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歴代の最強のセカンドトップの選手ランキングTOP10!

歴代の最強のセカンドトップの選手ランキングTOP10!

セカンドトップのポジションには優れたタレントを必要する役割があるため、世界的に見ても才能あふれる選手が歴代務めてきたポジションだと言えます。歴代のセカンドトップの中から、厳選した選手をランキング形式で紹介していきたいと思います。

2021.12.16 サッカー

世界一の歴代最強・最高セカンドトップランキング10位

カカ

国籍: ブラジル、 イタリア
生年月日:1982年4月22日(36歳)
出身地:ブラジリア
身長:186cm
体重:83kg
経歴
2001-2003 サンパウロFC
2003-2009 ACミラン
2009-2013 レアル・マドリード
2013-2014 ACミラン
2014-2017 オーランド・シティSC
2014 サンパウロFC (loan)

ブラジル人には珍しいシンプルなセカンドトップ

とかく一般的なサッカーのイメージでは、テクニカルなプレイが称賛されやすい傾向がありますが、シンプルなプレイをシンプルに確実に行うということが、実は一番難易度が高いプレイスタイルなのです。
ブラジル人選手としてカカは、珍しくフェイントを多用しないタイプのセカンドトップで、緩急の使い方や緩急での動き方、またそれらのプレイ選択のタイミングなどでボールを運べる選手です。
これらのプレイは一見すると非常にシンプルに見えますが、シンプルだからこそ確実で、確実だからこそ非常に効果的なオフェンスとなるものです。
クリスチアーノ・ロナウドなど細かい高速タッチや、ダイナミックなフェイントは確かに派手ですし見栄えが良いと思いますが、実際タッチミスも多く確実性の面ではカカのドリブルと比べると若干見劣りしてしまいます。

プレースタイルゆえに全盛期が短かったセカンドトップ

カカのようなドリブルはスペースが広ければさらに効果的になるため、特にカウンター戦術において凶悪なほど効率的ですが、スプリント能力に比重を置いた選手は、選手の全盛期が短くなりやすく、実際カカも世界最高レベルのプレイを行えた期間は短いものでした。
それでも卓越したパスセンスやミドルシュートの精度で十分世界レベルと言えましたが、どうしてもスピードの衰えは隠せず、シンプルで高度なプレイはそのままでしたが、物足りない動きに終始する試合も増えていきました。
後年は長距離よりも短距離の瞬発力で勝負するスタイルに移行して、オフェンスで存在感を出していましたが、怪我に悩まされることも多く活躍は減ってしまいます。

世界一の歴代最強・最高セカンドトップランキング9位

アルバロ・レコバ

国籍: ウルグアイ、 イタリア
生年月日:1976年3月17日(42歳)
出身地:モンテビデオ
身長:179cm
体重:79kg
経歴
1994-1995 ダヌービオ
1996-1997 ナシオナル・モンテビデオ
1997-2008 インテル・ミラノ
1999 ヴェネツィア (loan)
2007-2008 トリノ (loan)
2008-2009 パニオニオス
2010-2011 ダヌービオ
2011-2015 ナシオナル・モンテビデオ

天才性を突き詰めた本能のセカンドトップ

サッカーにおいてセカンドトップのポジションは、トップ下的な役割に得点を挙げるストライカー的な役割を加えたものと言えるため、このポジションで世界的に有名な選手や、伝説的な選手は総じてサッカーの天才であると断言することができます。
その天才性はどのように定義すればいいのかは、個々人の主観が入るものだと思いますが、レコバほど「天才」という言葉のイメージにピッタリな選手は数少ないと言えます。
レコバは非常にプレイのムラが大きく、その振り幅は同じ選手なのか疑ってしまうレベルです。
好調な時のレコバの左足には、本当に魔法を使うことができる力があるのかと思えるほど、スペクタクルでファンタスティックなテクニックを見せますが、不調なときの彼は、試合から消えてただピッチを散歩する人のようになってしまいます。

天使のように自由なサッカー

このような自身の本能に従ってしかプレイしないレコバには、監督の指示や戦術的な思考といった概念がなく、ただひらめきのままに左足でボールを扱うだけしかないのですが、好調時の凄まじい怪物ぶりのインパクトが強いため、非常に人気がある選手だったのは確かです。
FK精度も世界屈指と言えるもので、同時代に活躍したブラジルのロベルト・カルロスの「悪魔の左足」に対して「天使の左足」と呼ばれるほどでしたが、天使と形容されるところにレコバの人柄が表れているように思えます。
ある意味、世界最高レベルの舞台でサッカーで遊ぶことができる選手だったのかもしれません。
何故なら好調時のレコバを観ていると、彼がとにかくサッカーが好きでサッカーが楽しくてたまらない様子が見て取れるからです。
マラドーナと同じくらいにピッチで自由でいられるというのは、サッカーにおける一つの天才性なのかもしれません。

世界一の歴代最強・最高セカンドトップランキング8位

リバウド

国籍: ブラジル
生年月日:1972年4月19日(46歳)
出身地:レシフェ
身長:185cm
体重:75kg
経歴
1991-1992 サンタクルス
1992-1994 モジミリン
1993-1994 コリンチャンス (loan)
1994-1996 パルメイラス
1996-1997 デポルティーボ・ラ・コルーニャ
1997-2002 バルセロナ
2002-2004 ミラン
2004 クルゼイロ (loan)
2004-2007 オリンピアコス
2007-2008 AEKアテネ
2008-2010 ブニョドコル
2010-2011 モジミリン
2011 サンパウロ (loan)
2012 カブスコルプ
2013 サンカエターノ
2014 モジミリン

ブラジル産ファンタジスタの筆頭セカンドトップ

サッカーではスピードは一番の武器になり、スピードがあるだけである程度のレベルでは中心選手となることが可能ですが、それに対してファンタジスタと呼ばれる選手はスピードに頼るようなプレイは一切しないのが特徴です。
リバウドはそのようなファンタジスタとしてのプレースタイルを見せた、ブラジルの有名選手の一人です。
ボールコントロール、トラップは世界一と言えるもので、柔らかなタッチから想像もできないようなパンチ力のあるミドルシュートも見せるなど、本当に多彩なプレイを左足から繰り出していました。
テクニカルな選手にしては長身で、フィジカル的に強い部分もあり、この点でイタリア的なファンタジスタとは一線を画す存在だと言えるでしょう。

得点能力の高さはMFに収まらない

基本的にリバウドのポジションは中盤なことが多いですが、求められる役割はセカンドトップのそれで、実際にゴール前での得点能力は生粋のストライカー以上のものがあり、またシュートテクニックにも長けていました。
伝説的なシュートと今も言われる有名なオーバーヘッドキックは当然として、明らかにバランスを崩した状態から恐るべき速度のシュートを放つなど、フィジカルの強さをシュートに活かすことが上手い選手と言えます。

世界一の歴代最強・最高セカンドトップランキング7位

ラウル・ゴンサレス

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国籍: スペイン
生年月日:1977年6月27日(41歳)
出身地:マドリード
身長:180cm
体重:74kg
経歴
1994 レアル・マドリードC
1994 レアル・マドリードB
1994-2010 レアル・マドリード
2010-2012 シャルケ
2012-2014 アル・サッド
2015-2016 ニューヨーク・コスモス

銀河系軍団のセカンドトップあり、陰の功労者

レアル・マドリーというクラブは世界的なビッククラブとして、その名声と成績を維持するために他クラブや他国リーグで活躍した選手を大量の資金で買い上げるいわば外注に頼ってきたクラブで、そのシステムが明確に打ち出されたのが「銀河系軍団」と呼ばれた時代なのです。
その銀河系で最も優れるクラブを支えていたセカンドトップがラウールという選手で、毎シーズン加入してくるビックネームを相棒にしながら、長くレアル・マドリーの前線でバランスをとる動きと気の利いたポジション取りを見せつつビックネームとともに輝いていたのです。

サッカーを成り立たせるための重要な存在

サッカーのプレイとは常に相対的なもので、必ず2人以上の選手が関係性を持ちながら成立しているものと言えます。わかりやすい例で言えばパスの出し手と受け手のように、片方の能力だけでは決してサッカーは成立しないものなのです。
このようなサッカーの性質を考えると、単純に世界一の有名選手や伝説的な選手が11人揃えば、最強のチームが出来上がるわけではなく、それぞれの選手間の呼吸やタイミング、動きの質や方向性がしっかりと噛み合って世界最高レベルのバランスをとれなければ意味が無いことは、想像に難くありません。
この点で、毎シーズン新たな個性の強い選手が加入してきても、しっかりと呼吸を合わせながら自身も活躍できるラウールという存在がいればこそ、レアル・マドリーは銀河系軍団であり得ましたし、このような芸当が出来るほど謙虚で実直な上に、テクニック面でも世界屈指と言えるセカンドトップはラウールぐらいのものでしょう。

ドイツでも成功した適応能力

ラウールがいかに周囲との連携をとるのが上手いかは後年移籍したドイツの地でも成功したことで十分証明できますし、ラウールが移籍した後のレアル・マドリーは銀河系最強と言えるような選手たちが揃っていたにも関わらず結果を出せなくなっていったことでもよくわかります。
ラウールがオフェンスを機能させるために絶妙な立ち位置でバランスをとり、守備ではマケレレが何人分もの役割を一人でこなしていたからこそ、銀河系軍団は成り立っていたのです。
しかしこの2人はクラブから的確な評価をされていませんでしたし、だからこそ移籍しているのです。

チームプレーの真髄に迫るセカンドトップ

ここまでの紹介だと、ラウールが単に周りに合わせるのが上手いだけの選手のように見えるかもしれませんが、レアル・マドリーに所属していただけありテクニックは世界最高レベルですし、周囲と呼吸をあわせるのが上手いことからわかるように、視野が広くインテリジェンスがあり、そしてポジション取りの判断に優れていました。
そして動き出しのタイミング、動きの質ともに卓越しており、味方を活かし味方に活かされるというサッカーにおける重要な要素を、優雅にさり気なく行う器用さを持つセカンドトップでした。
彼のような一見すると地味で埋もれがちな選手をしっかりと語り継ぐことも、サッカーを愛する我々サッカーファンの努めではないかと思います。

世界一の歴代最強・最高セカンドトップランキング6位

アレッサンドロ・デル・ピエロ

国籍: イタリア
生年月日:1974年11月9日(43歳)
出身地:コネリアーノ
身長:173cm
体重:73kg
経歴
1991-1993 カルチョ・パドヴァ
1993-2012 ユヴェントス
2012-2014 シドニーFC
2014 デリー・ディナモスFC

伝説の10番を受け継いだファンタジスタの後継者

怪我による不調で衰え始めたバッジョに入れ替わるように脚光を浴び始めたのがデルピエロです。
ポジションや動き、華麗なテクニックなどを含めてバッジョの正当な後継者と認められ、ユベントスの伝説の10番を受け継ぎました。
バッジョと同様にセカンドトップの適性が抜群で、若干下がり目の位置から得点とチャンスメイクの役割を担う、現代型セカンドトップの草分け的選手でもあります。

必殺のデルピエロゾーンで有名なセカンドトップ

バッジョはフィジカルコンタクトを嫌い、相手に触れさせないドリブルで華麗に舞う動きが素晴らしかったですが、デルピエロはバッジョよりもフィジカル的な強さを持ち、アジリティを活かしたドリブルで左サイドから切れ込むカットインの動きを好みました。
カットインから眼前の相手DFを避けるように巻いて美しい弧を描くシュートは得点率が高く、デルピエロの得意な形でした。
そのためゴール前左45度は「デルピエロゾーン」と呼ばれ世界中で有名になったので、一度は聞いたことがあると思います。

沈みゆくクラブを支えたセカンドトップ

デルピエロはユベントスにおいてチャンピオンズリーグ制覇や5度に渡る国内リーグ優勝に貢献するなど、ユベントスの栄光とともに全盛期を迎えますが、突如巻き起こったカルチョスキャンダルでユベントスはセリエB降格となってしまいます。
ズラタンやカンナバーロなどの主力選手たちが他クラブへ移籍していく中、デルピエロは残留することを宣言し、それに応えて共に残ったネドベドやブッフォンとセリエBを戦い抜いて、見事1シーズンでのセリエA昇格を果たします。

時代と環境にマッチできたセカンドトップ

デルピエロの凄さは、あの自分以外の選手には辛辣なクライフも諸手を挙げて賞賛するほどで、イタリア代表においてもバッジョから10番を奪うなど、まるでバッジョとは対照的なサッカー選手だと言えます。
デルピエロとバッジョを見ていると、才能だけではなくプレイする時代や環境がいかにサッカー選手にとって大事なものかを思い知らされます。
世界一、最高、最強と呼ばれる有名選手や伝説の選手でも、環境が違うだけでここまで違う人生になってしまうのは感慨深いものがあります。


世界一の歴代最強・最高セカンドトップランキング5位

デニス・ベルカンプ

国籍: オランダ
生年月日:1969年5月10日(49歳)
出身地:アムステルダム
身長:183cm
体重:81kg
経歴
1986-1993 アヤックス
1993-1995 インテル・ミラノ
1996-2006 アーセナル

クライフが見出した稀代の天才セカンドトップ

アヤックスを指揮していたクライフがその才能を見出してプロデビューしたベルカンプは、オランダが生んだ世界最高のセカンドトップと呼ばれています。
セカンドトップは1.5列目という相手守備ブロックの隙間にポジションをおくことでオフェンスの起点となる役割があるため、トラップを含むファーストタッチの技術が非常に強く求められるポジションとなっています。
このトラップ技術に素晴らしい才能を発揮したのがベルカンプで、それ故に世界最高のセカンドトップと呼ばれているわけです。
特に後方からの浮き球のトラップに関しては、ジダンやバッジョと並んで世界でも随一の精度を見せていました。

冷静さが生み出すトラップ技術

もちろんトラップだけがすごいわけではなく、トラップ後のプレイの質も高く、しかもベルカンプは極めて冷静沈着なタイプで、ゴール前という決定的な場面で慌てるようなことは一切ありませんでした。
そのため付いたあだ名は「アイスマン」で、常に冷静に確実に、そして的確に最適なプレイを選択するベルカンプのプレースタイルにはぴったりな名前だと思います。
この冷静さはトラップ技術に大いに生かされており、的確なトラップでボールの収まり方や置き所が常に正確にベストポジションを選べたため、その後のシュートで慌てることがなかったとも言えるでしょう。
事実ベルカンプのトラップは華麗で見ごたえがありますが、シュートはシンプルで流し込むだけという地味なものが多いです。

飛ばないオランダ人

クライフが伝説的なジャンピングボレーで「フライングダッチマン(空飛ぶオランダ人)」と呼ばれたのに対して、ベルカンプは「ノンフライングダッチマン(飛ばないオランダ人)」と呼ばれましたが、これは彼が極度の飛行機恐怖症だったためです。
試合移動でアウェーを訪れる際に飛行機に乗らなければならないときには、試合を欠場するほどの恐怖症で、1994アメリカワールドカップでは一人だけ船で渡米して参加しました。
2002日韓ワールドカップへ向けての欧州予選前にベルカンプは代表を引退しましたが、どうやらこれは日本が陸路と海路だけでは、移動が困難な遠隔地だったためという理由もあったようです。

世界一の歴代最強・最高セカンドトップランキング4位

エリック・カントナ

国籍: フランス
生年月日:1966年5月24日(52歳)
出身地:マルセイユ
身長:188cm
経歴
1983-1988 オセール
1985-1986 マルティーグ
1988-1991 マルセイユ
1989 ボルドー
1989-1990 モンペリエ
1991 ニーム
1992 リーズ・ユナイテッド
1992-1997 マンチェスター・ユナイテッド

王様と呼ばれ王様として活躍したセカンドトップ

低迷期のマンチェスターユナイテッドに待望の圧倒的得点力をもたらし、4度のリーグ制覇に貢献することで「キング」と呼ばれたのがカントナですが、マンチェスターユナイテッドで世界でも類を見ない長期政権を確立した、アレックス・ファーガソン監督が、その長きに渡る指導歴の中で真にワールドクラスの選手は誰かと聞かれて一番に答えたのが、このカントナだと言われています。
マンチェスターユナイテッドでは、チームの象徴となる選手が背番号7を受け継ぐ伝統がありますが、そのような伝説の7番を生み出したのがこのカントナです。
フィジカルの強さを活かした重戦車のようなドリブルながら、柔軟なタッチを主軸としたテクニックもあり、剛と柔を併せ持ちながらサッカーセンスにも優れるなど、王様と呼ばれて称えられ、その背番号が伝説扱いになる資格が十分にある選手と言えるでしょう。

振る舞いも王様、影響力も王様

元々の性格が唯我独尊で、サッカーに対しては真摯に打ち込む面があるにも関わらず、ピッチ上では規律や戦術的な縛りを嫌う傾向が強く、厳格にチームをまとめるファーガソンの手法にはそぐわない選手でしたが、それでもカントナはキングであり特別な存在だったため、カントナだけは自由が許されていました。
常に王様として振る舞い、チームを勝たせる自負が強かったカントナは、レッドカードで退場する際に相手チームの心無い野次に激怒し飛び蹴りを放つこともありました。観客であろうと自身を侮辱する存在は許さない、まさに王様です。
下の世代であるジダンの出現でフランス代表を外されたカントナですが、そのことをカントナに伝えねばならなかった当時のフランス代表監督は、のちにこの時のことを聞かれ「死ぬほど怖かった」と語っているほどです。
称賛と畏怖を同時に受けることができる、やはりカントナは「キング」なのです。

世界一の歴代最強・最高セカンドトップランキング3位

フランチェスコ・トッティ

国籍: イタリア
生年月日:1976年9月27日(41歳)
出身地:ローマ
身長:180cm
体重:82kg
経歴
1993-2017 ASローマ

ローマの王子にしてイタリアのファンタジスタ

王子と呼ばれて愛されたローマ生え抜きのセカンドトップで、自身も家族も熱狂的なロマニスタとして常にローマのために世界レベルのプレイを見せ続けたファンタジスタの一人です。
バッジョやデルピエロが正統派なファンタジスタだとすると、トッティはまさに「王子」的なファンタジスタで、メンタル面では若干ワガママで粗暴なところがありますが、サッカーに関しては得点よりも美しいアシストパスを決めることに強いこだわりを見せていて、自身でも自分が点を奪うよりも味方に最高のパスを出すことに満足感を感じると語っていました。
単純に王様プレイに終始する凡庸な天才型選手と違った趣を感じるセカンドトップです。

甘いマスクと魅惑的なパス

トッティのファンタジスタとしての才能はやはりこだわりのラストパスにあり、驚異的な視野の広さに加えて展開を予測することが上手いため、まるで背中に目があるように、あり得ない場所にあり得ないパスを出せるセカンドトップです。
このパスセンスと甘いマスクの風貌、そしてイタリア人が好むファンタジスタというプレースタイルから、ローマの伝説的なアイドルとされており、日本の中田選手がポジション争いに負けたのも仕方がない話だと言えるでしょう。

セカンドトップに開眼した0トップシステム

Francesco Totti on Instagram: “Tutti hanno il diritto di sbagliare. Daniele ieri ha sbagliato ed è il primo a saperlo. Ma nessuno può mettere in discussione quello che ha…” (48100)

このようにローマのアイドルで王子だったトッティは、戦術的なものも含めて監督と対立することが多かったですが、大多数の監督は影響力が大きくピッチ上の王子であるトッティを最大限に活かすオフェンス戦術を組み上げる方向性を取りました。
中でもスパレッティ監督は就任当初はトッティを抑えつけようとして対立したものの、最終的には妥協しトッティに完全な自由を与えポジションの制約からも解放、好きなようにオフェンスを牽引させるようして大成功しました。
このトッティをセカンドトップとして1トップに置き、試合中は1トップのポジションに誰もいない0トップシステムは、テクニックは世界一だけど運動量が落ち始め守備で貢献できなくなったトッティの能力を、オフェンスのみに発揮させるシステムとして機能し、また年齢を重ねたトッティのセカンドトップとしての開眼にも成功したシステムだったのです。

トッティのおしゃぶりポーズは妻への愛

自身に最適なシステムでセカンドトップとして生まれ変わったトッティは、持ち前のパスセンスに加えて得点能力も発揮し、さらなる飛躍をしました。
ちょうどこの頃、結婚して子供が生まれたため、ゴールパフォーマンスで今やトッティの代名詞ともなる有名なおしゃぶりポーズを行うようになりましたが、これは実は子供へ向けてではなく、指を咥える癖のある奥さんへ向けてのものでした。
このあたりもトッティが王子と呼ばれ、抜群の人気を誇る理由があるように思えます。
ローマを愛し妻を愛し、常に情熱的でファンタスティックなプレイを見せるトッティは、愛すべきファンタジスタとして伝説の存在になったと言えるでしょう。
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世界一の歴代最強・最高セカンドトップランキング2位

ロベルト・バッジョ

国籍: イタリア
生年月日:1967年2月18日(51歳)
出身地:カルドーニョ
身長:174cm
体重:73kg
経歴
1982-1985 ヴィチェンツァ
1985-1990 ACFフィオレンティーナ
1990-1995 ユヴェントス
1995-1997 ACミラン
1997-1998 ボローニャFC
1998-2000 インテル・ミラノ
2000-2004 ブレシア

稀代のセカンドトップ、永遠のファンタジスタ

イタリアのサッカーでは観客を魅了し、相手チームの選手ですら賞賛を惜しまない、スペクタクルでエレガント、唯一無二の伝説的な選手のことを特別な感情を込めて「ファンタジスタ」と呼びます。
バッジョはまさにファンタジスタであり、そしてファンタジスタとはイコール、バッジョそのものと言えるほど、卓越したテクニックと優雅なプレイで、観るもの全てを魅了したセカンドトップです。

カリスマ性ゆえに不遇であったセカンドトップ

バッジョはサッカー選手として、セカンドトップとして、単に優れていただけではなく、一種のカリスマ性を持っていました。
カリスマ性に加えて非常にこだわりの強いサッカー観も持っており、この点で所属クラブの監督とぶつかることも多く、これだけの世界的そして伝説的な選手でありながらベンチを温めることもしばしばありました。
代表においてもこのような扱いが多く、他国の選手から「世界中でバッジョを評価しないのはイタリアだけ」と揶揄されていたのは有名な話です。

ファンタジスタの存在を許さない時代背景

絶対に負けられない戦いがそこにはある! on Instagram: “#baggio #italy #azzurri #robertobaggio #ロベルトバッジョ #アズーリ #イタリア やっぱりカッコいい” (48098)

バッジョは1.5列目にポジションをとり、前線への美しいラストパスやコースを狙うテクニカルなミドルシュートを得意としていましたが、決してフィジカルコンタクトに優れていたわけではなく、守備に奔走するタイプではなかったため、プレッシングサッカー全盛であったイタリアサッカーにおいては起用法が難しい選手であったのは確かです。
それでもバッジョがボールを持てば高確率でチャンスとなるので味方の動きもよくなりますし、オフェンス面での貢献は計り知れないものがありました。
ただバッジョの選手時代は守備的戦術が先行するサッカーが大勢を占めていたため、守備で計算できない選手をイタリアの指揮官たちが嫌っていたという背景があったのです。

悲劇がさらに伝説的な選手にしていった

またバッジョのカリスマ性は悲劇的な選手人生によってより高められてもいました。
イタリア国内のサッカーは、プレッシングサッカーによる激しい潰し合いが主流だったため、オフェンスの中心で、フィジカル的に弱いバッジョは集中的にマークされることが多く、激しいチェックで削られて怪我が絶えない状況が続きました。それでもバッジョは怪我と戦いながらイタリア国内でのプレイにこだわりました。何故ならその当時はイタリア代表としてWカップに出場するためには、国内でプレイしていることが半ば、暗黙の条件となっていたからです。
イタリア代表としてWカップで優勝したいという夢のために、選手生命を削るイタリア国内でサッカーをする選択をしたのです。
もしバッジョがスペクタクルなサッカーを志向する、例えばスペインなどに移籍していれば、常に万全な体調と動きで、より魅惑的なプレイを続けることが出来たかもしれません。

世界一の歴代最強・最高セカンドトップランキング1位

ディエゴ・マラドーナ

国籍: アルゼンチン
生年月日:1960年10月30日(57歳)
出身地:ラヌース
身長:165cm
経歴
1976-1981 アルヘンティノス・ジュニアーズ
1981-1982 ボカ・ジュニアーズ
1982-1984 バルセロナ
1984-1991 ナポリ
1992-1993 セビージャ
1993-1994 ニューウェルズ・オールドボーイズ
1995-1997 ボカ・ジュニアーズ

自由なサッカーをする自由なセカンドトップ

マラドーナに関しては語り尽くされた観があり、その人間離れしたテクニックと凄まじいアジリティ、ルールをねじ曲げてでもゴールするメンタリティなどなど、マラドーナの凄さはいくらでも出てきますし、セカンドトップというポジションに縛って語るのも難しい選手です。
一言で彼を評するなら、サッカーがいかに自由であり、自由だからこそ面白いということを体現するセカンドトップではないかと思います。

定位置を持たずゴールを狙うセカンドトップ

マラドーナにはポジションという概念はあまり当てはまりません。
何故ならどのポジションでもこなせるだけの並外れたテクニックとサッカーセンスがあるからで、ただその才能や能力を遺憾なく発揮できるのはトップ下かセカンドトップですし、実際そのようなポジションをスタートポジションにしていました。
ただ抜群の得点能力があるため、中盤まで下りてポゼッションに参加しつつスペースが見えたら世界一のドリブル突破でゴール狙うスタイルは、現在のサッカー戦術で考えるとセカンドトップに当てはまると言えるでしょう。

弱小クラブを強豪にまで押し上げたカリスマ性

@kabutomushi38 - Instagram:「#86メキシコワールドカップ #メキシコ🇲🇽 #アルゼンチン🇦🇷 #ディエゴマラドーナ マラドーナのための大会と呼ばれたメキシコ大会❗️「神の手ゴール」「5人抜き」などの伝説のシーンが生まれた‼️」 (48096)

マラドーナの経歴で一番印象的なのは、当時セリエA弱小クラブでしかなかったナポリを、2シーズンで優勝争いできるレベルの強豪まで引き上げたことでしょう。
マラドーナはその卓越したサッカーセンスと、常人離れしたアジリティを含むフィジカルをどのように使えば得点できるか、その点でのインテリジェンスが驚異的に高いため、彼が存在するだけでここまでチームを強くすることができるのです。
またマラドーナには独特のカリスマ性があり、マラドーナがいるだけでチームメイトはマラドーナのために労働者となることを強制されますし、しかもそれを喜んで引き受けるようになるのです。
何か言うわけでもなく、ただ世界一とも言えるプレイだけで、自然とチームがマラドーナを中心にまとまっていくということです。

マラドーナとメッシの違い

メッシは若いころからその才能によって「マラドーナ2世」と呼ばれていましたし、未だにマラドーナと比較されていますが、前述したようにナポリを強豪にしたマラドーナには「チームを勝たせる」カリスマ性がありますが、メッシにはそれが無いというのは大きな違いではないかと思います。
2018ロシアワールドカップでのメッシは、以前からそうだったようにアルゼンチンというチームの「マラドーナ」になることを求められていましたが、彼には驚異的な得点能力とテクニックが確かにあったにも関わらず、「チームを勝たせる」ことができなかったためトーナメント敗退という結果になりました。
メッシのテクニックや得点能力、あるいはマラドーナと同格か超える部分もあるかもしれませんが、試合においてチーム勝たせるということができないというところにおいて、マラドーナには遠く及ばないと言わざるを得ないです。

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