピアで2位に入りました。2002年からは、オリンピアに次ぐ大きな大会のアーノルド・クラシックを3連覇します。一方でオリンピアでは、2001年から2005年まで(出なかった2002年を除く)の4回すべてで、ロニー・コールマンに次ぐ2位でした。

2006年、ついにコールマンを破って初めて優勝し、翌年も勝ちました。2008年はデクスター・ジャクソンに敗れて2位になり、王座を失いますが、2009年に取り返します。舞台で敗れて王座を失った人がもう一度オリンピアに勝ったのは、これが初めてでした。2010年に4度目の優勝を果たし、2011年はフィル・ヒースに敗れて2位になりました。2012年は上腕二頭筋の手術で出られず、6位に終わった2013年の大会が最後になりました。

引退した後は、サプリメントの会社を営みながら、YouTube やポッドキャストで話し続けています。2024年には、アーノルド・クラシックで生涯功労賞を受けました。

座右の銘

ジェイ・カトラーの座右の銘は「成功に近道はない」です。2019年、記者の電話インタビューで23歳の自分に何と言うかと聞かれ、「成功に近道はない。それが俺の信条だ。いきなり頂上には登れない。一歩ずつ、段をよく選んで登るんだ」(There are no shortcuts to success. That’s my motto. You can’t climb immediately to the top. You take steps and you choose steps wisely.)と答えています。

46歳で、引退して6年がたった頃でした。SNS で見かける「成功に近道はない」は、このインタビューの言葉です。

ジェイ・カトラーの名言56選

ジェイ・カトラーの名言には、2位と発表された瞬間の言葉から、52歳になって「22歳の時より調子がいい」と話す言葉まであります。10代のジェイ・カトラーは食事の決まりを一度も破らず、王座を失った夜には親友に言葉をかけました。日本語訳は Activel編集部によるものです。

少年時代からプロになるまでの名言

2024年に生涯功労賞を受けたスピーチで、ジェイ・カトラーは自分の始まりを振り返りました。少年時代を語った言葉には、兄たちの会社の力仕事と、一度も破らなかった食事の決まりが出てきます。

01「多くの子どもは弁護士や医者、プロのスポーツ選手になりたがる。俺はボディビルダーになりたかったんだ」

“many kids want to be lawyers, doctors, professional athletes, I wanted to be a bodybuilder”

— 2024年3月2日、アーノルド・クラシックの生涯功労賞のスピーチで

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発言時期: 2024年3月2日

発言状況: オハイオ州コロンバスで開かれたアーノルド・クラシックで、アーノルド・シュワルツェネッガーから生涯功労賞を手渡された夜のスピーチです。ボディビルダーになると心に決めて、長い道のりを歩き始めた頃のことを話した中の言葉です。

02「7人きょうだいの末っ子で、家族にウエイトをやる人は誰もいなかった。何もかも自分で働いて手に入れるしかなかった」

“Youngest of seven kids, no one in my family lifted weights, … I had to work and earn everything I did”

— 2024年3月2日、同じスピーチで

03「アメリカの小さな町から大舞台まで来て、思っていたよりずっと遠くまで来られた。座って、自分がどれだけ遠くまで来たのかを感じることは、とても大事なんだ」

“By coming from Smalltown, USA and making it to the big time, I’ve gone above and beyond anything I ever expected to be. It’s very important to sit down and realize how far you’ve really come.”

— 2006年2月、地元の雑誌の取材で

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発言時期: 2006年2月

発言状況: 地元マサチューセッツの雑誌の取材です。オリンピアで4度目の2位になった後で、初めて優勝するのはこの年の秋でした。ニューイングランドは自分の根っこで、今も忘れていない、とも語りました。

04「でも、あの仕事で、人生で欲しいものは働いて手に入れるものだと教わった。出発点がそこだったから、俺には何もつらくない」

“But it taught me you have to work for what you get in life … Because of where I began, it’s never difficult for me”

— 記者のインタビューで、10代のコンクリートの仕事を振り返って

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発言時期: 10代の頃を振り返った、記者のインタビュー

発言状況: 兄たちのコンクリート会社の仕事を、本人は「あの仕事は大嫌いだった」と振り返っています。週末も学校の休みも夏の間もずっと、朝6時に起こされ、日が暮れるまで80ポンド(約36kg)の型枠を運んだそうです。言葉の途中では、ボディビルを仕事として、生きるか死ぬかのものとして100%で練習し、文句は言わない、と言い切っています。

05「ディッカーソンを見て、こんな体になりたいと言ったのを今でも覚えている」

“I also remember looking at Dickerson and saying, ‘This is what I want to look like.'”

— 記者のインタビューで、12歳の頃を振り返って

06「18歳の誕生日に、ウースターのゴールドジムの会員になった。練習を始めて最初の1年で、50ポンド増えたよ」

“On my 18th birthday I bought a membership at Gold’s Gym in Worcester. I put on 50 pounds in my first year of training.”

— 2002年7月、専門誌のインタビューで

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発言時期: 2002年7月

発言状況: ラスベガスの自宅で受けたインタビューです。50ポンドは約23kgです。同じインタビューで、後に妻になる人に、最初のデートでプロのボディビルダーになると話したのは本当だ、とも答えています。

07「食事の決まりを一度も破らなかった。ケチャップさえかけなかった」

“I never cheated on my diet once. I wouldn’t even have ketchup.”

— 記者のインタビューで、10代の終わりの頃を振り返って

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発言時期: 1993年、10代で出た大会の後の頃を振り返った、記者のインタビュー

発言状況: 続けて、ボディビルダーとして自分を良くしないものは口にしなかった、飲むのは水とコーヒーだけで炭酸飲料も砂糖もとらなかった、と話しています。食事と練習のやり方は、コーチのクリス・アセトから学んだそうです。

08「成功が、もっと上を目指す飢えを少しくれた。一番いい時はこれからだ」

“But success has brought me a little more hunger to be even better. … And the best is yet to come.”

— 2002年7月、専門誌のインタビューで

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発言時期: 2002年7月

発言状況: 2001年にオリンピアで2位に入り、この年(2002年)の初めにアーノルド・クラシックで初めて優勝した後の言葉です。言葉の前には、去年の自分に聞いても、こんなに貪欲になるとは思わなかっただろう、と1年前の自分と比べています。

4度の2位の頃の名言

2001年から2005年まで、オリンピアに出るたびに、発表で最後に残るのはロニー・コールマンとジェイ・カトラーの2人でした。2位と呼ばれ続けた頃、ジェイ・カトラーは悔しさよりも、次は勝つと口にしていました。

09「でも、気おくれはしなかった。自分はここにいるべき人間だと分かっていた」

“But I wasn’t intimidated. … I knew I belonged.”

— 2001年11月ごろ、初めてオリンピアで2位になった後の取材で

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発言時期: 2001年11月ごろ(オリンピアの約1か月後)

発言状況: オリンピアで初めて、審査の最初に上位の選手どうしを並べる比較に呼ばれ、ロニー・コールマンの隣に立った時のことです。舞台裏で見たコールマンには圧倒され、背中は筋肉の山だった、と前置きしています。そのうえで、並んでも張り合えると自信があったと話しました。

10「がっかりしたよ。でも正直、がっかりしたのは2秒くらいで、すぐに『俺は世界で2番目だ』と思ったんだ」

“It was disappointing, but, honestly, I was only disappointed for about two second, and then I said, ‘I’m second in the world.'”

— 2001年11月ごろ、オリンピアの発表の瞬間を振り返って

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発言時期: 2001年11月ごろ

発言状況: 発表を待つ時間は、人生で一番長く感じたといいます。自分が勝ったと思っていたので、2位と呼ばれた時は心が沈み、どうしていいか分からなかったそうです。そのすぐ後の気持ちが、この言葉です。

11「勝てるさ。一度はもう勝っている。オリンピアの採点表がそれを証明している」

“Yes, I can. I did it once already. The scorecards at the Olympia prove it.”

— 2002年7月、専門誌のインタビューで

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発言時期: 2002年7月

発言状況: ロニー・コールマンに勝てるかと聞かれた時の答えです。2001年のオリンピアでは、決勝の前の日にある予選の審査の後にリードしていて、自分の目には自分が勝者だった、と続けています。

12「お金のためじゃない。ミスター・オリンピアになることが大事なんだ。勝てると分かっている。来年はもっと強くなって戻り、正々堂々あいつに勝つ」

“It’s not about the money. It’s about being Mr. Olympia. I know I can win. I’ll come back stronger next year and beat that guy, fair and square.”

— 2005年10月、オリンピアで2位になった2日後の電話取材で

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発言時期: 2005年10月

発言状況: 4度目の2位の後です。言葉の前には、欲しいのはオリンピアだけで、アーノルド・クラシックにもう一度勝っても証明するものは何もない、と言い切っています。「あいつ」はロニー・コールマンのことで、翌2006年、本当にコールマンに勝ちました。

13「2位でも、世界一の男の次の2番目だ。何度もの2位は、ぶれずに続けてきた証なんだ」

“Second place is still second best to the best guy in the world … But the second-place finishes show consistency.”

— 2019年、記者の電話インタビューで

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発言時期: 2019年

発言状況: オリンピアで上位2人に10回入ったことをどう思うか、と聞かれた時の答えです。ロニーとジェイの時代を追いかけることはできない、あの時代はもう繰り返されない、とも語りました。

14「4回もあいつの2位になったら、たいていの人はあきらめていただろう」

“I was second to him four times to him, where most guys would have given up”

— 2021年6月公開のインタビュー動画で

初優勝から4度の王者までの名言

2006年に初めて王者になってから、2010年に4度目の優勝を果たすまでの言葉です。勝った年、負けた年、取り返した年で言い方が変わります。2007年には「1点差でも20点差でも、勝ちは勝ちだ」と話し、王座を守りに行く2008年には「圧倒して勝ちたい」と話しています。

15「これで、2回勝たないと意味がないなんて、もう俺をからかえないだろう」

“It means you can’t make fun of me anymore, saying I have to win two for it to matter.”

— 2007年9月、オリンピアで2連覇した直後の舞台裏で

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発言時期: 2007年9月

発言状況: 2度目の優勝が自分にとって何を意味するかと記者に聞かれた時の答えです。去年は予選の金曜日でほとんど勝っていたが、今年は決勝の夜にもう一度自分を証明しなければならなかった、と続けています。

16「1点差でも20点差でも、勝ちは勝ちだ。家に帰れば、サンドウ像は暖炉の上にある」

“A win’s a win whether I take it by one point or 20 points. The Sandow’s still sitting on my mantle when I get home.”

— 2007年9月、同じ舞台裏で

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発言時期: 2007年9月

発言状況: サンドウ像は、オリンピアの優勝者に贈られる像です。オリンピアは審査員がつけた順位を点数にして合計し、少ないほうが上になります。接戦だったことについて、王者は一番厳しく見られるから、金曜日に100%でなかったと批判される、と前置きしてからの言葉でした。翌年の取材では、圧倒して勝ちたい、20点差で勝つべきだったと話しています。

17「4回2位になってみろ。その時に本当の痛みを感じ始めるんだ」

“Try getting second four times. That’s when you start really feeling the pain.”

— 2007年9月、同じ舞台裏で、2位のビクター・マルチネスについて

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発言時期: 2007年9月

発言状況: 2位だったビクター・マルチネスについて、彼のオリンピアの2位はまだ1回目だ、と言った後の言葉です。続けて、彼は戻ってくる、俺は待っている、来年また機会がある、と話しました。

18「勝ちたい。でも、圧倒して勝ちたいんだ」

“You want to win, but you want to win with domination”

— 2008年9月、オリンピアの前の取材で、前の年の2連覇を振り返って

19「頂点に立つためにしてきたことを、全部はやっていなかった」

“I wasn’t doing everything I had done to be on top.”

— 2008年9月、同じ取材で、王者の1年を振り返って

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発言時期: 2008年9月

発言状況: 王者として競技を広めようと、宣伝の仕事を増やしたそうです。ナイトクラブにも顔を出し、練習を抜いた日もあったと打ち明けています。この言葉は、その1年を振り返った最後の一文です。

20「手ごわい相手はたくさんいる。でも、俺を負かせるのは俺だけだ」

“There’s going to be a lot of competition, but the only one who can beat me is myself.”

— 2008年9月、同じ取材で

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発言時期: 2008年9月

発言状況: ロニー・コールマンが出ない初めてのオリンピアの前です。一番大きかったロニーほど大きくならなくていいので少し楽だ、と前置きしています。この大会でデクスター・ジャクソンに敗れ、王座を失いました。

21「予選で260ポンド、決勝までに12ポンド落としたが、足りなかった。来年は違う」

“I was 260 at the prejudging, and dropped 12 pounds for the finals, but it wasn’t enough … Next year will be different.”

— 2008年10月、オリンピアで王座を失った後の取材で

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発言時期: 2008年10月

発言状況: 260ポンドは約118kg、12ポンドは約5kgです。引退するのではといううわさが出る中、本人は予選の夜の自分は調子が悪かったと認め、翌年に王座を取り返しに戻ると話しました。

22「歴史を作りたい。考えているのはそれだけだ。そのために生きている。食べるのも、飲むのも、眠るのも、ボディビルのためだ」

“I want to make history. This is all I think about. It’s what I live for … I eat, drink and sleep bodybuilding.”

— 2009年9月、王座を取り返しに行くオリンピアの前の取材で

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発言時期: 2009年9月

発言状況: この頃は1日6,500kcalの食事を守り、赤身の肉と鶏肉を避けて、魚を毎日5ポンド(約2.3kg)食べていました。舞台で敗れて王座を失った人がもう一度オリンピアに勝った例は、まだありませんでした。

23「最初から3回勝ちたいと言っていて、こうしてここにいる。もう現実だ。失って初めて、これがどれだけ特別なものか分かった。だから胸がいっぱいなんだ」

“In the beginning I said I wanted to win three, and here I am. It’s reality now. … It’s very emotional, because I realized when I lost it how special it is”

— 2009年9月、オリンピアで王座を取り返した直後の舞台裏で

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発言時期: 2009年9月

発言状況: 決勝の直後、舞台裏で記者に話した言葉です。負けてから戻ってきた今回は、初めて勝った時より大きなことだ、とも話しています。この年は初めて、体の仕上げを指導するコーチのハニー・ランボッドと組みました。決勝の最後には舞台を指して口の形で「ここは俺の家だ」と示し、「戻ってきた」と叫んだそうです。

24「これまでになかったものを持ってこようとした。それが必ず強みになると分かっていたから」

“I tried to bring things I never had before because I realized that would definitely give me an advantage.”

— 2009年、オリンピアの後の取材で、仕上げについて

25「誰がこうなると思った? 夢みたいだよな。出会った頃、同じ舞台に立って、友だちになって、オリンピアで最後の2人になるなんて」

“Who would’ve thought? You’re living the frickin’ dream, dude … Who would’ve thought when we met that we would actually be on the same stage and be friends and be the last two standing here for the Mr. Olympia.”

— 2010年9月、オリンピアの優勝が発表される直前の舞台で、フィル・ヒースに

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発言時期: 2010年9月

発言状況: 発表を待つ最後の2人になった親友のフィル・ヒースに、舞台の中央でかけた言葉です。この後、カトラーが4度目の優勝を果たし、翌年はヒースに敗れました。

26「勝つのは嫌だった。負けている側にいる時のほうが、いつも飢えていたから。挑戦者の時は、いつも飢えていた」

“I hated winning because I was always hungrier on the other side. I was always hungry as the underdog.”

— 2019年7月、本人の YouTube の動画で

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発言時期: 2019年7月

発言状況: 王者の時代を振り返った動画です。勝つと少し気が緩んだ、勝っている時は負けている時ほどやる気が出なかった、と話しています。2006年の初優勝について、オリンピアに勝つのとロニー・コールマンに勝つのとどちらがよかったかと聞かれ、ロニーに勝つほうだったと答えたそうです。

2011年の敗戦と引退の名言

2011年、ジェイ・カトラーは親友のフィル・ヒースに敗れ、王座を渡しました。けがと手術を経て、2013年の大会が最後になります。引退の後には、競技そのものを心から好きだったことはない、と動画で打ち明けています。

27「上腕二頭筋が切れたとみんなに言って出てくるわけにいかないだろう? 自信を持って出るしかなかった」

“What was I going to do, come in and tell everyone I had a torn biceps? … Of course I was going to come in confident.”

— 2011年9月、オリンピアの決勝の前の舞台裏で

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発言時期: 2011年9月17日

発言状況: 左の上腕二頭筋の腫れと変色は、注射のせいではなくけがによるものだと、本人は強く言っていました。記者に切れた筋に触れてみるよう求めたほどです。目立たなければいいと願ったが、どうしようもなかった、と続けています。

28「お前が王になる。準備はいいか?」

“You’re gonna be the king now. Are you ready?”

— 2011年9月、オリンピアの優勝が発表される直前の舞台で、フィル・ヒースに

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発言時期: 2011年9月17日

発言状況: 前の年と同じく、最後の2人はカトラーとヒースでした。カトラーは笑って、待ってろ、来るぞ、ボディビル界の王になるんだ、と続け、最後に「ひざをつくなよ」と付け加えました。発表の後、ヒースはひざが崩れましたが、倒れはしなかったそうです。

29「王座を失うなら、友だちの君のような人に負けるのが一番うれしいと、ずっと言ってきた」

“I always said if I was to lose the title, I wouldn’t be happier than to lose it to someone like you, as my friend.”

— 2011年9月、オリンピアで敗れた直後の会場のスピーチで

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発言時期: 2011年9月17日

発言状況: 敗れた直後に、会場の観客に向けて話した言葉です。意外にもとてもうれしい、フィルは親友だから、と切り出しました。地方の大会の舞台裏で初めて見た時、「いつか一番になれる」と声をかけたが、その一番の姿を自分との勝負で見せられるとは思わなかった、とも振り返りました。

30「出るなら100%を注げる時だけだ。今年はその時ではなかった」

“The only way I would compete is if I can put 100 percent into it, and the timing wasn’t right for this year.”

— 2012年8月、オリンピアの欠場を伝えた声明で

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発言時期: 2012年8月

発言状況: 前の年に切れた左の上腕二頭筋の手術を2012年2月に受けた後、練習と食事を立て直そうとしたが、仕事が多すぎた、と声明で明かしています。2009年にデクスターから取り返したように、2013年に戻ってフィルから王座を取り返すと、7月半ばに決めたそうです。2013年は6位で、これが最後の大会になりました。

31「引退したのは、熱を失ったからだ。毎朝、ボディビルの舞台で一番になるという一つの思いで起きる熱をね」

“I retired pretty much because I lost the enthusiasm, I lost the enthusiasm to wake up everyday with that one mindset to be the best on a bodybuilding stage.”

— 2021年2月、本人の YouTube の動画で

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発言時期: 2021年2月

発言状況: 引退の本当の理由を話した動画です。昔、雑誌で30歳までに引退すると言ったことがあるが、実際に伸びたのは30歳からで、オリンピアに初めて勝ったのは33歳だった、と振り返っています。

32「楽しくないことを、お金のためだけに続けるつもりはない」

“If something’s not fun I’m not just going to keep doing it for paychecks or whatever.”

— 2021年2月、同じ動画で

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発言時期: 2021年2月

発言状況: ミスター・オリンピアを始めたジョー・ウイダーが亡くなってから、熱が冷めたとも話しています。だから競技をやめ、二度と戻らないと決めた、と続けました。

33「人をやる気にさせること。それが俺の天職だったと思う。だから今も続けているんだ」

“and motivating people, I think that’s really what my calling was and that’s why I’ve continued to do that”

— 2021年2月、同じ動画で

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発言時期: 2021年2月

発言状況: 競技そのものを心から好きだったことはない、と打ち明けた後の言葉です。練習は好きだが、本当に好きだったのは、大会のない時期に旅をして、人の前に立つことだったそうです。

食事とトレーニングの名言

ジェイ・カトラーの食事とトレーニングの話は、細かいメニューよりも、続けることと食べることの大切さに行き着きます。本人は、ボディビルで一番難しいのは食事だと言い続けています。

34「トレーニングや遺伝の話はいくらでもできる。でも、ボディビルの成功はほとんど食事で決まる。みんな、食べ方を知らないんだ」

“We can talk all we want about training or genetics, but bodybuilding success is mostly about eating … People just don’t know how to eat.”

— 記者のインタビューで

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発言時期: 現役の頃を振り返った、記者のインタビュー

発言状況: 続けて、昔はマサチューセッツ州スペンサーの農場で、鶏肉140ポンド(約64kg)と牛1頭を買い、できるだけ脂の少ないひき肉にしてもらっていたそうです。

35「ボディビルで一番難しいのは何かと聞かれたら、俺はずっと食事だと答えてきた」

“What’s the hardest part about bodybuilding and I always said the food.”

— 2024年4月、本人の YouTube の動画で

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発言時期: 2024年4月

発言状況: 1日に何回食べるのがいいかを話した動画です。現役の頃は1日6食で、コーチのハニー・ランボッドと組んでから7食に増えた、と振り返っています。引退から10年たっても、十分な量を食べるのに苦労していると話しました。

36「家族と過ごすのが好きで、食事は1日に8回から10回、練習は1日2回だ」

“I like spending time with my family, I eat eight to 10 times a day, and I train twice a day.”

— 2002年7月、専門誌のインタビューで、自分の暮らしについて

37「ボディビルが1日24時間のものだと、分かっていない人は多い」

“A lot of people don’t realize bodybuilding is a 24-hour a day thing”

— 2006年2月、地元の雑誌の取材で

38「ただの決まりごとだった。俺には楽しかったんだ」

“It was just routine. … To me it was fun.”

— 2020年11月公開の、記録映画の撮影の時のインタビューで

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発言時期: 2020年11月に公開されたインタビュー

発言状況: 王者になるために大変な努力をしたとは感じていない、と話した後の言葉です。朝に卵白を20個食べ、1日に6食か7食をとり、練習は1日2回から4回でした。それが毎日の決まりごとでした。

39「秘訣なんてない。秘訣は、毎日少しずつ伸ばすこと、続けること、打ち込むことだ」

“And there’s no secret. The secret is progression, consistency, dedication day in and day out.”

— 2026年8月の動画で

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発言時期: 2026年8月

発言状況: 秘訣は何かとよく聞かれる、と話した後の言葉です。プロのボディビルダーがしていることはとても基本的で、自分も最初からずっと基本どおりだった、決まった食事で始め、練習の基本を守ってきた、と続けています。

40「とても良い選手と頂点の選手を分けるのは、心の持ち方だ。怒りを込めて、狂ったように、気持ちを込めて練習しなければいけない」

“it’s the mindset … You have to train angry, you have to train crazy, you have to train with emotion.”

— 2024年5月、本人の YouTube の動画で

41「回数は大事じゃない。筋肉の繊維をどう使うかを考えるんだ」

“So repetitions don’t matter. You’re thinking fiber, fiber control.”

— 2023年7月、ボディビルダーのマイク・オハーンとの対談で

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発言時期: 2023年7月

発言状況: 自分が12回と言えば全部12回だと思うかもしれないが、それはうそだ、と本人は話しています。6回でも8回でも4回でも刺激は入るし、途中でやめることもあるそうです。多くの人は自分を安売りしている、とも話しました。

引退後から現在までの名言

ジェイ・カトラーの現在は、サプリメントの会社を営み、動画やポッドキャストで話し続ける毎日です。引退した後の言葉には、楽しむことを自分に言い聞かせた話や、52歳の体の話が出てきます。

42「でも、こうしてここにいる。引退して6年、後悔はないし、23歳だったあの頃と同じくらい熱を持っている」

“But here I am, six years retired, no regrets and still as passionate as I was when I was that kid at 23.”

— 2019年、記者の電話インタビューで

43「偉大なボディビルダーにはなれる。でも、この先に何が来るのか、何を残したいのかを考えなければいけない」

“People can be great bodybuilders, but you have to think of what the future brings and what you want your legacy to be.”

— 2019年、同じインタビューで

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発言時期: 2019年

発言状況: 2001年に2位になり、頂点が手の届くところにあると感じた頃を振り返った言葉です。長く健康でいることも考えなければいけないと続け、間違った判断のせいで若くして亡くなった人が多すぎる、とも語っています。

44「でもね、もっと楽しむように、自分に言い聞かせなければならなかった」

“But, I’ll tell you, I’ve had to talk myself into having more fun.”

— 2019年、同じインタビューで、引退した後の自分について

45「ジェイ、お前はもう昔のお前じゃない。人生を楽しむ時だ。…それが俺で、これからもずっとそうだ。この生き方が好きなんだ」

“Jay, you’re not who you used to be anymore. Time to enjoy your life. … It’s who I am, and who I’ll always be. I just love the lifestyle.”

— 2019年、同じインタビューで

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発言時期: 2019年

発言状況: 18歳から40歳まで続けた暮らしから切り替えるのが一番難しかった、と話した中の言葉です。毎朝、自分に「人生を楽しむ時だ」と言い聞かせたそうです。練習は続けているが、重さはずっと軽くし、健康のためにきれいな食事をしている、とも話しました。

46「名を知られようとしていた頃、大事なのは知られることではなく、競技で結果を出すことだった。そこへ行く道は? 勝つことだけだった」

“it wasn’t about being known, it was about being successful competition-wise. What was the only way to get there? It was winning.”

— 2023年6月、本人のポッドキャストで

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発言時期: 2023年6月

発言状況: 50歳を前に、もう一度体を仕上げていた頃の話です。今の時代は声や意見で人の注目を集められる、と自分が名を知られようとしていた頃と比べています。引退から10年で一番いい体になると言っていて、この年の8月に50歳になる、とも話しました。

47「もう練習でお金をもらうことはない。…またすべてを始められる気がする。来週で50歳だ。ジムは一日で一番いい時間なんだ」

“I don’t get paid to work out any longer … I feel like this could all start again. I’ll be 50 next week. It’s the best part of my day.”

— 2023年7月、ボディビルダーのマイク・オハーンとの対談で

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発言時期: 2023年7月

発言状況: もう週に7日ジムにいる必要はない、と前置きしています。関節の痛みも動きの制限もまったくないと話し、今も毎週デッドリフトをしている、やりすぎないのは昔からだ、とも付け加えました。

48「動き続けなきゃいけないよ」

“You got to stay active.”

— 2026年1月の対談の動画で

49「まったく衰えていない。52歳の今のほうが、22歳の時より調子がいいと思う」

“I’m not slowing down one bit … I think I feel better at 52 than I felt at 22.”

— 2026年7月、本人のポッドキャストで

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発言時期: 2026年7月

発言状況: 40歳になれば変わる、50歳になれば変わると言われ続けたが、そうはならなかった、という話の続きです。脚のマシンのハックスクワットで重さを積む若い人を見ると、ひざを痛めないでくれと思うそうです。

50「完璧を追いかけるのはたやすい。でも本当の勝利は、その場に立ち、全力を出し、まわりの人を励ますことだ。…立ち続けよう。前に進み続けよう」

“It’s easy to get caught up in chasing perfection, but the real victory is showing up, giving your all, and inspiring others along the way. … Keep showing up. Keep pushing forward.”

— 2025年10月28日、本人の Instagram の投稿で

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発言時期: 2025年10月28日

発言状況: 投稿の2週間前、ウィスコンシン州のイベントで、ダウン症のある若い選手プレストン・ベイカーに賞を手渡した時のことを書いた投稿です。ボディビルはトロフィーも称号もくれたが、あらゆる壁を越えて舞台に立つ人を見ること以上のものはない、という言葉も投稿にあります。

51「今の俺の考えは、人を励まし、想像を超えるところまで背中を押すことだ」

“My whole outlook now is to just inspire people and push people beyond what you can imagine.”

— 2026年9月、自伝を出すことを伝えた SNS の発信で

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発言時期: 2026年9月

発言状況: 自伝を2026年の終わりに出すと伝えた発信の中の言葉です。人を励ますという今の考えも含めて、自分のすべてを本にまとめたかった、と続けています。

52「俺の生い立ちを少しは知っていても、何が俺を一番へと駆り立てたのか、その深い話はみんな知らない」

“they don’t know the deep stories of, you know, what drove me to be the best”

— 2026年9月、同じ発信で

ロニー・コールマンについての名言

ジェイ・カトラーとロニー・コールマンは、2001年から2006年まで、出なかった2002年を除く5回のオリンピアで、最後の2人に残って優勝を争いました。ジェイ・カトラーはロニー・コールマンを、ライバルというより憧れの人として語っています。

53「この男は俺のアイドルだった。そのアイドルがライバルになって、そして倒さなければならなかったんだ」

“this guy was my idol. So for me to come up and have him as my idol and then become a rival, and then of course have to beat him”

— 2021年6月公開のインタビュー動画で、2006年の初優勝を振り返って

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発言時期: 2021年6月に公開された動画

発言状況: ロニーは史上最高だ、と言い切った後の言葉です。勝った時は申し訳なく思った、ロニーは9度目の優勝の記録がかかっていたから、と明かしています。王者を舞台で破ったのは自分が初めてだ、とも本人は話しています。

54「俺の競技人生は、どうしても越えられない1人の男に勝つことだった。勝つまではね。そして勝った後、少し見失ってしまった」

“I think my whole career was about beating the one guy that I just couldn’t overcome, until I did, and I think I got lost a little bit in that.”

— 2019年、記者の電話インタビューで

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発言時期: 2019年

発言状況: ファンが話すのは2位のことより「ロニー・コールマンを倒した男」のことだ、と前置きしています。ロニーが去ってから、前ほどやる気が出なかったことに気づいた、とも話しました。

55「何より俺を突き動かしたのは、負けることへの怖さだった。それは正直に認める。…彼が毎回どれだけ緊張していたか、俺は見ていた」

“I feel like the fear of losing was what drove me more than anything and I can honestly admit that … I saw how nervous he was every time.”

— 2020年10月公開の、記録映画の撮影の時のインタビューで

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発言時期: 2020年10月に公開されたインタビュー

発言状況: ロニーは「誰も俺には勝てない」と言っていたが、発表を待って2人で並んでいる時、横を見るとロニーは毎回緊張していた、という話です。記録映画『Generation Iron 3』の撮影の時のインタビューでした。

56「君は俺のアイドルだ。そのアイドルに勝ってしまったけど…愛しているよ。…史上最高のボディビルダーだ」

“You are my idol. I ended up beating my idol but…I love you. … The greatest bodybuilder of all-time.”

— 2024年3月2日、アーノルド・クラシックの生涯功労賞のスピーチで

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発言時期: 2024年3月2日

発言状況: スピーチの途中で「ロニー・コールマンはどこだ? 来ていないと困るぞ」と呼びかけ、会場のロニーに向けて話した言葉です。言葉の前には、君がいたから自分の力も偉業もある、オリンピアの舞台でもその先でも君が押し上げてくれた、と話しています。

ジェイ・カトラーが憧れ、戦ったロニー・コールマン本人の言葉は、ロニー・コールマンの名言で読めます。2024年のスピーチで名前を挙げたアーノルド・シュワルツェネッガーの言葉は、シュワルツェネッガーの名言に載っています。

よくある質問(Q&A)

Q1. ジェイ・カトラーの有名な名言は?

日本語で広まっているのは「成功に近道はない」です。2019年のインタビューで、本人が「それが俺の信条だ」と話した言葉です。

ほかに、2001年に初めて2位と呼ばれた時の「俺は世界で2番目だ」や、2009年の「食べるのも、飲むのも、眠るのも、ボディビルのためだ」も、負けても前を向くジェイ・カトラーの名言です。

Q2. 「ただの田舎育ちの少年だった」のスピーチはいつのもの?

2024年3月2日、アーノルド・クラシックで生涯功労賞を受けた時のスピーチです(日本語の動画には、殿堂入りのスピーチと紹介しているものもあります)。

英語では、マサチューセッツ州スターリングで7人きょうだいの末っ子として育ち、家族にウエイトをやる人はいなかった、と話しています。田舎育ちの少年という言い回しは、英語の書き起こしでは使われていません。

Q3. 「楽しむために食事するんじゃない」はジェイ・カトラーの言葉?

本人の言葉だとは確かめられませんでした。英語の I don’t eat for taste; I eat for function. の形で出回っていますが、出どころの書かれていない名言まとめにあるだけです。

本人の取材で確かめられる食事の言葉は、「ボディビルの成功はほとんど食事で決まる」や、「食事の決まりを一度も破らなかった。ケチャップさえかけなかった」です。

Q4. ジェイ・カトラーはロニー・コールマンをどう語っている?

憧れの人として語っています。2024年のスピーチでは、会場のロニーに「君は俺のアイドルだ」「史上最高のボディビルダーだ」と呼びかけました。

ジェイ・カトラーとロニー・コールマンは2001年から2006年まで(2002年を除く)オリンピアの頂点を争い、カトラーは4度敗れた後の2006年に勝ちました。本人は、自分の競技人生はロニーに勝つことだった、と振り返っています。

Q5. ジェイ・カトラーの食事とトレーニングの考え方は?

食べることがボディビルで一番大事で、一番難しい、というのが考え方の中心です。現役の頃は1日6食から7食、多い時期は8回から10回食べていました。

トレーニングについては、秘訣はなく、毎日少しずつ伸ばして続けることだと話しています。回数にこだわらず、筋肉の繊維をどう使うかを考える、とも話しました。

Q6. ジェイ・カトラーの現在は?

サプリメントの会社を営みながら、YouTube やポッドキャストで発信を続けています。2026年9月には、自伝を年の終わりに出すと伝えました。

体については、52歳だった2026年7月に、22歳の時より調子がいいと話しています。筋肉は少し落としていますが、練習は続けています。

Q7. 英語で jay cutler quotes と検索して出てくる言葉は本人のもの?

別人の言葉が混ざっています。同じ名前のアメリカンフットボールの選手がいて、英語の名言サイトには、糖尿病やスーパーボウルの話など、その選手の言葉が並んでいます。

ボディビルダーの名前で出回る What hurts today, makes you stronger tomorrow. も、本人の言葉だとは確かめられませんでした。


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