マラソンの歴史とは?起源・発祥を歴史年表付きで簡単解説
マラソンの歴史は、古来から起こった長距離を走る習慣から始まり、現代ではオリンピックの花形競技と言われるまでになりました。歴史あるマラソンはマラトンの戦いに由来しています。第1回のアテネオリンピックにマラソンが導入されてからは、年々ランナーを増やし続けています。1980年代には女子の参加も認められ、歴史に残る記録を残す女性ランナーも現れました。
2022.12.04
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陸上競技
マラソンの歴史とは?
マラソンの歴史は、紀元前に兵士の功績を讃えるために市民が長距離走を習慣化したことから始まりました。
マラソンの発祥地はギリシャのアテネ。最初にマラソンで約40kmを走ることになったのも、アテネで起こったマラトンの戦いによるものです。
マラソンの発祥地はギリシャのアテネ。最初にマラソンで約40kmを走ることになったのも、アテネで起こったマラトンの戦いによるものです。
マラソンの起源・始まり
マラソンの起源は、紀元前450年に起こったマラトンの戦いでの功績を讃えるため、人々の間で長距離を走るマラソンの習慣が始まったことが由来しているとされています。近代のマラソンの起源は、マラトンの戦いの伝承を偲んだフランスの言語学者ミシェル・ブレアルの提案によるものです。
最初のマラソン大会は、1896年の第1回アテネオリンピックでマラトンからアテネのパナシナイコ競技場間での競争でした。翌年にはボストンでマラソンが開始され、欧米諸国から徐々に世界中に広がることになりました。
最初のマラソン大会は、1896年の第1回アテネオリンピックでマラトンからアテネのパナシナイコ競技場間での競争でした。翌年にはボストンでマラソンが開始され、欧米諸国から徐々に世界中に広がることになりました。
マラソンの語源
マラソンの語源は、紀元前450年のマラトンの戦いに由来する説があります。マラトンの戦いに勝利したアテナイ側の名将ミルティアデスが、自国が戦争に勝利したことを伝えるために一人の兵士を伝令に選びます。伝令に選ばれた兵士は、マラトンからアテナイまでの約40kmを駆け抜け、自国に帰還し我勝てりと伝えると息を引き取ったようです。兵士の功績を讃えるためにいつからか多くの人が長距離を走るマラソンの習慣を定着させていきました。
さらにマラトンの戦いの伝承を偲び、ミシェル・ブラトンが第1回オリンピックの競技にマラソンを提案したことから近代のマラソンが始まりました。
さらにマラトンの戦いの伝承を偲び、ミシェル・ブラトンが第1回オリンピックの競技にマラソンを提案したことから近代のマラソンが始まりました。
マラソンの発祥国
マラソンの発祥国は、ギリシャ共和国であるとされています。ギリシャはヨーロッパの南東に位置し、古来からヨーロッパ諸国に大きな影響を与え続けてきました。世界遺産が数多く残されていて、今でも世界に与える影響は大きいです。
マラソンの発祥の地
マラソンの発祥地は、ギリシャ共和国の首都アテネであると考えられています。アテネは世界で最も古い都市のひとつで、学問や哲学を中心に栄えてきました。現代では金融経済や政治、マラソンをはじめとするさまざまな文化が世界中に大きな影響を与える都市になりました。
女子マラソンの歴史
女子マラソンの歴史は、男性ランナーに紛れて非公式に参加した女性ランナーから始まりました。
女性の体には厳しすぎるという理由でルール上公認されていなかった時代を乗り越え、現代では多数の女性ランナーが活躍しています。
女性の体には厳しすぎるという理由でルール上公認されていなかった時代を乗り越え、現代では多数の女性ランナーが活躍しています。
女子マラソンの起源・始まり
古来からマラソンを含むスポーツは男性がするものだとの考え方が広く普及し、女性の参加は禁止されていました。しかし、マラソンの発祥地であるアテネで開かれた第1回オリンピックでは、女性がマラソンに飛び入り参加し、世界初の女性ランナーが誕生しました。
女子マラソンの発展
第1回オリンピックでの初めての女性非公式参加を受けて、いつからか飛び入りでマラソン大会に参加する女性が増えていきました。
世界で初めて女性だけのマラソン大会が開かれたのが1978年。アメリカのアトランタで開催されました。世界で初めて国際的にマラソンが認められた大会は、第1回東京国際女子マラソンです。継続的に女性のマラソン大会が開催され、1984年のロサンゼルスオリンピックでもついに女性のマラソン大会への参加が認められるようになりました。
世界で初めて女性だけのマラソン大会が開かれたのが1978年。アメリカのアトランタで開催されました。世界で初めて国際的にマラソンが認められた大会は、第1回東京国際女子マラソンです。継続的に女性のマラソン大会が開催され、1984年のロサンゼルスオリンピックでもついに女性のマラソン大会への参加が認められるようになりました。
女子マラソンの今
女子マラソン界では、オリンピックや世界陸上でのメダルの獲得が大幅に増え、走者が高速化。女子マラソン競技のハイレベル化が進みました。
2012年には日本で開催された名古屋ウィメンズマラソンの競技人口が世界最大の女子マラソン大会であるとギネス世界記録に認定され、翌年以降毎年人口を増やしています。2018年には、名古屋ウィメンズマラソン大会の出場者数21915人が世界記録としてギネスに登録されました。
2012年には日本で開催された名古屋ウィメンズマラソンの競技人口が世界最大の女子マラソン大会であるとギネス世界記録に認定され、翌年以降毎年人口を増やしています。2018年には、名古屋ウィメンズマラソン大会の出場者数21915人が世界記録としてギネスに登録されました。
オリンピックのマラソンの歴史
オリンピックのマラソンの歴史は、第1回アテネオリンピックから始まりました。第1回オリンピックでは、女性の参加は大会を通してすべての競技でルール上認められておらず、公式の選手は男性のみでした。
1896年 アテネオリンピック
第1回オリンピックはマラソンの発祥地でもあるアテネで開催されました。出場選手は男子のみに限定され、女性の参加は公式では認められていませんでした。
第1回オリンピックのマラソンでは、マラトンの戦いの故事にちなんでマラトンからアテナイの競技場までの約40kmを25人で競争。優勝者は地元ギリシャの羊飼いスピリドン・ルイスでした。
第1回オリンピックのマラソンでは、マラトンの戦いの故事にちなんでマラトンからアテナイの競技場までの約40kmを25人で競争。優勝者は地元ギリシャの羊飼いスピリドン・ルイスでした。
1904年 セントルイスオリンピック
3回目となるオリンピックマラソンは、アメリカのセントルイスで行われました。セントルイスオリンピックは、万国博覧会の付属大会として開催されていたため、5か月もの期間に渡って開催されています。
セントルイスオリンピックのマラソン大会では、キセル・マラソン事件が発生。参加者のフレッド・ローツは、40kmのコースの中盤で倒れてしまい、たまたま通りかかった車でスタジアムに向かっていました。しかし、途中で車がエンストを起こし、体力が回復したローツが走ってスタジアムに戻って1着でゴールしてしまいます。後にローツを車に乗せた男性が事実を告発したために不正が発覚。約1時間後にゴールしたトーマス・ヒックスが優勝を勝ち取りました。
セントルイスオリンピックのマラソン大会では、キセル・マラソン事件が発生。参加者のフレッド・ローツは、40kmのコースの中盤で倒れてしまい、たまたま通りかかった車でスタジアムに向かっていました。しかし、途中で車がエンストを起こし、体力が回復したローツが走ってスタジアムに戻って1着でゴールしてしまいます。後にローツを車に乗せた男性が事実を告発したために不正が発覚。約1時間後にゴールしたトーマス・ヒックスが優勝を勝ち取りました。
1960年 ローマオリンピック
ローマオリンピックのマラソンでは、エチオピアのアベベ・ビキラが優勝。はだしのまま石だたみのコースを走り抜けたことで有名です。
1964年 東京オリンピック
東京オリンピックのマラソンでは、エチオピアのアベベ・ビキラが2連覇を達成しました。さらに、日本の選手である円谷幸吉がマラソンで銅メダルを獲得しています。
1984年 ロサンゼルスオリンピック
政治的介入を防ぐために一切税金を使わずに開催され、商業主義の発端ともなったロサンゼルスオリンピック。さらに、モスクワオリンピックをアメリカを含む資本主義陣営である西側諸国がボイコットしたため、西側諸国に対する報復で社会主義陣営である東側諸国が今大会をボイコットし、参加人数が減少していました。
そのような中で女子マラソンが公式競技と認められるようになりました。
そのような中で女子マラソンが公式競技と認められるようになりました。
1996年 アトランタオリンピック
1996年に開催されたアトランタオリンピックでは、日本の選手有森裕子が女子マラソンで銅メダルを獲得しています。有森選手の自分で自分をほめてあげたいという一言が流行語ともなりました。
2000年 シドニーオリンピック
シドニーオリンピックで行われた女子マラソンでは、高橋尚子が日本陸上界で約60年ぶりの金メダルを獲得。日本の女子マラソン部門では初めての金メダルであったため、オリンピックの後に国民栄誉賞が授与されています。
2004年 アテネオリンピック
108年ぶりにマラソンの発祥地アテネで開催されたアテネオリンピックでは、日本が合計37個の当時では史上最多数のメダルを獲得。
女子マラソンでは野口みずきが高橋尚子に続いて日本選手2人目となる金メダルを獲得しました。
女子マラソンでは野口みずきが高橋尚子に続いて日本選手2人目となる金メダルを獲得しました。
マラソンの歴史年表
年代 | 出来事 |
紀元前450年 | マラトンの戦いでの功績を讃えて市民に長距離を走る習慣が定着 |
1890年代 | ミシェル・ブレアルの提案で、マラソンが第1回オリンピックの競技に |
1900年代 | 日本初のマラソン大会となる神戸マラソン大競争が開催される |
セントルイスオリンピックにて、キセル・マラソン事件が発生 | |
1960年代 | エチオピア選手の台頭 |
1970年代 | 初めて女性のみのマラソン大会が開催される |
1980年代 | ロサンゼルスオリンピックにて女子マラソンが公式に認められる |
1990年代 | アトランタオリンピックの女子マラソンにて有森裕子が銅メダルを獲得 |
2000年代 | シドニーオリンピックの女子マラソンにて高橋尚子が金メダルを獲得 |
アテネオリンピックの女子マラソンにて野口みずきが金メダルを獲得 |
マラソンの歴史を記した本
マラソンの歴史や由来に関して記された書籍は少なく、あまり多くの出版はありません。しかし、名選手のルーツに関する書籍や選手自身が書いた書籍は多くあります。
女子マラソン強豪列伝 歴史をつくったヒロインたち
via www.amazon.co.jp
出版社 | 著者 |
ベストブック | 川口素生 |
女子マラソン強豪列伝 歴史をつくったヒロインたちは、昭和から平成にかけて活躍した歴代の女子アスリートに関して書かれた本です。歴史を作ってきた女子マラソンの実力者や女子マラソンの功労者の記録や記憶に残る選手のルーツ・業績を振り返るとともに、今後活躍が期待されている選手に関しても言及しています。
マラソンと日本人
via www.amazon.co.jp
出版社 | 著者 |
朝日新聞出版 | 武田薫 |
マラソンと日本人は、マラソンの歴史から日本人がマラソンを好む理由、歴代の名選手たちの功績に関して書かれた本です。名選手のルーツに関しては詳しく掘り下げられていて、当時応援していた方にはもちろんマラソンに興味のある方にとっても興味深い内容の書籍です。マラソンの歴史と絡めて日本の国際性やスポーツ観に関しても考えられています。
マラソンの歴史を知って理解を深めよう
マラソンの歴史は古く、古代から引き継がれ今も多くの人が熱狂する競技です。近代オリンピックでは、古代のオリンピックに由来し、オリンピックの花形とも言われるようになりました。
タレントや作家をはじめとする著名人の参加も増加し、男女問わず一般市民にとっても親しみ深い競技となり、さらに活気づいています。
タレントや作家をはじめとする著名人の参加も増加し、男女問わず一般市民にとっても親しみ深い競技となり、さらに活気づいています。
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