高校野球の名将監督ランキング10人!勝利数が多い有名な監督はだれ?
高校野球には名将と呼ばれる監督がいます。名将とは優れた名監督のことで、甲子園で結果を出したりさまざまな名言を残したりしているため多くの人から尊敬されている監督です。高校野球のランキングで、最も勝利数が多い有名な名将は、智弁学園・智辯和歌山の高嶋仁監督です。
2022.12.31
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野球
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高校野球の名将とは?
高校野球の名将とは、高校野球のチームを率いている優れた名監督のことで、甲子園で多くの結果を出していたり、さまざまな名言を残していたりするため、多くの人から尊敬されています。
名将と呼ばれている監督は多くのプロ野球選手や名選手を輩出しており、選手指導に優れていることが特徴です。名将は同じ高校の監督を長く務めて、甲子園に出場する機会も多いため、甲子園の名物としても認知されています。
名将と呼ばれている監督は多くのプロ野球選手や名選手を輩出しており、選手指導に優れていることが特徴です。名将は同じ高校の監督を長く務めて、甲子園に出場する機会も多いため、甲子園の名物としても認知されています。
強豪校の有名な監督
高校野球の名将は、野球強豪校のチームを率いている監督であることが多いです。名将が率いる強豪校には、名将の独特の考え方に影響を受けたり、名将の指導を受けたいと希望する選手が入学してくるため、名将のもとには常に将来有望な選手が集まっています。
強豪校の名将は、甲子園の試合後や高校野球の練習でさまざまなメディアのインタビューに登場する機会が増えるため、世間に顔や名前が広く認知されていきます。
強豪校の名将は、甲子園の試合後や高校野球の練習でさまざまなメディアのインタビューに登場する機会が増えるため、世間に顔や名前が広く認知されていきます。
高校野球(甲子園)の名将ランキング10人
高校野球の強豪校の監督は、強豪校を率いて甲子園に出場することが多く、結果を残した監督たちは世間から尊敬の意味を込めて名将と呼ばれはじめます。なかでも甲子園での勝利数ランキングトップ10に入っている監督は非常に名将となる確率が高いです。
甲子園勝利数ランキングトップ10に入った名将の中には、すでに引退している監督もいますが、引退後も現役のときの功績をたたえて名将と呼ばれ続けます。
高嶋仁監督(智弁学園・智辯和歌山)
名前 | 高嶋 仁 |
生年月日 | 1946年5月30日 |
監督校 | 智弁学園・智辯和歌山 |
甲子園通算勝利数 | 68勝 |
智弁学園や智辯和歌山の監督を務めていた高嶋仁元監督は、高校野球の監督のなかでも特に名将と呼ばれる機会が多い監督です。高校野球歴代最多となる甲子園通算68勝を挙げ、3度も優勝を達成しているなど甲子園で輝かしい結果を残しています。
高嶋監督の特徴は、ベンチ入りしている選手をどんどん使っていく采配で、多くの選手を試合で結果を出せることろまで成長させることができる指導力が評価されています。
高嶋監督の特徴は、ベンチ入りしている選手をどんどん使っていく采配で、多くの選手を試合で結果を出せることろまで成長させることができる指導力が評価されています。
中村順司監督(PL学園)
名前 | 中村 順司 |
生年月日 | 1946年8月5日 |
監督校 | PL学園 |
甲子園通算勝利数 | 58勝 |
PL学園の監督を22年間務めた中村順司元監督は、監督に就任した翌年に甲子園春夏連覇を果たし、PL学園の名前を全国へ広めた監督としても有名です。
甲子園20連勝の大記録を持っており、毎年安定して強いチームを作る能力が高いことが大きく評価されています。中村監督は、高い指導能力を生かして多くの選手をプロ野球選手に育てました。
甲子園20連勝の大記録を持っており、毎年安定して強いチームを作る能力が高いことが大きく評価されています。中村監督は、高い指導能力を生かして多くの選手をプロ野球選手に育てました。
現在81人いるPL学園出身のプロ野球選手のうち、41人は中村順司監督が指導していた教え子です。
西谷浩一(大阪桐蔭)
名前 | 西谷 浩一 |
生年月日 | 1969年9月12日 |
監督校 | 大阪桐蔭 |
甲子園通算勝利数 | 55勝 |
大阪桐蔭の監督を務めている西谷浩一監督は、現役の高校野球監督のなかで最も甲子園通算勝利数が多く、実力を評価され若くして名将と呼ばれています。西谷監督は、春夏あわせて甲子園で歴代最多の7回の優勝を達成し、2018年には春夏優勝と共に秋の福井国体でも優勝して三冠を達成しました。
たくさんのプロ野球選手を輩出し日本代表の監督も務めている西谷監督は、現役監督からも名将であると尊敬されることが多く、選手からも人柄を慕われている人気の監督です。
たくさんのプロ野球選手を輩出し日本代表の監督も務めている西谷監督は、現役監督からも名将であると尊敬されることが多く、選手からも人柄を慕われている人気の監督です。
渡辺元智監督(横浜)
名前 | 渡辺 元智 |
生年月日 | 1944年11月3日 |
監督校 | 横浜 |
甲子園通算勝利数 | 51勝 |
横浜高校の監督を47年間務めた渡辺元智元監督は、高校野球強豪校が多い神奈川県のなかで代表的な名将として知られています。渡辺監督は小倉清一郎部長とコンビを組んで2人監督制で指導する機会が多く、2人で協力しつつそれぞれの能力を発揮して選手の指導に力を注いでいます。
神奈川県にとても愛着が強い渡辺監督は、1970年代から2000年代まで横浜高校で監督を続け、全国優勝の結果を出し続けるといった偉業も成し遂げています。
前田三夫監督(帝京)
名前 | 前田 三夫 |
生年月日 | 1949年6月6日 |
監督校 | 帝京 |
甲子園通算勝利数 | 51勝 |
速球派右投手の育成に定評がある前田三夫監督は、1972年の監督就任以降、2020年現在まで帝京高校の監督を務めています。、2003年まで専用グラウンドがないという苦境にたたされていた帝京高校の野球部を東京の強豪校と呼ばれるまでに育て上げました。
前田監督は、思いどおりの打球の強さで狙った場所に打つことができるほどノックの技術が高いことで有名です。
前田監督は、思いどおりの打球の強さで狙った場所に打つことができるほどノックの技術が高いことで有名です。
馬淵史郎監督(明徳義塾)
名前 | 馬淵 史郎 |
生年月日 | 1955年11月28日 |
監督校 | 明徳義塾 |
甲子園通算勝利数 | 48勝 |
明徳義塾で監督を務める馬淵史郎監督は、済美の上甲元監督と共に四国の高校野球の名将と呼ばれています。松井秀喜に対する全打席敬遠といった思い切った采配をこなったことで有名となりました。馬淵監督は、試合の流れや相手の心理にあわせて奇抜な作戦を考えることから策士と呼ばれています。
毎年必ず強いチームを作ると評価の高い馬淵監督は、甲子園大会では20大会連続初戦負けなしの記録を持っています。
毎年必ず強いチームを作ると評価の高い馬淵監督は、甲子園大会では20大会連続初戦負けなしの記録を持っています。
木内幸男監督(取手二・常総学院)
名前 | 木内幸男 |
生年月日 | 1931年7月12日 |
監督校 | 土浦第一、取手二、常総学院 |
甲子園通算勝利数 | 40勝 |
茨城県内の3校で監督を務めていた木内幸男元監督は、茨城有数の名将と呼ばれるほど有名な監督です。独自の理論に基づいた采配をおこなうため周囲から疑問を持たれることもありますが、必ず結果を残し続けて世間を納得させています。
木内元監督は、自分の高校だけではなく、自身が住む茨城県や茨城県の高校野球のレベルを底上げしていきたいという気持ちを常に強く持ち続けています。
木内元監督は、自分の高校だけではなく、自身が住む茨城県や茨城県の高校野球のレベルを底上げしていきたいという気持ちを常に強く持ち続けています。
阪口慶三監督(東邦・大垣日大)
名前 | 阪口 慶三 |
生年月日 | 1944年5月3日 |
監督校 | 東邦、大垣日大 |
甲子園通算勝利数 | 38勝 |
阪口慶三監督は、東邦と大垣日大で監督を歴任し、2つの高校を強豪校に作り上げた監督です。阪口監督は、東邦で監督を務めていた当初は常に厳しい表情でいることが多く鬼監督と言われていました。しかし、徐々に指導スタイルを変え、現在では試合中に選手に笑顔を意識させるといった柔軟な指導へと変化しています。
阪口慶三監督は、指導のスタイルが変わっても、高校野球トップクラスの練習量の多さだけは変えずに貫いています。
蔦文也監督(池田)
名前 | 蔦 文也 |
生年月日 | 1923年8月28日 |
監督校 | 池田 |
甲子園通算勝利数 | 37勝 |
池田高校で監督を務めていた蔦文也元監督は、就任当時劣悪な環境だった池田高校の野球部を甲子園常連校に育てあげました。
蔦監督が率いる池田高校は、やまびこ打線と呼ばれる高校野球トップクラスの強力な打線を持ち味とするチームです。攻めダルマと呼ばれる蔦監督は、積極的な采配と指導が持ち味で、池田高校の甲子園に出場を見た多くの有望選手が蔦監督のもとに集まるようになりました。
蔦監督が率いる池田高校は、やまびこ打線と呼ばれる高校野球トップクラスの強力な打線を持ち味とするチームです。攻めダルマと呼ばれる蔦監督は、積極的な采配と指導が持ち味で、池田高校の甲子園に出場を見た多くの有望選手が蔦監督のもとに集まるようになりました。
小倉全由監督(関東一・日大三)
名前 | 小倉 全由 |
生年月日 | 1957年4月10日 |
指導校 | 関東第一、日大三 |
甲子園通算勝利数 | 37勝 |
小倉全由監督は、関東第一と日大三校の両校で甲子園に出場している監督です。小倉監督は、関東第一を甲子園に初出場させた後一旦高校野球の監督を退きましたが、復帰して以降、母校の日大三校を甲子園常連校まで率いた実績を持っています。
小倉監督は、強打を武器にすることが多いチームを作っただけでなく、プロ入りを果たす好投手を多く育成したといった点が高く評価されています。
小倉監督は、強打を武器にすることが多いチームを作っただけでなく、プロ入りを果たす好投手を多く育成したといった点が高く評価されています。
2001年に小倉監督が率いて全国制覇を果たしたチームは、当時甲子園最高のチーム打率を記録しました。
高校野球の名将の言葉
高校野球の名将たちは、取材やインタビューのときにさまざまな名言を残しています。甲子園での試合や高校野球の練習を通してたくさんの経験を積んだ名将の言葉は、深くためになるものが多く、名言を通して監督の指導法や野球観に触れることができます。
渡辺元智監督の名言
野球に関していえば、私は「奇跡」という言葉は嫌いですね。
渡辺元智監督は、起こるかわからない奇跡に頼るのではなく、奇跡が必要ないくらいの実力をつけて試合に勝つといった意思を持つようにと常に選手たち伝え続けています。
渡辺監督は、普段の練習や努力を大切にすることで、はじめて高校野球の世界で安定した結果を出すことができると考えています。渡辺監督は、着実な指導を積みかさねてきたからこそ、奇跡に頼らなくても勝てるほどの実力を持つ選手をたくさん育成することができました。
渡辺監督は、普段の練習や努力を大切にすることで、はじめて高校野球の世界で安定した結果を出すことができると考えています。渡辺監督は、着実な指導を積みかさねてきたからこそ、奇跡に頼らなくても勝てるほどの実力を持つ選手をたくさん育成することができました。
高嶋仁監督の名言
用事がない限りは、極力、甲子園のネット裏で観るようにしとるんです
高校野球の監督でもトップクラスの実績を持つ高嶋監督は、映像や伝聞で済ませるのではなく直接試合を見ることで多くのことを学び、自分の采配に役立ててきました。高嶋監督は、注目選手がいるときや重要な試合のときには極力試合を見にいき、自分の目で直接観察するのをモットーにしています。
小倉全由監督の名言
よいものを取り入れる素直さをリーダーは持ってなきゃダメだと思います
小倉監督は、指導のリーダーである監督は常によいものを取り入れる素直さを持っていなければならないと思っています。実際に、鬼監督と言われていた指導スタイルを笑顔を絶やさないスタイルに変化させるなど、柔軟に対応する姿勢も示していました。
変化することを恐れない小倉監督は、よいものをどんどんと取り入れていくことを大切にしています。
変化することを恐れない小倉監督は、よいものをどんどんと取り入れていくことを大切にしています。
馬淵史郎監督の名言
相手の嫌がることをするのが作戦だ
馬淵監督は、相手が嫌がるところをうまくついた奇抜な作戦を目指しています。あまりにも奇抜すぎる作戦に対して世間から批判の声が上がることもありますが、馬淵監督はルールで禁止されていないことだから問題ないと全く気に留めず、自身の信念を貫き続けてきました。
馬淵監督の指導では、独特な采配と高校野球特有のかけひきや流れを上手く利用した試合運びによって試合の流れを変え、試合を勝利に導きます。
馬淵監督の指導では、独特な采配と高校野球特有のかけひきや流れを上手く利用した試合運びによって試合の流れを変え、試合を勝利に導きます。
中村順二監督の名言
球道即人道
中村順司監督の名言である球道即人道の言葉には、野球は人生につながっており、野球を通して人生を豊かにすることができるといった意味が込められています。
高校野球や甲子園を通してたくさんのことを経験してきた中村監督は、さまざまな学びをとおして野球が自身の人生につながっているといった結論にたどり着きました。球道即人道の考え方は、中村監督を尊敬する多くの教え子の生き方にも大きな影響を与えています。
高校野球や甲子園を通してたくさんのことを経験してきた中村監督は、さまざまな学びをとおして野球が自身の人生につながっているといった結論にたどり着きました。球道即人道の考え方は、中村監督を尊敬する多くの教え子の生き方にも大きな影響を与えています。
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