歴代のミッドフィルダーのサッカー選手ランキングTOP10!
サッカーの中盤を支配するミッドフィルダー。現代ではイスコ、モドリッチ、デブライネといったスター級のミッドフィルダーが活躍しています。ここでは伝説的な活躍をしてきた世界最高峰のフットボーラーの中から、歴代ミッドフィルダーのサッカー選手ランキングTOP10!を紹介します。
2021.12.16
|
サッカー
Writer
公式ライター old_user_id: 211
Index
サッカー 歴代ミッドフィルダーランキング10位
ルイス・フィーゴ
ルイス・フィーゴ スーパープレイ集 HD
via www.youtube.com
国籍:ポルトガル
生年月日:1972年11月4日生まれ
身長:180cm
体重:75kg
1989-1995 スポルディングCP
1995-2000 FCバルセロナ
2000-2005 レアル・マドリード
2005-2009 インテル・ミラノ
生年月日:1972年11月4日生まれ
身長:180cm
体重:75kg
1989-1995 スポルディングCP
1995-2000 FCバルセロナ
2000-2005 レアル・マドリード
2005-2009 インテル・ミラノ
世界一のドリブラー
現在のポルトガル代表の背番号7を背負うのはクリスチャーノ・ロナウドですが、その前はミッドフィルダーのルイス・フィーゴでした。バルセロナに所属していたフィーゴはオフェンスにおいてボールを持つと数人に囲まれてもパスを選択することはなく、目の前の相手ディフェンスに勝負を挑む最強のドリブラーです。「バルセロナの切り込み隊長」と呼ばれるほどドリブルで勝負するタイプで、そのドリブルテクニックは圧巻でした。スピードがあるわけではありませんが、懐の深い切り返しとシザース、バランスの良さと独特のリズムで、まるで南米選手のようなドリブルテクニックを持ちます。まさに世界一のドリブラーと呼ばれる所以がここにあります。
正確無比なクロス
ルイス・フィーゴは世界一のドリブルを武器にタッチラインを突破し、中央へ正確なクロスをあげる点が特徴です。そのクロスは高速低空ニアクロスとよばれ、相手ディフェンスと並走しながら抜き去る直前でカーブをかけてニアポストに高速で低空のクロスをあげます。相手ディフェンスからすればフィーゴがいつクロスをあげるか予測できず、クロスをあげるタイミングにばかり気をとられているとそのまま抜き去られてしまうため、手のうちようがありません。その高速低空ニアクロスはすさまじく正確で、正確無比なクロスは数々のゴールを演出しました。世界一のドリブルから正確無比のクロスを得意としたフィーゴは世界に誇れるミッドフィルダーです。
サッカー 歴代ミッドフィルダーランキング9位
ジネディーヌ・ヤジッド・ジダン
【ジダン】伝説的スーパープレイ集!
via www.youtube.com
国籍:フランス
生年月日:1972年6月23日生まれ
身長:185cm
体重:80kg
1988-1992 カンヌ
1992-1996 ボルドー
1996-2001 ユヴェントス
2001-2006 レアル・マドリード
生年月日:1972年6月23日生まれ
身長:185cm
体重:80kg
1988-1992 カンヌ
1992-1996 ボルドー
1996-2001 ユヴェントス
2001-2006 レアル・マドリード
プラティニの再来
フランス代表主将でミッドフィルダーとしてフランスをワールドカップ優勝へ導き、銀河系軍団と呼ばれる世界最高峰のフットボーラー軍団を集めたレアル・マドリードでも主将としてチームをまとめたジダン。まるで手のひらでボールを扱うような繊細なボールテクニックと、そのフィジカルを活かしたバランスの良さ、オフェンスではトリッキーなフェイント、広い視野、野生の嗅覚、どれも世界レベルの技術を持ち合わせた最強のミッドフィルダーとして活躍しました。そのプレーの素晴らしさからフランスでは「プラティニの再来」呼ばれるようになりました。
ボールとダンスするマエストロ
ジダンはルーレットを得意としました。現代では著名なテクニックとなっているマルセイユルーレットは、ジダンの出身地である「マルセイユ」が由来になっています。ジダンのマルセイユルーレットは素晴らしく、足にすいつくようなボールコントロールで相手ディフェンスを翻弄する姿はまるでボールとダンスをするように見えました。そしてジダンの素晴らしさは華麗なドリブルテクニックからの殺人的なキラーパスです。中央で1人をはがし、前線のスペースやディフェンスの裏をつくキラーパスは幾度となく相手ゴールを脅かせました。ジダンはボールとダンスをするマエストロと称えられる、現代においても伝説的なフットボーラーとして認知されています。
サッカー 歴代ミッドフィルダーランキング8位
アンドレア・ピルロ
【世界No1レジスタ】アレサンドロ・ピルロ ユーべ時代のスーパープレイ super play
via www.youtube.com
国籍:イタリア
生年月日:1979年5月19日生まれ
身長:177cm
体重:68kg
1995-1998 ブレシア
1998-2001 インテル・ミラノ
1999-2000 レッジーナ(レンタル)
2001 ブレシア(レンタル)
2001-2011 ミラン
2011-2015 ユヴェントス
2015-2017 ニューヨーク・シティ
生年月日:1979年5月19日生まれ
身長:177cm
体重:68kg
1995-1998 ブレシア
1998-2001 インテル・ミラノ
1999-2000 レッジーナ(レンタル)
2001 ブレシア(レンタル)
2001-2011 ミラン
2011-2015 ユヴェントス
2015-2017 ニューヨーク・シティ
希代のレジスタ
イタリア出身のミッドフィルダーのピルロは、世界最強のパスの名手として有名なサッカー選手です。非常に上手い足元の技術を武器に、空いてるスペースに状況に応じて長短様々なパスを供給し、オフェンスの起点としての役割を担うその姿から希代のレジスタと称されました。両サイドの選手にプロゴルファーのアプローチショットのような正確なパスを繰り出して攻撃を組み立てることを得意としたミッドフィルダーで、2006年ワールドカップドイツ大会ではトッティとのコンビネーションでイタリア代表を優勝に導いた、世界でも最高のミッドフィルダーです。
優れた状況判断能力
ピルロはレジスタとして常に相手チームと自チームのポジションや戦況を把握する最強のミッドフィルダーでした。そして攻撃をビルドアップする際には自チームの選手がどこにポジションをとっているか、フリーの選手がどこにいるのか、マークを外して抜け出すタイミングはどこかなどを常に把握し、司令塔的な役割として相手ディフェンスの最終ラインの裏を突くようなパスをいつも狙っていました。ピルロはチームの演出家として優れた状況判断能力と独特の動き方を持ったミッドフィルダーで、チームを勝利に導くことができる世界的にも優れたッミッドフィルダーといえます。
サッカー 歴代ミッドフィルダーランキング7位
デイヴィッド・ロバート・ジョゼフ・ベッカム
HeilRJ デビッド・ベッカム スーパープレイ集
via www.youtube.com
国籍:イングランド
生年月日:1975年5月2日生まれ
身長:183cm
体重:74kg
1992-2003 マンチェスター・ユナイテッド
1994-1995 プレストン・ノース・エンド(レンタル)
2003-2007 レアル・マドリード
2007-2012 ロサンゼルス・ギャラクシー
2009 ミラン(レンタル)
2010 ミラン(レンタル)
2013 パリ・サンジェルマン
生年月日:1975年5月2日生まれ
身長:183cm
体重:74kg
1992-2003 マンチェスター・ユナイテッド
1994-1995 プレストン・ノース・エンド(レンタル)
2003-2007 レアル・マドリード
2007-2012 ロサンゼルス・ギャラクシー
2009 ミラン(レンタル)
2010 ミラン(レンタル)
2013 パリ・サンジェルマン
フィールドの貴公子
イングランド代表キャプテンとして58試合に出場したベッカムは、世界一といわれる正確性をもった最強のキックが持ち味のスーパーミッドフィルダーです。右足から放たれる非常に上手いフリーキックは鋭く曲がってゴールへ吸い込まれていきます。オフェンスだけではなく身体を張ったディフェンスにも定評があります。そして端正な甘いマスクは世の女性を虜にしました。サッカーは知らなくてもベッカムは知っているという女性も多数存在するはずです。日韓ワールドカップ以降、モヒカンのベッカムを「ベッカムヘアー」と呼び、日本でも社会現象になりました。そんなベッカムは、甘いマスクと強烈なフリーキックから、フィールドの貴公子と称されました。
世界最強のダイナモ
ベッカムの凄さは優れたフリーキックだけではなく、そのハードワークにあります。ベッカムはずば抜けたスピードを持つわけではありませんが、その分、豊富な運動量を持ちます。マンチェスター・ユナイテッド時代には1試合平均14kmもの距離を走っていたという記録があります。一般的な選手の走行距離は約11kmとされているので、かなりの距離を走っていることがわかります。メッシに関していえば1試合平均7~8kmの走行距離なので約2倍の距離を走り、チームのピンチを救ってきたことがわかります。フィールドの貴公子は華やかな見た目とは別に、泥臭くオフェンスにもディフェンスにもチームに貢献してきた最強のダイナモの持ち主です。
サッカー 歴代ミッドフィルダーランキング6位
ロベルト・バッジョ
HeilRJ ロベルト・バッジオ スーパープレイ集
via www.youtube.com
国籍:イタリア
生年月日:1967年2月18日生まれ
身長:174cm
体重:73kg
1982-1985 ヴィチェンツァ
1985-1990 AFCフィオレンティーナ
1990-1995 ユヴェントス
1995-1997 ACミラン
1997-1998 ボローニャFC
1998-2000 インテル・ミラノ
2000-2004 ブレシア
生年月日:1967年2月18日生まれ
身長:174cm
体重:73kg
1982-1985 ヴィチェンツァ
1985-1990 AFCフィオレンティーナ
1990-1995 ユヴェントス
1995-1997 ACミラン
1997-1998 ボローニャFC
1998-2000 インテル・ミラノ
2000-2004 ブレシア
イタリアの至宝
ロベルト・バッジョはとてもエレガントで華麗で非常に上手いボールさばきと誰にも予測できない創造的なプレーが特徴のプレースタイルで活躍した世界的にも有名なサッカー選手です。特にその創造的なプレーは世界最高クラスで、背中でボールコントロールするなど離れ業をいくつも見せ、多くのファンを虜にし、イタリアの至宝と呼ばれる伝説的なサッカー選手にまでのぼり詰めました。まさに世界を代表する最強のミッドフィルダーの1人です。
1994年ワールドカップアメリカ大会
ロベルト・バッジョが世界的にも有名になった瞬間は1994年のワールドカップアメリカ大会でした。イタリア代表は主力メンバーをけがで欠き、窮地に立たされていました。そんな中ロベルト・バッジョは決勝トーナメント初戦のナイジェリア戦で決勝ゴールを決め、そして準々決勝の無敵艦隊スペイン戦でも決勝ゴールを決め、ロベルト・バッジョは孤軍奮闘します。準決勝のブルガリア戦でもイタリアの全ての得点をたたき出し、いよいよ迎えた運命の決勝戦である優勝候補ブラジル戦は、お互い譲らずスコアレスのままPK戦へ。ロベルト・バッジョはは5人目のキッカーとして登場するも、ボールは無常にもゴールバーの上へ消えていきました。
背中でチームを引っ張るファンタジスタ
ロベルト・バッジョのPK失敗でイタリアは優勝を逃すことになりましたが、世界はロベルト・バッジョの孤軍奮闘ぶりに多大な賞賛を送ることになります。ロベルト・バッジョはPK失敗の後、「PKを失敗することができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」と述べました。当時のロベルト・バッジョは古傷を痛めていた中での孤軍奮闘でした。そのロベルト・バッジョの背中をみてチームは団結したそうです。ロベルト・バッジョはプレーはもちろん、その人間性をも含めて優れた歴代最高のミッドフィルダーで、チームをけん引する役割をも担える選手です。
サッカー 歴代ミッドフィルダーランキング5位
ジーコ
ジーコ スーパープレイ集
via www.youtube.com
国籍:ブラジル
生年月日:1953年3月3日生まれ
身長:172cm
体重:72kg
1971-1983 CRフラメンゴ
1983-1985 ウディネーゼ
1985-1989 CRフラメンゴ
1991-1994 鹿島アントラーズ
生年月日:1953年3月3日生まれ
身長:172cm
体重:72kg
1971-1983 CRフラメンゴ
1983-1985 ウディネーゼ
1985-1989 CRフラメンゴ
1991-1994 鹿島アントラーズ
3拍子揃った伝説のミッドフィルダー
ブラジルの英雄、ジーコは、ドリブル・パス・シュートのいずれも世界レベルの3拍子揃った伝説のミッドフィルダーとして世界でも有名なサッカー選手として活躍しました。サンバが大好きなジーコのドリブルはサンバのステップのように軽やかで、独特のリズムを武器に細かいボールタッチで何人も抜き去ります。パスやフリーキックも非常に精度が高く上手い選手で、浮き球やグラウンダーなど状況に応じて使い分け、シュートも得意で生涯成績は1180試合出場し、826ゴールでゴール確率0.70という高い数字が優れたシュート能力を物語っています。ジーコはミッドフィルダーに必要な動きと能力のすべてを兼ね備えた最強のミッドフィルダーです。
獲得個人タイトル
世界的にも英雄とされるミッドフィルダーのジーコは、フラジル最優秀選手2回、南米年間最優秀選手3回、カンピオナート・ブラジレイロセリエA得点王2回、コパ・リベルタドーレス得点王1回、トヨタカップ最優秀選手1回、FIFAワールドカップベストイレブン1回という輝かしい成績を残しました。日本では日本サッカー文化向上に大きく貢献したことから、サッカーの神様と呼称されている歴史に残る歴代ミッドフィルダー選手の1人です。
サッカー 歴代ミッドフィルダーランキング4位
ミシェル・フランソワ・プラティニ
Michel Platini, Le Roi [Goals & Skills]
via www.youtube.com
国籍:フランス
生年月日:1955年6月21日生まれ
身長:178cm
体重:74kg
1972-1979 ナンシー
1979-1982 サンテティエンヌ
1982-1987 ユヴェントス
生年月日:1955年6月21日生まれ
身長:178cm
体重:74kg
1972-1979 ナンシー
1979-1982 サンテティエンヌ
1982-1987 ユヴェントス
将軍プラティニ
プラティニは、特に身体能力が優れていることはありませんが、的確な動きと最高のサッカー技術、生まれもった最強のリーダーシップと状況判断能力を保持した司令塔的役割をも担うミッドフィルダーでした。視野の広さとポジションどりは抜群で、優れた足元のテクニックから繰り出される精度の高い最強のフリーキックや野生の嗅覚が特徴です。マラドーナやペレのようなドリブルで抜き去るタイプではなく、相手ディフェンスとの接触を避けるように長短様々なダイレクトパスで試合のリズムを変えながらゲームメークをするタイプです。そのチームを指揮する姿から「将軍」と称されるようになりました。
獲得個人タイトル
将軍プラティニはパスだけではなく、得点能力にも優れたミッドフィルダーとしても有名でした。優れた視野からくりだされる精度の高いパスに加え、1.5列目からの鋭い飛び出しから得点する能力にも備えた伝説の選手です。獲得したタイトルはフランス・フットボール選定フランス年間最優秀選手賞2回、セリエA得点王3回、バロンドール3回、オンズドール3回、ワールドサッカー選定世界最優秀選手賞2回、UEFAチャンピオンズカップ得点王1回、トヨタカップ最優秀選手1回という輝かしい成績を残した歴代ミッドフィルダーの1人です。
サッカー 歴代ミッドフィルダーランキング3位
ヨハン・クライフ
【サッカー界の伝説】ヨハン・クライフの神業スーパープレイ集!
via www.youtube.com
国籍:オランダ
生年月日:1947年4月25日生まれ
没年月日:2016年3月24日(68歳没)
身長:176cm
体重:67kg
1964-1973 アヤックス
1973-1978 バルセロナ
1979-1980 ロサンゼルス・アズテックス
1980-1981 ワシントン・ディプロマッツ
1981 レバンテ
1981 ワシントン・ディプロマッツ
1981-1983 アヤックス
1983-1984 フェイエノールト
生年月日:1947年4月25日生まれ
没年月日:2016年3月24日(68歳没)
身長:176cm
体重:67kg
1964-1973 アヤックス
1973-1978 バルセロナ
1979-1980 ロサンゼルス・アズテックス
1980-1981 ワシントン・ディプロマッツ
1981 レバンテ
1981 ワシントン・ディプロマッツ
1981-1983 アヤックス
1983-1984 フェイエノールト
ピッチ上の指揮者
サッカーにおける伝説のミッドフィルダーの1人に数えられるヨハン・クライフは、優れた瞬間的加速力を武器にしたドリブルが持ち味で、急加速と急停止を繰り返してディフェンスを翻弄させました。そして精度の高い両足からくりだされるキックで何度も相手ゴールを脅かします。しかしヨハン・クライフの最大の持ち味はピッチ上での的確な指示にありました。ピッチ上での全体的な戦況を常に把握し、ポジションやスペースの作りかたなど、まるで指揮者のようにタクトとふるい、チームを勝利に導いてきました。優れた状況判断能力や指導力は、後にバルセロナやオランダ代表監督などで成功したことで証明されています。
トータルフットボールの中心的人物
ピッチ上の指揮者として才能を開花させたヨハン・クライフは、現代の主流とされるトータルフットボールにはなくてはならないような人物でした。個々の選手が思いのままにポジションチェンジを繰り返し、アップダウンの動きで守備も攻撃も全員で行うトータルフットボールを実現させるには、ピッチ上の指揮者が必要でした。そこで1974年ワールドカップ西ドイツ大会に出場したオランダ代表はピッチ上の指揮者としてヨハン・クライフが君臨し、トータルフットボールの中心的人物という役割を担い、チームをまとめました。ヨハン・クライフがいなければトータルフットボールは現代の主流とはならなかったでしょう。
クライフターンの生みの親
覚えたら一生使えるフェイント
via www.youtube.com
現代サッカーでは、ドリブルテクニックとして有名なクライフターンですが、このクライフターンの生みの親はヨハン・クライフです。オランダ代表として1974年ワールドカップ西ドイツ大会に出場し、対スウェーデン戦で見せたのが始まりでした。パスやシュートに見せかけるキックフェイントから足のインサイドでボールを軸足の裏に通してディフェンダーを置き去りにするテクニックです。その後様々なサッカー選手がマネをして自分の技として取り入れられました。
ピッチ上の指揮者として頭脳・技術をいかんなく発揮したヨハン・クライフはまさにサッカーにおいて伝説の歴代ミッドフィルダーにあげられるサッカー選手の1人です。
ピッチ上の指揮者として頭脳・技術をいかんなく発揮したヨハン・クライフはまさにサッカーにおいて伝説の歴代ミッドフィルダーにあげられるサッカー選手の1人です。
サッカー 歴代ミッドフィルダーランキング2位
ディエゴ・マラドーナ
?【マラドーナ】伝説の男マラドーナがどれだけ凄かったか分かるプレー集!ゴール、ドリブル&テクニック!
via www.youtube.com
国籍:アルゼンチン
生年月日:1960年10月30日生まれ
身長:165cm
ポジション:FW/MF
1976-1981 アルヘンティノス・ジュニアーズ
1981-1982 ボカ・ジュニアーズ
1982-1984 バルセロナ
1984-1991 ナポリ
1992-1993 セビージャ
1993-1994 ニューウェルズ・オールドボーイズ
1995-1997 ボカ・ジュニアーズ
生年月日:1960年10月30日生まれ
身長:165cm
ポジション:FW/MF
1976-1981 アルヘンティノス・ジュニアーズ
1981-1982 ボカ・ジュニアーズ
1982-1984 バルセロナ
1984-1991 ナポリ
1992-1993 セビージャ
1993-1994 ニューウェルズ・オールドボーイズ
1995-1997 ボカ・ジュニアーズ
神の子
165cmという小さな体にもかかわらず、強靭なフィジカル・優れた洞察力・類まれなパスセンスを持ち、ボールが足に吸い付いているようなボールタッチで巧みなドリブルを駆使し、独特なリズムで相手ディフェンダーを置き去りにする現代ではあまり見られないプレースタイルでアルゼンチン・リーグ史上最年少でプロデビューを果たし、その後史上最年少でアルゼンチンフル代表デビューを成し遂げます。アルゼンチンではそんなマラドーナを神の子とたたえました。
伝説の5人抜き
Diego Maradona(マラドーナ) – 5人抜きドリブル
via www.youtube.com
マラドーナといえばドリブルを連想させるように、マラドーナのドリブルはボールが足に吸い付くように離れることがなく、独特のリズムと上半身の動きが特徴です。マラドーナのドリブルスタイルを象徴し、マラドーナのドリブルの凄さを世界に知らしめたのが1986年FIFAワールドカップメキシコ大会、準々決勝のイングランド戦で見せた「伝説の5人抜き」です。この「伝説の5人抜き」は世界に衝撃を与え、サッカーファンに関わらず、多くの世界中の人々にマラドーナという人物が認知された瞬間でした。
獲得タイトル
1979 FIFAワールドユース選手権最優秀選手
1986 FIFAワールドカップ最優秀選手
1979・1980 アルゼンチンリーグ得点王
1987-88 セリエA得点王
1986 世界年間最優秀選手
1986・1987 オンズドール
これらの素晴らしい成績を成し遂げ、世界中の人々に認知されたマラドーナは、歴代ミッドフィルダー最高選手の相応しい伝説の選手の1人といえます。
1986 FIFAワールドカップ最優秀選手
1979・1980 アルゼンチンリーグ得点王
1987-88 セリエA得点王
1986 世界年間最優秀選手
1986・1987 オンズドール
これらの素晴らしい成績を成し遂げ、世界中の人々に認知されたマラドーナは、歴代ミッドフィルダー最高選手の相応しい伝説の選手の1人といえます。
サッカー 歴代ミッドフィルダーランキング1位
ペレ
【ペレを知らない世代へ】サッカーの神様・ペレの爆発的ゴール&ドリブル集 !!!
via www.youtube.com
国籍:ブラジル
生年月日:1940年10月23日生まれ
身長:171cm
体重:73kg
1956-1974 サントス
1975-1977 ニューヨーク・コスモス
生年月日:1940年10月23日生まれ
身長:171cm
体重:73kg
1956-1974 サントス
1975-1977 ニューヨーク・コスモス
ブラジル系とアフリカ系の融合
ブラジル国籍のスーパースターであったペレのプレースタイルの特徴は、171cmと小柄にもかかわらず優れた身体能力とバランス感覚、100mを10秒台で走ることができる俊足を武器に、屈強な相手ディフェンスを交わすことができる上手いドリブルテクニックと、人並外れた跳躍力を活かしたヘディングシュートが持ち味です。この優れた身体能力と俊足、跳躍力はアフリカ系の血が流れていることからアフリカ系特融の筋力によるもので、まさにブラジル系のテクニックとアフリカ系の身体能力の融合による素晴らしい選手といえます。
予測不能な華麗なプレー
ペレのプレーは常に人々の創造をはるかに超える予測不能な華麗なプレーのオンパレードでした。そのため、サッカーの試合を見るというよりは、ペレがボールを持つと何が起こるかわからないという期待感をやワクワク感のためにペレを見るというファンが次第に増え、ペレはいつしか人気者になっていきました。1958年ワールドカップスウェーデン大会のスウェーデン戦ではボールを浮かせてDF頭上を超えて背後へ回る「シャウペ」という技を見せたり、トップスピードで走る複数の選手が壁パスをつなぎながらゴール前に迫る「タベリーニャ」というコンビネーションプレーを見せるなど、観衆のどよめきが起こるようなプレーを次々に疲労しました。
サッカーの王様
優れた身体能力とテクニックを併せ持つペレは、15歳でプロサッカー選手としてデビューし、1977年に引退するまで22年間のサッカー人生で通算1363試合に出場し、計1281得点を記録しています。実に1試合に約1点は得点する選手ということです。そんなペレはいつしか「サッカーの王様」「20世紀最高のサッカー選手」と称されるようになり、サッカーファンに関わらず、世界中の人たちに愛される伝説のサッカー選手としてその存在感を持ち続けています。
歴代のミッドフィルダーのランキングのまとめ
歴代最高のミッドフィルダーNo.1の座についたのはサッカーの王様と称されるペレでした。ペレやロベルト・バッジョやベッカムを振り返ると、そこにはサッカー技術が優れていることはもちろん、優れたリーダーシップや周囲を動かす能力も備わっていることがわかります。日本でも第2のペレやロベルト・バッジョが育っていくことを期待したいとところです。
商品やサービスを紹介いたします記事の内容は、必ずしもそれらの効能・効果を保証するものではございません。
商品やサービスのご購入・ご利用に関して、当メディア運営者は一切の責任を負いません。