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イビチャ・オシムの名言160選!日本代表の監督を務めたオシム語録は心に響く

イビチャ・オシムの名言160選!日本代表の監督を務めたオシム語録は心に響く

イビチャ・オシムは2006年7月から2007年11月までサッカー日本代表の監督を務め、オシム語録と呼ばれる名言を残した名指導者です。日本を深く愛したオシムは、日本人はもっと自分達のストロングポイントを自覚すべきだと厳しくも温かい心に響く名言で仕事や人生に活きる多くの教訓を我々に与えてくれました。

2023.05.30 サッカー

イビチャ・オシムとは?

イビチャ・オシムは元ユーゴスラビア代表のサッカー選手であり、引退後はユーゴスラビア代表や各国クラブで指揮を執り、2006年から2007年まで日本代表の監督を努めています。数多くの名言を残し、選手やインタビューで残したかっこいい言葉はオシム語録といわれ、注目を集めました。
選手達に限界には限界はないと常にハードワークを求め結果を残してきた名将の言葉は学生や社会人の恋愛や生き方に通じています。

イビチャ・オシムのプロフィール

名前 イビチャ・オシム
出身国 現ボスニアヘルツェゴビナ・サラエヴォ
生年月日 1941年5月6日
身長/体重 189cm/108kg
ポジション FW
現役時代の経歴 クラブ:447試合102得点
ユーゴスラビア代表:16試合8得点
監督歴 1978-1986 ジェリェズニチャル
1986-1992 ユーゴスラビア
1991-1992 パルチザン・ベオグラード
1992-1994 パナシナイコス
1994-2002 シュトゥルム・グラーツ
2003-2006 ジェフ千葉
2006-2007 日本   

イビチャ・オシムは学生時代を東欧の名門サラエヴォ大学で優秀な成績を修め後にプロサッカー選手の道を歩みます。1968年の東京オリンピックにユーゴスラビア代表で出場する活躍しましたが、怪我の影響で現役を引退後、指導者の道に進んでいます。
母国・ユーゴスラビアの監督で手腕を発揮し、1990年のワールドカップでチームをベスト8に導く実績を残して2003年に来日、Jリーグ・日本代表監督を歴任しました。

イビチャ・オシムの日本代表監督の経歴

オシムジャパンの主な戦績
勝敗 12勝3敗5分
獲得したタイトル 2007年 AFCアジアカップ ベスト4

2005年にジェフ千葉に初タイトルをもたらしたオシム監督は2006年7月から2007年11月まで日本代表の監督を務めています。イビチャ・オシムは「日本の良さを伸ばしていくことが重要」と日本の特質を活かしたチーム作りを進めました。
2007年に病に倒れ途中解任となりますが、オシム監督から指導を受けた中村俊輔や中澤佑二、阿部勇樹らが2010年ワールドカップベスト16入りの原動力の活躍をしました。

イビチャ・オシムの座右の銘

走りながら考えろ

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日本サッカー界に大きな影響を与えたイビチャ・オシムの座右の銘といえる指導者論の根底を支えていたことが「走りながら考えろ」です。イビチャ・オシム監督はサッカーの基本である走ることを求めると同時に深く考えてサッカーをすることも選手達に叩き込んでいきました。
天才と呼ばれる選手であっても、走らないことは大きな欠点であると断言するオシム監督のかっこいい言葉は日本サッカーに新しい風を吹き込んでくれています。

イビチャ・オシムの名言160選

イビチャ・オシムが残してきたかっこいい名言はサッカーだけでなく、努力や指導者論をはじめ人生全般に役に立つ深い言葉が並んでいます。オシム監督は「人の頭ではなく、自分の頭で考えなければならない」「サッカーには哲学がなければならない」と考えることを重要視した指導者でした。
考えると同時に「リスクを負わない者は勝利を手にすることができない」とチャレンジ精神が大事であることを我々に教えてくれています。

サッカーの名言

私にとって、サッカーは人生そのものだ。人生からは逃げられない

私には、理想とするサッカーはない。「こういうチーム」と決めてしまうとそれ以上のチームにはならないからだ。完璧と言えるチームはないと思っているし、起こりうる状況の中で常に前進して行くだけだ。

サッカーの試合とは絶対に一人では成立しない。君たちの人生も同じじゃないか。

トップクラスの選手は、シンプルにプレーするものであり、それが一番美しい。

サッカーとは、トータル的にこれが理想というものがない。だからこそ魅力的なんだ。

前に出ること。それだけでサッカーは即座に美しくなる。少しリスキーではあるが美しい。

サッカーは人生のようなもの。勝敗を分けるのはほんの小さなニュアンスである。

ブラジルが一番と決まっているのだったら、ほかの国はサッカーをやる必要はない。だから、サッカーは面白いんだ。強いと言われていても、彼らが常に勝つわけではない。

サッカーに最も必要なのはアイデアだ。アイデアの無い人ももちろんサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない。

若い選手に言いたいのは、サッカー人生は短いということです。

サッカーは戦争ではない。政治がスポーツに悪影響を及ぼさないことを、強く願う。

日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。これは危険なメンタリティーだ。受け身過ぎる。フットボールの世界ではもっと批判に強くならなければ。

恐らく世界のベストプレーヤーとは、ペレとマラドーナで間違いないだろう。しかし、彼らにも弱点はある。走らないことだ。

私は「4-4-2」「4-3-3」などのシステム論を議論することが好きではない。いや、むしろ、そこに何の発展的な意味も感じない。

サッカーというものは紙に書いてすべてを説明できるものではない。いろいろな情報やビジョン、アイデアがあり、それらが全部混ざって成り立っているものだ。

美しいサッカーとは何なのか。文章で表現するのは簡単だが、ピッチ上で、そのサッカーを実現することは難しい。

サッカーにおける「スピード」とは何か。それは、相手選手より速く走ることだけを意味してはいない。スター選手の中には足の遅い選手もいる。

ひとりで試合を変えられる選手たちの時代が、これからやって来るかもしれない。今日もそういう選手は存在し、チームは彼らを必要としている。あらゆる大会が明らかにしているのは、そういう選手を持たないチームは、絶対に優勝できないということだ。

日本は監督の輸出国を目指すべきだし、選手より、監督に「海外組」が現れる方がよほど私はうれしい。日本サッカーが本物になった証しにもなる。

最も美しいサッカーを実践し、選手は常に動き、危険で、技術も高い。スペインはサッカーの未来を象徴している。

国が生きて、フットボールが呼吸をし続けている限り。人は、これを経験しなければならないのだから。

賢い=できるだけ効率的という意味だ。自分勝手なプレーをせずに、とにかくシンプルなサッカーを心がける。日本にも多かれ少なかれ賢い選手はいるが、例えば先が読めるような選手が真のクレバーなプレーヤーといえるだろう。5秒先を読めれば40メートルのダッシュをしなくてもいいはずだし、力を蓄えられる。

この世で最も美しい生物である人間の営みとしてのサッカー。そういうポジティブな世界観をもって、サッカーという人間の芸術活動に取り組む若者を育んで欲しいのです。

現代サッカーは責任感に基づいていると言っても過言ではない。責任感のある選手だけが、プレーできるのだ。

サッカーの法則で、良いプレーをしているときには勝てないものだ。

サッカーは段階を踏んで進歩していかないといけない。走ること、戦術、すべての面でそうだ。

50年後に今日のサッカーが、どう見えるかは、1960年代のサッカーと現代のサッカーを比較するようなものに違いない。サッカーは、きっと、それほどの進歩を永遠に遂げるのである。

ある意味、チェスのように敵の最初の動きを見て対処、対応するのだ。サッカーはチェスと同じではないが、非常に似ている競技である。

いいシュートだ、もう少し幸運に恵まれていればゴールだった。繰り返せ。今度はファーポストの角を狙うんだ。

現代のサッカーにおいては、プレーそのものの速さにプラスして判断の速さが、欠くことのできない条件となっている。

サッカーは危険を冒さないといけないスポーツ。そうしないと塩とコショウのないスープになる

哲学は人間にとってむしろありふれたものだ。人によっては生きていく上で何もかもを哲学にゆだねる人さえいる。ましてやサッカーには哲学が無ければならない。哲学の無いサッカーなどあるのだろうか

哲学がサッカーを作るが、頭でっかちになってもいけない。試合の中で起きた事件から哲学はまた導き出されるのだ。

努力の名言

あなたは、息子さんを「最後まであきらめずに走る子供」に育てましたか?

大事なことは、昨日どうだったか、明日どうかではなく、今日一日を大切にすること

一生懸命探すニワトリだけが餌にありつける。

やったことが返ってくるのが人生というもの。もっと走るべきだし、タイトにプレーすべきだ。全てが返ってくるのだからやらなくてはいけない。

奇跡といっても、自然に起きるわけではない。奇跡がなぜ起きるのか、プロセスを研究する必要がある。毎日奇跡が起こるわけではない。奇跡を金で買うこともできない。入念に準備をした上でしか、奇跡は起きない。

限界には、限界はありません。限界の定義は何だと思いますか。限界は個々の選手の目標で、限界を超えれば、次の限界が生まれるのです。

サッカーは技術だけではなく、何かを感じる感覚-遠くを見たり、位置関係やタイミングを計る目、チャンスやピンチになりそうだと嗅ぎつける鼻-そういうものが大事だ。それを育てるためにはまわりの援助が必要だ。その上で、才能が努力によって開くのだ。

厳しい状況に追い込まれるほど、選手は問題を解決しようと努力し、発想が豊かになるものだ。ゆえに悪条件下では、メンタルフィットネスの準備がとても重要になってくる。

休み?ないよ。もっともっと練習してもらう。どうしてできなかったのか、練習で追求することが大事だ。

走ったって負けることはあるけど、走らずに負けるよりマシだ

まずは俺の練習を100%でやれ。足りないものはその練習に全部つまっているから。

俺が走らせたいから走らせているわけではない。試合では相手が走らないといけないという状況を作ってくるからその準備をしているだけなのだ。

オレのトレーニングの中にはオマエに必要な全部が詰まってる。あの練習を100%、120%でやることを心がけろ。そうすれば、オマエが探しているものが見つかるはずだ。

指導者の名言

タレント不足と言うならば、ユース時代から数年間にわたる強化が無意味だったということだ。つまり選手を否定することは彼らを選び、指導してきた人々も否定することになる。

リスクを負わないチャレンジはない。そういう日本人に欠けている哲学の部分を埋めたいと考えていた。

監督というものは、常に何がうまくいっていないかを探さないといけない。私はブラシのようなもの。常にホコリをはらうことをしないといけないのだ。

監督というものは心理学者であり、教育者でなければならない。それにときどきは上手にウソもつかなければならない。

アイディアだ。監督にとって大事なのはアイディアだ。

エゴイズムはプレッシャーへの強さでもある。エゴイストだから外す、では監督として単純すぎる。

巧い選手でも走らなければいけない。走らないぶんの借金は監督が払わなければいけない。

リーダーとは生まれつきのものだ。リーダーとして生まれるか、そうでないか。学べるものではないし、そのための学校もない。そこに難しさがある。

リスクを冒して失敗したらそれは褒めてやった。その代わり、同じ失敗は繰り返すなよ、と言った。そうすると選手は成長する。

古い井戸に水があるのに新しい井戸を掘るのはやめた方がいい。チームを作るならば経験のある選手たちを中心にして作らねばならない。

一番大事なのは指導者が自分のチームの選手を尊敬すること。それから相手選手を尊敬することを選手に教えることだ。

日本がヘタなプレーをすると私は責任を感じる。私が日本でしてきたことは無駄だったのかと思ってしまう。

日本の最大の長所は機敏さである。私が日本代表監督に就任した際、それを最大の武器として期待し計算していた。実際、それは、世界が「まるで忍者のようだ」と表現するほどのものだった。

オランダ人は長身ではあるが、肉体的な特徴や長所を含めて日本人に近い。日本のモデルとなるべきである。

私は本来ならもう一回監督としてワールドカップに出場する予定だった。だから第三者として冷静に見るわけにはいかない。

人間的にポジティブで信頼され、チームの方向性を示すのが、本物のリーダである。そして、そのリーダーは、チームによって選ばれなければならない。

監督にとっては、毎回のトレーニングが選手にとっての試合に相当する。

身体が大きく、フィジカルに強い選手に対する問題についての回答は簡単なものだ。重要なことは、こちらには機動力のある選手がいるということ。小さくても常に動き回る選手、積極的で素早くて、早く走る選手たちがいる。

選手が監督と同じ考えでプレーし、同じ野心をもつようになれば、もうその時点で大成功ではないか。そのためには、まず監督が選手を覚醒させて何が可能であるかを示さねばならない。

2、3人の選手でシステム的に何かを解決しなければならないときに、個人的な作戦のミスを犯しがちで、それが日本代表の恒常的な問題にもなっているのである。

私は相手チームによってテーマを変えていた。選手は毎日の少し違った練習をする中で、試合に向けての準備をしていたことになる。言葉でなくてトレーニングで選手は対策をしていたことになる。

全てが偶然だけなら、サッカーに監督は必要ない。だが、偶然についてもいろいろ哲学することできる。どんな偶然も、自分たちがサポートすることによって、幸運を自分たちのほうに引っ張ることができる。

監督の右腕となる人物は、ピッチの上にも必要だ。それが中澤であるのか、それとも俊輔や楢崎なのか。人望が厚く、他の選手たちが言葉に耳を傾ける選手。その選手がキャプテンになるのだろうし、ひとりではなくふたり必要だ。

選手はデリケートな存在で、ギターの弦のように少し触っただけで大きな音を出す。すぐに影響を受ける。傷つきやすい生き物なのだ。どんな変化にも敏感だ。ちょっとした変化がもとですぐに自信を失ってしまうものだ。

監督が現役のときはこうしたものだという話を聞くのを現役の選手は嫌がる。そんな戦争前の昔話でしょ、と。・・・選手は昔話は嫌いなものだ。

私の現役時代のようなプレーをする奴は即時追放だ。監督になって短い間に哲学が変わった。最初に監督として選手に接して気がついた。それではチームプレーはできないと。

日本中の何百万人が、代表監督を一度はやってみたいと思っているだろうが、責任あるプロとして、楽しいことよりは苦しいことの方が多い。代表監督を要請されたことは名誉に思うが、割に合う仕事ではないのだ。

特定の選手の報道ばかりしてはダメだ。良い選手はたくさんいる。賛辞ばかりではなく批評はしっかりすること。

サッカーでは多くのことが、正解が無く不明になる。個々の選手を批判しても仕方の無いことだ。

選手を刺激し、怒らせる。刺激して、選手の間に小さな戦争を起こさせる。彼らの知性を目覚めさせるために。メンタルと知性の覚醒は必要だ

料理をする際には、素材をしばらく置いて熟成させる。肉にしても、すぐに調理するのではなく、マリネする必要がある。選手もそれは同じだ

私の哲学は、チームをこの手で作ることだ。むやみに選手を買い集めて、人工的な即席チームを作るのではない。彼らと練習を重ね、成長を促す。そこが面白いし、時間をかける価値がある

他人の言葉がどうこうじゃなくて、諺にあるように、『自分の馬を信じろ』ということだ

勝負の名言

追いつこうと思うから離されるのだ。

いったん掲げたら堂々とそれをめざせ。戦いの前から負け犬になるな。

1点負けていたって、まだ試合には負けていない。

相手をリスペクトするのが負けない秘訣だ。

相手より5歩余計に走れば、その5歩がすでに勝利の5歩だ。

ピッチで指示を待ち続けていたら、試合には負けてしまう。私が望んだのは、対戦相手のことを考え、敵にとって危険な地帯へ進入していくプレーだ。

敗北は最良の教師である、と言われる通りだ。だが、「だから明日の試合で負けたい」とは私は言えない。

戦術というものは紙に書いて説明できないし、ひと晩で身につくものでもない。

システムそのものより、チームとしてのインテリジェンスが問題だ。基礎は個人個人のインテリジェンスだが、サッカーは11対11人のスポーツだ。

ゲームに負けることはある。ただ負けるにしても自分たちのプレーをやりきって負けるのと、そうでないのでは大きな違いだ。

戦術は、自分たちで決めるものではなく、相手に対して作るもの。相手がどうくるかによって、戦術を変えている。

優勝候補とか、ビッグスターのいる国とか、それは実はメディアが作り上げた虚像に過ぎなかったということ。

結局、オランダは決勝まで進んだ。彼らは、相手を破壊するような汚いサッカーをすることもできる。オランダは、すべてを知っているチームだったのだ。

Jリーグにおけるサッカーは、まだまだ未完成だ。厳しい意見を言うようだが、まず第一にスタジアムに殺気がないのだ。雰囲気が、まるでぬるま湯のようであれば、そこで何かビッグなことを成し遂げるのは難しい。

日本は、ベスト8、ベスト4に進むべき絶好の機会を逃した。日本のサッカーが新たな一歩どころか2キロほど先にまで進むチャンスを自ら放棄したのだ。日本は、リスクを冒す準備を怠っていたと言わざるをえない。

オランダが怖がるような攻撃ができなかった。日本にかけていたのは殺し屋の本能。チャンスは絶対にものにするという気迫がないから勝てなかった。

アグレッシブなプレーを心がけることで、欠点は埋めることができるのだ。敵に呼吸をさせてはならない。

自分のプレーに対する責任感が希薄である

うまくいく時も駄目な時もある。全部当たるなら、カジノに行くし競馬にも挑戦する

ウチのチームは大きくない。だからその分、動けばいいんだ

仕事の名言

すべてのチャレンジに応じられるように、フィジカルとフィットネスを万全に準備し、しっかりとディシプリンを正した状態でいることが肝心だろう。

アイデアが存在する間は常にアクティブになる必要がある。同じことを繰り返すようになると人間は終わりだ。今の私には仕事なしの状況が考えらない。金のためではない。いつも金は私にとって重要じゃないことだ。

ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか?要は準備が足らないのです。

二本足で日本に来たが、杖をついて三本足で帰ることになるかも。それだけ多く足跡を残したということなら、私の財産はその杖だ。

君たちはプロだ!休むのは、引退してからで十分だ!

負ける覚悟も含めて、すべてにおいて、完全な準備をしなければならない。準備に「やり過ぎ」などという言葉はないのだ。

他人に責任を押し付けているならば、サッカーという仕事をすることはできない。

いいチームとは、実は、大きな集合体が、やるべき仕事を確実にミスなく成し遂げているチームなのだ。

君たちには口というものがついているだろう。しゃべれ!もっと!その口はコーチングだってできるんだぞ。

ピクシーことドラガン・ストイコビッチから、「名古屋グランパスの選手が、敗戦の後や満足のいく仕事をできなかった後でも、まるで何もなかったような態度でいることが理解できない」という感想を聞いたことがある。

日本の選手達は、もっと自分の仕事に責任を持たなければならない。

美しさと効率性は両立しない。それが両立できているのはバルセロナぐらいのものだ。

自由を与えられた選手は、いつどこでどのようにプレーするか自分で判断しなければならない。・・・自由を与えられて何かできる選手と、何もできなくなる選手がいる。

スカパー!の1ヶ月は悪くなかった。しかし、ナマ放送で、試合後に何か気の利いた面白いコメントをというプレッシャーがかかると、ゲームに集中できない。

視聴者がおそらく見えていないであろうことに、注意を喚起するコメントを意識した。

規律を守ることとリスクを冒すことは矛盾することではない。規律を守りながら、いつ、どこでリスクを冒すかアイディアがなければならない。

今日の試合は序章、第2章と、まったく違う展開のサッカーの本を書いてしまったようだ。ただしその本は、行間を読まなければならない本である。

今回は選手同士のコミュニケーションを増やした。コミュニケーションというのは、ありすぎても少なすぎてもダメ。今回はちょうどいいコミュニケーションが取れた。今でも監督と選手のコミュニケーションは通訳を介しているので難しいが。

若い選手にはミスする権利がある。

(誤審対策としてのビデオ判定導入について)人間の目に限界があるならば、テクノロジー(科学技術)に頼ることも悪くない。どこで使うかという議論を入念にすれば、問題はないはずだ

技術のある選手はどうしても見せたがるものだけど、技術があるからこそ味方を生かす、グループでプレーする必要があるんだと

2人のボクサーが拮抗している。ひとりは5発のパンチを出し、もうひとりは4発しか打たない。そして最後の5発目が違いを作り出す

信念の名言

やることをやってもし負けるのなら、胸を張って帰れるはずだ。

自分を信じることだ。自信の無い者に戦う資格は無い。

ポジティブシンキングに客観性が加わるときに、平常心は生まれる。逆に何も信じるものがなくなったときに、あらゆる可能性が泡となってその姿を消すのだ。

偶然で日本に来た。二年目からは偶然ではない。私の意志だ。

だれの真似もする必要はない。自分たちの道を探さなければならない。

「リスクを負わない者は勝利を手にすることができない」が私の原則論である。

本当に強いチームというのは夢を見るのではなく、できることをやるものだ。

発言当時、その目標は、あまりにも高く絶望的としか思われなかったのは事実だろう。だが岡田監督は、「ベスト4」に到達する可能性が、決してゼロではなく、むしろ実現可能であったことを南アフリカで証明したではないか。

ただ大量の水を運べばいいわけではない。おいしい水でなければならない。泉からわいたばかりの、冷たい水だ。日本にもワサビを栽培する泉があるだろう。ああいうところの水だ。

選手は何かを成し遂げられるという自信を持たなければならない。リーグ優勝でもカップ戦でも何でも良いが、勝てるという自信がなければプロサッカーという仕事はできない。

今の世の中、真実そのものを言うことは往々にして危険だ。サッカーも政治も、世の真実には辛いことが多すぎる。だから真実に近いことを言うようにしているのだ。

「リスクを冒し勇気を奮い立たせろ」と、何度も繰り返し提言してきた私自身が、リスクを負わないで日本代表を語れるだろうか。私を支えたのは、そういうメンタリティだった。

岡田監督は、大切な何かを日本代表へと持ち込んだ。そして、ためらいなく中村俊を外した。おそらく岡田監督以外なら誰も彼をスタートのメンバーから外すことはできなかっただろう。

私にとって重要なのは、代表に選ばれていることを自覚してほしいということ。その一員であることに誇りを持つことが大事だ。

刻々と変化していく相手の戦術に対して、我々の長所を最大限に生かしてゲームを支配するには、どういう戦術を採用すればいいか。肝心なのは、柔軟な対応力である。

覚えた日本語のひとつに「頑張れ」という言葉があります。「頑張る」は「戦う」という意味ですね。今度は、私が皆さんに「頑張れ」と申し上げる番です。

(2010南アW杯準決勝、スペイン×ドイツ、ハーフタイムで「誰か交代したほうがいいか?」の問いへの発言)ルールが許すなら全員交代だ

日本は私にとって未知の国だったが、サッカーは世界共通だ。それに選手というのは、いや人間というのはみな、より成長できるものだというのが、私の考えだ

人生の名言

人の頭ではなく、自分の頭で考えなければならない。

人生は100年も続かない。選手のサッカーキャリアなどもっと短い。その短い選手生命の中で、何か歴史に残ることをしようじゃないか。

玄関を出入りするときに毎回つまずいて、転びそうになるならば、それはドアが悪いのではなく、つまずく方に問題がある。

偽物は、いつまでたっても偽物。模倣はどこまでいっても模倣なのである。

日本人はシステム論議が好きらしいが、システムは保証でしかないことを理解したほうがいい。システムの奴隷になってはいけないのだ。

イミテーションを繰り返しても、彼らを超えることはできない。日本はコンプレックスから開放されて、自分たちのストロングポイントを自覚するべきだ。

自分が誰かよりも弱いことを実際に認めなければ、日本人は、自分が劣っていることを認めないだろう

選手も人間であることを前提にメディアは扱ってほしい。人間はミスをするし、心が傷つくこともある

去年の結果は、去年の結果です。今年はまた、今年の結果が出るでしょう。

ヒーローは1人ではなく全員だ。

代表選手というのは、代表だけではなく各クラブでもプレーするわけで、人生を二倍生きているようなものだ。Jという人生、代表という人生を二つ生きているわけだ。

日本人は批判されることをネガティブに捉える傾向がある。日本人は、本音をグサリと言われることが好きではないように思えた。

イミテーションを繰り返しても、彼らを超えることはできない。日本はコンプレックスから開放されて、自分たちのストロングポイントを自覚するべきだ。

自分がそうではないのに、選手にだけ100パーセントを要求することはできない。ただし、私は少々長生きしすぎたので、自分の経験を自分の息子たちだけでなく、他の子供たちにも伝えたい。

日本ではスタジアムにファンが溢れたとしても、彼らは礼儀正しく、ピッチ外もとても平和だ。...フーリガンのいないスポーツ国家は理想ではないか。日本人はそのことに誇りをもっていい。

日本人は、海外のまねをするのではなく、自分たちの持っている特長をもっと生かすべきだね。

我々の国の人々はいつもお金を通して全てを見てしまう傾向がある。私は違う。日本に来たのは金銭面が動機になったのではない。意地から日本に来たわけであり、頑固さから日本に来たんだ。詳細を語るのは重要ではないが、私の内面にあったある不安やプライベートな事柄が問題となった。だからまず自問自答した。"イヴィツァ、ここで何がしたいんだ? しかしもうここにいるんだから、ほら働けよ"。1年、そして1年が経ち、もうここで3年目だ

人生はこれからも続く。サッカーでもそうだろう。試合に負けるのは、人生の終わりではない

作り上げることは、つまり攻めることは難しい。でもね、作り上げることのほうがいい人生でしょう。そう思いませんか?

日本人は、日本人に無いものを求め、試みようとしている。スタイルも性格もメンタリティも、日本とは違ったものを求めている

イビチャ・オシムの哲学を教えてくれる書籍や動画

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イビチャ・オシムの哲学と人生観、日本サッカー界に対するかっこいいメッセージが込められた書籍は5冊を数えています。イビチャ・オシムが残した書籍は、サッカーだけにとどまらず、仕事や信念、人生観の深い考えを学ぶことができるため、学生や社会人が手に取ることもおすすめです。
2016年に公開されたイビチャ・オシムと記者のインタビュー動画は、イビチャ・オシムの強い信念を垣間見ることができます。

考えよ!なぜ日本人はリスクを冒さないのか

考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか?

792円 (税抜・参考価格)

「なぜ日本人はゴールの前で責任を放棄するのか? リスクを負わない者は勝利を手にすることができない。リスクとは負けることによって認識すべきものではない。だが日本人は、誰もが敗戦を恐れすぎているのだ」。名将オシム監督が語る戦術論・組織論・日本人論です。

恐れるな!なぜ日本はベスト16で終わったのか?

恐れるな!なぜ日本はベスト16で終わったのか

796円 (税抜・参考価格)

2010年ワールドカップで日本のベスト16進出を予言したオシム監督。サッカーに対する深い洞察と日本へ愛着あふれる一冊です。「日本は南アW杯でベスト8、ベスト4に進むべき絶好の機会を逃した。リスクを冒す準備を怠った。勇気に欠けていたのだ」と諦めないことの大切さを訴えています。

恐れることを恐れるな

自分の生き方に迷えるスポーツ記者がイビチャ・オシムの元を訪ねてインタビューを通して、自身の仕事に向き合っていくストーリー仕立てのCM動画です。
「恐れるな、自信を持て」と語るイビチャ・オシムの持つ言葉の力が、観ている人の心を揺さぶり感動すると話題を呼びました。

イビチャ・オシムの言葉がなぜ心に響くのか?

イビチャ・オシムは「大事なことは、昨日どうだったか、明日どうかではなく、今日一日を大切にすること」と格言を残しています。2022年5月にこの世を去ったイビチャ・オシムは、自身の言葉通りに最後まで努力と挑戦を繰り返していたからこそ、聞く人の心に響く強さを持っていました。 イビチャ・オシムが一貫して日本と日本サッカー界のために放ってきたかっこいいメッセージは今でも我々を勇気づけてくれています。

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