黒田博樹の名言35選!カープの人気ピッチャーのかっこいい言葉・語録
黒田博樹は広島東洋カープとメジャーリーグで活躍した元プロ野球選手で、補欠だった高校時代や困難を多く乗り越えて、公式戦200勝を達成した大選手で名言を数多く残しています。男気溢れる姿がかっこいい黒田博樹の名言からは努力の大切さや野球に対するストイックで謙虚な姿勢、古巣への感謝の気持ちの尊さを気づかせてくれます。
Writer
公式ライター Activel_director
黒田博樹とは?
黒田博樹のプロフィール
氏名 | 黒田博樹 |
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くろだひろき | |
生年月日 | 1975年2月10日 |
出身地 | 大阪府大阪市 |
身長・体重 | 185cm/95kg |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
所属チーム |
広島東洋カープ (1997 – 2007) |
ロサンゼルス・ドジャース (2008 – 2011) |
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ニューヨーク・ヤンキース (2012 – 2014) |
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広島東洋カープ (2015 – 2016) |
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受賞成績 | 最優秀投手:2005年 |
最多勝利:2005年 | |
ベストナイン:2005年 | |
ゴールデングラブ賞:2005年 | |
最優秀防御率:2006年 | |
スピードアップ賞: 2006年 |
黒田博樹の座右の銘
雪に耐えて梅花麗し
彼は高校時代に不遇の時期を過ごし野球の道をあきらめかけましたが、座右の銘を心に留め、諦めないでトレーニングを積み、MLBでも活躍する選手となり、座右の銘を体現しています。
黒田博樹の名言35選
NPB時代の名言
ジャイアンツはいつの時代もいいメンバーが揃っているので、投げるのも大変です。でもその分、倒し甲斐のあるチームだと思っていますし、自分もジャイアンツと戦うことで育ててもらったというか、大きくさせてもらった部分があると思いますから、今年も同じ気持ちで投げたいと思います。
アメリカン・リーグの東地区の球場はヒッターズ・パーク(バッター有利の狭い球場)ばかりだったので、そういう部分ではメジャーの方が大変でしたし、もともと僕がいたカープは広島市民球場でしたから。あの狭い球場を経験しているので、そういう意味では、広島のマツダスタジアムができて広くなったというのは、自分にとっては大きいんじゃないかなと思っています。
僕らは市民球場でまったくお客さんが入らない時代も、万年Bクラスの時代も知っています。誤解して欲しくないんですが、カープは今はすごくプロ野球のチームっぽくなった。もちろん、いい意味で。
カープに入って本気で野球に取り組んだのは4年目から
広島という環境が僕を育ててくれた
カープで優勝することが、自分のこれからの野球人生の中で高いモチベーションになるんじゃないかな?というのが一番だったと思います。
日本に帰るならカープ
最後はカープでユニホームを脱ぎたい
メジャーリーグ時代の名言
結果がよければ、よくやったと褒めてもらえますけど、悪ければボロかすに叩かれますからね、この街は。覚悟してやっていますよ。
複数年契約をしてしまうと、そこでケガをしたらチームにも迷惑をかけますし、思い切ってプレーするためには1年契約の方が自分のプレースタイルに合っているという判断です。
ジーターが、ポサダ(ヤンキースのOB)とかに、うちの投手陣で一番好きなピッチャーのヒロキだよ、っていつも紹介してくれたんです。お世辞かもしれないですけど、すごく嬉しかったし、また一緒にプレーしたいと思いましたね。
メジャーではいつも、通訳の人に『次の登板のその先のことは僕の耳に入れないでくれ』と言ってました。自分は次の登板で頭がいっぱいで、その先のことを言われると頭がパンクしてしまうので
僕がメジャーに行ったのは30代。けがをしたら終わりという年齢からスタートしてるんで、そういう意味での開き直りという強さもあったかもしれない。強さというのは、人間としてのスタミナ。すべてに対してのスタミナ、馬力が必要になる
メジャーリーガーにとって「心技体」の中で一番大切なのは「体」である
一度ヤンキースに断りを入れても、ヤンキースはもう1日待つという返事でヤンキース入り決めた
ドジャースと契約が切れた時、CARPに戻ろうと一度は決断した
アメリカに来たのでアメリカの野球を受け入れないと、自分のことも受け入れてもらえないと思った。こっちに来た以上はこっちのやり方も自分でトライしてみないと。そういう姿勢というのは、みんなに伝わると思う。アメリカの野球をしに来たので、調整法であれ、トレーニングであれ、一度受け入れることは大事
結果も毎年良くなっているので、アメリカのやり方を信じてトライしたのも僕にとっては良かった
広島東洋カープに復帰した時の名言
残りの野球人生、そんなに長くないと思っていますし、その中で、帰ってきた以上は優勝するという目標を持ってますので、チームの力になってそこを目指したいなと思ってます
現時点で僕は、野球人生がいつ終わっても、もう悔いはないと思っています。最後がどういう形になるのか、今はまだまったく想像がつきませんけど、メジャーでやらせてもらって、またこうやって広島へ帰ってくるという機会も与えてもらって、もう、いつ終わってもいいと思っているのは確かです
(声援がすごすぎて自分の)引退試合という感じだったけど、うれしかったです
中途半端な気持ちで広島に帰りたくない。心技体すべてそろわないとできないことです
カープへの復帰はプロフェッショナルとしてワンランク上にいけると思った
40歳になりますし、あと何年野球ができるか分からないですし、カープで野球をすることの方が1球の重みを感じれる
カープに来たことを正解にする
ピッチャーの名言
勝ち負け以前に、投手として戦う姿勢を見せることが大切だと思っている
僕自身はバッティングとか守備は上手くないので、その中で何を目指すかと言えば、やっぱり立ち居振る舞いだと思ってます。マウンドでの雰囲気というのは大事かなと思います
勝ち星ではなかなか大投手と呼ばれる人たちに追いつかなかったとしても、そこは自分の力で行ける部分だと思うんで。イニングをこなすというのは、怪我をせず、コンディションを整えて投げ続けるということ。自分の野球が終わるときが来たら、そこは自分でそれなりに評価できるところじゃないかなと思います
(日米通算の登板イニング数が歴代最多となったことについての言葉)そうなんですよ。誰も気づいてくれないんです
こっちはボールを動かすのが基本だと思うので。日本にはない感覚ですけど、きれいな真っすぐを投げるより、しっかり動くボールを投げた方がいい。今までの自分のスタイルで抑えられるならいいけど、メジャーは甘くはない
彼は挑戦し日本での輝かしい実績がありながらも、客観的に自己分析し日本のスタイルでは通用しないと判断し、アメリカの投球スタイルを多く取り入れています。
勝敗を分ける名言
毎年、自分が変わっていかないことには本当に打たれます。去年からは緩急の差をつけたいと思って、カーブを取り入れました。相手にカーブもあるぞ、と思わせたくて
メジャーのマウンドは高いし、硬いんで、体重を目いっぱい、前に乗せられる感覚があったんです。でも、こっちはちょっと軟らかい感じですね。特に沖縄の土はやわらかいので、踏み出した左足がしっかり噛んでくれない。体重をめいっぱい乗せたとき、ちょっとブレてしまうんです。そこは修正しないといけないなと思っています
『試合を壊してしまえば、一切の信頼を失ってしまう』という危機感は常に持っている
マウンドに上がる時は戦場に行く気持ち
努力・練習の名言
(メジャーでの7年間を振り返って)今から考えるとあっという間。1年1年、生き残っていくためにどうすればいいか常に考えてやってきた。一瞬で終わった感じで
小学校、中学校でも楽しいと思ってやったことがない。勝負事は勝つだけじゃない。負けたときに楽しむのは難しい。自分の信念でやってきた部分がありますから
今思えば、上宮は相当レベルが高かったんでしょうね。高校生活が3年間で本当によかった(笑)。でも、しんどいことでも、それを乗り越えられればその先に何かあるということがわかったし、だからこそ、きつかった経験をネガティブに捉えるのはもう止めようと思えるようになりました
(甲子園に出ていれば人生は変わっていたかという質問に対する答え)天狗になってしまうということも含めて、まず、大学の進路が変わっていたでしょう。僕は専修大学に行って、『甲子園に出た選手には負けたくない』という気持ちでやっていた。そういうモチベーションは確実にあった。他の(強豪)大学に入っていたら、そういう気持ちも無く、そこで潰れていたかもしれない。だから、人生の節目ってあるんですよ
怠けたくはない。登板するたびに自分を完全燃焼させたい。期待に応えられない時の怖さを維持したい
僕は高校時代補欠だった。それでも考え方、生き方を変えれば創造を超えた場所でプレイできる
僕が他球団のユニフォームを着て、広島市民球場でカープのファン、カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった
生き方の名言
打たれる事が怖くなくなった時、僕のプロ野球選手人生は終わり
1試合1試合の積み重ねですから。信頼されるためにはね
メンタルの究極はいつ壊れてもいいと思っています。人間そう思ったときが一番強いかなと思っているので
僕は自信と過信は紙一重だと思うので。常に不安は持ったままです、何に対しても
仕事ですからね、野球は
もしかしたらいつまでも野球を好きになれないのかもしれない。いや、好きだから続けているのかもしれない。子供のころからやっているので、宿命のように感じている部分もありますし、でも一方で何度か野球を辞めるタイミングがあったのに辞めなかったということは、好きなのかもしれない
食事も普通なら登板前日は炭水化物をとる、栄養バランスを考える、となるけど、アメリカでは日本食レストランがないところもある。『これを食べないといけない』って考えたらストレスの一つになってくる。日本に帰ってきてからの食事は外食と、弁当をつくってもらって取りにいくという感じ。ニューヨークでも3年間、そういう生活だった。だから、サバイバル力というか、そういうものは身についてますね
母親からもらった最も大切な信条 ー 信念を貫き通す
アテネオリンピックの時に先発ではなくセットアッパーだったから今の僕がある
大学時代、真っ向勝負で井口にホームランを打たれて、初めて打たれて気持ちが良いと思った
力が残っている時に日本に戻る。もちろん広島で
仕事に役立つ名言
いつ最後の一球、最後の登板になってもいい。そういう気持ちでやってきた
一試合一試合を全力で。これが最後の登板になるかもしれない
マウンドに上がるのは怖くて怖くて仕方ない
その日の状態でベストの結果を出すだけ
小学校から中学校までは親父が監督をするチームでプレーしていたんですけど、とにかくグラウンドに行くのが楽しみで仕方なかった。ただ、それ以降は地獄でしたけどね。だからこそ、今もあまり楽しんだらいけないと思っているのかもしれないですね。苦しまないといい仕事ができない、というか
ニューヨークだろうが、カープだろうがマウンドで投げる重みは変わらない
日本とアメリカで求められる物が違えば僕の仕事も変化する
ヤンキースというチームに来て、あれだけの契約をしてもらいましたから(1年1000万ドル)、どうしても全部勝たなきゃいけない、という感覚になっていました。マラソンでいえばスタートしたてのまだまだ先が長いなか、ピッチが上がっていかないというのは相当しんどかったです。
自分は粘り強くない。目の前の目標にこだわる
黒田博樹の勉強やスポーツに通じる格言、自分は粘り強くない、目の前の目標にこだわるには細かく目標を設定することで挫折を防ぎ、1つ1つ目標を達成していくことで大きな実績につながるため、日々の努力の重要性を伝えています。
後輩や部下を育てる名言
自分の力を信じるのはいい。周囲の評価を謙虚に受け入れる事も重要
(若手選手への助言の言葉)自分がおかしいと思ったら首を振れ
野球の楽しさを教えて欲しい
(キャンプ時から若手らに発言していた言葉)教えることはそんなにない。とにかくストライク先行でいけ
一つ思うのは、鈍感になるのも必要だということ。たとえば時差があって、いつもと起きる時間がずれたとき。神経質になり過ぎると、ストレスを感じ、普段通りできない部分がでてくる。時の流れに任せ、あえて鈍感にやった方がいいなと思ってました。
選んだ道が「正解」となるように自分で努力することが大切
プライベートな事柄をマウンドに持ち込むことは許されない
1年2年かけて得た自信こそ本当の自信になる
苦しまずして栄光なし
黒田博樹の名言集から得られること
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